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慶応4年8号

太政官日誌第八
慶応四年戊辰三月

【横浜裁判所正副総督被仰付】
三月二十日
一、東久世前少将、兵庫裁判所総督被免、横浜裁判所総督被仰付
一、肥前侍従、横浜裁判所副総督被仰付

【御親征御発途】
同二十一日
一、皇帝陛下御親征御発途被遊候
<但御出輦ノ次第、供奉ノ列名等ハ行在所日誌ニ詳出ス>

【朝鮮国御用筋ノ事】
同二十三日宗対馬守へ御達之写二通
宗対馬守
今般王政御一新、総而外国御交際之儀、於朝延御取扱被為在候ニ付而者、朝鮮国之儀者、古ヨリ来往之国柄、益御威信ヲ被為立候御旨趣ニ付、是迄之通、両国交通ヲ掌候様家役ニ披命候、対朝鮮国御用筋取扱候節ハ外国事務輔之心得ヲ以テ可相勤候条、被仰付、尤御国威相立候様可致尽力御沙汰候事
但王政御一新之折柄、海外之儀、別而厚ク相心得、旧弊等一洗致シ屹度御奉公可有之候事
三月
宗対馬守
今般被廃幕府王政御一新、万機御宸断ヲ以被仰出候ニ就而者、今後朝鮮御取扱之事件等、総而従朝廷可被仰出候条、此旨朝鮮国へ可相達御沙汰候事
三月
副総裁岩倉卿ヨリ御自書ヲ以テ各局へ御伝達ノ写
臣不肖之身ヲ以テ妄ニ大任ヲ辱シテ敢而其任ニ当リ候儀ニ者無之候へ共何分当今内外御多難、加之朝敵未タ亡ビズ、殊ニ御親征之盛挙ニ被為及候事実ニ至重至大之事件、何共恐俱之次第、素ヨリ鞠躬尽力、一死ヲ以テ御奉公之外無之候、然ルニ総裁宮ハ御東下、三条、中山両卿等モ亦供奉ニ候上者、太政官之責ハ不可免之場合ニ立至リ只管苦心ニ不堪候段、出願ニ及候処、正親町三条、徳大寺両卿総裁局へ出仕、万機示談候様被仰出、先以畏存候、抑今般、親シク天地ニ被為誓、公卿列藩ヘモ御沙汰之通リ屹度御一新之御実跡、相立不申候ハデハ不被為済御儀尤臣子之分ニ於テハ断然奉戴シ尽サザルコトヲ不得、旁以諸局之督輔ハ勿論、判事権官ニ至迄益励精、諸事被申出度候、仮令局外之事タリ共、御為筋之儀ハ御存分ニ御討論可有之ハ勿論之事ニ候間、偏ニ公義ヲ御勘弁、聊無御隔意申承リ度存候、仍テ此段申入候也
三月二十二日 具視

【蝦夷地開拓ノ策問】
三月二十五日午刻上、議事所ニ於テ三職及徴士列座、蝦夷地開拓ノ事ニ付、副総裁岩倉卿ヨリ策問ス
第一条 箱館裁判所被取建候事
第二条 同所総督、副総督、参謀等人撰之事
第三条 蝦夷名目被改、南北二道被立置テハ何如
右史宮読上公卿諸侯徴士答論左ノ如シ
山階官
重大之事件、至要之人撰、即今頓ニ難申上候
鷹司前右大臣
過日右地所ニ付、建白有之候両朝臣ヲ御任撰可然ト存候
中御門大納言
蝦夷地之儀ハ重大之事件ニ付、御人撰第一ト存候、其余別ニ見込無之候
万里小路中納言
別ニ異存無之候
越前宰相
遠地之儀ユヱ何モ存知不申、総督ハ先ツ仙台へ被仰付可然哉ニ存候
阿波少将
存付更ニ無之候
肥前前中将
開拓ハ第ニ儀トシ、先ツ裁判所御取建テ、総督、参謀、御撰挙被為在、基礎ヲ被立置、且任撰其人ヲ得候ハヾ、開拓ノ仕方可相立ト存候
十時摂津
先日建白被遊候御方二人御任撰、尤モ総督ハ加州被仰付度、此藩ニハ蝦夷地ニ精シキ者有之ト承リ申候
毛受鹿之助
何モ別考無之候
大久保一蔵
松浦多気四郎御撰挙可然ト奉存候
木戸準一郎
大基本被立置度ハ、鍋島侯ノ御論ノ通リニテ右任撰得其人之上、柘地育民ノ工夫可相立、大藩へ被命候儀ハ如何哉、藩ノ力ニテ開拓ハ難カルヘシ但人材ヲ網羅シ、其地ニ棋置イタシ、眼前ノ利ヲ不計、当今其地ヨリ歳入スル所ノ金ヲ以テ費用ニ給シ、精々墾拓ニ力ヲ尽シ可然ト奉存候○副総裁日、魯西亜ノ応接ハ何如哉、各国同様ニテ宜敷候歟、木戸日、隣境ノ訳柄モ有之候得共、条理上ニテハ同シカルへシ
神山左多衛
総括スル人才ヲ御撰挙有之候ハヾ、則其任ヨリ其土地ニ志有之者ヲ用ヒ候順序ニ運ヒ候へバ、開拓ノ道ハ随テ相立可申候
溝口孤雲
別ニ存付無之侯
荒尾駿河
同前
井上石見
箱館ニ裁判所御取建相成候而モ奥蝦夷ハ程遠キ事ユヱ、何レ別段参謀ノ内ニテモ御遣シ相成度、人撰ノ事ハ容易ニ難申上候得共、近年岡本文平其地ヲ径歴イタシ候ユヱ、此人ナド御用ヒ可然ト奉存候
毛受鹿之助
土井藩士内山七郎右衛門御登用可然歟
木戸準一郎
内山竜助ハ何如
小原二兵衛
竜助ハ既ニ死ス、竜助弟内山介輔、即今会計局へ参仕イタシ居候
青山小三郎
土井藩ハ年来蝦夷地開拓ニ心ヲ尽シ居候
越前宰相
土井能登守御任撰可然歟
○此外徴士、参与十数名、別ニ異存無之、不及建言
副総裁日、衆議ニ従テ、先ツ人撰ヲ決定シ然ル後裁判所取建、退々開拓ニ手ヲ下スべシ
右ニテ議事終リ、衆皆退散ス

