太政官日誌・明治2年88号

太政官日誌 明治二年 第八十八号
明治己巳 八月十五日
東京城第五十一
○八月十五日〈甲寅〉
【蝦夷地ヲ北海道ト称スル事】
御布告書写
蝦夷地、自今北海道ト被称、十一箇国ニ分割国名、郡名等、別紙之通被仰出候事
北海道十一ケ国
渡島国
亀田
茅部
上磯
福島
津軽
桧山
爾志
七郡

〈西部〉
後志国
久遠
奥尻
太櫓
瀬棚
島牧
寿都
歌棄
磯屋
岩内
古宇
積丹
美国
古平
余市
忍路
高島
小樽
十七郡

石狩国
石狩
札幌
夕張
樺戸
空知
雨竜
上川
厚田
浜益
九郡

天塩国
増毛
留萌
苫前
天塩
中川
上川

六郡
北見国
宗谷
利尻
礼文
枝幸
紋別
常呂
綱走
斜里
八郡

〈東部〉
胆振国
山越
虻田
有珠
室蘭
幌別
白老
勇払
千歳
八郡

日高国
沙流
新冠
静内
三石
浦河
様似
幌泉
七郡

十勝国
広尾
当縁
大津
中川
河東
河西
十勝
七郡

釧路国
白糠
足寄
釧路
阿寒
網走
川上
厚岸
八郡

根室国
花咲
根室
野付
標津
目梨
五郡

千島国
国後
択捉
振別
紗那
蘂取
五郡

【松平越中津藩ヘ永預ノ事】
御達書写
松平越中
戊辰正月、伏水暴挙王師ニ抗シ、事敗レテ東国ニ遁レ、慶喜、恭順スルニ及ンテ、尚悔悟セス、北越ニ至テ再ヒ官軍ヲ拒ミ、遂ニ脱艦ノ賊ト共ニ、蝦地ニ渡リ、賊勢日ニ蹙ルニ及ンテ、始テ悔悟ノ志ヲ抱キ、賊中ヲ脱シテ横浜ニ来リ、自訟伏罪候条、天下之大典ニ於テ、其罪難被差置、屹度厳刑可被処之処出格之寛典ヲ以テ、死一等ヲ減シ、津藩知事ヘ永預被仰付候事
○ 松平万之助
越中儀、大逆ヲ犯シ候ヲ以、津藩知事ヘ永預被仰付候、於其方ハ、夙ク順逆ヲ弁シ、先鋒総督之軍門ニ帰順シ、引続上下謹慎、無二ヲ表シ候ニ付、出格至仁之思食ヲ以、今度家名被立下、華族之列ニ被置、更ニ桑名藩六万石支配被仰付候事
○ 津藩知事藤堂高猷
松平越中儀、其藩ヘ永預被仰付候間、名護屋藩ヨリ請取、謹慎為致可置候事
○ 名護屋藩知事徳川徳成
松平越中儀、今般津藩知事ヘ、永領被仰付候間、同人ヘ引渡可申候事
○ 松平万之助
越中助逆之謀臣、取調可申出事
【板倉伊賀父子、安中藩ヘ永預ノ事】
板倉伊賀
同万之進
戊辰正月、伏水之暴挙敗衂之砌、東国ニ遁走ス、慶喜恭順スト雖、尚悔悟セズ、日光山ニ伏匿、後北道之軍門ニ降リ、宇都宮ニ謹慎候処、紛擾之砌、再ヒ脱シテ会津ニ往キ、遂ニ松島ヨリ賊艦ニ乗リ、蝦地ニ渡リ賊勢日ニ蹙ルニ及ンテ始テ悔悟ノ志ヲ抱キ、賊中ヲ脱シ東京ニ来リ、遂ニ伏罪候条、天下之大典ニ於テ、其罪難被差置、屹度厳刑可被処之処、出格之寛典ヲ以テ死一等ヲ減シ、安中藩知事ヘ永預被仰付候事
○ 安中藩知事板倉勝殷
板倉伊賀父子、大逆ヲ犯シ候ヲ以、永預被仰付候処、於家来共ハ順逆ヲ弁シ、帰降之実ヲ表シ、引続謹慎無二候ニ付、出格至仁之思召ヲ以、今度血脈之者ヘ家名被立下、華族之列ニ被置、更ニ松山藩二万石支配被仰付候事
但、血脈之者早々可願出事
○ 同上
板倉父子儀、更ニ其藩ヘ永預被仰付候間、謹慎為致可置候事
○ 宇都宮藩知事戸田忠友
板倉万之進儀、今般安中藩知事ヘ永預被仰付候間、同人ヘ引渡可申候事
○ 安中藩知事板倉勝殷
板倉伊賀父子、助逆之謀臣、取調可申出事
【竹中丹後、福岡藩ヘ永預ノ事】
〇竹中丹後
戊辰正月、伏水暴挙之砌、兵ヲ督シテ王師ニ抗衡シ、事敗テ東国ニ遁走ス、慶喜恭順スルニ及ヒ、尚悔悟セズ、去テ会津ニ往キ、処々横行、仙台ニ至リ、賊艦ニ乗リ、蝦地ニ渡リ、賊勢日ニ蹙ルニ及ヒ、賊巣ヲ脱出テ東京ニ来リ、遂ニ伏罪候条、天下之大典ニ於テ、其罪難被差置、屹度厳刑可被処之所、出格之寛典ヲ以テ、死一等ヲ減シ、黒田従四位ヘ永預被仰付候事
○ 竹中図書
丹後儀、大逆ヲ犯シ候ヲ以、今度福岡藩知事ヘ永預被仰付、出格至仁之思召ヲ以、家名被立下、更ニ其方ヘ三百石下賜候事
但、是迄被下置候五百石、被召上候事
○ 福岡藩知事黒田長知
竹中丹後儀、其藩ヘ永預被仰付候間、大垣藩ヨリ請取、謹慎為致可置候事
○ 大垣藩知事戸田氏共
竹中丹後儀、今般福岡藩知事ヘ永預被仰付候間、同人ヘ引渡可申候事
【竹中丹後知行所笠松県支配ノ事】
笠松県
竹中丹後知行所、自今其県支配ニ被仰付候間、大垣藩ヨリ請取可申候事
○ 同上
竹中丹後家来、其県支配ニ被仰付候間、此旨相達候事
【待詔院下局事務、集議院ヘ移管ノ事】
各通 待詔院
集議院
待詔院下局之儀ハ、天下之材能ヲ待セラルヽ所ニシテ、言路洞開、上下壅塞之弊ナク、草莽卑賤ニ至ル迄、各抱負ヲ尽サセ、其所長ヲ御採用可被為在御趣意ヲ以テ、被設置候処、今度御詮議ニヨリ、集議院中ニ於テ、是迄待詔院下局ニテ取扱候御用等、裁判可致旨被仰付候間、此旨可相心得候事
追録
【瑞西岡士、立后御祝ノ国書捧呈ノ事】
瑞西合衆国書翰写
横浜千八百六十九年九月十六日瑞西岡士セネラー館
合衆国評議官ヨリ御門陛下第一等執政閣下ヘ宛テシ、書翰之写ヲ送ル
瑞西合衆国岡士セネラールニ代リテ 書記官 ヱ モッテレ
東京
外務省ヘ

