鎮将府日誌 第廿三
明治元年戊辰十月
○九月御沙汰書
大村益次郎
香川敬三
本職ヲ以、鎮将府軍務局可致勤仕旨御沙汰候事
九月
陸原慎太郎
是迄之職務被免、可為鎮将府権弁事旨御沙汰候事
九月
香川敬三
軍務局権判事被仰付候事
九月
増田虎之助
石井富之助
軍務局判事試補、可相勤旨御沙汰候事
御達書
近来諸川々、又ハ郊外ニ於テ、猥リニ鳥打致シ候趣、当節農事繁多之時節、農民共別而難渋ノ旨申出候、兼而御沙汰之次第モ有之処、甚不埒之至、向後取締ノ者差出シ候間、為心得此段申達候事
九月
豊安丸
奥州中村表ヘ廻船可有之旨御沙汰候事
九月
御沙汰書
二千八十四石三升五合 日向小伝太
千五百石 永田勝左衛門
四千石 石川又四郎
自今朝臣被召加、本禄如旧下賜候事
九月
三千七百石 杉浦桂之進
五千百十六石九斗 久世三四郎
千石 諏訪甲斐守
五百石 細井安次郎
右同文
十月
大久保岩丸
今般加賀儀、永蟄居被仰付候ニ付、其方ヘ家督相続、願之通被仰付候事
十月
御布告書
鉄砲洲居留地関門之地所、又者家作等、外国人ヘ貸渡之儀ハ、一切不相成事ニ付、心得違致間敷旨、相触置候得共、若内々ニテ相背貸渡候者有之候而者、以ノ外之事ニ付、仮令外国人ヨリ、相対ヲ以相望候共相断、其段早速可訴出、若等閑ニ致置候歟、又ハ触面之趣相背候者於有之者、吟味之上厳重可申付候間、右之趣居留地最寄者勿論、町々不洩様、早々可申通候事
十月
野州軍監ヨリ文通
今般諸道会津討入ニ付、野州出張之藩々、日光、今市、其外ヨリ繰出候ニ付、軍監附属之内、左ノ両人一同差出候処、何レモ手負有之候
浅手 南部俊蔵 〈当月朔日奥州火玉峠戦争ノ節〉
同 中溝五左衛門 〈同十四日若松城攻ノ節〉
右之通御座候以上
九月 野州軍監 三好助次郎
会津在陣軍監ヨリ文通
八月廿九日藤原口迄罷出候処、最早先鋒総督ヨリ、諸道進軍之御沙汰御布告ニテ、芸、肥、宇都宮、大田原人数モ進ミ、追テ去ル朔日、大内村ニテ会議、同二日六字同所ヲ繰出シ、火玉峠ニテ相揃、八字ヨリ関山ヘ相掛リ戦争相始、聊賊相防候得共、無間攻抜キ、栃沢村ヘ相掛リ候処、烈敷防、三方ヨリ賊砲発、味方苦戦ト相成、余程指揮仕候得共、諸勢何レモ進兼、死傷等モ不少、不得止関山迄引揚ケ罷在候処、六字十分亦々賊襲来、シバ々々防戦候得共、地利不案内、殊ニ夜ニ入、不得止火玉峠迄引揚、同三日芸、肥、大田原人数ハ、不残又々大内村迄引揚休兵、薩一小隊、黒羽三小隊、宇都宮、館林、中津、人吉、今治、都合五小隊計、六字ニ大内村ヲ繰出シ、火玉峠ニテ相揃ヒ、九字ヨリ関山ヘ押寄セ、聊賊防戦、直ニ取返シ、続テ栃沢村迄進撃為致候処、前条同断賊烈シク防戦央ニ、刀鎗ニテ伏居、不意ニ薩人数ノ横ニ打出接戦等仕リ、味方甚苦戦ニ相見候得共、一歩モ不為引、昼夜防戦仕、同四日引続キ猶軍配、薩半隊左ノ山上ヘ狙撃、同館林一小隊、宇都宮同断、右ノ山ヘ、黒羽、中津、人吉、今治之人数ヲ狙撃ニ上ケ、山上本道一同烈シク進撃為致候処、五字十分栃沢村攻抜キ、会城近在本郷村迄宿陣罷在リ、同五日六字揃ニテ進軍、津川渉押掛候処、聊賊相防候得共無間追払