江城日誌・慶応4年5号


江城日誌 第五号
慶応四戊辰年五月十六日

五月十五日
上野山内屯集之賊徒追討として、未明より各藩之兵隊大下馬ニ相揃、各隊列を整へ繰出し夫々左之攻口より攻入、愉快之奮戦を遂、賊徒忽ち敗走し、上野山内悉く灰燼となり、夕七ツ半時愷陣す、此日討取処の賊徒、山内所々ニ累々として其数を不知、死傷生捕共凡千人余、各藩攻口左之通
湯島より黒門前
薩州
肥後
因州
本郷より
長州
肥前
筑後
大村
佐土原
富山邸
肥前
筑後
水戸邸
備前
伊州
佐土原
尾州 磅礴隊
一橋御門より水道橋 阿州
水道橋より水戸邸辺 尾州
聖道近辺 新発田
森川宿追分辺 備前
大川橋 紀州
軍監両人差添
千住大橋 因州
川口 大久保与市
沼田 肥後
戸田川 備前
下総古河 肥前
武蔵忍 芸州
同川越 筑前

五月十六日
○因州より御届之写
昨十五日、薩藩ニ引続、湯島天神前迄進軍仕候処、攻口之模様難定、仲町まて押寄広小路より及激戦居候薩藩ニ応援之心得を以横矢を入、暫時発炮仕候得共、間遠にて捗々しく無御座候間、其場を引揚、下谷御徒町辺を廻り候処、臼砲一門捨置逃去申候、其後賊兵三方より少々つゝ出没、狙撃いたし候間、我兵同断是ニ応じ小促合いたし、夫より下谷へ向進撃、暫く大手之様子窺合罷在、遂薩藩申合、機ニ乗じ、弊藩ハ横手より黒門右脇塁上ニ押登り、暫時砲戦いたし、薩藩と大手より進撃、一時ニ黒門を攻破り山内へ打入申候、同日打死、手負、左之通御座候
河田左久馬家来
討死 元小田原藩 杉山繁之助
〈録人仕候ニ付不知生死〉 森本清太
浅手 河田左久馬附属 臼井貞之助
河田左久馬配下
討死 山国隊 田中五右衛門
手負 細木元太郎
郡波九郎左衛門
森脇一郎
前田庄司
同 使役士官 秋田嘉兵衛
討死 佐分利鉄次郎隊 滝金市
佐々木仲之丞
田川広之丞
深手 伊藤猪吉
星見辰之丞
浅手 有沢平之丞
討死 勘定方附属 漆原甚左衛門
田村宇三郎
高田藤次郎
池田相模守人数 石川左現次
深手 中川熊蔵
浅手 八尾重助
深手 土箱持清吉
討死 池田摂津守家来 岡山力之助
以上〈討死九人傷者十三人〉
右之通御座候間、此段御届申上候
河田左久馬
前書之通相達候間、此段御届申上候以上
因州 和田壱岐
○薩州より御届之写
〈兵士戦死〉野村正八
竹下猪之丞
川松喜蔵
岩下半之助
伊地知惣吉
隈元太一右衛門
唐釜勘助
奥新五左衛門
手負 竹迫十次郎
有吉次左衛門
面高真之丞
榊五郎兵衛
大山清右衛門
河野直之助
内山伊七郎
黒江勇右衛門
町田助之進
益満休之助
中村勇吉
池上勇次郎
鎌田幸之丞
相良笑之丞
床次吉之助
美代幸之丞
川北五郎左衛門
久永喜兵衛
吉田喜蔵
松山覚之丞
海江田諸右衛門
貴島勇右衛門
木藤宗八
松方長作
新納清一郎
家村度助
山口喜右衛門
岩城彦四郎
藤田新左衛門
松元尚之丞
深抦彦五郎
津留八之進
肝付弥四郎
西田藤助
肝付十郎
夫方主頭 橋口良助
夫卒三人
右者昨十五日戦争之節、戦死、手負、右之通御座候間、此段御届申上候以上
五月十六日 薩摩藩 相良治部

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(匡郭外)
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