ベルン千八百六十九年五月三十一日
閣下、明治二年二月十四日附之書翰落手、昨年十二月二十八日、京都ニ於テ一条左大臣息女立后之礼式、首尾能済ミシ旨天皇陛下ノ命ニテ、閣下ヨリ我等ニ報知イタサルヽ旨、承知セリ、右書簡ノ為多謝ス、且天皇皇后共ニ幸福長寿、幷日本国ノ繁栄ヲ祈願シ、右ノ祝辞ヲ天皇陛下ニ仰上ラレンコトヲ、我等閣下ニ願フ
合衆議政ニ代リテ 合衆国大領 ウェルテイ手記
合衆国執政 スシース手記

太政官日誌・明治2年90号

太政官日誌 明治二年 第九十号
明治己巳 八月十五日
東京城第五十三
○八月十五日〈甲寅〉
【箱館征討合記続二】
館藩届書写第三〈追録〉
戦争中死傷左之通
四月十一日夜、於札前野
死 八番隊銃卒 溝口寛蔵
同 田村粂太郎
重傷 同隊銃士 清水金吾
同隊銃卒 秋山織次郎
傷 同 石道宇之作
死 遊撃隊銃士 杉村玄英
同 平野安五郎
同銃卒 遠藤駒蔵
同 山岡喜八郎
同 鈴木兵三郎
重傷 同銃士 武川市逸
傷 同隊長 新井田早苗
同半隊司令士 野坂林作
同銃士 梶原弥学
同銃卒 川崎松五郎
総長下国東七郎家来 斎藤善太郎
同夜、於茂草野
死 八番隊軍監 村上温次郎
同銃卒 藤田璉蔵
同 鈴木順蔵
重傷 同銃士 田村和鬼也
傷 同銃卒 川村元蔵
死 遊撃隊銃士 小西浩太郎
同銃卒 田中量作
傷 同 戸沢孫右衛門
四月十七日、於建石野
死 遊撃隊銃卒 工藤元三郎
重傷 同副長 竹田泰三郎
傷 同銃卒 関根藤六
右之分、当五月廿三日御届申上候後、尚取調候処、銃卒山岡喜八郎、鈴木兵三郎手負ノ趣御届申上候得共、両人共戦死仕候、依之尚又死傷書上申候
昨年御届漏之分左之通
〈辰十月廿四日、戸切地於陣屋戦死〉 銃士 大場忠右衛門
〈辰十一月二日、於福島村戦死〉 同 田中宇吉
同上 同 大沢八五郎
同上 同 桜井金七郎
〈辰十一月五日、於及部村戦死〉 町兵 直吉
〈前同日、於枝ケ崎台場戦死〉 銃士 平尾鉄三
〈前同日、於城内重傷〉 同 山崎十三
〈十一月二日、於福島村重傷〉 農兵 金平
戦争中生虜、分取左之通
一番隊麓逸学隊ニテ
四月十日 賊四人
同十日 賊二人
同十一日 同一人
遊撃隊新井田早苗隊ニテ生捕
賊三人
原口村ニテ 同二人
木ノ子村ニテ 同一人
田沢村ニテ 同三人
小砂子村ニテ 同三人
馬形及部ニテ 同三人
田沢村砲台一ケ所
大砲一門
弾薬四箇
四月十八日奇兵隊蠣崎衛士隊吉岡峠ニテ分取
施条砲一門
大砲二門
弾薬二門
実丸三十
空丸十
四月十日江差出発ヨリ、同十三日上之国ヘ引揚迄之間、遊撃、奇兵、八番ノ三小隊、所々ニテ分取
ケール十六挺
刀四口
剣六振
喇叭一
合麾〈但、黄赤取交〉八本
朱之丸提灯三張
ガンドウ一
胴卵六
小胴卵五
四月十四日、遊撃隊、羽根差野ニテ生捕
賊一人
同十七日、奇兵隊ニテ生捕
賊〈内斥候二人〉三人
分取
大砲弾丸
同日、八番隊ニテ分取
雑兵笠六蓋
朱ノ丸提灯一張
巻物〈但、槍術伝書〉一
ガンドウ一
四月廿九日、五番隊竹内学隊ニテ分取
矢不来山手砲台一ケ所
大砲一門
弾薬二箇
胴卵三
短旋条銃五挺
スナイドルパトロン二百発
同日、六番隊松崎数矢隊ニテ分取
大砲空丸六発
合薬二箱
胴卵七
ミニユ銃七挺
サフル三十四振
ケエール剣十八振
ミニユー丸五百発
脇差二口
刀二口
馬二疋
弾薬三千発
鞍一脊
同日、八番隊氏家左門隊ニテ生捕
賊〈但、富川村ニ於テ〉三人
分取
六寸短銃四挺
短銃七挺
馬乗砲三挺
胴卵二
サフル十二挺
弾薬四箱
同日、奇兵隊蠣崎衛士隊ニテ分取
鉄砲三挺
刀一口
七連砲一挺
朱ノ丸旗一ケ所
矢不来居小屋一ケ所
旋条砲丸五
胴卵一
賊〈但、於富川村大野岩見斫殪シ、懐中ノ密書ハ御会議所ヘ差上〉一人
同日糾武隊松崎辺隊ニテ分取
弾薬二箇
馬三疋
乗鞍二脊
剣二振
旋条砲空丸五
刀一口
赤標人旗一流
黄同一流
短筒三挺
富川仮台場一ケ所
海岸台廿四斤長砲一門
四月廿九日、於矢不来野
傷 糾武隊銃卒 八木忠四郎
五月十一日、三番隊南条小弁司隊、柳岱一ノ台場ニテ賊一人斫殪
明石興司
同日、四番隊佐藤男破魔隊、柳岱一ノ台場先登、同二ノ台場ニテ賊一人斫殪
厚谷孫六
五月十六日、大砲隊田中孫平治隊ニテ、元津軽陣屋ニ於テ分取
大砲運送馬鞍一
合薬二貫目
冷水桶一
フリツキ散弾一
右四月九日乙部揚陸以来、弊藩兵隊所々出発戦争之大概、書面之通御座候、以上
七月
館藩

