鎮将府日誌 第二十
明治元年戊辰九月
天童藩歎願書
臣信敏恐懼頓首奉歎願候、先頃奥羽各藩ニ相従、出兵等仕、自然奉抗官軍候事ニ立至候処、此度上杉弾正ヨリ、厚キ叡慮ノ程奉伝承、恐懼至極奉存候、素ヨリ勤王ノ外他事無御座候得共、臣若年暗昧、且遠境隔絶事情ニ通徹不仕、一旦名分順逆ヲ誤、奉悩宸襟、恐懼至極、先非悔悟、何共可奉申上様無御座随而者臣始家来末々迄、恭順謹慎罷在、謝罪仕候、此上奉仰朝裁候、何分宜敷御処置被成下度、偏ニ奉歎願候、誠恐誠惶頓首
九月十八日 織田兵部少輔
○同廿三日御沙汰書
高七十俵 安藤伝蔵
自今朝臣被召加、本禄如旧下賜候事
明治元戊辰年九月
○同廿五日
高五千石 内藤駒次郎
右同文
高六千五百石 曽我主水
右同文
高千百石 玉虫八左衛門
右同文
高五千石 水野式部
本禄如旧下賜候事
高四千石 久永相模守
右同文
高三百俵 布施十兵衛
右同文
○同廿七日
高千五百石 安藤左京
自今朝臣被召加、本禄如旧下賜候事
明治元戊辰年九月
高四千五百石 菅谷主税介
右同文
同日御達書
今般御東幸ニ付而者、兼而御布告之通、金銀紙幣取交通用、勿論之儀ニハ候得共、遐邑僻境ニ於テハ、未相弁向モ可有之候間、御領ハ府県、私領ハ領主、地頭ヨリ、不洩様早々可相触候事
九月
黒羽藩届書
慶応四年八月廿一日於白川表、館林人数ト致合併、急速三斗小屋ヨリ、会津ヘ進撃可致旨依御達、同廿二日、館林三小隊、弊藩三小隊、合テ六小隊、第六字同所出発、於途中両藩同等ニ分隊シテ、内四小隊北ノ湯泊〈行程六里余〉残リ二小隊ハ大沢泊リ〈行程四里余〉外ニ兼而領中取締トシテ、小谷村ニ出兵之一小隊、同所ニテ合併仕候、同廿三日北ノ湯一泊之四小隊、尚分隊シテ、二小隊ハ大丸山ヲ越、賊ノ番兵ヲ打散シ、三斗小屋湯所ニ向、又二小隊ハ那須村ノ賊兵ヲ打散シテ、那須岳ヲ越、而シテ双方南北ノ山路ヲ、昇降五里ノ間、険阻ノ狭道、辛クシテ鉄鎖ヲ伝、漸進テ那須岳越ヘ、先鋒僅ニ三四伍手、臼砲三門、渓谷内ノ三斗小屋際、川向ヘ進ミ候処、彼番兵ノ報知ヲ得テ、墻壁ニ兵ヲ配リ待居、忽及砲戦、暫苦戦ノ処、大丸越ノ二小隊、忽敵ノ左ノ山ヨリ、横合ヲ烈ク打立候ニ付、賊兵南北ニ散乱シ、及敗走、続テ両道ノ兵村内ヘ打入、少々追打仕候、同日大沢泊ノ三小隊、小谷村ノ賊一小隊程、屯集ノ報知ニヨリ、進テ及戦争候処、忽逃去候ニ付、横沢村ニ進、尤黒羽表ヨリ、領内為鎮撫二小隊、廿二日出発、瀬縫村江一泊ニテ、此日同所ヲ発、半俵村ニ屯集ノ賊半隊程ヲ打散シ、兼テ軍議ニ付横沢ニ進ミ、合併シテ五小隊ニ至、直ニ同所ヲ発、板室村江致進撃候処、彼不戦シテ逃去申候、依之亦同所ヲ発、那須岳右ノ方谷合ノ本道ヲ進ミ、三斗小屋ニ向候得共、大沢村ヨリ同所迄行程七里ニテ、日没ニ及、不得止板室ヨリ二里進テ、沼ケ原ニ野陣仕候、同廿四日沼ケ原ニ野陣ノ五小隊、同所