太政官日誌第六十六
慶応四年戊辰秋八月
【崇徳天皇神霊御還遷ノ事】
八月廿四日御布告写
今般讃岐国ヨリ、崇徳天皇神霊、御還遷被仰出、来月上旬、当地今出川通飛鳥井町ヘ着御ニ候事
但爾来ハ可奉称白峰神社事
右ニ付神社ヘ献備之儀、願出度所存之者ハ品書ヲ以テ神祇官ヘ可伺出事
【高倉三位薨ス】
同日御沙汰書写
高倉三位
越後口賊徒追討尽力有之処、未奏捷効、半途而薨去之段、深御哀憐被思食候、依之被贈参議正三位候事
【奥州新田坂、常州平潟附近ノ戦】
同日柳川藩届書写四通
昨廿四日朝五時頃、大島辺ヘ火焔相見、砲声相聞候趣、兼而名社山上ヘ差出置候遠見兵ヨリ、報知仕候ニ付、則石川十郎右衛門一小隊且砲隊、蜂谷一学隊半隊、小銃ヲ携ヘ、関田辺迄巡邏仕、猶斥候トシテ一分隊差出候処、賊大島、植田ヲ放火シ、備藩追討中ニ有之、右斥候隊モ直ニ攻撃ニ掛候趣、注進仕候ニ付、関田ヘ扣居候一小隊、且砲隊、サメ川迄相詰備藩、薩藩、一同川ヲ越相進候処、賊兵石塚村山上ヘ引揚、右近村山々ニ而相支候ニ付、横撃仕候処、賊兵戦且退キ、添野村少々放火シ、岩野沢ヨリ致発砲候ニ付、入ノ沢辺ヨリ進入攻撃仕、賊次第ニ退キ、山鳥沢辺ヨリ相支候ニ付、又々横撃仕候処、賊兵松坂、富士山辺ヘ引退候ニ付、諸藩一同引楊申候、弊藩死傷無之、分捕左之通御座候、此段不取敢御届申上候、以上
六月二十五日
柳川藩
立花備中
覚
肩印 白地朱丸附 一ッ 弾薬入 一ツ
玉袋 早盒三ッ 一ツ 口薬入 二ッ
昨二十六日、弊藩人数之内、才丸辺巡邏之節、左之通分捕仕候、此段御届申上候、以上
六月二十七日
柳河藩
立花備中
覚
玉薬櫃 一ッ 薬篭 一ツ
幕 片張
昨二十八日朝七字、諸藩一同雷発、植田ヘ相揃、佐土原藩、弊藩、新田ヘ向ヒ、一同相進候処、賊新田坂ヘ台場ヲ構ヘ発砲候ニ付、佐土原藩大砲ヲ正面ニ進メ、弊藩立花参大夫一小隊相進、攻撃相始リ、暫時対戦致シ候得共、賊兵拠険相支候ニ付、右山手ニ進、、横撃仕続而曽我司隊相進、佐土原銃隊、弊藩石川十郎右衛門隊、左ノ山手ニ相進、蜂谷一学隊中央ヨリ相進、攻撃仕候得共、急ニ難破候ニ付、諸手一同正面ヘ合撃仕候、其節泉攻撃、薩藩之応援モ有之、賊忽険ヲ捨テ敗走、討留多分有之候、一同新田迄打詰メ、兵糧ヲ遣ヒ、暫時休兵仕、佐土原藩、弊藩、泉之方エ引合セ申候処、最早夕景ニ相成候ニ付、今未明ヨリ進撃之約ニ相決シ、新田ヘ宿陣仕候、其節弊藩生捕、分捕、且手負、左之通御座候
六月廿九日
柳河藩
立花備中
覚
生捕 純義隊 中村芳五郎
小銃 十七挺 小銃弾薬 千計
幕 相馬紋付 一張 大砲弾薬 八箱
大砲 与佐土原藩分取ル 一門
大砲弾薬 与佐土原藩分取ル 三荷
覚
深手 蜂谷一学隊 小野七郎 同 浅田繋治
小銃玉薬持 伊三郎
薄手 半隊司令士 壇亨右衛門
蜂谷一学隊 大石善太夫
一、昨廿八日九ツ時過、平潟沖エ賊船相見、平潟ヘ向ケ発砲仕候間、直ニ人数繰出シ申候処、薩州藩三人、大村藩一人、佐土原藩一人出合一同申談、参謀御出張先ヘ注進仕、尚所々ヘ手配仕居候処、賊船ヨリ頻リニ砲発ニ及ヒ候得共、何レ茂小銃而己ニ付、兵隊ハ成丈ケ伏置、上陸相待候処、八ッ時頃、其侭岩城之方エ退船仕候、然処、昨廿九日朝五半時頃、賊船一艘浜近ク乗込、空砲二三発打掛ケ、直ニ小船ヨリ波戸内ヘ乗来候間、両岸ヨリ小銃打掛申候処、小船ハ忽逃去申候、本船ヨリハ大砲頻ニ打掛申候得共、暫時ニ而退船仕候、此段御届申上候、以上
