太政官日誌・慶応4年13号

太政官日誌第十三
慶応四年戊辰閏四月

【野川下線辺ノ戦場】
館林藩ヨリ届書之写
者頭
石川喜四郎
小頭一人
組下二十五人
持筒頭
関口喜兵衛
小頭一人
組下二十五人
今般野州辺騒動ニ付、出兵被仰付候間、不取敢右二組、四月四日在所表出立之処、途中野州芋カラ新田ト申処ニテ、賊徒ニ行逢、石川喜四郎手ニテ生捕等モ有之候由、其後結城表戦争之節出張致シ官軍御勝利ニ相成、其節石川喜四郎手ニテ生捕并分捕等モ多分有之候哉ノ由、猶又十七日、十八日、野州小山宿辺、彰義隊、艸風隊ト相唱候二千人程之賊徒ト、大合戦之節モ出張之処、何分小勢ニシテ力不及、甚以苦戦ニ至リ、終ニ敗軍ニ相成、石川喜四郎始メ討死等有之候旨、其外討死手負等モ多分有之由ニ候ヘトモ、未ダ取調モ付兼候旨、在所迄注進有之候段申来候、猶追々可申上候ヘトモ、此段不取敢御届奉申上候、以上
閏四月五日
秋元但馬守家来
高山藤内
者頭
討死 石川喜四郎
同 同人組下三人 姓名不分明
関口喜兵衛組下
同 杉本勝造
右之通ニ御座候、外討死手負之儀、取調付次第可奉申上候、以上
彦根藩ヨリ届書之写
先達而御届申上置候、下総国流山宿屯集之賊徒平治之後、結城水野日向守父子之争ヨリ既ニ賊徒ノ巣窟ト相成候勢ニ付、長藩祖式金八郎、須坂、館林ノ人数ヲ率ヒ、打向ヒ候処賊兵不戦シテ逃候ニ付、入城鎮定、下総国宇都宮ヘハ、督府軍監香川敬三平川和太郎、斥候上田楠次、南部静太郎、弊藩物頭小泉弥一右衛門、渡辺九郎左衛門、青木貞兵衛三小隊、并大砲一門、及ヒ岩村田揖斐等ノ人数出張、追々進軍候、同国日光辺ニ屯集罷在候会賊及浮浪之徒、奥州之方へ退去、於日光板倉伊賀父子、弊藩ニ依テ降伏、則督府軍監ヨリ父子ハ宇都宮、従者ハ壬生へ被預、下野国既ニ及鎮定候、奥羽ハ別ニ鎮撫使ヲ被置候儀ニ付、四月十一日総軍一トマヅ宇都宮ヘ引揚相成候、然ル処、下総国小金宿ニ賊兵屯集罷在候処、船ニテ利根川ヲ遡リ、関宿宝珠本辺ヘ相進候趣、同十五日軍監平川和太郎、斥候上田楠次、南部静太郎、弊藩渡辺九郎左衛門、青木貞兵衛、并大砲組、及笠間、壬生等ノ人数宇都宮出立、其夜石橋宿ニ陣ス、翌十六日未明、同所出立、既ニ小山間々田辺迄相進候処、結城ヨリ祖式金八郎以飛使、賊兵五六百人諸川宿ヨリ結城ヲ可襲之勢、孤城寡兵不可防禦、迅速応援可有之申来候ニ付、渡辺九郎左衛門隊、為斥候直ニ結城ヘ発向、無程総軍進発之処、賊兵小山ノ方ヘ進来候由、探策之者注進致候ニ付、総軍再分配之内、賊兵既ニ相近付、忽互ニ発砲、笠間、壬生之勢槍ヲ入接戦候得共、衆寡難当引揚候折柄、青木貞兵衛隊、大砲組等踏コタへ頻ニ放撃相支候処、終ニ弾薬殫果候ニ付、不得止結城之方へ引揚候途中、渡辺九郎左衛門隊、此戦争ヲ聞付馳返リ候間、再小山へ相向候処、賊兵既ニ大行寺ノ渡ヲ越ヘ、栃木宿ノ方ヘ引揚候由、且日暮ニ及ビ候間、弊藩人数小山、新田両宿ノ間ニ野陣ヲ張ル
