江城日誌・慶応4年2号

江城日誌 第二号
慶応四戊辰年五月八日

五月六日
前橋少将
賊徒猶野心を逞し、王土を掠め、王民を苦しめ、処々出没、官軍に相抗し、未平定ニ不至候ニ付、上野全国鎮撫被仰付候間、民政之儀者勿論、藩々之向背をも篤と相察し、取締行届候様、尽力可有之旨、大総督宮御沙汰候事
五月 大総督府 参謀

徳川民部大輔
御用有之候間、急速帰国可有之、被仰出候事
五月

○薩藩池上四郎左衛門帰府言上之大略
賊徒等白川城ニ拠り益禍心を逞し候ニ付、去閏四月廿八日、漸奥州白坂駅迄着し、廿九日白川城攻撃之筈ニ御座候処、延引ニ而本月朔日未明より、三方江手配いたし、五番隊迄黒川村より原街道江繰出し候処、賊兵台場等築立致防禦候ニ付、直様進撃、諸所台場等追崩し、白川町口迄攻入、長州薩州、大垣三藩ニ而、賊兵を中ニ取込、頻りニ攻立候処、賊兵大ニ致狼狽候ニ付、過分打取申候、未首級等も相分不申候得共、大概五六百位者可有之奉存候、何分此度之儀者、十分之好都合ニ而、少も遺策無之、誠に愉快之事ニ御座候、尚委細之儀者本営方より御届可申上候、弊藩戦死手負左之通
二番隊 手負 飯々礼才蔵
即死 古渡七之丞
手負 市本彦十郎
川細金右衛門
町田金右衛門
山本吉蔵
前川田八郎
四番隊 手負 仁礼平兵衛
北郷万兵衛
神原吉兵衛
久留休左衛門
五番隊 即死 八地清八
手負 桑皮田角左衛門
川上源七郎
有川彦右衛門
郷田正之丞
香田嘉右衛門
土師庄之進
篠崎覚之丞
即死 河野助五郎
坂元仲蔵
手負 大河平源助
上村彦之丞
武立庄五郎
八地知庄左衛門
壱番大砲隊 即死 広瀬彦蔵
手負 奈良原長左衛門
亀沼源右衛門
淵辺八郎次
勝部謙助
桂宗十郎
二番大砲隊 即死 小野藤吉
手負 河上万助
伊藤権平
猿渡嘉左衛門
過川仁平太
四本十左衛門
有馬彦七
手負 町夫熊四郎
兵具隊 手負 中島尚四郎
即死 田中清左衛門
手負 大迫彦左衛門
八地知正治
池上四郎左衛門
臼砲打手 手負 土師孫市
外ニ 夫卒等略之

島団右衛門
軍監被仰付、下総野二州為監察被差遣候事
五月
和田藤之助
軍監被仰付、駿州沼津為監察被差遣候事
五月
中井範五郎
三雲為一郎
軍監被仰付、豆相二州為監察被差遣候条、申合尽力可有之候事
五月
大久保加賀守
江川太郎左衛門
先般残賊林昌之助以下脱走之者、其領内罷候節、不都合之儀も有之候趣相聞、如何之事ニ候、依之吃度御沙汰ニも可被及之処、於此度者其分ニ被差置、今般軍監中井範五郎、三雲為一郎、豆相両州為監察被差遣候条、諸事不行届無之様、精々尽力可有之之旨、御沙汰ニ候事
五月 監察使府 軍監