太政官日誌・明治2年106号

太政官日誌 明治二年 第百六号
明治己巳 自十月廿五日 至十一月十二日
東京城第六十九
○十月廿五日〈癸亥〉
【鎌倉ノ善介百金献納ノ事】
御沙汰書写
東京府
鎌倉町家持善介、先々代ヨリ天朝御報恩ト称シ、日々積銭致シ、現今百金ニモ及ヒ、此度献納仕度願出被差許候、軽キ者トシテ奇特之事ニ付、格別之訳ヲ以テ、紬二疋被下之候間、於其府取セ可遣事
○廿七日〈乙丑〉
【若松戦歿者招魂祭ノ事】
御達書写
若松県
昨年来、其地出張之兵士戦没之輩、於其県墳墓取建、年々招魂祭可執行事
【志士並其遺族取調ノ事】
先般厚キ思召ヲ以、癸丑以来国事ニ斃レ候者幷其妻子等、於府藩県取調、可申出旨被仰出候処、今以御趣意ヲ奉体セズ、等閑ニ捨置候向キ、又ハ取調甚粗略ニテ、不分明之廉等モ有之候ニ付、猶又今度其姓名、郷貫、事蹟等、確実細詳取調ヘ、早々可差出旨、更ニ御沙汰候事
○廿九日〈丁卯〉
【上州騒擾ニ付御沙汰ノ事】
御沙汰書写
高崎藩
其藩支配所、上州群馬郡四郷、畑方永納幷延口米等、減納願之儀、兼テ府藩県一致之御制度被為建候御趣意ニ付、速ニ御料所同様、御改革可相成筈ト心得、旁難渋申立之趣、一応尤之儀ニ相聞候得共、地所之厚薄モ有之、且従来之定額ヲ以テ、既ニ昨年迄無滞相納来候処、当年ニ至リ、岩鼻県同様之納方ニ相成候様、下民共強訴ニ及ヒ、終ニ暴挙ニ立至リ候次第、愚昧賤劣トハ乍申、不束之至ニ候、尤数百年来之税則等、一時ニ相改候ハ、不容易儀ニテ、他境ニモ差響キ、民心ニ関係シ、大事件ニテ、追々御所置之品モ可有之候得共先旧貫ニ随ヒ、農業出精候様、厚ク理解ニ及ヒ可申候、尚当年不作之向ハ、其藩ニテ取調相当之納方申付候様可取計旨御沙汰候事
○十一月二日〈己巳〉
板倉栄次郎ヘ宣下状写
天皇
御璽
源勝弼
叙従五位
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
天皇
明治
御璽
二年己巳十一月二日
天皇
御璽
従五位源勝弼
任高梁藩知事
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
天皇
明治
御璽
二年己巳十一月二日
【大阪城管轄ノ事】
御沙汰書写
兵部省
大阪城其省管轄被仰付候事
但、外国人士官之者、城内拝見願出候節ハ大阪府申談可取計事
○ 大阪府
別紙之通、兵部省ヘ御沙汰相成候ニ付、此旨相達候事
【東京府下武家地管轄ノ事】
〇東京府
戸籍改正之儀ニ付テハ、深キ思食ヲ以、先般其府ヘ御委任被仰付、追々市在戸籍取調之順序相立候得共、武家地之儀ハ、従来之体裁ニ因襲シ、其管轄スル処不分明、随テ取締等モ精密難行届ヨリ、自然無頼之徒潜伏、往々押込強盗等之所業ヲ恣ニシ、下民之困厄不一形候ニ付、其府申立之通、自今府下市在ハ勿論、武家地共、一切其府管轄ニ被仰付候間、戸籍一般之仕法取調、府治之体裁相立候様可取計旨御沙汰候事
御沙汰書写
東京府下武家地管轄之儀、従来不分明ニ候処自今東京府管轄ニ被仰付候間、為心得此旨相達候事
【無刀乗馬取締ノ事】

