太政官日誌 第百八
明治紀元戊辰冬十月
十月七日秋田藩届書写其三
【〇羽州鬼ケ城ノ戦】
八月九日、十二所口放火ノ煙相見ヘ、当領内羽立口ヨリ、南賊襲来ノ様子有之ニ付、大和直々出兵、夜中鬼ケ城ニテ防戦致シ候、同十日、賊薮蕪ヲ跋渉シ来リ、鬼ケ城山下二ケ村ヘ、放火致シ、近村ヘモ迫候様子ニ付、処々手分ケ、防禦ノ手配致シ候、同十一日、二ノ渡リ鬼ケ城山ニテ防戦、味方小勢甚苦戦、遂ニ賊兵ヲ討散シ、味方ノ兵ヲ新沢口迄相進候得共、衆寡難敵、賊地ヘ討入兼候、其節討死左之通
討死 根本六左衛門
同十二日、十二所ヘ応援ノ兵隊ト同様、山館村マテ進軍致候処、折節朝霧深ク、遠近不分、不意ニ賊ノ屯所ヘ出テ、互ニ抗戦、双方引揚ニ相成候、此節津軽応援ヲ兵隊モ、跡ヨリ繰出候、其節討死、手負、左之通御座候
討死
青柳外記
中田安太郎
佐藤角之助
手負
石井内之丞
秦佐五郎
吉成新太郎
支配足軽 松本甚五兵衛
秦佐五郎家来 畠山三平
葛原村拠人 木次谷源十郎
右之通一門佐竹大和ヨリ申越候間此段御届申上候以上
八月
○
【官軍羽州横手ニ篭城ノ事】
八月九日、岩崎村屯集ノ賊徒外ノ目坂ヘ進来ノ報知有之、同日未ノ刻頃、横手ヨリ半里許向フ安田原ト申処ニ進軍仕候処、申ノ刻頃、沢殿ヨリ賊勢暴強相迫候故、一ト先勢焔ヲ避ケ、総軍横手ヲ引揚ケ同所空城ニ相成候ニ付、安田原ヨリ潜行、早速兵隊引揚ケ可申趣、御指揮有之、即チ同所ヨリ引揚ケ、大学一手ヲ以テ、篭城防戦ノ手当仕候、同十一日、横手ヨリ南ハ山崎、西ハ赤坂村関根村ヘ賊徒迫候ニ付、附属戦士並ニ足軽外ニ家人相纏。都合二百八十人篭城罷在候処、賊兵千余人、三方ヨリ進撃、同日午ノ刻頃、横手城下川原町ト申所ニテ、賊積薪ヲ楯トシ或ハ蛇ノ崎町家ノ陰ヨリ、烈舗発砲、味方ヨリモ頻ニ砲発候得共、賊徒大勢、大小砲四方ヨリ進来リ、烈敷打懸、味方討死手負モ有之、且ツ本丸、二ノ丸ヘ破裂丸飛ヒ来リ、双方一時ニ燃上リ、当城難保、無拠申ノ剋、二ノ丸裏門ヨリ引退キ候処、賊勢盛ニシテ四方合囲退ニ無道、即竜昌院間道ヘ相廻候処、賊三百人許進撃砲発、味方モ烈舗発砲、賊徒ヲ追立或ハ刀鎗ヲ以テ闘撃ニ及、大学自ラ賊二人ヲ切倒シ、外ニ手下ノ者共、賊徒ヲ数多打留候得共賊兵少シク、退散苦戦ノ場合首級揚候間無之、漸ク間道一方ヲ切破リ、金沢村ヘ引退申候、其節討死、手負、左之通
討死
戸村大学組戦士 前沢主殿
沼田瀬兵衛
沼田宇源太
妹尾馬之助
妹尾五郎兵衛
石川隼太
横山清右衛門
横山喜四郎
妹尾伝蔵
小鷹狩源太組戦士 伊藤忠蔵
戸村大学家人 松野小倉
加藤三郎兵衛
黒沢宗兵衛
飯泉伝三郎
同人徒士 大関嘉右衛門
同人仲間 儀助
手負
小鷹狩源太組戦士 佐川兵助
戸田大学戦士 椎名弥五右衛門
大庭権九郎
赤尾関市兵衛
同人支配足軽 次釜茂助
菊地治兵衛
小坂喜兵衛
同人徒士 三浦忠太郎
右之通、一門戸村大学ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月
○
【横手城応援ノ事】
八月十日、浅舞村在陣ノ砌、監軍上田雄一ヨリ、大曲村迄繰揚候様、報知有之処、物頭高屋五左衛門駆来リ、横手ヨリ総勢繰揚候ニ付戸村大学他力ヲ不頼、横手ニ於テ一手ニテ篭城、防戦ノ覚悟ト相見ヘ候ニ付、応援相成間舗哉ノ趣、申聞ケ有之、浅舞ヨリ横手ヘ進軍仕候、同十一日、田村ヨリ進軍ノ砌田村、八柏村ノ間、平原ニ賊ノ屯所有之、砲発闘撃致シ候得共、地利不便、引揚候処賊進来ニ付、物頭信太勇横合ヨリ砲発致候ニ付、賊引揚申候、依テ惣勢角間川村ヘ引揚申候、其節死傷左之通
討死
物頭 関口小弥太
与力 阿部久吉
与力 石川市三郎
今村喜右衛門手新組足軽 市郎兵衛
