太政官日誌・明治2年86号

太政官日誌 明治二年 第八十六号
明治己巳 自七月廿九日 至八月十日
東京城第四十九
○七月二十九日〈己亥〉
【諸藩公用人ニ付御達ノ事】
御達書写
諸藩公用人、自今京都ニ差置ニ不及候事
但、御用有之候節、相弁ヘ候者差置、兼而其姓名可届置事
【知県事席順ノ事】
知県事席順之儀、有位ハ位順、無位ハ奉命前後ヲ以テ、被相定候事
但、権官準之候事

知県事帰県ニ付右大臣御口達書写
民者国之本也、其安不安皇運隆替之所係ニシテ、億兆父母之天職、夙夜御怵惕被遊候知県事ハ其赤子ヲ撫育スルノ重任ニ付、深ク朝廷御仁恤之御趣意ヲ宣布シ、生ヲ楽シミ業ニ安スルノ治化行届候様、勉励尽力可有之事
【杉山対軒殺害犯人死一等ヲ減ゼラル】
御沙汰書写
刑部省
此度関宿藩士井口小十郎、富山匡之助共、同藩杉山対軒ヲ及斬殺候始末、其省裁断伺出之通、於法ハ自尽当然ニ候得共、怱倉之後ヲ承ケ、時勢不得止情実ヨリ、差起候次第ニ付、兼テ被仰出候儀モ有之通、此度ハ出格之思食ヲ以テ、死一等ヲ減シ、可処寛典旨御沙汰候事
但、後例ニハ不相成候事
○八月二日〈辛丑〉
【河内、豊崎両県廃止ノ事】
御達書写
河内県
今般其県被廃候ニ付、管轄地、堺県ヘ合併被仰付候事
○ 豊崎県
右同文但シ、堺県ヲ兵庫県ニ作ル
○ 堺県
河内県被廃、其県ヘ合併被仰付候事
○ 兵庫県
豊崎県被廃〈以下同文〉
【度会県管轄地ノ事】
〇度会県
伊勢国ニ於テ、是迄笠松県、大津県、管轄之地所、以来其県管轄ニ被仰付候事
○各通 大津県
笠松県
其県、伊勢国管轄之地所、以来度会県管轄ニ被仰付候事
【隠岐県廃止ノ事】
〇隠岐県
其県被廃、大森県管轄被仰付候事
【山口藩御預ケ地ノ事】
〇日田県
山口藩ヘ御預ケ地、豊前国企救郡、以来其県管轄ニ被仰付候事
○ 大森県
山口藩ヘ御預ケ地、石見国之分〈以下同文〉
○ 山口県
其藩ヘ御預ケ地、豊前国之分日田県、石見国之分大森県管轄ニ被仰付候間、此旨相達候事
○三日〈壬寅〉
【安藤従五位、磐城平ヘ復帰ノ事】
御達書写
安藤従五位
今般格別之御詮議ヲ以テ、磐城平ヘ復帰、金七万両献納被仰付候事
○四日〈癸卯〉
【伜身代リ歎願ニ付死一等ヲ減ズル事】
御達書写
刑部省
当地八町堀亀島町繁次郎、重罪之者ニ付、可処極刑之処、忰喜太郎身代リ歎願之次第、孝心奇特之事ニ付、出格之訳ヲ以テ、死一等ヲ被宥候間、此旨相達候事
○五日〈甲辰〉
【三陸両羽磐城按察府ノ事】
御達書写
三陸、両羽、磐城按察府、岩代国白石ヘ被置候旨、被仰出候事
○七日〈丙午〉
【大臣納言家公用人ノ事】
御達書写
大臣納言家、自今公用人可置旨被仰出候事
但、人撰ヲ以テ可伺出事
○八日〈丁未〉
【国産補輔ノ建言ニ付御達】
御達書写
各通 前橋藩知事松平直克
高崎藩知事大河内輝照
館林藩知事秋元礼朝
七日市藩知事前田利昭
吉井藩知事吉井信謹
小幡藩知事松平忠恕
伊勢崎藩知事酒井忠彰
安中藩知事板倉勝殷
沼田藩知事土岐頼知
当今内外之御用途、御差支之場合体察シ、国産ヲ以テ裨輔ニ供シ度、建言之趣、奇特ニ被思食候、就而ハ諸事大蔵省ヘ打合セ、取計可致旨御沙汰候事
○十日〈己酉〉
【生野県取建ノ事】
御達書写
久美浜県
今般生野県御取建相成候ニ付、管轄地所高帳通リ、引渡可申候事
○生野県
其県管轄所、高帳之通、久美浜県ヨリ請取可申事
【府藩県楮幣返納ノ事】
民部省
先般府藩県ヘ、石高ニ応シ御貸渡相成候楮幣返納之儀ハ、東京大蔵省ニ於テ、取建相成候間、同省ヘ可相納候事
【庄内、盛岡両藩管轄ニ付御達ノ事】
〇庄内藩知事酒井忠禄
今般庄内ヘ復帰被仰付候ニ付、別紙高帳之通、其藩管轄ニ被仰付候事
○盛岡藩知事南部利恭
右同文〈庄内ヲ盛岡ニ作ル〉

太政官日誌・明治2年88号

太政官日誌 明治二年 第八十八号
明治己巳 八月十五日
東京城第五十一
○八月十五日〈甲寅〉
【蝦夷地ヲ北海道ト称スル事】
御布告書写
蝦夷地、自今北海道ト被称、十一箇国ニ分割国名、郡名等、別紙之通被仰出候事
北海道十一ケ国
渡島国
亀田
茅部
上磯
福島
津軽
桧山
爾志
七郡

〈西部〉
後志国
久遠
奥尻
太櫓
瀬棚
島牧
寿都
歌棄
磯屋
岩内
古宇
積丹
美国
古平
余市
忍路
高島
小樽
十七郡

石狩国
石狩
札幌
夕張
樺戸
空知
雨竜
上川
厚田
浜益
九郡

天塩国
増毛
留萌
苫前
天塩
中川
上川

六郡
北見国
宗谷
利尻
礼文
枝幸
紋別
常呂
綱走
斜里
八郡

〈東部〉
胆振国
山越
虻田
有珠
室蘭
幌別
白老
勇払
千歳
八郡

日高国
沙流
新冠
静内
三石
浦河
様似
幌泉
七郡

十勝国
広尾
当縁
大津
中川
河東
河西
十勝
七郡

釧路国
白糠
足寄
釧路
阿寒
網走
川上
厚岸
八郡

根室国
花咲
根室
野付
標津
目梨
五郡

千島国
国後
択捉
振別
紗那
蘂取
五郡

【松平越中津藩ヘ永預ノ事】
御達書写
松平越中
戊辰正月、伏水暴挙王師ニ抗シ、事敗レテ東国ニ遁レ、慶喜、恭順スルニ及ンテ、尚悔悟セス、北越ニ至テ再ヒ官軍ヲ拒ミ、遂ニ脱艦ノ賊ト共ニ、蝦地ニ渡リ、賊勢日ニ蹙ルニ及ンテ、始テ悔悟ノ志ヲ抱キ、賊中ヲ脱シテ横浜ニ来リ、自訟伏罪候条、天下之大典ニ於テ、其罪難被差置、屹度厳刑可被処之処出格之寛典ヲ以テ、死一等ヲ減シ、津藩知事ヘ永預被仰付候事
○ 松平万之助
越中儀、大逆ヲ犯シ候ヲ以、津藩知事ヘ永預被仰付候、於其方ハ、夙ク順逆ヲ弁シ、先鋒総督之軍門ニ帰順シ、引続上下謹慎、無二ヲ表シ候ニ付、出格至仁之思食ヲ以、今度家名被立下、華族之列ニ被置、更ニ桑名藩六万石支配被仰付候事
○ 津藩知事藤堂高猷
松平越中儀、其藩ヘ永預被仰付候間、名護屋藩ヨリ請取、謹慎為致可置候事
○ 名護屋藩知事徳川徳成
松平越中儀、今般津藩知事ヘ、永領被仰付候間、同人ヘ引渡可申候事
○ 松平万之助
越中助逆之謀臣、取調可申出事
【板倉伊賀父子、安中藩ヘ永預ノ事】
板倉伊賀
同万之進
戊辰正月、伏水之暴挙敗衂之砌、東国ニ遁走ス、慶喜恭順スト雖、尚悔悟セズ、日光山ニ伏匿、後北道之軍門ニ降リ、宇都宮ニ謹慎候処、紛擾之砌、再ヒ脱シテ会津ニ往キ、遂ニ松島ヨリ賊艦ニ乗リ、蝦地ニ渡リ賊勢日ニ蹙ルニ及ンテ始テ悔悟ノ志ヲ抱キ、賊中ヲ脱シ東京ニ来リ、遂ニ伏罪候条、天下之大典ニ於テ、其罪難被差置、屹度厳刑可被処之処、出格之寛典ヲ以テ死一等ヲ減シ、安中藩知事ヘ永預被仰付候事
○ 安中藩知事板倉勝殷
板倉伊賀父子、大逆ヲ犯シ候ヲ以、永預被仰付候処、於家来共ハ順逆ヲ弁シ、帰降之実ヲ表シ、引続謹慎無二候ニ付、出格至仁之思召ヲ以、今度血脈之者ヘ家名被立下、華族之列ニ被置、更ニ松山藩二万石支配被仰付候事
但、血脈之者早々可願出事
○ 同上
板倉父子儀、更ニ其藩ヘ永預被仰付候間、謹慎為致可置候事
○ 宇都宮藩知事戸田忠友
板倉万之進儀、今般安中藩知事ヘ永預被仰付候間、同人ヘ引渡可申候事
○ 安中藩知事板倉勝殷
板倉伊賀父子、助逆之謀臣、取調可申出事
【竹中丹後、福岡藩ヘ永預ノ事】
〇竹中丹後
戊辰正月、伏水暴挙之砌、兵ヲ督シテ王師ニ抗衡シ、事敗テ東国ニ遁走ス、慶喜恭順スルニ及ヒ、尚悔悟セズ、去テ会津ニ往キ、処々横行、仙台ニ至リ、賊艦ニ乗リ、蝦地ニ渡リ、賊勢日ニ蹙ルニ及ヒ、賊巣ヲ脱出テ東京ニ来リ、遂ニ伏罪候条、天下之大典ニ於テ、其罪難被差置、屹度厳刑可被処之所、出格之寛典ヲ以テ、死一等ヲ減シ、黒田従四位ヘ永預被仰付候事
○ 竹中図書
丹後儀、大逆ヲ犯シ候ヲ以、今度福岡藩知事ヘ永預被仰付、出格至仁之思召ヲ以、家名被立下、更ニ其方ヘ三百石下賜候事
但、是迄被下置候五百石、被召上候事
○ 福岡藩知事黒田長知
竹中丹後儀、其藩ヘ永預被仰付候間、大垣藩ヨリ請取、謹慎為致可置候事
○ 大垣藩知事戸田氏共
竹中丹後儀、今般福岡藩知事ヘ永預被仰付候間、同人ヘ引渡可申候事
【竹中丹後知行所笠松県支配ノ事】
笠松県
竹中丹後知行所、自今其県支配ニ被仰付候間、大垣藩ヨリ請取可申候事
○ 同上
竹中丹後家来、其県支配ニ被仰付候間、此旨相達候事
【待詔院下局事務、集議院ヘ移管ノ事】
各通 待詔院
集議院
待詔院下局之儀ハ、天下之材能ヲ待セラルヽ所ニシテ、言路洞開、上下壅塞之弊ナク、草莽卑賤ニ至ル迄、各抱負ヲ尽サセ、其所長ヲ御採用可被為在御趣意ヲ以テ、被設置候処、今度御詮議ニヨリ、集議院中ニ於テ、是迄待詔院下局ニテ取扱候御用等、裁判可致旨被仰付候間、此旨可相心得候事
追録
【瑞西岡士、立后御祝ノ国書捧呈ノ事】
瑞西合衆国書翰写
横浜千八百六十九年九月十六日瑞西岡士セネラー館
合衆国評議官ヨリ御門陛下第一等執政閣下ヘ宛テシ、書翰之写ヲ送ル
瑞西合衆国岡士セネラールニ代リテ 書記官 ヱ モッテレ
東京
外務省ヘ

