太政官日誌 第百七
明治紀元戊辰冬十月
十月七日秋田藩届書写其二
【〇羽州洗釜中ノ瀬附近ノ戦】
当七月廿九日、監軍山本登雲助ヨリ回達ニテ佐藤日向一手、内膳物頭簗隼太、宇佐美慶吾二小隊差遣シ、亀田勢ト合併、中ノ沢エ出張洗釜ト申所エ番兵差出シ、荒川久太郎手エ、物頭沼井市之助、竜田雄之助二小隊合兵、関村エ備居、小滝エハ小野崎三郎、梅津千代吉、出張罷在候所、本月朔日洗釜エ賊兵押寄、一時余モ烈敷砲戦、段々味方引揚ノ様子ニテ、洗釜、中ノ沢ニ火揚リ、亀藩勢日向手関村迄引揚ケ、日向手ノ内一小隊、同所高手ニ備ヘ一小隊物頭ト合兵、山手エ散布、亀藩ハ太白院、下沢間エ繰出シ、後口エ回ル敵ヲ押ヘ候得共、賊兵味方ニ比レハ数倍ニテ、小砂川道観音山、海手三方ヨリ押来リ、且小滝表ヘモ賊徒押寄セ激戦、海辺、山上、沢路トモ皆賊兵ナリ、乍去、久太郎踏止リ、午ノ刻過迄苦戦候得共、衆寡不敵、遂ニ関村エ引揚ケ候時、賊山手ヘ上リ烈発、同所モ已ニ放火被致候故、無拠新屋松原迄引揚ケ候、爰ニ肥藩ノ勢並内膳モ、為救援進軍致シ候処、敵兵退散致シ候故、会議ノ上、監軍ノ差図ヲ以テ、総軍金ノ浦ト申所迄引揚ケ、又集議ヲ尽シ、遂ニ本庄城下迄引揚候、右戦争中討死、手負、左之通御座候
討死
荒川久太良手銃士 杉村嘉蔵
佐藤日向手銃士 田所勇之進
樋口平蔵
竜田雄之進組足軽 嘉三郎
手負
渋江内膳手物頭 沼井市之助
荒川久太良手銃士 岡見竜蔵
石川学治
荒川久太良手銃士 森田清之進
下田寅三郎
佐藤日向手銃士 那珂順治
小野崎三郎手戦士 棚谷小市
同 棚谷永之進
与力 小笹左司馬
同 豊間多嘉治
佐藤日向手小人 小沢清四郎
銃丸ニ当リ即死 夫役一人
夫役 一人
右之通、軍将渋江内膳ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月
○
【羽州本庄領吉沢口ノ戦】
本月五日、津軽藩二小隊先鋒ニテ、内膳手梁隼太、高根郡司、須田七郎右衛門、広瀬右馬助、岡崎謹治等隊長ニテ、銃隊、槍隊ヲ引率シ、本庄領吉沢口ヘ進戦、相挑ミ候処、賊兵林中ニ散布、烈シク発砲、戦時ヲ移シ、夜ニ入リ、賊兵新上条村ト申処ヘ進ミ、発砲致候ニ付、岡崎謹治槍隊組十二人、外ニ刀剣ニ秀出セル者十人、賊兵ノ屯処ヘ衝突致シ、手配ヲ定メ、賊ト其間数十間許ニ相成候処、賊村家ヘ火ヲ放テ退ク、味方一斉鯨波ヲ揚ケ、是ヲ追撃、或ハ突キ、或ハ斬、賊数人ヲ斃ス、然モ苦戦ノ場合、一々首級ヲ揚ルニ無暇、其侭打棄候、此時賊兵多勢、砲発不絶、味方小勢且困弊致シ候故、無拠前郷村ヘ引揚候、然ル処、参謀ヨリ浜手ノ肥藩危難ニ付、早々赴援可致趣キ達シ有之、即出発致シ候処、肥藩勢已ニ引揚ノ後ニテ、監軍山本登雲助一人残リ居リ、右差図ヲ以テ亀田領石脇ヘ引揚、其後長浜ト申処ニ宿陣罷在候、新上条村ニテ討死手負左之通
討死
戦士 北村宇吉
下田寛治
土濃塚文治
小野常助
金鼓付添士 北条駒之助
沼井市之助組足軽 猿田良助
手負
江田三之助
奈良岡清治
宮沢金蔵
小荷駄与力 北条宇吉
大筒方 道源喜三郎
戦士 大内武治
旗附添士 宇留野忠治
梁隼太租足軽 船木盛之助
蓮沼七左衛門組足軽 鈴木運吉
右之通軍将渋江内膳ヨリ申越候間此段御届申上候以上
八月
○
【羽州岩崎附近ノ戦】
