太政官日誌・明治2年101号

太政官日誌 明治二年 第百一号
明治己巳 自九月十九日 至廿五日
東京城第六十四
○九月十九日〈丁亥〉
【弘前藩北海道支配地ノ事】
御沙汰書写
弘前藩
後志国島牧郡之内、須築
右其藩支配被仰付候事
【九戸県、三戸県ト改称ノ事】
御布告書写
九戸県、自今三戸県ト被改候事
【米穀ノ津留禁止ノ事】

諸藩ニ於テ、米穀勝手ニ津留致シ候テハ、三都ヲ始メ、庶民難渋不少候処、近頃猥ニ輸出ヲ禁候向モ有之哉ニ相聞、以之外之事ニ候、以来海内一家、遠邇同視之御趣意ヲ奉体、速ニ津留ヲ廃シ、米穀不融通無之様可致旨、被仰出候事
○二十日〈戊子〉
【脱走人擅ニ斬罪ノ事】
御沙汰書写
牧野従五位
其方家来中、宗家長岡藩脱走人ヲ潜居為致候者共、明白、官府ヘ差出、可奉仰天裁之処無其儀、重役共一応之鞫問モ不遂、擅ニ斬罪申付候条、不憚朝憲次第、畢竟其方藩政向不行届ヨリ、右様之始末ニ立至リ候段、屹度可被及御沙汰処、出格之寛典ヲ以、更ニ謹慎被仰付候事
○廿二日〈庚寅〉
【天長節ノ事】
天長節此日群臣ニ餔宴ヲ賜ヒ、且延遼館ニ於テ、在留各国公使ニ饌ヲ賜フ
○廿三日〈辛卯〉
【忍藩東京取締勉励ノ事】
御沙汰書写
忍藩
其藩、東京市中取締之兵隊、持場勤向厳重行届候段、神妙之事ニ候、猶此上無懈勉励致シ候様、可相達事
【集議院行幸仰出サル】
御布告書写
来廿七日、集議院行幸被仰出候事
○廿五日〈癸巳〉
【谷留熊彦英公使ヲ襲フ】
熊本藩知事細川韶邦
外国御交際ニ付テハ、兼テ御布令ノ旨モ有之処、今般其藩兵卒谷留熊彦儀、於途中英国公使ヘ対シ、及乱暴候条、常々示方不行届之段不束之事ニ候、依テ謹慎被仰付候事
【忍藩一万俵献納ノ事】
忍藩知藩事松平忠恕
昨年東山道総督、板橋駅在陣中、其藩ヨリ調達之金穀、御下ケニ相成候残米一万俵、当今御用途不容易ヲ察シ、献納願出候段、神妙之儀ニ付、被聞食届候事