○第七十七号、軍務官箱館征討合記第八、届書中ニ載スル所ノ件、略之

太政官日誌・明治2年91号

太政官日誌 明治二年 第九十一号
明治己巳 自八月十七日 至二十日
東京城第五十四
○八月十七日〈丙辰〉
【水戸藩北海道支配地ノ事】
御達書写
水戸藩知事徳川韶武
天塩国之内
苫前郡
天塩郡
大津郡
北見国之内
麟利尻郡
右五郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 一関藩知事田村崇顕
胆振国之内
白老郡
右郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 佐嘉藩知事鍋島直大
釧路国之内
厚岸郡
釧路郡
川上郡
右三郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 開拓使
別紙之通被仰付候間夫々ヘ地所引渡可申事別紙三藩被仰付書同様
○十八日〈丁巳〉
【若松、福島、白石、白河、石巻、登米、胆沢、江刺、九戸、酒田ノ十県取建ノ事】
御達書写
酒田県
久保田藩、新発田藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付候間、知事着県之上、同藩ヨリ請取可申事
○ 各通 久保田藩
新発田藩
是迄取締之地所、今般酒田県支配ニ被仰付候間、知県事着県次第、同県ヘ引渡可申事
○ 福島県
盛岡藩元管轄地、今般其県幷白石県支配ニ被仰付以下酒田県同文
○ 白石県
右同文〈但、白石県ヲ福島県ニ作ル〉
○ 盛岡藩
其藩元管轄地、今般福島県、白石県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 胆沢県
前橋藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 前橋藩
是迄取締之地所、今般胆沢県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 福島県
中村藩、笠間藩取締之地所、今般其県幷白河県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 白河県
右同文〈但シ、白河県ヲ福島県ニ作ル〉
○ 各通 中村藩
笠間藩
是迄取締之地所、今般福島県、白河県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 江刺県
松代藩、松本藩取締之地所、今般其県幷九戸県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 九戸県
右同文但シ、九戸県ヲ江刺県ニ作ル
○ 各通 松代藩
松本藩
是迄取締之地所、今般江刺県、九戸県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 九戸県
黒羽藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 黒羽藩
是迄取締之地所、今般九戸県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 白河県
守山藩、三春藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 各通 守山藩
三春藩
是迄取締之地所、今般白河県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 石巻県
高崎藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 高崎藩
是迄取締之地所、今般石巻県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 胆沢県
宇都宮藩取締之地所、今般其県幷登米県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 登米県
右同文〈但シ、登米県ヲ胆沢県ニ作ル〉
○ 宇都宮藩
是迄取締之地所、今般胆沢県幷登米県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 若松県
新荘藩、館林藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付候間、同藩ヨリ請取可申事
○ 各通 新荘藩
館林藩
是迄取締之地所、今般若松県支配ニ被仰付候間、同県ヘ引渡可申事
岩代国 若松県
同 福島県
同 白石県
磐城国 白河県
陸前国 石巻県
同 登米県
陸中国 胆沢県
同 江刺県
同 九戸県
羽後国 酒田県
右之通今般改テ新県被建置候事
民部省
別紙之通御沙汰相成候間、此旨相達候事
○十九日〈戊午〉
【徳島藩北海道支配地ノ事】
御沙汰書写
徳島藩
日高国之内、新冠郡
右一郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 開拓使
日高国之内、新冠郡、徳島藩支配ニ被仰付候間、土地引渡可申事
【生野県鉱山管轄ノ事】
生野権知県事
其県鉱山管轄被仰付候条司正之心得ヲ以取扱可致事
但、鉱山附属官員ハ、本司ヨリ可差出ニ付民部省ヘ可申談事
○廿日〈己未〉
【高知藩、兵部省北海道支配地ノ事】
御達書写
高知藩
石狩国之内、夕張郡
胆振国之内、勇払郡、千歳郡
右三郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 開拓使
石狩国之内夕張郡、胆振国之内勇払郡、千歳郡、高知藩支配ニ被仰付候間、土地引渡可申事
○ 兵部省
石狩国之内、石狩郡
後志国之内、高島郡、小樽郡
右三郡、其省支配ニ被仰付候事
○ 開拓使
石狩国之内石狩郡、後志国之内高島郡、小樽郡、兵部省支配ニ被仰付候間、土地引渡可申候事
【集議院ノ事】
各通 待詔院
集議院
待詔院下局之儀ハ、天下之材能ヲ待セラルヽ所ニシテ、言路洞開、上下壅塞之弊ナク、草莽卑賤ニ至ル迄、各抱負ヲ尽サセ、其所長ヲ御採用可被為在御趣意ヲ以テ、被設置候処、今度御詮議ニヨリ、集議院中ニ於テ、是迄待詔院下局ニテ取扱候御用等、裁判可致旨、被仰付候間、此旨可相心得候事

【集議院規則】
一、集議院中別ニ一局ヲ設ケ、天下之進言献策有用之材ヲ総ヘ、寄宿セシメ、其徳行才能ヲ考試スベキ事
一、諸藩士及農工商トモ、待詔出仕可被仰付者ハ、一応議院之考試ヲ経テ任用スベキ事
但、人物ニヨリ特命之撰挙ハ此限ニ非ス
一、議院ニ関係之議事アル節ハ、長官、次官判官、正権トモ、太政官ニ参預可致事
一、議員中ヨリ幹事十二名ヲ公撰シ、正権判官ニ準シ、可相勤事
但、権判官之次席タルベク候
一、議員中ヨリ、名指シ撰挙有之節ハ、議院ニ於テ、長官、次官、正権判官、幹事等、其材能可否ヲ熟議之上、可申出事
但任用之官等職務トモ前以内諭可有之事
一、議員中名指ナク、挙任被仰出候節ハ、長官、次官、正権判官、幹事等二名ヲ撰定シテ、可伺出事
一、議員中ヨリ撰挙之節ハ、奏任以上ニ可相任事

建言之輩、是迄待詔院ヘ罷出候処、自今集議院ヘ参上可致事

太政官日誌・明治2年94号

太政官日誌 明治二年 第九十四号
明治己巳 自八月廿八日 至二十九日
東京城第五十七
○八月廿八日〈丁卯〉
【本願寺僧徒北海道教化ノ事】
御沙汰書写
開拓使
今般本願寺東門主ヨリ、北海道新道切立之儀且有志之僧徒、新開村落ヘ移住、人民教諭為致度段、願之通被差許、万事其府ヘ可伺出旨申渡候間、此段相達候事
但、北海道土地支配被仰付候藩々ヘ、為心得其府ヨリ可相達事
【山口藩北海道支配地ノ事】

山口藩
今般支配被仰付候三郡之内、宗谷郡之儀ハ御用之地所モ有之候ニ付、開拓使ヘ可伺出事
【金沢外八藩北海道開拓ノ事】

各通 金沢藩
鹿児島藩
静岡藩
名古屋藩
和歌山藩
熊本藩
広島藩
福岡藩
山口藩
右之藩々ヘ各通御達書写
北海道開拓之儀ハ、兼而被仰出候通リ、即今之急務ニ而、追々御手ヲ被為着候処、何分全国之力ヲ用ヒズンバ、成功無覚束、依之今般別紙地所、其藩ヘ支配開拓被仰付候間、桔据経営、実効相立候様可致事
【金沢外八藩北海道支配地ノ事】

金沢藩
北見国之内、宗谷郡、利尻郡、枝幸郡
右三郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 鹿児島藩
十勝国之内、当縁郡、広尾郡、河西郡
日高国之内、様似郡、浦河郡
右五郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 静岡藩
十勝国之内、十勝郡、中川郡、大津河東郡、上川郡
右四郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 名古屋藩
北見国之内、斜里郡、網走郡
右二郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 和歌山藩
北見国之内、紋別郡
右一郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 熊本藩
根室国之内、目梨郡、標津郡
右二郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 広島藩
北見国之内、常呂郡、釧路国之内、網尻郡
右二郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 福岡藩
後志国之内、久遠郡、奥尻郡
右二郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 山口藩
石狩国之内、樺戸郡、雨竜郡
天塩国之内、増毛郡、留萌郡
右四郡、其藩支配ニ被仰付候事
【東京、京都両府救助米ノ事】

東京府
米三千石
○ 京都府
米七百石
右窮民救助トシテ、月々大蔵省ヨリ相渡候条施行可致事
○二十九日〈戊辰〉
【鍋島侯賞典半高返納ノ事】
御沙汰書写
佐賀藩知事 鍋島直大
賞典ハ深重之叡旨ヲ以、被仰出候事ニテ願之趣不被及御沙汰段、先達テ相達候得共猶又再往懇願之旨趣、全至誠之所致、神妙之至被思食候、就而ハ北海道開拓ハ皇威隆替之所係、方今至重之御急務ニ候処、今年諸道不登、庶民凍餒之勢ニテ、目下救荒之典モ難被為捨置、旁以御用途必至御差迫リ之折柄不被為得止、乍不本意当年限リ賞典半高返納被聞食、開拓御用途ニ可被為充行旨、被仰出候事
【相馬侯陞叙ノ事】
中村藩知事 相馬季胤
民政ハ国家之基本、至重之要務ニ候処、其藩年来治教撫育隣藩ニ抽テ、先般福島辺取締被仰付候節モ、兵乱後人心紛擾之処、鎮静向格別ニ行届候段、神妙ニ被思食候、依之位階一級ヲ被進候事
○ 中村藩知事 平季胤
叙正五位

