太政官日誌 明治二年 第百五号
明治己巳 自十月廿日 至廿四日
東京城第六十八
○十月廿日〈戊午〉
【讃岐金毘羅社領鎮撫ノ事】
御沙汰書写
倉敷県
讃岐国金毘羅社領為鎮撫、高知藩出張致シ居候処、今般被解鎮撫候間、其県ニ於テ管轄可致候事
○ 高知藩
讃岐国金毘羅社領鎮撫、被仰付置候処、被免候事
【越後按察使兼帯ノ事】
〇
越後国藩々
今般水原県知事、当分越後国按察使兼帯被仰付候ニ付、取締向等臨機之指図モ可有之候条、此段相達候事
○廿二日〈庚申〉
【上州群馬郡騒擾ノ事】
御沙汰書写
岩鼻県
高崎藩支配地、上州群馬郡村々百姓共、沸騰ニ及、其県出役之者ヨリ、不取敢説諭鎮撫為致置候エ共、此上之模様ニ寄、再動揺之程モ難測旨、定テ疾苦之情状モ可有之、兼テ人民御撫恤之御旨趣ニ不相背様、高崎藩申合取糾可申出候事
○ 高崎藩知事
其方支配地、上州群馬郡村々百姓租税之事ニ付、沸騰之趣相聞エ、篤ト取糾之儀可有之、別紙之通、岩鼻県ヘ御沙汰ニ相成候間、同県ヘ申合、人民御撫恤之御旨趣ニ不相背様鎮撫可致候事
【豊後玖珠郡厳原藩管轄ノ事】
〇厳原藩知事
今般出格之筋ヲ以テ、豊後国玖珠郡其外新ニ管轄被仰付候ニ付テハ、帰藩之上厚キ御趣意ヲ奉体シ、速ニ藩政改革、人民撫育行届候様、尽力可致旨御沙汰候事
【御堀耕助欧洲ヘ差遣ノ事】
〇御堀耕助
欧邏巴地形勢視察、被仰付候事
○廿四日〈壬戍〉
【皇后宮着御ノ事】
皇后宮着御、百官ヘ酒肴ヲ賜フ、御行列如左
御行列
熊本藩兵隊一小隊
兵隊
一小隊
五十人
口付
一門代
酒井重臣騎馬
口付
帯刀小者六門同同
帯刀小者六門同同
弾正大巡察
帯刀
小者
帯刀
口付
大原四位騎馬
口付
帯刀同同小者
帯刀同同小者
小者
口付
野宮皇后宮大夫騎馬
口付
帯刀同同小者
小者
帯刀同同小者
守護使番
御歌書櫃
宰領山科郷士
同上
御守櫃
同上
大清一文字櫃
同上
同上
簀薦
使番同同同同
簀薦
使番同同同同
簀薦
高田新正六位
藤林正六位
河野正六位
青山新正六位
浅井新正六位
中神正六位
土山正六位
吉田従六位
調子従六位
御板輿〈輿丁三十人〉
三上従六位
上田宣盛執次
香山徳盛執次
御医
長仕丁
四人
御医
雨皮
呉床
呉床
簀薦
御装束櫃
宰領山科郷士
御薬櫃
宰領山科郷士
御医〈帯刀小者〉
御医〈帯刀刀小〉
簀薦
御茶弁当
宰領山科郷士
非蔵人〈帯刀小者〉
非蔵人〈帯刀小者〉
御水桶
御替輿
宰領預リ
八瀬
十六人
呉床
呉床
竹馬
竹馬
簀薦
打物
山科郷士
山科郷士
上臈
油小路
使番小者
使番小者
打物
山科郷士
山科郷士
宣旨
使番
使番
袴簟笥
小者
小者
打物
山科郷士
山科郷士
上臈植松
使番小者
使番小者
打物
山科郷士
山科郷士
小上臈千種
使番小者
使番小者
打物
山科郷士小者
山科郷士小者
打物
山科郷士
山科郷士
同御雇
千枝
使番小者
使番小者
打物
山科郷士
山科郷士
中臈右兵衛佐
使番小者
使番小者
打物
山科郷士
山科郷士
下臈越前
使番小者
使番小者
打物
山科郷士
山科郷士
美作
使番小者
使番小者
打物
山科郷士
山科郷士
御生所
使番小者
使番小者
打物
山科郷士
山科郷士
年寄藤坂
輿脇
輿脇
小者
打物
山科郷士
山科郷士
年寄藤川
輿脇
輿脇
小者
三仲間主水
輿脇
輿脇
下部
同千寿
供連
供連
同阿以
供連
供連
表使津山
供連
供連
同屋越
供連
供連
同美登
供連
供連
同浜江
供連
供連
同花垣
供連
供連
同糸崎
供連
供連
口付
口付
五辻少弁騎馬
帯刀同同小者
帯刀同同小者
小者
市川宮内大録
帯刀
小者
小西主記
帯刀
小者
口付
口付
堀川皇后宮亮騎馬
帯刀同同小者
帯刀同同小者
小者
口付
口付
稲葉篤実騎馬
帯刀同同小者
帯刀同同小者
小者
兵隊一小隊
熊本藩兵隊一小隊
雑具
群行
【結城藩千石上地ノ事】
御沙汰書写
結城藩
去辰年旧領之内、高千石被召上候ニ付、別紙村書之通、上地被仰付候間、宮谷県ヘ地所引渡可申事
別紙
上総国武射郡
堀川村
埴谷村
野堀村
大木村
武勝村
木原村之内
以上
【敦賀、福井両藩領知村替ノ事】
〇
福井藩
先般敦賀藩旧領、安房国朝夷郡之内、村替上地被仰付候為代地、別紙高帳写之通、同藩支配ニ被仰付候間、地所引渡可申事
○ 敦賀藩
先般旧領安房国朝夷郡之内、村替上地、被仰付候為代地、別紙高帳之通、其藩支配ニ被仰付候間、福井藩ヨリ地所受取可申事
【三根山藩土地替ノ事】
〇
三根山藩
去辰年土地替被仰付候ニ付、上地越後国村々、水原県ヘ引渡可致、為代地別紙高帳之通其藩支配ニ被仰付候間、伊那県ヨリ地所受取可申事
カテゴリー: 明治2年
太政官日誌・明治2年103号
太政官日誌 明治二年 第百三号
明治己巳 九月廿八日
東京城第六十六
○九月廿八日
宥典録
詔書写
朕聞、明君徳ヲ以テ下ヲ率ヒ、庸主法ヲ以テ人ヲ待ツ、顧フニ、乱賊常ニ有ラス、君徳奈何ニアルノミ、今ヤ北疆始テ平キ、天下粗定ル、慶喜容保以下ノ如キ、各宜シク寛宥スル所アツテ、自新ニセシメ、以テ天下ト更張セン
明治二年己巳九月廿八日
添御沙汰書写
法律ハ国家之重事ニ候処、昨年犯逆之罪ニ於テハ、名義紊乱ノ後ヲ承ケ、政教未洽ノ際ニ付聖上深ク御反躬被為在、専ラ非常寛典ニ被処候次第、就テハ今度深キ思食ヲ以テ詔書之通、更ニ被仰出候間、名義ヲ明ニシ順逆ヲ審ニシ、反省自新盛意ニ対膺可致候事
【○輪王寺宮、徳川慶喜外御宥典ノ事】
徳川慶喜
先般謹慎被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ被免候事
○ 静岡藩知事徳川家達
徳川慶喜儀、別紙之通被仰付候条、此段可相達事
○ 飯野藩知事保科正益
