太政官日誌・明治2年43号


太政官日誌 明治二年 第四十三号
明治己巳 四月十五日
東京城第六
○四月十五日〈丁巳〉
【宮古港ノ海戦】
陸奥青森出張参謀軍監ヨリ書面写節録
昨廿六日、軍艦四艘、運用船三艘、都合七艘〈八艘之内戊申丸ハ未着〉青森港入着、陸軍一統大ニ勢ヲ得海陸軍議決定之上、不日進撃之手都合ニ御座候、然ルニ一昨廿五日未明、右軍艦宮古港ヘ碇泊罷在候処ヘ、不意ニ回天、蟠竜、高尾之賊艦三艘襲来、其内回天ハ港ヘ乗リ入、剛鉄艦ヘ突キ懸ケ、及砲戦、愉快之一戦有之、高尾丸ハ、ダンノ浦ト申処ニテ、官軍艦ヨリ討取之件々ハ、委細別紙、海軍参謀ヨリ御届有之候ニ付略仕候、既ニ右賊艦箱館港出帆、南部地ヘ向キ航海、其形勢重畳怪敷相見ヘ候段同港在居之英人ブリキストンヨリ報知〈帆前船報知ニヨリノ付遅延〉且別紙八戸藩ヨリノ届書到来、旁当方所議ハ、必ス賊艦ヨリ先ンシテ、海路要所ヲ塞キ、官艦之不意ヲ襲フノ策ナルベシト推察不取敢斥候山県与三ヲ、アルヒヨン船ヘ乗セ組、右ノ次第ヲ以、宮古港軍艦ヘ為報知、差越候処、時刻ニ後レ、最早戦争後ニ相達、如何ニモ遺憾不少候、乍去海軍初度之戦ニ、彼カ一艦ヲ破リ候儀ハ、実ニ吉兆第一、惣軍之士気モ奮立、雀躍此儀ニ御座候、云々
三月廿七日 野田大蔵
大田黒亥和太
軍務官御中

前略、去廿五日朝五字頃、アメリカノ国旗ヲ揚候船、忽然我甲鉄艦ヲ目懸乗来候処、計ラスモ廻天丸ニテ、賊ナル事判然ニ付、各艦防戦之用意致候処、彼ノ賊艦、甲鉄之左リ舷檣ヘ、迅烈突掛、大小砲打懸、賊六七人抜刀、或ハ銃ヲ携ヘ、甲鉄艦ヘ乗入候ニ付、迎撃接戦、賊四人ヲ切斃シ、大小砲ヲ以、衆艦一同連撃、賊終ニ逃去候、此戦三字ノ間ナリ、直ニ追撃之手合セイタシ、各艦八字ゴロヨリ発港、追掛ケ候テ、黒崎近海ダンノ浦ニテ、賊艦ニ乗附、第一春日、第二甲鉄、第三陽春、第四丁卯、各艦迫撃、賊不能支、終ニ船ヲ乗捨、自火散乱致シ候〈此賊艦ハ元高雄丸ナリ、当時アジロットト云、船将古川何某ノヨシ、又外国人一人乗込ミ居候由召捕候賊白状也〉春日艦乗組陸軍薩兵河路正二郎生捕賊一人、同森喜之輔討取賊一人、此日躬方手負左之通
甲鉄鑑司令 品川四方一
同 脇左仲
同 土方堅吉
会計方 佐藤彦七
水兵 上田徳次郎
同 河内山福松
同 西村佐吉
同 梅田梅之允
同 小林五郎
同 西村丹二
水夫 竹蔵
同 才蔵
同 伊三郎
右ノ外、飛竜丸船将薄手岡敬三郎、外ニ薄手六人、姓名未タ相調兼候、戊辰丸ニテモ外ニ分捕等モ有之候得共、未タ相調兼候ニ付、追々取調可申上候
右ハ去廿五日戦争之概略ニ御座候、猶委ク取調候上、可申上候エ共、不取敢前条大略御届申上置候、以上
三月廿七日
青森港ニテ 増田虎之助
石井富之助
奥州閉伊郡鍬ケ崎港ヘ、碇泊罷在候処、三月二十五日暁、賊艦廻天襲来、依テ諸艦合撃、廻天ハ数里遁去、外一艘之賊艦、羅賀辺海岸ヘ乗付、罷在候ニ付、諸艦一同打向候処、春日、甲鉄ノ両艦攻撃中ニ付、控居候処、合撃候様、甲鉄艦ヨリ申来リ、直様相進ミ、数砲打放候得共、一発ノ応砲モ無之ニ付、賊艦乗込之者、遁去候ヲ察シ、二艘ノ端舟ヲ卸シ、艦中ヲ点検候様命遣ス、同断端舟差向候処、無程一艘引返シ、乗込一人モ無之、艦中火起リ居候ニ付、取消シノ手配致候段、報シ帰リ候間、又々一艘乗返リ、相達候ニハ、火ヲ消シ、機関其外見調候処、水下ニハ損所モ無之様候得共、機械下鑵之下共二箇所、漏所有之何分用立兼候ニ付、機械諸カラーシラ明ケ、海水漸次ニ浸入候様致シ、船体ニ火ヲ放チ焼捨之手配致置候段、帰報致シ候、必用之諸品分捕、左之通
一、手鎗一本
一、シイフル銃
一、シナイドル用製作玉五百箇
一、日本其外諸図数枚
一、コロノメートル一箇
一、パセメートル損所有之一箇
一、米仏魯英葡各国章籏五流
一、日ノ丸大籏一流
一、アシミツトコンパス一箇
一、ホリソント一箇
一、和英蘭書籍数部
一、半胴大鞁一箇
合十二種
右之通御届申上候、以上
三月廿五日
御軍艦陽春
船将 石井貞之進
南部遠江守届書
三月廿二日卯下刻、蒸気船三艘、当所鮫浦沖漂流、巳刻頃三四十町計ニ滞帆、バツテイラヲ下シ、人数十二三人乗合、四五町程ニ而乗廻、点検之様子ニ付、為応接、同浦小役之者三人、外水主五人、小舟ニ而差遣申候所、薩長勢並外藩々ヨリ、固人数有無之儀、且肥前藩昨年乗捨置候船、何レニ有之哉、尋候由、夫々相答、随而何レノ御船ニテ何レヘ御通船有之哉ノ旨、此方之者相尋候処、右答無之、味方之事故、聊心配無之候、事ニ寄、当所厄介相成可申ト申、直ニ本船ヘ乗戻、何レ之船ニ而何レ之藩ト申儀、相知不申候ニ付、猶亦最前之三人之者、本船迄差遣候処、船中ヘ呼入、午刻迄帰舟不致、然処漁師共之中、乗寄様子承知候処、水手共空腹相成候ニ付、漁師舟ヘ乗移罷帰候之間、次第柄相尋候処、本船ヘ三人之者乗入候後、趣意一円相分不申、殊ニ面談モ不仕、罷帰候旨申出候、船中外国人モ乗合候趣、フランス人ニモ可有御座哉、扨碇泊ニモ無之、悉奔走罷在候、測量等ニモ可有御座候哉、船印日之丸、艫之方ニ、白地ニ黒ニテ、十之字之形ト見得候エ共、遠沖ニテ確定相分不申候
右之次第柄、索考仕候処、弥怪疑ニ被存、兼テ固人数二小隊差出置候エ共、猶四小隊至急繰出、夫々手配仕置候エ共、何分小人数之事故、存慮行届兼候間、自然脱艦ニテ発砲ニモ相成候節ハ、野辺地ヘ御手配被置候御人数之内ニテモ、御援兵被下候様、一昨廿二日以急使奉願上置候処、同日申刻相成、前々遣候小舟帰帆ニ付、其次第相尋候処、前顕之三人外水手之中一人被捕押、船中容子弥相分兼、心痛仕居候内、追々蒸気烈敷、南方ヘ走去候ニ付、右四人之者連戻申度、追駆候エ共及ヒ兼、不得止、事空罷帰候旨申出候、夫ヨリ三四里南方、領分之内、大蛇ト申浦之沖ニテ、漁師一人被捕押、都合五人捕押、其辺ニテ大砲三四発打出、三艘共弥南ヘ走、其後一円行衛相分不申候旨、鮫浦出先之者ヨリ申出候、此段御届申上候、随而被捕押候者共、名面左之通御座候、以上
被捕押候人数名面覚
鮫浦名主 漣平 四十二歳
同所問屋 山四郎 三十八歳
同甚太郎名代 安太郎 五十歳
同所水手 与三吉 五十歳
大蛇村漁師 卯之助 三十九歳
右之通御座候、以上
三月廿四日
南部遠江守家来 湊九郎太
川勝内記

太政官日誌・明治2年34号

太政官日誌 明治二年 第卅四号
明治己巳 三月七日
東巡第一
○三月七日〈己卯〉
卯下刻車駕建礼門ヨリ御首途、御留守宮公卿、在官諸侯、諸官員ハ後院前通、其他諸侯ハ九条家門外ニ於テ蹕ヲ奉送ス、夫ヨリ順路行幸昨秋ノ儀ノ如シ、辰下刻青蓮院御小憇、門室ヨリ菓子一箱ヲ上ル、於是御見送三等以上ノ官員、御対顔被仰付御出輦孥茶屋御小憇、巳刻大津駅着御、御昼ノ御膳ヲ上ル、円満院ヨリ昆布一台、園城寺ヨリ菓子一箱ヲ献ス、夫ヨリ鳥井川御小憩、申刻草津駅着御、田中七左衛門ノ家ヲ以テ行在トス、本多主膳正郊迎シ奉リ天気伺トシテ行在ニ詣リ、鮒十尾ヲ献ス、錦織寺ヨリ白砂糖ヲ上ル
○膳所藩御門警衛兵士ヘ、酒肴料一万匹被下御列如左
御列
【一】
〈三日前出立〉
前駆
徳川三位中将
前衛
彦根兵隊半大隊
井伊中将〈騎馬〉
沢渡河内大掾〈帯刀〉
新見内匠少属〈帯刀〉
綾小路少将〈騎馬〉
【二】
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
六条少将
〈従者〉
〈同上〉
御灯唐櫃
大島左馬大允〈帯刀〉〈帯刀〉
御羽車〈駕与丁長〉
〈御警衛士三人〉
岸大路豊後介〈帯刀〉〈帯刀〉
〈御警衛士三人〉
西池右兵衛大尉〈帯刀〉〈帯刀〉
〈呉床〉
〈呉床〉
簀薦〈二人〉
倉橋大蔵卿
〈従者〉
〈同上〉
【三】
交野左京大夫
〈従者〉
〈同上〉
御羽車〈駕与丁長〉
〈御警衛士三人〉
小野左兵衛少尉〈帯刀〉〈帯刀〉
〈御警衛士三人〉
上田左近番長〈帯刀〉〈帯刀〉
〈呉床〉
〈呉床〉
簀薦〈二人〉
白川三位
〈従者〉
〈同上〉
町尻少将
〈従者〉
〈同上〉
加藤能登守
〈従者〉
〈同上〉
【四】
御辛櫃
徳岡大膳大進〈帯刀〉〈帯刀〉