七月朔日
柳河藩
立花備中
昨十三日朝三字三十分、因州、備前、佐土原弊藩、一同雷発、湯本エ相揃、五字前同所ヨリ因、備、佐、弊藩斥候差出、引続右三藩且弊藩之太砲隊ヲ進メ、四藩一同小銃隊続テ相進候処、賊之番兵一二ヶ所有之、則斥候隊ニテ打払、因藩者右山手間道ヨリ進ミ、備前、佐土原藩ハ左之裏手ヨリ進、備前一小隊半、弊藩兵隊本道ヨリ相進候処、賊右山手ヨリ発砲致候ニ付、少時攻撃致候処、忽逃去候、猶本道ヨリ進メ候処、賊兵左之山上ヨリ大砲ヲ打掛、足軽屋敷森林中並長橋詰之所ヨリ、小銃頻リニ打立候ニ付、大砲隊相進、諸手之兵隊一同烈敷攻撃イタシ、暫時ハ頗及苦戦候得共、猶大砲隊ヲ進メ、賊之屯集中ニ打掛、賊兵致混乱候処、小銃隊ヲ進メ、致攻撃候、賊徒敗走候ニ付、長橋ヲ追崩シ、弊藩大手門ヲ先登仕、才槌門ヨリ不明門内迄相進候処、賊兵城門脇山上ヨリ大小砲ヲ打立、猛戦中、日已ニ暮ニ及、一先各藩人数引揚可申順序ヲ立、先ツ弊藩人数引揚候様御達ニ付、繰引ニ致シ、人数相揃、関村迄引揚申候、然処、各藩者引揚不申内、賊徒城ヲ焼キ、落去申候、此節弊藩死傷左之通御座候、分捕品之儀者、追而取調之上可申上候、此段御届申上候、以上七月十四日
柳河藩
立花備中
覚
戦死 今村関之丞 十時仙之進
深手 大砲隊長 蜂谷一学 立花三太夫隊 利光作之進
同 加藤時之助 同 坂本永記
蜂谷一学隊 寒田新助 立花三太夫隊 新中熊蔵
同 今村松之助 石川十郎右衛門隊 中山六弥 同 小山田清之進 立花出雲守家来 小畑小四郎
薄手 隊長 石川十郎右衛門 蜂谷一学隊 新中重登
立花三太夫隊 阿部権之助 立花出雲守家来 向坂多仲
同 小山直之進 曽我司隊 江口利吉
同 木下新一
少将人数、奥羽出張之者ヨリ、於出先別紙之通参謀衆エ相届候趣、申越候ニ付、御届可申上旨、旅程ヨリ申付越候、此段御届申上候、以上
八月廿四日
柳川少将家来
宮崎邦之助
【奥州浪江宿ノ戦】
同日伊賀藩届書写二通
去月廿九日御軍令之通、浪江宿迄繰込、止宿致シ候様、御沙汰ニ付、早速進軍仕候処、高瀬村之先ニ而、賊之残兵一人召捕糾問候処、先刻迄爰許ニ、六百人計屯集仕候、唯今浪江村迄引取候由ニ付、早速兵隊分配、進軍イタシ、浪江宿入口迄、段々押込候内、筑州兵隊出張ニ付、倶々尽力、段々苦戦ヲ遂ケ、入口三町計先迄攻撃仕候得共、何分寡少之兵、且及黄昏、其上応援之兵参リ不申、不得止筑州藩ヘ申談、高瀬村ヘ放火イタシ、引取申候、右之通御座候、以上
八月
伊州藩
覚
去月廿九日、浪江宿戦争之節
即死 阿川五七郎 長谷銅七
八田浅吉 片岡俊助
奥山市松
手負 棚瀬季太郎 伊東彦太郎
真弓林兵衛 真野惣太郎
三輪庄兵衛 山本助蔵
杉浦清蔵 千葉市太郎
増田忠二郎
八月
八月朔日朝七字ヨリ、長州藩同様山手進軍仕候様、御軍令ニ付、昨夜高瀬村手前ニテ、番兵且賊徒出没イタシ候付、終夜山上ヨリ発砲罷在、朝来其侭用意仕進軍、浪江宿右之手エ向ケ、長州勢同様攻撃進入仕、賊敗走散乱仕候、右之通御座候、以上
八月
伊州藩
覚
一、米二百五十俵 内百五十俵ハ白米ナリ
右戦争之節、分取リ仕候事
八月
奥州ニ於テ戦争之次第、別紙之通出張之者ヨリ相達候ニ付、此段御届申上候、以上
八月廿四日
伊賀中将家来
藤井鼎助