宣下候事
【咸臨、昇平二船開拓使所轄ノ事】
開拓使
咸臨丸、昇平丸、自今其府所管ニ被仰付候間、大蔵省ヨリ請取可申候事

二十四藩触頭ヘ御達書写
公議人ハ、執参中ヨリ可相勤旨、従前之御規則ニ有之、今般御改正、正権大参事、即チ執参ニ相当候間、此段為心得相達候事

太政官日誌・明治2年93号

太政官日誌 明治二年 第九十三号
明治己巳 追録
東京城第五十六
○追録
【香春藩、羽州戦記】
香春藩羽州戦争届書写
七月十二日辰下牌、我藩一小隊、塩根坂間道ヲ繞リ、肥前藩一小隊、大砲一門、我藩二小隊、塩根坂本道ニ向フ、賊已ニ夜ニ乗シ逃ル進テ金山駅ニ至ル、時ニ薩長ノ飛報至リ、我兵急速新荘ニ至ラン事ヲ求ム、乃夜ヲ冒シテ馳セ、子牌新荘ニ達ス、同十四日仙台、荘内湧屋ノ賊、山形ヨリ兵ヲ返シ、清川ニ趨リ、鳥越村ヨリ両道来襲ス官軍各藩、預メ兵ヲ左右杉林中ニ伏シ、本道ハ肥藩、其正面ニ当リ、我分隊之ヲ横撃ス、賊我単寡ヲ視、急進来犯ス、左右ノ伏ニ遇ヒ、忽狼狽敗走ス、既ニシテ賊大衆清水村其他間道ヨリ、巳ニ城下ニ逼ル、我兵転シテ賊ノ正面ヲ支フ、此地平衍、賊兵充満、晡鏖戦益烈、砲煙天ニ漲リ物色ヲ弁セス、賊ノ弾丸、近ク城中ニ撤ス、居民驚擾、我兵殊死シテ戦フ、時ニ肥藩援ヲ求ル甚急、我隊長徳永吉太郎馳至リ、力戦囲ヲ解ク、忽後面ニ砲声ヲ聞キ、諸隊頗ル危疑ヲ生ス、其它形状常ニ非ス、於是旋帰ノ令至ル、乃兵ヲ収メ、太田村ニ退ク、新荘藩ノ飛騎至リ云、賊勢猖獗、扞禦無策、自カラ城ニ火シテ退ン、諸君同ク退クベシト、既ニシテ城中火起ル、戸沢侯、城ヲ開テ出、我藩長藩ト更番、断後院内峠ニ退ク
同二十八日辰中牌、賊雄勝峠ヘ来侵ス、我兵長秋新三藩ト防戦、又新藩ト兵ヲ分チ、本道及ヒ山上ニ布置ス、賊果シテ両道来リ攻ム、本道山上大小銃雨射ス、賊気衰ルヲ伺ヒ、本道ノ兵疾撃、進テ箒沢ニ入ル、賊支ル能ハス悉ク及位村ニ走ル、時已ニ黄昏、尾撃ヲ得ス七色木ニ退ク、山上ノ兵警備ヲ撤セズ、伏ヲ設ケ、賊ノ来襲ニ備フ、此日賊同時雄勝峠、銀山、役内沢ノ三道ヲ犯ス、役内沢ノ守兵、薩肥両藩援ヲ求ル甚急、長藩全隊已ニ行、我分隊大砲手ト継進ム、銀山ノ守兵、我藩、長肥秋三藩ト合シ、百五十人ニ充タズ、各所間道、砲台ヲ築キ、賊ノ衝路ヲ扼ス、已牌賊正面ヲ犯シ、防戦時ヲ移ス、賊ノ奇兵、左右山上ヨリ我砲台ヲ下瞰シ、縦横乱射、戦甚困ム徳永吉太郎隊下ヲ率ヒ奮戦、終ニ賊兵ヲ敗ル申中牌賊鏡沢ニ走ル、夜半役内沢ノ飛報至リ雄勝峠、銀山、皆兵ヲ撤セシム、翌廿九日横堀村ニ退ク、各藩役内沢ノ進取ヲ規ス、我兵肥秋新分隊ト役内沢、銀山ノ間道ヲ襲ハントシ、復進テ下院内ニ至ル、其夜横堀村ヨリ、復撤帰ノ報アリ、乃兵ヲ収テ至レバ、全軍横手ニ退クノ議決ス、即横堀村ヲ発シ、各藩更殿シ、横手ニ帰ル
八月八日昧爽、薩藩我藩本道ヨリ、秋田藩川下ヨリ、長崎振遠隊、肥藩浅舞村ヨリ、長藩新藩馬鞍村ヨリ、四道進テ賊ヲ撃ツ、賊岩崎村ニ屯シ、前路ヲ要スト聞キ、我兵二小隊、已ニ岩崎川ヲ済ル、一賊ヲ見ズ、其潜伏ヲ疑ヒ土人ニ問フ、土人無之ト答、後隊継テ済ラントス、賊林薄中ヨリ突出、悍撃甚烈、前隊背水ノ死地ニ陥リ、腹背敵ヲ受ケ、外ニ救援ナシ、衆皆死ヲ決シ、吶喊奮闘、賊数人ヲ殺ス、後隊遂ニ済ルヲ不得、川ヲ隔テ乱射シ、其勢ヲ助ク、前隊進テ岩崎村ヲ焼ク、賊敢テ逼ラズ、間ニ乗シ兵ヲ収メ、下流ヨリ退ク、浅舞川下ノ軍、同時皆退ク、我兵合シテ要地ニ拠ル、賊猶尾躡ス、撃テ之ヲ却ク、後賊ノ日記ヲ得テ之ヲ閲ス、此日仙台伊達弾正、兵千人ヲ率ヒ至リ、直ニ進戦、賊勢大ニ張ルト云、翌九日馬鞍村ヨリ長藩ノ飛報至リ、応援且弾薬ヲ求ム、即時一小隊、新荘藩二十八人ト伍ヲ合シ、弾薬ヲ輸送シ、馬鞍村ニ趨リ、追撃シテ明沢村ニ至ル、初更屯所ニ帰リ、長藩退去スルヲ待チ、薩藩ト次ヲ逐テ退キ、横手ニ入ル
同十三日、賊大久保村ヨリ、角間川ヘ来侵ス秋藩、我藩二小隊本道ヨリ、肥藩、新藩二小隊其左右ヨリ賊ヲ逆ヘ挟撃、賊大ニ敗走、初賊ノ至ル、我藩、秋藩ト各半小隊ヲ分チ、大久保村ヲ襲ヒ、其虚ヲ擣ク、賊我寡兵ヲ視、猝カニ出テ横撃、我兵健闘、賊浅舞村ヨリ陸続沓至官軍諸隊皆退ク、我兵孤立、復勝算ナシ、退テ本道ノ正兵ト合ス、其夜秋藩屯所強首ヨリ援ヲ求ム、初更一小隊之ニ趁ク、翌十四日、大曲村角間川〈時ニ賊ノ拠ル処トナル〉ノ賊ヲ撃ントシ、我兵一小隊、振遠隊ニ応援シ、進テ間道ノ賊ト戦フ、既ニシテ本道ノ正兵退ク、乃兵ヲ収メ、正兵ト合シ、神宮寺ニ帰ル、我兵前後死傷如左
七月十四日、於新荘
傷 西川定右衛門
同廿八日、於銀山
死 小山勇
八月八日、於岩崎川
傷 林与次助
中山半槌
吉元伝蔵
宮田荘右衛門
同十三日、於角間川
隊長
傷 後死 志津野源之丞
右之通戦状概略御届申上候
辰八月
人数頭 平井小左衛門
右者去辰年、羽州出兵中戦状御届落之分、此度御届申上候、以上
巳九月
香春藩公用人 栗原正人