神代上野大掾〈従者〉〈同上〉

村田大舎人少属〈従者〉〈同上〉

奥田掃部大属〈従者〉〈同上〉

山本大和大掾〈従者〉〈同上〉
簀薦
山名中務少丞〈従者〉〈同上〉
山口少内記〈従者〉〈同上〉
【五】
山口筑前守〈従者〉〈同上〉
徳岡内蔵大允〈従者〉〈同上〉
御警衛
加藤能登守〈人数〉
小野筑前守〈従者〉〈同上〉
平岡掃部権助〈従者〉〈同上〉
小野越後守〈従者〉〈同上〉
堀川大蔵少丞〈従者〉〈同上〉
押小路大外記〈帯刀〉〈帯刀〉〈帯刀〉
幸徳井筑前守〈帯刀〉〈帯刀〉
【六】
幸徳井陰陽助〈従者〉〈同上〉
内外印櫃
林内竪頭〈従者〉〈同上〉
青木雅楽権助〈従者〉〈同上〉
簀薦〈二人〉
入江大夫〈騎馬〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
石野左衛門権佐
〈従者〉
〈同上〉
【七】
裏松中務権少輔
〈従者〉
〈同上〉
東園侍従
〈従者〉
〈同上〉
間島万次郎騎馬
〈帯刀〉〈同〉
〈帯刀〉〈同〉
神山四位
〈従者〉
〈同上〉
阿野中納言〈騎馬〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
池田中納言
〈従者〉
〈同上〉
【八】
中御門大納言
〈従者〉
〈同上〉
中山儀同
〈従者〉
〈同上〉
三条右大臣
〈従者〉
〈同上〉
四辻宰相中将〈従者〉〈同上〉
武者小路少将〈従者〉〈同上〉
藤井左兵衛権大尉〈従者〉〈同上〉
津田左兵衛少尉〈従者〉〈同上〉
小森縫殿少允〈従者〉〈同上〉
長野図書少允〈従者〉〈同上〉
【九】
土山長門介〈従者〉〈同上〉
大原太宰大典〈従者〉〈同上〉
堀川新三位〈従者〉〈同上〉
万里小路権右中弁〈従者〉〈同上〉
葱花輦〈駕与丁長四人〉
高辻三位〈従者〉〈同上〉
柳原右少弁〈従者〉〈同上〉
水口弾正少忠〈従者〉〈同上〉
藤木肥後介〈従者〉〈同上〉
雨皮
〈呉床〉
〈呉床〉
簀薦〈二人〉
壬生左大史〈帯刀〉〈帯刀〉〈帯刀〉
安田三河掾〈帯刀〉
御板輿
戸田左兵衛大尉〈従者〉〈同上〉
進藤左近番長〈従者〉〈同上〉
青木左兵衛権大尉〈従者〉〈同上〉
粟津右兵衛権少尉〈従者〉〈同上〉
【十】
雨皮
〈呉床〉
〈呉床〉
簀薦
内海宮内少録〈従者〉〈同上〉
石田左兵衛大尉〈従者〉〈同上〉
御草鞋
山田中務〈帯刀〉
山田右膳〈帯刀〉
〈御鞍置〉
御馬
〈詰使番〉
〈口付〉
〈御鞭詰使番〉
〈下乗〉
〈口付〉
〈御鞭詰使番〉
御用掛
〈帯刀〉
〈帯刀〉
〈下役〉
沓籠
〈御衣着〉
御馬
【十一】
〈詰使番〉
〈口付〉
御用掛〈従者〉〈同上〉
〈下乗〉
〈口付〉
〈下役〉 
沓籠
〈御衣着〉 
御馬
〈詰使番〉
〈口付〉
〈下乗〉
〈口付〉
御用掛〈従者〉〈同上〉
〈下役〉
沓籠
御馬具入辛櫃
〈宰領〉
戸田備後守〈騎馬〉
【十二】
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
御用掛〈帯刀〉〈帯刀〉
〈乗役〉〈帯刀〉〈帯刀〉
〈下乗〉〈竹馬〉
乗役〈帯刀〉〈帯刀〉
〈下乗〉〈竹馬〉
御長棹
〈宰領〉

御馬医薬籠
坊城右大弁宰相〈騎馬〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
【十三】
千種三位〈従者〉〈同上〉
中村幹之助〈帯刀〉〈帯刀〉
長松文輔〈帯刀〉〈帯刀〉
小牧善次郎〈従者〉〈同上〉
小橋恒蔵〈帯刀〉
井上主膳〈帯刀〉
北川徳之允〈帯刀〉〈帯刀〉
谷森真男〈帯刀〉
武井逸之助〈帯刀〉
岡本市之進〈帯刀〉
渡辺大監〈帯刀〉
山本大助〈帯刀〉
市川右衛門〈帯刀〉
山科出雲守〈帯刀〉〈帯刀〉
御衣櫃
【十四】

山科筑前守〈従者〉〈同上〉

粟津長門守〈従者〉〈同上〉

袖岡越中守〈従者〉〈同上〉


時岡神祇少史〈従者〉〈同上〉


佐々木主水〈帯刀〉
簀薦

御茶湯櫃
【十五】
非蔵人〈帯刀〉〈帯刀〉
非蔵人〈帯刀〉〈帯刀〉
御水器
御薬櫃
御医〈帯刀〉〈帯刀〉
御医〈帯刀〉〈帯刀〉
御膳辛櫃
御厨子所〈帯刀〉〈帯刀〉
御厨子所〈帯刀〉〈帯刀〉
三条西大納言〈騎馬〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
〈帯刀〉〈同〉〈同〉
飛鳥井前大納言
〈従者〉
〈同上〉
石山左兵衛督
〈従者〉
〈同上〉
【十六】
高野少将
〈従者〉
〈同上〉
萩原右衛門佐
〈従者〉
〈同上〉
竹屋左衛門佐
〈従者〉
〈同上〉
中御門皇后宮大進
〈従者〉
〈同上〉
石井民部大輔
〈従者〉
〈同上〉
藤島左衛門権大尉
〈帯刀〉〈同〉
〈帯刀〉〈同〉
【十七】
深尾内蔵少允〈帯刀〉〈帯刀〉
垣内尾張介〈帯刀〉〈帯刀〉
後衛
加州兵隊半大隊
前田宰相中将〈騎馬〉
〈御列外供奉〉軍務官権判事
木村三郎〈帯刀〉〈帯刀〉
西村亮吉〈帯刀〉〈帯刀〉