手負
銃士 川口五郎助
旗付 高橋広吉
鷲尾庫之助組足軽 坂本南右衛門
大越強太組足軽 忠之助
右之通軍将古内左惣治ヨリ申越候間此段御届申上候以上
八月
○
【羽州扇田十二所附近ノ戦】
八月十二日、扇田村ヘ南賊七百人許屯集ノ報知有之、茂木筑後、須田政三郎寅ノ刻頃、羽出村ヨリ人数繰出シ、賊ノ屯所ヲ襲候得共、猶先陣筑後手潜居、後陣政三郎手備ヲ立テ、先後ノ手配整頓ノ上、政三郎手ヨリ大砲一発相図ニ付、筑後手ヨリモ烈舗発砲、奮戦、賊兵敗走候ニ付、猶更進撃村中マテ追討候処、賊兵又々駆出相禦キ候ヲ、四五人切倒シ、残リナク逃散候ニ、其ヨリ二丁許向、神明ノ社ヘ賊五百人許又々屯集進撃ニ付、兼テ伏セ置候槍刀隊、急々突出奮戦、賊兵敗走候処、十二所近辺ヨリ、賊ノ応援千人計繰出シ、三方ヨリ進来、段々多勢相加リ候模様、味方二百四十人余ノ小勢、難防戦、一ト先本陣早口村ヘ引揚候、此節賊兵五十人モ討留メ候、其内首級十三ヲ得、兜首二ツ有之候、其節討死、手負並分捕、左之通
討死
茂木筑後部下戦士 忍弟吉
武田富蔵
深手負
曲木兵部
岡本政吉
月居半左衛門
高宮治右衛門
菊地順之助
大森源治
佐竹組足軽 宮野和三郎
手負
茂木組戦士 城寛太
佐竹大和部下戦士 石井孫之助
菊地数之助
平沢文吉
葛原拠人 濃次玉源十郎
分捕
太刀 五本
脇差 三本
槍 二本
陣笠 二ツ
鉄砲 一挺
玉薬 一箱
胴乱 一ツ
着込 一ツ
小袴 一具
三徳 二ツ
合財袋 二ツ
金子 五両
右之通家老須田政三郎ヨリ申越候間此段御届申上候以上
八月
○
【旗奉行堀尾茂戦死ノ事】
八月十三日、賊進撃ノ様子ニ付、仙北郡飯詰村ヘ繰出シ候処、角間川ヘ進撃致候、茂木秀之助一手、介川敬之進一小隊、橋本助右衛門二小隊、新庄勢共ニ苦戦、応援可致段、肥藩報知有之、直ニ進軍、大久保村近辺迄繰出候処、角間川ヘ進撃ノ人数、既ニ引揚候ニ付、同所ニ於テ備ヲ立扣居候、然ル処、肥州勢長崎隊共追分マテ進軍、同所ニテ防禦可致報知有之、迅速同所マテ引揚ケ、共ニ備ヲ立扣居、同十四日小貫高畑村間道ヨリ、六郷村屯集賊兵ヘ進撃可致手配ニテ、先鋒トシテ兵隊繰出候処本道砲声烈舗聞ヘ候ニ付、横合ヨリ突出、味方ヘ応援可致、積ニテ進軍致候処、六郷村後田間ノ小道ヨリ、賊兵二百人余、烈敷発砲致候ニ付、新庄勢ト戮力防戦、其節旗奉行堀尾茂群ヲ出指揮苦戦ノ砌、砲丸左腹ヲ貫候折柄、賊愈烈舗発砲、不得止惣勢隊三四丁程引揚候所、肥州勢応援ニ逢、本陣迄繰引致シ候、其節討死、手負、左之通御座候
討死
旗奉行 堀尾茂
金子与治右衛門
手負
在近士庄助
梅津専之助家来 塚田民蔵
右之通、番頭梅津専之助ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月
○
【羽州角間川ノ戦】
八月十三日、辰牌物頭田中数馬、番頭小野寺佐賀、神宮寺新町ヨリ出兵、角間川ヘ繰出シ候処、砲声烈シク相聞得候ニ付、村外ヘ押寄候処、賊田面一帯ニ散布、発砲厳シク、茂木秀之助並新庄勢村外ヨリ二町余隔テ、杉林ノ中ヨリ砲戦ニ付、直ニ其場迄押出シ、暫ク闘争致候処、賊勢益々熾ンニ、前後ヨリ囲打タレ、一同苦戦ニ相及ヒ、弾薬モ尽キ、死傷モ多分、且応援モ無之、無拠引揚ケ候、討死、手負、左ノ通
討死
与力 吉田謙之助
以下田中数馬組足軽 妹尾久之助
斎藤正治
佐藤市左衛門
西館勇之丞
西館勇七
佐藤官次
小野寺佐賀家人 渡辺梅之助
田中数馬下人 竹蔵
手負
番頭 小野寺佐賀
足軽 西館平七
右之通、物頭田中数馬ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月