慶応4年57号

太政官日誌第五十七
慶応四年戊辰秋八月

【越後路ヘ増兵ノ事】
八月十三日大垣藩届書写
采女正家来越後路ヘ出兵ノ者共、奥州出張人数ヘ合兵之儀、過日願之通被仰付候ニ付、其段出先ヘ申遣候処、北越之儀、危急之御場合ニ候間、従御総督府御差留之御達有之、且参謀衆ヨリ、押テ相留候様、厚キ御申渡モ有之候ニ付、其侭滞陣罷在、連々之戦争、寡勢難苦之趣、急便ヲ以テ申越候、依之増人数、別紙之通北越ヘ至急繰出、両道ニテ為勤候心得ニ御座候、且末家戸田淡路守人数之儀モ先是迄之通、北越之方ニ差置候心得ニ御座候、此段御届申上候、以上
八月十三日
戸田釆女正家来
甲斐卯太郎

軍事奉行一人 隊長助并役二人
軍事役二人 戦士六十四人
喇叭方一人 医師并諸役人六人
持夫并小者二拾五人
右之通.越後路ヘ為増人数、出兵為仕儀、以上
八月十三日
戸田釆女正家来
甲斐卯太郎

【賊軍大田原ニ迫ル】
同日大田原藩届書写二通 追録
五月二日、三斗小屋口ヨリ賊軍押出、領内横林村ヘ襲来、未ノ上刻、同所ヨリ報知有之候ニ付、兼テ右道筋石林村手前ヘ人数繰出置、警固罷在候処、俄ニ賊兵凡千余人襲来候間、不取敢大砲小銃交発、猶又城中ヨリ追々繰出シ良暫ク尽力防戦仕候得共、相用候小銃ハ和筒ニテ、折節大雨中、銃口ヘ追々水気湿入リ、弾薬ヘ火移リ兼、急遽ノ場合如何共手廻リ不申、尤賊兵五六人打取候エ共、於弊藩ハ別紙ノ通討死、手負之者有之、何分賊軍多人数、諸方ヘ分隊、一時鏖戦之模様、少人数難支同所引揚ケ、大手口ニテ暫時扞戦仕候、然処、益大雨ニテ砲発不相叶、其虚ニ乗シ、賊徒市中所々ニ放火シ、郭内ヘ撃入、士屋敷二十軒余放火、本丸ヘ逼リ候間、惣軍本城ヘ繰入一二ノ郭ニテ一同尽力砲戦仕候処何分少人数扞禦不行届一之郭述賊兵打入候ニ付、之郭、本丸郭ヘ兼テ据置候狭間筒ニテ賊軍隊長ニモ可有之哉、胡床ニ倚リ、団扇ニテ指揮シ候者一人ヲ打留、其外戦士十徐人打斃シ候、内一人ハ首級ヲ打取候エ共、賊軍多人数、聯モ退去不仕、追々相迫リ、烈敷発砲仕候ニ付、防拒之術相絶、郭内作事小屋ヘ手勢ノ内ヨリ放火仕リ、攻口取押置、城中司令士勢兵差置、一旦惣勢城地裏四五町隔リ、寅卯ノ方中田原山ヘ引揚、賊軍ノ拳動ニ依リ再戦夜軍ノ用意致シ居候処、賊徒共之儀、一之郭迄撃入リ、二之郭ヘハ不攻来、同夜四時過林石村之方ヘ引上ケ、同村放火仕、不残退散致シ候、依之白川、宇都宮両所之官軍御人数先ヘ、重役共罷出、御注進、御援兵之儀願上候、賊兵ハ即夜退去仕候間、中田原山ヘ引揚候人数、同夜城内ヘ繰入レ厳重守備仕候、其後賊之進退相分不申、何時襲来之程モ難計段、五月五日東山道御総督府ヘ御届申上候趣、従在所表申来候ニ付、此段御届申上候、以上
六月二日
大田原鉎丸家来
大谷長太郎
一、閏四月十六日、賊軍宇都宮領大綱ニ屯集罷在候処ヘ長、忍両藩之兵攻撃、終ニ官軍勝利ト相成候
一、同廿一日、賊軍黒羽領三斗小屋ヨリ同領板室へ押出シ、夫ヨリ領内塩野崎付へ襲来候処、同日早朝薩、長、垣、忍、四藩兵隊之内、同所へ攻撃、翌廿二日引績再戦、板室迄進撃官軍大勝利ニ御座候
一、同廿三日、領内関谷村へ賊徒襲来之警報有之候ニ付、同早朝官軍出張打払之節、嚮導之者四人差出ス、是亦官軍勝利ニ御座候
右ハ官軍夫々ヨリ、巨細御届相成候儀ト奉存候
但右賊徒共襲来之模様有之ニ付、去月十九日石林村手前ヘ、一隊人数差出置候、昼夜巡邏罷在、尚又沼野袋村ト申方ヘモ、板室口ヨリ之間道ニ付、半小隊并大砲二門相備ヘ、是亦昼夜巡邏罷在候
一、同廿五日ヨリ当朔日迄、官軍御人数滞留ハ勿論、其後進軍之分、当駅ニ一泊ニテ追々御繰出ニ相成候
一、右ニ付、廿五日暁ヨリ手勢一小隊、関谷村ヘ繰出シ、警衛罷在候処、賊徒襲来モ無御座候ニ付、巡邏人数差置、其余同日引上申候
一、五月二日未ノ上刻、城下荒町口ヨリ石林村之間、経塚ト申所へ賊徒襲来、暫時砲戦、賊兵五六人打斃申候
一、同日於城内戦争之節、賊徒凡十人余打留申候、尤敵方夫々死骸取片付候間、確ト人数相知レ不申候
但内一人、頭立候者ト相見エ候士之首級打取候
一、分捕品々左之通
白旗 会字ヲ記ス 一流
小銃三挺
一、同日、荒町口ヨリ郭内ニ於テ、家来ノ者死傷姓名如左
戦死
使番 大田原鉄之進 戦士組頭 早川雄太郎
戦士 久島総太郎 徒士 栗田作二右衛門
大田原安之進組足軽 長岡伝四郎 同上 吉田勘兵衛