太政官日誌・明治2年33号

太政官日誌 明治二年 第卅三号
明治己巳 三月六日
○三月六日〈己卯〉
【島津中将ヘ御召古下賜並叙任ノ事】
御沙汰書写
島津中将
先般積年勤王之勲労ヲ被慰度勅使被差下候処、早速為拝謝、病中推而登京、参朝之段叡感不浅候、依之格別之思食ヲ以テ、別紙之通下賜候条、益以一新之鴻業ヲ賛補、勉励可有之旨御沙汰候事
別紙写
御召古
御打袙一領
右下賜候事
○ 同人ヘ
参議兼中将之事、雖無家例、出格之思食ヲ以宣下候事
○ 同人ヘ
任参議兼左近衛権中将叙従三位
右宣下候事
【朝彦親王御預ノ事】
浅野少将
先般朝彦儀、其方ヘ御預被仰付罷在候処、別紙之通、同人ヘ被仰渡候間、其旨相心得可取計様ニ御沙汰候事
○ 朝彦
昨年八月、徳川慶喜ヘ密使差遣、内応隠謀之企有之趣、不届ニ付、官職被召放、浅野少将ヘ御預、被仰付候後、尚御取調有之候処前顕之密使ハ、近侍浦野兵庫ト申者、全一已之詐偽ニ出、其方ニ於テ不存事之旨、更ニ申顕候、其以前七月、卑賤之者、偽名ヲ唱ヘ、慶喜密使之由ヲ以テ、申欺候処、忽チ是ニ応シ、親書ヲ与ヘ候始末、不軌ヲ懐キ、意中ニ於テハ、孰レ難遁罪蹟ニ候得共、今般兵庫申立之廉モ有之、且別段思食モ被為在候ニ付罪一等ヲ被宥、安芸国ニ住居謹慎可罷在旨、更ニ被仰出候事
○ 伏見宮
今般朝彦儀、別紙之通被仰出候ニ付テハ、当分御宛行トシテ、現米三百石被下置候間、家族之者、安芸国ヘ差送候儀、可為勝手旨御沙汰候事
【黒田、大阪御警衛被免ノ事】
黒田少将
其藩、昨年来大阪御警衛、被仰付、長々出兵之段、太儀ニ被思食候、今度右御警衛被免候間、此旨相心得候様御沙汰候事
【徳川、浅野、議定仰付ラル】
徳川大納言
議定被仰付候事
○ 浅野少将
議定被仰付候事
○ 同人ヘ
任権中納言叙従二位
右宣下候事
【神山五位、参与仰付ラル】
神山五位
参与被仰付候事
○ 同人ヘ
叙従四位下
右宣下候事
【西本清助弁事仰付ラル】
西本清助
弁事被仰付候事
○ 同人ヘ
叙従五位下
右宣下候事
【十津川郷士ヘ御沙汰ノ事】
十津川郷士中
其方共、往古以来、於朝廷御由緒有之、勤王之志不浅、殊ニ近年之形勢ニ付而ハ、為国家、奔命尽力候段、神妙之事ニ候、依之今般格別之思食ヲ以、別紙之通下賜候事
別紙写
十津川郷士中
一、現米五千石但、蔵米
右下賜候事
但、是迄御手当トシテ、被下候五百石ハ以来不被下候事
○ 十津川郷士中
一、十津川郷六十箇村土地之儀ハ、以後奈良府支配被仰付候間、府藩県一致之御趣意ヲ奉戴シ、心得違無之様可致事
一、郷士頭立候旧家之者十人、中士席行政官支配被仰付候間、郷中人民取締可致事
但、十人之者名前書可差出事
一、兵隊規則相立、年々交替在京可致事
但、兵隊之儀ハ、是迄通リ軍務官可為管轄、尤在番中扶持方之儀ハ、五千石之内ヲ以テ賄可致事
一、献上物等凡而可為古例之通候事
【東久世中将若松ヘ出張ノ事】
東久世中将
以当官、為民政取締、若松表ヘ至急出張被仰付候事
【久松定昭蟄居被免ノ事】
久松隠岐守
其方同姓定昭儀、昨春御不審有之、蟄居被仰付置候処、其方始士民一同、難忍情態御憐察被為遊、出格之思食ヲ以テ、蟄居被免候旨御沙汰候事
○ 久松定昭
其方儀、今般出格之御憐愍ヲ以テ、蟄居被免候間、国務ハ勿論、隠岐守家事等一切、関係致間敷事
【山県、西郷ヲ魯仏二国ヘ派遣ノ事】
毛利宰相中将
其方家来山県狂介、御雇ヲ以、魯仏二国ヘ、地理形勢ヲ視察スルタメ、被差向候間、此旨可相達事
但、神戸、長崎二港之間、便宜ニ従ヒ、出港可致、且路費之儀ハ、右両役所之内ヘ申出、請取可申事
○ 島津少将
其方家来西郷真吾、御雇ヲ以テ云々〈同文〉
各通 長崎府
兵庫県
毛利宰相中将家来山県狂介、島津少将家来西郷真吾、右両人今般御雇ヲ以テ、魯仏二国ヘ地理形勢ヲ視察スル為メ、被差向候ニ付、神戸長崎両港之間、便宜ニ従ヒ出港可致、且路費之儀モ、右両役所之内ヘ、申出請取候様申渡候間、此旨可相心得事
【諸侯東京往来簡略ノ御沙汰】
諸侯、中下大夫、上士
比年天下多事、兵隊発遣等打続、上下疲弊之折柄、猶又今般大小侯伯、東京ヘ被為召候ニ付而ハ、多分之冗員召連レ、無益之費用有之候テハ、深キ叡慮ニ不相副ノミナラス御一新之盛績、不挙事ニ付、前日供連レ御規則被仰出モ有之候得共、尚精々簡略ヲ主トシ、東京往来ハ勿論、平素タリ共、従者ハ唯事ヲ弁スルノミニ致シ、一己之事ハ自ラ之ヲ弁シ、左右無益之使役ヲ不置、務テ従来之弊習ヲ除キ、維新之実効相立候様、屹度可心掛旨被仰出候事
【出雲国造叙位復活ノ事】
出雲国国造
出雲国国造千家、北島家両人、叙位之儀、古来廃絶之処、万事復古之折柄、以格別之叡慮原干旧典、初位従五位下宣下候事
○ 同
曩日初位勅許被為在、今日拝叙、然越階雖不容易事、天穂日命以来、千家七十四代、北島家七十五代、連綿相承且齢及耳順、旁以出格之思食、従四位下被推叙、爾来階序中置等、可被規定之間、必不可為後例事
【軍務官御達書写十四通】
○諸門並大坂表御警衛ノ事
細川中将
今般其藩ヘ、建礼門、建春門御警衛被仰付候、就テハ御留守中、取締別而至重之事ニ付、昼夜共一入厳重可致旨申達候事
○ 稲葉美濃守
今般其藩ヘ宜秋門内外云々〈以下前同文〉
○ 木下大和守
今般其藩ヘ寺町御門云々〈同前〉
○ 小出伊勢守
今般其藩ヘ清和院御門云々〈同前〉
○ 松平図書頭
今般其藩ヘ蛤御門云々〈同前〉
○ 永井日向守
今般其藩ヘ堺町御門云々〈同前〉
○ 稲葉右京亮
今般其藩ヘ中立売御門云々〈同前〉
○ 仙石讃岐守
今般其藩ヘ下立売御門云々〈同前〉
○ 植村羽前守
今般其藩ヘ今出川御門云々〈同前〉
○ 永井肥前守
今般其藩ヘ乾御門云々〈同前〉
○ 青山左京大夫
今般其藩ヘ清所御門猿ケ辻云々〈同前〉
○ 成瀬隼人正
今般其藩ヘ石薬師御門云々〈同前〉
○ 石川日向守
今般其藩ヘ輪王寺般舟院云々〈同前〉
○ 徳川中納言
其藩ヘ大阪表、御警衛被仰付候処、右ハ海陸要衝之場所御留守中別而至重之事ニ付、緩急之節ハ不及申、平常諸取締方精々厳重可取計旨、申達候事

太政官日誌・明治2年32号

太政官日誌 明治二年 第卅二号
明治己巳 三月五日
○三月五日〈丁丑〉
【三浦外十一家版籍奉還上表ノ事】
三浦玄蕃頭上表写
大政御一新、万機御親裁ノ秋ニ膺リ、長薩肥土ヲ始、各藩封度奉還ノ上書、実ニ公明至当之儀ト奉存候、因テ於私モ同様、版籍奉返上度、此段宜御執奏奉懇願候、以上
三月
三浦玄蕃頭 顕次花押
弁事御中
稲垣対馬守上表写
今般王政復古、万機御一新、億兆王化ニ浴ス可キノ時ニ当リ、諸藩追々、土地人民奉還之上表仕候旨承及ヒ、臣長敬区々ノ小藩ニハ候エ共天恩ニ浴シ候儀ハ、大小無別、臣勤王之志、窃カニコレヲ以、盛大ノ挙ト奉仰候、然ル上ハ、御預ケ被置候版図、速ニ奉還仕度、臣区々之鄙衷、謹テ奉仰天裁候、誠恐誠惶、頓首謹言
三月
臣長敬花押
弁事御中
木下備中守上表写
謹臣利恭奉建言候、方今大政御一新之秋ニ当リ、名分大義、正明ニ相成、諸藩ヨリ追々版籍奉還仕度、上表之趣承知仕、事理切当ト奉存候、於臣利恭モ封土此侭私有仕候テハ、於名分奉恐入候間、土地人民共奉返上度、何卒御一轍之天裁ヲ奉仰候、宜御執奏奉願候誠恐誠惶、頓首謹言
三月
木下備中守 利恭花押
弁事御中
加納遠江守上表写
微臣久宣謹而奉建言候、方今天下更始、宇内流通之御秋御国体其宜ヲ得、雖寸民尺土、号令悉従朝廷被為出候様、無之而者、往々海外各国ト被為並立候儀、如何可有之哉ト奉存候処、既ニ薩長肥土等封土返上仕度段、出願之趣遥ニ伝承仕、不堪感激奉存候、是微臣兼而之志願ニ御座候間、封土返上仕度皇国之御為、分毫之御一筋共相成候ハヽ、臣子之大幸不過之ト奉存候、此段奉願候、誠恐誠懼頓首頓首
三月
加納遠江守
弁事御中
脇坂淡路守上表写
今般薩長肥土四藩、大義名分ヲ正シ、土地人民版籍奉還可致旨、建白之趣伝承仕候、実以公明至当之確論ト感服仕候、於微臣モ同様、版籍奉返上度、謹而奉仰天裁候、此段宜御執奏奉願候、以上
三月
脇坂淡路守
弁事御中
黒田甲斐守上表写
臣長徳昧死百拝、奉言上候、臣長徳祖先以来茅土之封ヲ辱クシ、世々王爵ヲ受ケ王土ヲ食ミ、至深至渥之鴻恩ヲ雖奉蒙、未タ涓埃モ報スル事能ハス、臣長徳襲封以来、夙夜憂苦勉励仕、報効ヲ相図リ候エ共、未タ其志ノ万一ヲモ酬ユル能ハス、実以恐惧戦慄之至ニ奉存候、然処、方今大政御一新、万機御親裁、諸事御釐革被為在候折柄、長薩肥土ヲ始メ、列藩追々版籍返上仕候儀ヲ、遥カニ伝承仕、臣長徳亦謹而之ヲ返上シ、伏テ進止ヲ候シ候間、此段宜敷御執奏奉懇願候、誠恐誠惶昧死百拝上言
三月
黒田甲斐守
弁事御中
内藤丹波守上表写
方今大政御復古、万機御親裁之秋ニ際会シ、名分大義確定シ、諸藩追々上表之趣、公正至当之儀、不堪感激、於私モ同様、土地人民版籍奉還、偏奉仰天裁度奉願候、以上
三月
内藤丹波守 文成花押
弁事御中
松平和泉守上表写
謹而奉言上候、普天率土天朝之所有者素ヨリ奉申上候迄モ無御座、况ヤ今般万機御親裁ニ出御国体大ニ御変更被為遊候秋ニ御座候処、適長薩肥土四藩ヨリ、彊土与奪之権、改而朝廷ニ奉帰度卓識ヨリ、版籍奉還之上表モ有之、右熟覧仕候処、尤能大義名分ヲ弁明仕候儀ト、不堪感服奉存、臣乗秩ニ於テモ所保小邑ニハ候エ共、是迄領来候土地人民、尽奉返上度、此段宜御執奏可被下候、以上
三月
松平和泉守 源乗秩花押
弁事御中
秋月長門守上表写
当今海内一定、万機出天裁候折柄、列藩封土之儀モ御改正、速被復郡県之古国体、名義相立、国富兵強、神威海外ニ輝候様、御処置被為在度、奉存候処、長薩肥土上表、封土奉還之趣、今般帰邑之上承知仕、誠以至当之儀ニ存候、就而ハ是迄ノ封土、徒ニ所領罷在候テハ、名義ヲ誤リ候ト、中心不安、深奉恐怖候、依之土地人民共、此節返上、伏而奉仰天裁候、版籍之儀ハ、委細追而取調可申上候誠恐誠惶、謹言
三月
秋月長門守 大蔵種殷
弁事御中
山名因幡守上表写
王者之大宝土地人民、政事人臣一日モ私有スヘカラス、况ヤ皇統一系、祭政一致、万古不易之国体、中葉以降、大権武臣ニ帰シ、土地人民、徒ニ兵馬之強、鋒鏑之力ヲ以テ、攘奪シ、因襲之久、以テ常封トナス、爵名実ニ錯乱、乖戻ニ至ル、天道好還、乾綱更張朝政復古之時ニ膺リ、長薩肥土四藩、版籍奉還ノ建白、大義名分、至正至明、欽仰景慕ニ堪エス、微臣奕世所有之封土、但馬国七美郡、昨年安堵ノ朝命ヲ奉スト雖モ、大義ニ従ヒ土地人民版籍、謹テ奉還、恭ク天裁ヲ仰ク天日之明、宜照鑑ヲ賜ヘ、誠恐誠懼、頓首拝上
三月
山名因幡守 義斉
弁事御中
毛利伊勢守上表写
方今大政御復古、万機御一新ニ付、列藩版籍奉還候由、於在所表伝承、深感激仕候、於微臣モ、同様版籍奉返上度、此段宜御執奏奉願候、誠恐誠惶、頓首敬白
三月
毛利伊勢守 高謙花押
弁事御中
一柳対馬守上表写
朝政復古、中興之御盛業天威赫々、恩波蕩々、然ル処、猶此上普天率土、遍ク皇化ニ浴シ候様、被為遊度聖旨ヲ奉戴仕候ニ付而者今般長薩肥土之四藩ヲ始メ、版籍朝廷ヘ奉返上度旨、奉建言候趣、依之列藩モ猛省警悟シ、追々右四藩同様ニ出願仕候条、昨今伝承仕候、実議論確実、名分正直、事理公平、当然之儀ト、深奉感伏候、於臣未徳モ、右列藩同轍ニ、版籍謹而奉還仕度儀、奉懇願候、宜敷御執奏被下度、伏而是祈、臣未徳誠恐誠惶、頓首再拝敬白
三月
一柳対馬守
弁事御中
御沙汰書写
各通 前田稠松
松平主計頭
松平佐渡守
徳川新三位中将
安藤飛弾守
永井信濃守
間部下総守
森越後守
森対馬守
小笠原近江守
伊東播磨守
堀美濃守
織田大和守
青木民刑少輔
松平但馬守
三浦玄蕃頭
稲垣対馬守
木下備中守
加納遠江守
脇坂淡路守
黒田甲斐守
内藤丹波守
松平和泉守
秋月長門守
山名因幡守
毛利伊勢守
一柳対馬守
今度土地人民版籍奉還可致之旨、及建言候条云々〈以下第十号、池田中将ヘ御沙汰書同文〉

