明治元年120号

太政官日誌第百二十
明治紀元戊辰冬十月

【法華宗ヘ御沙汰ノ事】
十月十八日御沙汰書写
法華宗京都十六本寺
頂妙寺 立本寺
本隆寺 妙蓮寺
本法寺 妙顕寺
妙覚寺 本満寺
本禅寺 妙伝寺
寂光寺 妙泉寺
要法寺 妙満寺
本能寺 本国寺
王政御復古、更始維新之折柄、神仏混淆之儀御廃止被仰出候処、於其宗ハ、従来三十番神ト称シ皇祖太神ヲ奉始、其他之神祇ヲ配祠シ、且曼陀羅ト唱エ候内エ天照皇太神、八幡太神等之御神号ヲ書加エ、剰死体ニ相着セ候経帷子等ニモ、神号ヲ相認候事、実ニ不謂次第ニ付、向後御禁止被仰出候間、総テ神祗之称号、決而相混不申様、屹度相心得、宗派末々迄、不洩様可相達旨御沙汰候事
但、是迄祭来候神像等、於其宗派設候分ハ速ニ可致焼却候、若又由緒有之、往古ヨリ在来之分ヲ相祭候類ハ、夫々取調ヘ、神祗官エ可伺出候事
十月 行政官
無本寺 洛東岡崎村 満願寺
諸国本寺之分
遠州見附駅 玄妙寺 駿州富士山大宮 久遠寺
同 上野 大石寺 同 上野 妙蓮寺
同 北野 本門寺 同 岡宮 光長寺
同 国岩本 実宗寺 同沓之谷郷之内貞松 蓮永寺
甲州身延山小室 久遠寺 同 妙法寺
同 大野 本遠寺 同 休息山 立正寺
豆州玉沢 妙法華寺 同 伊東 仏現寺
相州片瀬竜之口 竜口寺 同鎌倉日企谷 妙本寺
武州池上 本門寺 同 真間 弘法寺
同 平賀 本土寺 同 新造 妙顕寺
房州小湊 誕生寺 同 東条小松原 鏡忍寺
上総興津 妙覚寺 同 藻原 妙光寺
同 小四檀林 正法寺 同 鷲巣 鷲山寺
下総中村檀林 日本寺 同 中山 法華経寺
常州水戸 久昌寺 奥州会津若松 妙法寺
能登滝谷 妙成寺 越後村田 妙法寺
同 蒲原郡 本成寺 佐渡阿仏 妙宣寺
同 塚原 根本寺 泉州堺 妙国寺
紀州若山 報恩寺 同 養珠寺
摂州尼崎 本興寺 芸州広島 国前寺
肥前松尾山 勝光寺
右同文 各通

【奥州藤原口ノ戦】
同日今治藩届書写
八月廿二日、白川口御総督府ヨリ、惣軍諸道ヲ取リ、会城エ討入之御達有之候ニ付、兼而申上候通、日光警守之人数分隊、同月廿九日藤原口進軍仕、九月二日大地村エ着陣仕、翌三日栃原辺戦争之趣ニ付、中津藩申合、為応援相進候途中、軍監之命ニ依テ引返シ、大地村火玉峠ニ守衛罷在候、翌四日関山ノ賊進撃候様、軍監ヨリ申来リ、中津藩ト協力、鬨ヲ作リ攻撃ス、朝五時ヨリ夕七時比迄及奮戦、賊兵終ニ関山宿ヘ火ヲ放チ、敗走仕候ニ付、尾撃シテ本郷村ニ至リ宿陣仕候、同五日払暁藤原口進軍ノ各藩申合、斥候隊差出、本郷村ヨリ七八町隔リ候大川向マテ、暁霧ニ乗シ相進候処、真向ノ林中ニ屯集ノ賊ト及砲戦、暫時ニシテ賊徒敗走仕候、折柄本軍川上ヲ渡リ四時頃若松城下材木町ノ西裏手ヘ相廻候得共近辺賊屯集ノ模様モ無之ニ付、兵糧ヲ遣ヒ罷在候処、東ノ方林中ヨリ、賊兵急襲ニ付及戦争、八時頃賊左右エ分隊、三方ヨリ打掛リ、甚及苦戦候中、黄昏ニモ相成リ、諸藩一同、若松城下七日町ヘ引揚申候、同夜同所ニ宿陣ス、同六日飯寺村エ移陣、同八日朝五時頃、朝霧ヲ冒シ、賊四五十人許見張番所エ襲来、館林藩ト申合、烈敷及戦争候処、直ニ賊潰走仕候、同十四日薩州四番大砲隊、中津、館林弊藩会城打入之談合ニテ、城ヨリ東、観音堂前ヨリ相進、杉ノ森ト唱フ処ニ宿陣仕候、其他探リ打ニ均キ発砲、且見張所等相構候儀モ有之候得共、別段御届申上候程ノ儀ニモ無之候間、書略仕候、同十八日今市出張鍋島監物殿ヨリ書状到来、田島辺賊多人数屯集ノ趣、就而ハ日光表守備甚手薄ニ付引返シ、全軍ニテ守衛仕候様トノ儀ニ付、早速軍監エ申達候処、最早落城同様ノ事ニモ候得者、日光表エ合兵警守可仕旨、御達ニ付、翌廿日ヨリ発足仕候、手負、分捕左之通
手負
銃士 中西弥三郎 物頭朝山清四郎足軽組 野田鍵之助
石川郡太郎
分捕
手銃 一挺 胴卵 三ツ
大小 二腰 鉢金 一ツ
番具足胴 一ツ 槍 一本
舶来板銀 十七枚 米 三石
右之通御座候、以上
十月
久松壱岐守家来 戸塚求馬
右之趣、鎮将府エ御届仕候段申越候付、御届申上候、以上
十月十八日
久松壱岐守家来 池上邦五郎