【中根、井上ノ蝦夷開拓意見】
議事所ニテ差出候見込書二通
蝦夷地御開拓之御僉議ニ付而者、先ツ公卿方之内ニテ、開拓御篤志之御方へ、御掛リ被命度、此御方ハ御生涯之精力ヲ、蝦夷地ニ可被尽御立志ニテ、追々其筋之書類ハ素ヨリ其向之巧者へ、飽迄御講習被為在度、扨又外ニ大諸侯之内ニテ、蝦夷奉行被命、此諸侯モ右公卿ト同様家臣モ共ニ十分ニ心力ヲ尽シ是非成功ヲ期候様有之度候、此根底ヲ御確定之上、鎮撫使ト反覆御討論ニ相成、ドコ迄モ朝廷ニテ御後援被為在候様ノ御廟算相立候上御発遣ニ相成候ハヽ可然哉ニ奉存候、当時御一新ノ機会ニ任セラレ、唯一ト手ノ鎮撫使而巳御指立ニ相成候而者、御成功無覚束而巳ナラズ、魯西亜人雑居ノ土地ニモ候へハ、却テ後害ヲ醸シ候様之儀モ可有之歟ト顧念仕候、右之外異存無御座候、以上
中根雪江
万事本源ニ不着眼ハ其末起ルコトカタシ、国家富強ノ本ハ四民各職業ヲ尽スニアリ、就中農ハ国ノ本ナルユヱニ、其本業ヲ尽サシムルノ道立サレハ国土ノ疲弊補ヒガタシ、農ヲ
スノ本ハ、地ヲ拓キ、人民ヲ増殖スルニアリ人民ヲ増殖スルノ本ハ、事ヲ簡易ニシテ、夫役ヲ省略シ、器械ヲ以テ民力ヲ扶クルニアリ西洋諸国モ蒸気器械ヲ発明シ、民力国中ニ余リ有カ故ニ、自然拓地育民ノ業ヲ起シ、或ハ万里ノ外ニ数千人ヲ出シ、開港交易ノ大利ヲ計ルニ至ル、我国近年、内外多事、昼夜東西ノ夫役、幾千万ト云コトヲ知ラス、是等ノ民力ヲ補フノ道立サルトキハ、田野ノ荒廃ニ及フハ、又自然ノ理也、蝦夷聞拓ノコトハ北陸ノ大事、勿論不可忽ノ要務ナレハ、其手ヲ下スノ道サマサマ緩急ノ術アルへケレトモ、畢寛又内地ノ民ヲ移サヾレバ、成功遂ケ難キ事ナレハ、第一内国旧地ノ荒廃セザル様、夫役ヲ省略シ、器械ヲ製造シテ、人民ヲ生スルノ策、今日ノ急務ト奉存候事
井上石見

慶応4年7号

太政官日誌第七
慶応四年戊辰三月

【徳川慶喜御処分の事】
徳川慶喜御処分之儀、於朝廷者、諸事御寛容ニ被思食御沙汰被仰出候処、旧冬鎮定を名とし下坂之上軍配ニ及ひ候次第、始終言行相違、正月三日以来之拳動、叛逆顕然、其罪天下万民之所共知ニ候、故ニ不被為得止大号令御発表、終ニ御英断を以て御親征被仰出、勤王之諸藩、私情を捨て、公義ニ基き、諸兵大総督ニ付属し、已ニ賊城に相臨ミ候折柄、恭順謝罪之実効も更ニ無之尚先供之行違等を口実といたし、剰江停軍相願候次第朝廷を奉軽蔑候所為にて、不届之至ニ候、対天下後世、決而御許容難被遊候儀に可有之、仮令御許容被為在候而茂、前条暴入之轍ニ出候哉茂難計、御条理上者勿論、彼之情実、万々御採用難相成、却而人心之疑惑を生し候而者、此御時合不容易儀ニ付、大義名分篤と勘弁いたし、以来私ニ文通等之儀於有之者、逆徒ニ均しき筋ニ候間、屹度御沙汰可有之候事
三月

【甲州勝沼、武州羽丹生ノ戦】
東山道先鋒諸藩より届書写
東山道出兵本藩人数、信州上諏訪ニおゐて依命致手分、甲州路罷越、本月五日甲府ニ到着、即日城代佐藤駿河守江及談判、府城受取候、然ニ翌六日朝、賊徒共府城より三里許東ニ着陣候由相聞、石和駅迄斥候差出候得者勝沼駅ニ致屯駐候ニ付、因州、高遠二藩及本藩之兵、同時押寄候処、駅中ニ関門を設け官軍を差障候体ニ付押破り、其番兵を迫払、夫より惣勢を三手に分ち、一ト手ハ因州一小隊、本藩大砲隊<隊長北村長兵衛>本街道より進ミ一ト手ハ因州、高速之兵、本藩小隊<隊長小笠原謙吉>川を渡り、右ノ方より進ミ、一ト手ハ本藩小隊<隊長谷神兵衛>左ノ山を攀ち、敵背へ出候様、約束を定置、操出候処、賊徒共街道の橋を撒し砲台を築き罷在、忽ち互ニ発砲、賊徒ハ民家ニ放火し谷を隔て防戦、長兵衛隊及苦戦候折柄、因州勢其応援之為め左ノ山ニ登り、又因州、高遠之兵及譲吉隊右ノ山ニ登り、双方より発砲合撃いたし、賊徒共一時計リ防禦候得共、神兵衛隊急ニ敵背へ出賊三人討取、大音を揚け、山上より余賊を追下候故、賊衆落胆要害を棄て候ニ付、三面より追撃いたし、神兵衛隊砲台を奪ひ、賊徒共敗れ、少々退又防戦仕候得共、亦敗走し、官軍進て鶴瀬駅ニ至リ、賊徒ハ遂ニ笹子峰を踰へ遁去候ニ付、笹子の要害ハ因州ノ生兵へ托し、甲府守衛之儀ハ真田家江引渡、本藩軍勢ハ江戸へ致進発候趣、彼表軍監共より達越候ニ付、此段御達仕候討取候首級擒獲いたし候賊ノ姓名等ハ別紙ニ相認差上申候、以上