松平容保儀、先般城地被召上、父子永預ケ被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ、今度家名被立下候間、血脈之者相撰可願出事
○ 各通 鳥取藩知事池田慶徳
久留米藩知事有馬頼咸
松平容保儀、先般城地被召上、父子永預ケ被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ、今度家名被立下候間、血脈之者相撰可願出旨、被仰出候間、此段為心得相達候事
○ 輪王寺宮
先般伏見宮ヘ御預、謹慎被仰付置候処、深キ思食ヲ以テ被免、位ヲ止メ、実家ヘ復帰被仰付候事
○ 公現
今般実家ヘ復帰、被仰付候ニ付、格別之思食ヲ以、為御扶助、終身三百石下賜候事
伏見宮
輪王寺宮、先般御預被仰付置候処、深キ思食ヲ以テ被免、位記ヲ止メ、復帰被仰付候、此段相達候事
○ 唐津藩知事小笠原長国
林忠崇儀、先般没籍永預被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ、今度家名被立下候間、血脈之者相撰可願出事
○ 大久保忠礼
先般永蟄居被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ被免事
○ 小田原藩知事大久保忠良
大久保忠礼儀、別紙之通被仰付候条、此段可相達事
○ 各通 伊達慶邦
南部利剛
阿部正静
酒井忠篤
牧野忠訓
丹羽長国
先般於東京、謹慎被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ被免候事
○ 伊達宗敦
先般謹慎被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ被免候事
○ 仙台藩知事伊達宗基
伊達慶邦宗敦儀、別紙之通被仰付候条、此段可相達事
○ 盛岡藩知事南部利恭
南部利剛儀云々同上
○ 棚倉藩知事阿部正功
阿部正静儀云々同上
○ 大泉藩知事酒井忠保
酒井忠篤儀云々同上
○ 長岡藩知事牧野忠毅
牧野忠訓儀云々同上
○ 二本松藩知事丹羽長裕
丹羽長国儀云々同上
○ 各通 上杉斉憲
南部信民
板倉勝尚
本多忠紀
田村邦栄
内藤政養
酒井忠良
松平信庸
岩城隆邦
堀直賀
久世広文
先般、以御咎隠居被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ被免更ニ叙爵被仰付候事
○ 米沢藩知事上杉茂憲
上杉斉憲儀、別紙之通被仰付候条、此段可相達事
○ 七戸藩知事南部信順
南部信民儀云々同上
○ 重原藩知事板倉勝達
板倉勝尚儀云々同上
○ 泉藩知事本多忠伸
本多忠紀儀云々同上
○ 一ノ関藩知事田村崇顕
田村邦栄儀云々同上
○ 湯長谷藩知事内藤政憲
内藤政養儀云々同上
○ 松嶺藩知事酒井忠匡
酒井忠良儀云々同上
○ 上ノ山藩知事松平信安
松平信庸儀云々同上
○ 亀田藩知事岩城隆彰
岩城隆邦儀云々同上
○ 村松藩知事堀直弘
堀直賀儀云々同上
○ 関宿藩知事久世広業
久世広文儀云々同上
○ 水野勝知
先般隠居謹慎被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ謹慎被免候事
○ 結城藩知事水野勝寛
水野勝知儀、別紙之通被仰付候条、此段可相達事
○ 磐城平藩知事安藤信勇
其方父鶴翁、先般永蟄居被仰付置候処、深キ叡慮ヲ以テ被免候事
○ 酒井雅楽
先般蟄居被仰付、徳川家達ヘ御預相成候処深キ、叡慮ヲ以テ被免候事
○ 姫路藩知事酒井忠邦
酒井雅楽儀、別紙之通被仰付候条、此段可相達候事
○ 静岡藩知事徳川家達
酒井雅楽儀、其方ヘ御預被仰付置候処、被免候ニ付、此旨相達候事
○ 久松定昭
先般蟄居被免候節、家事等一切関係致間敷旨被仰付置候処、不及其儀候事
○ 同人ヘ
今般深キ思食ヲ以、更ニ叙爵被仰付候事
○ 松山藩知事久松勝成
久松定昭儀、別紙之通被仰付候条、此旨可相達事
太政官日誌・明治2年102号
太政官日誌 明治二年 第百二号
明治己巳 自九月廿六日 至廿七日
東京城第六十五
○九月廿六日〈甲午〉
賞典録
詔書写
朕惟、皇道復古、朝憲維新、一資汝有衆之力朕切嘉奨之、乃頒賜、以酬有功、汝有衆勗哉
明治二年己巳九月廿六日
詔二通
【○三条公ヘ】
汝実美、皇道ノ衰運ニ際シ、夙ニ恢復ノ業ヲ期ス、竟ニ躬天下ノ重ヲ係ケ、出テハ則鎮将入テハ則輔相、能中興ノ業ヲ成ス、洵ニ国ノ柱石、朕ノ股肱、朕切ニ厥偉勲ヲ嘉ミス、乃チ賞賜シテ厥労ニ酬ユ、吁将来輔導益望ムコトアリ、汝実美其懋哉
○【岩倉公ヘ】
汝具視、皇道ノ衰ヲ憂ヒ、大ニ恢復ノ志ヲ抱ク、竟ニ太政復古ノ基業ヲ輔ケ、躬ヲ以テ天下ノ重ニ任シ、夙夜励精、規画図治、以テ中興ノ業ヲ成ス、洵ニ国ノ柱石、朕ノ股肱、朕切ニ厥偉勲ヲ嘉ミス、乃チ賞賜シテ厥労ニ酬ユ、吁将来輔導益望ムコトアリ、汝具視其懋哉
○ 従一位藤原朝臣実美
高五千石
依偉勲永世下賜候事
明治太政二年官印己巳九月
○ 正二位源朝臣具視
高五千石
依偉勲永世下賜候事
年号干支月日略之、以下同シ
○ 中山従一位忠能
皇道委靡、満朝危疑ノ日ニ当リ、断然回復ノ策ヲ賛シ、竟ニ中興ノ大業ヲ輔ケ候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄千五百石下賜候事
○ 従一位藤原朝臣忠能
高千五百石
依勲労永世下賜候事
○ 中御門従二位経之
皇道委靡、満朝危疑ノ日ニ当リ、断然回復ノ策ヲ賛シ、竟ニ中興ノ大業ヲ輔ケ候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄千五百石下賜候事
○ 従二位藤原朝臣経之
高千五百石