太政官日誌・明治2年92号

太政官日誌 明治二年 第九十二号
明治己巳 自八月廿二日 至二十五日
東京城第五十五
○八月廿二日〈辛酉〉
【招魂社祭資ノ事】
御沙汰書写
招魂社
高一万石
為祭資、永世被宛行候事
【板倉伊賀家来取締ニ付岡山藩ヘ御沙汰】
〇岡山藩
板倉伊賀家来幷城地取締被仰付置候処、今般御処置相済候ニ付、被免候事
○二十三日〈壬戍〉
【仙台藩北海道開拓ノ事】
御沙汰書写
伊達建千代麿
北海道開拓之儀ハ、方今之急務、追々御処置モ有之候処、於其藩ハ、彼地之風土熟知之者モ不少趣、相聞候ニ付、士族ヲ始メ、農工商ニ至ル迄、開拓志願之者相募リ、自費ヲ以テ漸次移住為致候様、精々尽力可致旨御沙汰候事
但、移住人員幷開拓之目的相立、申出候ハハ、地所割渡可申事
○ 伊達藤五郎
北海道開拓之儀ハ、方今之急務ニ付、追々御処分モ有之候得共、重大之事柄、全地一時ニ御手ヲ可被為着、目的モ難相立折柄、其方儀不憚艱難、自分彼地ヲ跋渉シ、開拓致度志願之趣、神妙之至ニ被思食、北海道開拓御用被仰付候条、家来其外有志之徒相募リ、自費ヲ以漸次移住、屹度実効相立候様、尽力可致旨御沙汰候事
但、地所之儀ハ、追而御沙汰可有之事
○ 開拓使
仙台藩伊達藤五郎儀、家来引連、北海道転住自費ヲ以テ開拓致度志願之趣、達上聞、御用被仰付候間、土地割渡可致事
但、本藩減禄之末、無拠自費ヲ以テ転住、其情実可憐事ニ付、相応之地所可相渡、且詮議之上可申出事
○二十四日〈癸亥〉
【皇后東京ヘ行啓ノ事】
御布告書写
来ル九月中皇后東京ヘ行啓被仰出候事
【諸官員東京移住差許ノ事】

二官六省、其外諸官員、東京ヘ家族引寄候儀可為勝手事
但、御定之御手当被下候事
【按察使諸官員等級ノ事】

按察使諸官員等級之儀、開拓使同様被仰付候事
【中宮御迎ノ事】
御沙汰書写
大原正四位
九月中宮東京ヘ行啓ニ付、為御迎、急速上京被仰付候事
○二十五日〈甲子〉
【諸道不作ニ付節倹救恤ノ詔書】
詔書写
朕登祚以降、海内多難、億兆未タ綏寧セス、加之今歳淫雨農ヲ害シ、民将ニ生ヲ遂ル所ナカラントス、朕深怵惕ス、依而躬ラ節倹スル所有テ、以テ救恤ニ充ントス、主者施行セヨ
御布告書写
詔書被仰出候通、兵馬之後、庶民未タ安堵ニ至ラサル折柄、当年諸道不作、物価日増ニ謄貴、無告之窮民ハ勿論、一同之難渋差迫リ殊更東京ハ近来衰微之砌、人口ハ従前之通莫大ニテ、遊民最多ク、漸次産業ニ基クヘキ、御施法モ未タ行届カセラレサル中、今日ノ姿ニ相成、且又京都ニ於テハ、即今御留守ト相成、自然職業ヲ失ヒ、困窮ニ立至リ候者モ不少、全ク時勢之変遷、無拠次第トハ申ナカラ必至難渋、彼是以テ深被為悩宸襟、格別之御節倹被遊、既ニ餔饌供給ヲモ御減少被為在、窮民御扶助被遊候、就而ハ於諸官モ、官禄之内ヲ以テ、救恤ニ被充候様願出候段、神妙之儀ニ被聞食候、右ハ御不本意ニ被為在候得共、願之趣、至誠貫通セサルモ御残念ニ被思食、当年之所、夫々減少、返上之儀御許容相成、両京救荒ニ可宛行旨御沙汰候事
但、救荒ハ一時之変ニ処スル事ニテ、総而遊手徒食之者無之様仕法立、最可為急務事
【親王家並社寺菊御紋ノ事】

親王家ニテ、菊御紋用来候処、向後十六葉之分ハ不相成、十四五以下、或ハ表菊等品ヲ替ヘ、御紋ニ不紛様可致旨、被仰出候事

社寺ニテ、是迄菊御紋用ヒ来ル者不少候処、今般御改正相成、社ハ伊勢、八幡、上下加茂等、寺ハ泉湧寺、般舟院等之外ハ、一切被差止候旨、被仰出候事
但、格別由緒有之社寺ハ、由緒書ヲ以テ可伺出候事
【諸寺院下馬下乗札取払ノ事】
従前諸寺院ニ掲来有之候下馬下乗等之札、向後取払候様、被仰出候事
但、格別由緒有之寺院ハ、其所々之都府藩県ニテ取調、可伺出候事
【非役華族等東京移住差許ノ事】
非役華族幷諸官人口向取次以下、総テ東京ヘ家族引寄セ候儀、可為勝手事
但、相当之御手当被下候事
【柏崎県取建ノ事】

越後国柏崎県被取建候事
【内宮外宮正遷宮ノ事】

来月四日戍刻内宮正遷宮、同七日同刻外宮正遷宮
右両夜東庭代下御被為遊御拝候事
【伊勢例幣ニ付御潔斎ノ事】

就伊勢例幣、従来八月廿九日晩、到来月十二日朝御神事、従九日晩御潔斎被為遊候、重軽服者僧尼参朝可憚事
但、御潔斎迄ハ、政府出仕之輩、服者不憚候事
【北海道開拓長官ヘ御沙汰】
御沙汰書写
東久世開拓長官
北海道開拓ハ皇威隆替之所係、方今至重之急務ニ候、今般彼地ヘ出張、数百里外殊方之寒彊ニ、其事務ヲ管督候事、不容易艱難、一入苦労ニ被思食候、就テハ向後土地墾闢、人民蕃殖、北門之鎖鑰、厳ニ樹立シ皇威御更張之基ト可相成様、勉励尽力可有之旨御沙汰候事
【伊達藤五郎北海道支配地ノ事】

伊達藤五郎
胆振国之内、有珠郡
右一郡、其方支配ニ被仰付候事
○ 開拓使
胆振国之内、有珠郡
右一郡、伊達藤五郎ヘ支配被仰付候間、引渡可申事
【救荒ニ付島津、毛利賞秩半高返納ノ事】

