慶応4年77号

太政官日誌第七十七
慶応四年戊辰秋九月

【越後栃尾、村松附近ノ戦】九月三日松本藩届書写六通
越後国古志郡田ノ口村字十二森土塁ニ、弊藩水野伊左衛門隊守衛罷在候処、賊兵長岡ヘ乗込候趣、報知有之、就テハ当所難相保、一ト先半蔵金村ヘ人数引上候手筈ノ旨、七月廿六日長藩ヨリ談ジニ任セ、翌廿七日払暁、右土塁ヲ引上ケ、朝五時過同村ヘ罷越、字御殿場並宮波多両所之土塁守衛罷在候処、夕七時頃西中之俣村山上ヘ賊兵一小隊計繰出、右之内十人計斥候之体ニテ、右御殿場之上塁ヘ窃ニ近寄、発砲致シ候ニ付、弊藩ヨリモ不取敢撃出候処、賊銃丸ニ中リ、一人打斃候ヲ介抱致シ、山上之方ヘ、逃去申候、然ル処、弊藩近藤伝次郎隊、一ノ貝村ヨリ引上、合兵ニテ福山道其外道筋ヘ人数分配、守衛罷在候処、同夜右之方山上松明夥敷、追々近寄候ニ付、弊藩隊ヨリ烈敷撃払、遂ニ賊兵逃去申候、然ル処、八月朔日、賊兵栃尾町ヘ多勢屯集ノ趣相聞候ニ付、軍議ノ上、先鋒弊藩伊左衛門隊中軍長藩、松代藩、一同進撃ニ及候処、賊徒散乱落行候、其節分捕、別紙ノ通ニ御座候趣出張先家来申越候ニ付、此段御届申上候、以上
九月三日
戸田丹波守家来
関杢右衛門
分捕
大砲 一門 糧米 七十五俵
馬具 二具 陣鍋 二ツ
陣笠 九蓋 天戸 一張
味噌 四桶
右之通御座候、以上
越後国古志郡細野村土塁ニ、守衛罷在候、弊藩鶴見六野右衛門隊、八月朔日、参謀方ヨリ進軍ノ令ニ依テ、松尾村ヘ転陣、翌二日栃尾付ヘ進軍、同所会議所ニ於テ軍議ノ上、同四日加州、大垣、上田等三藩並弊藩近藤伝次郎隊申合、大斥候トシテ御側村迄出張イタシ候処、賊徒遁逃致シ候ニ付、夫ヨリ迎場村ヘ進軍ニ及候処、賊徒本道又ハ山上ニ数ケ所ノ土塁ヲ設ケ、発砲致シ候得共、夫々打払、何レモ散乱、尚又字イツキ山ト唱候場所、守衛罷在候処、同七日栃尾町会議所ヨリノ令ニ依テ各藩一同繰出、吉ケ平村地内ブナ坂迄、賊徒追討イタシ候処、大谷村地内鞍懸辺、所々賊塁ヨリ致発砲候間、是又撃退ケ、各藩一同吉ケ平村ヘ人数引揚、厳重固守罷在候、尤右之節六野右衛門手ニテ分捕、別紙之通御座候趣出張先家来申越候ニ付此役御届申上候、以上
九月三日
戸田丹波守家来
関杢右衛門
分捕
破烈弾 六箇 小銃 一挺
散弾長持<但弾薬二十四>二箇 管 二百余
大砲 二門 大砲車台棒 一本
臼砲<台共>一門 小銃弾薬長持 <但六百十発> 一箇
小銃 六挺 銃槍 十一本
胴乱 三十 大砲弾薬<数百> 九箱
三十目弾薬 <数五百発> 一箱
舶来小銃弾薬 千四百発
ゲベール弾薬 <五百十発> 一箱
小銃弾薬 <四千発余> 六箱
雑具 四品 玉筥<二千発余>二荷
百目筒 一挺 陣笠 二ツ
韮山笠 二ツ 雑其 廿四
右之通御座候、以上
越後国古志郡須原村土塁、守衛罷在候、弊藩神方新五左衛門隊、八月朔日、参謀方ヨリ進軍ノ令ニ依テ、夜中石峠越ヲ諸手ニ先立、栃尾村ヘ進撃ニ及候処、賊既ニ逃去候ニ付、賊塁ニ放火致シ、翌二日栃尾村ヘ転陣、賊徒諸在ニ潜伏、栃尾付ヲ可焼払トノ聞ヘ有之、探索之砌、長岡藩古沢儀右衛門親其外生捕有之候得共、委細之儀ハ、尚取調ノ上御届可申上右之趣出張先家来申越候間、此段御届申上候以上
九月
戸田丹波守家来
関杢右衛門