太政官日誌・明治2年31号

太政官日誌 明治二年 第卅一号
明治己巳 三月五日
○三月五日〈丁丑〉
【前田外十四家版籍奉還上表ノ事】
前田稠松上表写
封土之儀ニ付、今般従宗藩、建言仕候趣、於利同モ同意ニ御座候間、更藩土奉還度、何卒御一轍之天裁伏而奉願候、以上
三月
前田稠松
弁事御中
徳川新三位中将上表写
四海一家、無彊之御宏謨、被為建候ニ付、版籍奉還之旨、各藩追々建言仕候趣、伝承仕誠以至当之儀奉存候、於臣家達候而茂各藩同様、封土人民奉還仕度、伏而奉懇願候、恐懼謹言
三月
従三位中将源家達
弁事御中
松平主計頭、松平佐渡守上表写
宗家松平出雲守、版籍奉還仕度段、建白之趣素ヨリ私共宿意ニ御座候間、同様土地人民版籍返上仕度、伏而奉仰天裁候、此段宜御執奏奉懇願候、誠恐誠惶、頓首謹言
三月
松平主計頭
松平佐渡守
弁事御中
安藤飛弾守上表写
今般王政御一新ニ付、諸藩各其封土ヲ奉献シ、至忠之恭順ヲ被竭候事、至レリ尽セリ、臣直裕謹案ニ、凡物久シキ時ハ其弊ナキ事能ハス、自然ノ勢ナリ、封建郡県之典制ノ如キモ、亦然ランカ、中世朝政陵夷シ、上下帰向ヲ失シ候処、天運循環シ聖徳宇内ニ光輝シテ、挽回ノ今日ニ至リ候事、孰カ恭順奉戴セサランヤ、如臣直裕固ヨリ微弱、唯徳風ニ艸偃仕候外無之候得者、殊更建白ニ不及トハ奉存候得共、右列侯ニ准拠シ、自封版籍ヲ収メ天朝ニ捧テ、唯命是仰ク、庶幾ハ徳化衆庶ニ覃ヒ、拱辰ノ御廟謨被為在度、奉願上候、臣直裕不堪惴々之至、誠恐誠惶、頓首頓首謹言
三月
安藤飛弾守直裕
弁事御中
永井信濃守上表写
御一新ニ付、私従前受封之藩地、一先返上仕度、伏而奉仰天裁候、宜御執奏奉願候以上
三月
永井信濃守
弁事御中
間部下総守上表写
臣詮道謹案、国家中葉以降、擾乱相継、上下名分不明、随テ田法廃壊、官私混雑、民数不詳、是誠ニ大計之贏縮ニ関ル所ニシテ、此度王政御復古、国勢御挽回之折柄ニ付テハ、右等都テ御釐正被為在度、尚四海混一之明制ヲ奉仰候、頃日列藩上表之趣伝承仕、則於臣詮道モ同意、素願之儀ニ候間、版籍奉還仕度奉仰御裁断候、誠恐誠惶、頓首敬白
三月
間部下総守 詮道花押
弁事御中
森越後守上表写
私儀当時播州赤穂郡之内、高二万石御預申上候処大政御一新之折柄、右土地人民版籍奉還、奉仰天裁度奉存候、此段宜御執奏奉願候、以上
三月
森越後守 忠儀花押
弁事御中
森対馬守上表写
太政御復古、万機御親裁之折柄、大権之実、奉帰朝廷候旨趣ヲ以、長薩肥土四藩、版籍奉還之上表有之趣、伝承仕候、実至当之事ト奉存候、依之同様私封土版籍返上仕度奉存候、此段宜御執奏奉願候、以上
三月
森対馬守 俊滋花押
弁事御中
小笠原近江守上表写
今度王政御一新、万機御親裁ノ御布行、実ニ皇国復古之御盛事ト謂フヘシ、固ヨリ朝裁ヲ奉仰候ハ申迄モ無之、往ニ諸藩論スル所ノ如ク、土地人民皆是天子ノ有ニシテ、臣庶ノ私スヘキニアラス、依之宗藩ハ勿論、弊藩ニ於テモ、一同版籍ヲ奉収度、何卒速ニ御採用被為在度、尚奉仰天裁候、此段宜御執奏奉願上候、以上
三月
小笠原近江守
弁事御中
伊東播磨守上表写
先般以来、諸家版籍奉還之儀、奉願候趣伝承誠ニ至論感発仕、本懐之至奉存候、私儀モ何卒諸家同様、土地人民版籍奉返上、奉仰朝裁度奉存候、宜御執奏奉懇願候、以上
三月
伊東播磨守
弁事御中
堀美濃守上表写
今般長薩肥土之諸藩ヲ始、有志之藩々ヨリ、是迄之封土朝権賜与之正ニ非ルヲ以テ、其版籍ヲ奉リ、改テ朝裁之宜ヲ奉仰度段、相願候趣承知仕、公正至当之挙ト、深不堪感激候、於私者朝権御一新後、襲封被仰付候儀ニハ御座候得共、封土ニ至テハ、旧ニ依リ候儀ニ付、更テ民土版籍奉還仕度奉存候、此段宜御執奏奉願候、誠恐誠惶、頓首謹言
三月
堀美濃守 親広花押
弁事御中
織田大和守上表写
臣信及誠恐誠惶頓首拝表、伏惟、方今大政御更始、万機御親裁之秋、黜陟与奪、固ヨリ朝権ニ出候御儀ニ付、今更改テ奉言上候筋ニモ無之候得共、近頃諸藩、頻ニ収土之儀ヲ献スル者有之、臣窃欣慕スル所、且臣惷愚之資ヲ以テ、叨ニ侯伯之後ニ従フ、苟モ其身ヲ殺シテ御盛業ニ益スル所ノ者ハ、臣亦敢テ辞セサル所、何况ヤ封土臣民ヲ収ムルヲヤ只臣才劣ニ力微ニシテ、未タ其為ル所以ヲ知ラサルヲ恐ルヽ而已、仰キ願クハ昊天之仁慈ナル、辱ク明教ヲ垂レ玉ヒ、万端列藩同轍之天裁ヲ奉蒙度、此段宜御執奏奉願候、誠恐誠惶、頓首謹言
三月
織田大和守 信及花押
弁事御中
青木民部少輔上表写
今般王政御維新之御国体、御基礎被為立候ニ付、諸藩追々、封土人民奉還之由、伝承仕候、鄙臣重義不徳之身ヲ以、所領祖先ヨリ世襲仕候儀、奉恐入候、依之版籍返上、奉仰天裁度、宜御執奏奉願候、以上
三月
青木民部少輔 重義花押
弁事御中
松平但馬守上表写
方今朝政御一新ニ付、新ニ天裁ヲ仰キ申度之旨趣ヲ以、土地人民版籍奉還可致旨、諸藩ヨリ建言御座候由、於在所伝承仕、至公之論ト奉存候、就テハ於微臣茂、土地奉返上度候間、可然御沙汰奉願上候、誠恐誠惶、頓首敬白
三月
松平但馬守
弁事御中