一、賊徒 保々忠太郎
柴田監物
市川五郎
市川幸八郎
中川権五郎
原田金之丞
疋田喜一郎
佐々井安左衛門
秋鹿慶之助
右之者共真由家江引渡申候
会藩 山崎壮助
右当斬梟首仕候
一、首三級
右谷神兵衛隊討取、但賊ノ隊長加々爪某と申者の首、清太郎躮小橋某討取申候
一、首一級
右小笠原謙吉討取申候
一、施条砲一挺
玉廿四五計
一、小銃十二三挺計
一、合羽駕篭二荷
雑物入共
一、大小二腰
右本藩兵分捕仕候
一、長持十荷計
右因州及本藩兵互ニ分捕仕候
一、味方 手負二人
右北村長兵衛隊小川弼太郎銃丸ニ中リ手を傷き小笠原謙吉隊今井和助、譲吉を助け、賊と戦被傷申候
右之通ニ御座候、以上
三月十五日 山内土佐守

辰三月六日午刻、於甲州勝沼駅、大橋鳥居坂戦争いたし、戦死、手負、分捕器械、左之通
一、即死一人
一、手負-人
右天野祐治隊中之者ニ候
一、大砲一挺
一、小銃三挺
一、大砲胴卵一ツ
一、太鼓負皮一ツ
一、大炮玉葉扱
右藤田束、天野祐冶手ニ而分取仕候
一、小銃三挺
右佐分利九允組士之内ニ而分捕仕候
一、小銃三挺
右馬場金吾、足立真蔵分捕仕候
右之通御座候、此段御届申上候、以上
三月 因州 和田壱岐
当月八日武州羽丹生村辺ニ歩兵屯集之由ニ付薩州、長州並弊藩人数、為斥候操出候処、梁田宿ニ集リ居候ニ付、一同出進、翌九日朝六ッ半時過より及砲戦、九ツ時頃迄ニ賊徒尽く敗走、討取分捕等も多分有之趣、急便を以申越候、於出先御総督御本陣江も御届申上候趣ニ者御座候得共、此段不取敢御届申上候、以上
三月十七日 戸田采女正
因州
土州
薩州
長州
大垣
右甲州勝沼駅、武州羽丹生村両所ニおゐて、賊徒屯集、砲銃を以て要地ニ拠リ官軍を相抗し候処、遂勇戦忽及掃撃、殊ニ初戦之儀三軍之気鋒をも興し、現地之情実達叡聞、御満足ニ被思食候、猶此上擢精忠、速ニ賊巣令平定、可奉安宸襟旨被仰出候、此段戦士江可相達御沙汰候事
三月十九日

慶応4年6号

太政官日誌第六
慶応四年戊辰三月

【諸国高札の事】
諸国之高札、是迄之分、一切取除ケいたし、別紙之条々改而掲示披仰付候、自然風雨之ため、字章等塗滅候節は、速に調替可申事
但、定三札ハ、永年掲示被仰付候、覚札之儀ハ時々之御布令ニ付、追而取除ケ之御沙汰可有之、尚御布令之儀有之候節ハ覚札を以、掲示可被仰付候ニ付、速ニ相掲ケ、偏境ニ至るまで朝廷御沙汰筋之儀、拝承候様可被相心得候事、追而王政御一新後、掲示ニ相成候分者、定三札之後江当分掲示致置可申事
三月
第一札

一、人たるもの五倫之道を正しくすへき事
一、鰥寡孤独廃疾のものを憫むべき事
一、人を殺し、家を焼き、財を盗む等之悪業あるまじく事
慶応四年三月 太政官

第二札

何事によらす、よろしからざる事に、大勢申合候を、ととうととなへ、ととうして、志いてねがひ事くわだつるを、ごうそといひ、あるひハ申合せ、居町居村をたちのき候を、てうさんと申す、堅く御法度たり、若右類之儀これあらば、早々其筋の役所へ申出べし、御ほふひ下さるべく事
慶応四年三月 太政官

第三札

一、切支丹宗門之儀ハ、是迄御制禁之通、固く可相守事
一、邪宗門之儀ハ固く禁止候
慶応四年三月 太政官

第四礼

今般王政御一新ニ付朝廷之御条理ヲ追ヒ、外国御交際之儀、被仰出、諸事於朝廷直チニ御取扱被為成、万国之公法ヲ以、条約御履行被為在候ニ付而者、全国之人民
叡旨ヲ奉戴シ、心得違無之様被仰付候、自今以後、猥リニ外国人ヲ殺害シ、或者不心得之所業等イタシ候モノハ朝命ニ悸リ御国難ヲ醸成シ候而巳ナラス一旦御交際被仰出候各国ニ対シ皇国之御威信茂不相立次第、甚以不屈至極之儀ニ付其罪之軽重ニ随ヒ、士列之モノト雖モ、削士籍至当之典刑ニ被処候条、銘々奉朝命、猥リニ暴行之所業無之様被仰出候事
三月 太政官

第五札

王政御一新ニ付而者、速ニ天下御平定、万民安堵ニ至リ、諸民其所ヲ得候様御煩慮被為在候ニ付、此折柄、天下浮浪之者有之候様ニテハ不相済候、自然今日之形勢ヲ窺ヒ、猥リニ士民トモ本国ヲ脱走イタシ候儀、竪ク被差留候、万一脱国之者有之、不埒之所業イタシ候節ハ主宰之者落度タルへク候、尤此御時節ニ付、無上下皇国之御為、又ハ主家之為筋等存込、建言イタシ候者ハ、言路ヲ開キ、公正之心ヲ以、其旨趣ヲ尽サセ、依願太政宮代エモ可申出被仰出候事、
但今後総テ士奉公人ハ不及申、農商奉公人ニ至ルマテ相抱候節ハ出処篤ト相糾シ可申、自然脱走之者相抱へ、不埒出来御厄害ニ立至リ候節者其主人之落度タルへク候事
三月 太政官
【御親征被仰出】
一、東山道官軍先鋒、既ニ戦争ニ及ヒ賊軍敗走ノ旨ニハ候得共東海道亦如何共難計趣言上有之、旁以海軍出帆被差急御出輦被遊候条、各其分相心得、出格勉励可有之旨御沙汰候事
三月十五日

一、御親征日限御延引之処、来廿一日御発途、石清水社御参詣、同所御一泊、廿二日守口御一泊、廿三日御着坂其後海軍整備叡覧可被為在之旨披仰出候事
三月十五日
但シ太政宮代被移候儀者先被止候事