ベルン千八百六十九年五月三十一日
閣下、明治二年二月十四日附之書翰落手、昨年十二月二十八日、京都ニ於テ一条左大臣息女立后之礼式、首尾能済ミシ旨天皇陛下ノ命ニテ、閣下ヨリ我等ニ報知イタサルヽ旨、承知セリ、右書簡ノ為多謝ス、且天皇皇后共ニ幸福長寿、幷日本国ノ繁栄ヲ祈願シ、右ノ祝辞ヲ天皇陛下ニ仰上ラレンコトヲ、我等閣下ニ願フ
合衆議政ニ代リテ 合衆国大領 ウェルテイ手記
合衆国執政 スシース手記

太政官日誌・明治2年90号

太政官日誌 明治二年 第九十号
明治己巳 八月十五日
東京城第五十三
○八月十五日〈甲寅〉
【箱館征討合記続二】
館藩届書写第三〈追録〉
戦争中死傷左之通
四月十一日夜、於札前野
死 八番隊銃卒 溝口寛蔵
同 田村粂太郎
重傷 同隊銃士 清水金吾
同隊銃卒 秋山織次郎
傷 同 石道宇之作
死 遊撃隊銃士 杉村玄英
同 平野安五郎
同銃卒 遠藤駒蔵
同 山岡喜八郎
同 鈴木兵三郎
重傷 同銃士 武川市逸
傷 同隊長 新井田早苗
同半隊司令士 野坂林作
同銃士 梶原弥学
同銃卒 川崎松五郎
総長下国東七郎家来 斎藤善太郎
同夜、於茂草野
死 八番隊軍監 村上温次郎
同銃卒 藤田璉蔵
同 鈴木順蔵
重傷 同銃士 田村和鬼也
傷 同銃卒 川村元蔵
死 遊撃隊銃士 小西浩太郎
同銃卒 田中量作
傷 同 戸沢孫右衛門
四月十七日、於建石野
死 遊撃隊銃卒 工藤元三郎
重傷 同副長 竹田泰三郎
傷 同銃卒 関根藤六
右之分、当五月廿三日御届申上候後、尚取調候処、銃卒山岡喜八郎、鈴木兵三郎手負ノ趣御届申上候得共、両人共戦死仕候、依之尚又死傷書上申候
昨年御届漏之分左之通
〈辰十月廿四日、戸切地於陣屋戦死〉 銃士 大場忠右衛門
〈辰十一月二日、於福島村戦死〉 同 田中宇吉
同上 同 大沢八五郎
同上 同 桜井金七郎
〈辰十一月五日、於及部村戦死〉 町兵 直吉
〈前同日、於枝ケ崎台場戦死〉 銃士 平尾鉄三
〈前同日、於城内重傷〉 同 山崎十三
〈十一月二日、於福島村重傷〉 農兵 金平
戦争中生虜、分取左之通
一番隊麓逸学隊ニテ
四月十日 賊四人
同十日 賊二人
同十一日 同一人
遊撃隊新井田早苗隊ニテ生捕
賊三人
原口村ニテ 同二人
木ノ子村ニテ 同一人
田沢村ニテ 同三人
小砂子村ニテ 同三人
馬形及部ニテ 同三人
田沢村砲台一ケ所
大砲一門
弾薬四箇
四月十八日奇兵隊蠣崎衛士隊吉岡峠ニテ分取
施条砲一門
大砲二門
弾薬二門
実丸三十
空丸十
四月十日江差出発ヨリ、同十三日上之国ヘ引揚迄之間、遊撃、奇兵、八番ノ三小隊、所々ニテ分取
ケール十六挺
刀四口
剣六振
喇叭一
合麾〈但、黄赤取交〉八本
朱之丸提灯三張
ガンドウ一
胴卵六
小胴卵五
四月十四日、遊撃隊、羽根差野ニテ生捕
賊一人
同十七日、奇兵隊ニテ生捕
賊〈内斥候二人〉三人
分取
大砲弾丸
同日、八番隊ニテ分取
雑兵笠六蓋
朱ノ丸提灯一張
巻物〈但、槍術伝書〉一
ガンドウ一
四月廿九日、五番隊竹内学隊ニテ分取
矢不来山手砲台一ケ所
大砲一門
弾薬二箇
胴卵三
短旋条銃五挺
スナイドルパトロン二百発
同日、六番隊松崎数矢隊ニテ分取
大砲空丸六発
合薬二箱
胴卵七
ミニユ銃七挺
サフル三十四振
ケエール剣十八振
ミニユー丸五百発
脇差二口
刀二口
馬二疋
弾薬三千発
鞍一脊
同日、八番隊氏家左門隊ニテ生捕
賊〈但、富川村ニ於テ〉三人
分取
六寸短銃四挺
短銃七挺
馬乗砲三挺
胴卵二
サフル十二挺
弾薬四箱
同日、奇兵隊蠣崎衛士隊ニテ分取
鉄砲三挺
刀一口
七連砲一挺
朱ノ丸旗一ケ所
矢不来居小屋一ケ所
旋条砲丸五
胴卵一
賊〈但、於富川村大野岩見斫殪シ、懐中ノ密書ハ御会議所ヘ差上〉一人
同日糾武隊松崎辺隊ニテ分取
弾薬二箇
馬三疋
乗鞍二脊
剣二振
旋条砲空丸五
刀一口
赤標人旗一流
黄同一流
短筒三挺
富川仮台場一ケ所
海岸台廿四斤長砲一門
四月廿九日、於矢不来野
傷 糾武隊銃卒 八木忠四郎
五月十一日、三番隊南条小弁司隊、柳岱一ノ台場ニテ賊一人斫殪
明石興司
同日、四番隊佐藤男破魔隊、柳岱一ノ台場先登、同二ノ台場ニテ賊一人斫殪
厚谷孫六
五月十六日、大砲隊田中孫平治隊ニテ、元津軽陣屋ニ於テ分取
大砲運送馬鞍一
合薬二貫目
冷水桶一
フリツキ散弾一
右四月九日乙部揚陸以来、弊藩兵隊所々出発戦争之大概、書面之通御座候、以上
七月
館藩