太政官日誌・明治2年21号

太政官日誌 明治二年 第廿一号
明治己巳 自二月十八日 至十九日
○二月十八日〈庚申〉
【本庄藩戦記二】
本庄藩届書写其二
秋田表於御旅館、従御三卿様、御達ニ付、八月廿日弊藩一中隊、秋田出発、左手子村ヘ繰込、秋藩渋江内膳隊ヘ合兵ノ処、賊ツナキ村ヘ拠リ、高尾山ヘ攀登、淀川ヲ隔テ、互ニ砲戦、日夜大小銃ノ声、更ニ無止時、同廿三日秋藩玉生六郎、同信田内蔵介、両手ノ守口月山ヨリ、強首村ヘ襲来、賊三百人余、罷越候報知ニ付、不取敢弊藩ノ内野辺寿吉郎手半小隊、秋田隊ノ内滝徳之丞手一小隊、行坂ヘ繰込、要地ヲ見立候内、賊ヨリ発砲ニ付、応砲射撃ノ処、狼狽シテ逃去、翌朝ニ至リテモ、敵兵更ニ不相見、依テ同所守衛、秋田藩玉生六郎、信田内蔵介、両手ヘ相托シ、秋藩並弊藩両隊、左手子村ヘ帰陣ニテ、進撃ノ報知相待、同廿九日未明、秋藩宇佐美慶吉手一小隊弊藩戸蒔四郎右衛門手半小隊合兵、左手子村ヨリ川ヲ渡リ、高尾山ヲ越ヘ、進軍ノ処、賊兵路傍萱原ノ中ニ埋伏、発砲ニ付、不取敢砲戦、ツナキ村、肝煎村賊徒ノ根拠放火、敵兵追退ケ元陣所ヘ繰揚ケ、九月朔日副参謀杉山新五右衛門殿御差図ニテ、秋藩並弊藩両手交番中、小種村焦土ヘ野陣、賊兵川向杉林ニ集屯、日夜川ヲ隔テ砲戦、同八日辰ノ刻、敵多勢ニテ川上ヲ渡リ襲来、秋藩戸村大学守口破レ、上野村ヘ襲渡候ニ付、弊藩隊厳重防戦ニ及候得共、賊兵大勢ニテ、先手上野村ヲ襲ヒ放火、秋藩梅津千代吉守場、フクヘラ村ヲ襲ノ勢故、弊藩隊憤戦、敵ノ横合ヨリ攻撃致候処、賊清水木村林中並山上ヨリ烈鋪発砲、アラハ村ヨリ横渡小種村ヘ襲来、弊藩隊孤勢前後ニ敵ヲ請ケ、進退自由ヲ不得ノ次第、不得止同所萱山並林中ヘ繰揚、砲戦致候内、敵俄ニ背ノ山手ヘ、廻リ候模様ニ付、人数分配、賊ノ左右山野ヨリ合撃、賊兵追退ケ候内、土淵村在陣ノ筑州藩大野忠右衛門隊、応援トシテ繰込、合兵ニテ本街道山手両道ヨリ進撃、小種村集屯ノ賊兵ヲ、横合ヨリ合撃ノ処、賊多勢埋伏、俄ニ発砲ニ付、筑州藩、弊藩両隊小勢、必死ト決戦、鬨ヲ作テ合撃候内、賊一隊ハ間道ヨリ下淀川秋藩玉生六郎陣所ヘ襲来放火、賊兵俄ニ山手川手ノ方ヨリ、味方ノ背路ニ廻リ頗苦戦、不得止次第ニ至リ、副参謀杉山新五右衛門殿御差図ニ依テ、惣勢引揚、弊藩ハ種沢村ヘ繰揚候処、弊藩戦士、生守格造、鎌田道一郎、石川音之丞、深入ニテ賊地潜伏、暗夜ニ立越、不計川口村辺ニテ賊ニ出会、一人打留候処、残賊逃去追撃及候得共、更ニ行衛不相弁候ニ付、立帰申候、此日死傷有之、同九日秋藩渋江内膳隊ヘ弊藩合兵、椿川マテ繰揚候処、杉山新五右衛門殿御差図ニテ、弊藩隊同夜安養寺ヘ陣替、筑州隊ヘ合兵同十日辰ノ刻賊安養寺村向山ヨリ、多勢襲来ニ付、筑州並弊藩両隊、椿台ヘ繰出、軍配攻撃致候得共、賊兵頻ニ押来、要地ヌカツカ森取合ノ処、賊先ニ攀チ、味方苦戦ニ及ヒ、何レモ死ヲ今日ト定メ、尽力攻撃ノ処ヘ、応援薩州大隊繰込、惣手共勢ヲ信シ、忽チ十余町追返、既ニ夜ニ入、追詰候場所ニテ、諸手令ヲ下シテ野陣、此日モ死傷有之、翌十一日未明ヨリ攻撃、薩州、秋藩両隊ニテ、ヌカツカ森ヲ攻取、賊兵追撃、賊兵多勢ト雖モ、支兼終ニ沢中ニ退縮、味方大勝利、夜ニ入諸手共野陣、死傷ノ者有之、翌十二日早天、賊兵旗ヲ押建来候ニ付、弊藩守場ヨリ放撃打斃候処残兵逃去、更ニ不顕、終日探索、其夜モ野陣翌十三日平尾鳥村迄繰込、同廿日監軍ヨリ御差図ニ付、新庄藩、弊藩合兵、種沢村ヘ繰込夜ニ入宿陣、翌廿一日早天ヨリ繰出、淀川ヲ渡リ高尾山ヲ越、君川村迄繰込候得共、賊更ニ不相見、直ニ間道ヨリ亀田城ヘ繰込、翌廿二日本庄表ヘ繰入、同廿三日塩越駅迄繰込、同廿七日進撃、大須郷村ヨリ観音森ヘ討入、先鋒秋藩岡谷兵馬一小隊、後陣肥州六小隊、応援筑州五小隊ニテ繰出、小砂川村ヘ討入、先鋒肥州四小隊、二陣秋藩荒川久太郎一中隊三陣弊藩一中隊、応援因州三小隊繰出、観音森ニテ、肥秋先鋒後陣合兵、攻撃砲戦、味方勝利、翌廿八日、庄賊今暁因州陣所ヘ降伏、歎願書差出候ニ付、一ト先、元陣所ヘ繰揚候様攻撃ノ半途ニ報知ニ付、惣勢繰揚候処、監軍ヨリ御差図ニ付、秋藩、岡谷兵馬隊、弊藩合兵、夜中小砂川村焦土ヘ繰込野陣、翌廿九日弊藩隊吹浦駅ヘ繰込、翌十月朔日酒田ヘ繰込候処、監軍ヨリ御差図ニ付、諸手共滞陣、同五日庄賊開城降伏ニ付、各藩一ト先国許ヘ引揚ノ御沙汰ニ付、翌六日弊藩手、同所早天引揚、同八日本庄城ヘ凱陣仕候
九月八日、中小種村戦争、死傷左ノ通
深手
小隊司令帰陣後死 松本銃助
平士 石川音之丞
薄手
嚮導 生守格造
以下平士 鎌田道一郎
高橋友吉
九月十日、安養寺村ニテ戦争死傷左ノ通
戦死
平士 斎藤五助
薄手
目付役帰陣後於病院死 作左部林之丞 
平士 大平藤之助
郷夫 一人
九月十一日、上野台ニテ戦死左之通
戦死
半隊司令 井上十大夫
平士 岡部雄之助
右之通御座候、尤死傷ノ儀ハ、兼テ御届申上候得共、猶戦争概略、再取調此段御届申上候以上
十二月
六郷兵庫頭隊長 六郷大学
庄内御征討ニ付、人数出兵並手負、討死等ノ儀、節々御届申上ノ処、道路打絶報知無之折柄、漸ク四境相開、不取敢御出先参謀方ヘ、御届ノ写相廻候処、更ニ戦争模様不相分候ニ付、猶其段在所表ヘ申遣、取調ノ上ニテハ、余リ遅延ニ相成候ニ付、先其侭御届申上置候処、此度戦争概略並兵火ニテ焼亡ノ箇所、取調申越候間、別紙相添、此段御届申上候、以上
正月十八日
六郷兵庫頭家来 石川安太夫
右之通、於東京御届申上候段、申越候ニ付、猶又此段御届申上候、以上
二月十八日
六郷兵庫頭公用人 小貫平輔
○十九日〈辛酉〉
【本多、松平任叙ノ事】
御沙汰書写
本多平八郎
任中務大輔叙従五位下
松平瑶彩麿
任但馬守叙従五位下
右宣下候事
【御誓約諸侯面々】
前田宰相中将
成瀬隼人正
加藤出雲守
小笠原近江守
【若王寺遠文、復飾仰付ラル】
若王寺遠文
先般、海軍参謀御用ニ付、復飾被仰付候条今度寺務ヲ離レ、山科家庶流ヲ以、新ニ堂上ニ被仰付、現禄四十石下賜候旨、被仰出候事
【大廟御参拝ト重軽服者】
勢州御参拝之節、供奉之内、重軽服之輩、関駅ヘ相止リ、御跡ヨリ随従御参拝被為済津駅ヨリ供奉可致候事
【山内隊ヘ御沙汰ノ事】
山内少将兵隊 創傷之者
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃、遂被重創云々〈正月九日、長州兵隊ヘ御沙汰書同文〉
【御東幸御道筋ヘ御沙汰ノ事】
御道筋府藩県ヘ
今般再御東幸ニ付テハ、御道筋府藩県トモ諸事簡易ノ御趣意ヲ奉戴、諸事取扱可致候、殊ニ追々農事繁多ノ時ニ趣候得ハ、夫々使役等、別テ心ヲ用ヒ、無益ノ設致間鋪、総テ昨年之御振合ヲ以、万端可取扱様、尚委細ノ儀ハ、近々御先調ノ者罷越、可差図候間、此旨相達候事
【大宮御所御警衛被免ノ事】
各通 毛利宰相中将
島津少将
山内少将
御東幸御留守中大宮御所御警衛被仰付置候処、御模様之次第有之、被免候事〈但、島津少将ハ中宮御所、山内少将ハ桂御所ニ作ル〉
【中根五位差控ノ事】
中根五位
去ル十四日、中川修理大夫ヘ、謹慎被仰出候儀ニ付、麁漏ノ儀差出候子細ニ仍テ、進退伺出候、依之差控被仰付候事
【軍務官ヨリ達書写十通】
○御東幸御留守御警衛ノ事
細川越中守
今般御再幸ニ付、御留守中御警衛トシテ精兵四百人、迅速登京申付候事
但、兵隊着京候ハヽ、早々可届出候事
○ 柳沢甲斐守
右同文精兵二百人
○ 前田飛弾守
稲葉美濃守
右同文精兵百五十人宛
○ 石川日向守
稲葉右京亮
松平図書頭
青山右京大夫
右同文精兵百人宛
○ 小出伊勢守
木下大和守
細川若狭守
細川豊前守
植村羽前守
永井日向守
永井肥前守
成瀬隼人正
九鬼長門守
松平佐渡守
松平但馬守
青山大膳亮
仙石讃岐守
水野大炊頭
右同文精兵五十人宛
○残留兵隊帰邑御差許ノ事
諸藩
是迄京師ヘ残置候兵隊、今般総テ差免候間、勝手ニ帰邑可致、此段相達候事
○大阪警衛ノ事
徳川中納言
其藩精兵一大隊、為大阪警衛、迅速可差出申達候事
○前田藩貢献米ノ事
前田宰相中将
其藩貢献米、当年分、東京軍務官ヘ差出候様可致、此段相達候事
○敦賀港警衛交代ノ事
各通 有馬遠江守
小笠原左衛門佐
間部下総守
其藩兵隊、敦賀港警衛申付置候処、今般御詮議振ヲ以、右港警衛差免候事
○ 酒井若狭守
今般御詮議ヲ以、丸岡、勝山、鯖江等三藩、敦賀港警衛差免候間、為心得申達候事
但、同港於其藩、猶又手厚警衛可致候事