一、今般王政御一新、万機従朝廷被仰出候ニ付而者皇国内遠迩与ナク蒼生安堵致シ候様、日夜御憂慮被為在、断然御親征行幸被仰出、尚海軍整備天覧被遊、関東平定之上者、速ニ還御被為在、大ニ列聖之神霊ヲ被為奉安度、深重之思食ニ付、上下心得違無之様、名々可尽其分御沙汰候事
三月十五日
但シ億兆之君タル天職ヲ被為尽御親征行幸被仰出候処、委キ御趣意ヲ不弁モノ共、只々朝廷之御上ヲ奉按候故カ或者一家之盛衰目前之栄利ヲ相考候故カ全体之御危急ヲシラス、種々之浮説申唱江、彼是疑惑ヲ生シ候儀モ有之哉ニ相聞江甚以如何之事ニ候条、末々ニ至迄、急度安堵致シ生業ヲ可営候事

慶応4年5号

太政官日誌第五
慶応四年戊辰三月

【太政官代へ行幸ノ事】
三月九日辰刻太政官代エ行幸被為在、御座ノ間エ出御玉座近ク三職ヲ被為召、親ク蝦夷地開拓之事件ヲ御下問有之、一同大イニ開拓可然之旨ヲ言上ス、此儀相済テ後、酒肴ヲ賜フ勅旨日先帝深厚之叡旨御継述被為遊度、至重之宸慮被為在、偏ニ寛洪ヲ以御国基ヲ被為立度思食候処、兵革草卒ニ起リ不可言之勢ニ至リ、内外御多難之砌、三職百官之輩、奮発勉励之力ニヨリ、即今粗方向相立チ候段、深ク御満足候、依之乍聊酒肴ヲ下シ賜候間、各積日之労苦ヲ可慰候、然リト雖モ、巣窟未平カス、人心深憂俱ヲ抱候得者、尚此上忠誠ヲ尽シ、志ヲ遠大ニ期シ皇威ヲ振起シ、万民ヲ安堵セシメ、宿昔之叡慮貫徹候様御沙汰候事

【天神地祇ニ御誓祭ノ事】
三月十四日、南殿ニ於テ天神地祇御誓祭被為在、公卿、諸侯会同就約ノ次第左ノ如シ
一、午ノ刻、群臣着座
公卿、諸侯母屋、殿上人南廂、徴士東廂
一、塩水行事
神祇輔勤之 吉田三位侍従
一、散米行事
神祇権判事勤之 植松少将
一、神祇督着座 白川三位
一、神於呂志神歌
神祇督勤之
一、献供
神祇督、同輔、同権、判事等立列拝送同輔 津和野侍従 点検
一、天皇出御
一、御祭文読上
総裁職勤之 三条大納言
一、天皇御神拝
親ク幣帛ノ玉串ヲ奉献シタマフ
一、御誓書読上
総裁職勤之
一、公卿、諸侯就約
但一人宛中央ニ進ミ、先ツ神位ヲ拝シ御座ヲ拝シ而後、執筆加名
一、天皇入御
-、撤供
拝送如初
一、神阿計神歌
神祇督勤之
一、群臣退出

御祭文之御写
懸久毛恐支
天神地神乃大前爾今年三月十四日乎生日乃足日登撰定天祢宜申左久今与利天津神乃御言寄乃随仁天下乃大政遠執行<波無止之天>親王卿臣国々諸侯百寮官人遠引居連天此神床乃大前仁誓<津久良波>近起頃保比邪者乃是所彼所仁荒備武比天天下佐夜芸仁佐夜芸人乃心毛平穏<奈良受>故是以天下乃諸人等乃力遠合世心遠一<津仁之天>
皇我政遠輔翼奉利令仕奉給要閉止請祈申礼代波横山乃如置高成
弖奉留形遠山乃置聞食弖天下乃万民遠治給比育給比谷蟇乃狭渡留極白雲乃堕居向伏限逆敵対者波令在給波受遠祖尊乃恩頼遠蒙利天無窮仁仕奉礼留人共乃今日乃誓約爾違波無者波天神地祇乃倏忽仁刑罰給波無物曽止
皇神等乃前爾誓乃言詞甲給<波久止>申

御誓文之御写
一、広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ
一、上下心ヲ一ニシテ、盛ニ経綸ヲ行フベシ
一、宮武一途、庶民二至ル迄、各其志ヲ遂ケ、人心ヲシテ、倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クベシ
一、智識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スベシ
我国未曽有ノ変革ヲ為ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先ンジ、天地神明ニ誓ヒ大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス衆亦此旨趣ニ基キ、協心努力セヨ
年号月日御諱

【公卿諸侯就約ノ事】
勅意宏遠誠ニ以テ感銘ニ不堪、今日ノ急務、永世ノ基礎、此他ニ出ベカラズ、臣等謹テ叡旨ヲ奉戴シ、死ヲ誓ヒ、黽勉従事冀クハ以テ宸襟ヲ安シ奉ラン
慶応四年戊辰三月
総裁 名印
公卿諸侯 各名印

御宸翰之御写
朕幼弱を以て猝に大統を紹き、爾来何を以て万国に対立し列祖に事へ奉らんやと、朝夕恐俱に堪ざる也、窃に考るに、中葉朝政衰てより、武家権を専らにし、表は朝廷を推尊して、実は敬して是を遠け、億兆の父母として、絶て赤子之情を知ること能さるやふ計りなし、遂に億兆の君たるも唯名のミに成り果、其が為に今日朝廷乃尊重は、古へに倍せしが如くにて、朝威は倍衰へ、上下相離るヽこと良い霄壌の如し、かヽる形勢にて、何を以て天下に君臨せんや、
今般朝政一新之時ニ膺リ、天下億兆、一人も其処を得ざる時は、皆
朕が罪なれば、今日の事
朕自身骨を労し、心志を苦め、艱難の先に立、古列祖の尽させ給ひし蹤を履ミ、治跡を勤めてこそ、始て天職を奉して、億兆乃君たる所に背かざるぺし
往昔列祖万機を親らし、不臣のものあれば、自ら将としてこれを征し玉ひ朝廷の政、総て簡易にして、如此尊重ならざるゆへ、君臣相親しみて、上下相愛し、徳沢天下に洽く国威海外に輝きしなり、然るに近来宇内大ニ開け、各国四方に相雄飛するの時に当り、独我邦のみ世界乃形勢にうとく、旧習を固守し、一新の効をはからす朕徒らに九重中に安居し、一日の安きを倫み百年の憂を忘るヽときは、遂に各国の凌侮を受け、上ハ列聖を辱しめ奉り、下ハ億兆を苦しめん事を恐る、故ニ朕こヽに百官諸侯と広く相誓ひ列祖の御偉業を継述し,一身乃艱難辛苦を問す、親ら四方を経営し、汝億兆を安撫し遂には万里の波涛を拓開し、国威を四方に
宣布し,天下を富岳の安きに置んことを欲す、汝億兆、旧来の陋留に慣れ、尊重のみを朝廷の事となし神州の危急をしらず、朕一たび足を挙れば、非常に驚き、種々乃疑惑を生し、万口紛紜として朕が志をなさゞらしむる時ハ是朕をして君たる道を失はしむるのみならず従て列祖の天下を失はしむる也、汝億兆能々朕か志を体認し相率て私見を去り公義を採り、朕が業を助て神州を保全し列聖の神霊を慰し奉らしめは、生前乃幸甚ならん
右御宸翰之通、広く天下億兆蒼生を思食させ給ふ、深き御仁恵の御趣意ニ付、末々之者に至る迄敬承し奉り心得違無之国家の為に、精々其分を尽すべき事
総裁 補弼
三月