○第七十七号、軍務官箱館征討合記第八、届書中ニ載スル所ノ件、略之

太政官日誌・明治2年91号

太政官日誌 明治二年 第九十一号
明治己巳 自八月十七日 至二十日
東京城第五十四
○八月十七日〈丙辰〉
【水戸藩北海道支配地ノ事】
御達書写
水戸藩知事徳川韶武
天塩国之内
苫前郡
天塩郡
大津郡
北見国之内
麟利尻郡
右五郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 一関藩知事田村崇顕
胆振国之内
白老郡
右郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 佐嘉藩知事鍋島直大
釧路国之内
厚岸郡
釧路郡
川上郡
右三郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 開拓使
別紙之通被仰付候間夫々ヘ地所引渡可申事別紙三藩被仰付書同様
○十八日〈丁巳〉
【若松、福島、白石、白河、石巻、登米、胆沢、江刺、九戸、酒田ノ十県取建ノ事】
御達書写
酒田県
久保田藩、新発田藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付候間、知事着県之上、同藩ヨリ請取可申事
○ 各通 久保田藩
新発田藩
是迄取締之地所、今般酒田県支配ニ被仰付候間、知県事着県次第、同県ヘ引渡可申事
○ 福島県
盛岡藩元管轄地、今般其県幷白石県支配ニ被仰付以下酒田県同文
○ 白石県
右同文〈但、白石県ヲ福島県ニ作ル〉
○ 盛岡藩
其藩元管轄地、今般福島県、白石県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 胆沢県
前橋藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 前橋藩
是迄取締之地所、今般胆沢県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 福島県
中村藩、笠間藩取締之地所、今般其県幷白河県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 白河県
右同文〈但シ、白河県ヲ福島県ニ作ル〉
○ 各通 中村藩
笠間藩
是迄取締之地所、今般福島県、白河県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 江刺県
松代藩、松本藩取締之地所、今般其県幷九戸県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 九戸県
右同文但シ、九戸県ヲ江刺県ニ作ル
○ 各通 松代藩
松本藩
是迄取締之地所、今般江刺県、九戸県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 九戸県
黒羽藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 黒羽藩
是迄取締之地所、今般九戸県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 白河県
守山藩、三春藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 各通 守山藩
三春藩
是迄取締之地所、今般白河県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 石巻県
高崎藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 高崎藩
是迄取締之地所、今般石巻県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 胆沢県
宇都宮藩取締之地所、今般其県幷登米県支配ニ被仰付〈以下酒田県同文〉
○ 登米県
右同文〈但シ、登米県ヲ胆沢県ニ作ル〉
○ 宇都宮藩
是迄取締之地所、今般胆沢県幷登米県支配ニ被仰付〈以下久保田藩同文〉
○ 若松県
新荘藩、館林藩取締之地所、今般其県支配ニ被仰付候間、同藩ヨリ請取可申事
○ 各通 新荘藩
館林藩
是迄取締之地所、今般若松県支配ニ被仰付候間、同県ヘ引渡可申事
岩代国 若松県
同 福島県
同 白石県
磐城国 白河県
陸前国 石巻県
同 登米県
陸中国 胆沢県
同 江刺県
同 九戸県
羽後国 酒田県
右之通今般改テ新県被建置候事
民部省
別紙之通御沙汰相成候間、此旨相達候事
○十九日〈戊午〉
【徳島藩北海道支配地ノ事】
御沙汰書写
徳島藩
日高国之内、新冠郡
右一郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 開拓使
日高国之内、新冠郡、徳島藩支配ニ被仰付候間、土地引渡可申事
【生野県鉱山管轄ノ事】
生野権知県事
其県鉱山管轄被仰付候条司正之心得ヲ以取扱可致事
但、鉱山附属官員ハ、本司ヨリ可差出ニ付民部省ヘ可申談事
○廿日〈己未〉
【高知藩、兵部省北海道支配地ノ事】
御達書写
高知藩
石狩国之内、夕張郡
胆振国之内、勇払郡、千歳郡
右三郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 開拓使
石狩国之内夕張郡、胆振国之内勇払郡、千歳郡、高知藩支配ニ被仰付候間、土地引渡可申事
○ 兵部省
石狩国之内、石狩郡
後志国之内、高島郡、小樽郡
右三郡、其省支配ニ被仰付候事
○ 開拓使
石狩国之内石狩郡、後志国之内高島郡、小樽郡、兵部省支配ニ被仰付候間、土地引渡可申候事
【集議院ノ事】
各通 待詔院
集議院
待詔院下局之儀ハ、天下之材能ヲ待セラルヽ所ニシテ、言路洞開、上下壅塞之弊ナク、草莽卑賤ニ至ル迄、各抱負ヲ尽サセ、其所長ヲ御採用可被為在御趣意ヲ以テ、被設置候処、今度御詮議ニヨリ、集議院中ニ於テ、是迄待詔院下局ニテ取扱候御用等、裁判可致旨、被仰付候間、此旨可相心得候事

【集議院規則】
一、集議院中別ニ一局ヲ設ケ、天下之進言献策有用之材ヲ総ヘ、寄宿セシメ、其徳行才能ヲ考試スベキ事
一、諸藩士及農工商トモ、待詔出仕可被仰付者ハ、一応議院之考試ヲ経テ任用スベキ事
但、人物ニヨリ特命之撰挙ハ此限ニ非ス
一、議院ニ関係之議事アル節ハ、長官、次官判官、正権トモ、太政官ニ参預可致事
一、議員中ヨリ幹事十二名ヲ公撰シ、正権判官ニ準シ、可相勤事
但、権判官之次席タルベク候
一、議員中ヨリ、名指シ撰挙有之節ハ、議院ニ於テ、長官、次官、正権判官、幹事等、其材能可否ヲ熟議之上、可申出事
但任用之官等職務トモ前以内諭可有之事
一、議員中名指ナク、挙任被仰出候節ハ、長官、次官、正権判官、幹事等二名ヲ撰定シテ、可伺出事
一、議員中ヨリ撰挙之節ハ、奏任以上ニ可相任事

建言之輩、是迄待詔院ヘ罷出候処、自今集議院ヘ参上可致事

太政官日誌・明治2年96号

太政官日誌 明治二年 第九十六号
明治己巳 自九月十日 至十四日
東京城第五十九
○九月十日〈戊寅〉
【留守官中弁官史官廃止ノ事】
御沙汰書写
留守長官
今般御改正ニ付テハ、留守官中ニ被差置候弁官、史官、御廃止ニ相成候得共、其官之儀ハ格別御委任之廉モ有之候ニ付、判官ハ弁官、大主典ハ史官ノ心得ニテ、庶務取扱可致旨御沙汰候事
【清水家々名ノ事】
〇静岡藩知事徳川家達
清水家家名相続歎願之趣、不被及御沙汰候祖先祭典之儀ハ、於宗家合祭可致旨、被仰出候事
但、家来之輩扶助之儀ハ、従前之通ニテ、追テ相応之御処分可有之候間、此旨可相心得事
○十二日〈庚辰〉
【澳太利公使国書捧呈ノ事】
澳太利公使参朝
澳太利国来翰写
上帝ノ恵ヲ受タル澳地利皇帝婆希密ノ「レクス」兼洪喝利ノ「アホストリリツクレクス」第一世「フランツジヨーセフ」ヨリ、威権赫々トシテ、美名輝キタル尊貴ナル日本天皇陛下ニ敬意ヲ表ス、貴国ト和親貿易航海ノ条約ヲ結ヒ、両国ノ間ニ往来存在スル交誼ヲ、更ニ固定シ、両国ノ便宜ヲ増ン事ヲ祈望シ、且貴国政府ニテ、我誠意ヲ宜シク了察セラレンコト、疑ハサル所ナレハ、我寵愛ノ忠臣、第三等水師提督特派公使全権ミニストル等「ベソク」、貴族「アントン」ニ委任シ、全権ヲ与ヘリ、此者ハ我外国事務宰相ヨリ命スル趣意ニ基キ、貴国ノ全権ト合議決定シ、以テ調印スヘキ権ヲ有スル也、故ニ其命ノ趣意ニ基キ右全権ノ議定セシ事ハ、我ニ於テ無異存、承諾スヘキヲ茲ニ約ス、右証拠トシテ、此委任状ニ我名ヲ自記シ、我国印ヲ調セシメタリ、今我陛下ノ健康安寧ヲ上帝ニ祈ル
於ウヰーナ府
千八百六十八年第十二月廿日
即我位ニ即キシヨリ二十一年ノ後
フランヅジヨーゼフ自記 国印
貴族 ホイスト自記
皇帝陛下ノ命ニヨリ
皇帝陛下幷執政ノ合議官
ガゲン貴族マクシミリアン自記

澳太利国ヘ勅答写
日本天皇、敬テ澳太利兼洪喝利皇帝陛下ニ復ス、朕久陛下ノ威権赫々美名輝々タルヲ聞ク今陛下誠信懇篤、第三等水師提督特派公使全権ミニストルベツク貴族アントン氏ニ命シ、貴書ヲ齎ラシ来リ、以テ和親条約ヲ結ヒ、委スルニ合議調印之権ヲ以テス、朕素ヨリ深ク望ム所ナリ、朕乃チ華族重臣従三位守外務卿清原朝臣宣嘉、及ヒ従四位守外務大輔藤原朝臣宗則ヲシテ、貴国全権公使ト協議調印セシメテ、以テ陛下ノ盛意ニ答フ、今ヨリ以後、両国之際、交誼親厚、永ク以テ渝ラサラン事ヲ庶幾ス、更ニ皇帝陛下ノ健康安寧ナラン事ヲ祈ル、敬テ復ス
明治二年己巳九月十二日
御諱御国璽(印)
奉命右大臣従一位藤原朝臣実美 花押
澳太利国公使ヘ勅書写
澳太利幷ホンガリー皇帝陛下、安全ナルヤ、此度我国ト和親貿易ノ条約ヲ結ハン為メ、汝ヲ撰挙シ、特派使節トシテ来ラシメ、皇帝陛下ノ手書ヲ受タル事、朕深ク喜悦ス、朕又重臣ニ命シ、汝ト条約調印セシメントス、茲ニ貴国皇帝陛下ノ康寧ヲ祝シ、両国交際永久親睦ヲ希望ス
【黒田侯賞秩半高返納ノ事】
御沙汰書写
福岡藩知事黒田長知
賞典ハ深重ノ叡旨ヲ以テ被仰出候事ニ付願之趣不被及御沙汰候段、先達テ御達相成候処、猶又再三懇願ノ旨趣、全至誠ノ所致、神妙ノ至ニ被思食候、就テハ即今諸道不登庶民凍餒ノ勢ニテ、救荒目下ノ御急務ニ候処御用途必至御差迫ノ折柄、旁以乍御不本意、当年限リ賞秩半高返納被聞食、救荒ニ可被為充行旨、被仰出候事
【片倉、石川北海開拓ノ事】
〇各通 片倉小十郎
〇石川源太
北海道開拓之儀ハ、方今之急務ニ付、追々御処分モ有之候エ共、重大之事柄、全地一時ニ御手ヲ可被為着目的モ難相立折柄、其方儀不憚艱難、自ラ彼地ヲ跋渉シ、開拓致度志願之趣、神妙之至ニ被思食、北海道開拓御用被仰付候条、家来其外有志之徒相募リ、自費ヲ以漸次移住、屹度実効相立候様、尽力可致旨御沙汰候事
【石川、片倉北海道支配地ノ事】
石川源太
胆振国之内、室蘭郡
右一郡、其方支配ニ被仰付候事
○ 片倉小十郎
胆振国之内、幌別郡
右一郡、其方支配ニ被仰付候事
○十四日〈壬午〉
【香春、鶴田両藩減禄補顛ノ事】
御沙汰書写
香春藩知事小笠原忠忱
其藩元管轄地豊前国企救郡、日田県管轄ニ被仰付候、就テハ本禄ノ内及減少居候処、今般御詮議ノ趣有之、不足高三万千九百八十一石二斗、御蔵米ヲ以テ為藩禄下賜候事
○ 鶴田藩知事松平武聡
其藩元管轄地石見国那賀郡其外、大森県管轄ニ被仰付候、就テハ本禄ノ内、及減少居候処、今般御詮議ノ趣有之、不足高二万四千八百十石九斗二升三合、御蔵米ヲ以テ、為藩禄下賜候事
但、美作国久米、北条両郡、其外共高三万六千百八十九石七升七合地所ノ儀ハ、是迄ノ通可為支配事
【五島、米沢並兵部省北海道支配地ノ事】
〇五島銑之亟
後志国磯屋郡ノ内、後別川東〈但、川属之〉
右其方支配ニ被仰付候事
○米沢藩
後志国磯屋郡ノ内、後別川西〈但、川西ノツトヲ以テ境界トス〉
右其藩支配ニ被仰付候事
○兵部省
後志国ノ内、太櫓郡、瀬棚郡
胆振国ノ内、山越郡
釧路国ノ内、白糠郡、足寄郡、阿寒郡
右六郡、其省支配ニ被仰付候事

