江城日誌・慶応4年9号

江城日誌 第九号
慶応四戊辰年五月廿一日

五月十七日
○奥羽追討之藩々江御感状之写
奥羽之賊徒猖獗、白川城之要地ニ盤居し、益兇暴を恣ニし、官軍ニ相抗し候折柄、去ル朔日奮戦を遂、寡兵を以、忽賊徒を掃攘し、遂ニ城地を乗取、大ニ賊胆を破り候条深感賞候、尚成功之次第速ニ可遂
奏聞候、此上弥抽忠誠、鞠躬尽力可有之候、依而感状如件
慶応四年戊辰五月 大総督
薩州藩 隊長中
長州藩 隊長中
大垣藩 隊長中
忍藩 隊長中
右各通

芸州藩
其藩急々甲府表辺出張被仰付候条、彼地ニ而、万端東海道副総督府之指揮ニ随ひ当府ニ而打洩し候残賊、速ニ掃除可被致旨、被仰出候事

此程御届申上置候東照宮木主、上野事件之節、精鋭隊之者持運、小石川富坂住居罷在候寺社奉行并酒井安房守宅江遷座致し置、日々精鋭隊ニ而警衛為仕置候処、此度田安門内、元田安屋敷内江遷座仕、尤途中之儀ハ、十二三人ニ而警固致候、此段御届申上候、以上
五月
後見 徳川亀之助
松平確堂

五月十八日
各藩江御達之趣
当府内潜伏之残賊、最早退散ニ及び候条、明十八日より各藩ニ而、私ニ襲撃一切被差留候、尤巡邏斥候之ものより、賊徒見付次第書付を以中軍ニ可申出候、臨機御指揮可有之旨被仰出候事
五月十八日

上野山内討伐之節、戦争相働候藩々兵隊、明十九日御覧可被遊旨、被仰出候条辰半刻大下馬前ニ可相揃旨、御沙汰候事
○薩州、長州へ御感状之写
今般上野山内屯集之賊徒追討之節、終日奮戦忽及掃撃候条、深感賞候、尚成功之次第速ニ可遂奏聞候、弥抽誠忠勉励可有之、仍感状如件
慶応四戊辰年五月 大総督
薩州 隊長中
長州 隊長中
右各通

大音竜太郎
柴山文平
右軍監被仰付、上野国為監察被差遣候事
五月

因州藩
右残賊為掃除武州忍表出張被仰出候事
但軍監一人付添之事
芸州藩
右武州忍表出張被仰付置候処、被免今般甲府表江出張被仰付候事

諸藩兵隊当分之間、見付内外之市街、私ニ他行堅く被差留候、尤隊用之儀ハ可為勝手、万一微行之もの於有之ハ、市中巡邏之兵隊より可届出候様被仰付候事
但諸藩兵隊之者、町家ニ屯集、或ハ止宿等一切被禁候事

五月廿日
薩州藩
長州藩
因州藩
佐土原藩
右当府内残賊潜伏之聞へも有之候付、市街巡邏取締可致、尤猥ニ捕縛打捨等被禁候条賊徒見当り次第、急度取糺し申出候ハヽ、御指揮可有之旨、御沙汰候事
但五十員より二千員迄、以下小人数被禁候事

水野下総守
過日以来賊徒所々屯集いたし、民財を掠奪し、官兵を暗殺し、其凶暴至ざる処なし、依而追討被仰付散乱候得共、尚残賊屯集掠奪も難計候間、両総領地并近辺共、精々取締向厳重可致旨、被仰出候事

大村藩
筑前藩
筑後藩
佐土原藩
右明廿一日早朝より、武州青梅迄出張被仰付候条藩々申合、鏖賊候様、尽力可致旨、被仰出候事
筑州藩
右明廿一日早朝より医者一人、兵隊一同、武州青梅辺迄出張被仰付候事
筑後藩
右同文

大総督宮
江戸鎮台被仰出候事
橋本少将
大原前侍従
西四辻大夫
江戸鎮台補被仰出候事
新田三郎
小笠原唯人
江藤新兵
土方大一郎
江戸鎮台判事被仰付候事
北島千太郎
西尾遠江介
横川源蔵
江戸鎮台判事加勢被仰付候事
岩倉大夫
東山道総督被免、奥羽征討、白川口総督被仰付候事
同八干丸
右副総督被仰付候事
穂波三位
大総督府参謀被仰付候事
但錦籏奉行被免候事
河田左久馬
渡辺清左衛門
吉村長兵衛
右同下参謀被仰付候事
右之通被仰出候、夫々相達候事

宇都宮藩へ
過日来度々戦争尽力有之、殊ニ居城焼失定而思諸器械之不足も可有之旨召、小銃百挺下賜り候事
五月