太政官日誌 明治二年 第五十七号
明治己巳 自五月廿八日 至六月二日
東京城第二十
○五月二十八日〈己亥〉
【社寺ノ諸願伺ノ事】
御達書写
社寺之分、諸願伺等、畿内幷山陽、山陰、南海、西海之諸道、東海道ハ伊勢迄、東山道ハ美濃、飛騨迄有之候者、是迄之振合ヲ以テ、京都ヘ可申出旨、曽テ御布告相成候処、向後ハ都テ東京ヘ可申出候事
但、在京神祇官ヨリ、参向致シ候ニ付、最寄之神社勅祭ニ付、諸願伺届等ハ、在京同官ヘ可申出候事
御沙汰書写
【○横田大助修身扶持下賜ノ事】
横田大助
其方儀、多年之勤労、神妙之至ニ候、依之終身六人扶持下賜候事
【渡辺儀右衛門外十三名ヘ下賜ノ事】
〇各通
渡辺儀右衛門
山崎伝太郎
榊原三郎兵衛
嶺幸右衛門
堀達左衛門
雪野淵之進
勤仕中、格別励精之段、神妙之至ニ候、依之布一匹幷金五十両下賜候事
○各通
小笠原弥右衛門
高須梅三郎
杉本行蔵
高嶺清八
中村石平
岡田助三郎
宮池友次郎
藤田荘右衛門
勤仕中、格別励精之段、神妙之至ニ候、依之布一匹下賜候事
【贋造金取締ノ事】
御布告書写
金銀貨幣ハ、国ノ重宝、四民頼テ生活スル所ニ候処、近来私ニ贋金ヲ鋳造シ、内外ニ流通シ、甚シキニ至テハ、両替屋私ニ相場相立、売買致シ候者モ有之趣、相聞ヘ、以之外ノ事ニ候、自今以後、両替屋ハ勿論、諸商人ニ至ル迄、贋金取扱候者於有之ハ、厳科ニ被処候間、右様所業之者見当リ次第、無用捨取押ヘ其筋ヘ可訴出旨御沙汰候事
【金札御振出差止ノ事】
金札之儀ハ、十三ケ年限通用ヲ以テ、御発弘相成候処、今般御仕法被改、別紙之通、引替之道、被相立候ニ付而ハ、第一御金繰ニ相関候ニ付、先般御布告相成候五千万両之製造増被差止候、尢是迄御製造相成候惣高之内、千三百万両余ハ、府藩県石高ニ応シ貸附、千四百五十万両余ハ、昨夏以来之御入費払出相成凡五百万両相残候得共、右ハ当年貢税相納候迄之御入費ト被相定候、外ニ、府藩県石高拝借相残候分、有之候得共、国力ニ不応、御振出相成候而ハ、弥々御引替之道、難被相立候ニ付、前件御員数三千二百五十万両之外、御振出、断然被差止、製造機械焼棄、被仰付候間、此旨相達候事
【正金々札引替ノ事】
〇金札引替之道、可被相定候ニ付、相場被廃、正金同様通用可致旨、御布令相成候処、今度天下之侯伯ヲ被為召、会議之上、全国之力ヲ併セ、前途会計之基礎ヲ被定、当冬ヨリ新貨幣鋳造、来申年迄之間、引替可被下候、若右年限中、引替相残金札所持致シ候者ハ、一ケ月五朱之利足ヲ以テ、七月、十二月両度ニ割合、御払下被仰付候間、今後万一御趣意心得違候者於有之ハ、別紙掟書之通、御処置被仰付候間、此旨相達候事
掟
一、正金々札引替ニ、打ヲ取リ候者ハ、其打金丈ケ之罰金ヲ可為差出事
但、打ヲ出シ候者ハ、其半高之罰金ヲ可為差出事
一、再度打ヲ取リ候者、其打高ヲ倍シ、罰金可為差出事
但、打ヲ出シ候者ハ、其打高ノ罰金ヲ可為差出事
右之通、罰金法被立置候ニ付而ハ、金札ヲ嫌ヒ、融通ヲ妨候者ハ、相当ノ罰金ヲ可為差出候、素ヨリ役筋之者、広ク吟味探索等致候得共、下方ニ於テモ、見聞致シ候者ハ、無用捨白封ヲ以テ可訴出候、然ル上ハ、其罰金高之八割ヲ以テ、訴人ヘ御褒美可被下候事
○六月朔日〈辛丑〉
【福山隊ヘ御沙汰ノ事】
御沙汰書写
福山兵隊
今般函館平定、凱陣之趣被聞食、就而者、長々出張尽力、深ク感賞被思食候、依之速ニ帰国休兵可致旨御沙汰候事
但、軍労為御慰撫、不取敢目録之通、酒肴下賜候事
○二日〈壬寅〉
【亀井中将従四位上宣下】
宣下状写
亀井中将
叙従四位上
右宣下候事
【南部家版籍奉還ニ付上表ノ事】
南部雄麿上表写
先般、宗家利恭、新恩之封土ニ候得共、版籍奉還、微臣信方儀、於旧領、今般土地拝賜之処、素ヨリ同意ニ付、宗家同様、土地人民ニ至迄、奉返上度奉存候、宜御執奏奉願候、誠恐謹言
六月
南部雄麿 信方花押
弁事御中
【箱館官軍勝利ノ事】
函館報知書写
前略、過ル四月、海陸進軍已来、諸口共、山路嶮難、平原谷地、長々之暴露、兵士之難渋不一方候得共、何レモ奮戦、官軍大勝利之概略、左ニ布陳、同月六日官兵乙部上陸、同日江差乗取、同十七日福山恢復、同廿日木古内口賊敗走、同廿九日矢不来台場落去、同日二股台場遁走、五月四日大川口大敗走、同十一日函館回復、同日弁天崎台場詰之賊降伏、同十六日元津軽陣家落去、同十八日、五稜郭之賊首謀榎本以下四人、其余若干、謝罪降伏願出者、諸口之降伏、凡三十人程モ有之候、右ニ付、函館平定之始末、早速報知之為、森清蔵、岸良彦七差出候間、委細両人ヨリ、御聞取可被下候
監軍 三刀屋七郎次
右者四月十七日、江良丁戦争之節手負
監軍 駒井政五郎
右者同月廿三日、鶉越二股戦争之節戦死