太政官日誌・明治2年97号

太政官日誌 明治二年 第九十七号
明治己巳 九月十四日
東京城第六十
○九月十四日〈壬午〉

賞典録第一
詔書写
方流賊鴟張、汝有衆建節宣威、艱苦尽瘁、克靖北彊、朕嘉奨之、乃頒賜、以酬有功、汝有衆懋哉
明治二年己巳九月十四日
○ 清水谷正四位公考
戊辰之冬、流賊蝦地ヲ掠奪シ、凶焔甚熾、一旦其毒鋒ヲ避ケ、援兵日ニ至ニ及ンテ、総督ノ命ヲ奉シ、諸軍ヲ率ヒ、再ヒ函館ニ渉リ、日夜勉励、兵気ヲ鼓舞シ、竟ニ克復ノ功ヲ奏候段叡感不斜、仍為其賞高二百五十石下賜候事
○ 黒田了介
戊辰之夏、北越参謀之命ヲ奉シ、大ニ強悍之賊ヲ破リ、進テ羽州之賊ヲ討シ、尽策其宜ヲ得、竟ニ成功ヲ奏ス、己巳ノ春、流賊北辺ニ横行スルニ当リ、再ヒ参謀ノ命ヲ奉シ、奥ノ青森ニ至リ、続テ蝦地ニ入リ、賊巣ヲ挙ケ、平定之功ヲ奏候段叡感不斜、仍為其賞高七百石下賜候事
○ 山田市之允
戊辰之秋、北越ニ出張、海軍ニ参謀シ、再懸軍羽州ニ在リ、流賊北辺ニ入ルニ及ンテ、奥羽総督之命ニ応シ、軍ヲ青森ニ屯シ、更ニ参謀ノ命ヲ奉シ、己巳之春、遂ニ進ンテ蝦地ニ入リ、尽策其宜ヲ得、攻撃無前、竟ニ賊巣ヲ挙ケ、平定ノ功ヲ奏候段叡感不斜、仍為其賞高六百石下賜候事
○ 増田虎之助
己巳之春、海軍参謀之命ヲ奉シ、諸艦ヲ督シ蝦地ニ赴キ、終始勉励、揮霍当ヲ得、竟ニ平定之功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞高二百石下賜候事
○ 大田黒亥和太
戊辰之秋、海路北越ニ至ル、時ニ流賊北辺ニ入ルト聞、直ニ進テ青森ニ至リ、清水谷総督ニ与参シ、終始竭力、竟ニ平定之功ヲ奏シ候段叡感不浅、仍為其賞高百七十石下賜候事
○ 曽我準造
己巳之夏、蝦地流賊猖獗ニ当テ、海軍参謀ノ命ヲ奉シ、終始勉励、揮霍当ヲ得、竟ニ平定之功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞高百五十石下賜候事
○ 中島四郎
己巳之春、流賊追討之命ヲ奉シ、甲鉄艦ニ駕シ、賊ト奥海ニ戦、直ニ蝦地ヲ衝キ、終始勉励、転戦機ニ中リ、大ニ賊鋭ヲ挫キ、竟ニ平定ノ功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞高百五十石下賜候事
○ 中牟田倉之助
己巳之歳、流賊追討ノ命ヲ奉シ、朝陽艦ニ駕シ、青森ニ至リ、直ニ蝦地ヲ衝キ、続テ函館ノ巣窟ニ迫リ、奮戦大ニ賊胆ヲ砕キ、竟ニ平定之功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞高百五十石下賜候事
○ 石井富之助
己巳之春、海軍参謀ニ補助シ、蝦地ニ赴キ、終始勉励、竟ニ平定ノ功ヲ奏候段叡感不浅仍為其賞高百三十石下賜候事
○ 森清蔵
己巳之歳、蝦地流賊追討之砌、副参謀ノ命ヲ奉シ、各所戦争、終始竭力、竟ニ平定ノ功ヲ奏シ候段叡感被為在、仍為其賞高百二十石下賜候事
○ 石井貞之進
己巳之春、流賊追討之命ヲ奉シ、陽春艦ニ駕シ、賊ト奥海ニ戦ヒ、続テ蝦地ヲ衝キ、攻撃勉励、竟ニ平定之功ヲ奏候段叡感被為在、仍為其賞高五十石下賜候事
○ 駒井政五郎
己巳之歳、蝦地流賊追討之砌、軍監ノ命ヲ奉シ、鶉口ニ出張、攻撃勉励、竟ニ賊弾ニ斃候段、不憫ニ被思食、仍為祭粢高五十石下賜候事
○ 元函館府兵
戊辰之冬、流賊侵掠以来、各所征戦勉励之段叡感被為在、仍為其賞高二千五百石、三ケ年之間下賜候事
○ 開拓使
別紙之通被仰出候間、夫々可分与事
○ 第二大隊 一番中隊 右小隊
己巳之歳、流賊追討之命ヲ奉シ、直ニ蝦地ニ渉リ、攻撃勉励之段叡感被為在、仍為其賞高千石、三ケ年之間下賜候事
○ 第二大隊
己巳之歳、流賊追討ノ命ヲ奉シ、蝦地ニ渉リ各所戍衛精勤之段、神妙被思食、仍為其慰労目録之通下賜候事
○ 兵部省
別紙之通被仰出候条、夫々可分与事
○ 甲鉄艦
己巳之春、流賊追討之命ヲ奉シ、賊ト奥海ニ戦ヒ、進テ蝦地ヲ衝キ、竟ニ函館ノ巣窟ニ逼リ、奮撃運転其宜ヲ得、大ニ賊鋭ヲ挫キ、成功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞高三千二百石、三ケ年之間下賜候条、士官以下夫々可分与事
○ 朝陽艦
己巳之歳、流賊追討之命ヲ奉シ、蝦地ヲ衝キ続テ函館ノ巣窟ニ迫リ、冒鋭奮撃、竟ニ賊砲ノ為ニ沈没ニ至ル、其功労不少候段叡感不浅、仍為其賞高二千石、三ケ年之間下賜候条士官以下夫々可分与事
○ 陽春艦
己巳之春、流賊追討之命ヲ奉シ、進テ蝦地ヲ衝キ竟ニ函館ノ巣窟ニ迫リ、攻撃勉励、成功ニ至候段叡感被為在、仍為其賞高千五百石三ケ年之間下賜候条、士官以下夫々可分与事
○ 兵部省
別紙之通被仰出候条、士官ヲ始、夫々可分与事
○ 松前従五位兼広
戊辰之冬、流賊侵掠、勢甚猖獗、屡苦戦ヲ極メ、遂ニ衆寡不敵、一旦難ヲ青森ニ避ケ、己巳之春官軍日ニ加ルニ及テ、更ニ先鋒之命ヲ奉シ、衆ヲ尽シテ蝦地ニ渉リ、各所奮戦本城ヲ復シ、竟ニ函館ノ巣窟ヲ破リ、平定ニ至候段叡感不斜、仍為其賞高二万石下賜候事
○ 阿部従五位正桓
戊辰之冬、函館守衛之命ヲ奉シ、出兵未タ幾ナラス、流賊侵入、勢頗猖獗、一旦其逆焔ヲ避クト雖モ官軍日ニ加ルヲ得、己巳之春、再ヒ蝦地ニ入リ各所奮戦、竟ニ函館ノ巣窟ヲ破リ、平定ニ至候段叡感不浅、仍為其賞高六千石下賜候事
○ 徳川従四位昭武
己巳之春、流賊追討之命ヲ奉シ、奥ノ青森ニ出兵、続テ蝦地ニ入リ、各所奮戦、函館ノ巣窟ヲ破リ、終始勉励、竟ニ平定ニ至候段叡感不浅、仍為其賞高三千五百石下賜候事
○ 土井従五位利恒
戊辰之冬、云々阿部従五位ヘ御沙汰書同文
〈但、高三千石下賜〉
○ 毛利従三位広封
戊辰之冬、流賊北辺ヲ擾乱スルニ方リ、羽州ニ在ルノ兵、奥羽総督ノ命ヲ蒙リ、直ニ進テ青森ニ至リ、己巳之夏蝦地ニ入リ、各所奮戦屡賊鋒ヲ砕キ、竟ニ函館ノ巣窟ヲ抜、平定ノ功ヲ奏候段叡感不斜、仍為其賞高二万五千石、三ケ年之間下賜候事
○ 島津従三位忠義
戊辰之秋、北越ニ出張シ、一旦東京ニ凱陣シ己巳之春、更流賊追討之命ヲ奉シ、奥ノ青森ニ出兵、続テ蝦地ニ入リ、各所奮戦、屡賊鋒ヲ砕キ、竟ニ函館ノ巣窟ヲ抜、平定ノ功ヲ奏候段叡感不斜、仍為其賞高一万石、三ケ年之間下賜候事
○ 池田従四位章政
戊辰之冬、流賊追討之命ヲ奉シ、奥ノ青森ニ出兵、己巳之夏蝦地ニ入リ、各所攻撃、函館ノ賊巣ヲ破リ、終始勉励、竟ニ成功ニ至候段叡感不浅、仍為其賞高一万石、三ケ年之間下賜候事
○ 津軽従四位承昭
戊辰之冬以来、大ニ官軍ヲ屯シ、金穀供給不少、続テ己巳之夏蝦地ニ入リ、各所攻撃、函館ノ賊巣ヲ破リ、終始勉励、竟ニ成功ニ至候段叡感不浅、仍為其賞高一万石、三ケ年之間下賜候事
○ 有馬従四位頼咸
戊辰之冬、流賊追討之命ヲ奉シ、奥ノ青森ニ出兵、己巳之夏蝦地ニ入リ、各所攻撃、函館ノ賊巣ヲ破リ、終始勉励、竟ニ成功ニ至候段叡感不浅、仍為其賞高五千石、三ケ年之間下賜候事
○ 毛利従五位元蕃
戊辰之冬、流賊北辺ヲ擾乱スルニ方リ、羽州ニ在ルノ兵、奥羽総督ノ命ヲ奉シ、直ニ進テ青森ニ到リ、己巳之夏蝦地ニ入リ、各所奮戦竟ニ函館ノ巣窟ヲ破リ、平定之功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞高五千石、三ケ年之間下賜候事
○ 藤堂従四位高猷
戊辰之冬、流賊追討之命ヲ奉シ、奥ノ青森ニ出兵、己巳之夏蝦地ニ入リ、各所攻撃、函館之賊巣ヲ破リ、終始勉励、竟ニ成功ニ至候段叡感不浅、仍為其賞高三千石、三ケ年之間下賜候事
○ 細川従四位韶邦
己巳之夏、函館追討之砌、弘前ニ在ルノ兵、総督之命ニ応シ、函館ニ到リ、征戦ヲ遂候段神妙ニ被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
○ 津軽従五位承叙
己巳之歳、流賊追討之砌、宗家ニ属シ、征戦ヲ遂候段、神妙被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
○ 島津従三位忠義
其藩春日艦、己巳之春、流賊追討之命ヲ奉シ賊ト奥海ニ戦ヒ、進テ蝦地ヲ衝キ、遂ニ函館ノ巣窟ニ迫リ、冒鋭深入、殊死奮撃、運転其宜ヲ得、屡賊鋭ヲ挫キ、竟ニ成功ヲ奏候段叡感不斜、仍為其賞高三千三百石、三ケ年之間下賜候条、艦長ヲ始夫々可分与事
○ 毛利従三位広封
其藩丁卯艦、己巳之春、流賊追討之命ヲ奉シ賊ト奥海ニ戦ヒ、進テ蝦地ヲ衝キ、遂ニ函館ノ巣窟ニ迫リ、攻戦ヲ遂候段叡感被為在、仍為其賞高千石、三ケ年之間下賜候条、艦長ヲ始夫々可分与事
○ 浅野従二位長勲
其藩豊安丸、己巳之歳、流賊追討之砌、奥海ニ至リ、続テ蝦地ニ入、終始運輸勉励之段、神妙被思食、仍為其賞高九百石、三ケ年之間下賜候条、船長ヲ始夫々可分与事
○ 立花従四位鑑寛
其藩御預飛竜丸、己巳之歳、流賊追討之砌、奥海ニ至リ、続テ蝦地ニ入、各所遂戦争、且運輸勉励候段、神妙被思食、仍為其賞高九百石、三ケ年之間下賜候条、船長ヲ始夫々可分与事
○ 鍋島正四位直大
其藩延年艦、己巳之夏、流賊追討之命ヲ奉シ函館ニ至リ、戦酣ナルニ方リ、機ニ投シ、奮戦ヲ遂候段叡感被為在、仍為其賞高八百石三ケ年之間下賜候条、艦長ヲ始夫々可分与事
○ 有馬従四位頼咸
其藩晨風丸、己巳之歳、流賊追討之砌、運輸斥候ヲ兼、奥海ニ至リ、続テ蝦地ニ入、竟ニ暗礁ニ触レ、沈没ニ至ル、其功労不少、仍為其賞高四百石、三ケ年之間下賜候条、船長ヲ始夫々可分与事

