太政官日誌・明治元年157号

太政官日誌第百五十七
明治紀元戊辰冬十一月

【久保田藩奥羽戦記六】
久保田藩届書写

死傷取調
討死
〈番頭〉信太内蔵助 〈隊長〉梅津千代吉
瀬谷和三郎 豊間源之進
〈物頭〉中山隆吉 〈組頭〉森田掃部
槙尾謙吉 〈斥候〉樋口長吉
寺内郡治 下河部久左衛門
高崎勝之進 草刈重右衛門
青柳外記 福地太郎治
田口伝八 小野崎俊吉
鎌田伊太郎 陶貞蔵
遠藤弥三郎 中村又三郎
大和久治 林運吉
石川忠吉 長井郡治
松山才之助 桜田運太郎
菅又乙之助 菊地山三郎
宇野金弥 山方貞之助
武藤善太郎 根本有多
左内富之助 石井勇次
大越季之助 折内弥助
八代忠治 川尻五助
吉川勇五郎 三宅重右エ門
真崎善八 田中金弥
福原藤四郎 小田部善右エ門
須田忠右衛門 吉田順吉
鯨岡喜門 長沢直治
神沢直治 国安敬治
川井助蔵 滝田喜蔵
根田丹治 冨永典治
班目善右衛門 宇佐美金之助
羽生卯吉 朝日勇治
井山為吉 北川治三郎
細井源治 富岡滝之助
安達清太 芹田佐太郎
関根甚八 宇佐美鉄弥
下田寅三郎 高井友治
小池喜一郎 〈小荷駄方〉高井賢治
〈金鼓付添士〉渡辺喜一郎 〈旗付添士〉宇留野忠治
石川勘之丞 〈与力〉菅波長右衛門
〈医師〉芳賀椿造 〈足軽〉小川忠之丞
鈴木運吉 橋本金太郎
新田守治 能代庫之助
田代兵治 今村兵右衛門
梁瀬易之丞 神尾喜惣太
伊藤繋八郎 佐藤正吉
下田熊三郎 小沢周吉
山崎兼治 新田正兵衛
相川兵右衛門 〈梅津千代吉家人〉払川正蔵
斎藤兵蔵 伊勢久吉
佐々木米蔵 中山善右衛門
〈同人徒士〉梅村直吉 〈右内左惣治家人〉嵯川伝也
皆川伝七 杉山七郎右衛門
〈修験〉常楽院融賢 長応院長伝
〈鉄砲頭〉小林主鈴 〈戦士〉青柳久蔵
大越喜学 川野鉄之助
青柳市之進 柏勝治
瀬尾直之助 〈組頭〉根本源三郎
小林隼人 〈戦士〉安士富三郎
山本宮三郎 青柳長次
石城織之助 佐川伊太郎
岸敬治 〈佐竹大和家士〉下遠来助
村山鶴蔵 前小屋文八郎
〈足軽〉山内時之助 斎藤太左衛門
山内形之助 椿田利助
山内又十郎 桜井角治
佐藤弥左衛門 工藤金兵衛
〈佐竹大和足軽〉越後吉之助 秋元多吉
工藤佐吉 〈修験頂礼寺子〉須藤定之助
〈医者〉辻春江 〈茂木筑後隊〉曲木専右衛門
成田又右衛門 月居才助
〈茂木筑後家士〉羽沢半蔵 川連豊吉
小島桂 〈足軽〉奈良善吉
小笠原和吉 〈須田政三郎家士〉石田政治
吉田猪三郎 〈足軽〉川崎庫之助
〈多賀谷長門徒士〉煤田文八 〈小野寺主水隊〉行福院
長井文之助 山田源八
川井喜太郎 高橋常盤
〈戦士〉吉田友也 吉川藤右衛門
滑川藤五郎 宮藤直記
内山宇右衛門 菊池甚四郎
竹越亀治 赤尾関市兵衛
〈足軽〉長浜甚三郎 横沢清蔵
小松永三郎 小泉正三郎
大阪倉治 〈小荷駄手代〉与三郎
新助 〈役夫〉三太郎
〈中田敬太郎僕〉久米松 〈根本源三郎僕〉政蔵
〈卒〉吉五郎

〈佐竹大和隊戦士〉藤田平治 近藤六郎兵衛
長山源八郎 〈鉄砲頭〉清水甚右衛門
〈戦士〉近藤弟之助 瀬尾謹吾
小泉束 須藤慶助
石井寅之助 青柳新五兵衛
安士新五郎 飯村辰蔵
関此治 近藤国五郎
〈大和家士〉中村新太郎 山方此面
江帾豊吉 〈足軽〉工藤民五郎
笹村喜三太 佐藤金吾
工藤時之丞 山内時松
山内貞治 斎藤勘之丞
松沢兵三郎 斎藤健之助
桜井又市 佐藤弥五右ヱ門
斎藤斧松 〈大和足軽〉佐々木東三郎
名越吉右衛門 〈江帾豊吉僕〉勇太
〈多賀谷長門隊足軽〉深井喜三郎 小林才助
中川処右衛門 平川永治
小林永七 近藤忠太
〈荒木筑後隊戦士〉和田武之丞 沢尻市之丞
曲木兵部 岡本政治
大森源治 月居半右衛門
高宮治左ヱ門 菊地順之助
武田惣作 城喜一郎
奈良新助 菊地数之助
秦佐五郎 石井内蔵
吉成新太郎 〈筑後家士〉赤上采女
塩沢直治 佐藤金吾
松本甚五兵衛 宮野和三郎
石井市右ヱ門 〈筑後徒士〉石川重吉
〈同足軽〉佐藤敬太郎 森谷源十郎
〈新卒〉市五郎 〈泉佐五郎僕〉三平
〈須田政三郎隊〉三輪謹吾 三輪達也
笠井文治 吉田猪之助
宇野隼之助 小林竹之助
村木順治 小島直之助
島田政之助 水野貞治
渡部政治 〈足軽〉腰山多三郎
〈卒〉松五郎 〈小野寺主水隊〉三明院後住
長善院 〈渋江兵部隊〉三輪俊之助
月居季三郎
〈戦士〉平山永太 石川四方八
鎌田小吉 岩谷久治
上松儀兵衛 桐沢勘解由
大槻礼吉 豊間直治
大久保多吉 〈社人〉紀越前
斎藤出雲 〈物頭〉赤須哲三郎
〈旗奉行〉片岡謙之進 〈使武者〉小貫市蔵
〈戦士〉大窪大吉 〈蓮沰寺市組足軽〉伊藤才助
鈴木久米吉 〈梅津千代吉家人〉斎藤利吉郎
〈右内左惣治家来〉登阪新助 〈信太内蔵助隊戦士〉石井竜蔵
〈足軽〉阿部孫右衛門 〈内蔵助家人〉富樫幸八郎
〈社人〉高野亀治 〈足軽〉上崎喜代治
鈴木小太郎 佐藤茂治
細谷弁蔵 元木学治
池田幸之助 神尾庄吉
〈戸村大学隊戦士〉椎名友之丞 矢田野老之助
中田甚之助 笈川十郎右エ門
安士弟五郎 高柳伝治
泉田弟太 石川織部
〈同隊旗奉行〉小貫蔵人 〈同家士〉坂本定人
千国市五郎 〈同足軽〉関専治
〈同徒士〉高瀬兵蔵 〈右内左惣治隊〉石井勇治
〈岡内之丞隊兵士〉小野岡恕助 田中作三郎
小貫猪蔵 〈帰営後死〉川尻五助
〈白土弟力隊〉駒木根準吉 〈今宮伊豆隊兵士〉斎藤栄吉
〈小野田刑部隊組頭帰営後死〉冨田謙蔵 〈同隊兵士〉小野崎駒蔵
高井永治 〈今宮伊豆隊足軽〉坂井泰助
〈今宮大学槍隊〉斎藤隆之進 橋本兵衛
茂又卯吉 若木民也
月居桂 大久保泰蔵
〈上松左太夫卒〉伊藤長兵衛 伊藤兵助
〈惟神隊〉折内金之助 田中伊三郎
小貫新蔵 館岡常治
滑川虎之助 匹田幸之助
信太武治 戸島音之助
〈渋江内膳隊兵士〉佐々木政之助 石川忠吉
松本甲蔵 〈同足軽与力〉岩間藤六
〈同仮組頭〉広瀬右馬助 〈同足軽〉東海林善太郎
〈右内左惣治隊農兵〉弥五兵衛 〈梅津千代吉隊小使〉才助
〈藤木為八僕〉忠七 〈役夫〉長之丞
久蔵 三太郎
長之助
今般別紙ノ通、国許戦争概略并焼亡死傷取調申越候間、此段御届奉申上候、以上
十一月
佐竹中将公用人 村瀬清

太政官日誌・明治元年156号

太政官日誌第百五十六
明治紀元戊辰冬十一月

【久保田藩奥羽戦記五】
久保田藩届書写

河辺郡椿台勦賊略報
弊藩隊長渋江内膳兵隊、八月中ヨリ佐手子村ニ在陣、本営分兵惟神隊ハ、仁賀保ノ兵隊ト倶ニ向野村ニ備ヘ、賊兵防禦ノ処、九月八日賊小種ヲ破リ、境村ヘ侵迫、内膳等ノ陣処前後敵ヲ受ケ、且ツ官道危急ノ勢ニ付、翌九日陣ヲ椿台ヘ遷候処、十日賊兵平尾鳥村ヨリ安養寺ヲ放火シ、椿台ヘ進来ニ付、諸隊大小砲ヲ放射シ、尽力防戦、薩州、新庄二藩ノ兵モ戸島ヨリ進ミ砲撃、薄暮ニ至リ賊次第ニ安養寺村ヘ退去、因テ砲戦ヲ止メ、諸隊露営、尚薩州兵半隊椿川ヘ来着ニ付、椿川防守ノ兵モ椿台ヘ相纏ヒ、十一日賊ノ屯処糠塚森ヘ、薩州、新庄二藩ノ兵ト、同シク砲撃ニ及ヒ候内肥州藩ノ三小隊、椿川ヘ応援トシテ来着、依テ昨日来着ノ薩州半隊モ、椿台ヘ加ヘ、同シク軍議ヲナシ、賊ノ背後ヨリ襲撃トシテ薩州半隊、仁賀保隊、弊藩惟神隊川井熊之助、松本岩治分小隊、安養寺台ヨリ攻撃トシテ竜田雄之助、岡崎謹治分小隊、平尾鳥村ヘ横衝トシテ梁隼太、宇佐美慶吾、滝徳之進分小隊相向ヒ、安養寺台ハ広瀬右馬助、秋山伊之助分小隊ヲ以テ、防守ノ事ニ手分ヲ定メ、渋江内膳安養寺村平尾鳥道ヘ進軍ノ処、賊ノ背後ヘ回リシ吾兵、直ニ賊営ニ近ク迫リ、不意ニ砲撃致候処、賊狼狽顛倒シテ山下ヘ奔潰、吾兵因テ吶喊ヲ発シ奮進、直ニ糠塚森ヲ乗取リ、諸隊鋭進力戦、終日砲撃、賊又平沢村ヘ放火ニ付、肥藩一小隊及ヒ弊藩分小隊進戦致候ヘトモ、賊大軍ニ付引揚ニ相成リ、薄暮諸隊砲戦相止メ、十四日、尚又賊ノ屯処平尾島村ヘ進撃之処、賊川ヲ渡テ退キ、相川村辺ニ集屯ニ付、川ヲ隔テ暫ク砲戦致候、十六日ニ至リ諸兵手分ヲ定メ繰出シ、因州兵、渋江内膳兵中淀川山上ニ備ヘ、川ヲ隔テ賊営ヘ砲撃、暮ニ及テ相止候ヘトモ、猶兵士郷夫等ヲ処々ニ散在致サセ、吶喊ヲ発シ疑兵ヲ張リ、且ツ窃ニ賊ノ挙動ヲ伺察致サセ候処、退遁ノ形状有之ニ付、夜中潜ニ川ヲ渉リ、賊ノ屯処中淀川ニ至リ、十七日払暁、俄ニ鬨ヲ発シ進討致候処、賊不意ヲ撃タレ、倉皇失措備ヲ乱シテ敗走ニ付、諸兵勇進下淀川マテ追撃致候、ソノ後賊兵遁逃、是レマテ賊ニ陥リ候亀田本庄ノ地モ、無人ノ境ヲ行カ如ク、直ニ庄内領マテ進軍致候、右数日戦争死傷十六人、及ヒ斬獲如左
斬獲
首一級〈渋江内膳隊兵士〉水平外衛
同〈同〉佐藤治部助
同四級〈同隊〉兵隊中ニテ獲之
内一級庄賊士牧某ノ首
同一級〈惟神隊〉志村易吉
同二級〈同隊〉兵隊中ニテ獲之
生俘一人〈以下渋江内膳兵隊中ニテ獲之〉
旗卒ト旗ヲ併テ獲之
小銃 大小刀
弾薬 十五箱 幕 半張
衣類 数件
小銃 一挺〈惟神隊〉山本茂治
右賊一人ヲ弾殺シ、首ヲ取ノ間無之、ソノ小銃ヲ分取
以下惟神隊所獲
旗 一竿 小銃 五挺
刀 二口 弾薬 数箱
薬篭 一箇 フランケツト 二枚
右戦争ノ概略、国許ヨリ申付越候間、此段御届申上候、以上
十一月〈佐竹中将家来〉村瀬清