ヲ発、三斗小屋村江繰込申候、同日両藩合併四小隊ヲ以、三斗小屋一里程隔関奥ノ境、大峠江進候処、賊墻壁ヲ捨逃去候ニ付、番兵一小隊ヲ残シ、三斗小屋ヘ帰陣仕候、同廿六日館林二小隊半、弊藩三小隊半、合併仕、野際村ヘ進撃ノ処、大峠ヨリ一里程先、中峠ノ嶮岨単行ノ要地ニ、賊五十人程墻壁ヲ設相待居、及戦争候得共、彼ハ利地ヲ備居候事故、容易ニ不相破候間、以奇兵左右ノ山ヘ登リ、難処苦辛而攀登リ、賊ノ横ヲ打候故、俄ニ相破レ候ニ付、軍勢ヲ纏、再同所ヲ発、一里程進候処、賊亦駒返坂ノ要地ニ、二百人余大砲ヲ設置、相拒候ニ付、散兵ヲ以山上山下ニ相配、打立候処、大砲ヲ捨、野際村ニ火ヲ放、退散仕候間、同村ニ進ミ、敵情相探候得共、相川村其外村々ニ、多人数屯集ノ趣、味方至テ寡兵、殊ニ疲労不少候ニ付、惣勢相纏、三斗小屋ヘ帰陣仕候、尤二小隊鎮撫ノ兵ハ板室村横沢村等江ノ残賊、運送ノ諸物ヲ妨候ニ付、同村ヘ引揚、鎮撫為仕申候、合戦中討取、分捕、味方殺傷、別紙ヲ以此段御届申上候以上
賊兵討取八人〈但関山村ニテ〉
小銃五挺〈但同所ニテ〉
賊兵討取五人〈但本郷村ニテ〉
戦死 渡辺福之進平士 鮎瀬文蔵
同 安藤小太郎隊平士 平山文之丞
同 風野六之丞隊平士 井上金太郎
同 五月女三左衛門家来 高野忠兵衛
手負 笠井健平
同 安藤小太郎隊平士 稲沢寅蔵
同 渡辺福之進隊平士 谷地辰之助
同 益子四郎家来 永井三代次郎
右河原町裏ニテ死傷
賊兵討取四人
手負 渡辺福之進隊平士 吉成松次郎
右飯寺村ニテ
戦死 渡辺福之進隊属長 佐藤熊太郎
戦死 風野六之丞平士 渡辺啓次
手負 同 大野勇蔵
同 松本道之助
右関山村ニテ
戦死 一番隊長 高橋亘理
手負 安藤小太郎隊平士 渡辺次三郎
右若松城郭討入之節
賊兵十六人〈但三斗小屋半俵小谷三村ニテ〉
小銃五挺
忽砲一門
臼砲二門〈但三斗小谷野条半俵ニテ〉
賊兵討取十二人〈但会津領中峠駒込坂両所ニテ〉
戦死 一番小隊長 益子四郎
手負 益子四郎隊平士 川島磊
手負 同 伊藤弁治
右小谷村ニテ
戦死 高橋亘理隊平士 波多野八郎
手負 同 秋元倉之助
右三斗小谷村ニテ
戦死 渡辺福之進隊平士 鈴木茂右衛門
同 興野源太左衛門隊平士 井上鉄太郎
手負 高橋亘理隊平士 福田台助
同 五月女三左衛門附属 青木縫之助
戦死 安藤小太郎隊長 益子理右衛門
右会津領中峠駒返阪ニテ
九月 大関泰次郎家来出兵隊長 五月女三左衛門
肥前藩届書