太政官日誌・明治2年104号

太政官日誌 明治二年 第百四号
明治己巳 自九月廿八日 至十月十八日
東京城第六十七
○九月廿八日〈丙申〉
【銭相場ニ付御布告ノ事】
御布告書写
銭相場之儀、金一両ニ付、拾貫文通用可致旨先般御布令相成候、就テハ両替屋共ニ於テ、心得違有之間敷筈之処、当節ニ至リ、相場幷諸銭之定位等区々ニ相成、融通甚差支、殊ニ真鍮銭ハ直増可相成抔、跡形モナキ虚説申触シ、私ノ相場相立、密ニ売買又ハ貯銭等致シ候者有之由、以之外不埒之事ニ付、既ニ此度右体之輩召捕吟味之上、御処置之品モ有之候条、向後銭融通方之儀、両替屋共ハ不及謂、諸商人共一同御布令之旨相守、銘々心得違無之様可致事
但、地方官之見計ヲ以テ、一時融通之タメ両替屋渡世之者ニ無之共、当分之内勝手ニ銭引替差許候儀ハ、不苦候事
○廿九日〈丁酉〉
【大宮県、浦和県ト改称ノ事】
御布告書写
大宮県、自今浦和県ト被称候事
○十月四日〈壬寅〉
【桑名、岡、高須三藩知事帰藩ノ御沙汰】
御沙汰書写
各通 松平桑名藩知事
中川岡藩知事
松平高須藩知事
今般帰藩被仰付候ニ付テハ、兼テ被仰出候御趣意ヲ奉体シ、可尽職任旨御沙汰候事
○十月五日〈癸卯〉
【無爵ノ華族ヘ御達ノ事】
御達書写
華族叙爵無之輩左之通
一、天気伺参内ニ不及候事
一、御用有之被召候節ハ、御内玄関ヨリ参入拝叙相済候上ハ、御車寄ヨリ退出之事
○七日〈乙巳〉
【諸刑成ベク流以下ノ事】
御沙汰書写
刑部省
今般新律取調被仰付候ニ付テハ、前日集議院ヘ御下問ニ相成候通、専ラ寛恕之御趣意ニ原キ、凡叛逆、人命、強盗、放火等ヲ除之外、可成丈流以下ニ処シ、竟ニ刑無刑ニ期シ候様被遊度聖旨ヲ奉体シ、撰定可致旨御沙汰候事
【蒸汽船買入差許ノ事】
御布告写
西洋形風帆船、蒸気船、自今百姓町人ニ至ル迄、所持被差許候間、製造又ハ買入等致度者ハ、管轄府藩県添書ヲ以テ、東京外務省ヘ可願出事
但、身元不慥之者共、外国人馴合、御国人所持之名ヲ、貸シ与ヘ候様之悪弊無之様、府藩県ニ於テ篤ト吟味之上、添書可致候事
○八日〈丙午〉
【米国公使国書捧呈ノ事】
米利堅公使参朝
米国ヨリ来翰写
米利堅合衆国大統領ユリスセス・ヱス・カラント、ヨリ日本
天皇陛下ヘ
信友
余秀逸ナル国民ノ内ヨリ、米利堅合衆国ミニストル・レシデント職トシテ天皇陛下政府ノ許ニ居住セシムルタメ、チヤルス・イヽテイ・ロングヲ撰挙シタリ、両国ニ関係スル益且ツ両国親睦及ヒ通信ヲ、弥厚フセンモノ、余ガ信意ヲ、彼レ能ク承知ス、余彼レノ忠信正直、且ツ行状正シキヲ知リ、彼レ両国ノ益及ヒ幸福ヲ存保シ、且ソレヲ増ス事ヲ常々勉励シ陛下ノ満足シ給ハンコト、余ニヲイテ実ニ疑ヒナシ、依テ陛下彼レニ懇ニ接待シ彼レ合衆国ニ代リテ、何事ニヨラス奏スル時且合衆国ノ親睦及ヒ陛下ノ幸福ヲ祈望スル事ニ付陛下ニ奏スル時ハ、別テ彼レヲ信シ給ハン事ヲ懇願ス陛下ノ安全ヲ天ノ守護アラン事ヲ、余天神ニ祈願ス
紀元千八百六十九年第四月廿八日、華盛噸府ニ於テ是ヲ認メタリ
陛下ノ信友
ユ・ヱスガラント
大統領ノ命ニ因テ
セケレタリー・ヲフ・ステート〈執政
ハシルトン・フヰス

米利堅合衆国大統領ユリスセス・ヱスカラント、ヨリ日本
天皇陛下ヘ
信友
ミストルアル・ビフアンフアルケンボルク是迄米利堅合衆国ミニストルレシデントノ職トシテ陛下ノ元へ送リ置シ処、今般帰国イタスニ付陛下ニ別レヲ告ル様、予彼ニ命セリ、フアンケンボルク氏ヘ主タル命令ハ、日本政府之益親睦ノ厚キヲ堅フセンガ為ニシテ幸ニ両国ノ間ニ連綿スル平和ノ交際ヲ、愈深カラシメントノ予ガ信意ヲ陛下ニ奏スル事彼ノ任タリシナリ、彼前条ノ命令ニ随ヒ、夫ヲ果セシ彼ノ処為ニ付陛下満足シ給ヒ、且陛下ニモ心良ク、彼今度ノ命令ヲ遂ケン事ヲ予イノル陛下ノ幸福且日本帝国ノ繁栄ヲ祈願ス
陛下ノ信友 ユ・ヱス・ガラント
大統領ノ命ニテ ハシルトンフヰス
於華盛噸国務官
千八百六十九年四月二十八日

米国公使ヘ勅答
日本天皇米利堅大統領ニ復ス、貴国公使アルヒーウハンウハルケンボルク久ク我国ニ在リ能ク其職ヲ奉シ、両国ノ交誼ヲ重ンジ、誠信懇篤、朕深ク之ヲ嘉ミス、今又新公使チヤルレスイデイロングヲシテ来テ其任ニ代ラシム其本国ニ代リテ告ル所ノ件々、朕固リ之ヲ信シ敢テ疑ヲ容レス、且貴書ヲ致ス、殊ニ其誠意ヲ領ス、益以両国之際、交誼弥深ク親眤永久ナラン事ヲ欲ス、今旧公使国ニ帰ル、因テ懇ロニ朕カ意ヲ伝ヘシメ、以テ大統領ノ健康安寧ヲ祝ス
明治二年己巳十月
奉勅右大臣従一位藤原朝臣実美