此日青木貞兵衛隊、賊七八人討取候得共、其暇ナク、僅ニ一首級ヲ揚ル
翌十七日朝、諸川宿ニ留リ居候賊二千人許、小山へ繰込候趣、注進之折柄、宇都宮ヨリ軍監香川敬三、弊藩小泉弥一右衛門隊、足利岩村田揖斐之人数ヲ率ヒ、為応援来レリ、則弊藩大砲一門、小泉弥一右衛門隊并諸藩之兵、小山宿之正面ニ向ヒ、渡辺九郎右衛門隊、宿之東裏手、青木貞兵衛隊、西之裏手ニ向ヒ、分配既ニ相定リ、正面之兵直ニ進撃、賊兵ハ撒兵ニ配リ、頻リニ新手ヲ入替候得共、味方ハ代援ノ兵モ無之、諸藩苦戦、終ニ宿外迄引揚候処、青木貞兵衛半小隊、賊中被取囲、引揚兼候様子ニ付、小泉弥一右衛門、渡辺九郎左衝門両隊、是ヲ救ハント再宿内へ討入候得共、賊兵衆多、砲丸烈敷打立候ニ付、無拠引揚申候、青木貞兵衛始メ、半小隊ハ、賊中ニ陥リ、弾薬殫キ候処ヨリ、短兵接戦、終ニ尽ク討死致候由、壱人重囲ヲ切抜ケ罷帰リ報知仕候、此日七ツ時、官軍兵ヲ収メ、宇都宮ヘ引揚ケ、賊兵ハ栃木ヘ引取候由、弊藩死傷左之通ニ御座候
物頭
討死 青木貞兵衛
同隊下
同 半小隊
此分姓名員数、混雑中難相分歟不申越候
小泉弥一右衛門隊
同 境越鉄三郎
渡辺九郎左衛門隊
同 高木釟次郎
同 矢島佐吉
同 雨宮良之介
大砲組
同 河島嘉四郎
同 飯塚平輔
同 安田覚三郎
渡辺九郎左衛門隊差図役
深手 松下専之介
同隊
同 星野八十太
同 中谷元之進
小泉弥一右衛門隊
手負 柳瀬儀右衛門
同 田部万之助
同 林九左衛門
同 梅本磯次
同 河内半太夫
同 川瀬柳蔵
同 岩崎久馬次
同 野田延次郎
同 伊藤寿右衛門
十七日、小山戦争後、弊藩三小隊、宇都宮江引揚篭城罷在候処、十九日朝、結城辺屯集之賊、真岡ニ集リ、宇都宮ヘ襲来ノ勢ニ付、為追討、城兵及ヒ弊藩ニ小隊出張候処、賊兵左右之間道ヨリ、直ニ城下ニ迫リ候様子ニ付、城下ヨリ一里半許先ニテ、其来ルヲ待受、未刻ヨリ戦争ニ及ヒ、必死ノ力ヲ尽シ候得共、何分味方ニ十倍ノ賊勢ニ付、其所ヲ保チ得ス城中へ引揚候処、賊兵所々ニ放火、四方ヨリ攻入候間、防禦ノ術ヲ尽シ、弾薬ノ限リ放撃致候得共、賊勢倍相加リ、栃木ノ賊、鹿沼宿ヨリ横合ニ進ミ、会賊三王峠ヨリ繰出シ、大沢ヨリ押来候、城中寡兵、持久ノ策ナシ、不得止夜八ツ時、城之南門ヨリ引取候折柄、賊兵追ヒ討候ニ付、且戦且退、終ニ古河ヘ引揚申候、右之節弊藩死傷左之通御座候
渡辺九郎左衛門隊
討死 常盤藤右衛門
同隊 手負 松本外馬
同 水野庄右衛門
小泉弥一右衛門隊
同 若林専之介
同 村田藤三郎
青木貞兵衛隊
同 室川半次郎
同 清水林三郎