八月廿二日白川進発、勢至堂右間道、滝新田通リ致進軍候処、追分峠其外屯集ノ賊徒、器械弾薬等打捨、若松ノ方ヘ逃去候ニ付、追撃同廿五日早朝若松到着、則在陣ノ参謀ヘ相達候処、天寧寺関門口ヨリ、湯本口迄相固候様被相達候ニ付、翌廿六日早朝、薩州藩ニ致交代候、同日昼頃若松城東南ノ隅、大窪山辺、薩州藩致巡邏候処弾薬庫有之、殊ニ攻城ノ要地ニ付、取固可申談判相極メ、薩州藩兵隊、弊藩四小隊、大砲二門差向、一同右場所相固申候、且又本月五日、各藩談判之上、越後口ノ為応援弊藩ヨリ四小隊、大砲一門差出候処、賊徒少々致防戦、左右山手ヘ逃去候ニ付進撃、舟渡迄相進、川向越後口ノ官軍ヘ相通シ候而、坂下駅ニ引揚、同所一泊、翌六日若松ヘ致帰陣候、廿五日以後持口、其外所々ノ小戦ニテ、手負左之通御座候打取、分捕等有之候得共、取調未届合候ニ付、此段荒増不取敢御届申上候以上
深手 倉永助五郎
薄手 田中源次
薄手 高木徳次郎
深手 足軽 峰初瀬右衛門
薄手 足軽 藤川勝太
九月九日 肥前藩 多久与兵衛
○九月廿四日御沙汰書
福原内匠
其方儀、当分之処、白川越附六万石租税、取締可致旨御沙汰候事
九月 大総督府参謀
○同廿六日
柳川藩
飛竜丸、当分之内、其藩江御預被成候事
九月
長州藩江
其藩江被預置候飛竜丸、柳川藩江可引渡旨御沙汰候事
九月
安田源之丞
其方事、御雇被成可為軍監旨御沙汰候事
九月廿六日
増田虎之助
参謀試補被申付、奥州二本松江出張可致旨御沙汰候事
九月
筑後藩
其藩兵隊、奥州磐城平江出張可有之旨御沙汰候事
九月
肥前藩届書
弊藩兵隊、藤原口ヨリ若松進撃ノ途中、討死手負、左ノ通致候、戦争ノ次第、且賊ノ死傷分捕等ハ、追テ可申上旨、出先ノ隊長ヨリ申越候、此段御届申上候
手負 南部俊蔵
同 池田忠九郎
同 伊東伊平太
同 立川勘左衛門
同 足軽 長尾兵蔵
右九月二日火玉峠ニテ
手負 角千左衛門
討死 内川源六
討死 早田長兵衛
右同月三日関山ニテ
手負 新郷友助
同 足軽 古川善作
討死 足軽 真崎作次
手負 同 木塚忠兵衛
手負 夫卒 一人
右同月五日、若松城下材木町裏手ニテ以上
九月 肥前藩 深川亮蔵
佐土原藩届書
九月十五日、奥州会津青木村戦争ノ節、死傷左ノ通
戦死 長官 新納八郎二
同 監軍 鶴田力之進
同 監軍 槍本源吾
同 戦兵 籾木勇太郎
同 戦兵 池田数之進
同 同 植村善右衛門
同 同 瀬戸口権太郎
同 同 立山源太郎
同 同 大町五兵衛
同 同 厚地熊太郎
同 同 間世田助市
同 同 原友次郎
同 同 谷山弥平次
同 同 児玉直蔵
同 同 工藤和田右衛門
同 夫卒 二人
深手 隊長 藤井隼人
深手 戦兵 堤惣次郎
同 同 小野新蔵
同 同 神崎伝兵衛
同 同 長友彦右衛門
同 同 槍本政次郎
同 同 図師惣兵衛
同 同 高山権左衛門
同 同 大町善右衛門
同 同 森源太郎
同 同 柳田権太郎
同 宇宿代吉家来 一人
同 市木五郎兵衛家来 一人
同月十七日、右同所賊徒追討之節死傷
戦死 監軍 三雲為一郎
深手 戦兵翌日死 郡司伊織
右之通会津出兵許ヨリ申越候ニ付、不取敢此段御届申上候以上
九月廿七日 佐土原藩 樺山舎人
彦根藩届書