依勲労永世下賜候事
○ 正親町三条正二位実愛
皇道衰頽ノ時ニ当リ、回復ノ志ヲ抱キ、竟ニ中興ノ大業ヲ輔ケ候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄千石下賜候事
○ 正二位藤原朝臣実愛
高千石
依勲労永世下賜候事
○ 大原従二位重徳
積年皇道ノ衰ヲ憂ヒ、丁卯之冬、大政復古ノ時ニ方リ、日夜励精、老而益壮、力ヲ皇室ニ尽シ、以テ今日ノ丕績ヲ賛ケ候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄千石下賜候事
○ 従二位源朝臣重徳
高千石
依勲労永世下賜候事
○ 東久世正四位通禧
皇道ノ衰ヲ憂ヒ、夙ニ恢復ノ志ヲ抱ク、竟ニ中興ノ時ニ際シ、日夜励精、以テ今日ノ丕績ヲ賛ケ候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄千石下賜候事
○ 正四位源朝臣通禧
高千石
依勲労永世下賜候事
○ 沢従三位宣嘉
皇道ノ衰ヲ憂ヒ、夙ニ恢復ノ志ヲ抱ク、竟ニ中興ノ時ニ際シ、日夜励精、事務鞅掌候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄八百石下賜候事
○ 従三位清原朝臣宣嘉
高八百石
依勲労永世下賜候事
○ 伊達従二位宗城
積年力ヲ皇室ニ尽シ、丁卯之冬、大政復古之時ニ方リ、速ニ上京、今日ノ丕績ヲ助ケ候段叡感不斜、仍賞其功労、禄千五百石下賜候事
○ 従二位藤原朝臣宗城
高千五百石
依功労終身下賜候事
○ 山内従二位豊信
丁卯之冬、大政帰朝ノ議ヲ建、鞠躬尽力、遂ニ成功ヲ奏候段、叡感不斜、仍賞其功労、位階一等ヲ進メ、禄五千石下賜候事
○
天皇御璽
従二位藤原朝臣豊信
叙正二位
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
天皇
明治二年己巳九月廿六日
御璽
○ 従二位藤原朝臣豊信
高五千石
依功労終身下賜候事
○ 徳川正二位慶勝
大政復古ノ際ニ当リ勅ヲ奉シテ、力ヲ皇室ニ尽シ、以テ今日ノ続ヲ賛成候段叡感不斜、仍賞其功労、位階一級ヲ被進候事
○
天皇御璽
正二位源朝臣慶勝
叙従一位
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
年号干支月日略之、以下同シ
○ 各通 松平従二位慶永
浅野従二位長勲
前同文
正二位宣下
○ 成瀬従五位正肥
太政復古ノ際ニ方リ、断然一藩ヲ助ケ、力ヲ皇室ニ尽シ候段叡感不浅、仍賞其功労、位階一級ヲ進メ、禄五百石下賜候事
○
太政官印
従五位藤原朝臣正肥
叙正五位
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
○ 従五位藤原朝臣正肥
高五百石
依功労永世下賜候事
○ 木戸従四位孝允
積年心ヲ皇室ニ尽ス、戊辰ノ春大政ニ預参シ、夙夜励精、献替規画、以テ中興ノ鴻業ヲ賛成候段叡感不斜、仍賞其勲労、位階ヲ進メ、禄千八百石下賜候事
○ 従四位大江朝臣孝允
叙従三位
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
○ 従四位大江朝臣孝允
高千八百石
依勲労永世下賜候事
○ 大久保従四位利通
積年心ヲ皇室ニ尽ス、丁卯ノ冬、大政復古ノ基業ヲ策シ、夙夜励精、献替規画、以テ今日ノ丕績ヲ賛成候段叡感不斜、仍賞其勲労位階ヲ進メ、禄千八百石下賜候事
○ 従四位藤原朝臣利通
叙従三位
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
○ 従四位藤原朝臣利通
高千八百石
依勲労永世下賜候事
○ 広沢従四位真臣
積年心ヲ皇室ニ尽シ、竟ニ大政復古ノ朝ニ預参シ、日夜励精、献替規画、以テ今日ノ丕績ヲ賛ケ候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄千八百石下賜候事
○ 従四位藤原朝臣真臣
高千八百石
依勲労永世下賜候事
○ 小松従四位清廉
積年心ヲ皇室ニ存ス、戊辰ノ春大政ニ預参シ、日夜励精、以テ中興ノ丕績ヲ賛ケ候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄千石下賜候事
○ 従四位平朝臣清廉
高千石
依勲労永世下賜候事
○ 後藤従四位元燁
丁卯之歳、復古ノ基業ヲ助ケ、大政ニ参シ、日夜励精、以テ今日ノ丕績ヲ賛ケ候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄千石下賜候事
○ 従四位藤原朝臣元燁
高千石
依勲労永世下賜候事
○ 岩下従四位方平
丁卯ノ歳、復古ノ基業ヲ助ケ、大政ニ参シ、日夜励精、以テ今日ノ丕績ヲ賛ケ候段叡感不斜、仍賞其勲労、禄千石下賜候事
○ 従四位藤原朝臣方平
高千石
依勲労永世下賜候事
○
各通 島従四位藤原義勇
北島従五位藤原秀朝
戊辰江城、新ニ定ルノ時ニ当テ、専ラ民政ヲ修メ、日夜鞅掌、奉職勉励候段叡感不浅、仍賞其勤労、禄百石下賜候事但シ終身
○
各通 土方従五位源久元
西尾従六位源為忠
同上民政ヲ市政ニ作ル
○ 西郷吉之助隆盛
大政復古ノ際ニ方リ、身ヲ以テ国ニ許シ、鞠躬尽力、以テ成効ヲ奏候段叡感不斜、仍賞其功労、正三位ニ被叙候事
○ 藤原隆盛
叙正三位
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
○ 田宮如雲
大政復古ノ時ニ際シ、一藩ヲ助ケ、力ヲ皇室ニ尽シ候段叡感不浅、仍賞其功労、禄四百石下賜候事
○ 田宮如雲
高四百石
依功労永世下賜候事