太政官日誌・明治2年23号

★衛→京都版・東京版では「エ」

太政官日誌 明治二年 第廿三号
明治己巳 自二月廿日 至二十二日
○二月二十日〈壬戍〉
【本荘、稲葉、仙石三家版籍奉還ニ付上表ノ事】
本荘伯耆守上表写
今般、建言仕候処、以御附紙、御下ケ被成下奉畏候、諸藩同様、版籍奉還仕度心底御座候間、尚又此段奉言上候、恐惶謹言
二月
本荘伯耆守
弁事御中
稲葉右京亮上表写
臣久通惶恐頓首謹言、普天率土、固ヨリ朝廷之御有ニシテ、敢テ、臣下ノ私スル所ニ非サル義ハ、申迄モ無之候、今般長薩肥土四藩上表之旨趣、公明之正論、実ニ感服仕候、方今王業恢復、四海一家之御盛典、被為挙微臣区々抃躍之至ニ不堪、依之謹而版籍奉返上、尚寛公允当之天裁、伏而奉仰冀候、臣久通誠惶誠恐、頓首拝手、以表
二月
稲葉右京亮
弁事御中
仙石讃岐守上表写
寿永以来、武臣擅権、名義紊乱、土地人民ニ至ル迄、私ニ授受致シ来候処、今般王政復古候ニ付テハ御制度御一定、可被為在儀ニ付、長薩肥土四藩始、版籍返上之向有之候趣於微臣モ、志願一般ニ御座候間、版籍返上仕候、此段可然御執奏御差図被下度、奉敬乞候以上
二月
仙石讃岐守
弁事御中
御沙汰書写
各通 本荘伯耆守
稲葉右京亮
仙石讃岐守
今度土地人民版籍奉還可致之旨、及建言候条云々〈第十号、池田中将ヘ御沙汰書同文〉
○二十一日〈癸亥〉
【御東幸御道筋取締並御荷物宰領ノ事】
御沙汰書写
藤堂和泉守 足軽六人
藤堂佐渡守 同四人
今般御東幸ニ付、諸侯伯及中下大夫、上士ニ至ル迄、東京ヘ被召寄候ニ就テハ、駅路往来、混雑可致ニ付、東海道五十三駅之内、二十五箇所ヘ、駅逓司ヨリ出張致シ、宿々取締方等、諸事不都合無之様為致候間、右御用ニ相立候人体相撰可差出候事
但、心得方之儀ハ、会計官ヘ可承合候事
増山対馬守 足軽三人
本多河内守 同三人
右同文
柳沢甲斐守 足軽十人
稲葉美濃守 同十人
柳生但馬守 同五人
平野遠江守 同五人
永井日向守 同五人
青木民部少輔 同五人
今般御東幸ニ付、御荷物類、宰領申付候間其心得ヲ以、人撰可差出候、相揃候ハヾ早々可届出候事
【前原五位ヘ御太刀料下賜ノ事】
前原五位
昨年来久々軍旅、兵部卿宮輔翼シ、画策謀略其機宜ニ中リ、速ニ東北平定ノ功ヲ奏シ候段叡感不浅候、依之不取敢、為御太刀料金三百両下賜候事
【副島二郎賜暇ノ事】
副島二郎
鍋島中納言願ニ因テ、少時御暇被下候間、用弁相運候上ハ、成丈早々、東京ヘ可罷出旨御沙汰候事
【加茂社ヘ行幸ノ事】
御布告写
来ル二十九日加茂下上社行幸被仰出候
但、雨天御順延ノ事
【池田、小笠原両家版籍奉還ニ付上表ノ事】
池田但馬守版籍返上ノ儀、宗藩池田中納言ヨリ建言写
末家池田但馬守儀、播州所有之版籍返上仕度旨、別紙之通下官迄申出候条、宜御執奏可被下候、以上
二月
慶徳
弁事御中
別紙写
今般依大義、因伯之版籍被成返上候段拝承仕、実ニ公正之盛挙、奉仰慕候、私居邑旧年蒙安堵之朝命難有仕合奉存候処、掌大之領知モ、大義ニ風靡不仕候而者、又所不敢安御座候間、播国所有之版図、謹而奉還仕度奉存候、宜御執成被下候様奉願候以上
二月
徳潤
池田中納言殿
小笠原左衛門佐上表写
謹而上表仕候、方今王政御復古、万機御親裁被為在、愈以、維新之御実蹟、相立候御時会ニ周遭仕、誠以大幸之至奉存候、就テハ私従来所領之封土、依然私有仕候儀、大義名分不相立、深奉恐懼候、依之土地人民共奉返上度、此段宜御裁決、伏而奉願上候、以上
二月
小笠原左衛門佐 長守花押
弁事御中
御沙汰書写
池田但馬守
小笠原左★衛門佐
今度土地人民版籍奉還可致之旨、及建言候条云々〈第十号、池田中将ヘ御沙汰書同文〉
○二十二日〈甲子〉
【摂州川口ノ田安家屋敷地御用ノ事】
御沙汰書写
田安中納言
摂州川口ニ有之其方屋鋪地、此度御用有之候間、可差出旨御沙汰候事
但、引渡之儀ハ、大阪府ヘ可承合事
○ 大阪府
摂州川口ニ有之田安中納言屋鋪地、此度御用ニ付差出候様、被仰付候間、此旨相達候事
但、引渡ノ儀、其府ヘ承合候旨、申達置候事
【柏崎、佐渡両県廃止ノ事】
久我維麿
柏崎県被廃候ニ付、知事被免候、是迄取扱候御用向、越後府知事ヘ引渡候上、東京ヘ可罷出様御沙汰候事
○ 越後府
佐渡県之儀、其府管轄ニ被仰付候事
○ 同府
越後国柏崎県被廃、御料一円、自今其府可為管轄旨、被仰出候事
【池田武蔵守上京仰付ラル】
池田武蔵守
御用有之候間、至急上京可致旨、被仰出候事
【御拭眉ニ付参賀ノ事】
宮堂上
在京諸侯
来月一日御拭眉ニ付、当日禁中大宮御所中宮御所ヘ参賀之事
但、不及献物候事、重服之輩翌日参賀之事
○ 五等官以上徴士
右同文
但、不及献物候事、重服ノ輩翌日参賀之事
衣体ノ儀ハ、三等官以上衣冠直垂可為勝手四等、五等官ハ直垂之事
【御東幸御出輦ニ付恐悦ノ事】
宮堂上
来月七日御東幸御出輦ニ付、寅半剋、為御見立、参朝可有之、翌八日、為恐悦参朝並大宮御所中宮御所ヘモ、恐悦可申上候事
東京御着輦拝承ノ上、為恐悦禁中大宮御所中宮御所ヘモ可罷出事
御出輦後、十五ケ日ノ内、一度ツヽ為伺御機嫌、可罷出事
○ 在京諸侯
来月七日御東幸以下同文
但、衣体ノ儀、有位ハ衣冠、無位ハ直垂着用可有之、猶又恐悦申上候節、所労ハ重臣名代不苦事
東京御着輦拝承以下同文
但、所労ノ輩ハ重臣名代不苦候事
御出輦後以下同文
○ 在職之宮公卿諸侯並
五等官以上徴士ヘ
来月七日御東幸御出輦ニ付、寅半剋為御見立、参朝可有之候事
但、御出輦後、早々大宮御所中宮御所ヘ、為恐悦可罷出、且衣体ノ儀ハ、宮堂上諸侯衣冠、三等官以上ノ徴士衣冠直垂可為勝手、四等、五等ノ徴士ハ直垂着用ノ事
御出輦ニ付、為御見送、五官知事、粟田宮ヘ可罷出候事
但、知事差支ノ節ハ、副知事又ハ判事ニテモ可罷出候事
東京御着輦、拝承ノ上、為恐悦禁中大宮御所中宮御所ヘ可罷出候事
【祈年祭御再興ノ事】
御布告写
来ル廿八日祈年祭御再興、同日御拝ニ付廿六日晩ヨリ廿九日朝迄御神事候事
但、重軽服者並僧尼参朝可憚事
【新潟府ヲ廃シ県ト改称ノ事】
新潟府被廃、改テ新潟県被置候旨御沙汰候事
【加茂社御神事ノ事】
来ル廿九日加茂行幸ニ付、廿七日晩ヨリ晦日迄御神事候事
但、重軽服者並僧尼参朝可憚事
【通商司取建ノ事】
今般諸開港所ニ於テ、新ニ通商司ヲ取建、貿易事務一切、管轄可致旨被仰出候事
右之通被仰出候ニ付テハ、以来諸官並府藩県共、外国人ヘ諸品買入注文等、総テ通商司ヘ相届、免許状ヲ請候上ナラデハ、一切不相成候、尤諸官府藩県共、会計前途ノ目的相立候迄ハ、買入注文等相見合セ可申、若不得止儀有之候得ハ、右通商司ヘ相届可受差図事
【外国ヨリ借入金高取調ノ事】
諸官府藩県共、外国ヨリ買入候諸品代金払残並ニ借入候金高払返済方期限等、早々取調、来三月中外国官ヘ可差出事