同藩届書写

戦争顛末概略
此度仙台大逆ヲ謀リ、会庄ノ二賊ヲ助ケ、諸藩ヲ劫シ、威力強大ニシテ順之者昌ヘ、逆之者亡ルノ勢ヒ、赫然奥羽ノ間ヲ震動致シ、米沢モ是カ為ニ靡キ、南部、津軽ノ二藩ハ首鼠ノ両端、尊王ノ大義、殆ト賊気ノ為ニ壅圧セラレ候ニ付、当藩ニ於テ九条殿、沢殿、醍醐殿御三方ヲ奉迎、七月朔日御三殿久保田ヘ御転陣被成置候処、仙庄二賊米新諸藩ノ兵ヲ率ヒ、当境院内口ヘ押カヽリ、御三殿ヲ留メ置候ニ於テハ、直々撃入リ候趣キ、厳シク相迫リ、賊使久保田ニ逗留シテ、其返答ヲ責メ立テ候得共、四境ニ敵ヲ受テ、奥羽ノ中ニ孤立致シ候ハ、天朝ノ御タメニ身命ヲ擲チ、御三殿ト存亡ヲ共ニスルノ覚悟ニ御座候故、迅速兵ヲ繰出シ、四境ヲ固メ候内、御征討ノ官軍、六七百人来着、直々院内口ヨリ進撃、新庄之ニ応シ、大勝利、賊将簗川播磨ヲ始メ大ニ首級ヲ獲候処、賊兵又蝟ノ如ク集リ、輾転四方ニ出テ、遂ニ新庄ヲ焚掠致シ、其後塩根坂ヲ始メ、当領役内口ヨリ漸々破レ、賊焔甚タ熾ニ罷成候ニ付、中将儀仙北ヘ出張仕リ沢殿モ続テ御進発、境村ニテ御同様ニ相成候処、新屋口切迫ノ報知有之、沢殿エ御相談ノ上、中将ハ直々引返シ、新屋口ヘ本陣ヲ居ヘ沢殿ハ横手ヘ御進被成置候ニ付、官軍并当藩ノ士孰モ力戦、賊ノ死傷極テ多御座候得共、衆寡敵シ難ク、段々賊ノタメニ押サレ、八月十一日横手城モ焼却致サレ、雄勝、平鹿ノ両郡悉ク賊地ト相成リ、沢殿始メ、総軍遂ニ仙北郡神宮寺村ヘ御引揚ケ、賊ト川ヲ隔テヽセリ合、壁塁砲台相望テ長城ノ如ク厳重ニ相固メ官軍追々到着仕リ、当時数千人楢岡、神宮寺、角館ノ間陸続相連リ、当藩亦国内ノ兵ヲ挙テ諸営ヲ固メ、頻リニ進撃ヲ図リ候得共、賊徒雄勝、平鹿、仙北三郡ノ中ニ蔓延致シ、連戦格別ノ勝敗無之、月ヲ踰ヘ進兼罷在候処、南部其虚ニ乗シ、東ハ生保内、北ハ十二所、此両口ヨリ攻来リ、十二所、大館ノ兵士死力ヲ奮ヒ、一応ハ打勝候得共、倍々ノ賊兵終ニ不支、十二所、大館共ニ賊火ノタメニ焚カレ、十余里ノ間尽ク掠奪致サレ候処、九条殿ヨリ肥藩ノ兵御繰出被成置、大ニ奮戦、当藩ヨリモ数百ノ応援、共々進発仕、醍醐殿津軽ヘ御転陣ニテ津軽モ亦応之、賊兵シバ々々破レテ境外ニ逃去リ申候、生保内口モ賊封内ニ侵シ入候得共、直々追散シ、新屋口モ亀田ハ賊ト相成、本庄、八島ハ押潰サレ候得共、一方ハ賊領長浜辺ニテ喰ヒ留メ、一方ハ川辺郡境目ニテ防戦罷在候、処亀田境ニ屯集ノ賊大勢亀田ノ教導ニテ川ヲ渡リ、仙北川辺ノ際、下淀川福部羅ヲ打破リ、勝ニ乗シ一手ハ本道ニ出テ境村ヲ焼立テ、久保田ヲ距ルコト六里許リ川辺郡船岡迄侵入、一手ハ久保田ヲ距ルコト三里許リ、椿台マテ打入リ、此二手必死ヲ極メ久保田ヲ目カケ相進ミ候ニ付、殊ニ猛烈其鋒当カタク、九月十三日長浜、椿台ノ両所大合戦ニ相成、砲声本城久保田ヲ震動致シ、此時ニ当リテ、賊徒手ヲ拍テ大事既ニ定ルト、弥侵入ノ勢ヒヲナシ、右ニ付城内当用ノ諸役人迄、尽ク繰出シ、久保田町ハツレ、牛島四ツ小屋辺相固メ、椿台応援ノ勢ヒヲ張リ、長浜椿台共遂ニ賊ヲ撃崩シ候処、本道ノ賊兵已ニ船岡ヲ焼キ払ヒ、境ノ方ヘ引取、兵ヲ分ケテ刈和野ヘ侵入、神宮寺ノ後ヘ迫リ候故、神宮寺村ヨリ数隊ノ官軍、刈和野ヘ応援致シ候得共、不利シテ引退キ、神宮寺村前後ニ敵ヲ受ケ、総軍是非ナク角館ヘ引揚ケ候処、賊兵直ニ川ヲ越ヘ、長駆大ニ進ミ、境ノ賊ト合併段々久保田ヘ侵来ノ勢ヒヲ表シ候ニ付、官軍并ニ当藩ノ兵、神内船岡ヨリ奮進勇撃、大ニ苦戦致シ、賊退テ桧山、長根ノ険ニ拠相守候処、官軍又進テ烈ク之ヲ撃、当藩人数孰モ決死力戦、同十六日ニ至、賊大ニ敗走、死傷不少、此時角館ヘ引取候官軍モ、亦皆死ヲ以テ誓ヲナシ、刈和野ヘ進ミ賊ノ後ヲ霆撃、十五、十六両日ノ合戦甚厳ク、賊前後ヨリ攻メ立ラレ、死者数百人、手負ノ者ハ其数知レ申サス、垓下ノ一敗、賊再ヒ不振、瓦解土崩、遂ニ本国ヘ逃帰、諸賊尽ク降伏致シ、御三殿目出度御凱陣被成候間、此段御届申上候様、国元ヨリ申越候、以上
十一月〈佐竹中将家来〉村瀬清

雄勝、平鹿、仙北三郡村々兵火焼失取調覚
雄勝郡
家数惣合千七百拾軒
内 三百八拾五軒 焼失
同 五軒 潰家
平鹿郡
家数惣合五千五百三軒
内 八百拾八軒 焼失
仙北郡
家数惣合五千九百二拾二軒
内 千百四拾六軒 焼失
【○】山本川辺秋田三郡村々兵火焼失取調覚
山本郡
川辺郡
家数惣合六百五拾軒
内 二百六拾九軒 焼失
秋田郡
家数惣合三千三百軒
内 二千六拾六軒 焼失
右六郡
家数惣合一万七千八拾五軒
内 四千六百八拾四軒 焼失
外ニ
一、御高札場 四ケ所
一、駅場役所 四軒
一、寺社 十三軒
一、備蔵 四〈但米籾共〉
一、宮 五宇
右仙北郡之内ニテ焼失
一、土蔵 二百五
一、木屋 三百三十八
一、寺院并堂宮 三十三軒
一、駅場役所村役所共 八軒
一、備蔵口蔵共 十二〈但米籾共〉
一、金山 無残
一、穢多 八軒
右山本、秋田両郡之内ニテ焼失
右之通、六郡之内ニテ兵火焼失御座候、以上
十一月
右之通、国許ヨリ申越候間、御届申上候、以上
十一月
佐竹中将家来村瀬清