鹿児島藩知事 島津忠義
山口藩知事 毛利広封
賞典ハ深重之叡旨ヲ以被仰出候事ニ付、願之趣不被及御沙汰段、先達而御達相成候処、猶又再三懇願之旨趣、全至誠之所致、神妙之至被思食候、就而ハ即今諸道不登庶民凍餒之勢ニテ、救荒目下之御急務ニ候処、御用途必至御差迫之折柄、旁以乍御不本意、当年限リ賞秩半高返納被聞食、救荒ニ可被為充行旨被仰出候事
但、叙位返上ハ不被及御沙汰候事
【柏崎県支配地ノ事】
〇柏原県
其県被取建、支配地之儀ハ、水原県之内半方割渡候様、被仰付候間、同県ヨリ受取可申事
○ 水原県
今般柏崎県被取建、其県支配地之内、半方引渡候様、被仰付候事
【岩代国巡察使廃止ノ事】

岩代国巡察使
右被廃候事

太政官日誌・明治2年89号

太政官日誌 明治二年 第八十九号
明治己巳 八月十五日
東京城第五十二
○八月十五日〈甲寅〉
【箱館征討合記続一】
館藩届書写〈追録節略〉
(編者曰、本文ハ第七十七号、軍務官箱館征討合記第八、館藩届書写ノ第二トナルモノ也)
四月九日昼十二字頃、御軍艦乙部村ヨリ凡十町許近海ヘ乗入、弊藩軍事方松崎多聞、一番麓逸学隊之内、半小隊ヲ引テ端船ニ乗候節、津軽藩斥候之者両人、土地不安内ニ付同伴頼合有之、夫ヨリ揚陸之処、賊二小隊許リ、東南坂上茂林中ヨリ発砲ニ付、直ニ及接戦候処右斥候何レヘ去リ候哉、忽相見得不申、弊藩兵隊追々上陸、左右ノ山道ヨリ及攻撃候処、賊敗走、其節賊長ト覚シキ者、兵士橋本次五右衛門ニ狙撃セラレ、落馬逃去、引続各藩幷弊藩兵隊尾撃、柳崎村渡場マテ追崩、然ル処賊大砲ヲ備相固候間、其段使番水野奇也ヲ以後陣ヘ報知、暫時休息、夫ヨリ前面幷川上、中崎ノ方ヨリ相進ミ、戦争ニ及ヒ候処、賊亦潰走致シ候ニ付、直ニ江差ヘ進軍候エ共、別段守備ノ賊モ無之、同所ニ宿陣、乙部沢ヨリ向ヒ候一番半小隊ハ、厚沢部、鶉村マテ押詰宿陣致シ候旨、軍事方松崎多門、尾山徹蔵、今井晦輔等ヨリ、総長松前右京迄急報有之、同日同刻弊藩軍事方蠣崎多浪儀、遊撃隊新井田早苗ヘ差添、乙部村坂ヲ上リ候処、御軍監駒井政五郎殿ヨリ令有之、半隊ヲ分テ早苗山道ヘ進ミ、半隊ハ多浪幷副長竹田泰三郎附添本道ニ進ミ候処、前陣ヨリ使番水野奇也駆来リ、渡場ニ賊二百人程、茂林欝蓊之中ニ在リ賊ノ要地ハ吾ノ難地ニ付、先ツ海軍ヲ以茂林ヲ撃、賊ノ形ヲ見スヲ待テ、然後ニ陸軍ヲ進ハ便ナリト報知ニ付、駒井政五郎殿ヘ申立候処、則上言ノ如ク致シ候間、先各藩トモ陸兵ヲ差止可置ノ命令ニ付、暫ク弊藩ノ兵ヲ止置然ル処、長州藩、福山藩等進テ渡場ニ到リ、半已ニ渡川候間、弊藩モ出発、田沢村ヨリ真先ニ進ミ、同村ノ台場ヲ乗取候上、敗賊ヲ駆逐シテ、四字頃江差ヘ繰込候処、長藩既ニ江差役所ヘ乗入、賊ノ守兵一人モ不相見候ニ付同所ニ宿陣仕候段、軍事方多浪ヨリ、総長下国東七郎迄急報有之、同日同刻弊藩八番氏家左門隊ハ、乙部村ヘ在陣、奇兵蠣崎衛士隊半小隊ハ、熊石村ヘ出兵、二番厚谷清隊、糾武松崎辺隊ト奇兵半隊ハ江差口ヘ出兵被仰付則田沢村ヨリ山ノ手ヘ進ミ候処、東奔ノ賊遥ニ見エ候ニ付、致尾撃候処、悉ク逃散候ニ付続テ江差表ヘ繰入宿陣ノ旨、二番隊長清ヨリハ右京迄、糾武隊長辺、奇兵隊副長松前伊予ヨリ東七郎迄、報知有之
四月十日暁、弊藩一小隊ハ山道大富村、一小隊半幷大砲一門海浜松前口、一小隊半ハ木間内口ヘ出兵被仰付、明ケ六字大富ヘハ糾武松崎辺隊ヘ、軍事方福井淳蔵差添、松前口ヘハ奇兵半小隊、遊撃新井田早苗隊ヘ、総長下国東七郎、軍事方蠣崎多浪、村山左富差添、木間内口ヘハ一番半小隊、二番厚谷清隊ヘ、総長松前右京、軍事方松崎多門差添出発、松前口ヘ向候兵ハ、軽挙暴進、走賊ヲ追撃、夕四字頃、遂ニ八騎ヲ以テ、賊二百人ニ、江良丁ニ迫リ、飛檄ヲ以テ其旨総長東七郎ヘ報知東七郎モ亦急遽駆進、後継致シ候内、賊徒又々清部、茂草ノ方ヘ逃去候付、暮六字、江良町村ニ至リ宿陣仕候、此日於同村、大砲隊ニテ賊一人生捕
四月十一日朝六字、江良町村出立、清部村ヲ経、茂草村ニ至リ候処官軍追々繰込、僻邑茅屋手狭ニ付、長州藩ハ茂草村ニ屯シ、徳山藩半ハ進テ赤神村ニ屯ノ手筈ニ付、弊藩又進テ札前村ニ屯集致シ候処、兼而乙部村ヘ御差留ノ八番氏家左門隊、松前口出兵被仰付、此日札前村迄駆付、凡テ二小隊半ニ相成候
同日夕五字頃、根田村辺ニ賊屯集ノ趣、土人ノ報知ニ付、奇兵半小隊ヘ、軍事方蠣崎多浪差添、斥候ニ差出候処、賊兵一人モ相見エ不申候付、札前村野合トツチヨウト申所ニ於テ撒兵ヲ布、予備罷在候処、俄ニ賊一大隊計ニテ、山腰、海浜両方ヨリ来襲シ、頗ル苦戦ノ旨急報有之、夜七字頃、東七郎儀、八番、遊撃ノ二小隊ヲ下知シテ、一ハ山上、一ハ海浜ヨリ繰出シ候エ共、賊既ニ山野ニ撒兵ヲ以テ味方ノ半小隊ヲ取囲ミ、短兵急ノ接戦最中ニ付、頻ニ山手、浜手ヨリ邀撃、此時大砲隊ヨリモ数発打出シ、十字過マテ奮戦候得共、賊要地ヲ占メ、前面、頭上両方ヨリ挟撃候ニ付追々駆引不便ノ場合ニ相進候故、地勢見計ヒ戦争ノ心得ニテ、松前口官軍総轄三刀谷七郎治殿ト熟議ヲ遂、一旦人数休息為致、尚又差図有之、長州、徳山ノ勢ト合兵、茂草村野合ニオイテ、暁ニ及マテ連戦候得共、弾薬尽果、不得止長州、徳山ト倶ニ、小砂子村迄引揚申候
前段小砂子村迄引揚ノ兵隊、尚又上ノ国マテ引揚候様御達ニ付、十三日夜十二字頃迄上ノ国ヘ着陣、然ル処、熊石村マテ出張ノ奇兵半小隊モ、松前口ヘ出兵被仰付、前同日上ノ国ヘ着ニ付、前ノ半小隊ト合シ、一小隊ヲ以テ汐吹村ヲ警守為致、尚八番、遊撃ノ二小隊ヘ〈札前、茂草両所ノ死傷ヲ除キ、闕乏ノ侭〉蠣崎多浪、軍監村山左富差添、出兵為致候処、十四日朝七字上ノ国出発、石崎村ニ宿陣、同十五日石崎村出発、小砂子、原口中間ノ山野ニ於テ、筑後藩一小隊弊藩一小隊、山険ニ依テ陣ヲ布キ、三丁程前ニ当リ、筑後一小隊、弊藩隊、高山ノ頂ニ登リ、賊ノ襲来ヲ予備シ、夜八字頃、険ニ依リ高ニ居候弊藩二小隊トモ、小砂子ヘ宿陣、十六日朝七時、蠣崎多浪右ノ二小隊ヲ原口ヘ繰込、兵隊到着ノ旨、御監軍三刀谷七郎治殿ヘ届出候処、命令ニ違ヒ候趣ニテ、忽兵隊繰返可申段御達有之、小砂子村ヘ帰陣ノ旨、多浪ヨリ東七郎報知有之