太政官日誌・明治2年22号

太政官日誌 明治二年 第廿二号
明治己巳 自二月十九日 至二十日
○二月十九日〈辛酉〉
【浅野外四家版籍奉還ニ付上表ノ事】
浅野少将上表写
方今皇国平均ニ至リ、予奪ノ大権、全ク朝廷ニ帰スト雖モ、海内一家ノ御宏謨実事不被相行候テハ、到底聖化四方ニ施ク時ナシ是ニ於テカ、長薩肥土ノ四藩、先タツテ各其版籍ヲ挙テ、之ヲ朝廷ニ奉収還度段、建言之趣、臣長勲ニ於テモ、至極同意仕候ニ付、四藩同様、版籍奉収還度、何分御一般ノ天裁ヲ奉仰望懇願候、誠恐誠惶、頓首再拝敬白
二月
浅野少将
弁事御中
分部若狭守上表写
大政御一新、万機御親裁之秋ニ膺リ、是迄所領罷在候封土之儀、此侭私有仕候テハ、深奉恐入候、依之土地人民版籍奉還、奉仰天裁度、謹而奉願上候、以上
二月
分部若狭守
弁事御中
竹腰伊予守上表写
謹テ奉申上候、私旧来領知三万石之内、一万石尾州ヘ返地、被仰付候処、従来之家頼其侭有之候テハ、往々扶助難行届、無罪之王民困苦ニ為陥候段、難忍候情実ヲ以、過日奉歎願候処、厚御評議之訳ヲ以、被及御沙汰候儀ニ付、願之趣内情無余儀次第モ可有之候得共、御採用不相成、猶又非常破格之法則ヲ立、藩屏之任、勉励報効候様、被仰出候条奉承仕、且駭キ、且歎シ、素ヨリ勤王一途之外、他念無御座候得共、如何様対天朝奉恐入候次第モ候半哉ト、只管恐懼奉戴、即非常被格之法則、殊ニ又熟考会議相竭候エ共、猶後安之方嚮相立兼、殆一層之痛歎ニ相沈ミ此上ハ一藩中天怒ニ相触候儀モ候ハヽ、私一人ニ其罪ヲ御帰シ、無罪之王民安堵之方向、御立被成下候様仕度、懇願此一儀ニ止居候処、今般諸藩之封土天朝賜与之正ニ非ルヲ以、版籍奉還仕奉仰御裁断度条、追々願出候向モ、有之哉ニ伝承仕、誠以至当之儀ト奉存候、抑普天之下王土ニ非ルハナク、率土之浜王臣ニ非ルハナケレハ、土地人民ハ素ヨリ王家之大宝ニ被為在候エ者、私儲シ候筋、毫末モ無御座候処、中葉以降、武門権ヲ縦ニシ王土ヲ以、攘奪私与シ、封建之熾勢、次第ニ強大ニ相成、其名義大体ヲ相謬候事、殆六百有余年、因襲之陋弊ニ陥リ皇朝之大典、久ク不相挙候処、今也王政御復古海内一家之御宏謨被為立、殊更未曽有之御偉業、御施行被為在、御徳化遠邇ニ光被シ候段誠以千載不抜之御盛典、臣民之希望何事カ之ニ如ン哉、既ニ於私ハ、先般藩屏之任、更ニ被仰付、名義確立、万古不朽、家門之規模難有仕合、猶贅言ヲ不俟儀ニハ候エ共、封土之儀ハ、其先幕府之私与ニ御座候エハ、今般更ニ土地人民版籍返上仕、聖茲寛洪之奉仰天裁度、懇願之至ニ御座候、誠恐誠惶、頓首敬白
二月
竹腰伊予守
弁事御中
織田出雲守上表写
今般大政御更始ニ付而ハ恭順之諸藩、往々版籍上納之趣、拝承仕候、臣子之定分、素ヨリ可然奉存候、因而私儀二万石之領地人民共ニ返上仕、一ニ奉仰天裁候、右之段宜御執奏奉願候、以上
二月
織田出雲守
弁事御中
市橋下総守上表写
方今王室之御政権、古ニ御復シ、誠ニ千歳之一機会ト、敬賀此事ニ奉存候、臣長義辱クモ、列藩之後ニ在テ、無彊ノ恩波ニ浴スト雖モ、聊功労ヲ不奏、剰ヘ因襲之久シキ、封土私有仕候儀、今日ニ至リ申候、今般、長薩肥土及各藩、土地人民版籍返上仕候儀、及建言候旨、窃ニ伝承仕、誠ニ公正至当之上表ト於臣長義モ同意ニ御座候ニ付、蕞爾タル弊藩ニ候エ共、版籍謹テ奉還仕度奉存候、鄙衷宜御執奏之段、偏奉懇冀候、誠恐誠惶、頓首謹言
二月
市橋下総守 長義花押
弁事御中
御沙汰書写
各通 浅野少将
分部若狭守
竹腰伊予守
織田出雲守
市橋下総守
今度土地人民版籍奉還可致之旨、及建言候条云々〈第十号、池田中将御沙汰書同文〉
○二十日〈壬戍〉
【五県御取建ノ事】
御布告書写
上野国 岩鼻県
常陸国 若森県
武蔵国 品川県
同国 大宮県
上総国 宮谷県
右之新県、御取建相成候間、為心得相達候事
【公用人ノ弊習一洗ノ事】
諸藩公用人之内間ニハ、従前留守居之風習ヲ不脱、組合ヲ結ヒ、用談ニ事寄セ、無用之集会等相催シ、不宜風儀モ有之哉ニ相聞エ、甚以如何之事ニ候、以来右様之義一切廃絶、宿弊一洗候様、其主人々々ヨリ屹度可相示候事
【外国人ヨリ貨幣借入ノ事】
諸藩ニ於テ、私ノ相対ヲ以テ、外国人ヨリ貨幣借リ入候儀不相成候、以来借入度向願出候上ハ、外国官ヨリ差図可致候間、此旨可相心得事
【府県公議人建言ノ事】
府県公議人之儀ハ、兼テ御布告之通、追而徴集之御沙汰可有之候エ共、即今建言致度儀有之節ハ、書面ヲ以、公議所ヘ差出可申事
【鉱山開拓ニ付御布告】
一、鉱山開拓之儀ハ、其地居住之者共、故障筋無之候ハヽ、其支配々々之府藩県ヘ、願之上掘出不苦候、府藩県ニ於テモ、旧習ニ不泥、速ニ差免可申事
但、是迄掘来候分共、都而鉱山司ヘ府藩県ヨリ可届出候事
一、金銀銅共、山元ニテ十分精錬之上、差出可申、尢丁銅棹銅ニ仕立候共、不苦候事
但銅之儀ハ、器物ニテモ御買上相願度分ハ、鉱山局ヘ差出可申事
一、金銀銅共、鉱山司ニテ、定位相立置候エ共、時之相場ヲ以、売買致シ候義、不苦候事
但、外国ヘ売渡之分ハ、急度運上所ヘ届之上可取計、若密売有之ニ於テハ、厳重ニ所置可有之事
一、府藩県所領之金銀銅、出高年々鉱山司ヘ可届出事
一、近頃無頼之輩御一新之御趣意不相弁、種々名号ヲ唱ヘ、鉱山ヲ巡覧、村民ヲ悩シ金銭ヲ掠奪致シ候様之儀、有之旨相聞エ、以之外之事ニ候、時宜ニヨリ召捕候共、不苦候事
但、鉱山司ヨリ点検差出候節ハ、会計官之証書並駅逓司之印影持参、差出候筈之事
会計官
【公議所開議期日治定ノ事】
公議所開議、来ル二月十五日ト治定、以来二七ノ日、会議有之候間、各官ヨリ四等官以上一人宛、出席可致旨御沙汰候事
【外国人雇入ノ事】
近来諸官ニテ、外国人相雇候処、外国官ニ於テ承知無之分モ有之、各国ヨリ右雇人之儀ニ付、懸合方等有之節、不都合之次第モ有之候ニ付、外国人雇入之年月日、人名ヲ始、月給或接待方等巨細書記シ、各官ヨリ外国官ヘ可相届、且以来雇入候節ハ、外国官懸合済之上可願出候事

