太政官日誌 明治二年 第八十八号
明治己巳 八月十五日
東京城第五十一
○八月十五日〈甲寅〉
【蝦夷地ヲ北海道ト称スル事】
御布告書写
蝦夷地、自今北海道ト被称、十一箇国ニ分割国名、郡名等、別紙之通被仰出候事
北海道十一ケ国
渡島国
亀田
茅部
上磯
福島
津軽
桧山
爾志
七郡
〆
〈西部〉
後志国
久遠
奥尻
太櫓
瀬棚
島牧
寿都
歌棄
磯屋
岩内
古宇
積丹
美国
古平
余市
忍路
高島
小樽
十七郡
〆
石狩国
石狩
札幌
夕張
樺戸
空知
雨竜
上川
厚田
浜益
九郡
〆
天塩国
増毛
留萌
苫前
天塩
中川
上川
〆
六郡
北見国
宗谷
利尻
礼文
枝幸
紋別
常呂
綱走
斜里
八郡
〆
〈東部〉
胆振国
山越
虻田
有珠
室蘭
幌別
白老
勇払
千歳
八郡
〆
日高国
沙流
新冠
静内
三石
浦河
様似
幌泉
七郡
〆
十勝国
広尾
当縁
大津
中川
河東
河西
十勝
七郡
〆
釧路国
白糠
足寄
釧路
阿寒
網走
川上
厚岸
八郡
〆
根室国
花咲
根室
野付
標津
目梨
五郡
〆
千島国
国後
択捉
振別
紗那
蘂取
五郡
〆
【松平越中津藩ヘ永預ノ事】
御達書写
松平越中
戊辰正月、伏水暴挙王師ニ抗シ、事敗レテ東国ニ遁レ、慶喜、恭順スルニ及ンテ、尚悔悟セス、北越ニ至テ再ヒ官軍ヲ拒ミ、遂ニ脱艦ノ賊ト共ニ、蝦地ニ渡リ、賊勢日ニ蹙ルニ及ンテ、始テ悔悟ノ志ヲ抱キ、賊中ヲ脱シテ横浜ニ来リ、自訟伏罪候条、天下之大典ニ於テ、其罪難被差置、屹度厳刑可被処之処出格之寛典ヲ以テ、死一等ヲ減シ、津藩知事ヘ永預被仰付候事
○ 松平万之助
越中儀、大逆ヲ犯シ候ヲ以、津藩知事ヘ永預被仰付候、於其方ハ、夙ク順逆ヲ弁シ、先鋒総督之軍門ニ帰順シ、引続上下謹慎、無二ヲ表シ候ニ付、出格至仁之思食ヲ以、今度家名被立下、華族之列ニ被置、更ニ桑名藩六万石支配被仰付候事
○ 津藩知事藤堂高猷
松平越中儀、其藩ヘ永預被仰付候間、名護屋藩ヨリ請取、謹慎為致可置候事
○ 名護屋藩知事徳川徳成
松平越中儀、今般津藩知事ヘ、永領被仰付候間、同人ヘ引渡可申候事
○ 松平万之助
越中助逆之謀臣、取調可申出事
【板倉伊賀父子、安中藩ヘ永預ノ事】
板倉伊賀
同万之進
戊辰正月、伏水之暴挙敗衂之砌、東国ニ遁走ス、慶喜恭順スト雖、尚悔悟セズ、日光山ニ伏匿、後北道之軍門ニ降リ、宇都宮ニ謹慎候処、紛擾之砌、再ヒ脱シテ会津ニ往キ、遂ニ松島ヨリ賊艦ニ乗リ、蝦地ニ渡リ賊勢日ニ蹙ルニ及ンテ始テ悔悟ノ志ヲ抱キ、賊中ヲ脱シ東京ニ来リ、遂ニ伏罪候条、天下之大典ニ於テ、其罪難被差置、屹度厳刑可被処之処、出格之寛典ヲ以テ死一等ヲ減シ、安中藩知事ヘ永預被仰付候事
○ 安中藩知事板倉勝殷
