慶応4年60号

太政官日誌第六十
慶応四年戊辰秋八月

【奥州新山付近ノ戦】
八月十九日筑前藩届書写
七月廿八日午時頃、奥州富岡ヨリ浜手間道、新田原マテ進軍、賊徒大砲打出シ暫時
戦争、彼忽敗走、熊川村迄追撃候処、踏止リ且戦、且走、遂ニ逃亡、時刻及黄昏候間、熊川村迠人数引揚、同廿九日昧爽、熊野村ヨリ山手間道進軍、野上村ニテ巳之刻頃ヨリ半刻ニ至迠接戦、味方死傷モ無之、全勝ニテ彼悉及敗走候、同日野上村ニテ整列、直ニ新山駅ヘ進軍、同駅ヨリ伊州藩ト合兵、途中賊徒処々屯集ノ地位ニ向ヒ、発砲致シ、尾撃、全散乱、浪江マテ相迫候処、彼援兵加リ候哉、多人数繰リ出シ、弥増烈戦ニ相成、味方小勢剰弾薬尽果、且薄暮ニ至、何分勝利ノ目途難立候ニ付、新山駅迠応援申達候得共、彼是ノ内夜ニ入、兵士次第ニ疲労甚及苦戦、不得止一ト先山手ニ揚取候処、漸ク援兵到着候ニ付、又々発砲、賊徒引退候ニ付、終夜同所ヘ番兵仕候、右戦争死傷、別紙ノ通御座候、其節賊徒数多打取、其外分捕モ有之候得共、何分調行届兼、追テ可申越旨、江戸表ヘ相達候ニ付、不取敢御総督府ヘ御届申上候段申越候、右ノ趣御届申上候、以上
八月十九日
筑前宰相内
団平一郎

浅手
隊長 根本源五右衛門
討死
銃手頭 秦伝
一ノ銃士 上村伝
銃士 野口藤兵衛 銃手 川庄音五郎
中村四郎太 荒木多守
的野太三郎 高野森之助
夫卒 次平 夫卒 儀平
深手
砲術役 石里安六郎 大久保左源太
一ノ銃士 立花市右衛門 安藤新平
山鹿吉郎兵衛 遊撃銃士 広津源兵衛
吉塚栄作 池田新兵衛
河原林貞次郎 銃士 宗壬四郎
銃手 木曽小太郎 戸田仁三郎
中村善次 大倉周之助
谷口友太郎 佐野新助
半田政太 一ノ銃士 湯浅六三郎家来
浅手
銃手頭 樋口忠五郎 砲術役 久佐八郎左衛門
一ノ銃士
藤林幸吉 一ノ銃士 栗士六兵衛
遊撃銃士 岩佐平之進 田尻千吉
銃士 竹中与右衛門 若松久之丞
銃手 勝村司 宮崎甚平
藤村立三郎 伊藤左平
山路久兵衛 友納善兵衛
隊長根本源五左衛門家来 柳瀬大右衛門
一ノ銃士松下彦之丞 家来
夫卒 八右衛門 夫卒 善十
右七月廿九日戦争、死傷ニ御座候、以上
八月十九日
筑前宰相内
団平一郎