四月十七日小砂子村宿陣、八番、遊撃ノ二小隊ヘ多浪、左富差添、明六字同所出発、札前村迄相越候処、福山城攻入進撃之順序、弊藩一小隊半、筑後藩一中隊、伊州藩一中隊、津軽藩一小隊、徳山藩一中隊、長州藩一中隊タルヘキ旨、参謀衆ヨリ被達候ニ付、其旨奇兵隊ヘモ報知ニ及、則遊撃闕乏一小隊幷大砲隊司令士田中孫平治、此所ヨリ合兵ニテ相進、根部田字石揚ケト申所ヨリ、中ノ岱ヘ登リ、夫ヨリ深谷ニ出没、高山ノ麓ニ随テ、激戦進撃、遂ニ追崩、長駆シテ城下ニ突入、西ノ城門ヨリ先登、夕四字城郭攻略、其節多浪白隊旗ヲ三重ノ櫓ヘ、孫平治ヲ以差立、沖合ニ罷在御軍艦ノ砲発ヲ相止申候、其後八番闕乏一小隊ハ、本道ヲ疾歩シテ、城下市中ヘ繰込候処、最早城郭攻略ノ様子ニ付、緩歩シテ後門ヨリ乗込候者、多浪、左富ヨリ東七郎マテ急報有之
四月十六日、原口村野合字ニタコ沢ト申処ヘ出兵候様、参謀衆ヨリ被達候ニ付、同所ヘ守衛斥候トシテ、大野岩見、西沢駒吉、布施忠蔵、畑中権兵衛、日野間悦三、右之者江良町村ヘ差出置候処、賊ノ斥候両人、同所ニテ打留メ、尚賊ノ間諜両人ヲ生捕、参謀所ヘ差出翌十七日原口村ニ宿陣、奇兵一小隊ハ、山道ヨリ可進旨御達ニ付、山伝ヒ江良町村マテ繰込候処、各藩城下近相迫候由ニ付、疾歩シテ立石野ヘ相進候処、同所砲台ニ於テ、陸軍隊嚮導一人、奇兵隊長内周蔵生捕イタシ、金賀友太郎ヘ相渡候、各藩幷弊藩兵隊酣戦ニ及、賊既ニ砲台ヲ棄逃去候間、山手ヨリ進ミ、福山城ノ後門ヨリ乗入、尚銃士西沢駒吉儀、参謀ノ嚮導トシテ、一人前進シ、遊撃隊ノ中ニ加リ、立石野ニヲイテ手負致シ候旨、隊長蠣崎衛士ヨリ東七郎マテ急報有之
四月十七日、旧城回復ニ付、東門下ニ陣所ヲ構、長州大砲隊幷奇兵隊、吉岡峠ニ出兵候様御達ニ付、同所ヘ罷越、沢中ニ於テ高木為蔵小柳民五郎両人ニテ、賊ノ歩兵小頭加藤何某ト申者生捕、夫ヨリ天明ニ吉岡峠ヘ相進ミ、砲台二ケ所乗取、夫ヨリ暁五時、吉岡村ヘ斥候トシテ、小笠原幸平、佐々木斎宮、松江宇八、遠藤慎七郎差出、賊五人生捕、同所砲台一ケ所乗取、昼十二字頃津軽藩交番、吉岡峠迄出張、半小隊ヲ丸山ヘ斥候、其余ノ兵士ハ城下潜伏ノ遺賊ヲ捕捉、終夜星ヲ看テ天明ニ達ス、翌十八日朝十字、元町役所ヘ転陣、夕五字参謀原川魁輔殿達セラレ、同人同道吟味ノ上、福山城当分御預被仰付候
四月十四日、青盛ニ於テ、各藩兵隊乗船ノ儀御達有之、同十六日朝十字頃江差表ヘ着岸、直様揚陸之処、弊藩一中隊安野呂口ヘ出兵被仰付、則三番南弁司隊、四番佐藤男破魔隊ヘ軍事方下国美都喜、明石廉平差添、翌十七日朝八字江差表出立、同十八日松前表ヘ、各藩運送残ノ弾薬ヲサカ艦ニテ差廻候ニ付、弊藩一中隊乗艦可致旨御達ニ付、七番松尾源太郎隊一手、江差表ヘ差残シ、五番竹内学隊、六番松崎数矢隊ヘ、総長尾見雄三始軍事方差添夕三字頃江差出帆、夜九字頃松前ヘ着岸、直様上陸、翌十九日前段五番、六番ノ一中隊箱館口ヘ出立、同廿一日八番、奇兵ノ二小隊、又々箱館ヘ出立、続テ総長尾見雄三儀モ大砲隊ヲ引、福山表出発致シ候、木間内口ヘ出兵一中隊ノ内、九日鶉村ヘ宿陣ノ半小隊ハ、館村ヘ出進、十日江差出発ノ一小隊半ハ、十二日稲倉石ヘ着ノ処、翌十三日上二股ヘ出兵被仰付候処、賊稲倉石ヨリ四里半程サキ、天狗岳ト申処ヨリ八九丁隔リ、三枚岳ト申山ノ半腹ヘ、陣家ヲ構ヘ罷在候ニ付、長州、福山、弊藩ノ兵隊、夫々分配攻撃、翌十四日七字ニ至ルマテ、劇戦仕候処、一先稲倉石ヘ揚取ノ御下知有之、同所ヘ帰陣ノ趣、軍事方今井晦輔ヨリ、総長松前右京マテ急報有之
大富口出兵被仰付候弊藩、糾武、松崎辺隊四月十二日黄昏、笹小家ヘ着ノ処、先鋒津軽藩一中隊、前日ヨリ宿陣ニ付、敵地ノ動静承合、夫ヨリ夜ニ入リ、半里程向ヘ進ミ、番兵相勤、翌十三日木古内攻撃、弊藩一小隊ハ右手沢口固被仰付、路頭ニ撒兵ヲ排シ候処、又々御下知有之、戦場ヘ相進ミ、先手津軽藩ノ右手ヘ出、賊ノ塁下ニ迫リ候処、賊暁霧濛々ノ中ヨリ、大砲小銃烈敷致射放候間、苦戦数刻ニ及ヒ候エ共、継援ノ便モ無之、且深霧ニテ地形ヲ難弁折柄、再ヒ御下知ニ因テ、笹小家マテ帰陣ノ趣、隊長松崎辺ヨリ急報有之
稲倉石滞陣弊藩一中隊ノ内、四月廿四日下二股ヘ一小隊、出兵ノ儀御達ニ付、朝六字出発先日ノ戦場ヘ繰入、山ノ中段ニ撒兵ヲ排シ、薩州、福山、津軽ノ兵隊ト合シ、昼二字ヨリ戦争、夜十二字ニ及ヒ、追々兵士相労レ、一旦揚取候様御下知ニ因テ、廿五日ノ暁三字、天狗岳ヘ帰陣ノ趣、軍事方尾山徹蔵ヨリ、総長松前右京マテ急報有之
木間内口出兵一番、二番ノ両隊、下二股ニ於テ両度苦戦ノ後、同所賊ノ番兵所ニ相対シ候高山絶頂ニ於テ、番兵可仕旨御下知有之、則天狗岳ヲ発シ、右ノ山巓ヘ転陣、警備ノ処、四月晦日夜中、賊徒重塁ヲ棄テ奔竄ノ趣、翌朔日夕方報知有之否尾撃シテ、遂ニ五月二日早朝、大野村続本郷ヘ着、所々番兵巡邏等相勤、五月廿日御下知ニ付、箱館表ヘ繰入申候江差在陣七番松尾源太郎隊、四月廿三日同所参謀衆ヨリ、後顧ノ患無之様、金山越間道探索可致旨、被達候ニ付、即刻出発、同所巡邏仕居候
五月十一日、江差表ヘ帰陣被仰付、翌十二日同所ニテ生捕ノ賊百三十七人監護、福山表ヘ相渡候後、箱館表ヘ出兵可致旨、御下知ニ付、夕刻出発、同十五日福山着、翌十六日同所出発、同十八日有川村ヘ着、滞陣ノ処、同十九日御下知ニ因テ、箱館表ヘ繰込申候
七月
館藩
校正
第八十三号、八葉前面、水原県ヘ御沙汰書信濃川ノ儀ハ云々ノ一通ハ、御発令御取消ニ相成候ヲ、誤テ上梓ス
第八十五号、一葉後面ノ、弾正小忠ハ、少忠ノ誤リナリ
同五葉前面ノ光明天皇ハ孝明天皇ノ誤也
同十二葉、前面、紅註ノ中、華族幷三等ノ下ニ官字ヲ脱ス
第八十六号、四葉後面ノ、御詮儀ハ御詮議ノ誤リナリ
第八十七号、三葉前面ノ、任従四位ハ叙従四位ノ誤ナリ