慶応4年4号

太政官日誌第四
慶応四年戊辰三月

【聖上列候ヲ召シテ天下一新ノ詔勅ヲ賜フ】
二月二十八日
皇帝陛下、親シク列侯ヲ玉座近ク被為召、詔曰、朕夙ニ天位ヲ紹キ、今日天下一新ノ運ニ膺リ文武一途公議ヲ親裁ス、国威之立不立、蒼生之安不安ハ、朕カ天職ヲ尽、不尽ニ有レハ、日夜不安寝食、甚心思ヲ労ス、朕不肖ト雖モ、列聖之余業先帝之遺意ヲ継述シ、内ハ列藩万姓ヲ撫安シ、外ハ国威ヲ海外ニ耀サン事ヲ欲ス、然ルニ徳川慶喜不軌ヲ謀リ、天下鮮体、遂及騒擾、万民塗炭之苦ニ陥トス、故朕不得已、断然親征之議ヲ決セリ、且已ニ布告セシ通リ、外国交際モ有之上ハ、将来之処置尤重大ニ付、天下万姓之為ニ於テハ、万里之波涛ヲ凌キ、身ヲ以艱苦ニ当リ、誓テ国威ヲ海外ニ振張シ祖宗先帝之神霊ニ対ント欲ス、汝列藩朕カ不逮ヲ佐ケ、同心協力、各其分ヲ尽シ、奮テ国家ノ為ニ努力セヨ
【各国公使参朝ノ事】
各国公使参朝之件々左ニ記ス
一、前日各国公使エ何刻<西洋第幾字>令参内之旨外国事務補ヨリ書翰ヲ以、三ヶ国公使エ通達ス
一、当日各国公使参内之節外国掛リ公卿、諸侯、建春門内迄出迎但外国掛リ判事一人ツヽ公使旅館迄、前導トシテ被遣、公使同道ニテ参内ス
一、公使虎ノ間迄誘引、外国事務補相勤但判事附添
一、虎ノ間座席進退、外国掛リ、公卿、諸侯相勤但判事準之
一、茶菓ヲ賜フ、程合ハ外国掛リ判事取計ヒ、配膳ハ使番ニテ取扱フ
一、各国公使相揃候段、外国掛公卿諸侯ヨリ以非蔵人注進
一、副総裁及外国事務督輔、内国事務督輔出会ス
一、皇帝出御干南殿
一、内国事務補出御之旨ヲ、外国掛リ公卿、諸侯エ通達ス
一、外国掛リ公卿、諸侯、公使ヲ誘引ス
但虎ノ間ヨリ日華門内ノ東階マテ誘引夫ヨリ直ニ昇殿
但判事<徴士>日華門外マテ、外国掛リ非蔵人ハ東階下マテ附添
一、日華門内、外国掛リ公卿、諸侯、誘引之先へ、内国事務輔前導ス
一、公使ノ日華門内ニ入ルヲ見テ楽ヲ奏ス
一、前導ノ内国事務輔、誘引シテ直ニ本座ニ着ス
一、公使東階ヨリ昇段、外国掛リ輔誘引ス
一、公使拝天顔
一、公使名披露、山階宮、三条大納言侍ス、通訳外国事務判事伊藤俊介亦侍ス
一、有勅語、大臣<山階三条>之レヲ伝フ
一、公使奉答ス
一、判事、公使ノ奉答ヲ言上ス
一、公使随従之士官、進テ拝天顔
一、随従士官名披露、判事言上ス
一、判事伝勅旨
一、礼式相済、公使西階ヲ下リ月華門ヨリ退ク
一、公使ノ月華門外ニ出ルヲ見テ、奏楽ヲ止ム
【仏国公使等参朝】
二月三十日午ノ半刻、仏国公使レヲンロシユベニユス、船将ロワシユピレツキス、船将ペティトワール参朝
但副総裁始メ、公卿、諸侯及掛リ役員列座
一、皇帝陛下親シク勅日、貴国帝王安全ナルヤ朕之ヲ喜悦ス、自今両国之交際、益親睦、永久不変ヲ希望ス
仏公使日
天皇陛下今日各国公使等ニ拝謁ヲ賜ヒシハ、余仏国ニ封シ玉ヒテ、御厚意ナル確証ト仰キ奉ル也、貴国ノ衆民ニ於テモ如斯高明ナル証ヲ知ル上ハ、即チ天皇陛下ノ尊キ御宸意ヲ、遵奉スルコト疑ヲ容レサル所ナリ、故ニ今日ハ即後来ニ長ク祈念スヘキ日ニシテ、貴国ト各国ト至誠ノ交誼ヲ親クスル始ナルヲ以テ、余我国帝陛下ニ代リ天皇陛下並ニ貴国ノ幸福盛美ヲ祈リ、深ク神明ノ守護アランコトヲ奉顧也