太政官日誌・明治元年155号

太政官日誌第百五十五
明治紀元戊辰冬十一月

【久保田藩奥羽戦記四】
久保田藩届書写

九月仙北郡境村勦賊略報【其二】
九月十二日、佐土原藩兵、弊藩本営分隊、近臣兵等境村ヘ来会、乃チ手分ヲ定メ、官道ハ薩藩兵及ヒ弊藩、戸村大学兵〈此時大学病気ニ付薩藩ヘ合兵〉信太内蔵助兵、右方ノ山ハ佐土原藩兵及ヒ弊藩近臣隊兵、白土弟力兵、左ノ方山ハ弊藩近臣隊兵、内野村ハ小野崎三郎、町田小一郎兵ヲ以テ、守備ヲ相設候
十三日、弊藩古内左惣治、寺崎藤九郎等ノ兵角館近邑在陣ノ処、境村戦状切迫ニ付、角館会議所ヘ追撃、先鋒ヲ請ヒ、同夜長州、小倉其外諸藩ノ兵ト倶ニ、間道水沢ヨリ進軍致シ候
十四日、薩、長、筑、小倉、新庄五藩之兵及ヒ古内左惣治兵、夜中境村ヘ来着、長藩之兵ハ船岡ヘ宿陣致シ候
十五日、昨夜来着ノ兵隊ハ、今日休息、明日総軍進撃之事ニ軍議ヲ定メ居候処、巳刻頃官道及ヒ山上ヨリ賊兵発砲進来ニ付、諸隊兼テ手分ノ如ク備ヲ立、尚新庄藩兵、古内左惣治兵ハ東ノ山ヘ進出、寺崎藤九郎、貝塚久吉隊ハ北ノ山ヘ布列、各隊倶ニ奮撃猛戦、其内因藩新兵モ来会、乃チ官道ニ向ヒ防戦、申刻ニ至リ砲戦益猛烈、然ル処、賊等伏兵ヲ吾兵ノ後ニ回シ、官道ヲ遮リ挟ミ撃候ニ付、因州、新庄、弊藩ノ兵之ニ当リ防戦ノ処、已ニ境村ニ乱入、焼余ノ人家ヘ火ヲ放チ、烈戦暴進ニ付、諸軍動揺、已ニ旋退ノ隊モ有之、其時寺崎藤九郎兵、佐土原、新庄二藩ノ兵ヘ相議シ、賊兵ノ後ヘ回リ、彼ヲ挟撃可致ト策ヲ定メ、山谷ヲ越ヘ官道ヘ出候処、其兵ノ未タ達セサル間ニ、船岡ニ宿陣セシ長因ノ兵、已ニ繰出シ、賊兵ノ後ヨリ攻撃致シ候処、果シテ賊前後ノ敵ヲ支エ兼、散潰致シ候ニ付、各隊気ヲ得テ猛進、刀槍等ヲ以テ衝突シ、引揚ノ諸隊モ又旆ヲ反シ、一同追撃致シ候処、賊兵死傷数ヲ知ラス、大敗走ト相成候、此時長浜ノ賊モ已ニ潰ヘ、椿台、刈和野ノ賊モ随テ崩レ、此地ノ捷功等ヲ以、賊兵鳥散獣遁、巣窟ヲ一掃シ、是ヨリ仙北諸郡賊ノ影跡無之候
右数日戦争死傷百十人
斬獲
首一級〈寺崎藤九郎隊斥候〉島田鉄吾
右ノ外賊三人斬斃、倉卒ノ際首級ヲ獲ルニ及ハス
〈同隊兵士〉根田金治
生俘一人 宮沢金弥
渡部竜蔵
右三士ニテ獲之
首一級〈戸村大学隊旗奉行〉小貫蔵人
同〈同兵士〉小田部又右衛門
同 掛札嘉右衛門
首三級〈戸村大学隊足軽〉大島清右衛門
同二級〈同家士〉高橋与市
同一級〈同徒士〉佐藤林治
賊一人〈近臣兵隊長〉岡内之丞
〈岡内之丞隊兵士〉熊谷巨助
賊一人 折内孫六郎
小室源吉
右三人ニテ斬之
同一人 湊弥七
同一人 小野岡恕助
小貫猪蔵
右二人ニテ斬之
同一人 田中作三郎
右何レモ倉卒ノ際、首級ヲ獲ルニ及ハス
同二人〈内一首級ヲ獲ル〉小野岡恕助
分捕
旗 一〈戸村大学隊〉小貫蔵人
脇指刀 一 掛札嘉右衛門
小銃 一 高橋与右衛門
胴乱〈弾薬雷管〉一 佐藤林治
追補
国安又三郎
小山虎之助
右者、当七月中、米荘探索ノ為メ差出置候処同月廿四日米沢出立、越後桃咲辺ニ於テ、暗殺ニ相成申候
〈今宮大学兵士〉冨永典治
〈同隊医生〉芳賀椿造
右者、当八月中、亀田地ヘ探索ノ為メ差出置候処、同藩ノ為メ暗殺ニ相成申候
〈渋江内膳手〉〈小人〉周吉
〈小荷駄方手代〉与三郎
右者、当八月中、亀田表ヘ探索ノ為メ差出置候処、同月十五日荘賊侵入ノ砌、斬首セラレ候
〈軍事総括小野岡右エ門斥侯〉樋口長吉
右者、当八月廿三日、花立村進撃ノ砌、斥候トシテ、賊軍間近ク相進候処、砲丸貫胴、即死致シ候
〈同〉白土金治
右者、同断ノ節手負致シ候
〈薩州附小荷駄方〉高井堅治
右者、同断ノ節、小荷駄支配罷越候処、輜重引揚甚タ相難シ、賊三人ノ為ニ被取囲、内二人ニ手ヲ為負、討死致候
〈佐竹河内手斥候〉竹村庫之丞
右者、八月廿二日、角館口進撃ノ節、斥候トシテ横沢村迄単騎相進候処、賊軍中ニ陥リ、賊五人ト接戦ニ相及ヒ、二人斬斃討死致シ候
三宅重右衛門
右者、兼テ刈和野村締トシテ差出置候処、九月十五日賊徒侵掠ノ砌、討死致シ候
右戦争之概略、国許ヨリ申付越候間、此段御届申上候、以上
十一月 村瀬清

【○】由利郡長浜勦賊略報
庄賊日ニ跋扈、由利郡ヲ侵奪シ、陸続進迫ニ付、掃攘ノ為メ、肥州兵隊、弊藩隊長今宮大学及ヒ荒川久太郎、岡谷兵馬、梅津隼人助、其外同族佐竹播磨守兵隊等長浜村山海ノ間ニ列営厳備候処、九月十二日昧爽、賊兵暴カニ襲来、火ヲ村南ニ放チ、山觜ヨリ烈シク発砲攻来候ニ付、各隊陣ヲ布キ、大小砲ヲ発シ防戦候処賊益進来、海浜ヘ攻回リ、播磨守兵隊コレニ応シ候エトモ、寡兵ニ付、今宮大学隊山觜ヨリ海浜ヘ繰出シ、倶ニ奮戦、両処斉シク争戦ト相成リ、砲声山海ヲ震動シ、早暁ヨリ午後迄、互ニ烈戦致シ候、其時今宮大学槍兵大島与十郎一隊十余人、海浜山凹ノ処ニ潜伏戦機ヲ見量リ、忽然突出、奮激血戦致シ候処賊兵コレカ為ニ破胆披靡シ、海浜ノ賊先ツ潰ヘ、山觜ノ賊モ亦敗レ候ニ付、諸隊勝ニ乗シ斉進鼓噪、尾撃シテ羽根川ニ至リ宿営ス、是ニ於テ侵奪セラルヽ所ノ地、不日収復ノ功ヲ奏シ申候
右戦闘中、死傷十九人
斬獲
役夫 五人
右今宮大学部下所獲
首三級
内一級被冑、松山賊将毛呂太郎大夫首
分捕
麾 一
鉄砲 三
腰袋 一
右今宮大学部下所獲
ライフル砲弾薬 一箱
英式ミニヘール弾薬 二箱
右荒川久太郎部下所獲

一、金二千疋〈秋田今宮大学槍隊〉宇野金弥
右之者事、先達テ長浜戦争之節、賊勢跋扈之処、不顧生死、一番乗込、討死致シ候段神妙ニ候、依之会計金ノ内ヲ以、被下候事
一、金五枚〈秋田今宮大学槍隊〉川井嘉八郎
右之者事、先達テ長浜戦争之節、賊兵ニ突入、庄内松山藩物頭毛呂太郎ヲ討取候段、戦功相著、依之御褒美トシテ、会計金之内ヲ以、被下候事
一、銀三枚〈秋田今宮大学槍隊〉山田勇助
右之者事、先達テ長浜戦争之節、川井嘉八郎、庄内松山藩物頭毛呂太郎大夫ト奮戦之砌、助太刀致シ候段、被対戦功、御褒美トシテ、会計金之内ヲ以、被下候事
一、白銀三枚宛〈秋田今宮大学槍隊〉茂又卯吉
橋本兵衛
右之者事、長浜戦争之節、庄内松山藩毛呂太郎大夫、川井嘉八郎ト組打之砌、助力致シ候段、隊長ヨリ申出、依之為御褒美被下候事
十月 監軍
右戦争之概略、国許ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
十一月〈佐竹中将家来〉村瀬清

太政官日誌・明治元年154号

太政官日誌第百五十四
明治紀元戊辰冬十一月

【久保田藩奥羽戦記】
久保田藩届書写

南部賊掃攘略報〈其三〉
南部境生保内口固トシテ、和田小太郎手同様同村在陣罷在候処、当月廿八日申ノ刻頃、南賊二百人余、雨ケ岳打越ヘ、下タ川原長根ヨリ、俄ニ襲来候ニ付、小太郎手ト合兵人数繰出シ候処、其内八幡林近ク賊進来リ、砲発致候処、賊大ニ狼狽敗走逃去リ申候、同廿九日賊兵山上ヘ屯集ノ様子ニ付、又々小太郎手ト合兵進撃、山上并本道、田面三方ヨリ進撃致候処、賊山上ヨリ砲発、次第ニ山ヲ下リ、本道左ノ野間ニテ双方烈敷発砲、賊二百有余味方八十人許リニ候得共、必死ヲ極メ奮戦致候処賊既ニ引色ニ相成候ニ付、味方大ニ威ヲ得、愈進撃致候処賊散々ニ敗走、山上ヨリ遂ニ境外ヘ逃去候得共、味方小勢追討ニ及兼候、此節両手ニテ三十人計リモ討留候得共、賊死傷ヲ隠シ、護送ニ長シ候ニ付、首級只二ツヲ得申候、其節討死、手負五人、分捕左之通
首級〈南賊士分藤田繁次郎〉
右ハ山崎謙之助、佐川八右衛門両人ニテ討取
同〈賊士分鳥谷部万太〉
右ハ小野岡源吾討取
分捕
旋条銃 一挺 フランケ 一枚
雷管入 一ツ 金子 廿六両
右ハ西宮沖也
陣笠 一ツ 西洋太鼓 一ツ
旗 一流
右ハ吉成新一郎
太刀 一本
右ハ冨永文吾
旋条銃 二挺 太刀 二本
打刀 三本 早合入胴乱 二ツ
金子 六両 軍胴乱 一ツ
忍提灯 一ツ
右ハ兵部部下ニテ
右之通、隊長渋江兵部ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上

八月廿八日七ツ時過、南賊凡二百人位モ可有之哉、雨ケ岳ヲ打越、下河原長根エ、南賊俄ニ押来候注進有之、迅速人数取纏ヒ、渋江兵部手ト申合セ、手配リ繰出候内、賊ハ八幡林向迄押掛リ、兵部手ハ本道筋ヨリ押掛リ、進撃中人数繰出、武蔵野エ出張リ、双方ヨリ砲発厳敷戦争、賊段々引退キ、夜ニ入リ、互ニ休戦ニ相成、一夜野陣ヲ構ヘ、厳重ニ相固メ翌廿九日未明メスカ峰ト申処エ、両手ヨリ十人程繰出シ、明ルヲ待、諸方一時ニ進撃苦戦致候ニ付、次第ニ引色ニ相成、味方一歩モ不退、益烈敷戦争ニ及候処、賊終ニ敗走、兵糧米ヲ焼捨、山手エ引退申候、以上
右之通、隊長和田小太郎ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上

久保田ヲ去ルコト六七里、仙北郡下淀川本陣ニテ、ヲカナ坂、牛首頭、貝ノ沢相固メ、白土弟力一小隊ニ、町田小一郎分隊手合併、貝ノ沢応援ニ致、罷在候処、本月八日巳刻頃、庄賊小種〈本庄固メ〉岩野、土淵〈筑州固メ〉新田〈信太内蔵助固メ〉福部羅〈梅津千代吉固メ〉右五ケ村エ放火、段々固所エ侵入致候ニ付、ヲカナ坂、牛首頭両処エ、当手繰出候処、川向ヒ上子坂ト申処ヨリ、賊果シテ大勢二手ニ別レ、百余人強首村エ火ノ手ヲ挙ケ、一手ハ田間ヨリ月山ト申処エ登リ、総勢五百余人位、烈敷発砲、味方モ競ヒ懸リ、闘戦仕候内、賊又大勢小種、岩野エモ押来リ、本庄筑州勢モ一ト先引揚候処、賊勢愈猛烈、新田、福部羅ノ砲声烈敷、牛首頭辺迄相聞エ候処、申刻頃ニ至リ、砲声相止ミ候ニ付、斥候ヲ以テ相伺ハセ候処、賊既ニ下淀川エ押込放火致シ、後口ヨリ押来リ、挟討相成候模様且黄昏ニ及ヒ、無拠湯ノ沢迄引揚申候、翌九日辰刻頃、筑州参謀杉山新五左衛門差図ニテ境村エ人数引纏固守罷在、同十日辰刻賊大勢同処本道并山手ヨリ押来リ候ニ付、本道ハ戸村大学、山手ハ当手ニテ相固メ、烈シク発砲頗ル及苦戦候内、戸村大学手引退候ニ付、小勢ノ味方難堪舟岡迄引揚、戸村大学、信太内蔵助ト合併、同日巳刻境山路エ繰出候処、左右ノ杉林ヨリ、賊烈敷発砲付、味方暫ク闘戦致候得共、衆寡難敵舟沢迄引揚候途中、薩州隊長ニ出会、防禦ノ軍議ニ相及候得共、地勢不便、無拠薩州勢同様、又神内迄引揚申候
同十五日午刻過ヨリ、戦争ニ相成リ、当手二十四人、境万松寺後口杉林エ進ミ、砲戦致候処、賊境焼残リノ両三家ヲ放火、厳敷進来、諸手無残引揚ニ相成、薩州勢当手而已ニテ苦戦ニ相成、薩州隊長ヨリ総軍引揚ノ報告有之舟岡迄引戻リ候内、長州勢賊ノ跡ヲ絶切リ、追撃致シ候ニ付、又々引返シ、境迄進撃仕候右戦争中手負七人
右之通、隊長玉生六郎ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上

