慶応4年6号

太政官日誌第六
慶応四年戊辰三月

【諸国高札の事】
諸国之高札、是迄之分、一切取除ケいたし、別紙之条々改而掲示披仰付候、自然風雨之ため、字章等塗滅候節は、速に調替可申事
但、定三札ハ、永年掲示被仰付候、覚札之儀ハ時々之御布令ニ付、追而取除ケ之御沙汰可有之、尚御布令之儀有之候節ハ覚札を以、掲示可被仰付候ニ付、速ニ相掲ケ、偏境ニ至るまで朝廷御沙汰筋之儀、拝承候様可被相心得候事、追而王政御一新後、掲示ニ相成候分者、定三札之後江当分掲示致置可申事
三月
第一札

一、人たるもの五倫之道を正しくすへき事
一、鰥寡孤独廃疾のものを憫むべき事
一、人を殺し、家を焼き、財を盗む等之悪業あるまじく事
慶応四年三月 太政官

第二札

何事によらす、よろしからざる事に、大勢申合候を、ととうととなへ、ととうして、志いてねがひ事くわだつるを、ごうそといひ、あるひハ申合せ、居町居村をたちのき候を、てうさんと申す、堅く御法度たり、若右類之儀これあらば、早々其筋の役所へ申出べし、御ほふひ下さるべく事
慶応四年三月 太政官

第三札

一、切支丹宗門之儀ハ、是迄御制禁之通、固く可相守事
一、邪宗門之儀ハ固く禁止候
慶応四年三月 太政官

第四礼

今般王政御一新ニ付朝廷之御条理ヲ追ヒ、外国御交際之儀、被仰出、諸事於朝廷直チニ御取扱被為成、万国之公法ヲ以、条約御履行被為在候ニ付而者、全国之人民
叡旨ヲ奉戴シ、心得違無之様被仰付候、自今以後、猥リニ外国人ヲ殺害シ、或者不心得之所業等イタシ候モノハ朝命ニ悸リ御国難ヲ醸成シ候而巳ナラス一旦御交際被仰出候各国ニ対シ皇国之御威信茂不相立次第、甚以不屈至極之儀ニ付其罪之軽重ニ随ヒ、士列之モノト雖モ、削士籍至当之典刑ニ被処候条、銘々奉朝命、猥リニ暴行之所業無之様被仰出候事
三月 太政官

第五札

王政御一新ニ付而者、速ニ天下御平定、万民安堵ニ至リ、諸民其所ヲ得候様御煩慮被為在候ニ付、此折柄、天下浮浪之者有之候様ニテハ不相済候、自然今日之形勢ヲ窺ヒ、猥リニ士民トモ本国ヲ脱走イタシ候儀、竪ク被差留候、万一脱国之者有之、不埒之所業イタシ候節ハ主宰之者落度タルへク候、尤此御時節ニ付、無上下皇国之御為、又ハ主家之為筋等存込、建言イタシ候者ハ、言路ヲ開キ、公正之心ヲ以、其旨趣ヲ尽サセ、依願太政宮代エモ可申出被仰出候事、
但今後総テ士奉公人ハ不及申、農商奉公人ニ至ルマテ相抱候節ハ出処篤ト相糾シ可申、自然脱走之者相抱へ、不埒出来御厄害ニ立至リ候節者其主人之落度タルへク候事
三月 太政官
【御親征被仰出】
一、東山道官軍先鋒、既ニ戦争ニ及ヒ賊軍敗走ノ旨ニハ候得共東海道亦如何共難計趣言上有之、旁以海軍出帆被差急御出輦被遊候条、各其分相心得、出格勉励可有之旨御沙汰候事
三月十五日

一、御親征日限御延引之処、来廿一日御発途、石清水社御参詣、同所御一泊、廿二日守口御一泊、廿三日御着坂其後海軍整備叡覧可被為在之旨披仰出候事
三月十五日
但シ太政宮代被移候儀者先被止候事

一、今般王政御一新、万機従朝廷被仰出候ニ付而者皇国内遠迩与ナク蒼生安堵致シ候様、日夜御憂慮被為在、断然御親征行幸被仰出、尚海軍整備天覧被遊、関東平定之上者、速ニ還御被為在、大ニ列聖之神霊ヲ被為奉安度、深重之思食ニ付、上下心得違無之様、名々可尽其分御沙汰候事
三月十五日
但シ億兆之君タル天職ヲ被為尽御親征行幸被仰出候処、委キ御趣意ヲ不弁モノ共、只々朝廷之御上ヲ奉按候故カ或者一家之盛衰目前之栄利ヲ相考候故カ全体之御危急ヲシラス、種々之浮説申唱江、彼是疑惑ヲ生シ候儀モ有之哉ニ相聞江甚以如何之事ニ候条、末々ニ至迄、急度安堵致シ生業ヲ可営候事