長柄奉行 平野鐐之助 大砲方 内山藤五郎
大砲方 斉藤邦之允
一、於此方、賊軍ニ被奪取候武器、左之通
大砲 一門 鞍置馬 戦死之者所騎 一匹
右之通ニ御座候、以上
大田原鉎丸家来
大谷長太郎

【越後口ノ官軍配置】
同月十四日越前藩届書写
越前守先隊、七月十五日越後国長岡表ヘ着、直ニ御本営ヨリ御達ニ付、与板口別紙之通六ヶ所ヘ出張、同十六日同所御達ニ付、出雲崎口別紙之通二ヶ所ヘ出張、日々賊塁ヘ相対シ、及砲戦、同廿九日諸軍進撃御達ニ付、当月朔日、二日与板.出雲崎口トモ諸口進撃、弊藩持場乙茂口、有賀清門、高村藤兵衛隊、賊塁馬草村ヘ攻入砲台ヲ乗取、柿木、藤巻モ同様相進、笠脱ハ武曽権左衛門隊相進、烈戦敵之巣窟小島谷ヘ乗入、績テ林藤五郎隊并見立山之遊撃隊進入、柿木山上栃屋政之助隊モ同様相進、川岸遊撃隊ハ与板川ヲ打渡シ相進、撒兵ヲ以、小島谷辺ヨリ敗走之賊兵ヲ打散シ、堀十兵衛隊モ別紙之通進撃、遂ニ地蔵堂村ヘ集会軍議之上、尚追々相進候趣御座候、右戦争中手負分捕等相知レ候分、別紙之通ニ御座候、且又本多奥之助儀ハ七月廿四日越後国柏崎ヘ着、直ニ御総督府ヨリ御達ニ付、即晩出雲崎ヘ人数出張、追々進撃、奥之助儀モ当月二日同所ヘ出張致候趣御座候、右ハ出陣先ヨリ申越候概略、不取敢御届申上候、尚委細之儀ハ追々可申上候、以上
八月十四日
松平越前守家来
伊藤友四郎

一、川岸 遊撃隊五番 坂野壮九郎
一、柿木 栃屋政之助 一小隊
右七月十六日出陣
一、笠脱山之尾 高遠持場一小隊 武曽権左衛門 一小隊
一、見立山之先キ 遊撃隊六番 織田三大夫
<長州富山>持場二小隊 但内富山ト交代
一、阿弥陀瀬山之上 高田持場一小隊 林藤五郎 一小隊
一、元与板之山上 飯山持場一小隊 本多門左衛門 一小隊
右七月十七日出陣
一、川岸 大砲一門宛
一、見立山之先キ 大砲隊一分隊宛
右七月十八日出陣

一、乙茂 有賀清門 一小隊
高村藤兵衛 一小隊
大砲隊
右七月廿日出陣
一、藤巻 堀十兵衛一小隊
菅沼司馬一小隊
右同日出陣
右何レモ諸藩ト致交代候事

原村川岸
中条村迄進軍 遊撃隊五番 坂野壮九郎
見立山之先キ
富岡村迄進軍 遊撃隊六番 織田三太夫
元与板之上
田尻村迄進軍 本多門左衛門一小隊
笠脱山之尾
島崎村迄進軍 武曽権左衛門一小隊
阿弥陀瀬山之上
同 林藤五郎一小隊
柿木村山之上
同 栃屋政之助一小隊

深手 分隊長 園田豊之助
手負 遊撃隊 田中新太郎
土坑隊長 東方新吉
栃屋政之助隊 斉木幸太夫
林藤五郎隊 木村綱三郎
有賀清門隊 岩佐林太郎
夫卒四人
右之通ニ御座候、以上
分捕品覚
一、琉球包 弐筒
一、弾薬箱 庄内木本隊ト記ス 四ツ
一、テント棒 庄内石原組ト記ス
一、大砲弾 弐箱
一、撃発銃 九挺
一、背負玉箱 弐ツ
一、番指刀 十八本
一、油紙包胴乱早合入
一、筵包 衣類入 一箇
一、半銅モルチール 一門
右之通ニ御座候、以上