明治元年82号

太政官日誌第八十二
明治紀元戊辰年秋九月

【御東幸供奉、御道筋御警衛ソノ他ノ事】
九月十日御沙汰書写十二通

久松隠岐守
其方重臣御東幸供奉被仰付候事

平野内蔵助
御東幸供奉被仰付置候処、別段之御用筋被為在候ニ付、供奉被免候事

津中将
桑名取締之儀、兼而其藩ヘ被仰付置候処、今度御東幸御道筋ニ付而ハ、御通行之節人数相増、一際厳重ニ警衛可致旨御沙汰候事
但尾張三位中将ヘモ、同様被仰付候間、申合取計可致事

【一万俵御下賜ノ事】
尾張三位中将
右同文

尾張三位中将
松平万之助家来之者共、此節必至困窮之趣、相聞候ニ付、現地之物成ヲ以、一万俵下賜候間、夫々分配可差遣旨御沙汰候事

小松玄蕃頭
御東幸御用ニ付、東京先着被仰付候事

山本静逸
御東幸御用掛被仰付、弁事ヘ出仕被仰付候事

久世前宰相中将
権弁事被仰付候事
【知事、判事、権判事異動】

川合左五郎
徴士笠松県判事、被仰付候事

池辺三郎
越後府権判事被免、会計官ヘ出仕被仰付候事

白浜勘兵衛
徴士日向県判事被仰付候事

久我維麻呂
柏崎県知事被仰付候事
九月

【奥州原竃、今泉ノ戦】
同日肥後藩届書写三通
奥州表ヘ出張仕候、当藩兵隊之内、先月十一日、於同州原竃砲戦、死傷モ不少趣、先御届申上置候処、右者相馬藩一小隊嚮導ニテ後陣因州勢参着、江ヲ隔、大小砲連発、敵ヨリモ応砲、時機ヲ量、四小隊追々ニ江ヲ渡リ因州勢モ続而押渡リ、進撃仕候処、敵諸口ヨリ応援重ル趣ニ相見ヘ、厳敷致防禦、且江ヲ隔候而、弾薬運送等不自由ニ付、頗及苦戦、殊地理不案内、敵者数多胸壁ニ拠リ発砲、徒ニ人数ヲ損候付.一卜先江後ニ繰揚挑合候内、各藩ノ攻口モ既戦争相始、是又苦戦、敵終ニ相破、所々火ノ手揚リ、敵之砲声次第ニ減候間、因州勢倶ニ不透、猶二小隊江ヲ渡リ、致進撃候処、早落去候付、今泉ヘ野陣ヲ張、相押申候、敵之死亡所々ヘ埋置候跡有之候得共、多少不相分由、尤当藩戦死、手負等、左ノ通御座候段、出先ノ者ヨリ申越候
戦死
<深手其夜陣営ニテ死> 物頭格分隊司令士 森山章之丞 斥候 園部新左衛門
重士隊 建山四郎助 横田治部右衛門隊 松江光之助
<深手追而陣営ニテ死>船津呈四郎 同上 野口一太
中村佐助隊 渡辺長太郎 米田虎之助家来銃隊 江藤熊太
丸野源之允 猿山岩太
丸野鉄次郎 大河原次郎九郎家来 岩下喜一郎
手負
物頭小隊司令士 境野素兵衛 物頭格嚮導 松本伝十郎
重士隊 松浦治右衛門 上野繋十郎
田中平次 建山三郎彦
横田治部右衛門隊 吉見寿七郎 高野修五郎
小島勝太郎 佐村嘉伝
柿山浅右衛門 大賀八之允
早瀬源七 伊藤安兵衛
山田又蔵 野口勝助
中村佐助隊 相賀弾助 中野忠兵衛
手島甚左衛門 柳井金太郎
緒方作馬 井原古久兵衛
菅辰三郎 伊藤健之助
原田繋助 馬場権兵衛
布田彦九郎 太鼓役 秋山恒助
足軽弾薬宰領 藤井民蔵 米田虎之助家来銃隊 中井藤作
岸原太之助 江藤助十郎
大河原次郎九郎家来 矢野久左衛門 矢野善次郎
下部 甚五郎 伊良子軍十郎家来 南柴左衛門
死亡 町夫 嘉右衛門 同上 庄吉
右之段御届申上候、尤於東京御総督府ヘモ、右之趣御届仕候由ニ御座候、以上
九月十日
細川越中守内
内山又助
奥州表ヘ出張仕候、当藩持場、同州今泉ヘ先月十六日敵兵寄来候間人数繰出、発砲防禦段々進撃仕候処、敵兵敗走跡ヲ詰、討取モ有之、当藩銃隊日吉孫四郎手負候由、出先ノ者ヨリ申越候、此段御届申上候、尤於東京御総督府ヘモ、右之趣御届仕候由ニ御座候、以上
九月十日
細州越中守内
内山又助