○ 福岡従四位
前同文
高四百石
○ 中根雪江
前同文一藩ノ二字ヲ其藩ニ作ル
高四百石
○ 辻将曹
前同文
高四百石
○ 江藤新平
戊辰江城、新ニ定ルノ時ニ当テ、専ラ民政ヲ修メ、日夜鞅掌、奉職勉励候段叡感不浅、仍賞其勤労、禄百石下賜候事但シ終身
○ 新田三郎
戊辰江城、新ニ定ルノ時ニ当テ、民政ニ従ヒ職務勉励候段叡感被為在、仍為其賞、禄五十石下賜候事 但シ終身
○ 田中従五位不二麿
丁卯復古ノ際ニ当リ、時務鞅掌、力ヲ朝家ニ致候段叡感不浅、仍賞其功、目録之通下賜候事
目録金千両
○ 神山従四位君風
丁卯復古ノ時ニ際シ王事ニ勤労候段叡感被為在、仍為其賞、目録之通下賜候事
目録金五百両
附録
○ 林半七
昨年流賊追討之砌、南部表ヘ出張尽力之段、神妙ニ被思召候、依為慰労、目録之通下賜候事
目録金二百両
○廿七日〈乙未〉
【集議院行幸ノ事】
集議院行幸
太政官日誌・明治2年101号
太政官日誌 明治二年 第百一号
明治己巳 自九月十九日 至廿五日
東京城第六十四
○九月十九日〈丁亥〉
【弘前藩北海道支配地ノ事】
御沙汰書写
弘前藩
後志国島牧郡之内、須築
右其藩支配被仰付候事
【九戸県、三戸県ト改称ノ事】
御布告書写
九戸県、自今三戸県ト被改候事
【米穀ノ津留禁止ノ事】
〇
諸藩ニ於テ、米穀勝手ニ津留致シ候テハ、三都ヲ始メ、庶民難渋不少候処、近頃猥ニ輸出ヲ禁候向モ有之哉ニ相聞、以之外之事ニ候、以来海内一家、遠邇同視之御趣意ヲ奉体、速ニ津留ヲ廃シ、米穀不融通無之様可致旨、被仰出候事
○二十日〈戊子〉
【脱走人擅ニ斬罪ノ事】
御沙汰書写
牧野従五位
其方家来中、宗家長岡藩脱走人ヲ潜居為致候者共、明白、官府ヘ差出、可奉仰天裁之処無其儀、重役共一応之鞫問モ不遂、擅ニ斬罪申付候条、不憚朝憲次第、畢竟其方藩政向不行届ヨリ、右様之始末ニ立至リ候段、屹度可被及御沙汰処、出格之寛典ヲ以、更ニ謹慎被仰付候事
○廿二日〈庚寅〉
【天長節ノ事】
天長節此日群臣ニ餔宴ヲ賜ヒ、且延遼館ニ於テ、在留各国公使ニ饌ヲ賜フ
○廿三日〈辛卯〉
【忍藩東京取締勉励ノ事】
御沙汰書写
忍藩
其藩、東京市中取締之兵隊、持場勤向厳重行届候段、神妙之事ニ候、猶此上無懈勉励致シ候様、可相達事
【集議院行幸仰出サル】
御布告書写
来廿七日、集議院行幸被仰出候事
○廿五日〈癸巳〉
【谷留熊彦英公使ヲ襲フ】
熊本藩知事細川韶邦
外国御交際ニ付テハ、兼テ御布令ノ旨モ有之処、今般其藩兵卒谷留熊彦儀、於途中英国公使ヘ対シ、及乱暴候条、常々示方不行届之段不束之事ニ候、依テ謹慎被仰付候事
【忍藩一万俵献納ノ事】
忍藩知藩事松平忠恕
昨年東山道総督、板橋駅在陣中、其藩ヨリ調達之金穀、御下ケニ相成候残米一万俵、当今御用途不容易ヲ察シ、献納願出候段、神妙之儀ニ付、被聞食届候事
太政官日誌・明治2年100号
太政官日誌 明治二年 第百号
明治己巳 九月十八日
東京城第六十三
○九月十八日〈丙戍〉
浦高札案
定
一、御用船ハ申ニ及バズ、諸廻船トモニ、遭難風時ハ、見付次第速カニ助船ヲ出シ、破損セザル様、精々力ヲ尽スヘキ事
一、船破損ノ節、其所近キ浦方ノモノ、手伝イタシ、可成丈荷物、船具等取揚ベシ、其海上ヨリ取揚ル所ノ荷物ノ内、浮荷物ハ二十歩一、沈荷物ハ十歩一、取揚候モノヘ可遣之事
但、川船ハ浮荷物ハ三十歩一、沈荷物ハ二十歩一可遣之、惣テ歩一ハ其品相当ノ代金ヲ以テ、可相渡事
一、同断ノ節、深海ノ沈船、又ハ沈船ニモ至ルベキ程ノ水船、或ハ浅キ場所ノ沈船ヨリ荷物陸揚イタシ候モノ共ヘ、前々ヨリ歩一渡来候処、自今相当ノ賃銭可遣之、其余諸働人足幷諸入費等、所役々仕来候分、是又相当ノ賃銭入費トモ可渡遣事
附、所役人取締イタシ、無益ノ人足差出候儀ハ勿論、可成丈入費カカラザル様可心付、総テ過当ノ賃銭等貪取、アルヒハネダリ箇間敷儀有之ニオヰテハ、可為曲事事
一、難風ニ逢、沖ニテ荷物ハネステ候時ハ、着船ノ湊ニオヰテ、其所ノ府藩県役人、庄屋等出会、遂穿鑿、船中残リノ荷物、船具等取調、証文可差出事
附、船頭浦々ノモノト申合、荷物ヲ盗ミ取、ハネタリト偽リ、後日ニ顕ハルヽニ於テハ、船頭ハイフニ及バズ、申合セシ輩ニ至ルマテ、厳重咎可申付事
一、流寄ノ船幷荷物等ハ、浦方ノモノ見付次第可揚置、六ケ月ヲ過、持主不相知時ハ、揚置モノ可取之、タトヒ持主相知ルヽトイフトモ、六ケ月ヲ過ル後ハ、差返スニ及バズ
但、其所府藩県役所ノ可請差図事
一、湊ニ長ク船ヲ懸ケ置モノアラバ、其子細且何方ノ船ト相尋、日和次第早々出船イタサスベシ、若出船イタシガタキ次第有之ニオヰテハ、其趣篤ト聞糾シ、其所府藩県役所ヘ可申出事
一、貢米ハ船具、水主不足ノ悪船ニ積ベカラズ、且日和能キ節、破船セシムル時ハ、船主、船頭可為曲事、総テ船中ニ於テ、理不尽成儀申募リ、又ハ私曲ヲ工ムモノ有之ニ於テハ申出ベシ、同類タリトモ其料ヲユルシ、褒美可遣事
一、貢米積船ハ、船足定ノ所ニ極印ヲ打、船頭、水主ノ人数ヲ減少セザル様申付、運漕セシムル筈ニ候間、湊ヘ懸リ候ハヾ、船足ハ極印ノ通ニテ、船頭、水主人数モ、送状ノ通無相違哉、所役人ニテ相改、若極印ヨリ船足深入ノ船ハ、積入ノ俵数取調、送状ニ無之荷物積入候カ、又ハ水主人数令減少候ハヾ、私ニ積入候荷物ハ取揚置、水主人数不足ノ分ハ、其所ニテ慥成水主ヲ雇ハセ出船致サスベシ、其上ニテ右ノ趣、其所ノ府藩県役所ヘ可申出事
明治二己巳年九月
英国王子参内略記追録
七月廿二日、王子横浜ヘ着艦、寺島外務大輔艦ニ就テ之ヲ労ス
廿四日第八字、英国甲鉄船「オーシン」ニ於テ、祝砲廿一発、神奈川砲台〈英国ノ旗章ヲ掲ク〉及各国軍艦ニテモ亦祝砲各二十一発、「カラチア」〈王子所駕ノ艦名〉ニテモ〈菊ノ御旗ヲ掲ク〉応発数ノ如シ、第十一字、王子上陸、公使館ヘ着ス