隊長梅津千代吉久保田ヲ去ルコト六七里、仙北郡福部羅ニ出張、賊ト川ヲ隔テ日々砲戦相争ヒ罷在候処、本月八日辰刻許リ、賊潜ニ川ヲ渡リ、上野戸村大学陣中エ襲来リ候由、報告有之、則物頭蓮沼与市一小隊エ、銃隊戦士数十人差添遣ハシ、物頭赤須哲三郎一小隊ハ、本陣前川岸ニ備エ、千代吉モ直ニ上野エ応援致候得共、賊兵既ニ上野ヘ火ヲ掛ケ、勢ニ乗テ押来リ、且右ノ山手エ備候一軍、大学ノ手ト心得居候処、是モ賊兵ニテ、急ニ進来リ烈ク砲撃、哲三郎モ人数ヲ繰出シ、連発砲戦致候得共、賊多勢ニテ四方ヲ囲ミ、殊ノ外苦戦ニ相成リ、隊長千代吉始メ討死手負モ不少、応援ノ兵無之、無拠一方ヲ打破リ、申ノ刻頃左ノ山伝ニ引取申候、右戦争中討死、手負三十六人
右之通、組頭黒木造酒ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上

九月十三日夜下延村出兵、同十四日境村エ着同十五日朝淀川村ヨリ、賊押来候注進有之候ニ付、寺崎藤九郎兵隊、戦士二十四人引連、北ノ山エ繰出、物頭貝塚久吉同処峰続下手エ繰出、当手東之森エ繰出、佐土原、新庄其外当藩之人数同様砲戦致シ、七ツ時頃ニ相成候処、北ノ山ヨリ賊唐松宮後山エ廻リ候ニ付、人数引連レ、諸藩同様同処エ繰出、賊追散シ境村エ人数引纏、其節討死、手負三人、討留分捕左之通
賊一人鑓ニテ突留 堀尾舎人
賊一人切伏 金沢友之助
庄賊一人切伏〈貝塚久吉組足軽〉貝塚喜久治
庄賊一人鉄砲ニテ打留〈同〉貝塚直右衛門
根田金治
宮沢金也
〈古内左総治家来〉渡部儀助
右三人、賊一人生捕、船岡村会議処エ引連候処、監軍松田次郎兵衛差図ニ付、成敗致候
滝沢銀蔵
右ハ庄内郷夫様之者生捕、山本友右衛門エ相渡ス
分補
旗 一本 金沢友之助
ミニヘール 一挺 登坂新助
右之通、隊長古内左総治ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
九月
右之通、国許ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
十一月〈佐竹中将家来〉村瀬清

同藩届書写

九月仙北郡境村勦賊略報【其一】
九月初ニ至リ、賊勢益猖獗、亀田境ヨリ仙北郡ヘ侵入ニ付、仙北川ニ沿ヒ諸兵列営、筑州兵ハ土淵村、本庄兵ハ中小種村、弊藩兵戸村大学隊ハ上野村、信太内蔵助隊ハ小種新田村梅津千代吉隊ハ福部羅村ニ備ヘ、其外玉生六郎隊ハ下淀川村、白土弟力隊ハ貝沢村、町田小一郎隊ハ太田村ニ在テ防守ノ処、九月八日賊大軍ヲ以テ、不意ニ川ヲ渡リ、中小種ヲ横進シ、上野ヘ撃入、戸村大学兵難戦ト相成リ賊兵直ニ福部羅ニ至リ、梅津千代吉兵進戦防禦ノ所、賊兵愈暴進、山後ヨリモ囲繞シテ攻メ来リ、千代吉兵殊ニ苦戦ニ及ヒ、信太内蔵助兵モ新田ヨリ来加リ、同シク防戦致候ヘトモ、衆寡敵シ難ク、千代吉モ遂ニ戦死致シ、右二隊殊ニ多ク死傷致候、又白土弟力兵モ貝沢ニテ防戦、町田小一郎兵モ筑州、本庄二藩ノ兵ト倶ニ、山ニ傍フテ賊兵ヲ邀ヒ撃チ、尚引揚ノ諸隊モ相合シ、倶ニ奮戦致候ヘトモ、賊兵益加ハリ数ケ村エ放火、鼓噪シテ進来リ諸隊不利、且黄昏ニ及ヒ、依テ遷陣止戦致候
九日、峰吉川ヨリ境村マテ、諸隊防守ノ部署ヲ相定メ候
十日辰刻、賊兵境村ヘ攻来、諸隊協力防戦致候ヘトモ、此地径路甚タ多ク、衆賊分隊吾前後ヘ兵ヲ出シ、戦争艱苦、依テ一旦船岡マテ兵ヲ遷シ、猶又奮進境村マテ追撃候処、賊伏兵ヲ設ケ連リニ砲発、吾兵左右敵ヲ受ケ防守不便、依テ軍ヲ旋シ薩藩隊長等ト相議シ、神内村等ニ宿営致候、其時弊藩本営分隊近臣兵岡内之丞隊モ戸島ヨリ来会致候
十一日、賊兵峰ノ山ヨリ上淀川辺屯集、次第ニ侵迫ノ勢ニ付、諸隊境村ヘ相進ミ防守、薩藩長野九八郎隊、弊藩小野崎三郎隊モ来会致候
是日、刈和野村ヘモ賊兵侵来リ、平戸、新庄二藩ノ兵及ヒ弊藩兵、今宮伊豆隊等防戦同小田野刑部隊ヨリモ分兵、何レモ苦戦致候ヘトモ、村中処々放火等ニ相成リ、賊兵蔓延、官道ヲ絶チ塞ノ勢ニ付、諸隊引揚ニ相成候

太政官日誌・明治元年153号

太政官日誌第百五十三
明治紀元戊辰冬十一月

【久保田藩奥羽戦記二】
久保田藩届書写

南部賊掃攘略報〈其二〉
斬獲
佐竹大和隊
首一級〈賊名、栃内直蔵〉〈戦士〉青柳紋治
同〈足軽〉須藤源三郎
同〈同〉佐藤小右衛門
須田政三郎隊
同〈佐々木祐司ト名札アリ〉〈足軽〉三浦謙蔵
同〈関村大内蔵富祗ト名札アリ〉同川村広治
同〈同〉川村福蔵
同〈同〉坂本久治
同〈同〉腰山三右衛門
両人ニテ獲之
賊一人 吉田順吉
同 成田直江
斬斃之倉卒之際首級ヲ不獲
茂木筑後隊
菅生数馬
首一級〈賊名和井内捨蔵〉谷田部久右衛門
吉成九右衛門
三人ニテ獲之
同 石川専之助
同 鈴木助十郎
同 月居捨吉
〈筑後家士〉塩沢直治
両人ニテ獲之
同〈足軽〉小笠原和吉
同〈同〉佐藤俊蔵
同 小川平太
同〈足軽〉斎藤多吉
同 奈良与市
同〈長官桂源吾〉〈同〉佐藤俊蔵
同〈同〉渡部多助
三人ニテ獲之
同〈下田常右衛門〉武田金兵衛
〈猟夫〉和三郎
同〈荒木田務〉〈農夫〉万蔵
両人ニテ獲之
同〈小沼嘉右衛門〉〈農兵〉市太郎
〈猟夫〉久三郎
同〈農兵〉与蔵
米吉
三人ニテ獲之
〈足軽〉渡部多助
同〈沢口惣八〉〈同〉佐藤助右衛門
両人ニテ獲之
同 武田孫六郎
岡本大内蔵
同〈川野次郎治〉蛭田主税
佐藤慶八
武田鶴蔵
四人ニテ獲之
同〈足軽〉近江孫三郎
中山仲助
同〈桜庭祐吉内立山熊太郎〉小笠原内蔵吉
奈良勝蔵
三人ニテ獲之
賊一人 菊地順之助
銃場ニテ首級ヲ不獲
同 吉成九右衛門
同 佐藤竹治
同 城権六
同 関新蔵
同 佐賀源吾
同 赤上采女
同〈猟夫〉与市
右倉卒之際首級ヲ不獲
箭田野民部隊
首一級 根本宇吉
小野寺主水隊
同〈中村忠陸〉永禅院徳丈
同 吉祥院
同〈熊谷助右衛門〉〈修験〉重覚院観覚
同〈沢出可陸〉長福院桂円
同〈玉井文作〉珍蔵寺
同〈修験〉吉祥院良俊
宝鏡院出家浄仙
両人ニテ獲之
同 西善千議尊
善長寺出家静山
両人ニテ獲之
同 宝鏡院出家浄仙
同〈社家〉斎藤良之進
賊一人 善性院
倉卒之際不獲首級
茂木筑後隊
生俘一人 武田茂助
吉祥院
両人ニテ獲之
生俘二人 大森内蔵助
岡本大内蔵
両人ニテ獲之
同 渡部貫平
吉田権左衛門
両人ニテ獲之
同三人 小島善之丞
藤村新吉
両人ニテ獲之
同一人 大森内蔵助
同〈夫卒〉善之助
同〈猟夫〉善助
須田政三郎隊
同 熊谷伝治
柳谷忠一郎
転野継太
三人ニテ獲之
同〈猟夫〉金平
多賀谷長門隊
同 中野堅太
同 兵隊中ニテ獲之
同〈長門家士〉山内掃部
同〈同〉川田留治
同〈同〉草野久米助
同〈足軽〉平助
小野寺主水僧兵隊
同四人 重覚院観覚
同一人 吉祥院良俊
同 源乗院
分捕
米 二十俵 酒 七樽
甲冑 一領 胸甲 八枚
兜 四頭 陣太鼓 一柄
太刀 五本 槍 四本
和銃 二挺 幕 半張
轡 一口 陣笠 二蓋
鞭 一本 軍扇 一握
短刀 二本 大小 六腰
ミニヘール 三挺 ケヘール 一挺
弾薬 三函 金 五十九両三分
以上茂木筑後兵隊中所獲
弾薬 一函 陣笠 二蓋
刀 六本 脇差 一本
槍 十筋 兜 二頭
甲胴 一枚 小銃 一挺
大砲 一門 幕 一張半
金 二両二分
以上須田政三郎兵隊中所獲
米 六俵 甲冑 四頭
大小刀 二腰 刀 一本
大砲 一門 弾薬 一函
兜 四蓋 幕 半張
槍 二枝 火縄銃 一挺
金 四十五両
以上小野寺主水兵隊中所獲

八月廿三日申ノ刻、薩州勢神宮寺川ヲ渉リ、賊ノ屯処大曲村エ進撃ニ付、斥候ノ者差出置候処、夜中ニ至リ、薩川勢苦戦ニ相成、神宮寺エ引揚候折柄、賊後エ回リ厳敷発砲、両三輩ノ斥候防戦致シ候得共、終ニ難敵、其節死傷之者二人
右之通、家老小野岡右衛門ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月
本月廿三日申ノ刻、薩州勢神宮寺川ヲ踰エ、賊ノ根拠大曲村エ進撃ニ付、小荷駄方高井堅治新組足軽四五人相従エ、兵糧運送間迫リ、短兵相接、高井堅治賊両三人ヲ切倒シ候得共多勢ニ取囲レ、力不及、終ニ討死致候
右之通、小荷駄奉行江間伊織ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月
南部境生保内口固メトシテ当手半小隊、渋江兵部手同様、同村在陣罷在候処、当月廿八日申ノ刻頃、南賊二百人雨ケ岳打越ヘ、下タ川原長根間道ヨリ襲来、注進有之ニ付、即兵部手ト申合、武蔵野并同処田面ヨリ人数繰出シ砲発進撃致候所、戌ノ刻頃賊終ニ逃去候故、味方武蔵野エ引纏エ、其夜野陣ヲ張リ、翌廿九日未明ヨリ、又々兵部手ト合兵、見ス平山ヘ半小隊繰出シ、烈敷砲発、午ノ刻迄大ニ苦戦致候処、賊潰散、山手ヨリ遂ニ境外エ逃去此時賊兵三十人位モ討留メ候得共、賊皆擁護シテ引行申候、其節手負二人、分捕左之通御座候
分捕
兵糧米 二俵
右ハ加藤主鈴下夫
右之通、隊長和田小太郎ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月