【奥州駒ケ峰ノ戦】
先月廿日朝、奥州表諸口持場々々ヘ、敵襲来之処、当藩持場ヘ者不寄来候間、河田和気之助一小隊、菅谷口ヘ押出、中村藩持場砲戦最中ニ付、山間ヨリ相進ミ、第八字ヨリ二字迄砲戦、終ニ打退候内、御使番衆ヨリ駒ケ峰ノ敵勢壮ニ付、致応援候様差図有之、直ニ高田村、菅谷村、コブカタ山、駒ケ峰ト進軍之処、敵退散ニ付、新地迄押詰申候
中村左助一小隊、同時ヨリ大坪村、上椎木村為応援押出候処、駒ケ峰ノ敵猛勢ニ付、致援兵候様、御使番衆ヨリ差図有之、直様相進候処、長州藩ヨリ敵コブカタ山ノ要所ニ拠リ居是ヲ不追落候而者、駒ケ峰殊ノ外危キ段、報知有之内、芸州手ヨリ相善ケ原危急之段、告来候付、長州藩ヘ者其趣ヲ以相断、直様進軍十二字横ヲ撃候処、敵双方ヲ防兼、二字終ニ致敗走候間、新地迄尾撃、敵勢数多ヲ倒シ惣勢一同軍ヲ揚申候
大河原次郎九郎重士隊半隊、中村藩ト致合兵及砲戦、敵構置候胸壁一ケ所乗取申候
右之節、討取相知候分.左之通、尤当藩死傷無御座候段、出先ノ者ヨリ申越候

<敵一人ヲ打倒首ヲ取> 山内嘉左衛門 <同上広瀬量ト記有之> 嘉左衛門隊 高田五次兵衛
<同上同太田忠蔵ト記有之> 同 牧野末彦 <敵二人打留姓名不相分> 同 中西嘉三郎
同上 同 伊藤四郎
下輩ノ者手負居候ヲ、右五次兵衛以下四人ニテ、生捕申候
右之段御届申上候、尤於東京御総督府ヘモ右之趣御届仕候由ニ御座候、以上
九月十日
細川越中守内
内山又助

【奥州二本松ノ戦】
彦根藩届書写四通追録
八月廿四日付奥州二本松ヨリ報知抄略
八月十七日辰刻、二本松ヘ賊進来ノ報アリ、忍斥候ヲ出ス、賊者二本柳駅内東ノ方、仏寺ノ前ニ群集ス、斥候何ノ藩ヤト問ヘハ、仙台ト答フ、斥候直ニ引還ス、賊之ヲ悟テ頻ニ発砲ス、兼而八軒ヨリ先五町計リニ胸壁ヲ築キ、一番隊貫名徳二郎出張、本道ヨリ右ノ方五丁計リ谷地山ヘ田中与左衝門隊出張、左ノ方観音山ヘ堀部弥次郎隊出張、埋伏ス、斥候隊ヲ以本道油井村辺ヨリ発砲ス、暫シテ欺テ敗走ノ如クス、賊モ亦進来ス、巳刻頃ニ至リ互ニ戦ハス、時ニ土州兵隊二三小隊来テ、賊来ラスハ吾ヨリ当ント云テ、本道ヨリ右ノ山手ハ吾藩ニテ進撃セン、土州ハ左ノ山ヨリ進撃セント決議シ、三方ヨリ攻メントス、油井村ノ兵第一ニ戦フ、賊之ヲ専ラニ防ク、此隙ニ乗シ左右ノ山ヨリ急ニ突入ス、賊狼狽防ク能ハス忽敗走ス、猶之ヲ逐テ一里半許リ、八丁目宿ニ至テ止ム、此戦賊ヲ斃ス数十、吾藩ニテ明ナルハ三宅米太郎賊首一級ヲ得ル、其余大砲三門弾薬三包ヲ分取ス、賊人数凡千五六百ト云、未刻総軍凱還スト、右之通御座候以上
九月
彦根藩