太政官日誌・明治2年87号

太政官日誌 明治二年 第八十七号
明治己巳 自八月十一日 至十三日
東京城第五十
○八月十一日〈庚戊〉
【租税、監督、通商、鉱山四司移管ノ事】
御達書写
民部省
租税、監督、通商、鉱山之四司、自今其省管轄被仰付候事
○ 大蔵省
租税、監督、通商、鉱山之四司、自今民部省管轄ニ被仰付候ニ付、此旨相達候事
○十二日〈辛亥〉
【尾崎鋳五郎弔金下賜ノ事】
島原藩士 尾崎啓蔵
其方忰鋳五郎儀、勤王之志厚ク、先年大和義挙ニ加リ、死ヲ遂ケ候後、其方儀藩籍ヲ放レ、流離艱難、不便之事ニ候、当時旧藩復籍之由ニ候エ共、格別之訳ヲ以、為弔金百両被下置候事
【水藩蝦夷開拓ノ事】
〇水戸藩知事徳川韶武
今般蝦夷開拓之儀、御布令ニ付、其方儀亡祖父斉昭朝臣之遺志ヲ継キ、自ラ彼地ニ跋渉シ開拓之方ヲ相竭シ度旨、諸藩ニ先チ願出候段深ク御満足ニ被思食候、速ニ人民ヲ移従シ開拓取掛可申候、尢地所之儀ハ、開拓使ヨリ割渡可申候事
○十三日〈壬子〉
【島従五位ニ陞叙並目録下賜ノ事】
御沙汰書写
島従五位
去年大総督着陣間ナク、鎮将府被置候以来、引続キ東京府ニ在職、日夜勉励、多端之御用相弁ヘ、今般更ニ北海道開拓判官ニ選任被仰付候処、尋常ナラサル事務、鋭意遵奉、且数百里不毛之寒地ニ踄リ、聊不憚艱難、鞠躬尽力可致之心底、神妙之至ニ被思食、出格之訳ヲ以テ叙位並ニ目録之通、被下置候事
○ 島従五位
任従四位
右宣下候事
目録五百両
【桃生県、石巻県ト改称ノ事】
御達書写
〇桃生県
其県自今石巻県ト可称事

印鑑定寸
府藩県二寸四分
寮二寸二分
司二寸
右之通被相定候事
追録軍務官箱館征討合記
久留米藩届書
今朝四字二点頃、大川村ヘ当リ、砲声相聞候ニ付、直ニ兵隊相揃、会議所ヘ伺之上進軍、同村前ニテ、長州藩、徳山藩申談、一小隊ハ浜ノ方原野ヘ繰出シ、一小隊ハ正面ヘ相進候処、賊徒頻ニ発砲致シ候エ共、長州藩一同追々相進候内、薩州藩モ馳付、共ニ合併ニ相成進撃仕候処、賊軍次第ニ敗形相顕候ニ付、愈相進、終ニ者浜之方ヘ相向ヒ、一小隊モ一同ニ相成、三藩相共ニ進撃、桔梗野迄追討、九字二点頃引揚申候、右戦争中、切捨拾三人、生捕二人、小銃ニテ打留候儀ハ、三藩相混シ判然不仕候、其節弊藩手負、分取左之通
手負 林田瀬兵衛隊 余語次吉
小銃 九挺

去ル四日之暁、賊徒大川村ヲ襲候節、弊藩斥候半小隊、七重村外ヘ、前夜ヨリ差出置候処薩州藩一同ニ相成砲戦、無程賊軍遁去申候、其節手負左之通
薄手 喇叭方 川野市次
右之段、不取敢御届申上候、以上
五月
筑後藩 堀江但馬

四月廿八日、伊州藩幷弊藩一中隊、当別村ヘ繰出候様御達ニ付、夕一字頃発軍、六字頃同所着陣、直ニ伊州藩合併ニテ、斥候差出置候処、七字頃ニ至賊襲来、放砲ニ及ヒ候ニ付、此方ヨリモ砲撃仕候処、賊退散仕候、同廿九日暁一字三十分、薩州藩幷弊藩合併ニテ、当別ヨリ間道進軍、然ルニ闇夜、殊ニ頗ル険阻之山越ニテ、時刻相後レ、八字頃矢不来台場之後山ニ出候処、最早賊徒敗走、海岸之台場ニテ防戦之模様ニ付、直様馳降、横合ヨリ三藩一同砲撃、即時ニ打散シ、機ニ乗シ、有川村迄尾撃仕候処、賊孰モ逃去致シ候、仍テ同所ヘ兵ヲ纏メ、三谷村迄引揚申候、右者各藩ヨリ御届可仕ト奉存候エ共、大略御届申上候以上
五月
筑後藩 吉村百助
校正
第七十五号、軍務官征討合記第六、柳川藩届書トアルハ、久留米藩ノ誤ナリ