近来無刀ニテ乗馬之者有之、右ハ素ヨリ士族之輩ニハ有之間敷候得共、口附其他之者共、兵隊ニ相紛シ、右体之所業致シ候者有之哉ニ相見ヘ、如何之事ニ付、向後不心得之輩無之様、其主裁主裁ヨリ、屹度取締可致事
○三日〈庚午〉
【松平慶三郎華族ニ列セラル】
御沙汰書写
松平慶三郎
今般家名被立下、華族之列ニ被置、於陸奥国高三万石支配被仰付候事
但、郷村高帳之儀ハ、追テ御沙汰可有之候間、受取候上、藩名可申出事
○ 飯野藩知事保科正益
松平慶三郎ヘ、別紙之通被仰付候間、此段可相達事
○四日〈辛未〉
【皇后宮行啓供奉被免ノ事】
御沙汰書
熊本藩
皇后宮行啓ニ付、其藩兵隊、供奉御警衛被仰付置候処、被免候事
○ 稲葉篤実
皇后宮行啓供奉御警衛被仰付置候処、被免候事
○ 姫路藩
皇后宮行啓ニ付、其藩一門兵隊引率、供奉御警衛被仰付置候処、被免候事
○五日〈壬申〉
【逮部司設置ノ事】
御沙汰書写
刑部省
今般逮部司被置候事

今般刑部省中、逮部司ヲ被置、職員如左
正一員
大佑二員
少佑二員
正九位相当 伍長二十員
逮部八十員
右之通被仰出候間、此旨相達候事
【大学校主簿官位ノ事】

大学校
其校主薄官位相当之儀、更ニ御詮議之筋有之左之通被仰出候間、此旨相達候事
大主薄 是迄之通
権大主薄 新置 従七位官
少主薄 改 正八位官
権少主薄 新置 従八位官
【勢州百姓蜂起ノ事】

忍藩
其藩支配地、勢州三重郡、朝明郡、員弁郡村々百姓蜂起、庄屋始数十軒打毀候始末、全ク疾苦之情実有之候ヨリ、差起リ候儀ニハ可有之候得共、斯ク粗暴之挙動ニ及候ハ、往々姦猾之徒、煽動之次第モ有之、右様悪風推移候テハ、大ニ御政体ニ関係シ、甚以不容易事ニ候、屹度巨魁之者取調、処置方刑部省ヘ可窺出候事
【香春藩禄米献上ノ事】
〇香春藩知事小笠原忠悦
先般以御蔵米賜リ候藩禄之儀、当分之内献上致シ度願出候処、右者全ク厚キ御詮議ヲ以テ下賜候儀ニ付御聞届ニ不相成候得共、一藩困窮之折柄朝廷内外御多端、御入費不少段ヲ奉察シ申出候条、神妙之至被思食候、此旨相達候事
○七日〈申戍〉
【皇后宮行啓ニ付京都府下人民鎮静ノ事】
御沙汰書写
中御門留守長官
今般皇后宮啓行ニ付テハ、京都府下人民致動揺候処、格別尽力、速ニ及鎮静候段、神妙被思食候、依之目録之通下賜候事〈絹一疋末広〉
○ 長谷京都府知事
今般皇后宮啓行ニ付テハ、府下人民致動揺候処、格別尽力、説諭方行届、速ニ及鎮静候段、神妙被思食候、此旨相達候事
【皇后宮供奉者ヘ下賜ノ事】

稲葉篤実
皇后宮啓行ニ付、供奉苦労ニ被思食候、依之従皇后宮、御末広、御直垂地幷御酒肴下賜候事
○ 熊本藩隊長 平山彦三郎
皇后宮啓行ニ付、藩兵引率、供奉苦労ニ被思食候、依之従皇后宮、御絹幷御酒肴下賜候事
○ 姫路藩重役 永田武
右同文
○九日〈丙子〉
【村上藩不協和ノ事】
御沙汰書写
内藤藤翁
村上藩儀、正邪混淆、一藩不協和之趣相聞ヘ以之外之事ニ候、尤知事幼弱之儀ニ付、其方後見被仰付候間、早々帰藩、兼テ被仰出候御趣意ヲ奉体シ、屹度藩職ヲ尽シ候様可致旨御沙汰候事
○十日〈丁丑〉
【林藤助家名取立ノ事】
御沙汰書写
林藤助
今般家名被立下、高三百石下賜候事
○ 唐津藩知事小笠原長国
林藤助ヘ、別紙之通被仰付候間、此旨可相達事
○十二日〈己卯〉
【新貨鋳造ニ付大砲御買上ノ事】
御達書写
今般新貨幣御鋳造ニ付、藩々ニ於テ、当今無用ノ銅製大砲、所持致シ候ハヽ、相当之代価ヲ以テ、御買上ケニ相成候間、東京真崎鋳銭座ヘ申出、早々廻シ方可取計、尤便利之為吹崩シ、相廻シ候トモ不苦候、猶委細之儀ハ、大蔵省ヘ可承合候事