米国旧公使ヘ之勅語
今度貴国大統領新タニ、チヤルレス・イデイ・ロングヲ撰挙シテ、ミニストルレシテント之職トシ、来テ汝ニ代ラシム、汝我国ニ滞在シ懇信ノ日久シ、今ヤ国ニ帰ル朕甚タ之ヲ惜ム、海涛万里、其恙ナキヲ祈ル、汝国ニ就ク之日朕カ大統領ノ康寧ヲ祝スルノ意ヲ伝ヘヨ

米国新公使ヘ勅語
貴国大統領安全ナルヤ、今度汝ヲ撰挙シ、ミニストルレシテントノ職トシテ来ラシメ、大統領ノ手書ヲ伝フ、其懇切ノ厚意朕深ク喜悦セリ弥以テ両国ノ交際、親眤永久ナラン事ヲ欲ス
○九日〈丁未〉
【宣教使被接ノ事】
御布告写
宣教使、神祇官ヘ被接之事
【仙台藩北海道支配地ノ事】
御沙汰書写
仙台藩
千島国之内紗那郡
右其藩支配ニ被仰付候事
○ 各通 伊達英橘
伊達勝三郎
石狩国札幌郡、空知郡之内
但、地所之儀ハ、石狩府ニテ可及差図事右其方支配ニ被仰付候事
【稲津外四名ヘ下賜ノ事】

稲津集議権判事
集議院幹事 伊達五郎
同 有竹裕
議院御創立以来、格別精勤、神妙之事ニ候、依之別紙目録之通下賜候事〈絹一匹宛〉
○ 岡崎藩議員 坂口音度
議員之事務、老年之身ヲ以テ格別精勤、神妙之事ニ候、依之別紙目録之通下賜候事〈真綿一包末広〉
○ 集議院幹事 園田保
当春来、議院事務格別励精、神妙之事ニ候、依之別紙目録之通下賜候事絹一匹
○十三日〈辛亥〉
【柏崎、水原両県ヘ軍監差向ノ事】
各通 柏崎県
水原県
其県出張之兵隊為管轄、兵部省ヨリ軍監差向候条、以来兵隊進退等之儀ハ申談取計可致事
【安徳帝御陵御取調ノ事】
宗厳原藩知事
安徳帝御陵之儀、取調被仰付候間、右御陵ニ関係候事跡、委詳取調可申出事
○十四日〈壬子〉
【御医ノ事】
御沙汰書写
今般三典医之外、御医之輩三十歳以上者、医員被仰付、三十歳以下ハ医学修業被仰付総テ大学校附属被仰付候事
○十五日〈癸丑〉
【信州騒擾ノ巨魁取調ノ事】
各通 上田藩
小諸藩
其藩管轄信州地所、先頃土民蜂起、其後及鎮静候得共、其地方ハ従来沸騰之悪風不少趣、全下民疾苦之情実、貫徹不致ヨリ差起候儀ニモ可有之候得共、兎角姦民之煽動ヨリ、良民之大害ヲ引起候次第モ有之、不容易事ニ候、屹度巨魁之者取調、処置方刑部省ヘ可窺出事
○ 伊那県
同文〈其藩作其県〉
○十七日〈乙卯〉
【藩制改革取調ノ事】
御沙汰書写
待詔下院出仕之面々、藩制改革取調掛被仰付候事
【東京市中兇賊横行ノ事】
各通 兵部省
東京府
近来市中盗賊、夜ニ乗シ兵器ヲ以テ、却掠殺奪等之所業有之趣、殊ニ輦轂下ニ於テ、右様之儀有之候ハ、以之外之事ニ候、全府下取締不行届ヨリ差起リ候儀ニ有之候、猶東京府申合セ取締方一際厳重可致旨御沙汰候事
但、東京府ヘハ兵部省申合ニ作ル
○十八日〈丙辰〉
【当百銭御鋳造ノ事】
御達書写
今般新銅銭御鋳造ニ相成候得共、差向キ北海道開拓為融通、在来之当百銭御鋳造増相成候条、為心得相達候事

太政官日誌・明治2年108号

太政官日誌 明治二年 第百八号
明治己巳 自十一月廿五日 至晦日
東京城第七十一
○十一月廿五日〈壬辰〉
【新嘗祭ノ事】
此日新嘗祭ニ付、勅任官以上、酉ノ刻ヨリ参朝拝賀、酒肴ヲ賜フ
○廿七日〈甲午〉
【白石県、角田県ト改称ノ事】
御沙汰書写
白石県
今般其県庁、角田表ヘ相移シ、改テ角田県ト被称候、此旨為心得相達候事
○ 民部省
同上〈其ヲ白石ニ作ル〉
○廿八日〈乙未〉
仙台藩三好監物割腹始末届書写
三好監物儀、非命之死ヲ致候始末、委細取調可申上旨被仰渡、奉畏、左ニ申上候
右監物儀、父祖ヨリ数代ノ間、仕官不仕罷在候処、監物ニ至リ、小姓組ヨリ出身シ、累年勤労ヲ以テ、終ニ参政ニ被擢、後一旦退隠候処、一昨年徳川氏政権奉還之砌、伊達楽山儀陸奥守タル時、上京被仰付、監物再ビ参政トナリ、庶務総括仕リ、断然勤王之議論ヲ固執シ、闔藩之方嚮一定ノタメ、尽力仕居候内、昨年正月ニ至リ、禁内御警衛人数之内、先手一大隊ヲ引率シ、急速上京仕候様被申付則蒸気船ニテ西上仕候処、着岸前既ニ討会之勅命下リ、続テ奥羽鎮撫使御下向ニ付、引率之兵隊ヲ以、海上御警衛可仕旨ニ付、監物儀ハ右之次第報知之タメ、陸行兼程馳下リ候処是ヨリ前家老坂英力ナル者、従江戸帰藩王政復古之儀ハ、全朝廷ノ旨ニ無之由、虚誕之論喋々相唱候ニ付、素ヨリ僻遠離隔ノ地、固陋無識之藩士、翕然彼之説ヲ信シ、一唱百和、牢乎不可揺、討会之事、紛紜不決ニ立到候ヘトモ、独リ監物ハ弥勤王之大義ヲ唱ヘ百方説諭、其言頗ル過激ニ渉ルヨリ、讒毀四集致シ候ヘドモ、少シモ不届、遂ニ討会之議ヲ決シ、出兵之手配リ昼夜従事罷在、鎮撫使御下向奉待候処、三月中旬ニ至リ、総督府御三卿御着船相成、至急討会ノ出兵御督責ニ付益賊論沸騰シ、御三卿御陣営近傍ヘ、放火可致ノ勢ニ指逼候程之処、監物内外庶務多端之折柄、賊謀捍禦之事ニ於テ、最尽力仕候、然レトモ言聴カレス、謀用ヒラレス、竟ニ奸党ノ讒陥ニ遭ヒ、排斥セラレ候、其後国論益紊乱、賊魁容保謝罪、奥羽合従等之説起リ、尋テ総督府参謀世良修蔵殿ヲ暗殺ニ及候ニ至リ監物国事ノ頓ニ不可救ヲ計リ、他日ヲ待ニ不若ト決シ、賊徒ノ逆焔ヲ避ケ、采邑磐井郡東山黄海村ト申所ニ退キ、引籠罷在候内、外ヨリハ白川、磐城両道ノ官軍勇進、内ニハ反正帰順相唱候者、陸続輩出候ニ付、奸臣共甚監物ヲ畏憚シ、百方讒構、遂ニ寃罪ニ陥シ、八月ニ至リ奸臣中ヨリ、糾問之儀有之由ヲ以捕亡手差向候処、監物七月中ヨリ国事憂憤、病床ニ罷在候ニ付、道ニ上ル不能由ヲ以、一度辞之候得共、終ニ不免ヲ知リ、醍醐公御用人方ヘ、一書相認、其他藩中同志之輩ヘ寄書ヲ造リ、忰酉助、俊治、欣吾三人ヲ膝下ヘ召寄セ申候ハ、我八十ニ垂タル老母アリナカラ被逮捕ニ臨ミ、一時之生ヲ偸ミ、老母ニ繋獄之艱苦ヲ罹ケンヨリ、迚モ難遁一命ニ候得ハ老母ニ先立、大義ヲ全フスルニ不若、汝等我意ヲ可体由、反覆遺訓、夫々終焉之用意取急キ罷在候内、十四日ニ至リ、又々捕亡手差向縦令途中ニ斃レ候共、召連レ候様、監察ヨリノ令ニ候間、早早上途可仕由申来候、兼テ決心罷在候得者、挙止自若、母ニ対シ、児死シテ忠義之鬼トナリ、国賊ヲ剪滅シ、我君ヲシテ、再度青天白日ヲ仰カシメ度、心得ニ御座候間、親ニ先立不孝之罪ヲ、許シ賜リ度ト申候得ハ、老母無憂色、莞爾トシテ肯候ニ付、監物大ニ歓喜、母ト訣シ、又三人之忰共呼寄セ、我縦令就死共、魂魄不滅、此後三十日ニ不出、国論反正ニ可及、其折ハ我兼々教戒スル所ニ従事シ、尽力不可惰由、再三丁寧遺言シ、沐浴正服シテ、壁上ニ岳飛文天祥謝枋得之画像ヲ掛、焚香再拝、家臣小寺正兵衛ナル者ヲ召シ出シ、家事ヲ所分シ、遺物ヲ分与シ此上若又家族ヲ召捕候様申来候ハヽ、何モ潔ク自殺可致ト申置、酒ヲ呼訣飲、席上ニテ書画等ヲ相認、夜ニ入、家人ヲ退ケ、端座自刃気未タ絶セズ、瞋目回顧シ、絶命之詞数章ヲ朗吟シ、宛然絶息仕候、于時八月十五日、享年五十四、翌朝捕亡手死骸ヲ与ニシ、賊吏点検ノ後、親戚ニ引渡シ、殯事取行不苦由ニ付兼テ遺言スル所ニ随ヒ、陸中国磐井郡東山黄海村之内、松栢山皇徳寺ニ帰葬、爾後国論一変、九月十日ニ至リ、遠藤文七郎、後藤孫平等出テ職ニ就キ、闔藩一定ス、於是出格至仁恩典ヲ蒙リ候、監物就死ヨリ三十日、遺言果シテ不偶然ト被存候、監物儀、資質豪邁果断史書ニ渉リ、古今ニ通シ、胆略不乏、然レトモ共志操不羈ニシテ、人ノ下ニ屈スルヲ恥、議論他ニ譲ルヲ不肯、故ヲ以テ其賊徒之忌嫌ヲ来シ、終ニ不測之奇禍ニ罹リ、天命ヲ全不仕候同人姓ハ源、諱ハ清房、閑斎ト号候、此段申上候
三好監物事、死ニ臨ミ、仙台ニアル嫡子清篤ヘ遺シ候歌
国ノ為尽ス我身ノ真心ヲ継テ告ゲコセ雁ノ玉章
心アル人ニ見セバヤ老ヌレド猶色増ル赤キ心ヲ
二ツナキ理シラハ武士ノツカフル君ヲ何怨ムヘキ
涙羅ニモ湊川ニモ死ニカネテ心ニモ似ス消ル命ゾ
奥羽鎮撫使家来ヘノ遺書
一筆啓上仕候、乍恐御所様、益御機嫌能被遊御座、恐悦之至ト奉存候、次貴所様御安泰奉敬賀候、然者私儀モ、在所東山黄海村引籠罷在候処、弥勤王之志ヲ立候儀、奸賊共申立召捕之役人等罷越、頗残念之至、賊之手ニカヽリ候ヨリハト存■(一字摺り消し)腹〈編者曰、本文斯クアリ〉仕候、忰五郎次、酉助、俊治、欣吾四人男子共御座候所、五郎ハ左京大夫手前ニ勤仕罷在候処、外三人之内、何様ニカ仕、御所様ヘ奉歎願、平日私之所存相継候様申付候間、宜敷御取計被下度候、臨死コヽロイソガシク、略文略筆、御海恕被下度候、恐惶謹言
三好監物
八月九日
清房花押
奥田左衛門尉様
御同役中様
二白、七十有余老母有之、行末之所如何ト千万是者気ニカヽリ候間、若哉三人之内、罷出候ハヾ、御尋被下度、於泉下モ夫ノミ奉歎願候、以上
御沙汰書写
仙台藩士 故三好監物
兼テ勤王之大義ヲ固守シ、賊論沸騰中ニ特立シ、反正之策議ヲ尽シ候処、奸党ニ被制圧竟ニ及屠腹、殊ニ臨終之始末等、逐一達叡聞、其忠節深ク御悼惜被為在候、依之為祭資金、目録之通下賜候事
目録金二百両
○ 伊達仙台藩知事
其藩士故三好監物儀、別紙之通御沙汰ニ相成候条、於其藩モ、手厚ク祭祀ヲ営ミ、其忠節ヲ表旌候様可致事
賞賜御沙汰書
徳大寺大納言
中興以来奉職勉励、献替規画候段叡感被思食、依之御剣一口、下賜候事
○ 副島参議
奉職以来日夜励精、献替規画候段叡感被思食、依之御剣一口、下賜候事
○ 三条西侍従
積年国事ニ労シ、年老ヲ以テ勉励勤仕之段御満足被思食、依之御衣一領、下賜候事
各通 万里小路宮内卿
大隈民部大輔
寺島外務大輔
伊藤大蔵少輔
井上民部大亟
大木東京府大参事
青木東京府権大参事
昨年来奉職鞅掌、励精尽力候段御満足被思食候、依之為御太刀料、金三百両下賜候事
○ 各通 佐々木刑部大輔
福羽神祇少副
松田京都府大参事
野村長崎県知事
昨年来奉職勉励候段御満足被思食候、依之為御直垂料、金二百両下賜候事
○廿九日〈丙申〉
【兵部省出火ノ事】
此日第十二字、兵部省火アリ、百官天機ヲ伺フ
【三戸県、江刺県ヘ合併ノ事】
御沙汰書写
三戸県
今般其県被廃、江刺県ヘ合併被仰付候事
○ 江刺県
三戸県被廃、自今其県管轄被仰付候事
○ 民部省
今般三戸県被廃、江刺県ヘ合併被仰付候間為心得相達候事
【府県職員届出ノ事】