【越後陣ケ峰附近ノ戦】
同日小野藩届書写
弊藩兵隊、兵部卿宮様ニ随従、六月廿二日出京、七月廿日、柏崎御本営エ着陣仕候処、下参謀楠田十右衛門殿、松尾但馬殿ヲ以、関原エ出張候様被命候付、即夜出陣、翌廿二日卯下刻頃、関原エ着陣、西園寺様御本営エ、進退相伺候処、吉井幸助殿ヲ以、与板口エ出張御差図付、翌廿三日関原出陣、同日巳ノ下刻頃与板エ着陣 御中軍会議所エ為御届罷出候処、長藩杉山荘一郎殿ヨリ、即今憩兵地理点検可致旨、依差図而午刻後所々巡邏致シ候処賊徒向山数ケ所ニ砲台ヲ築キ屯集 官軍モ胸壁ヲ構エ対陣、距離凡四五町計ニ相見申候、同廿五日、会議所ヨリ御呼出ニ付、罷出候処杉山荘一郎殿ヨリ、即剋陣ケ峰エ出張ノ儀被命、尤松代藩申合候様トノ儀ニ付、同日未刻頃、弊藩人数繰出シ、松代並飯山隊併合ニ而同所胸壁ニ拠リ対陣、日夜厳重守衛罷在候内八月朔日暁寅剋頃、兼而御布令ノ依合図而弊藩分隊及砲戦候処、賊ヨリモ是ニ応シ、頻ニ発砲付、尚亦弊藩分隊、胸壁ノ側ニ散布奮発及砲戦申候、同日朝辰剋頃ニ至リ、賊陣所々自焼、遁去ノ体ニ相見エ、山壑一時ニ黒煙覆天候付、追々各藩一斉及進撃、賊巣ヲ屠リ、残焼ノ小屋放火致シ、所々探索候得共、賊徒一人モ相見不申候付、陣ケ峰エ揚取、猶厳重相守候所、同二日斥候ノ者残シ置、兵隊一ト先引揚候様、会議所ヨリ御達付、同所引揚、同五日三条エ繰出シ被 仰付、同六日到着後、西園寺様御守衛並同所市中巡邏等被 仰付、且又荒町村見張相務居候処、去ル六日出雲崎出張御達ノ旨、同九日承知仕候付、同十一日出雲崎出張已後、市中巡邏並見張等相勤罷在候、右砲戦ノ砌銃創
薄手 田鹿藤左衛門
其外傷兵等無御座候段、御総督御本営エ御届申上候旨、惣括原田又兵衛ヨリ、九月十七日附ヲ以申越候ニ付、此段御届申上候様、在所表対馬守ヨリ申付越候、以上
十月十八日
一柳対馬守家来 福島漠

【会城攻撃薩藩ノ死傷】
同月廿日薩藩届書写
去月廿二日、会津容保自身、歎願書差出、謝罪降伏相成候ニ付、右歎願書写相添、去ル四日須磨敬二郎ヲ以、軍務御役所迄御届申上候次第御座候、右ニ付於諸所、弊藩死傷別紙之通御座候間、此段御届申上候、猶委細之儀申越候者、其節御届可申上候、以上
十月
薩摩少将家来 新納嘉藤二