太政官日誌・明治元年152号

太政官日誌第百五十二
明治紀元戊辰冬十一月

【久保田藩奥羽戦記一】
久保田藩届書写

南部賊掃攘略報【其一】
七月以来、南部国情不測、形跡可疑事ノミ有之候処、追々兵隊ヲ弊藩接境ノ地ヘ暗ニ進メ事機切迫ノ状、北境十二所鎮将茂木筑後ヨリ連リニ急使ヲ以テ報告ニ付、彊場鎮静敵情伺察等ノ為、家老須田政三郎差遣シ、八月九日暁十二所着ノ処、彼ヨリ筑後マテ、書簡ヲ贈リ、報書ヲ待タス大小砲ヲ放射、沢尻、別処葛原ノ三路ヨリ侵入候ヘトモ、兼テ彼ヨリ談判ノ儀ハ、此度ノ事件全ク異心有之儀ニハ無之、仙台ヨリ暴威ヲ以テ迫促セラレ、不得已コノ状態ヲ成候ヘトモ、決テ暴動等ハ不致旨情実ヲ尽シ候応接モ有之ニ付、応戦ノ手配擬議致候内、賊兵猶予ナク暴進、境内ヘ侵入致候ニ付、兼テ備置候兵隊ヲ以テ防戦ニ及ヒ、筑後政三郎等死戦モ可致ト勉励致候ヘトモ、何分事不意ニ出テ、兵器整ハス、且ツ衆寡ノ勢敵シ難ク、十二所引揚、岩瀬村ニ遷陣致候処、賊忽チ十二所ヘ乱入、一郷兵火ト相成候是日大館城東雪沢境ヘモ賊兵侵入、同シク不意ノ事ニテ、境上備禦ノ兵隊モ寡少ノ折柄、賊兵縦進、大館城近地マテ迫リ候ニ付、当城鎮将佐竹大和部下ノ兵隊繰出シ、鬼城山下ニテ邀ヒ撃チ、薄暮ヨリ砲戦始リ、夜半益迅烈暁天マテ争戦致候
十日〈是日ノ戦争既ニ第百八巻ニ詳ナリ〉
十二日〈右同断〉
十四日、先般仙北辺賊勢猖獗ニ付、桧山鎮将多賀谷長門部下兵隊引率、久保田ヘ出兵致サセ候処、南部賊冠益急迫ニ付、大館ヘ応援トシテ途中ヨリ差向ケ、今日大館着陣致候
十五日、佐竹大和扇田ヘ出陣、十二所収復ノ事ヲ謀リ、兵隊十二所マテ進軍、多賀谷長門兵隊ハ軽井沢マテ進軍致候ヘトモ、賊兵境上内外ニ集屯、焼後ノ地、陣営ノ処モ無之、依テ本営ヘ引揚候、是日茂木筑後モ扇田ヘ転陣同シク十二所進撃ノ事ヲ謀候ヘトモ、病気ニテ延引、十六日応援トシテ、小場小伝治家人兵隊引率大館着、小野寺主水僧兵隊引率、仁井田着致候
十八日、茂木筑後兵隊先鋒トナリ、諸隊長手分ヲ定メ、賊兵ヲ追撃、十二所マテ進入候ヘトモ、賊兵要害ニ拠リ処々出没、保守相整ヒ難ク、扇田ヘ帰営致候
十九日、大葛金山ヘ賊兵侵入ノ趣ニ付、須田政三郎相向ヒ候処、二十日賊来襲ニ付、手分ヲナシ邀ヒ戦候処、賊猛烈進闘、吾カ先陣之力為ニ披靡、賊兵勢ニ乗シ競進ノ処、政三郎属士篭谷隆之進等ニ命シ、兵士ヲ勉励シ、奮激力戦、遂ニ賊ヲ追退ケ、賊等遂ニ逃去候
廿日、賊大軍ヲ以テ、十二所口ヨリ侵来、官道及ヒ山道、川道ト三方ヨリ陸続攻入ニ付、茂木筑後扇田ヨリ兵隊繰出シ、小野寺主水僧兵隊等相備ヘ、大小砲放射、尽力防戦致候ヘトモ、三方ノ賊砲飛丸雨集、寡兵難防、乃チ扇田村端ヘ引揚ケ、猶備ヲ立テ苦戦致候ヘトモ、賊兵益加リ暴進致候ニ付、川ヲ渡リ根下戸村ヘ引揚候、此時多賀谷長門兵モ川ヲ隔テ砲銃ヲ以テ横射致候ヘトモ、賊遂ニ扇田マテ乱入ニ付、便山王台ヘ引揚露営致候、ソノ夜賊扇田ヘ放火、一村火焔ト相成、須田政三郎モ筑後ヨリ急報ニ付、大葛ヨリ引揚候途上、扇田ノ兵火ヲ見、依テ山路ヲ経テ、鷹巣村ヘ転陣致候
廿一日、十二所、葛原ヨリ侵入ノ賊兵全軍、大挙大館ヘ侵来ニ付、佐竹大和闔郷ノ兵隊ヲ繰出シ、多賀谷長門、小場小伝治、其外津軽藩一小隊ヲ以テ、金谷村、餌釣山等ヘ出張、争戦致シ、夫ヨリ山王台ヘ遷リ、大争戦ト相成リ、終日終夜大小砲ノ声、山野ヲ震動、猶雪沢口ヨリモ賊益兵ヲ加ヘテ侵入、数村ヘ放火、依テ其処ノ守兵モ繰引、大館ヘ纏ヒ、一同協力苦戦致候
廿二日、賊兵来冠以来、十余日ノ間、佐竹大和孤城保守、日々出戦、部下ノ士卒必死防禦致候ヘトモ、寡兵少銃、且ツ援兵モ不続内、賊大挙来攻ニ付、見在ノ兵隊ヲ分散、四方ヘ布列苦戦致候ヘトモ、今暁ニ至リ、賊兵城外ヲ囲繞シテ来リ、諸口分配ノ兵士モ無之、已ニ処々ヨリ賊乱入、市中放火、砲弾城中ヘ乱射、諸方分散ノ兵隊、一時城中ヘ纏兼、終ニ城ヲ焼キ引揚ケ、綴子村ニ於テ諸隊長来会ニ相成リ、防守ノ地勢議論モ有之候ヘトモ、一里津、小繋ノ険阨ニ拠テ、防戦ノ事ニ相成候
廿三日、諸兵荷上場村ニ会シ、手分ヲナシ、道々防禦守兵差出、廿五日援兵トシテ肥州佐賀田村乾太左衛門来着、同小城田尻宮内及ヒ両藩兵隊、追々来着致候
廿七日、賊兵小繋ヘ来侵ニ付数隊繰出、大小砲ヲ以テ撃挫候処、賊敗走、今泉村放火、坊沢村ヘ逃入候、同日大沢村ヘモ来侵、放火、守兵佐竹大和分隊、肥兵モ相加ハリ、防戦追退ケ候、茂木筑後、小野寺主水兵隊ヲ率ヒ、阿仁守衛ノ為出張致候
廿九日、昧爽、小繋ヨリ肥州兵、須田政三郎兵、多賀谷長門兵、佐竹大和分隊兵、大沢山道ヨリ肥州兵、佐竹大和兵進撃、坊沢ニ於テ会戦、賊坊沢ヲ放火シテ逃去候ニ付、諸兵綴子、鷹巣等ニ宿陣致候、茂木筑後、小野寺主水モ米内沢ヨリ七日市、脇神村等ニ散在ノ賊ヲ駆掃シ鷹巣ヘ進軍、此時箭田野民部久保田ヨリ来着、右両人ト同シク進行致候、九月二日諸隊手分ヲナシ、官道、中次田道、板沢道ト三道ヨリ進撃、岩瀬山処々ニ賊兵屯在砲撃ニ付、吾諸隊大小砲ヲ発シ駆逐、佐竹大和兵力戦死傷モ多ク有之、賊遂ニ敗走ニ付、尾撃シテ片山野ニ至リ、猶又争戦ト相成候ヘトモ諸兵勝ニ乗シ、奮激進戦、賊徒益退走、已ニ大館マテ可追入勢ノ処、賊等モ又死力ヲ以テ防戦、林叢ノ中ニ屯伏シ、砲銃放射雨ノ如ク且ツ黄昏ニ及ヒ、吾兵止戦、餅田村宿陣致候板沢道ヘハ茂木筑後、小野寺主水、箭田野民部等進軍ノ処、板沢村屯在ノ賊兵守防怠リ、不意ノ処ヘ撃入、賊等狼狽転倒、一戦ニモ及ハス敗走イタシ、斬獲頗多シ、吾兵奮躍駆逐シテ、扇田村ニ至リ、宿陣致候
四日、五日、大館ヘ迫リ、諸方ヨリ砲撃、終日打合候ヘトモ、賊又備ヲ配リ応戦致候処、五日夜中、賊潜ニ城ヲ出テ遁逃ニ付、六日早暁諸隊入城致候
七日、扇田在陣ノ諸隊、四日ヨリ六日マテ大滝ノ間ニテ砲戦、賊兵ヲ撃挫、猶今暁官道ヨリ佐賀藩及茂木筑後、小野寺主水兵、山道ヨリハ佐賀、小城二藩兵、川道ヨリ佐竹大和、須田政三郎分隊兵ヲ以テ、三道共ニ筑後兵先鋒トナリ、善知鳥坂ヨリ砲発、段々進撃ノ処賊モ尽力防戦、吾兵神楽山、靄山等要地ヲ乗取〈神楽山ハ茂木家士七人、険ヲ冒シ、賊ノ不意ニ出テ、之ヲ乗取〉屯集ノ賊ヲ駆リ十二所マテ進入候処賊敗走、三哲山ヘ逃屯、川道ノ兵モ又勝ヲ得テ、猿間村マテ進兵致候
十二日、大館入城ノ後、賊境ヘ進撃ノ為、諸軍追々雪沢村進兵、佐賀、小城、津軽三藩及ヒ弊藩佐竹大和、多賀谷長門、須田政三郎、小場小伝治、箭田野民部等兵各部署ヲ定メ、今日小葉台ノ賊ヲ駆リ、境上諸山ヘ守兵ヲ置キ、日々砲戦、十六日総軍進撃、砲銃ノ声山谷ヲ震動、須田政三郎兵薬師山ノ敵ヲ破リ〈箭田野民部兵同シク山ヘ上ル〉諸兵モ段々進陣、賊境ヘ相迫リ、十九日総軍策応、小玉峰ノ賊屯ヘ夜襲ノ会議ノ処、賊却テ薬師山ヘ襲来、守兵挫衄、然レトモ已ニ賊境ニ臨ミ、兵威益張、不日賊地ヲ挙ルノ勢ト相成候
十九日、十二所口ニテモ、日々砲戦有之、十五日ニハ靄山ヲ彼ニ奪ハレ候処、茂木家士及ヒ猟夫隊等ノ力戦ニテ再ヒ取返シ、其後葛原村屯集ノ賊ト時々砲戦、十九日夜茂木筑後兵士謀テ、賊将ノ陣処沢尻村ヘ火ヲ放チ、輜重ヲ焼キ、諸陣大ニ鬨ヲ揚ケ砲発ヲナシ、虚勢ヲ張候処、賊将楢山佐渡ヲ始メ倉皇敗走、醜賊破胆致候
仙北郡生保内境ニハ、長崎振遠隊、弊藩渋江兵部、和田小太郎等守防ノ処、九月廿七日大斥候トシテ、渋江兵部賊地ヘ進入、的形ヨリ処々ノ守兵ヲ駆逐シ、橋場ニテ争戦、振遠隊及島原藩兵モ来会、大ニ賊ヲ破リ、廿九日雫石ヘ進軍、追々振遠隊及ヒ和田小太郎兵モ来着致候、此以前已ニ大館十二所口ヘハ、賊首降伏謝罪ノ歎願申出王師向フ処草ノ風ニ偃スル勢ト相成候、右戦争中死傷及斬獲、別紙之通ニ御座候
右戦争之概略、国許ヨリ申付越候間、此段御届申上候以上
十一月〈佐竹中将家来〉村瀬清
別紙
死傷
総計百三十八人〈後ニ詳ナリ〉