右之趣、出先之者ヨリ申越候、此段御届申上候様、掃部頭申付越候、以上
閏四月三日
彦根中将内
関由太郎
弁事御役所
【板倉父子打捨ノ事】
一、宇都宮ヘ御預ケ被置候板倉父子儀、四月十九日退城之節打捨候由、報知中ニ認有之候間、此段一応申上置候、以上
閏四月三日
彦根中将内
関由太郎
弁事御役所
【野州安塚ノ戦死傷者】
土州藩ヨリ届書之写
四月廿二日、下野国都賀郡安塚村ニ於テ、因州并属隊戸田丹波守、有馬兵庫頭、大久保駿河守嚮導鳥井丹羽守人数中并弊藩人数賊兵ト及合戦、勝利ヲ得候節、分取ノ物品手負討死等ノ員数別紙之通ニ御座候
辰四月
山内土佐守内板垣退助
〇分取
一番隊
一、鞍置馬 壱疋
一、小銃<但タス共> 三挺
一、玉薬<但管共> 壱箱
二番隊 西山平馬
一、小銃 二挺
一、金 七十一両
一、短刀 二本
一、槍 一本
一、挟箱 一ツ
一、ランドセル
弾薬持 田中作吾
一、小銃 五挺
一、小銃 一挺
小畑五郎
一、小銃 一挺
一、弾薬
一、腰時計
外ニ賊壱人討取
五番隊
一、小銃 三挺
一、タス 一ツ
一、槍 一本
六番隊
一、小銃三挺
一、英国製平紉 二ツ
一、タス 二ツ
一、脇指 二本
輜重衛
一、刀 一本
一、脇指 一本
一、短銃 二挺
一、蘭製銃紉 一ツ
大砲隊
一、小銃 二十八挺
一、本込銃 二挺
一 タス 八ツ
一、紉 五ツ
中間 佐之助
一、金<但紙入共> 二両
一、刀 一本
一、短刀 一本
長沢必之助
一、旗 一流
一、小銃弾薬二百五十発
一、ボヲート 一挺
一、弾薬箱 二ツ
一、刀 一本
一、弾薬送車 二挺
一、天戸 一張
一、伏火灯 一ツ
一、霰弾 十二
一、ランドセル 四ツ
中間 猪之助
一、小銃 一挺
一、刀 一本
一、小銃 十五挺
一、刀 一本
本陣 大石弥太郎
一、小銃 一挺
安岡亮太郎
一、小銃 十五挺
一、旗 一流
一、天戸 二張
一、大砲場台
浜田良作
一、小銃 三挺
一、旗 五流
右之外、雑物分取夥敷候、接戦之上打取候首級有之候ヘ共、戦士已ニ出張ニ相成今日相分リ不申、追テ取調言上可仕候
○死傷
一番隊
一、咽喉ヲ打貫即死 日比唐作隊銃手 半田擢吉
一、浅手 近藤楠馬
二番隊
一、重創腰頭横ニ打貫 小島捨蔵隊銃手 小島拾蔵
一、咽喉ヲ打貫即死 国吉栄之進
一、重創右肋ヨリ肩胛ヲ貫 川田乙四郎
一、浅手頂カスリ 杉村茂久馬
一、浅手左鬢打込カスリ 三宅謙四郎
五番隊
一、重創左手魚腹ヨリ腕ヘ打貫 宮崎合助隊 吉川清作
一、浅手肩胛ヨリ背ヘ貫 弘田字之助
一、右肋ヨリ背ニ貫 <四月廿三日夜半絶> 大石俐左衛門
六番隊
一、重創跟ヨリ外踝ヘ打込 真辺戒作隊 真辺戒作
一、浅手左肋カスリ 中屋周治
一、小腹ヲ横ニ貫キ <同日死> 武市権兵衛