会津並於諸所進撃ニ付戦死
伊佐敷金之進
右八月廿日、二本松領之内、山ノ井ニ於テ戦死ス
足軽 木原藤一郎 夫卒 岩右衛門
右八月廿一日、会津領ポナイ峠ニ於テ戦死ス
田中小太郎 上原正八郎
藤井才之助 川上彦八郎
苗田勇吉 中島岩次郎
米良仲之亟 猪俣壮七郎
奈良原弥六左衛門 萩原強之進
松崎壮八 丸田喜右衛門
夫卒 小左衛門 富次 藤右衛門
勝三郎 林太郎 藤助
藤左衛門 伝蔵 喜之助
藤四郎 半左衛門 山下助右衛門下人 栄蔵
玉ノ井村道案内 木場孝之助
右八月廿三日、会城攻撃之節戦死
疣岡八郎 福富嘉右衛門
右八月廿四日、同断
加藤郷兵衛 西田藤助
右八月廿六日、同断
山内次郎 足軽 加藤次左衛門
右八月廿三日、会城攻撃之節手負、九月三日死
竹内正介
右八月廿三日、同断之節手負、三春病院ニ於テ死
川崎休右衛門
右八月廿三日、同断之節手負、同所ニ於テ九月十四日死
山口彦八
右八月廿六日、同断之節手負、於同所九月六日死
山本中助
右八月廿六日、同断之節手負、於同所九月五日死
諏訪次郎右衛門
右八月廿七日、同断之節手負、於同所九月五日死
川上四郎次
右八月廿八日、同断之節手負、於同所九月五日死
藤崎勇蔵
右八月廿九日、同断之節戦死
夫卒 松蔵
右九月九日夜、天寧寺町口ニ於テ戦死
米良清之助
右九月十四日、川原町口ニ於テ戦死
会津並諸所ニ於テ進撃之節手負
吉井七之亟
右八月廿一日、二本松領之内、山ノ井ニ於テ手負
平田九十郎 川上嘉次郎
右八月廿一日、会津領ボナイ峠ニ於テ手負
佐々木清蔵
右八月廿一日、二本松領玉ノ井村ニ於テ手負
種子島宗之丞 百幸衛下人 仲助
堀八太郎下人 喜助
右八月廿二日、会津領ボナイ峠ニ於テ手負
藤崎清之丞 夫卒 源八
右八月廿二日、会津領於猪苗代手負
大脇源左衛門 益山次左衛門
武郷兵衛 梁瀬源次郎
村田源助 筒井清五郎
毛利権之丞 左近允新六
川崎仲之亟 蒲生彦四郎
榎本源次郎 市来宗次郎
山田直四郎 小出健斎
若松喜介 自浜助之進
奥清輔 松方長作
飯牟礼休左衛門 梅北八郎左衛門
淵辺彦二 汾陽直次郎
肥後平八 梅北伊八郎
竹内惣七 大山弥助
新納荘右衛門 木藤吉左衛門
土師孫市 大山十郎次
浅田政次郎 川上源七郎
有馬七左衛門 種子島宇左衛門
畠山源七 和田乗太郎
廻新次郎 山口直右衛門
福島良介 讃良竹五郎
市成彦右衛門 西佐一郎
松元彦四郎 酒匂軍助僕 金助
夫卒 民助 仁助
清次郎 喜助
長蔵 仲蔵
右八月廿三日、会城攻撃之節手負
古河源助
右八月廿三日、玉ノ井ニ於テ手負
村山源左衛門 夫卒 甚吉
右八月廿四日、手負
夫卒 松太郎
右八月廿五日、手負
東郷巳之助 桐野藤五郎
右八月廿六日、手負
郡山甚後左衛門 山形竜次郎
右八月廿六日、会城攻撃之節、於建福寺門前手負
加治木彦太郎
右八月廿八日、手負
竹山藤右衛門 夫卒 小次郎
右八月廿九日、手負
柏原吉左衛門 石原七郎太
右九月八日、飯寺ニ於テ手負
夫卒 伊助 勘太郎
右九月十一日、手負
谷村孫七
右九月十二日、会津攻撃之節、於六日町口手負
二階堂彦太郎
右九月十四日、手負
向井納四郎 肥田軍右衛門
豊丸与藤次 曽木彦次
右九月十四日、会城攻撃之節、於河原町口手負
川南東右衛門
右九月十五日、青木村ニ於テ手負
松田健四郎
右九月十七日、手負
夫卒 市之亟
右九月廿日、手負
以上 巻尾