江城日誌 第十号
慶応四戊辰年五月廿五日
五月廿一日
堀田相模守
頃日総房辺へ残賊出没、民心を悩し候段、不容易儀ニ付、速ニ出兵、前橋藩申合、鏖賊候様尽力可致旨、被仰出候事
五月廿一日
○伊州、因州二藩へ御感状之写
今度上野山内屯集之賊徒追討之節、遂勇戦忽及掃賊候条感入候、尚成功之次第速可遂奏聞候、猶此上敵愾之士気不相馳、弥勉励尽力可有之、仍感状如件
慶応四年戊辰五月廿一日 大総督
因州藩 隊長中
伊州藩 隊長中
右各通
○
信濃松代 真田信濃守
甲府城代職被仰付候事
五月廿一日
○
水野出羽守
上野山内敗走之賊徒、所々屯集未至平定駿州之儀ハ、要衝之地面候条、甲府城代被免、速ニ帰邑被仰付、府中城ニ而領内口々警衛之儀、近隣諸藩申合、厳重可相守旨、御沙汰候事
五月廿一日
五月廿一日着、野州出勢之肥州藩より来状書抜
真岡陣屋代官山内源七郎、陽ニ恭順之姿を顕し候ニ付、格段寛大之
思召を以、旧ニ依而、代官勤被仰付置候処、其掛り之手附ニ而、先般大田原へ会津賊兵之嚮導等致し候儀、普衆人之所知、其上官軍へ護送する之名儀ニて、会賊へ米穀等内分差送り、不遠内党類をも相集候由ニ付、其侭ニいたし置候ハヾ、賊勢益可致増長候ニ付、今十四日四ツ半時、左之通為取計候儀ニ御座候
真岡陣屋代官 山内源七郎
手附 三沢昇四郎
平田義助
松野裁右衛門
江並善太郎
右者打果、代官山内源七郎一人丈獄門ニ相掛陣屋等焼捨、所之名主等呼出し、得と申諭し、人心安堵家業尚又致出精候様、申達たる儀ニ御座候、尤出張人数左之通
土州 三原兎弥太
其外兵隊凡二十人
肥前 重松善左衛門
其外兵隊凡四十人
右為可申上如斯御座候、以上
五月 肥前藩
五月廿四日
青梅辺出張之諸藩へ御沙汰之写
青梅辺賊徒、速ニ退散候段、報知之趣、就而者筑後藩一ト手残賊為掃除、先当分残し置、惣軍悉く早々可引揚候、尤為念別紙之通近辺へ不洩様、布告可致旨、御沙汰候事
五月
別紙
甲武両野州辺諸在々、折々残賊出没、民財を掠、家業を妨げ候段相聞へ候、向後右体浮浪之者往来之砌、最寄百姓共、竹鎗或ハ猟銃を以、勝手次第可打取、尤多人数手ニ余候節ハ、出先兵隊へ可届出、処置可致候事
五月
○
永井肥前守
一手
右明廿五日より、上野山内取締警衛被仰付候条、早朝より出張可致候事
但市街より拾ひ物、差出次第可受取事
駿河田中 本多紀伊守
其方家来別紙姓名之輦、賊徒ニ党与し、去十五日上野山内ニおゐて敵対候段、重々不届之至ニ候、依之早々召取、何分之御所置可伺出旨、御沙汰候事
五月廿四日
小林助右衛門
其他六人
太田備中守
前同文
秋山七兵衛
其他二十人
松平右近将監
前同文
熊谷左織
其他九十三人