東京城日誌 第三
明治元年戊辰〈十月 十一月〉
十月二十九日御沙汰書写
有栖川帥宮
春来軍務委任之処、画策籌謨、其宜ヲ得、東北速ニ及平定候段叡感不浅候旨御沙汰候事
十月
甲斐府
今般其府御取建ニ付テハ、甲斐国諸県被廃、以後御領一円、其府可為管轄旨、被仰出候事
但甲府城ヲ以府庁ニ可致事
十月
同三十日御沙汰書写
各通 穂波三位
万里小路弁
春来久々之軍旅、大総督宮ヲ輔翼シ、謀略其宜ヲ得、東北速ニ平定之功ヲ奏シ候段叡感不浅候、今般凱旋ニ付、不取敢此品下賜候事
十月
大村益次郎
春来久々之軍旅、大総督宮ヲ輔翼シ、運籌画策、其機宜ニ中リ、速ニ東北平定之功ヲ奏シ候段叡感不浅候、依之不取敢為御太刀料、金三百両下賜候事
十月
吉井幸輔
春来久々之軍旅、兵部卿宮ヲ輔翼シ、画策謀略、其機宜ニ中リ、速ニ東北平定之功ヲ奏シ候段叡感不浅候、今般凱旋ニ付、不取敢為御太刀料、金三百両下賜候事
十月
各通 西郷吉之助
伊地知正治
板垣退助
右同文
各通 木梨精一郎
河田左久馬
春来久々之軍旅、励精尽力、戦略苦心、速ニ東北平定之功ヲ奏シ候段叡感不浅候、今般凱旋ニ付、不取敢為御太刀料、金二百両下賜候事
十月
各通 吉村長兵衛
香川敬三
春来久々之軍旅、大総督宮ニ随ヒ、励精尽力速ニ東北平定之功ヲ奏シ候段叡感不浅候依之不取敢為御太刀料、金百五十両下賜候事
十月
各通 寺島秀之助
渡辺清左衛門
高橋熊太郎
島津式部
楢崎頼三
河手主水
春来久々之軍旅、励精尽力、速ニ東北平定之功ヲ奏シ候段叡感不浅候、今般凱旋ニ付不取敢為御太刀料、金百五十両下賜候事
十月
戸田三弥
右同文、金二百両下賜候事
各通 高岡三郎兵衛
堀直太郎
多久与兵衛
小代清八
姉川栄三
鍋島鷹之助
右同文、金百両ツヽ下賜候事
正親町中将
春来久々之軍旅、大総督宮ヲ輔翼シ、殊ニ戦地出張、謀略其宜ヲ得、東北速ニ平定之功ヲ奏シ候段、叡感不浅候、今般帰京ニ付、不取敢此品下賜候事
十月
十一月朔日御沙汰書写
各通 佐土原兵隊
大村兵隊
人吉兵隊
久々之軍旅、以下第一巻十月十九日薩州兵隊ヘ御沙汰書同文
○
十一月二日東京着 松平肥後、因州藩御預ケ
右同日東京着 松平若狭、久留米藩ヘ御預ケ
○
同二日御沙汰書写
吉田遠江
久々之出張、苦労被思召候、今般帰陣ニ付、金二万疋下賜候事
十一月
久我大納言
春来久々之軍旅、以下十月三十日寺島秀之助等ヘ御沙汰書同文、此品下賜候事
各通 忍兵隊
大洲兵隊
久々之軍旅、以下十月十九日薩州兵隊御沙汰書同文
○
十一月三日千住宿着、四日川崎宿御泊 輪王寺宮
伊州藩別隊警衛
○
同三日御沙汰書写
池田徳太郎
久々之軍旅、久我大納言ヲ輔翼シ、励精尽力叡感不浅候、今般帰陣ニ付、不取敢金二万疋下賜候事
十一月
藤村六平
久々之出張苦労被思召候、今般帰陣ニ付金一万疋下賜候事
十一月
同日出兵諸藩ヘ御布令書写
春来奉朝命、奮戦死亡之輩、招魂祭奠式被為行候間、藩々ニ於テ委詳取調、兵士死亡之月日、姓名等相認、来ル廿五日迄、東京神祇官ヘ差出候様、被仰出候事
十一月
同日松前藩届書写
去月十八口、箱館在萱部浜ヘ、脱走人乗組候蒸気船六艘、人数凡二千四百人程致上陸候由、然ル処、同在大野口之方ヘ、追々致出張候趣ニ付、弊藩人数繰出シ、及戦争候場モ有之哉之由、依之為討手、津軽越中守並備後福山、越前大野人数モ致出張候由ニ而、同廿三日、箱館表ヨリ之注進、同廿六日、横浜表ヘ相達候趣、当時在府箱館判府事小野淳輔殿ヨリ通達有之候、就テハ在所表之儀ハ、人数少ニテ心配仕候間、乍聊当地有合之家来共、不残早々箱館表ヘ出張申付候、此段先不取敢御届申上候、委細之儀ハ在所表ヨリ申越次第、猶又御届可申上候以上
十一月三日 松前志摩守家来 森田現十郎
同四日御沙汰書写
戸田土佐守
先般御沙汰之趣モ有之、隠居被仰付候処、其後闔藩勤王之実効モ相立、其方儀悔悟反正之趣被聞食、出格之思食ヲ以再勤被仰付候間、至仁之御趣意ヲ奉戴シ、益以藩屏ノ職ヲ重シ、励精尽力可有之旨御沙汰候事
十一月
壬生左衛門権助 十月三十日、穂波三位ヘ
御沙汰書同文
松尾遠江
二日、吉田遠江ヘ御沙汰書同文
尾張三位中将
信州福島関門之儀、東山要衝之地ニ付、今般改テ其藩ヘ御預ケ被仰付候間、厳重ニ警衛可有之旨御沙汰候事
十一月
同五日御沙汰書写
西園寺中納言
今般新潟府御改正ニ付、諸事御委任候間、是迄之諸官進退之儀、精々取調、早急可窺出様、被仰付候事
十一月
同日新潟府ヘ御沙汰書写三通
越後国柏崎県被廃、御領一円、自今其府可為管轄旨、被仰出候事
○
佐渡県之儀、追而何分之御沙汰有之候迄、其府管轄ニ被仰付候事
○
北越平常ニ及候エ共、戦後戌兵二三大隊被差出置候ニ付テハ、今日行懸リ之取仕末、於其府可致取扱旨御沙汰候事
十一月