太政官日誌・明治元年151号

太政官日誌第百五十一
明治紀元戊辰冬十一月

【出征諸藩隊ヘ御沙汰ノ事】
十一月廿四日御沙汰書写四通
〈各通〉鍋島少将兵隊
島津少将兵隊
相良遠江守兵隊
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃、到処功ヲ奏シ云々〈第百丗一号芸州兵隊ヘ御沙汰書同文〉
〇〈各通〉鍋島少将兵隊
相良遠江守兵隊
征討出張、遠路跋渉、其労不少云々
〈第百丗五号福知山兵隊ヘ御沙汰書同文〉
〇島津少将兵隊
丸田仲二 福永十次
岡山平吉 柚木荘次郎
福永十郎 原田源之丞
土橋栄吉 〈夫卒〉一人
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃遂被創傷云々
〈第百丗五号柳河藩ヘ御沙汰書同文〉

【丹波口援兵被免ノ事】
〇〈各通〉伊達遠江守
伊達鍗之助
非常之節丹波口援兵被仰付置候処被免候事
十一月

【奥州叶津只見西谷附近ノ戦】
同日高島藩届書写
弊藩一小隊、奥州叶津村ニ守衛罷在候処、九月廿二日同州落合村ニ、賊徒二百人程屯集致居候趣ニ付、斥候差出候処、翌廿三日高遠、飯山藩只見村迄引揚候趣申出候ニ付、弊藩持場猶又厳重相備居候処、高遠、飯山両藩引揚来候ニ付及談判、山ノ方高島遠川ノ方、飯山相備候内、賊兵凡三百人程襲来候ニ付、及砲発候処、山ノ方間近ク、台場迄押来候ニ付、烈敷砲発及苦戦候処、引揚之儀、飯山藩ヨリ申越候ニ付、八木沢之方ヘ操引仕、西谷村迄引揚候処、上田一小隊出張有之候間申合、本名村道筋川端ヘ出張相守居候処、賊襲来ニ付及砲発候処、賊散乱致シ候エ共、闇夜ニテ地理モ分リ兼候間、一先川口村迄引揚候様、参謀代市川助一郎申聞、上田藩一同同村迄引揚翌廿六日小栗山村ヨリ古良布村ヘノ間道相固候様、同人申聞、同所ヘ出張罷在候処、食料差支候付、水沼村迄引揚候様達有之、同村ヘ着、上田藩申合、間道ヘ一分隊差出守衛罷在候処、翌廿七日川口村迄進軍、翌廿八日会議所ヨリ達ニ付、横内村ヘ操込候処、又々達有之、翌廿九日叶津村迄進軍、以前之通守衛罷在候旨、出張先家来ヨリ申越候間、御届可申上旨、伊勢守申付越候、此段申上候、以上
十一月廿四日〈諏訪伊勢守家来〉林魯兵衛

同日松本藩届書写二通
当四月、野州表ヘ出兵仕候野々山忠之進隊之内、山中郷太夫儀、同州於安塚戦争之砌、行衛不相知、戦死之有無及穿鑿候得共、死骸モ不相見、脱走ニテモ可有之哉ト、厳敷探索仕候得共、今以行衛相知不申候間、此段御届申上候、以上
十一月廿四日〈戸田丹波守家来〉増田万右衛門

去月五日御届申上候、弊藩近藤伝次郎隊森曽藤次儀、奥州高田駅ニテ深手負候ニ付、於柏崎病院致療養候処、終ニ養生不相叶、去ル十日死去仕候旨、在所表ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
十一月廿四日〈戸田丹波守家来〉増田万右衛門

【宮堂上方知行所ヘ御達(】
同月廿五日御達書写二通【)】
宮堂上方
知行所有之向々ヘ
一、制札ハ最寄府県ヨリ掲示之事
一、領所村々役人等、公事ニ係リ候者ハ、府県ニ於テ可致差配事
但、其地頭限リ用向申付候儀ハ別段之事
一、領所村々宗門人別帳ハ、村役人ヨリ、直ニ府県ヘ可差出事
一、領所年貢之儀ハ、其年々府県ニ於テ取極相達候事
但、当年之儀ハ、従前之通可取計候事
一、領所人夫遣方之儀ハ、兼而御布告有之候駅逓司定則通リニテ、猥ニ申付間敷事
一、領所村方ヘ、無拠次第ニテ、用金等申付候節ハ、前以一応府県ヘ可問合事
右之外政務ニ関係候儀ハ、一切府県ニ於テ可取計候間、兼而相心得候様、御沙汰候事

〇【中大夫以下知行所ヘ御達】
中大夫以下
知行所有之面々ヘ
一、制札ハ最寄府県ヨリ掲示之事
一、知行所村々役人共、其進退トモ、凡テ府県ニテ指揮致シ候ニ付、差配致ス間敷候、尤宗門人別帳ハ、村々ヨリ直ニ府県ヘ可為差出事
一、知行所年貢之儀ハ、其年々府県ニ於テ取極、可相達事
一、知行所村々ヘ、夫役用金等勝手ニ申付間敷事
右之外政務ニ関係致シ候儀ハ、一切府県ニ於テ可取計間、兼而相心得候様、御沙汰候事
十一月

同日御沙汰書写七通【(同日)】
【○出征諸隊ヘ御沙汰ノ事】
大総督宮
随従兵隊
〈各通〉守衛兵隊
征討出張、遠路跋渉、其労不少候云々〈前同文〉
○大総督宮附属
右同文
○大総督宮守衛
池田中将兵隊
黒田宰相兵隊
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃、到処功ヲ奏シ云々〈前同文〉
○徳川三位中将兵隊
〈大総督御使番〉四宮逸作
右同文
○大総督下参謀
大総督下参謀トシテ出張、遠路跋渉、日夜攻撃、到処功ヲ奏シ云々〈前同文〉
但、春来云々
○【大河内右京亮謹慎被免ノ事】
大河内右京亮
其方儀、謹慎申付置候処、被免候事
○【大河内豊前守領知替ノ事】
大河内豊前守
高二万七千二百石余〈上総国夷隅郡〉
其方領知之内、三河国高九千三百五石余、大和国高四百九十八石余、今般上地被仰付、改而前書之通領知下腸候事
十一月

同日御布告書写四通【(同日)】
○【孝子義僕等御褒賞ノ事】
今般御東巡御道筋孝子、義僕、職業出精之者ヘ、御褒賞云々〈第百廿六号御布告書同文〉
但、八十八歳以上之者共ヘハ、既ニ養老之典ヲ以、御扶持下賜候エハ、此度被下ニ不及候事
○【各国公使参朝仰付ラル】
来ル廿二日、三日各国公使参朝被仰付候事
右之通、於東京、被仰出候間、相達候事
○【東京鉄砲洲開市ノ事】
来ル十九日ヨリ東京鉄砲洲開市相成候ニ付而ハ、武家之向無鑑札ニテ外国人居留地ヘ立入候儀不相成候、自然要用有之罷越候節ハ、東京府ヘ申立、印鑑請取、出入共鉄砲洲稲荷橋、真福寺橋、南小田原町橋三ケ所ニ限リ、通行可致候事
右之通、於東京被仰出候間、相達候事
○【諸侯相続、叙位任御礼参内ノ事】
諸侯家督相続并叙位任等被仰付、御礼参内之節、御太刀一腰〈大宮御所ヘ〉干鯛一箱献上可致事
右之通、向後御規則被相定候ニ付、此段相達候事
右於東京、被仰出候間、相達候事
十一月

太政官日誌・明治元年150号

太政官日誌第百五十
明治紀元戊辰冬十一月

十一月廿日 御沙汰書写
○【安藤飛騨守賜暇ノ事】
安藤飛騨守
御東幸御留守中、帰邑等之儀、殊ニ御沙汰ニ難被及処、無余儀願之趣、被聞食届、御暇下賜候条、帰邑致候上ハ、先達テ御誓約被為在候御趣意ヲ奉体認、家政向改正ハ勿論、未タ残賊平定ニモ不立至候ニ付、弥以兵備ヲ厳ニシ、藩屏之職任遺算無之様可致旨御沙汰候事
○【池田毛利勤番被免ノ事】
〈各通〉池田中将
毛利少将
依願勤番被仰付置候処、今度格別之御沙汰モ有之候ニ付、右勤番被免候事
○【病院支配ノ事】
軍務官
病院之儀、是迄其官ニテ支配候処、自今京都府支配ニ被仰付候間、此旨相達候事
○ 京都府
病院之儀、是迄軍務官支配ニ被仰付置候処、自今其府ニテ支配可致旨、御沙汰候事

【箱館産物売捌人ノ事】
同日御布告書写
此度、箱館産物問屋、仲買等之名目相改メ、箱館産物売捌人ト唱ヘ、荷物之儀ハ、大坂、兵庫、堺、敦賀等ニ於テ、会所取建、総テ引請取扱候間、右売捌人之外、農商トモ、望之者ヘハ広ク売捌候ニ付、其最寄会所ヘ可申出候事
但、会所ノ取扱ヲ不経シテ、船方ヨリ直ニ売買候儀、一切不相成候、若違背之輩於有之ハ、屹度御咎被仰付候条、心得違無之様可致候事
箱館府
右之通ニ候間相達候事
十一月 行政官

【曽我大三郎御不審ノ事】
同廿二日御沙汰書写
本多美濃守
其方家来曽我大三郎儀、御不審之筋有之候間、当地屋敷ニ於テ謹慎申付可置旨、御沙汰候事

【壬生村地代米ノ事】
〇細川中将
其藩陣屋地、壬生村ニ於テ旧幕府ヨリ除地之取計ヲ以、相渡置候得共、御一新之折柄ニ付、右地代米向後其藩ヨリ壬生村ヘ相渡シ候様被仰付候事

【肥前藩隊長戦死ノ事】
同日肥前藩届書写
弊藩野州今市出勢之内、左之者儀、七月十二日不計賊之巡邏ニ出会、遂戦死候由、右者最前彼表死傷名書之内ニ、取落シ候段申越候ニ付、不取敢此段御届申上候
隊長 深堀又太郎
十一月廿二日〈鍋島少将内〉高木権太夫

【島津淡路隊ヘ御沙汰ノ事】
同廿三日御沙汰書写
島津淡路守
兵隊
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃、到ル処功ヲ奏シ云々〈以下本月二日、芸州兵隊ヘ御沙汰書同文〉

【奥州国見峠附近ノ戦】
同日島原藩届書写二通
九月廿八日暁七ツ時、弊藩物頭松坂章太夫隊与力頭板倉織部隊臼砲一門、其外役々振遠隊一同、為先鋒生保内村出立、同朝六ツ時弊藩跡勢不残、是又振遠隊一同為中軍、同所出立進軍之処、先鋒国見峠ヨリ押下リ、橋場口番兵小屋脇ニテ、砲戦ニ相成候ニ付、兵隊分配振遠隊一同攻撃ニ及候処、賊次第ニ跡引ニ相成、橋場村迄引揚大砲打立、山手本道賊多人数ニテ致防戦候間、味方厳敷打立、猶振遠隊ト弊藩兵隊ヲ山手ニ分配、打立候得共、賊防戦引色相見エ不申候ニ付、猶又敵之眼下之川中ヲ渡リ、賊ノ後ノ方ヘ押廻シ、本道ヨリモ大小砲打立攻撃仕候内、中軍之兵隊追々到着、応援進撃仕候処、山手之賊ハ下山、橋場之賊モ倶ニ崩レ、引口放火致シ散々敗走、味方山上本道ヨリ追撃、凡一里許ニテ黄昏ニ及ヒ、追撃見合、本道山之手ニ隊ヲ分ケ、交番ニ相固候約定ニテ、余勢橋場村ニ引揚申候、当日討死分捕左之通御座候、此段御届申上候、以上
九月廿八日討死 高槻徳之進
一、ハトロン 六箱〈但五百入〉 一、玉薬箱 一ツ
一、胴乱 二ツ〈但大小〉 一、西洋大鼓 二面
一、胴佩立 一、馬具 三背
一、脇差 一本 一、鉄玉 十八
一、ホンヘン 十六 一合薬 二箱〈但箱正味八貫五百目ト記有之〉
一鰐口 一ツ
右之通、十月六日南部領雫石ニテ、参謀衆石田英吉ヘ、隊長ヨリ御届申上候旨申越候ニ付、此段御届申上候、以上
十一月廿三日〈松平主殿頭家来〉能見権右衛門