同日、和蘭国公使デーテクヲフアンポルスブロツク、書記クラインケース参朝
一、皇帝陛下自カラ勅スル前ノ如ク和蘭公使日、随近報承リ候処、和蘭国王陛下安全也
天皇陛下長ク御安全ヲ保セ玉ヒ、且御在位幾多ノ年ヲ重ネ玉ハンコトヲ希望シ奉ル也
三月三日、英国公使ハルリーパークス書記ミツトホールド参朝
一、皇帝陛下自カラ勅スル前ノ如シ
英公使日、我本国帝王陛下安全也、天皇陛下御尋問ノ件々、且御懇親ノ勅意、余欣然トシテ本国政府ニ可奉通達也、夫外国交際ノ儀ハ貴国御政体ノ立ニ随テ、益堅固ナルヘク事ニシテ、此節貴国ニ於テ全国一般ノ御政体ヲ被為立、万国ノ公法ヲ基根ト被為遊シ故、追々外国交際盛ナルへキ義、必然ト奉存也、
皇帝陛下又勅日去ル三十日、貴公使参朝途中、不慮之儀出来、礼式延引遺憾之至ニ候、今日改テ参朝、満足ニ存候
英公使曰、先日参内ノ途中、暴発ニ出会セシ所、今日天皇陛下ヨリ、難有御倫言ヲ蒙リ且其場ニ於テハ天皇陛下臣人ノ助力ヲ受ケ、難有奉感佩、尚今日ノ厚キ御待遇ヲ以、過日ノ不幸ハ奉忘除候也
右之通ニテ相済、退出セリ

慶応4年3号

太政官日誌第三
慶応四年戊辰二月

【朝典一定の建言】
臣等謹而按するニ、古之能々天下の大事を定むる者ハ必先ツ天下の大勢を観て、緩急機に従ひ、処置宜を得候故ニ唯功徳の一時に光被するのみならず、万世不抜の業、是に於て相立候、今や皇上始て大統を継せ給ひ、御政権復一に帰し凡百の宿幣も更始一新し、天下万姓目を拭ひ治を望むの秋なり、即在朝の百官自ら奮発し、内ハ皇上の御徳化を輔け奉り、外ハ皇威を万国に張り、臣子之分を尽さん事を欲す、就中今日の急務ハ皇国と外国の交際を講明せずして、不叶儀に奉存候、近頃朝廷始て外国事務の官職を設られ、其人を御撰挙遊され、専ら御力を尽され候は、天下の人をして、方向する処を知らしめ給ハんとの御趣意にて皇威を万国に赫輝せしめ候ハ、此時に可有之と、不堪感銘奉存候、乍併古語にも、人心不同ハ面の如しと中候而、在上在下の人、未だ各々隈々の議を執て、疑惑なき事能ハす、又或ハ漢土人の如く、自ら尊大にして、外国人を禽獣の如く蔑視、終には彼に打負、却て駆使せられ候様に成行き候覆轍を、践むに至るへき哉と甚憂慮仕候、依而熟考仕候処、今日之先務ハ上下協同一和し、宇内之形勢を弁し皇国一大革して、開業すへき所以方向確定すへき儀、第一と奉存候、是迄皇国ハ一方に孤立し、世界の事情に不達、只愉安を以て志とし、荏苒衰微を致し、彼カ為に制せらるへき次第ニ立至候と、各国に航行し衆善を包取、気運日々に開け、政治文明、兵食充備、天下に縦横致し候と比較いたし候得ハ盛衰之原由も判然相分り可申哉に奉存候元より膺懲の重典も無くて不叶儀にハ候得共控御之術其方を得候へハ、遠人も懐き服し候道理にて、尤無罪之人を膚懲致し候訳には無之候
中古朝廷にも、玄蕃の官を置せたまひ、鴻臚館を建させられ、遠人を御綏服被成候事も相見へ居、其後天正慶長の間には、蛮夷共屡西国に渡来交易致し候、若し其来港不致節ハ、大将軍より書簡を以て促され、猶遅綏に及候時にハ、此方より大軍を発し、攻撃に可及なそと申遣し候儀も有之候処、島原の一乱以来、始て幕府より鎖国の令有之候、乍併漢土和蘭に於てハ、猶交易差許候得ハ一切に外国人ハ攘ひ斥け候と申訳には更に無之処、近年攘夷之論盛に相起り、諸侯之内、偶攘斥致し候茂有之候得共、素より一藩の力を以て、不可為ハ諭するに足らず、且先年幕府より、十年を期して、成功を奏し可申抔と申上候ハ、陽に其名を仮り、陰に其私を行ひ候詐術にて、先帝日夜御苦慮被為遊候御儀とハ、同年之論にハ無之と奉存候、然れハ今日皇国之衰運を挽回し皇威を海外に耀し候儀、万々一刀両断之朝裁を以て、井蛙管見之僻論を去り、先ツ在廷枢要之御方々より御豁眼に被為成、上下同心して交際之道無二念開せられ、彼カ長を取リ我カ短を補ひ、万世之大基礎相据られ候様奉専祷候、仰願くハ皇上之御英断、能く天下之大勢を御観察被為遊、是迄犬羊戎狄と相唱候愚論を去り、漢土と斉しく視させられ候朝典を一定せられ、万国普通之公法ヲ以テ参朝をも被命候様、御賛成被為在、其旨海内へ布告して、永く億兆之人民をして、方向を知らしめたまひ度儀と、偏に奉懇願候、誠恐誠惶頓首頓首
二月七日 越前宰相
土佐前少将
長門少将
薩摩少将
安芸新少将
細川右京太夫
【長門少将言上の事】
臣広封謹而奉言上候、先般越前宰相一同建言之儀、癸丑已降天下之勢、屡変遷、遂ニ今日之御時体ト相成候而者、目下之御処置、右建言之処一着落仕候外、無御座ト奉存、連署奉言上候、抑既往ヲ推究仕候処、幕府一且其術ヲ失候而ヨリ、御国是屡変換、開鎖之論一定不仕、天下是カ為ニ肝脳塗地候者不可枚挙、悲歎之至ニ奉存候、然処臣広封父子、追々陳述仕候通、癸丑已来偏ニ皇威御更張、国是御一定ヲ奉企望、只管叡慮ニ奉基、名義条理相立候様ニト不願微力、藩屏之任一途心懸罷在候内、戌午下田条約被差許候ニ付而者、即チ開国ニ御一定ト奉存、一藩方向相立居候処、壬戌ニ至リ父子上京親ク奉伺候得者、和宮御東下一条ヲ奉始叡旨専ラ鎖国ニ被為在候御事、奉拝承、殊ニ癸亥ニ至、大樹家上洛奉勅攘斥之布告相成候ニ付、弥以艱難危急者臣子之分ニ付天恩之万一ヲ奉報度ト決心仕、人民ヲ鼓舞激励シ、身ヲ以テ自先シ候処、臣広封父子之微誠貫徹不仕、遂ニ孤立之姿ト相成、闕下ニ拝趨不得仕次第ニ立至候得共、元来臣広封父子進退趨合一已私見ニ出候儀毫厘モ無之、偏ニ叡慮遵奉之心得ニ御座候処、幕府布令前後齟齬ヨリシテ御国是従而変換シ、臣広封父子禍難ニ陥溺仕候様相成、此余者社稜ト共ニ灰滅仕候外無之ト覚悟罷在候処、乾綱新張、今日之御盛時ニ遭遇シ再生之鴻恩ヲ奉蒙、感泣之至ニ奉存候、然処、四境閉塞以来、国外之情態甚迂闊ニ打過候得共、外国交際之儀其他種々被為尽廷議候御様子略伝承仕リ、今般上京、親シク先年来之御行懸等、精細相窺候得者、既ニ開港勅許、海外各国江御布告被為有、既ニ御国是御確定、開国之御規模披為立候御儀、続而王政御一新、万機御親裁之秋ト相成候付而者、内外之形勢前日之比ニ無之、即チ国家之御安危、皇威之御隆替、辱クモ御聖徳ニ関係仕、今後之御挙措、最重大之儀ト奉存候ニ付、外国御交際者、宇内公義之係ル所、内国一家之紛擾ヲ以、宇内之公義ヲ害候様ニ而者、万国ニ対シ可愧儀ニ御座候間、乍恐神武之御聖業ヲ御体認被為遊、専ラ天下之耳目ヲ一新シ、人心之方嚮ヲ相定メ、確乎不抜之聖断ヲ以テ天下ニ臨御被為遊、外者宇内万国ニ並立シテ不被為愧、内者列聖之神霊ニ被為封御遺憾無之様、不堪懇願之至、誠恐誠惶頓首謹言
二月 長門少将