七月廿五日、領客使伊達従二位、随使中島中弁、客館ニ到リ宣旨ヲ伝フ、第十字、王子延遼館ニ至ル、途中金川県兵護送シテ、横浜ヨリ川崎ニ至リ、同所ヨリ延遼館迄、別手組之ヲ護送ス
掌客宮本外務権少亟等、品川駅迄出迎、外務卿、領客使等延遼館ニテ出迎、兵部卿宮延遼館ヘ到リ、王子ヲ労問シ、且宣旨ヲ伝フ、外務卿モ亦就テ之ヲ労ス、王子ヘ附従シ来ル者左ニ
アドミラル。テ、ヲノールレーブル、シルペンリー、カツペル
デ、ヲノールブル、イー、シーヨルク
リユーテナンド、ヱーピーヘーグ
リユーテナンド、ロミニー
リユーテナンド、ラムスヱイ
リユーテナンド、フール
ミストル、チヱウヱリール
外ニ日本在留之英人
シルハルリー、ハークス
ミツトホル
アレキサンドルフオンシーボルト
七月廿八日第一時、王子参内、領客使大原正四位出迎、公使「シルハルリー、ハークス」水師提督書記官「ミツトホル」等陪従ス廷内御接待次第、略之
王子帰館後、又兵部卿宮ヲシテ労問セシム
八月朔日、三条右大臣、岩倉大納言、徳大寺大納言、大久保参議、広沢参議、副島参議、松平民部卿、鍋島従二位等延遼館ニ到リ、王子ヲ慰問ス
八月三日第十字、王子川蒸気船ニ駕シテ、品川沖ニ至リ、本艦ヘ移リ、横浜ニ還ル、外務卿送テ乗船場ニ到リ、兵部卿宮、大久保、広沢両参議等同船、品川沖ニ至リ、領客使、随使同船、送テ横浜ニ至ル
八月十一日三字半、王子乗艦、横浜ヲ発ス、祝砲ヲ放ツ、着艦ノ時ノ如シ
接客官員
領客使二人
伊達従二位
大原正四位
随使二人
中島中弁
町田外務大亟
掌客一人
宮本外務権少亟
太政官日誌・明治2年99号
太政官日誌 明治二年 第九十九号
明治己巳 自九月十四日 至十七日
東京城第六十二
○九月十四日〈壬午〉
賞典録第三附録
拾遺追録
各通 中村荘助
玉出鎮次郎
戊辰之春、賊徒掃攘之砌、大総督ニ属シ、東下勉励之段、神妙被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
六月
○ 各通 有馬藤太
南部静太郎
昨年賊徒掃攘之砌、軍事精勤之段、奇特被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
六月
○ 民部省
磐城国磐前郡中島村農夫良七、同郡西町村農夫藤吉、昨年賊徒掃攘之砌、兵食軍夫不一方尽力之段、奇特之至ニ付、終身二人扶持下賜候間、此段取計可致候事
八月
○ 島津従三位忠義
戊辰之歳、東北賊徒追討之節、其藩乾行艦、春日艦、戦争勉励之段叡感被為在、因テ為其賞、目録之通下賜候事
○ 毛利従三位広封
右同文〈艦名丁卯丸〉
○ 鍋島正四位直大
戊辰之歳、東北賊徒追討之節、其藩孟春艦、甲子丸、航海勉励、竟ニ沈没ニ至ル、仍而目録之通下賜候事
○ 立花従四位鑑寛
右同文〈艦名千別丸、航海勉励ヲ運輸勉励ニ作ル〉
○ 前田従三位慶寧
右同文〈艦名李百里〉
○ 浅野従二位長勲
右同文〈艦名万年丸〉
○ 松平正四位茂昭
右同文〈艦名富有丸〉
○ 松平従四位定安
右同文〈艦名八雲丸〉
○十五日〈癸未〉
【胆振ノ牧場管轄替ノ事】
御沙汰書写
開拓使
胆振国蛇田郡、有珠郡、日高国浦河郡、夫々支配ニ被仰付置候得共、各地所有之牧場之儀ハ、当分之内其使府ニテ管轄可致事
○十七日〈乙酉〉
【彦根藩北海道支配地ノ事】
御沙汰書写
彦根藩
千島国択捉島ノ内択捉郡
右其藩支配被仰付候事
【吹上藩士刃傷ノ事】
吹上藩知事有馬氏弘
其藩士鈴木錞次外九人申合、同藩辻元宗之進外二人ヲ殺害致シ、其情状及越訴候段、畢竟其方平生示方不行届ヨリ、右ノ次第ニ立到リ不束ノ事ニ候、依之閉門被仰付候事
【磐城平藩復帰ノ事】
磐城平藩知事安藤信勇
其藩儀、復帰被仰付候ニ付、金七万両献納可致旨、兼テ御沙汰ノ処、更ニ御詮議ノ次第ニヨリ、其藩管轄地磐城国磐城郡、其外共高三万石ノ外、込高ノ分、地所被召上、献納金ノ儀ハ被免候事
但、上地郷村ノ儀ハ、追テ可相達候事
【諸陵寮設置ノ事】
御布告書写
今般神祇官中ニ諸陵寮被為置候事
【非人乞食取調ノ事】
〇
東京中、非人乞食共、此度於本府夫々取調ヘ廃疾老幼之外、壮健之者ハ旧里ヘ引渡候ニ付藩県ニテ請取候上ハ、以後再度管轄外ヘ不立出様、屹度処置可致事
【小札製造ノ事】
〇
金札之儀、大札之分、僻遠之地ニテハ、融通ニ差支、下民難渋之趣モ相聞候間、今般民部省通商司ニ於テ、二歩、一歩、二朱、一朱等小札至急ニ製造、追々引替ニ相成候、尤引替候大札之分ハ、断截候条兼而為心得相達候事
但、引替之期限ハ、追而従民部省可相達事
【北海船運上ノ事】
〇
松前港ニ於テ、是迄西蝦夷地船運上取立候処被廃、自今箱館、幌泉、寿都、手宮之四ケ所ニ於テ、軍艦ヲ除之外、運上御取建相成候ニ付、此旨相達候事
太政官日誌・明治2年98号
太政官日誌 明治二年 第九十八号
明治己巳 九月十四日
東京城第六十一
○九月十四日〈壬午〉
賞典録第二
御沙汰書写
松前敦千代
戊辰之冬、流賊侵掠之折柄、命ヲ奉シテ青森ニ還リ、兼広ヲ輔佐シ、竟ニ回復之功ヲ奏シ候段叡感被為在、仍為其賞、御太刀一口下賜候事
○ 堀真五郎
己巳之歳、蝦地流賊追討之砌、参謀之命ヲ奉シ、総督ニ与参シ、軍務勉励之段叡感被為在、依之為御太刀料、金三百両下賜候事
○ 春日艦長 赤塚源六
己巳之歳、於蝦地流賊追討之砌、殊死奮戦、指揮得其宜候段叡感不浅、依之為御太刀料金千両下賜候事
○ 各通 丁卯艦長 山県久太郎
延年艦長 沢野虎六
己巳之歳、於蝦地流賊追討之砌、奮戦尽力之段叡感被為在、依之為御太刀料、金四百両下賜候事
○ 飛竜丸船長 岡啓三郎
己巳之歳、於蝦地流賊追討之砌、遂戦争候段神妙之至被思食、依之為御短刀料、金三百両下賜候事
○ 各通 豊安丸船長 入江良之進