一、重創跟ヨリ趺ヘ打込 黒岩駒次郎
一、浅手右手掌側カスリ 苅谷喜代馬
一、浅手右腿カスリ 浅川桂次郎
一、重創左耳ヲ貫キ枕骨ヲ摧ク 岡本兵之助
砲隊
一、肋骨打込帰途ニ死 北村長兵衛隊 小松勇
一、重創右背ヨリ肩ニ打貫 小南猿四郎
一、浅手左股カスリ 佐井松次郎
一、重創右肘貫ク 東山民治
一、右肘貫ク帰途賊ノ為ニ死ス 杉村新作
一、右手掌ヨリ外側ヘカスリ 久保田鹿弥
一、浅手鼻稜骨カスリ 大石左馬司
一、前脳ヨリ後脳ニ貫ク 中間 鉄太郎
右之通御座候
【近藤勇捕ハル】
因州藩ヨリ届書之写
戊辰四月十七日、野州下総辺之賊徒、既ニ結城ヲ屠リ、勢ニ乗シテ宇都宮ヘ迫リ、城中兵士、器械トモ乏シク、不得已自焼シテ、館林或ハ古河ヘ走リ候旨、急報有之右ニ付、因土両藩ヘ出兵被仰付、同十八日寅ノ刻、市ケ谷尾州邸ヨリ三小隊、大砲一分隊繰出シ、同二十日、壬生城ヘ着、是ヨリ先キ、去月中旬頃ヨリ、会賊歩兵、其外種々ノ悪徒共、両総二野間ニ出没シ、所在ノ小諸侯、或ハ土豪ナドヲ恐嚇シ、金穀、兵器ヲ横奪シ、所々ノ要地ニ据ノ聞ヘアリ、且結城之城主水野日向守其養父ト隙アリ、一旦城ヲ出テ同国小山近傍ニ潜匿シ、彰義隊ノ暴徒ト語リ合、三月廿六日、結城ヲ攻テ、其養父ヲ逐ヒ、会賊ト合シヲ宇都宮ヲ屠ラントスルノ勢、不日ニ逼リ、宇都宮ノ重役県勇記ヲ以テ、火急ニ御総督府ヘ歎訴ニ及ヒ、爰ニ於テ大監察香川敬三、小監察平川和太郎ニ鎮撫方被仰付、薩藩有馬藤田、長藩祖式金八郎、土藩上田楠次ヘ軍略御委任、右三名彦根藩、須坂藩及ヒ岡田将監ノ兵三百余ヲ率テ、四月二日、板橋御本営ヲ発シ、同五日、有馬、上田両人、越ケ谷駅ヨリ兵ヲ潜メテ急ニ流山ノ賊ヲ襲フ、賊徒狼狽シ、為ス所ヲ不知、悉ク兵器ヲ献シ降伏ス、賊徒大久保大和<本名近藤勇>ヲ捕ヘテ御本営ヘ送ル、同六日、有馬、祖式ノ兵隊四五十人ヲ率ヒ結城ノ城ヲ攻撃シ、賊徒敗走、獲ル所ノ器械頗ル多シ、祖式ハ留テ城ヲ守ル、宇都宮四方三四里之間、土民動揺、所々ニ屯集シ、屋ヲ摧キ、火ヲ放チ、乱暴至ラザル所ナシ、依之官軍ノ入城ヲ促ス事頻ナリ、同七日、香川、有馬等、宇都宮ニ達シ、土民ノ人気少シク安穏、会賊ハ日光山接近ノ村々ヘ、屯集之聞ヘ有之候ニ付、同八日ノ朝、兵ヲ両道ニ分チ、香川ハ日光本街道ヨリ進ミ、有馬ハ宇都宮ノ右ニ出レハ、賊輩既ニ去リ、香川ハ斧市駅ニ進ム頃、日光之僧侶板倉伊賀父子伏罪状ヲ捧ク、同九日、右板倉父子軍門ニ来テ降伏シ、同十日、宇都宮ヘ御預ケ、爾後香川始メ日光山ヲ巡邏シ、宇都宮ヘ帰ル、既ニシテ日向守再ヒ賊徒ト語合、結城城ヲ襲フ、祖式ノ兵衆寡不敵、城ヲ捨テ走ル、賊徒兵威俄ニ張リ、勢ニ乗シテ宇都宮ヲ襲フ、是又兵寡難守、城ヲ焼テ逃ル、同廿一日、壬生城ヨリ南二里許安塚