慶応4年2号

太政官日誌第二
慶応四年戊辰二月

【職制ノ事】
三職
総裁職<宮任之副総裁公卿諸侯任之>
万機ヲ総へ、一切之事務ヲ裁決ス
議定職<宮公卿諸侯任之>
事務各課ヲ分督シ、議事ヲ定決ス
参与職<公卿諸侯徴士任之>
事務ヲ参議シ、各課ヲ分務ス
八局
総裁局
神祇事務局
神祇祭祀、祀部神戸ノ事ヲ督ス
内国事務局
京畿庶務及諸国水陸運輸、駅路、開市都城、港口、鎮台、市尹ノ事ヲ督ス
外国事務局
外国交際、条約、貿易、拓也、育民ノ事ヲ督ス
軍防事務局
海軍、陸軍、練兵、守衛、緩急軍務ノ事ヲ督ス
会計事務局
戸口、賦税、金穀、用度、貢献、営繕、秩禄、倉庫及商法ノ事ヲ督ス
刑法事務局
監察弾糾、捕亡断獄、諸刑律ノ事ヲ督ス
制度事務局
官職、制度、名分、儀制、選叙、考課、諸規則ノ事ヲ督ス

徴士貢士
徴士 無定員
諸藩士及都鄙有才ノ者、公議ニ執リ抜擢セラル則徴士ト命ス、参与職各局ノ判事ニ任ス、又其一宮ヲ命シテ参与職ニ任セサル者アリ、在職四年ニシテ退ク、広ク賢才ニ譲ルヲ要トス、若其人当器尚退クへカラサル者ハ、又四年ヲ延テ八年トス、衆議ニ執ルヘシ
貢士<大藩四十万石以上三員、中藩十万石以上三十九万石ニ至ル二員、小藩一万石以上九万石ニ至ル一員>
諸藩士其主ノ撰ニ任セ、下ノ議事所ヘ差出ス者ヲ貢士トス、則議事官タリ与論公議ヲ執ルヲ旨トス、貢士定員アツテ年限ナシ、其主ノ進送スル処ニ任ス、又其人才能ニ因テ徴士ニ選挙スヘシ
総裁 有楢川帥宮
副総裁 議定 三条大納言
同 同 岩倉右兵衛督
輔弼 議定 中山前大納言
同 同 正親町三条前大納言
顧問 参与 <当分外国事務掛兼>小松帯刀
同 同 同 後藤象二郎
同 同 木戸準一郎
弁事 参与 東園中将
同 同 坊城侍従
同 同 松尾但馬
同 同 松尾伯耆
同 同 十時摂津
同 同 神山左多衛
同 同 毛受鹿之助
同 同 田中国之輔
史官 生形三郎
同 菱田文蔵
○神祇事務
督 議定 白川三位
輔 同 津和野侍従
同 参与 吉田侍従三位
判事 参与 平田大角
権 同 植松少将
同 谷森内舎人
同 樹下石見守
同 六人部雅楽
○内国事務
督 議定 徳大寺大納言
輔 同 越前宰相
権 参与 岩倉侍従
同 同、秋月左京亮
判事 参与 中川封馬
同 同 辻将曹
同 同 広沢兵助
同 同 大久保一歳
同 同 中根雪江
同 同 青山小三郎
同 同 土肥謙蔵
権 参与 五辻大夫
同 王松操
同 山中静逸
○外国事務
督 議定 山階宮
輔 同 宇和島少将
権 参与 東久世前少将
同 議定 肥前侍従
判事 参与 岩下左次右衛門
同 同 町田民部
同 同 伊藤俊助
同 同 五代才助
同 同 寺島陶蔵
同 同 井関斉右衛門
同 同 井上聞多
○軍防事務
督 議定 仁和寺宮

権 参与 鳥丸侍従
判事 同 吉田遠江
同 同 吉井幸輔
同 同 津田山三郎
同 同 土肥典膳
○会計事務
督 議定 中御門大納言
輔 同 安芸新少将
権 参与 長谷美濃権介
判事 同 戸田大和守
同 同 鴨脚加賀
同 同 三岡八郎
同 同 小原二兵衛
権 参与 石山右兵衛権佐
○刑法事務
督 議定 近衛新前左大臣
輔 同 細川右京大夫
権 参与 五条少納言
判事 同 溝口孤雲
同 同 木村得太郎
同 土倉修理助
○制度事務
督 議定 鷹司前右大臣