晨風丸船長 西田元三郎
己巳之歳、於蝦地流賊追討之砌、終始尽力之段、神妙被思食、依之為御短刀料、金二百五十両下賜候事
○ 各通 岸良彦七
野田大造
前田雅楽
今井亮介
松本鼎造
和田槙之助
村橋直衛
宮川助五郎
寺田良輔
三刀屋七郎次
香川主税
山県甲之進
山県与三
不破一学
有地志津摩
原川魁助
柳川東洋
田島敬蔵
己巳之歳、於蝦地流賊追討之砌、軍務勉励之段、神妙之至被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
○ 虎房丸
己巳之歳、函館攻撃之砌、賊等海中ニ綱索ヲ張リ、官艦ノ障碍ヲ設ケ候折、窃ニ情実ヲ察シ、官軍ニ申出、続テ右綱索切除、連夜尽力之段、神妙之至ニ候、仍テ金二百両下賜候事
○ 各通 住吉丸
子日丸
函館攻撃之砌、海路障碍ノ綱索切除之節、尽力候段、奇特之事ニ候、仍テ金六十両下賜候事
○ 各通 藤井源之進
長谷川巌
小田吉兵衛
富士亦八郎
西尾棟
田村粂之助
井口貫七
深沢伝八
中田伝蔵
今鷹次郎
三浦只五郎
久保木左忠
鈴木金吾
藤岡与市
今井止平
小池仙之進
奥寺鉄四郎
井上金次郎
小野俊十
加根直人
大野太郎
大坪伴吉
平田男也
恵利宗吉
金木松之助
小田桐謙治
江沢繁之助
松浦信之助
信沢銀蔵
竹内三大夫
川口柳之助
山県立右衛門
若尾念斎
綿貫敬太郎
黒杭善介
竹山謙三
吉村君平
富田友吉
寺沢倉吉
高松幸之進
江幡徳三郎
己巳之歳、於蝦地流賊追討之砌、軍務勉励之段、奇特之至候、仍為其慰労、目録之通下賜候事
兵部省
○ 各通 大井梅次
中村作一郎
千田正之進
斎藤助作
菊地愛太郎
角田百松
松原今之助
内藤吉郎太
己巳之歳、函館出張、為其慰労、目録之通下賜候事
兵部省
○ 斎藤順三郎
己巳之歳、函館攻撃之砌、順三郎儀、窃ニ官軍ニ尽力候処、終ニ賊徒ノ為メ非命之死ヲ遂候段、不憫ノ至ニ候、仍祭米トシテ一人扶持下賜候事
兵部省
○ 函館住 鍛冶 連蔵
己巳之歳、函館攻撃之砌、窃ニ賊ノ砲台ニ忍入リ、大砲ノ火門ニ釘ヲ打込ミ官軍ニ申出続テ進入ノ時、寒川口ニ嚮導シ、大ニ官軍ノ助ケヲ為シ候段、神妙之至ニ候、依之苗字帯刀差許シ、三人扶持下賜候事
○ 函館住 勇蔵
函館攻撃之砌、鍛冶連蔵ト共ニ、窃ニ函館ヲ脱シ、賊ノ情実官軍ニ申出、続テ進入之節嚮導ヲナシ候段、奇特ノ事ニ候、仍テ目録之通下賜候事
賞典御判物文例如左
正四位藤原朝臣公考
高二百五十石
右依軍功永世下賜候事
○ 従三位源朝臣忠義
高一万三千三百石
右依海陸兵軍功三年間下賜候事
○ 従二位源朝臣長勲
高九百石
右依功労三年間下賜候事
○ 駒井政五郎
高五十石
右為祭粢永世下賜候事
明治二年己巳九月
□ハ太政官印
太政官日誌・明治2年95号
太政官日誌 明治二年 第九十五号
明治己巳 自九月二日 至八日
東京城第五十八
○九月二日〈庚午〉
【京師大学校御建替ノ事】
御沙汰書写
留守長官
一、京師大学校御建替ニ付皇学所、漢学所当分御廃之事
一、是迄之御用掛リ、不残被免候事
一、是迄皇学所祭典執行之学神、一ト先神祇官ヘ返座之事
一、学神追テ神祇官ヨリ可被渡候事
一、学政向小事ハ、長官専決可致、重事ハ伺之上可取行事
【会津降人北海ヘ移住ノ事】
〇
兵部省
元会津降伏人、格別之寛典ヲ以テ、北海ヘ移住被仰付候事
【奥羽按察使派遣ノ事】
右大臣ヨリ委任状写
按察使
民政ハ治国ノ大本、至重之事トス御一新以来、専ラ億兆其所ヲ得テ、生業勉励候様トノ御趣意之処、三陸、磐城、両羽等之地ニ至テハ、去年兵革打続、平定ノ今日ニ当リ、万民猶未タ安堵セス御仁恤ノ御趣意貫徹ニ至ラス、実ニ太政之隆替ニ関係候間、今般按察使トシテ被遣候、付而ハ藩県ノ政績ヲ熟察シ地方官ト戮力協心、専ラ御趣意ヲ奉体シ、政教治化、其道ヲ尽シ、上下之情ヲ貫通セシム可ク候事
右大臣
○三日〈辛未〉
【哇布島ヘ使節差遣ノ事】
御沙汰書写
上野監督正
為御国人召還、以当官、哇布島ヘ使節被仰付候事
【東本願寺北海道開拓ノ事】
〇
東本願寺光勝
今般北海道新道切立、願之通被仰付候付、開拓使之揮指ヲ受ケ、可致尽力旨御沙汰候事
【増上寺北海道支配地ノ事】
増上寺
日高国之内、静内郡
右其寺支配被仰付候事
【北海道開拓使ヘ御沙汰ノ事】
開拓使北海道 出張之面々ヘ
今般北海道出張、不容易艱難、太儀之事ニ候其成否皇威之汚隆ニ関係候間、各同心戮力シテ、勉励従事可奏其功旨御沙汰候事
○四日〈壬申〉
【僧官免許差止ノ事】
御沙汰書写
各通 仁和寺門跡
大覚寺門跡
勧修寺門跡
従来其寺ニ於テ、永宣旨ヲ以テ僧官差免来候得共、今般御一新ニ付、向後被廃止候間、此旨相達候事
但、是迄許置候向ハ、一代切可為其侭事
○五日〈癸酉〉
【兵部省北海道支配地ノ事】
御達書写
兵部省
石狩国之内、浜益郡、忍路コツ、ツイシカリ札幌郡
後志国之内、忍路郡、余市郡、美国郡、古平郡
右其省支配被仰付候事
○七日〈乙亥〉
【前橋、磐城平両藩知事帰藩ノ事】
御沙汰書写
各通 前橋藩知事
磐城平藩知事
今般帰藩被仰付候ニ付テハ、兼テ被仰出候御趣意ヲ奉体シ、可尽職任旨御沙汰候事
【庄内藩北海道支配地ノ事】
〇
庄内藩
胆振国之内、虻田郡
右其藩支配被仰付候事
【澳国ト条約締結ノ事】
御布告書写
今般澳太利国ト、条約御取結相成候ニ付、此旨相達候事
○八日〈丙子〉
【弾例書写】
一、親王及諸司ノ奏任、非職ノ五位以上ノ犯解官〈親王ハ徒罪〉以上及判任以下、庶人ノ父母ヲ殴チ、判逆ニ連累スルモノハ奏弾ス、自余ハ直ニ刑部省ニ糾移ス
一、判任以下ノ解官以上ハ、台ニ於テ糾弾シ自余ノ犯ハ、本司及府藩県ノ司ヲ召シテ糾弾ス、又市井庶人ノ非違ハ、巡察視ル所ヲ審ニシ、是ヲ府官ニ移シテ糾サシム、藩県同之