府県ニ於テ、判任以下職員申付、届差出候節姓実名等、巨細相添可差出事
○晦日〈丁酉〉
【御衣類調進ノ事】
御沙汰書写
宮内省
御衣類、従前山科家、高倉家調進之処、被止以来於其省取扱被仰付候事
○ 山科正二位
高倉久丸
御衣類、従前調進之処、自今於宮内省取扱被仰付候ニ付、被止候事
【服制ニ付御沙汰ノ事】

服制之儀、追々御取調被仰付、既ニ先般御下問ニモ相成候得共、猶追テ何分御沙汰有之候迄ハ、来春朝賀ヲ始、総テ是迄之通ニ候間、為心得此段相達候事

太政官日誌・明治2年111号

太政官日誌 明治二年 第百十一号
明治己巳 自十二月十三日 至十五日
東京城第七十四
○十二月十三日〈庚戍〉
【天童藩吉田大八屠腹ノ始末】
天童藩届書写
藩士吉田大八儀、昨夏中官軍御出張之砌、奮身尽力仕候処、為奸邪被陥入、屠腹ニ及候事蹟幷平常之志操等申上候様御達御座候ニ付左ニ奉申上候
右大八儀、昨辰正月、藩主信敏ニ随ヒ上京仕居候処、信敏忝クモ祖先勤王之遺志ヲ継キ奥羽鎮撫使先導可致旨、被仰付、感泣拝命先ツ大八ヲ名代トシ、速ニ東下申付候ニ付、日夜兼行帰国之上、東西ニ奔走シ皇威貫徹候様、身命ヲ不惜尽力仕居候処、荘内之襲撃ニテ、兼テ御届申上候通、城郭悉ク焦土ト相成候得共、尚鎮撫使及勤王諸藩之愛憐ヲ受ケ、漸回復ニ至リ候事、実ニ同人之苦心尽力ニ御座候、然ニ閏四月中、仙米之反覆ヨリ、奥羽之諸藩、大半其欺罔ヲ受ケ、奉抗衡王師候ヨリ、大八勤王之大義ヲ唱ヘ、奔走尽力仕候ヲ悪ミ、頻ニ探索、召捕ント致シ候ニ付、一先賊焔ヲ避ケ時ヲ待ント、種々苦慮仕候得共、四方皆賊ニテ潜伏之地ナク、間関中終ニ山形領沖ノ原ト申処ニテ、同藩之兵卒ニ被捕押、一旦米藩ニ送リ、其指揮ヲ以テ、再山形ニ囚セラレ、其後本藩ヘ引渡シ、揚リ屋入申付置候処、嫌疑尚難解、六月十八日、山形藩嶺岸勘解由、秋元鉄輔両人見届ケ、総代トシテ罷越、各藩決議之趣ヲ以テ、可処重刑旨申渡シ候ニ付、大八乃チ沐浴シテ、正服ヲ着シ、酒ヲ乞テ快飲シ、詩及俳句ヲ賦シ、且幼子ヘ遺誡ヲ作リ、後自ラ佩刀ヲ試ミ、従容トシテ自尽仕候、時ニ年三十七歳、同人儀、幼ヨリ国史ニ耽リ、平素綱紀之衰弛ヲ慨シ皇威更張之説ヲ唱ヘ、専ラ心ヲ鈴韜ニ潜メ、傍ラ剣槍之術ニ通シ、政事ニ参シテ旧弊ヲ除キ、文武ヲ興シ、且広ク天下之士ニ接シ、孜々トシテ国事ニ勤労致シ候儀ニ御座候、此段奉申上候、以上
十二月八日
天童藩公用人 高麗浩之進
弁官
御役所
吉田大八絶命詩幷俳句
衆口鑠金実信哉、郭為焦土屋為灰、男児宜識義不義、腰下宝刀帯冷来
我ノミハ涼シク聞ヤ蝉ノ声
御沙汰書写
天童藩士 吉田大八
兼テ勤王之大義ヲ抱キ賊党陸梁中ニ奔走シ反正帰順之説ヲ唱ヘ、奮励尽力候処、衆賊之為メニ制圧セラレ、終ニ屠腹ニ及ヒ候段達叡聞、深ク御悼惜被為在候、依之為祭資、別紙目録之通下賜候事目録金二百両
○織田天童藩知事
其藩士故吉田大八ヘ、別紙之通御沙汰相成候条、於其藩モ、厚祭祀ヲ営ミ、其忠節ヲ表旌シ候様可致事
【官用界紙定式ノ事】
御布告書写
官省、府藩県、其他諸局ニテ、諸達伺届、其余往復等、諸般官用ニ供シ候紙本、或ハ全紙ヲ用ヒ、或ハ半截ヲ用ヒ、各局ニテ取集置候節、大小長短各種斉整セス、依テハ綮要後証ニ充ヘキ事件モ、紛乱ニ至候儀モ有之、畢竟官用紙定式無之ニヨリ、右様不都合ヲ生シ候ニ付、此度官用界紙定式、左之通可相心得事
一、紙本ハ美濃紙、本半紙、其外右両種之尺度ニ合シ候紙ヲ可用事
一、界紙ハ別紙雛形之通ニテ、官省、府藩県及諸局之号ヲ署シ、印刷スヘキ事
右之通ニ候間、来午年二月ヨリ、定式界紙相用可申事〈雛形略之〉
○十四日〈辛亥〉
【兵卒罪状取裁キノ事】
御沙汰書写
刑部省
刑律之儀ハ、其省御委任勿論之事ニ候得共、新律御確定迄、兵卒罪状之儀ハ、於兵部省取計候様相達候、尤余人連累等有之、兵隊限ニ無之罪状ハ、其節之次第ニ寄リ、於其省可取計候事
【浅野家賞秩半高返納ノ事】
〇浅野広島藩知事
賞典ハ深重之叡旨ヲ以テ被仰出候事ニ付願之趣不被及御沙汰候段、先達テ御達相成候処、猶又再三懇願之旨趣、全至誠之所致、神妙之至被思食候、就テハ即今諸道不登、庶民凍餒之勢ニテ、救荒目下之御急務ニ候処御用途必至御差迫リ之折柄、旁以乍御不本意当年限リ賞秩半高返納被聞食、救荒ニ可被為充行旨被仰出候事
【京都ノ力士ヘ角力場被下ノ事】
〇京都府
戊辰之歳、賊徒掃攘之砌、京都在住之力士共諸道出張之段、奇特之至ニ付、角力場トシテ便地一ケ所永世下賜候間、於其府取計可致事
○十五日〈壬子〉
【仮神殿御鎮座並鎮魂祭ノ事】
御布告書写
来ル十七日於神祇官仮神殿御鎮座幷鎮魂祭被為行候事
右ニ付参向之官員左之通
仮神殿御鎮座〈午ノ刻ヨリ〉
一、太政官
右大臣 納言一人 参議一人 弁官一人
一、諸省
一、集議院
一、大学
奏任以上一人
但、諸官人参拝可為勝手事
一、弾正台出席ノ事