九月十四日八字ヨリ、賊城進撃ニ付、弊藩分隊人数、桂林寺口、融通寺口等ヨリ、諸藩一同進入仕候処、賊烈敷防戦致候得共、急速進闘、終ニ外郭乗取、十二字頃止戦仕候、其節分取并味方死傷、別紙ノ通ニ御座候趣、若松表出先ヨリ申越候条、此段御届申上候以上
臼砲一門 舶来ミニヘル玉三千位
討死 陣場方取調役 小倉健輔
同 青木十郎次隊 本山長五郎
同 陣場方軍夫 文吉
手負 使番 今村彦四郎
右九月十四日、若松城攻之節、分取并味方死傷ニ御座候以上
九月十八日 彦根中将内 河手主水
○御沙汰書
賊徒追討官軍進発已来、所々奮戦、堅キヲ抜キ、鋭ヲ挫キ、其忠勇義烈、達天聴叡感被為在、猶又諸軍現地ノ勲功、被為知食、臣子ノ亀鑑ニ被備度叡旨ヲ以テ今般別紙ノ通、予メ勲功ノ等級御定ニ相成候条、督府、列藩及参謀、軍監、長官等、現地ノ事蹟精密取調、偏頗彼我ノ見ヲ去リ、公正至当ノ議ヲ以テ、諸軍各部其等級ヲ判シ、姓名書差出候様被仰出候事
但御褒賞ノ儀ハ、大総督宮及諸道総督帰京被奏成功之上御沙汰有之候事
八月 行政官
勲功式三等
総督<副総督参謀等之ニ準ス>
上功
能ク衆議ヲ容レ、画策籌謨其宜ヲ得、以テ大ニ四方ヲ鼓舞シ、終ニ天下平定ノ績ヲ底スモノ上功トス
中功
能ク一方ヲ維持シ、以テ強敵ヲ挫キ、終ニ天下平定ノ業ヲ助ルモノ、中功トス、又諸隊ニ抜ンテ、賊衝ヲ奪、全軍長駆ノ勢ヲ逞セシムルノ類、之ニ準ス
下功
以多当寡勝負亡獲相等キ者、下功トス、又営塁要地等ヲ固守シ、全軍ノ潰敗ヲ維持スル類、之ニ準ス
一司令官<諸隊長之ニ準ス>
上功
使令其宜シキヲ得、其隊ヲシテ同心協力、進退坐起、自ラ法ニ合シ、以テ大敵ヲ破リ、要地ヲ抜キ、全捷ヲ取ルモノ上功トス
中功
寡ヲ以テ衆ヲ挫キ、諸隊之カ為ニ勇奮振起、其力ヲ終ニ全軍ニ及ボスモノ、中功トス
下功
率先勇進スト雖モ、隊下死傷多キモノ、概シテ下功トス、或ハ強敵ヲ受、所部ヲ指揮シ、営塁要地等ヲ固守スル者、之ニ準ス
一兵士
上功
奮戦衆ニ超ヘ、堅キヲ摧キ、鋭ヲ挫キ、其身銃丸鋒鏑ニ罹ルモノ、上功トス、又勇進シテ衝敵、斫塁、終ニ命ヲ殞スモノ、或ハ率先奮激、終ニ敵ヲ敗リ、良ヲ獲ルノ類、或ハ其他敵ノ大砲要器ヲ撃壊シ、輜重糧食ヲ捕拿スル者、亦之ニ準ス
中功
励戦衆ニ先タチ、或ハ一隊ニ殿シテ、力戦部伍ヲ収メ、其身重創ヲ被ルノ類、概シテ中功トス
下功
敵軍披靡勢ニ乗シ、追撃シテ首級ヲ獲ル者、下功トス、又力戦創ヲ被ルモノ、之ニ準ス
追補
筑波小次郎
右芸州軍監被仰付置候処、昨日戦争ノ節手負申候、此段御届申上候以上
七月廿七日 因州藩
(以下OCR追加)
補正
鎮将府日誌第六ノ十一葉目ニ在ル長州藩届書ノ内討死ノ土屋素輔ハ大屋ノ書誤ナリ
同第五巻ノ十五十六葉目二在ル同藩届書村田次郎助大谷武太郎小橋清太郎右三人手負ノ所書誤テ即死ノ部ニ混ス且武太郎ヲ誤テ竹次郎ニ作ル