但、本司及ヒ府藩県ノ司ハ、判官以上ヲ召ス可シ
一、応須糾劾シテ、犯罪未タ其実ヲ審ニセス拠状ヲ勘問スヘキハ、刑部省ニ移シテ推拷セシメ、委ニ事由ヲ知テ、事大〈解官以上〉ナラハ奏弾ス、又罪条既ニ明著ニシテ、勘問ニ及ハス、或ハ告密ニ渉リ、事急卒ニ出ルモノ等ハ、直ニ刑部省ニ告テ捕縛セシメ、其推拷スル所ヲ得テ、事大ナラハ奏弾ス、其直ニ省ニ告テ捕縛セシメ、推拷セシムルノ時解官以上ノ罪ハ、大忠以下一人、省ニ臨テ是ヲ聴ク、又台ヨリ発スルノ罪ニアラスト雖モ、大獄ニハ大忠以下監臨スル事、既ニ布令アルカ如シ
一、刑部省死囚ヲ決セハ、断案ヲ台ニ移ス可シ、若寃枉灼然タルアラハ、決ヲ停メテ奏聞ス、又死罪既ニ奏報ストイヘトモ、猶寃枉ヲ訴シテ、事可疑アラハ、推覆シテ、以状奏聞ス可シ
一、犯罪発覚スル所ヲ論セス、杖罪以下トイヘトモ、科断ハ一々刑部省ニ附スヘシ
一、親王、大臣以上官人、及ヒ華族ヨリ庶人ニ至ル迄、車馬、兵仗、衣服、従者ノ数法則ニ違、華麗僣奢ニ過ルモノハ糾弾ス、吉凶ノ礼法ヲ超ルモノモ又同
一、官司枉判アレハ、所由ヲ追テ糾正ス、又官人本司ニ於テ政ヲ行フニ、怠慢シテ欠有ラハ是ヲ糾劾ス
一、納表匱官人ノ害政、及ヒ抑屈ヲ告ルノ書ハ、弁官右大臣ニ上リ〈不可披見〉後台ニ受テ其所訴ヲ案察シ、理当ハ奏聞シ〈事大小ヲ論セス〉不当理ハ之ヲ弾シテ、刑部ニ移ス
一、京中ノ巡察ハ、毎町坊令一人ヲ従ヘテ巡視ス、若急卒捕縛スヘキモノアラハ、巡邏ノ兵ヲシテ縛セシメ、先勘問シテ所司ニ移ス
一、巡察弾正、時々京中便地ヲ点シ、坊令ヲ従ヘ、戸主ヲ会集セシメ、巡察是ニ臨ンテ京府官人及坊令等百姓ヲ枉害セルカ、時勢其宜キヲ得サルカ、孝順義節ノ顕ハレサルモノ有カ、如何ヲ尋ヌ可シ、藩県同之
一、巡察時々囚獄ヲ検校シ、獄司ノ非違ヲ糾弾ス
一、人罪ヲ告ルモノアラハ、宜ク三審ノ法ヲ用ユヘシ、告密モ又令文ニ拠ル
一、奏弾ハ太政官ヲ歴スシテ、直ニ奏聞スト雖モ、時宜ヲ計リ、尹若クハ弼、右大臣ト共ニ奏ス可シ、尹弼アラサレハ大忠、右大臣ニ就テ奏ス、但シ、右大臣ノ外、職事預聞事ヲ得ス
一、親王及参議以上ノ罪ヲ糾劾ス可ンハ、時宜ニ従テ制ヲ立ツヘシ、其朝堂ノ非違ハ、式ノ例ニ准ス、但、参議以上ハ尹弼アルニアラサレハ、弾スルヲ得ス
一、四位以下ノ糾弾ハ、悉ク台ニ召ス
一、参議以上身病アレハ、家令ヲ召シテ勘問ス、家令本主ニ告テ猶不肯答ハ、忠以下其家ニ向テ対弾ス、四位以下病アレハ、其愈ルヲ俟テ台ニ召ス
但、急卒ノ事アレハ此例ヲ用ヒス
一、台喚三度ニシテ参セス、幷ニ勘事ヲ弁申セサルモノハ、罪ニ処スヘシ
一、非常巡察ヲ藩県ニ発シ、政事ヲ覆問シ、非違ヲ糾弾ス可ンハ詔使ノ例ニ准スヘシ
一、叛逆告密アルニアラサル以外ハ、内奏スル事アルヘカラス
但、勅問ニ出ルモノハ此限ニアラス
一、弾正私ヲ挟テ、事実ナラサルモノヲ弾セハ、反坐ノ法ニ准スヘシ
一、尹若シ犯スコトアラハ、弼以下忠以上、共ニ議判シテ奏弾ス、其台中ノ官人非違アラハ、各相弾ス
一、朝議法律ニ関ルモノハ、弾正悉ク預知ルヘシ、儀式衣冠等ノ制度モ又同シ
右依天裁決定如件
明治二年八月
弾正台
太政官日誌・明治2年94号
太政官日誌 明治二年 第九十四号
明治己巳 自八月廿八日 至二十九日
東京城第五十七
○八月廿八日〈丁卯〉
【本願寺僧徒北海道教化ノ事】
御沙汰書写
開拓使
今般本願寺東門主ヨリ、北海道新道切立之儀且有志之僧徒、新開村落ヘ移住、人民教諭為致度段、願之通被差許、万事其府ヘ可伺出旨申渡候間、此段相達候事
但、北海道土地支配被仰付候藩々ヘ、為心得其府ヨリ可相達事
【山口藩北海道支配地ノ事】
〇
山口藩
今般支配被仰付候三郡之内、宗谷郡之儀ハ御用之地所モ有之候ニ付、開拓使ヘ可伺出事
【金沢外八藩北海道開拓ノ事】
〇
各通 金沢藩
鹿児島藩
静岡藩
名古屋藩
和歌山藩
熊本藩
広島藩
福岡藩
山口藩
右之藩々ヘ各通御達書写
北海道開拓之儀ハ、兼而被仰出候通リ、即今之急務ニ而、追々御手ヲ被為着候処、何分全国之力ヲ用ヒズンバ、成功無覚束、依之今般別紙地所、其藩ヘ支配開拓被仰付候間、桔据経営、実効相立候様可致事
【金沢外八藩北海道支配地ノ事】
〇
金沢藩
北見国之内、宗谷郡、利尻郡、枝幸郡
右三郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 鹿児島藩
十勝国之内、当縁郡、広尾郡、河西郡
日高国之内、様似郡、浦河郡
右五郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 静岡藩
十勝国之内、十勝郡、中川郡、大津河東郡、上川郡
右四郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 名古屋藩
北見国之内、斜里郡、網走郡
右二郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 和歌山藩
北見国之内、紋別郡
右一郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 熊本藩
根室国之内、目梨郡、標津郡
右二郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 広島藩
北見国之内、常呂郡、釧路国之内、網尻郡
右二郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 福岡藩
後志国之内、久遠郡、奥尻郡
右二郡、其藩支配ニ被仰付候事
○ 山口藩
石狩国之内、樺戸郡、雨竜郡
天塩国之内、増毛郡、留萌郡
右四郡、其藩支配ニ被仰付候事
【東京、京都両府救助米ノ事】
〇
東京府
米三千石