【若松落城近シ】
去ル十五日白川湯本口警衛之兵隊、福島口ヘ転陣ノ令アリ、同十七日白川出立、十九日二本松ヘ着陣、以前分隊之兵二本松ノ守ト合併ノ令アリ、備前、忍、柳川藩等ト同陣也、不遠福島ヘ進撃相成ヘク、賊ハ仙台六百、棚倉五小隊、米沢一小隊許リ籠リ居候由、尤先鋒会津ヘ進撃ノ時ハ、賊必後口ヲ襲フヘキ地ニ付、上杉、仙台ノ押ヘ也、去ル廿日薩、長、土、垣、大村五藩、二本松本宮等ヨリ会津ヘ進撃、ボナリ、中山両路ヨリ進ム、ボナリ道ノ官軍、其日未刻ヨリ申刻迄戦闘勝利、其夜玉井ニ屯シ翌二十一日ボナリ前一、二、三ト台場有テ、極テ嶮岨、要害ノ地ニテ、賊頗ル防戦スレトモ、終ニ奮進三所並清水ト云台場迄モ抜キ、其夜ボナリニ屯シ廿二日モ追々進撃、猪苗代迄者容易ニ進入ノ由、猪苗代ヨリ一里前迄、差出シ置シ探索人報知ス、其帰ル頃ニ猪苗代方ニ火焔飛揚ス、定而賊寨ノ焼ルナルヘシ、二本松ヨリ猪苗代マテ十里半、猪苗代ヨリ若松マテ五里也、要地者悉ク抜レタレハ、忽ニ落城ニ及フヘシ、官軍実ニ勇戦也
九月
彦根藩
報知中別紙
唯今探索之者、猪苗代ヨリ昨朝立帰着、一昨廿二日猪苗代乗取、夫ヨリ先二里計リ進軍相成、猪苗代ハ防戦ノ要所、大河等モ有之処、何之備モ無之、最初ボナリノ戦引取候ヨリ悉ク逃去、城下ヘ引取、昨朝出立途中ニテ後口ニ火ノ手上ル、若松落城ニ可有之ト其地ノ者申居候由
八月
彦根藩

【上杉ノ重役軍監出降ノ事】
八月廿六日立二本松ヨリ報知之抄略
八月廿日、薩、長、土、垣、大村之五藩、会津ヘ進撃相成、廿日、廿一日、廿二日ト段々勝利ニテ、廿二日ニハ猪苗代ヲ越テ二里計リ進ミ、最早若松城ヲ去コト一里半許リノ所ニテ、進撃ニ相成候ヲ探索小堀勝之進、藤山秀次見留到着シ、其後ハ探索人未ダ帰ラズ候得共、廿三日朝ヨリ城下ニテ烈戦、八ツ時頃終ニ落城之趣、出張土州本営ヘ報知ノ由、奥羽之根本如斯、猶又上杉ヨリ昨夜二本松ヘ重役軍監出降、申立候ニハ、是迄九条公鎮撫使トシテ御下リ候得共、彼是王師ノ御取扱方トモ不被存件々モ有之ニ付、奥羽諸藩約定防禦致候得共、追々王師御征討ニ付、初テ真之御征討タルコトヲ知リ、素ヨリ王師ニ抗スル意ハ更ニ無之ニ付、帰降仕候趣申出候由、右御許容ニ相成候得ハ、庄内、仙台等モ説降シ、若帰順不致候者、其節ハ先鋒ト相成進撃可仕申出候由
中山道ヘ進候官軍ハ中山ヨリ前、荒町ト申辺ニ台場要所ヘ構ヱ置、一戦有之処、迚モ追撃難相成地ト見込候欺、右ヲ外ヅシ、ボナリ道ヘ出、惣一同ニ進候趣ニ御座候
九月
彦根藩
右之通、出先ノ者ヨリ申越候ニ付、此段御届申上候、以上
九月
彦根中将内
田部全蔵