【越後長岡城下ノ戦】
同月十九日上田藩届書写
越後表之儀、先日御届申上候後、去月廿五日惣軍御進撃ノ旨、諸藩ヘ御達有之、廿四日ヨリ夫々分配相成候処、賊長岡城空虚ニ乗シ、同夜半頃俄ニ襲来、亀貝、福島、稲葉等ノ村一時ニ出火、引続長岡入口新保付并城下数ヶ所及放火、御本営ヲ始、弊藩宿陣近辺銃丸如雨、一体弊藩人数ハ山之手、川ノ手両所ニ分在、長岡表ハ小荷駄耳ニテ、殊ニ急襲故、諸藩モ引揚候勢ニ付、右小荷駄引纏、一ト先下条村ヘ引揚、翌廿五日ニ至リ、猶又小千谷ヘ引揚申候、尤弊藩人数山川両手、同夜ヨリノ戦争左ノ通御座候
一、川辺村ヘ出張ノ人数前書ノ通、廿五日ニハ愈進撃ノ手配付置候処、廿四日夜八ツ時過頃、台場ノ筋違、凡ニ十間内外ノ萱原、溝沼等ノ地ヘ賊徒潜入、俄ニ発砲候ニ付、直ニ応発及攻撃候得共、猶進撃ノ勢ニ付、烈敷散弾打掛、聊畏縮ノ様子ニ候処、右ノ地形故成功無之内ニ、大口村ノ地方ハ砲声夥敷又長岡ノ地方ハ放火甚敷候間、夫々斥候差出、兵隊ハ尽力防戦候得共、賊亦必死、甚苦戦故、其段薩藩ヘ及報知、同藩ヨリ分隊程応援候処、長岡ノ方火勢愈熾ニ付、下条村ノ方ヘ転移相成候、然ル処、殆黎明ニ至リ、賊ノ進退俯仰漸々相弁、一際奮戦術ヲ尽候ニ付、賊支兼、遂及敗走候、依テ賊散却ノ跡ヲ検候処、流血数ヶ所、左候得ハ余程死傷モ可有之候、然ル後官軍長藩進撃ノ勢盛ニ候得共、長岡焼亡ニテ、弾薬無覚束候間、一旦関原ヘ引揚候様通達ニ付、薩藩ヘ打合、夜中出足、翌廿六日同所ヘ着、無程御本営ヨリ、早々大島村ヘ繰出候様御達ニ付、直ニ出張候処、高田、松代藩ト草生津ノ渡船場相守候様、重テ御達ニ付、持場ヲ定メ、昼夜対戦、固守罷在、同廿九日暁ニ至リ.諸手進撃、弊藩モ及烈戦、此遂ニ敗走、其砌長藩ヨリ演説ニテ、長岡迠進軍御達ニテ、同夜五ツ時過浦瀬村迠相進ミ申候
一、山手ノ方廿四日夜半後、砲声盛ニ相響、比礼村ノ方ニ当リ放火、右ニ付長藩ヨリ通達有之人数繰出候、程川村弊藩台場ヘ薬師堂御固御親兵ヨリ頗難戦ニ付右村ヘ応援候様申来、依テ直ニ両道ヨリ進撃候処、賊村中ニ散布、頻ニ発砲候間、畑畔、木立等ヲ楯ニ取、及烈戦候内、高田藩ヨリ応援モ有之、又一手ハ別テ及接戦候、然ル処ヘ御親兵御繰出、諸手一同激戦、賊悉ク及敗走侯、其後所々転陣、廿七日半蔵金ヘ宿陣仕、山上ヘ台場等築立固守罷在候、尤夫々戦争ノ節、死傷并分捕之品々、別紙ノ通ニ御座候、右之次第、出張先家来共ヨリ不取敢注進仕候ニ付、可申上旨、伊賀守申付越候、此段御届申上候、以上
八月十九日
松平伊賀守家来 赤座寿兵衛
廿四日、川辺村戦争ノ節、分捕
短槍 一本 小銃弾薬 <七百発余入>一箱
小流旗<白地中三寸計紺>一本 眼灯提灯 一
同夜、程川村戦争之節、同上
ケベール銃 二挺 刀 一本
眼灯提灯 三ツ 小銃弾薬 千発
笠 廿一
廿九日大島村ヨリ長岡表ヘ進撃之節、同上
脇差 二本 小銃弾薬 一箱
ケヘール銃 二挺
廿四日夜、戦争ノ節、死傷
討死 小銃隊 寺島誠之助 物頭木村健人組 竹内喜久左衛門
手負 嚮導 堀弥三左衛門 大砲隊 岡本顕蔵
大砲隊後療養不及八月五日死 原善太夫 物頭都築壮之進組 手塚林之丞
都築組 三宅安次郎
廿九日
被創 大砲隊 森田雄之進
右之通御座候、以上
八月十九日
松平伊賀家来
赤座寿兵衛

【奥州観音森ノ戦】
同日久保田藩届書写二通
七月十三日、軍将渋江内膳手并遊軍頭荒川久太郎二小隊、同断佐藤日向三小隊、早暁ヨリ観音森ヘ攻上リ、終日砲戦番兵小屋一ヶ所焼払、同日ヨリ同所ヘ野陣致居、其間砲戦モ有之候得共、敢果敷事無之候、同所ハ嶮岨ニテ、兵粮運途難儀ノ場所柄ニ付、同十七日渋江内膳手、一ト先塩越ト小滝ヘ人数引揚申候
一、同十六日暁丑ノ刻、小砂川間道ヨリ、荒川久太郎手、佐藤日向手銃隊、肥前一小隊ヘ山本登雲介引添、女鹿ヘ出張及接戦同日辰ノ刻頃女鹿放火致候所、吹浦ヨリ応援ノ兵押来候得共、取懸ケ不申候ニ付、滝ノ浦放火致候、然ル処、観音森峰伝ノ山々番兵ノ小屋ヨリ人数集リ、炮発有之候、夫ヨリ女鹿ノ人数取纏、三岬裏手ヘ相廻リ候所、敵地利ニヨッテ炮戦、及難儀候ニ付、道無之山中ヲ越、未刻頃小砂川ヘ繰揚ケ、其後小滝ヘ引揚申候、右戦争ハ死地ニ入リ賊ヲ打破候覚悟ニテ、必死ト苦戦仕候ニ付、賊徒不少打倒候得共、首級者取不申捨置、踏込進撃仕候、其節手負討死、別紙ノ通、出兵先家来共ヨリ報知ニ付、此段御届可申上候様申付越候、右ハ先達テ伝聞ノ趣、御届申上置候得共、今般確報御座候ニ付、尚又御届申上候、以上
八月十九日
秋田中将家来
村瀬清
届書一通并討死、手負等ノ別紙ハ第六十一ニ出ス