去月朔日、弊藩水野伊左衛門隊、越後国古志郡栃尾町ヘ繰詰、同所守衛罷在候処、賊兵蒲原郡村松城ヘ進軍ノ儀、会議所ヨリ布令ニ依テ即刻出立、途中杉沢村ニ於テ、薩加松代等三藩合兵、長沢村迄相進候処、賊徒月岡村ニモ屯集、見附宿ヨリ相進候官軍ト戦争中ノ趣相聞候間、同村ニ滞陣、弊藩分隊村内巡邏斥候致、戦争模様探索ニ及候処、官軍勝利賊兵八十里越ヲ過キ、会津ノ方ヘ落行候趣相聞、同四日薩長、新発田、弊藩合兵進軍之途中、於黒水宿新発田藩申合同所裏手ニ有之間道ヲ守衛罷在候処、村松落城、残賊近在ニ潜伏懸念ニ付、右裏手ノ守衛ハ新発田藩ヘ相譲リ、村松迄ノ間道ヲ迫リ同所ヘ繰詰候様会議所ヨリ申来候ニ付、即刻出立、所々残党探索、同五日夜村松城下ニ繰込候処、同所ヨリ会津ヘ通路ノ沼越ト唱候道筋、村々ニ残賊共土塁ヲ構ヘ屯集ニ付、薩藩並弊藩、同六日同所ヲ繰出シ、門原峠ト唱候山上ニ土塁ヲ築、守衛罷在候処、同十一日村松会議所ヨリ諸口一同高石村ヘ向ヒ、進撃相成候間先陣弊藩、応援薩藩ニテ、ホドハラ峠ト申間道ヲ越ヘ、相進可申旨申来候間、翌十二日薩藩一同進軍致候処、賊徒田川内村入口、字ワセフナト唱候要害ニ拠リ土塁築立、道筋等切潰シ、楯篭罷在候間、同所ヘ押寄、弊藩半隊正面ニ進、半隊右手ノ方、小高キ所ヘ登リ、薩藩正面ノ後ヲ詰メ、厳敷砲戦、賊ノ土塁ヘ切込候図ニテ、間近ク相進候得共、難所ニテ正面ヨリハ難乗込、人数分配、谷間ヘ下リ候処、賊兵山上ヨリ発砲、味方地利ヲ失ヒ、一旦苦戦ニ及ヒ候得共、遂ニ土塁乗取、田川内村迄追討致シ候処、賊兵同村ヘ火ヲ放チ逃去候間、消防イタシ、滞陣罷在候処、本道ヨリ高石村ヘ乗込候、長州、松代両藩人数手薄ニ付、田川内村ハ薩藩ヘ譲リ、弊藩人数高石村ヘ応援申来、薩藩ト談合、同村ヘ人数繰込、守衛罷在候、尤右之節、分捕、別紙之通ニ御座候趣、出張先家来申越候ニ付、此段御届申上候、以上
九月三日
戸田丹波守家来
関杢右衛門
分捕
十文目筒 一挺 大隊旗 一本
旗竿 一本 高張竿 二本
槍 一筋 長刀 一振
陣笠 五蓋 陣蓑 十領
強盗提灯 一張 西洋太鼓 撥共 一ツ
合図旗 一本 小銃 一挺
弾薬 五百計 舶来雷管 五百計
右之通御座候、以上
越後国古志郡一ノ貝村ヘ弊藩近藤伝次郎隊七月三日着陣、門松山土塁守衝、長藩ト合兵砲戦固守罷在候処、同廿四日夜、賊兵ヨリ烈敷発砲致シ候ニ付、是又厳舗撃退ク、然ル処丑ノ刻頃、乾ノ方ニ当リ俄ニ火焔相立、払暁ニ至リ長岡城ヘ賊徒忍入、抗戦イタシ候旨報知有之、就而ハ弊藩半小隊、軽井沢村ヨリ森立峠ニ至迄巡邏可致旨、長藩ヨリ談ジニ任セ、急速出張仕候、同廿六日、右半隊ノ内一分隊、加藩ト合兵、森立絶頂土塁相守ル、然ル処、再ヒ門松山守衛之儀、長藩ヨリ談ジ有之、右半隊引上ケ、同所固守、同廿七日未明ニ至リ、賊勢諸方ニ充満、追々襲来ニ付、近塁各藩引上候迄斥候致シ、長藩、弊藩ニテ殿戦罷在候処、半蔵金村ヘ一ト先退陣可致旨右同藩ヨリ談ジニ付、退陣仕候処、弊藩水野伊左衛門隊、田ノ口村ヨリ引揚、合兵ニテ福山道山上字御殿場、宮波多ノ土塁固守罷在候処、同夜右ノ方山上、松明夥敷、追々近寄候ニ付、弊藩隊ヨリ速ニ打払申候処、八月朔日夜、参諜方ヨリ、翌二日朝進軍之令有之、同所出立、栃尾町迄出張致シ候処、上田藩ト申合、熊袋村迄相進候様、猶又差図有之、翌三日上塩村迄相進、同村花蔵院ニ致滞陣、翌四日加州、大垣、上田之三藩並弊藩鶴見六野右衛門隊申合、大斥候トシテ御側村迄出張致シ候処、賊徒遁逃致シ候、尤右之節、伝次郎隊ニテ手負且召捕、分取、別紙ノ通御座候趣出張先家来申越候ニ付、此段御届申上候、以上
九月三日
戸田丹波守家来
関杢右衛門
手負 銃隊組 米山甫ニ郎
生捕 二人
分捕
合図旗 一本 破裂丸 百箇
小銃 十二挺 大砲車 一組
右之通御座候、以上
七月廿四日、周旋方野末三十郎儀、越後国長岡城下ニ罷在候処、夜半過賊徒襲来、所々ヘ放火戦争之砌、手負候旨出張先ヨリ申越候ニ付、此段御届申上候、以上
九月三日
戸田丹波守家来
関杢右衛門