【羽州花立附近ノ戦】

弊藩兵隊百五拾人為応援、八月長崎港出船、秋田船川ヘ着仕候処、久保田表総督府参謀衆大山格之助ヨリ、賊徒別テ蔓延ニ付、城下ヘ急速出陣候様申来、同十三日同所着陣、九条殿御呼出ニ付拝謁、菊之御旗一流御渡相成、沢三位殿神宮寺村御陣所危急ニ付、応援之御達有之、同十六日出立、翌十七日同所ヘ着陣、沢殿御指揮ニテ神宮寺村南落合相固罷在、同十九日船場手薄ニ付、分隊出陣砲戦、同廿一日、翌廿二日樋沢山相固罷在候処、賊兵モ山上ニ屯集、互ニ砲戦仕候、同廿三日弊藩大砲隊薩藩先手ニ相加リ、申之刻花立ヘ攻撃、寅之刻頃迄苦戦、巨細之儀ハ薩藩ヨリ御届可申上候、同廿四日分隊ニテ相固居候樋沢山并北楢岡両所ヘ賊兵襲来、小銃ヲ以打合、勝敗不決追々退散候後、杉山転陣相守、同廿五日苅和野ヘ転陣、同廿六日吉川、中村、湯之沢三ケ所相固、九月十日ニ至、午之刻賊多勢襲来苦戦仕候内、賊兵前後ニ相迫、衆寡難支、申之刻苅和野ヘ引揚、同所相固、翌十一日大平山ヘ転陣、筑州藩合隊相成砲戦、賊四囲糧道相絶候ニ付、角館ヘ引揚、雲然、碇村台場相固、同十八日転陣ニ付同所出立、廿二日庄内口院内ヘ着陣仕候処、庄内ヘハ越後之御人数御入込ニ付、翌廿三日南部表ヘ進軍先鋒仕候様御指揮ニテ、同廿八日攻撃之件々ハ、別紙ヲ以御届申上候、十月十六日船越洋之助、前山清一郎ヨリ、解兵、東京ヘ凱陣候様、御差図有之、追々引揚候旨、尤人数転陣進撃等ハ御指揮ニテ進退仕候由、出先ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月廿三日、花立戦争之節
傷〈大砲隊〉柴田丹蔵
九月十日、湯之沢戦争之節
討死〈花村平太夫隊〉磯野波蔵 小沢文十郎
木下鉄之助
右之通御座候、以上
十一月廿三日〈松平主殿頭家来〉能見権右衛門

【高鍋藩庄内城ニ入ル】
同日高鍋藩届書写二通
越後口出張横尾潜蔵隊、九月十一日於越前高岡賊徒潜伏ト聞、前半隊急行、二十二日越後新発田着、関川口出兵ニ加勢相頼候エ共、庄内降伏之模様故御免無之、同廿六日後半隊参着、再応相願発足、翌廿七日於村上、進撃将軍久我公ニ拝謁、廿八日参謀藤村六平報知ニ因テ、直ニ久我公ニ随従、飫肥藩兵ト交番先鋒、十月三日未明庄内城進入、前進兵隊ニ相会シ、交代警衛、城中巡邏相勤、翌四日随従被免、庄内退軍之趣、前進兵隊ト共、着京申出候、此段御届申上候、以上
十一月〈秋月長門守家来〉河辺十郎

越後口出兵、羽州関川迄進撃、九月十六日隊長鈴木来助手負後、互ニ台場迫合無虚日、同廿七日庄賊降伏之趣ニ付、水戸并弊藩各一小隊、賊之砲台ヘ為斥候差出候処、賊徒退塁ハ未仕候得共、将ニ散セントスル之形ニ付、以飛檄中軍ニ報シ、諸軍列ヲ乱サス、順序ニ賊兵蝟集中ヲ侵入シ、其夜坂之下ヘ小憩、翌廿八日庄内城中ヘ乗込候処、酒井忠篤已ニ軍門ニ降リ居、全軍凱旋仕候、其後中軍之令ニ依テ、十月四日庄内発途、新発田迄退陣候処、兵部卿宮ヨリ御暇ヲ賜リ、同十六日出立帰陣之趣ニ候段、総括武藤東四郎始兵隊着京申出候、此段御届仕候、以上
十一月〈秋月長門守家来〉河辺十郎

太政官日誌・明治元年149号

太政官日誌第百四十九
明治紀元戊辰冬十一月

【御大礼并御忌ニ刑罰差止ノ事】
十一月十八日御布告写
今上御誕辰九月廿二日
右之外、御大礼之節、但其節々御布令有之候事
神武天皇御忌三月十一日、仁孝天皇御忌二月六日、孝明天皇御忌十二月廿五日
右之当日、刑罰并拷問等可相除旨、被仰出候事

【輪王寺宮御預ノ事】
同日御沙汰書写
伏見宮
今般輪王寺宮御預被仰付候、右ニ付当分御手当トシテ金三百両下賜候事

【出征諸隊ヘ御沙汰ノ事】
〇土州
細木鉄之助 酒井明爾
橋詰円吉 西尾順蔵
奥田嘉寿衛 〈下遣〉一人
福富貞務 〈夫卒〉一人
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃遂被創傷云々〈第百三十五、柳河藩兵隊ヘ御沙汰書同文〉
〇高鍋
津江尚之助 深井助九郎
綾部次一 松田平左衛門
小林久益 一木島吉
江藤団次郎 清水八十吉
右同文
〇長州
矢野政平 山中正之進
小林清吉 植田吉太郎
三宅虎之助 有井政之允
大庭佳蔵 斎藤小太郎
右同文
〇〈各通〉徴兵一番隊 創傷十四人
〇同 五番隊 同十一人
右同文
〇兵部卿宮随従兵隊 創傷三人
右同文
〇長州兵隊 土州兵隊
明石兵隊 高鍋兵隊
〈各通〉徴兵一番隊 同五番隊
兵部卿宮随従兵隊
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃到処功ヲ奏シ云々〈第百三十五、薩州等ヘ御沙汰書同文〉
○秋月長門守兵隊
征討出張、遠路跋渉、其労不少云々〈第百三十五、福知山ヘ御沙汰書同文〉

【池田中将ヘ御沙汰ノ事】
〇池田中将
自今参内之節、議定候所ヘ参入可有之候事

【出征諸隊ヘ御沙汰ノ事】
【(】同月十九日御沙汰書写【)】
〈各通〉阿州兵隊 中津兵隊
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃、到処功ヲ奏シ云々
但、春来兵事ニ付、大宮御所ニモ云々〈第百卅一、薩州兵隊ヘ御沙汰書同文〉
〇阿州
田辺七兵衛 小川惣左衛門
的崎貞兵衛
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃遂被創傷云々
〇中津
野上易之助 矢田部快蔵
川倉小太郎
右同文

【山内薫賜暇ノ事】
〇山内薫
御東幸御留守中帰邑等ノ儀、殊ニ御沙汰難被及処、無余儀願之通被聞食届候条、致帰邑候上ハ、先達御誓約被為在候御趣意ヲ奉体認、家政向改正ハ勿論、未タ残賊平定ニモ不立至候付、弥以兵備ヲ厳ニシ、在所表ニ於テ御指揮可奉待旨、御沙汰候事

【島津少将ヘ御沙汰ノ事】
〇島津少将
今度再上京付テ者、兼テ御依頼被為遊、殊ニ御留守中之儀ニ付、猶屡参上心附之筋、無忌憚可有言上旨、更ニ御沙汰候事

【諸藩本姓ヲ用ル事】
同日諸藩ヘ御布告写
諸藩トモ従来国名等ヲ以テ、姓氏ニ替ヘ相用候得共、向後総テ本姓ヲ可称旨、被仰出候事

【水戸脱走人襲撃ノ事】
同日守山藩届書写
水藩ヨリ兼テ御届申上候通、脱走ノ奸徒、奥羽ヘ潜居候処、此程会津降伏以来進退窮リ、去月廿八日同藩封彊馬頭村ヨリ、長岡辺ヘ多人数襲来候風聞ノ処、同廿九日夜那珂川ヲ渡リ、水城大手向弘道館ヘ三百人程操込、右城門ヘ向一時ニ発砲押寄候ニ付、水藩ヨリモ夫々防禦、戦争時ヲ移候内、弊藩ヨリモ一小隊繰出シ、本月朔日夕、右戦地ヘ着、直ニ水藩松平阿波一手ヘ合併、終夜砲発烈戦候得共、賊ハ要地ニ拠リ、元来死ヲ決シ寄セ来候故、一段猛烈奮戦候砌、城中ヨリ榴弾打込候ニ付、右ヨリ火移リ、不意ノ放火ニ賊兵周章ノ色顕レ候処、総勢一時ニ奮戦候故、終ニ三日暁残賊敗走、一手ハ大手、一手ハ長岡辺ヘ落去散乱仕候、弊藩手ニテ討取ノ賊十二人程ニ御座候、其余死傷数多有之候得共、合併砲戦ノ儀ニテ、打取ノ首級聢ト難相分旨、隊長木村豪八申立候段申越候、此段御届申上候、以上
十月廿五日〈松平大学頭家来〉鈴木梶右衛門
右之通、東京城行政官并大御総督参謀衆ヘ御届差出候旨、東京詰役人共ヨリ申越候、此段御届申上候、以上
十一月十九日〈松平大学頭公用人代〉小川善四郎
先頃水戸城ヘ脱走ノ奸賊押寄、不容易事件ニ承リ及候ニ付、守山表弊藩人数差配筋、御総督府ヘ申立候処、被為聞届、去月八日夫々出兵御免被仰付、早々出立、主人可致警衛旨、且兵食ノ儀モ御免被仰渡、其砌長々滞陣仕候趣ヲ以、御酒御肴等下賜候旨御達、難有仕合奉存候、依テ人数水戸表ヘ相廻候処、於途中鎮静ノ振、注進ニテ、猶兵隊不残棚倉表ヨリ引戻シ、元地警衛罷在候旨、在所表出張仕候隊長ヨリ申越候、此段御届申上候、以上
十一月二日〈松平大学頭家来〉鈴木梶右衛門
右ノ通、於東京行政官并大御総督府ヘ御届差出候旨、東京詰役人共ヨリ申越候、此段御届申上候、以上
十一月十九日〈松平大学頭公用人代〉小川善四郎
【羽州上中淀川峰吉川附近ノ戦】
同日佐土原藩届書写
九月十五日、羽州久保田領境村上淀川、中淀川辺ヘ、仙台、庄内ノ賊徒二百人余屯集致シ候段、久保田藩探索方ヨリ申出候趣付、薩藩一分隊、久保田藩二百人許、弊藩一小隊ニテ、十四日ヨリ進撃ノ筈ニ御座候得共、猶又久保田藩士諸所、間道迄、委細探索有之候処、賊兵千八百人程、峰吉川ヨリ上淀川迄ノ間、所々要地ヘ屯集ノ様子ニ付、諸藩応援ノ兵隊出軍次第、進撃ノ手筈ニ仕居候処、十五日午刻頃、俄ニ砲声相聞エ候付、早速斥候差出候得ハ、賊徒二百間内外ノ所ヘ襲来致候ニ付、薩州并各藩申合、直ニ手配仕候、尤新庄藩三小隊程出軍相成、則本道筋ヘ薩藩一分隊、久保田藩一小隊、同大砲一門、右脇ヘ弊藩一分隊同谷川ヲ越シ、少シ高山ノ間道ヘ久保田藩一小隊、弊藩一分、隊本道左脇ヘ弊藩半小隊、久保田藩一小隊、其次ヘ新庄藩三小隊程、何レモ撒兵ニ相備、各藩一度ニ鬨ヲ揚ケ発砲致候処、賊又諸方ヘ兵ヲ配リ、高松林或ハ岡ノ上ヨリ発砲、尤谷越シノ戦ヒ、殊ニ賊ノ方、地形高ク要地ニ付、官軍急ニ進撃ノ場所モ無之、土手、木蔭ニ楯ヲ取リ、少モ無透間砲撃致候処、猶又因州大砲二門並小銃隊二十人許為応援出軍ニ付、各隊弥手強致砲撃候処、日暮前ニ及ヒ、賊兵共左ノ方十四五町隔テ、深谷ノ間道ヲ踰シ、官軍ノ背百間内外ノ所ヘ出テ、前後ヨリ致発砲、官軍左右ニ相開、砲撃致候折柄、長州一小隊為応援駆付、終ニ接戦ニ相成、賊兵敗レテ上淀川迄逃去、夜ニ入リ十一字頃戦ヲ止メ申候、此日各藩ニテ討取候賊三十人余相見エ、其外山中或薮中ニテ討死手負之賊、数多可有之候得共、打続進撃ニ付、委細相分不申候、弊藩ノ死傷如左
戦死
〈戦兵〉黒木七左衛門 成合岩右衛門
上山郷作
深手
間世田金次郎 〈以下夫卒〉糸右衛門
〈翌十六日死〉袈裟治 卯吉
分捕
小銃 十四挺 刀 二本
九月十五日、羽州久保田領境村戦争、夜十一字頃戦ヲ止メ、翌十六日六字ヨリ進撃ニ相定、各藩申談、則右間道ヘ新庄藩兵隊相備置、本道ヘ因州大砲一門、小銃隊五十人程、小倉藩一小隊、弊藩一小隊進撃、杉森或竹林諸所ヘ砲発相探候得共、賊一発モ応砲不致候ニ付、直ニ上淀川迄進撃致候処、左山手ヘ間道有之趣ニテ、小倉藩半小隊手配ニ相成、本道ヘ因州藩大砲一門、小銃隊五十人許、右脇ヘ小倉藩半小隊、左脇ヘ弊藩一小隊、何レモ撒兵ニテ相備、小谷川向峰山峠半途二百間内外之処、杉林ニ煙相立、賊屯集兼、テ待受候場所ト相見エ候ニ付、大砲二三発并小銃打込候処、賊ヨリモ直ニ応砲致シ、林邱或竹叢ヘ兵ヲ配リ致発砲候ニ付、官軍ニモ木蔭或積藁等ヲ楯ニ取リ、頻ニ砲撃致候折柄、兼テ応援ノ兵隊、薩藩一小隊并筑州一小隊馳来候ニ付、猶又一入英気ヲ増シ、一同鬨ヲ揚、手強砲撃致シ、終ニ数刻ヲ移シ、夜半ニ至リ、賊ノ砲声手薄ク、追々引退候様子ニモ相見エ候得共、何分夜中ノ儀ニ付、天明ヲ相待候処、暁天ニ至リ峰吉川郷夫二人馳来、昨夜半過ヨリ、賊徒尽ク、峰吉川ヲ逃去候趣、申出候ニ付、直ニ各隊ヨリ斥候差進候処、郷夫共申出候通ニ付、早速進撃ニ及候得共、賊間遠ニ逃去、一支モ不致、散々ノ体ニテ、各々国境迄退キ申候、此日ノ戦ヒ、弊藩死傷左ノ通
戦死〈戦兵〉長野一郎
深手 関屋善兵衛
右之通、東北遊撃軍将随従兵隊ノ者ヨリ申越候、此段御届申上候、以上
十一月十九日〈島津淡路守家来〉冨田三蔵