八月八日、賊兵岩崎村ヨリ襲来ノ牒知有之、同日卯ノ半刻頃、外ノ目坂本陣ヨリ、小倉小隊長葉山平右衛門、志津野源之丞手同様繰出シ、若狭手二手ニ相成リ、先鋒トシテ、一手ハ本道、一手ハ間道ヨリ進撃仕候処、本道ノ味方ヘ、賊一同ニ連発、砲声烈敷打懸候ニ付、間道ノ味方、手早ク本道ヘ回リ、一手ニ相成リ、鯨波ヲ作リ厳敷打懸候処、賊山手ヘ上リ三方ヨリ打懸、味方小勢ニテ、甚タ苦戦ニ相成候得共、踏止リ闘撃致候内、葉山平右衛門ヨリ引揚ノ趣申来候ニ付、無拠本陣迄引揚申候、其節討死左之通
討死
大山若狭組戦士 白坂小市郎
同人支配足軽 吉右衛門
角右衛門
右之通、一門大山若狭ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月
○
【羽州島村附近ノ戦】
本月八日、賊襲来ノ報知有之、佐竹三郎名代トシテ、同人部下並家臣ヲ相率ヒ、平鹿郡島村ト申処ヘ、一番ニ繰詰候処、為応援肥州勢長崎勢出張、賊兵ト川ヲ隔テ陣列シ、当手ヘ長崎勢一小隊合併、卯ノ刻ヨリ午ノ刻頃マテ、互ニ砲発闘争致シ候得共、賊兵愈相加リ、長崎人数モ已ニ引揚候ニ付、衆寡不敵、無拠本陣マテ引揚候賊徒死傷、余程有之様子ニ候得共、川ヲ隔候事故、分明不仕、当手討死、手負、左之通御座候
討死
佐竹三良組戦士 根本半助
芳賀源五郎
手負
星清五郎
芳賀安蔵
下部 忠吉
右之通、一門佐竹三郎名代早川輔四郎、早川佐五郎ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月
○
【羽州角間川附近ノ戦】
八月八日卯ノ刻ヨリ左馬村川原ヘ台場ヲ築キ戦争ノ手配仕候処、同日巳ノ刻頃ニ至リ、賊三百人許角間村川原ヨリ進来リ、烈敷発砲、味方五十余人、台場ノ陰ヨリ、厳敷発砲致シ候得共、小勢ニテ難戦ニ相成リ、是ニ因テ奇兵ヲ設ケ、同処ヨリ西南一丁許後、杉林ノ陰ヘ旗数本ヲ立テ後陣ノ模様ニ致シ、一同ニ鬨ヲ作リ、進撃、暫争戦ノ折柄、巳ノ中刻頃肥藩二小隊並梅津専之助、介川敬之進手応援且ツ肥藩一小隊川ヲ越進候ニ付、味方大ニ力ヲ得、愈進撃奮戦ノ内、肥藩斥候ヨリ増田口破レ、後ヲ絶レ候故、手早ク引抜候趣、報告有之、無拠深間内村ヘ総勢引揚申候、其節手負左之通御座候
手負
戦士 簗猪蔵
軽部貞之進
宮崎谷四郎
小野田半八
足軽 原田長之丞
山崎栄左衛門
同月十二日、角間川村一丁許、愛宕社内ノ脇ヘ台場ヲ築キ、在陣罷在候
同十三日、辰ノ上刻、斥候ヨリ田村屯集ノ賊徒木内村迄進来ノ趣報知有之、諸手ヘ相達、戦争ノ手配致候処、辰ノ中刻頃賊左右ニ分レ進来リ、是ニ因テ左ハ介川敬之進中ハ長藩新庄勢、右ハ秀之助、愛宕社脇ヨリ西方川瑞ハ長藩進撃仕候、辰ノ下刻頃、諸手一同ニ争戦相始リ、巳ノ半刻頃ニ至リ、諸手ノ味方砲声益烈敷、賊勢漸ク弱リ、引色ニ相見ヘ候故、総軍一同ニ鬨ヲ作リ、益進撃仕候処、賊敗走木内村ヘ放火シ逃去候ニ付、当手ハ本陣ヘ引揚申候、同日午刻頃、又々賊兵進来リ、賊勢初ニ倍シ、当手今朝ヨリノ争戦ニテ、罷労仕候得共、蹈止リ闘撃仕候、午ノ下刻頃、小野寺、佐賀、田中数馬為応援、厳敷発砲致シ候ニ付、味方力ヲ得奮戦、仕候処、諸手ノ味方引揚候哉、賊左右ヘ回リ三方ヨリ厳敷打懸、当手小勢ニテ応援モ無之候得共、踏止リ苦戦罷在候処、長藩三原温助ヨリ、早々引揚ノ趣申来リ候ニ付、不得止神宮寺村マテ引揚申候、其節両度ノ戦争中、討死、手負、左之通御座候