権 参与 堤右京大夫
判事 参与 松室豊後
同 同 福岡藤次
権 井上石見

慶応4年1号

太政官日誌 第一
慶応四年戊辰二月

【醍醐大納言、東久世前少将、宇和島少将、大阪ニ於テ各国公使ト応接ノ始末】
二月十四日午ノ半刻ヨリ、申ノ刻マテニ、大坂西本願寺ニ於テ醍醐大納言殿、東久世前少将殿、宇和島少将殿、各国公使ト応接ノ始末、左ノ如シ
但外国事務掛及ビ諸藩家老列座
一、東久世殿発話、我日本政体王政復古帝自ラ政権ヲ握シ、外国ノ交際モ、一切朝廷ニテ曳請、裁判可致旨意ハ、過日兵庫ニ於テ布告セシ如ク、相違アルコトナシ、此節外国事務局ヲ建立シ、交易通商一切ノ諸事件、悉ク外国事務官ノ裁決ニアルヲ以テ、今日改メテ朝廷守護ノ列藩ト共ニ各国公使ニ会同シ、此盟約ヲ定ム、自後普ク日本人民ト、外国人民トノ交際厚ク、誠実ヲ尽シ、互ニ疑惑ナキヲ以テ主意トナサン、故ニ大小ノ事件、外国ニ関係スルノ務ハ、外国事務局ノ専任ナルヲ以テ、我等ニ就テ帝ニ建言スルヲ要セヨ
各国公使曰、先般兵庫ニテ布告アリシ其証明白ニシテ、今日改メテ列藩会議帝普ク政令ヲ下シ、両国人民ノ為メ、広ク信睦ヲ求メ、互ニ誠実ヲ旨トナスハ、我各国ニ於テモ、兼々渇望セシ処ニシテ感悦之至ニ堪ス、自今 朝廷帝ヲ以テ日本ノ主府ト仰キ、万事其政令ヲ奉セントス
一、亦日、此度万国ト我カ帝ト条約ヲ改メシ上ハ、各国公使ニ帝自ラ封面シ、盟約ヲ立ン、故ニ不日上京アルヘキ旨、各国公使ニ可申入帝ノ命ヲ奉シ候
公使曰、恐入候、談合ノ上、明後日否可申上
一、亦曰、当今戦争ノ後ハ、京摂及ヒ諸所ニ、鎮撫ノ師ヲ出シ、過半其政令行ハレ、既ニ各国ノ諸侯ヲシテ、徳川慶喜征討ノ師、京ヲ発セシ上ハ、不日ニ其成功アルヘキハ勿論ナリ、自ラ横浜、箱館、外国人在住ノ場所ハ朝廷ノ官吏ヨリ、人民安堵ノ令ヲ下スヘシ則慶喜ヲ征討スル事実明白ノ罪状、書面ヲ布告スヘキナリ
公使曰、慶喜ヲ討伐ノ師既ニ京師ヲ発セシ上ハ、関東ノ形勢安心ナリカタシ、若早ク帝ニ拝謁スル能ハズンハ、速ニ浪華ヲ去り、横浜ニアル人民ノ為メニ、彼地ヲ鎮静センコトヲ欲ス
一、亦日、明日中ニハ上京ノ日限申来ルヘク、夫マテ滞坂、其上進退セラルヘシ
公使曰、帝ニ謁スル期限ノ日数ヲ確定シ、以テ此事ヲ約セン
一、亦曰、今日必相分ルヘシト雖、弥確定スルハ明十五日ト定ムヘシ
然ラハ明後十六日十字ノ朝、米国公使館ニ於テ再会シ、各般ノ諸事件ヲ約定セン
右之通ニテ相済、申ノ刻、各聞公使退出セリ
【各国公使参朝被仰付】
先般外国御交際之儀
叡慮之旨被仰出候ニ付而者、万国普通之次第ヲ以、各国公使等御取扱被為在候、然ル処此度御親征被仰出、不日御出輦被為遊候ニ付而者、御余日モ無之御事ニ付、各国公使急ニ参朝被仰付候ニ付、此段可相達被仰出候事
【太政官の責任】
外国御応接之儀者、上代崇神仲衷、御両朝之頃より年を逐而盛に成来り遠迩之各国、帰化貢献有之、其後唐国とは常ニ使節相往来、或ハ居留し、其交際も亦自ら親敷候、此時に当り、船艦之利未ダ開けす故ニ三韓四近と唐国而巳、西洋各国之事者暫差置、印度地方尚明確ならす候、然るニ近代ニ至り而者、万民所知之如く船艦之利、航海之術、其妙を窮め、万里之波涛比隣之如く相往来し、一時幕府之失措トハ乍申皇国之政府に於て誓約有之候事ハ時之得失に因テ其条目者可被改候得共、其大体に至り候而者、妄に不可動事、万国普通之公法ニして、今更於朝廷是を変革せられ候時者、却而信義を海外各国ニ失ハセられ、実以不容易大事ニ付、不被為得止、於幕府相定置候条約を以、御和親御取結に相成候、既ニ先般御布令被為在候上者皇国固有之御国体と万国之公法とを御斟酌御採用ニ相成候者、是亦不被為得止御事ニ候仍而越前宰相以下建白之旨趣ニ基き、広く百官諸藩之公議に依り、古今之得失と万国交際之宜を折衷せられ、今般外国公使入京参朝被仰付候、元来膺懲之拳ハ万古不朽之公道にして、縦令和親を講するとも、其曲直ニ依而、各国不得止之師相起り候其例シ不少、付而者、攻守之覚悟、勿論之事に候得共、和親之事ハ於先朝既ニ開港被差許候ニ付皇国と各国との和親、爰に相始り居候処、其節者幕府江御委任之儀ニ付、諸事交際之儀、於幕府取扱来り候、然る処此度王政一新万機従朝廷被仰出候ニ付而者、各国交際之儀、直ニ於朝廷御取扱ニ可相成者元より之御事ニ候、今や御初政之御時、総而之事件者、全く総裁始当職之責ニ有之候、何分某等不肖之身を以て、大任を負荷し、非常多難之時に逢候上は、深く恐惧思慮を加ヘ、天下之公論を以て、及奏聞、今般之事件御決定被為在候、且国内未タ定らす、海外万国交際之大事有之候得共、普天率浜、協心戮力、共ニ王事ニ勤労し、万国交際を始、万機悉く既往将来を不論、無忌憚詳論極諌有之度、只急務とする処者、時勢ニ応し、活眼を開き、従前之弊習を脱し聖徳を万国に光耀し、天下を富岳之安に置き列聖在天之神霊を可奉慰、上下挙而此趣意を可奉謹承候事
太政宮代三職
二月十七日