太政官日誌・明治元年148号

太政官日誌第百四十八
明治紀元戊辰冬十一月

【松代藩奥越戦記三】
松代藩届書写〈其三〉
【○】九月十八日ヨリ十月十七日迄ノ次第
弊藩人数之儀去月十八日奥州高田駅屯集ノ賊討伐之後各隊諸処守衛罷在候処廿四日塔寺駅会議所ヨリ田島駅辺残賊落着迄暫時八十里越口守防候様達有之候ニ付坂下駅滞在ノ一番六番二小隊速ニ出発同夜赤留村ヘ進ミ候所田島駅辺屯在ノ賊余燼再熾官軍不利大芦叶津村辺ニ侵来ノ由ニ付翌日銀山越滝谷村ニ至リ廿六日河井村迄進軍候処賊兵八十里越口ヨリ参リ河口村辺ニ屯集罷在候由巷説承込廿七日払暁同所出発河口村ヘ相進ミ候得共賊状未相分候ニ付更ニ進テ西谷村ニ至リ廿八日大塩村ヘ着陣ノ処賊叶津村ノ方ヘ遁去ノ様子ニ付廿九日未明同地電発追躡シテ黒谷村ヘ繰込候得共賊兵悉ク退去ニ付同地厳衛翌十月朔日大蔵村ヘ入水藩ト相会シ申候然ル処賊徒於同所已ニ水藩陣前ヘ降伏相成候由乍去暫時守衛候様達ニ付則大蔵村ニ致屯在候赤留口出張八番狙撃隊并三番四番ノ二小隊荻窪口出張二番小隊ハ長井野村ヘ繰込候処田島辺ノ賊再熾ノ旨依テ速ニ出発候様達有之直様一斉ニ繰出シ道ヲ分テ進軍八番狙撃隊三番小隊ハ徹夜野尻村ヘ相進ミ四番小隊ハ小中津村迄相進申候二番小隊ハ沼沢村ヘ進軍致守衛候廿七日四番小隊及小山村出張六番狙撃隊五番小隊モ又野尻村ヘ相進ミ候処四番小隊ハ同処相守六番狙撃隊五番小隊ハ太鼓オロシ辺間道致守衛候又坂下駅滞在之五番七番ノ狙撃隊モ賊燼再燃ノ旨相聞候付是日午後出発シテ柳津村ヘ入翌廿八日沼沢村ニ至リ二番小隊ト相会致守衛候是日八番狙撃隊三番小隊布沢村ノ内吉尾ヘ進軍廿九日更ニ布沢村ニ移陣致守衛候十月朔日達ニ依テ軍監ノ者一分隊ヲ率テ小林村ニ至リ水藩ト相議降人器械等夫々差置致反告候是日横田村ニ召捕人有之付一伍ノ兵可差出旨達有之則差出申候尤松本藩ヨリモ罷出一同申談二日横田村ニ至リ名主某ヲ召捕来リ会議所ヘ差出申候先是一ノ沢ト申所ヨリ二里程相隔リ候山上ニ一軒家有之同所ニ先月廿四日ヨリ会藩山内大助小沼源蔵外一人潜居致候由相聞候ニ付又々達有之嶮路深雪ヲ冒シ窃ニ右家二至リ松本藩ト共二四方ヲ取囲ミ戒心シテ押入候処已ニ三人共自尽ニ及倒居候内一人ハ未タ不死候得共言説不相分候程ニ付直ニ致斬首候其節分取ノ品会議所ヘ差出申候然ル処追々達有之ニ付三日五番六番七番ノ狙撃隊三番四番ノ二小隊七日一番六番ノ二小隊何レモ解兵シテ当十二日迄ニ新発田表ヘ致凱旋候先是帰休可致旨御沙汰被成下候ニ付昨今両日ニ新発田表出発国元ヘ引揚申候此段御届申上候以上
十月十七日〈松代藩〉近藤民之助
分取覚
四月廿五日信州安田村并飯山表戦争之節
刀 一腰
小銃 一挺
サーフル 一本
ラントセル 拾
早合 十六
火薬 百目許
雷管 千三十余
二百五十目玉〈但鉛弾〉五ツ
胴乱〈但早合入〉一ツ
革胴 一ツ
弾薬箱 一荷
同〈但玉薬入〉一ツ
管入 一ツ
陣鍋 二ツ
術手 一本
捕縄 一筋
斧 一挺
糧米 一叺
財布〈内当百三十一枚有之〉一ツ
弓張挑灯 一張
閏四月二十六日雪峠戦争并廿七日小千谷打入ノ節
火薬〈但五貫目宛入〉六箱
武器長持 一棹
ヘツト 一桶
鎗 七筋
モチリ 二本
鳶口 三本
弓 一張
脇差 七本
施条銃 一挺
火縄銃 一挺
玉薬 三箱
雑物 五葛篭
閏四月廿七日小千谷駅打入ノ節陣屋内并近辺社倉等ニ有之品々
口薬入 一ツ
手錠〈但箱入〉十七
書類 二簟笥
具足 八領
笠 六蓋
書類 一長持
机 十脚
火縄銃 三挺
鞍 四口
鐙 二足
泥障 四指
書類 一結
駕篭 一挺
合羽篭 一荷
雑具類 品々
右ハ五月廿六日長岡ヘ進撃ノ節尾州藩ヘ引渡申候
社倉蔵相改候処
卯納
籾九十七石六升
同百八拾四石二斗五升
卯東五番
籾百十五石八斗二升六合
東二番
籾百二十四石七斗六升二合六勺
附米八十俵四斗四升入
東三番
籾百四十三石八斗六升
西四番
籾八十四石七斗六升四合八勺
西三番丑納
籾七十石
東四番
籾百二石一斗
西四番丑納
籾百石
東三番
籾百二十八石一斗四升
西三番丑納
籾九十三石六斗一升
西一番丑納
籾百石
東二番丑納
籾五十六石四斗九升
右之通有之其侭差置申候
閏四月廿七日小出島打入并大白川口追捕ノ節
火縄銃 三十五挺
具足櫃 四ツ
跡附 三本
両掛〈雑物入〉二荷半
長持〈雑物入〉四棹
明荷葛篭〈同〉十四箇
箪笥〈同〉四ツ
箱〈同〉十
竹長持〈同〉一棹
金七百二十八両三分三朱〈但石内村賊襲来ノ節紛失〉
五月三日片貝并草薬師峠戦争ノ節
施条砲 一門
小銃 二挺
旗 三本
小銃弾薬 一箱
刀 一腰
脇差 五腰
弾薬長持 一棹
胴乱 一ツ
玉返シ 一ツ
五ツ道具 一組
榎峠妙見等戦争ノ節
二十寸天砲 一門
同榴弾 十
十三寸天砲 一門
同榴弾 十五
十二寸天砲 一門
同榴弾 三
四斤半施条砲 一門
同榴弾 三
百目短銃 二挺
大銃掃洗杖 五本
楯板 一枚
袋入火薬 一袋
大銃弾薬台 二ツ
小銃玉薬〈箱入〉千二百三十発
大銃玉薬 一箱
雑具長持 二棹
雑具莚包 一ツ
米二斗入位 九十一俵〈但小荷駄方ヘ引渡申候〉
味噌五斗入 十九樽〈同断引渡〉
白米二斗入 二百六十俵〈同断〉
味噌一斗入 二十樽〈同断〉
七月廿五日長岡中島ヨリ大手前迄斥候之節
小銃弾薬 二筥
七月廿九日長岡再進撃之節
大砲 一門
小銃弾薬 五箱
八月朔日見附進撃ノ節
大銃台車
小銃 五挺
同日栃尾進撃ノ節
刀 三本
脇差 三本
小銃 一挺
同弾薬 二箱
八月二日森町進撃ノ節
大銃弾薬 一箱
小銃弾薬 二箱
同五日加茂進撃ノ節
棒鉛 二百五十貫目
古鉛玉 十九包
十二寸鉄玉 四ツ
同散弾 五ツ
小銃 五挺
同弾薬 三箱
同七日河内進撃ノ節
大砲 二門
同弾 二ツ
小銃 五挺
火縄銃 拾挺
小銃弾薬 五百発
同玉 二千二百
鉛 十六貫目
小銃合薬 一樽
大銃合薬 一筥
具足 一領
長刀 一振
胴乱 二ツ
九月二日八十里越叶津ヘ進撃ノ節
小銃弾薬 廿二箱
小銃 十七挺
火縄銃 十二挺
具足 一領
合薬 一樽
胴乱 二ツ
鎗 三筋
旗 六本
糧米 廿五箱
同日奥州真箇沢進撃ノ節
刀 一本
小銃 三挺
同弾薬 一箱
九月十八日奥州高田進撃ノ節
小銃 三十二挺
火縄銃 一挺
大銃弾薬 一荷
小銃弾薬 二荷
刀 一腰
鞍置馬 二匹
蝋燭 六百挺
右之通信州ヨリ奥州会津迄諸所戦争ノ分捕仕候此段御届申上候以上
十月〈松代藩〉近藤民之助