、城下口河原町ト申所迄打入候ニ付、同所ヘ相揃置、宇都宮一小隊、黒羽同断薩同断、柳原口ヲ打通リ、二本松ヨリ打入候会議所迄引合ノタメ罷越候処、跡扣居候人数ノ処江、賊城ヨリ追々繰出シ、四方ヨリ襲来苦戦ノ旨報知ニ付、早速立戻候得共、夜ニ入味方大ニ散乱、何レモ不分諸所ヘ引揚、同六日漸々人数相揃、十字ヨリ繰出シ、柳原、河原町、深川村、幕ノ内村諸所屯集ノ賊江押寄、始戦ノ処、聊賊防戦致シ候得共、四字ニ悉取戻シ、城ヨリ十七八町計近在、飯寺ト申村ヘ、黒羽、宇都宮、中津、今治、館林、薩宿陣、深川村ヘ薩州、肥前、幕之内村ヘ大田原、人吉等ニテ相固メ申候、同八日朝飯寺村宿陣ヘ、長岡、会両藩ノ賊四百人余、六字比ニ不意ニ襲来、中津、今治之番兵ヲ打破リ、長岡賊宿陣ヘ打入、烈シク防戦仕候処、九字ニ到リ悉賊敗走、宇都宮手ヘ長岡賊打取、生捕、都合三十人余、右ノ内生捕十三人、内一人重臣ノ由、山本帯刀、右一人ハ越後口ヨリ打入候人数ヘ引渡シ、彼方ニ於テ斬首申付、其他モ同断、同十四日八字揃ニテ攻城、日光口人数ハ諏訪山口、河原町口、南口ヨリ打入引続キ城内四方取切押詰、昼夜番兵防戦罷在然処、同十六日夜肥後父子降伏之使者、秋月悌次郎、手代木猶右衛門、小森一貫斎、軍門ヘ降伏歎願申出候ニ付、同廿日右ノ者共御返シ相成、同廿二日八字城追手先三ケ所ヘ、白地ニ降参ト書候旗相建候ニ付、御使番唯九十九、山形小太郎、軍監中村半次郎、追手門迄罷越候処、城追手内口迄出迎トシテ安藤熊之助、鈴木為輔罷出、次ニ重臣梶原平馬、内藤助右衛門、軍務局秋月悌次郎、大目付清水作右衛門、目付野矢良介、右各迎ヒ迚罷居申候何レモ降伏、夫ヨリ主人父子降参ノ都合相伺候ニ付、城外ヘ被罷出候様相達候処、右重臣ノ者両人、一応城中ヘ立戻リ、即刻主人父子、右重臣共召連、軍門ヘ降伏謝罪ノ歎願書持参ニ付、御使番ヨリ取次申候、続テ重臣共ノ歎願書差出候ニ付、同断夫ヨリ一応主人父子城中ヘ立戻リ、三字ニ退城、妙国寺ヘ謹慎罷在申候、其外器械之儀モ不残引渡、家臣兵隊ノ儀ハ、同廿三日十字ヨリ退城、猪苗代ヘ米沢藩護送ニテ謹慎罷在申候、猪苗代警衛彦根、大村藩ニテ仕候、其余病人ノ儀ハ、青木村ヘ立退キ、謹慎罷在申候、同廿四日四字ニ会城請取ニ付、御使番唯九十九外一人、軍監、拙者相揃罷越候処、追手中門口迄重役山川大蔵、軍事奉行小森一貫斎、大目付竹村助兵衛、器械奉行相馬繋作、作事奉行左竹四郎大目付日向信左衛門、右出迎トシテ罷出、本丸ヨリ引渡、二ノ丸、三ノ丸同断、首尾七字相済引取申候、城護兵之儀ハ、各藩ヨリ罷出申候、前条戦略手負、死傷、委細之儀ハ、藩々ヨリ御届可申上候、肥後父子降参之始末自ラ参謀衆ヨリ御届可相成筈ニハ候得共、不取敢此段早々御届申上候以上
九月廿六日 会津在陣軍監 中村半次郎
人吉藩届書