板倉伊賀父子、大逆ヲ犯シ候ヲ以、永預被仰付候処、於家来共ハ順逆ヲ弁シ、帰降之実ヲ表シ、引続謹慎無二候ニ付、出格至仁之思召ヲ以、今度血脈之者ヘ家名被立下、華族之列ニ被置、更ニ松山藩二万石支配被仰付候事
但、血脈之者早々可願出事
○ 同上
板倉父子儀、更ニ其藩ヘ永預被仰付候間、謹慎為致可置候事
○ 宇都宮藩知事戸田忠友
板倉万之進儀、今般安中藩知事ヘ永預被仰付候間、同人ヘ引渡可申候事
○ 安中藩知事板倉勝殷
板倉伊賀父子、助逆之謀臣、取調可申出事
【竹中丹後、福岡藩ヘ永預ノ事】
〇竹中丹後
戊辰正月、伏水暴挙之砌、兵ヲ督シテ王師ニ抗衡シ、事敗テ東国ニ遁走ス、慶喜恭順スルニ及ヒ、尚悔悟セズ、去テ会津ニ往キ、処々横行、仙台ニ至リ、賊艦ニ乗リ、蝦地ニ渡リ、賊勢日ニ蹙ルニ及ヒ、賊巣ヲ脱出テ東京ニ来リ、遂ニ伏罪候条、天下之大典ニ於テ、其罪難被差置、屹度厳刑可被処之所、出格之寛典ヲ以テ、死一等ヲ減シ、黒田従四位ヘ永預被仰付候事
○ 竹中図書
丹後儀、大逆ヲ犯シ候ヲ以、今度福岡藩知事ヘ永預被仰付、出格至仁之思召ヲ以、家名被立下、更ニ其方ヘ三百石下賜候事
但、是迄被下置候五百石、被召上候事
○ 福岡藩知事黒田長知
竹中丹後儀、其藩ヘ永預被仰付候間、大垣藩ヨリ請取、謹慎為致可置候事
○ 大垣藩知事戸田氏共
竹中丹後儀、今般福岡藩知事ヘ永預被仰付候間、同人ヘ引渡可申候事
【竹中丹後知行所笠松県支配ノ事】
笠松県
竹中丹後知行所、自今其県支配ニ被仰付候間、大垣藩ヨリ請取可申候事
○ 同上
竹中丹後家来、其県支配ニ被仰付候間、此旨相達候事
【待詔院下局事務、集議院ヘ移管ノ事】
各通 待詔院
集議院
待詔院下局之儀ハ、天下之材能ヲ待セラルヽ所ニシテ、言路洞開、上下壅塞之弊ナク、草莽卑賤ニ至ル迄、各抱負ヲ尽サセ、其所長ヲ御採用可被為在御趣意ヲ以テ、被設置候処、今度御詮議ニヨリ、集議院中ニ於テ、是迄待詔院下局ニテ取扱候御用等、裁判可致旨被仰付候間、此旨可相心得候事
追録
【瑞西岡士、立后御祝ノ国書捧呈ノ事】
瑞西合衆国書翰写
横浜千八百六十九年九月十六日瑞西岡士セネラー館
合衆国評議官ヨリ御門陛下第一等執政閣下ヘ宛テシ、書翰之写ヲ送ル
瑞西合衆国岡士セネラールニ代リテ 書記官 ヱ モッテレ
東京
外務省ヘ
写
ベルン千八百六十九年五月三十一日
閣下、明治二年二月十四日附之書翰落手、昨年十二月二十八日、京都ニ於テ一条左大臣息女立后之礼式、首尾能済ミシ旨天皇陛下ノ命ニテ、閣下ヨリ我等ニ報知イタサルヽ旨、承知セリ、右書簡ノ為多謝ス、且天皇皇后共ニ幸福長寿、幷日本国ノ繁栄ヲ祈願シ、右ノ祝辞ヲ天皇陛下ニ仰上ラレンコトヲ、我等閣下ニ願フ
合衆議政ニ代リテ 合衆国大領 ウェルテイ手記
合衆国執政 スシース手記