○ 京都府
米七百石
右窮民救助トシテ、月々大蔵省ヨリ相渡候条施行可致事
○二十九日〈戊辰〉
【鍋島侯賞典半高返納ノ事】
御沙汰書写
佐賀藩知事 鍋島直大
賞典ハ深重之叡旨ヲ以、被仰出候事ニテ願之趣不被及御沙汰段、先達テ相達候得共猶又再往懇願之旨趣、全至誠之所致、神妙之至被思食候、就而ハ北海道開拓ハ皇威隆替之所係、方今至重之御急務ニ候処、今年諸道不登、庶民凍餒之勢ニテ、目下救荒之典モ難被為捨置、旁以御用途必至御差迫リ之折柄不被為得止、乍不本意当年限リ賞典半高返納被聞食、開拓御用途ニ可被為充行旨、被仰出候事
【相馬侯陞叙ノ事】
中村藩知事 相馬季胤
民政ハ国家之基本、至重之要務ニ候処、其藩年来治教撫育隣藩ニ抽テ、先般福島辺取締被仰付候節モ、兵乱後人心紛擾之処、鎮静向格別ニ行届候段、神妙ニ被思食候、依之位階一級ヲ被進候事
○ 中村藩知事 平季胤
叙正五位
右
宣下候事
【咸臨、昇平二船開拓使所轄ノ事】
開拓使
咸臨丸、昇平丸、自今其府所管ニ被仰付候間、大蔵省ヨリ請取可申候事
二十四藩触頭ヘ御達書写
公議人ハ、執参中ヨリ可相勤旨、従前之御規則ニ有之、今般御改正、正権大参事、即チ執参ニ相当候間、此段為心得相達候事
太政官日誌・明治2年93号
太政官日誌 明治二年 第九十三号
明治己巳 追録
東京城第五十六
○追録
【香春藩、羽州戦記】
香春藩羽州戦争届書写
七月十二日辰下牌、我藩一小隊、塩根坂間道ヲ繞リ、肥前藩一小隊、大砲一門、我藩二小隊、塩根坂本道ニ向フ、賊已ニ夜ニ乗シ逃ル進テ金山駅ニ至ル、時ニ薩長ノ飛報至リ、我兵急速新荘ニ至ラン事ヲ求ム、乃夜ヲ冒シテ馳セ、子牌新荘ニ達ス、同十四日仙台、荘内湧屋ノ賊、山形ヨリ兵ヲ返シ、清川ニ趨リ、鳥越村ヨリ両道来襲ス官軍各藩、預メ兵ヲ左右杉林中ニ伏シ、本道ハ肥藩、其正面ニ当リ、我分隊之ヲ横撃ス、賊我単寡ヲ視、急進来犯ス、左右ノ伏ニ遇ヒ、忽狼狽敗走ス、既ニシテ賊大衆清水村其他間道ヨリ、巳ニ城下ニ逼ル、我兵転シテ賊ノ正面ヲ支フ、此地平衍、賊兵充満、晡鏖戦益烈、砲煙天ニ漲リ物色ヲ弁セス、賊ノ弾丸、近ク城中ニ撤ス、居民驚擾、我兵殊死シテ戦フ、時ニ肥藩援ヲ求ル甚急、我隊長徳永吉太郎馳至リ、力戦囲ヲ解ク、忽後面ニ砲声ヲ聞キ、諸隊頗ル危疑ヲ生ス、其它形状常ニ非ス、於是旋帰ノ令至ル、乃兵ヲ収メ、太田村ニ退ク、新荘藩ノ飛騎至リ云、賊勢猖獗、扞禦無策、自カラ城ニ火シテ退ン、諸君同ク退クベシト、既ニシテ城中火起ル、戸沢侯、城ヲ開テ出、我藩長藩ト更番、断後院内峠ニ退ク
同二十八日辰中牌、賊雄勝峠ヘ来侵ス、我兵長秋新三藩ト防戦、又新藩ト兵ヲ分チ、本道及ヒ山上ニ布置ス、賊果シテ両道来リ攻ム、本道山上大小銃雨射ス、賊気衰ルヲ伺ヒ、本道ノ兵疾撃、進テ箒沢ニ入ル、賊支ル能ハス悉ク及位村ニ走ル、時已ニ黄昏、尾撃ヲ得ス七色木ニ退ク、山上ノ兵警備ヲ撤セズ、伏ヲ設ケ、賊ノ来襲ニ備フ、此日賊同時雄勝峠、銀山、役内沢ノ三道ヲ犯ス、役内沢ノ守兵、薩肥両藩援ヲ求ル甚急、長藩全隊已ニ行、我分隊大砲手ト継進ム、銀山ノ守兵、我藩、長肥秋三藩ト合シ、百五十人ニ充タズ、各所間道、砲台ヲ築キ、賊ノ衝路ヲ扼ス、已牌賊正面ヲ犯シ、防戦時ヲ移ス、賊ノ奇兵、左右山上ヨリ我砲台ヲ下瞰シ、縦横乱射、戦甚困ム徳永吉太郎隊下ヲ率ヒ奮戦、終ニ賊兵ヲ敗ル申中牌賊鏡沢ニ走ル、夜半役内沢ノ飛報至リ雄勝峠、銀山、皆兵ヲ撤セシム、翌廿九日横堀村ニ退ク、各藩役内沢ノ進取ヲ規ス、我兵肥秋新分隊ト役内沢、銀山ノ間道ヲ襲ハントシ、復進テ下院内ニ至ル、其夜横堀村ヨリ、復撤帰ノ報アリ、乃兵ヲ収テ至レバ、全軍横手ニ退クノ議決ス、即横堀村ヲ発シ、各藩更殿シ、横手ニ帰ル
八月八日昧爽、薩藩我藩本道ヨリ、秋田藩川下ヨリ、長崎振遠隊、肥藩浅舞村ヨリ、長藩新藩馬鞍村ヨリ、四道進テ賊ヲ撃ツ、賊岩崎村ニ屯シ、前路ヲ要スト聞キ、我兵二小隊、已ニ岩崎川ヲ済ル、一賊ヲ見ズ、其潜伏ヲ疑ヒ土人ニ問フ、土人無之ト答、後隊継テ済ラントス、賊林薄中ヨリ突出、悍撃甚烈、前隊背水ノ死地ニ陥リ、腹背敵ヲ受ケ、外ニ救援ナシ、衆皆死ヲ決シ、吶喊奮闘、賊数人ヲ殺ス、後隊遂ニ済ルヲ不得、川ヲ隔テ乱射シ、其勢ヲ助ク、前隊進テ岩崎村ヲ焼ク、賊敢テ逼ラズ、間ニ乗シ兵ヲ収メ、下流ヨリ退ク、浅舞川下ノ軍、同時皆退ク、我兵合シテ要地ニ拠ル、賊猶尾躡ス、撃テ之ヲ却ク、後賊ノ日記ヲ得テ之ヲ閲ス、此日仙台伊達弾正、兵千人ヲ率ヒ至リ、直ニ進戦、賊勢大ニ張ルト云、翌九日馬鞍村ヨリ長藩ノ飛報至リ、応援且弾薬ヲ求ム、即時一小隊、新荘藩二十八人ト伍ヲ合シ、弾薬ヲ輸送シ、馬鞍村ニ趨リ、追撃シテ明沢村ニ至ル、初更屯所ニ帰リ、長藩退去スルヲ待チ、薩藩ト次ヲ逐テ退キ、横手ニ入ル
同十三日、賊大久保村ヨリ、角間川ヘ来侵ス秋藩、我藩二小隊本道ヨリ、肥藩、新藩二小隊其左右ヨリ賊ヲ逆ヘ挟撃、賊大ニ敗走、初賊ノ至ル、我藩、秋藩ト各半小隊ヲ分チ、大久保村ヲ襲ヒ、其虚ヲ擣ク、賊我寡兵ヲ視、猝カニ出テ横撃、我兵健闘、賊浅舞村ヨリ陸続沓至官軍諸隊皆退ク、我兵孤立、復勝算ナシ、退テ本道ノ正兵ト合ス、其夜秋藩屯所強首ヨリ援ヲ求ム、初更一小隊之ニ趁ク、翌十四日、大曲村角間川〈時ニ賊ノ拠ル処トナル〉ノ賊ヲ撃ントシ、我兵一小隊、振遠隊ニ応援シ、進テ間道ノ賊ト戦フ、既ニシテ本道ノ正兵退ク、乃兵ヲ収メ、正兵ト合シ、神宮寺ニ帰ル、我兵前後死傷如左
七月十四日、於新荘
傷 西川定右衛門
同廿八日、於銀山
死 小山勇
八月八日、於岩崎川
傷 林与次助
中山半槌
吉元伝蔵
宮田荘右衛門
同十三日、於角間川
隊長
傷 後死 志津野源之丞
右之通戦状概略御届申上候
辰八月
人数頭 平井小左衛門
右者去辰年、羽州出兵中戦状御届落之分、此度御届申上候、以上
巳九月
香春藩公用人 栗原正人