討死
組頭 宮崎弥五右衛門
戦士 石井良兵衛
植田新太郎
梅津源三郎
金鼓付添士 石川四郎右衛門
足軽 小松助左衛門
小荷駄方 阿部重左衛門
同手代 敬之助
茂木秀之助家人 登坂鶴治
手負
使武者 君田竹治
戦士 金丸弥右衛門
山口金之助
足軽 嵯峨五右衛門
阿部又之丞
浜野九兵衛
伊藤平治
茂木秀之助家人 皆川吟蔵
右之通、番頭茂木秀之助ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月
○
【介川敬之進戦死ノ事】
八月八日、佐竹三郎、手於志摩村争戦有之ニ付、応援可致肥藩ヨリ申来候ニ付、湯沢ヨリ左ノ方二三丁位相進、瀬谷和三郎一小隊、橋本助右衛門二小隊ト共ニ、戮力陣列、河ヲ隔テ賊ト砲戦ニ相及、追々賊勢川岸ヨリ四五町引退候処、又々川上ヨリ烈敷発砲、味方小勢ニ候得共、永井新右衛門、平沢礼治等、大ニ兵士ヲ励シ戦争、肥藩ヨリ引揚ノ報知有之候得共、猶苦戦致シ候内、総軍引揚ニ付、不得止平鹿郡植田村迄繰引致候、其節討死、手負、左之通御座候
討死
介川敬之進銃士 秋山鶴治
橋本助右衛門手銃士 高杉清八
手負
介川敬之進銃士 小田内勇助
杉野礼助
清水理市
瀬谷和三良手銃士 下河辺久左衛門
佐々木忠治
若木才治
同九日、賊三隊許、西山ノ方ヘ回リ候報知有之候処、味方小勢、且応援無之ニ付、防禦難相成、角間川迄引揚候、同十一日、賊山伝ヒニ角間川ヘ襲来候報知有之、直ニ進撃、田村ニテ賊兵ヲ追散シ、聊分捕モ有之候、同日諸手大曲村迄引揚候得共、角間川ハ要地ニ付茂木秀之助同様、同処ニ於テ防禦ノ手配致シ候、同十二日、長藩三原温助ノ指図ニ付、大久保村ヘ引移リ、専防戦ノ手配致候、同十三日早暁、角間川本道ヘ進撃ノ茂木秀之助手並本庄勢賊ト争戦ニ相及、巳ノ刻ニ至リ苦戦ノ様子ニ付、直ニ進撃、半小隊賊ノ横合ヨリ後ヘ回リ候処、賊其体ヲ見テ、引色ニ相成候ニ付、本道ノ味方力ヲ得、大ニ進撃、瀬谷和三郎手、橋本助右衛門手モ大久保村橋辺ノ賊ヲ追散シ、共ニ戮力、秀之助同様木内村迄追詰候処賊民家ヘ放火致シ難進、暫時田畝ニ扣居候内、賊前ノ萱原ヨリ百人許突出、頻ニ致発砲候ニ付、味方三手ニ相分レ防戦、折柄賊後ヘ回リ、前後ヨリ厳敷発砲、大ニ苦戦ニ至リ候得共、隊長介川敬之進蹈止リ奮戦、長藩三原温助ヨリ、引揚ノ報知両度有之候得共、猶力闘ノ内、諸手多分引揚ニ相成、賊三方ヨリ致進撃候ニ付、肥藩並諸手ヘ応援相頼候処、既ニ総勢引揚ニ相成、応援モ無之候得共、敬之進愈兵士ヲ励シ、奮戦致シ候処、弾薬モ尽キ、死傷モ多分ニ相成、敬之進弾丸ニ被貫、不得止大曲村迄引揚候、其節討死、手負、左之通御座候
討死
隊長 介川敬之進
隊長 橋本助右衛門
介川敬之進銃士 渋川謙之進
田所養蔵
水戸部才吉
山県此作
黒沢常蔵
梁慎五郎
橋本助右衛門銃士 仁平文九郎
石川新助
下田主鈴
宮沢忠之丞
石川忠四郎
手負
若木平助
浅利運吉
高橋源之助
隊長 瀬谷和三郎
介川敬之進銃士 吉田源蔵
小野崎順治
水戸部斧治
牛丸辰也
菅又乙之助
橋本助左衛門銃士 境田音吉
田村吉右衛門
安土沖美
右之通、介川敬之進旗奉行粕谷藤太ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月