及幕田ト申処、凡半里ヲ隔テ、其間ニ賊兵千名許出張ノ由相聞ヘ候、廿日ハ弊藩先鋒日ナレハ<奇日土州偶日弊藩>、山国隊一小隊、大久保隊一小隊、有馬、戸田、合テ一小隊、大砲三門、未ノ刻頃推出ス、土州モ一小隊差出シ置候処地形甚不便、且賊軍多人数故、猶又繰出候様報知有之、土州ヨリ夜半頃一小隊ヲ出ス、又丑ノ半刻土州全軍進発、河田左久馬ハ壬生城ノ保守覚束ナシト、暁迄守禦シ、廿一日黎明全隊皆進ミ、安塚ヲ隔ル事十丁許ノ地ニシテ互ニ発砲官軍一旦勝利ノ処、賊兵盛リ返シ勢甚夕盛ナリ官軍浮足ニ相見ヘ、弊藩手負死傷ヲ荷ヒ帰ルヲ見、何レモ今日ヲ死期ト決シ、激励奮闘十分苦戦、左久馬二小隊ヲ率ヒ吶喊シテ進ミ、左久馬自ラ抜刀シ、大声シテ曰、退ク者ハ他藩ト雖トモ死ヲ免サスト、依之官軍進テ奮戦ス、賊兵堪兼、少シク引揚レハ、官軍其虚ニ乗シ、㖂々声ヲ出シ尾撃ス、弊藩及附属ノ兵、幕田西河田迄一里許ヲ一息ニ追立レハ賊兵不残宇都宮ヘ引退ク、因テ暫時休兵喫食ス、此日薩摩有馬藤太、其藩ノ兵ヲ将テ壬生城ヲ守ル、然ルニ、賊兵雀宮ヨリ潜ニ城下ニ逼リ、市中ヲ放火シ、且城内ヘ発砲スト雖トモ、有馬能防禦ノ術ヲ尽シ、賊志ヲ得スシテ去ル、此日有馬ナカリセハ、一城灰トナルヘシ、是ニ於テ諸隊喫食ス、是ヨリ直ニ宇都宮ニ逼リ、必死決戦ノ意アリト雖トモ、兵卒疲労、且洪雨ニ因テ、衣服沾濡、寒気肌ニ徹ス、不得已一旦壬生城ニ入ル、此日ノ死傷並ニ獲ル所左ノ如シ
○分取
一、旗 会 東照大権現 一流
○討死
石脇鼎
吹上兵隊平士 原田富三郎
同 寺村幸太郎
足軽 横地元肋
山国隊 田中浅太郎
○深手
刀疵 吹上兵隊 広瀬長次郎
砲疵 同 西村要蔵
同 同 林崎久右衛門
同 山国隊 高室誠太郎
同 同 高室冶平
○薄手
池田相模守家来 松村源之丞
松本兵隊 田辺覚左衛門
大久保駿河守隊 菊池房吉
山国隊 辻肥後
同 水口康太郎
【宇都宮城陥ル】
同廿三日、薩摩、大垣藩ヨリ、宇都宮城ヲ攻ントス、弊藩ノ兵モ壬生ヲ発シテ進ム、図ラス安塚ニ於テ、賊兵ニ衝当リ一戦シテ賊ヲ追崩シ、破竹ノ勢ニ乗シテ、急ニ宇都宮城ニ進撃シ、薩二小隊、弊藩一小隊相合シ、一同叱咤奮戦、申ノ刻ヨリ同半刻ニ至リ、竟ニ一城ヲ屠ル、期日官軍死傷左ノ如シ
○討死
砲隊長 足羽篤之助
河田左久馬家来 三崎次郎
天野祐次配下 石田仁三郎
松本藩兵隊 尾花忠兵衛
同上 松沢銀斎
吹上人数 鈴木角之丞
同 熊倉源吉
○深手
佐分利鉄次郎配下 竹内八百吉
同 後藤鉄五郎
旗持足軽 栄吉
久保鶴吉
刀槍砲疵 永田勘蔵
○薄手
大野祐治配下 岸本又市
同 岡山忠三郎
山国隊 草木栄二郎
吹上人数 大竹作弥
同 渡辺作十郎
右之通ニ御座候、此段御届申上候以上
閏四月
因幡中将内 河瀬万吉郎