去ル四日大内峠ヲ越、各藩共栃沢村ニ着陣、巳ノ申刻ヨリ進軍、然処、賊関山口道ヲ挟ミ山上ニ潜伏相待候体ニ御座候故、薩藩之兵左ノ山ヲ攀進ム、宇都宮、黒羽、館林、大砲数発打掛候内、薩兵既ニ近寄、合図ヲナシ発砲ス、先鋒宇都宮、館林、黒羽次進ス、中津、今治、弊藩散開シ、倶ニ進ム、賊亦頻ニ発放ス、砲声山岳ニ震フ官軍猶進撃、賊終ニ敗走、関山村ヲ放火シ遁逃仕申候、追撃テ本郷村ニ到ル、已ニ暮ニ及官軍総勢此ニ宿陣、同五日芸州、肥州、大田原着陣、合ノ各藩斥候隊ニ先登セシメ、継テ本軍速ニ打入可申旨、軍監ノ令ニ随ヒ、辰ノ上刻ヨリ列藩ノ兵相進ミ、前軍既ニ戦争、砲声頗烈敷、賊支兼所々放火敗走、前軍川ヲ渡レハ、本軍亦渡リ進ミ、材木町ヨリ道ヲ左ニ取、西ノ原ニ軍ヲ止ル暫時、然テ各藩ノ小荷駄到着ノ時分、賊人家或ハ叢林ヨリ小銃ヲ発放ス、弾丸縦横、人馬是ガ為ニ狼狽、頗騒然、於此宇都宮、館林、中津、今治、弊藩、直チニ鯨波ヲ発シ散開シ、頻ニ発砲、大ニ苦戦、巳ヨリ申ノ刻ニ至ル、同六日日光口ノ糧道ヲ開ク為、本郷村ノ方江可相進旨、軍監ノ指揮ニ随ヒ、薩州、肥州、宇都宮ト合シ、返シ進ム、本郷村ニ到ル時、賊山上ヨリ発放ス、宇都宮右ヨリ薩左ヨリ、弊藩中道ヨリ進ミ撃、頗苦戦、賊終ニ敗走ス、是ヨリ大八五村ニ着宿陣、終夜四方ヲ警衛シ、翌七日芸州、肥州ト合シ、輜重ヲ警固シ、若松城下ニ着仕申候、同九日ヨリ十三日迄、肥州ト合シ、天満村相固申候、同十四日総軍攻城ニ付、肥州ト合シ、柳原口ヨリ進撃、川原町口ヲ打破リ、諏訪通リニ至リ、大砲護兵シテ肥前ノ胸壁ヲ守、終夜発砲仕申候、同十五日中津、今治、館林ト川内ヲ固メ候様、軍監ヨリ指揮有之、則守衛罷在申候、同十九日小倉藩江持場ヲ譲リ、日光警衛トシテ引揚、中津、今治ト合併仕候、右之節死傷左ノ通リ
深手 兵隊 菊池金英 <但去ル四日>
薄手 嚮導 守屋直蔵
同 兵隊 豊永倫左衛門
同 兵隊 深水芳左衛門 <但去ル五日>
討取 賊二人 <但去ル六日>
生捕 一人
<但去ル七日生捕候処、同類通款ノ書状所持ニ付、基侭軍監ヘ差出シ申候>
右之通御座候、此段御届申上候以上
九月 人吉藩 滝川浚蔵
御沙汰書
備前藩
芸州藩
今般脱走之賊徒、水戸表ヘ相迫候趣ニ付、為応援神速出張可有之旨御沙汰候事
十月
笠間藩
常州表乱賊暴行之聞有之候間、領内為取締東京詰兵隊早々帰国可有之旨御沙汰候事
十月
高松藩 精兵百人
近日為御迎藤沢駅迄穂波三位被差越候条道中警衛可致旨御沙汰候事
十月
万里小路左少弁
水戸表不穏形勢ニ付、為鎮定急速出張可有之旨御沙汰候事
十月
中野孝輔
三浦清太郎
参謀随従水戸表ヘ出張可致旨御沙汰候事
十月
久留米藩
其藩兵隊、水戸表ヘ出張之内ヨリ百人、参謀ヘ随従可致旨御沙汰候事
十月
鯉淵四郎
水戸表ヘ出張被申付候条、出張中可為軍監旨御沙汰候事
十月
武田金次郎
一手ノ者
水戸表擾乱之聞有之候ニ付、御守衛被免候条、可為帰国旨御沙汰候事
十月
大久保岩丸
箱根関門、其方ヘ御預ケ被成候、就テハ近日主上通御ノ節、別而不都合無之様、精々御守衛可致旨御沙汰候事
十月
安永又吉
其方事、相州軍監被申付置候処、今般大久保岩丸ヘ家督被下置候ニ付、同人領内并箱根関門之儀ハ、巳来監督被免候事
十月
飛竜丸
松平右近将監家来百人乗組、大坂表迄廻船可致旨御沙汰候事
十月
大河内右京亮
其方儀、謹慎申付置候処、被免候事
十月
水戸藩届書