鎮魂祭〈酉ノ刻ヨリ〉
一、太政官 参議一人 弁官一人
一、諸省
一、集議院
一、大学
奏任官以上一人宛
但、諸官人参拝可為勝手事
右之通相達候事
【東京常備兵ノ事】
御沙汰書写
山口藩
今般其藩常備兵之内千五百人、東京常備兵被仰付候処、於兵部省、当時兵制御取調中ニ付追テ御達相成候迄、其藩ニ可差置事
但シ、於其藩是迄之規則、費用等、巨細以書面、早々可申出事
○ 兵部省
大蔵省
別紙之通御達ニ相成候間、相達候事
【官員四時襪着用ノ事】
自今官服之節、襪、四時共着用可致候事
但、襪代足袋相用候儀不苦幷ニ平常足袋之儀、用不用可為勝手事

太政官日誌・明治2年112号

太政官日誌 明治二年 第百十二号
明治己巳 自十二月十五日 至廿日
東京城第七十五
○十二月十五日〈壬子〉
【賞賜ノ事】
御沙汰書写
山口藩 奥平謙輔
勝間田百太郎
福井藩 市村勘右衛門
村田巳三郎
岡部造酒之介
高鍋藩 阪田潔
右金三百両宛
山口藩 井上小太郎
鹿児島藩 新納四郎右衛門
右金二百五十両宛
山口藩 白尾行八郎
長田次郎右衛門
鹿児島藩 䒾田耕之丞
吉田清蔵
市束太郎左衛門
前田伊右衛門
与板藩 飯塚貢
山口藩 瀬原泰蔵
厚東次郎介
吉本藤太
右金百五十両宛
戊辰之年、賊徒掃攘之砌、軍事勉励之段、神妙之至被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事

山口藩 岡半三郎
鹿児島藩 田尾善左衛門
吉原彦左衛門
松井十郎
右金百両宛
同上〈神妙之至被思食ノ七字、奇特之至候ニ作ル〉

犬山藩 松田将造
戊辰之年賊徒掃攘之砌、軍務勉励之段神妙之至被思食、仍為其賞終身五人扶持下賜候事

白川県支配所 磐城国白川郡白坂駅 太平八郎
其身一代、苗字帯刀差免、五人扶持被下候事
同県支配所 同国同郡白川駅 芳賀源左衛門
其身一代、苗字帯刀差免、四人扶持被下候事
福島県支配所 伊達郡石莚村 次郎七
其身一代、四人扶持被下、諸役免除申付、最寄県支配所ヘ移住勝手之事
同所 久之助
死去ニ付、妻子ヘ一代三人扶持被下、諸役免除申付、最寄県支配所ヘ移住勝手之事
水原県支配所 越後国蒲原郡葛塚村 遠藤七郎
其身一代、苗字帯刀差免、五人扶持被下候事
新発田支配所 越後国蒲原郡安田 松田秀次郎
其身一代、苗字帯刀差免、五人扶持被下候事
柏崎県支配所 越後国魚沼郡柏崎 星野藤兵衛
其身一代、三人扶持被下候事
水原県支配所元下大夫溝口某知行所 越後国蒲原郡大野村 小林政司
其身一代、苗字帯刀差免、三人扶持被下候事
新発田藩支配所 越後国俵柳村 小林六兵衛
其身一代、苗字帯刀差免、三人扶持被下候事
白河県支配所 磐城国白川郡白川 佐太郎
金百両被下候事
同県支配所同 甚八郎
金八拾両被下候事
同県支配所 同国同郡白坂駅 順之助
金四拾両被下候事
同県支配所同 新左衛門
金五拾両被下候事
同県支配所 同国同郡白川駅 多三郎
金三拾両被下候事
福島県支配所 伊達郡石莚村 平十郎
金五拾両被下候事
○ 民部省
別紙名前之者共、昨戊辰之年、賊徒掃攘之砌尽力不少段相聞、奇特之至ニ付、表目之通御賞賜被下候間、於其省取計可致候事

第一大隊 撒兵隊
金千両
同三番中隊 左小隊
己巳之年、流賊追討之命ヲ奉シ、蝦地ニ渉リ各所戍衛精勤之段、神妙被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
○ 兵部省
別紙之通被仰出候条、夫々可分与事
○十七日〈甲寅〉
【大学、南校、東校ノ事】
御沙汰書写
大学校
自今大学校ヲ大学ト改称、開成所ヲ大学南校医学校ヲ大学東校ト可称事
【兵卒罪状取裁ノ事】
兵部省
刑律御改正ニ付、当分之処、兵卒罪状之儀ハ於其省取計可申事
但、余人ニ連累等有之節ハ、其次第ニヨリ於刑部省取計候事
○十八日〈乙卯〉
【各国公使応接立合ノ事】
御沙汰書写
弾正台
各国公使、重大之事件応接之節、為立合出席可致事
【小学教育施行ノ事】
東京府
今般大学句読所、被止候ニ付テハ、其府ニ於テ小学教育之道、施行可致候事
但、従来之句読所、其侭引移之儀ハ、大学商議之上、取扱可申事
○廿日〈丁巳〉
【孝明天皇御祭典ノ事】
御布告写
来ル廿五日於神祇官孝明天皇御祭典被為行候ニ付、諸官省、集議院、大学、弾正台、皇后宮職、諸使、東京府等、勅任、奏任之内一人、巳ノ刻ヨリ参宮可及事

来ル廿五日於神祇官孝明天皇御祭典被為行候ニ付、諸官員参拝、可為勝手事
但、拝参刻限之儀、奏任以上ハ辰ノ刻ヨリ午ノ刻迄、判任以下ハ午ノ刻ヨリ申ノ刻迄ノ事
【義公、烈公ヘ贈従一位宣下ノ事】
御沙汰書写
徳川従四位昭武
其先贈従二位中納言光圀、兵革始息、文教未明之時ニ方リ、首ニ尊王之大義ヲ唱ヘ、君臣ノ名分ヲ正シ、殊ニ心ヲ修史ニ尽シ、以テ千古之廃典ヲ興ス、其功績深ク御追感被為遊、依之贈従一位宣下候事
○徳川従四位昭武
祖父従二位大納言斉昭、祖先光圀之遺旨ヲ継キ、専ラ心ヲ皇室ニ存シ、内ハ綱紀之衰頽ヲ憂ヒ、外ハ辺備之怠弛ヲ患ヒ、自ラ奮テ国家ヲ維持セントス、其忠志深ク御追感被為遊、依之贈従一位宣下候事
宣下状写
天皇
御璽
贈従二位源朝臣光圀
贈従一位
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
天皇
明治
御璽
二年己巳十二月廿日

天皇
御璽
贈従二位源朝臣斉昭
贈従一位
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
天皇
明治
御璽
二年己巳十二月廿日
【蒲生君平、高山彦九郎御追賞ノ事】
御沙汰書写
蒲生君平
草莽一介之身ヲ以テ、綱紀之衰弛ヲ慨シ、名分之紊壊ヲ憤ス、然レ共時之不可ナル、力ヲ著述ニ専ラニシ、以テ朝廷ヲ尊崇シ、世教ヲ補裨ス、其風ヲ聞テ興起スル者不少、其気節深ク御追賞被為在、依之里門ニ旌表シ、子孫ヘ三人扶持下賜候事
○高山彦九郎
草莽一介之身ヲ以テ、勤王之大義ヲ唱ヘ、天下ヲ跋渉シ、有志之徒ヲ鼓舞ス、世之罔極ニ遭ヒ、終ニ自刃シテ死ス、其風ヲ聞テ興起スル者不少、其気節深ク御追賞被為在、依之里門ニ旌表シ、子孫ヘ三人扶持下賜候事
○宇都宮藩
別紙之通、故蒲生君平ヘ御追賞被仰出候条、於其藩旌表扶持等、取計可申事
○岩鼻県
同文〈蒲生君平ヲ高山彦九郎ニ作リ、藩ヲ県ニ作ル〉
【松平甲次郎献金ノ事】
松平甲次郎
戊辰之歳、賊徒掃攘之砌、献金致候段、神妙之至被思食候旨御沙汰候事
【永平寺、総持寺席順ノ事】
〇永平寺
昨夏御沙汰之筋有之候処、今般御取糾之上其寺総持寺共、本山如故、各其末寺取締違乱無之様可致旨、更ニ被仰出候事
但、永平寺ハ道元開基之祖山タルヲ以テ、席順総持寺之上タルベク、尤両寺之末派互ニ転任、向後差止候事
○総持寺
同上〈其寺ヲ永平寺ニ作ル〉
但、永平寺ハ、道元開基之祖山タルヲ以テ席順総持寺之上タルベク、且其寺従来輪番持之処、向後碩学智識之者ヲ挙ケ、住持タラシムベク候、尤両寺之末派互ニ転任、自今差止候事
〇松平福井知藩事
別紙之通、永平寺ヘ御沙汰相成候間、為心得相達候事
○前田金沢藩知事
別紙之通総持寺ヘ以下同上
【京都兵部省廃止ノ事】
〇兵部省
今般京都兵部省被廃候事
但、京都戍兵管轄之者、取調可申出候事
【佐賀藩卒江藤中弁ヲ要撃ノ事】
昨夜佐賀藩卒六人、江藤中弁ヲ塗ニ要撃セントス、中弁之ヲ拒キ、傷ヲ被ル、依テ左之通御沙汰有之
江藤中弁
其方儀不慮之難ニ遇候段達叡聞、為養生料金百五十両下賜候事
追録
【信長ヘ健織田社ノ神号宣下ノ事】
○十一月十七日
贈従一位太政大臣平信長ヘ、健織田社之神号宣下有之