太政官日誌・明治2年24号

太政官日誌 明治二年 第廿四号
明治己巳 自二月廿二日 至廿三日
○二月二十二日〈甲子〉
【堀、京極両家版籍奉還上表ノ事】
堀貞次郎上表写
微臣直弘謹而奉言上候、養父直賀儀順逆名分之大道、不弁之愚ト申ナカラ、奥羽諸賊ニ脅制セラレ、同盟ノ列ニ加ハリ、恐多モ王師ニ奉抗衡候始末、言語ニ絶候儀ニ御座候処、微臣不肖之身ヲ以、正義之家来共引纏官軍御先鋒相勤、聊微効ヲ表シ候故ヲ以天朝御垂憐被為在、出格之御寛典ヲ以、罪過御寛宥被為在候而已ナラス、不肖微臣弊家相続無相違被下置候条、再生蘇息之情、重々至極難有仕合奉存、一藩士民末々ニ至迄、海岳猶不及天恩ヲ深ク奉感戴候、雖然微臣幼弱不肖之身ヲ以、藩屏之大任ヲ負担仕、其任ニ不堪シテ朝廷之明徳ヲ損シ奉リ洪恩ヲ傷ヒ奉ル乎ト日夜戦兢罷在候、凡普天率土尽ク王臣王土ト兼テ奉伺候エ共、列藩之中間々世禄因襲之久キ、遂ニ藩屏之大任ヲ忘レ、其土地人民ヲ私有之心得ヨリ、大義順逆ヲ謬リ候場合ニ立至候儀、既ニ生シ候、乍併他人之義者黄口ノ微臣敢テ是非仕候義無御座候、唯々無窮之天恩ヲ奉戴、造次反省恐懼之情ニ不堪、况ヤ王政復古之御時節、旧来因襲之禄其侭頂戴仕候而ハ、益恐懼苟安不仕、此頃薩長其外諸藩版籍奉還仕度段、上表之趣尤可然義ト奉存候、微臣雖不肖、聊大義名分ヲ明ニ仕、臣下之節義ヲ貫キ天恩万分奉報度、志願ニ御座候、依之今般土地人民版籍悉ク奉還仕度奉存候間、偏宜奉仰天裁候、此段謹而奉建言候、誠恐誠惶、頓首百拝謹白
二月
堀貞次郎 直弘花押
弁事御中
京極佐渡守上表写
臣朗徹頓首頓首謹案、普天率土私有スヘキニ非サルハ勿論ノ事ト奉存候、然ルニ専横以来肆ニ土地人民ヲ領シ、天下茫々名義不明事、茲ニ数百年、今也王政御維新、君臣上下名分了然、於是長薩肥土及列藩、各其土地人民ヲ朝廷ヘ奉還致度、建白差出候趣、実以公平至当之論ト被存候、乍恐確乎不抜ノ御基本御立、御復古之典、御行ヒ皇威ヲ四海ニ御輝シ可被為遊ハ、此時ニ在ト奉存候、臣朗徹幸ニ際会於明時、不堪感激、亦敢テ諸藩ノ例ニ随ヒ、謹而版籍ヲ奉還仕度候、此段御執奏之程、伏而奉懇願候、誠恐誠惶、頓首謹白
二月
京極佐渡守
弁事御中
御沙汰書写
堀貞次郎
京極佐渡守
今度土地人民版籍奉還可致之旨、及建言候条云々〈以下第十号、池田中将ヘ御沙汰書同文〉
○二十二日〈乙丑〉
【御沙汰書写】
○加茂社行幸供奉ノ事
真田信濃守
来廿九日賀茂行幸ニ付、供奉前駆被仰付候事
但シ、警衛士二十人召連候事
○ 細川右京大夫
前同文後衛
○清水谷外五家叙位ノ事
清水谷中納言
叙従二位
○ 四辻宰相中将
叙正三位
○ 千種中将
叙従三位
○ 慈光寺大膳大夫
叙正四位下
○ 植松大夫
叙従四位下
○ 菊亭偕麿
叙従四位下
右宣下候事
○徳川三位御東幸先駆仰付ラル
徳川三位中将
今般御東幸ニ付、供奉先駆被仰付候事
但、御発輦前一両日之内、発途可致事
【日光県御取建ノ事】
御布告書写
下野国日光県
右新県、今般御取建相成候事
【大河内外四家版籍奉還ニ付上表ノ事】
大河内刑部大輔上表写
今般諸藩土地人民版籍朝廷ヘ奉還之儀、追々及建言候趣伝承仕、於臣茂古モ兼而之素志ニ御座候間、同様版籍奉還仕、奉仰天裁度奉懇願候、謹白
二月
大河内刑部大輔 信古
弁事御中
木下大和守上表写
今般長薩肥土四藩、土地人民奉還之上表、至当之正論、於微臣俊愿モ是迄私有仕候段、今更奉恐入候、依之謹而版籍返上、奉仰朝裁候、此段宜敷御執奏奉願上候、誠恐誠惶、頓首敬白
二月
木下大和守 俊愿
弁事御中
本多対馬守上表写
大政御復古、百事御一新之折柄、是迄所領仕候封土之儀、此侭私有罷在候而ハ、於名分深奉恐入候、然処諸藩追々、版籍奉返上旨、上表之趣伝承仕、誠以公正至当、本懐之儀ト奉存、於私モ版籍奉返上度、何卒宜御執奏御裁断之程、謹而奉懇願候、誠恐誠惶、頓首敬白
二月
本多対馬守 忠鵬花押
弁事御中
青山大膳亮上表写
方今大政御振張之際、列藩ヨリ版籍奉還之儀建白御座候趣承知仕候、微臣幸宜不肖之躯トシテ聖恩ヲ叨シ、藩屏之任ヲ辱シメ、今日ニ至迄、偸安仕候段、深恐縮之至奉存候、右列藩建言之趣、全四海同軏、至大之公論ニ付速ニ土地人民及爵位等、悉皆奉還帰度奉存候就而ハ家来並庶民恒産等之儀ハ、偏ニ奉仰天裁度奉懇祈候、宜御執奏可被下候、誠恐誠惶、頓首謹言
二月
青山大膳亮
弁事御中
谷大膳亮上表写
大政御一新之秋ニ方リ、名分大義ヲ正シ、諸藩ヨリ出願仕候版籍返上之儀、実ニ至当之確論ト奉存候、就テ者微臣儀モ同様、版籍返上奉仰天裁度、伏而奉懇願候、此段宜御執奏奉願上候、以上
二月
谷大膳亮
弁事御中
御沙汰書写
各通 大河内刑部大輔
木下大和守
本多対馬守
青山大膳亮
谷大膳亮
今度土地人民版籍奉還可致之旨、及建言候条云々〈以下前同文〉

太政官日誌・明治2年29号

太政官日誌 明治二年 第廿九号
明治己巳 自二月卅日 至三月二日
○二月三十日〈壬申〉
【京極外三家版籍奉還ニ付上表ノ事】
京極下総守上表写
旧幕失体ヨリ御国威不振、深被為悩宸襟已ニ王政復古之命下リ、且闔藩奉体天意大変革相用申候様、御布告相成申候得共、如今之封県ノ政治ニテハ、国異政家殊俗之弊難攘、何之日皇国一体、同軏ニ帰シ可申哉ト抱憂之余、昨夏聖意之御端倪、奉伺候儀モ御座候、然ルニ此頃諸藩之内、土地人民奉還之由伝承仕、積年之素願豁達、実千歳之一時御国威御挽回之機会ト、乍恐日夜雀躍罷在候依テハ以来御委托之土地土人共、奉返還候間、如何様共天裁之儀、奉仰候、此段宜御執奏奉願候
二月
京極下総守 高典花押
弁事御中
有馬遠江守上表写
方今列藩、各其土地人民奉還之上表、実ニ至当ノ公論、臣亦所願ナリ、因テ謹テ所守ノ版籍ヲ、納メ奉リ度奉存候、此段宜御執奏奉願候、誠恐誠惶、頓首謹言
二月
有馬遠江守
弁事御中
松平左兵衛督上表写
方今万機御一新、中興之御盛業、被為建候御儀、奉欽仰候、就テハ、今般四藩ヲ始、封土奉還之旨趣、尤其当ヲ得候儀ニテ御採用相成候者、臣直致都テ同意、本懐之儀ニ御座候間、謹テ版籍ヲ奉収、以テ一轍之御聖治奉仰願度御廟算モ可被為在儀、浅劣之私何之標的モ無御座、軽易ニ申上兼候得共、区々之微衷、宜御執奏可被下候、誠恐誠惶、頓首謹言
二月
松平左兵衛督 直致花押
弁事御中
大給左衛門尉上表写
王政御復古ニ付、列国藩々、普天率土、一民尺地不可私有之大義ヲ皇張シ、土地人民奉返上候由伝承仕、至当之事ト奉存候間、於微臣モ所領之人土、謹テ奉還仕度、此段宜御執奏奉願候、誠恐誠惶、再拝敬白
二月
大給左衛門尉 近説
弁事御中
御沙汰書写
各通 阿部主計頭
堀長門守
本多河内守
渡辺丹後守
石川日向守
稲垣若狭守
池田侍従
小笠原豊千代丸
小出伊勢守
久留島伊予守
京極下総守
有馬遠江守
松平左兵衛督
大給左衛門尉
今度土地人民版籍奉還可致之旨、及建言候条云々〈第十号、池田中将ヘ御沙汰書同文〉
○三月朔日〈癸酉〉
御拭眉ニ付、群臣ニ御祝酒ヲ賜フ
【有馬中将隊ヘ御沙汰ノ事】
御沙汰書写
有馬中将兵隊
征討出張、遠路跋渉、其労不少候、今般帰陣ニ付、不取敢為被慰軍労、酒肴被下候事
【板倉、池田両家版籍奉還ニ付上表ノ事】
板倉摂津守上表写
臣勝弘頓首再拝、謹テ奉言上候、今般王政御復古、万機御親裁可被遊旨、被仰出皇国諸道既闕荊棘、四隅辺僻ニ至迄帰一、誠以奉仰王威候、就右勝弘是迄之封土私有仕居候テハ、名分難立、奉恐縮候、依之民土奉返上度、乍恐御裁断奉願上候、誠恐誠懼、頓首敬白
三月
板倉摂津守 勝弘花押
弁事御中
池田満次郎上表写
今般宗家備前守儀、四藩建白之至論ニ感発仕版籍奉還之儀伺上候由、於私モ至極同意ニ奉存候間、何卒宗家同様、何分之御沙汰奉蒙度奉願候、依之収納目録相添差出申候、宜御執奏奉懇願候、以上
三月
池田満次郎
弁事御中
御沙汰書写
各通 板倉摂津守
池田満次郎
今度土地人民版籍奉還可致之旨、云々同上
○二日〈甲戍〉
【式内神社御代拝ノ事】
沿道府藩県ヘ御達書写
来ル五日、神祇官副知事始役々之者、関宿ヨリ四日市迄之式内神社ヘ、為御代拝罷下候間、此段相達候事
【御沙汰書写】
○土御門家養子ノ事
土御門陰陽頭
病気ニ付、錦織刑部卿次男、養子ニ致度旨、願出候処、五十未満ニ候得共、寮務御用相伝之儀モ有之ニ付、願之通被聞食届候事
○ 錦織刑部卿
次男儀、土御門陰陽頭ヘ、養子ニ差遣度願之通被聞食届候事
○水野、仙石任叙ノ事
水野出羽守
任羽後守
○ 仙石鋭雄
任越前守叙従五位下
右宣下候事
【小笠原、織田、牧野三家版籍奉還ニ付上表ノ事】
小笠原中務大輔上表写
太政御一新、万機御親裁之秋ニ付、土地人民版籍奉還仕度段、薩長肥土四藩ヨリ、建言之趣伝承仕、至当之儀奉存候、於私モ同様、版籍奉還奉仰天裁度、宜御執奏奉懇願候、誠恐誠惶、頓首謹言
三月
小笠原中務大輔 長国花押
弁事御中
織田摂津守上表写
小臣長易恐惶頓首上表、大政御一新、万機御親裁、御改正之儀被仰出奉敬承候、其節従旧幕府、受封之判物奉差上置候ニ付、封土版籍之与奪ハ、偏奉仰朝裁罷在候処、頃日諸藩版籍奉還之儀、建言之趣、於臣モ列藩同轍、伏テ奉仰天裁度、宜御執奏奉願候、誠恐誠惶、謹言
三月
織田摂津守 長易花押
弁事御中
牧野豊前守上表写
王政御復古ニ付、諸藩封土奉還之趣伝承仕、普率之大義、確定不可移易之儀ト奉存候、於臣誠成モ、謹而版籍差上申度、伏而奉仰天裁候、此段宜御執奏奉願上候、誠恐頓首再拝
三月
牧野豊前守 誠成花押
弁事御中
御沙汰書写
各通 小笠原中務大輔
織田摂津守
牧野豊前守
今度土地人民版籍奉還可致之旨云々同上