追々御届申上候国許ヘ来襲ノ奸賊共、屡及接戦、過半討取候処、残賊百五十人程、去ル二日夜四時頃城下脱遁致シ、長岡、秋葉村等ヲ指、小川、玉造村辺ヘ逃去候由、依テハ下総、上総辺ヘ趣キ候事ニ可有之、就テハ追討人数等、神速差向ケ候得共、領外ノ儀殊ニ臨幸前追々御府内近ヘ相迫、実以恐入候次第、不取敢御届申上候、向後水戸表ヘ御親兵御差下シノ御模様ニモ被為在候者、前顕両総ノ方ヘ御差向被成下置候者、難有仕合ニ奉存候、依テ此段申上候以上
水戸中納言家来 杉山惣兵衛
伊州藩届書追録
昨廿日朝五字三点頃賊襲来、駒ケ峰之方ニ而頻ニ砲声仕候ニ付、於弊藩テモ山手、海手四ケ所固所江兵隊分配仕候処、最早賊襲来砲発ニ付、従是モ相応砲戦仕、第四之固所ニ而厳敷砲戦、短兵ニ而伐入、賊四人討取、益進撃、三丁計モ相進、猶亦賊二人討取候処、二之固所ニ而、小隊令司一人戦死、第三之固所ニ而大砲支配一人重傷モ出来、頗ル苦戦ニハ候得共、左右ヨリ烈敷砲発、十二字頃迄相戦候得共、何分衆寡不敵候付、諸手共繰引ニ、今泉村落台場迄引揚ケ、背後断切之懸念モ有之候付、左後沼中之弁天山江モ兵隊分配仕置候処、毎々賊兵同所ヲ相伺候得共、遂ニ不相果、総而浜手江相迫リ候故、前条村落台場ニ而喰留、十二字過ヨリ夕三字迄砲撃仕候処、本道之方ヨリ、長州藩賊之裏手江為応援進撃、原釜之方ヨリ、加藤藩為応援進来ニ付、三藩吶喊突入、中村勢モ相加リ、追撃仕候処、賊徒忽瓦解ニ付、北ヲ追而愈相進、海辺ニ罷居候賊ノ背後ヲ絶切、前後ヨリ相迫リ候処、賊徒大ニ困窮、四十人計モ海中ヘ逃込、溺死仕候様見受申候、尚海手、山手ニ而凡六十人程モ打留斬伏申候、右之外打留候者多分可有之候得共、何分手広之山嶮、巨細難相分、且時刻夕景ニモ相成、御使番ヨリ御差図モ御座候付、諸藩共引揚申、持場江番兵差置、今泉村ニ宿陣仕候、当日討死、手負、左之通ニ御座候
討死 小隊令士 服部作左衛門
討死 侍組 野口吉太郎
同 岡本勇組 田中芳三郎
同 服部作左衛門組 小西角次郎
同 服部作左衛門組 石崎吉次郎
深手 大砲支配 丹羽九八郎
同 侍組 玉置伝八
同 同 滋野半助
同 同 宮崎瑩之助
同 同 鳥居鋳太郎
同 同 野口銑吉
同 使番 田中吉三郎
同 藤堂仁右衛門家臣 樋口辰之進
同 同 森菊右衛門
同 藤堂監物家臣 松浦秀次郎
同 同 渡辺常次郎
同 岡本勇組 坂倉徳次郎
同 同 林宗五郎
同 同 野田仁三郎
同 同 小林忠兵衛
同 服部作左衛門組 北村又三郎
同 同 川本芳松
同 平井東馬組 小林又次郎
同 同 藤井正助
同 同 天野亀三郎
同 同 松村松之助
同 同 大森彦之助
同 大砲組 西村源之進
同 大砲組 毛利松之助
浅手 侍組 森川安助
浅手 鷹取万三郎
同 藤堂仁右衛門家臣 吉村維之進
同 藤堂監物家臣 西田清七
同 岡本勇組 松田鉄三郎
同 同 杉田伊三郎
同 同 小林音次郎
同 同 丸岡定次郎
同 同 小林多七
同 大砲組 別所佐兵衛
同 雑人 源八
同 雑人 徳蔵
同 雑人 初蔵
右之通御座候間、此段御届申上候以上
八月廿一日 伊州藩総帥 藤堂仁右衛門
同 隊長 藤堂監物