江城日誌・慶応4年8号

江城日誌 第八号
慶応四年戊辰五月十八日

五月十六日
御布告書之写
今度上野山内屯集之賊徒討伐之砌、輪王寺宮御立退ニ相成、行衛更ニ不相分候ニ付右御行衛相分り候ハゝ早々可申出旨、御沙汰候事
五月

○肥後、肥前、備前、筑前、筑後伊州、稲田之藩々御達之趣
昨十五日上野ニ而打洩し候残賊、掃除被仰付候条、指揮次第進撃可致候事
但今十六日四ツ時、筋違門内へ相揃、可致整列候事

○昨十五日上野ニ而打洩し候賊、掃除被仰付候条、諸藩兼而之持場吟味いたし、精々可致尽力旨、被仰出候事
但講武所へ可相揃事
広小路三枚橋辺
薩州 因州 肥後
本郷駒込根岸辺
備前 長州 佐土原 大村 肥前
道灌山谷中王子辺
芸州 伊州 筑後
浅草蔵前辺
筑前 尾州

五月十七日
○越後戦争略
一、閏四月十九日薩、長之兵、高田着陣、探索之敵情ニより直様戦略を定め、先達而以来荒井駅滞陣之尾州以下信州諸藩之兵ニ、薩長高田之兵相添、松山越千手辺へ出張、加州高田之兵ニ薩、長之兵相添、柏崎口青海川辺へ出張す
一、同月廿四日薩州一小隊、長州二小隊、松代一小隊、飯山一小隊、尾州一小隊、千手より千曲川を渡、十日町ニ押出す、廿五日暁、路を分て六日町に進入るに、賊一人も不見、昨日小出之方へ逃去候由也、夫より尾州兵を陸地より進め、薩長之兵、川船にて浦佐ニ至り、直様大斥候とし尾兵を橡原峠ニ進しむ、廿六日薩州半小隊、飯山一小隊、尾兵ニ合して、堀内ニ進む、廿七日暁八ツ時過、大雨を侵し、薩半小隊、長二小隊を以、浦佐より魚沼川を渡り、賊之斥候を追散し、小出島を攻撃す、賊駅口及川堤ニ仮炮台を設け、烈敷防戦、薩、長之兵両道より奇正互ニ進、佐梨川を渡り、市中ニ突入、激戦して、遂ニ小出島を破る、堀内之兵ハ、川向より四日市之賊ニ当り、薩長ニ応援す、賊悉く会津道六十里越に逃走す、乃ち四日市ニ飯山之兵、小出島、松代之兵を備、余ハ堀内ニ引揚固守す、此戦暁六ツ半時より一小時間余、薩、長討死九人手負二十人、尾州手負一人、姓名別具、賊之死傷ハ、余程多分有之様相見候
一、同月廿六日暁、尾州、松代、高田等之兵千手より千曲川に沿て進む、賊雷峠之険ニ拠り、山腹ニ砲台を設けて防禦す、官軍四ツ時前より七ツ半時頃迠攻撃、松代兵峰を踰候故、賊敗走、山上より大砲を発候得共官軍終ニ山上ニ押登、賊小千谷之方ニ至る賊既ニ長岡之方ニ走る由にて一人も無之、官軍代而陣屋ニ入、官軍死傷十許人、賊路傍ニ仆居候者一人、生捕四人、其外死傷多く相見候
一、同月廿七日薩州一小隊、長州二小隊、加州二小隊二炮門、富山二小隊、高田一手、前夜より申合、未明鯨波前、七八町迄押出候処、加州、高田等之兵、未来候故、援兵と定置候薩、長之兵を以、直ニ鯨波を攻撃す、賊駅口ニ邀戦ひ、終ニ不能支、人家を自焼して走る、薩長追撃して駅外ニ至る、加州、高田等之兵、追々来り加はる、賊柏崎之前、右手之山ニ依り、松林を楯とし、烈敷防戦す、山下ハ水田にて、是日大雨如傾、渓水暴漲、薩、長半隊を以勇進其山を奪ひ、続て万神堂を攻んとす、加州勢不続、且兵疲たるを以て、鯨波ニ引揚今日長州討死二人、手負七人、高田即死三人、手負八人、加州即死六人、手負廿人、富山手負四人、廿八日桑名、水戸之賊及歩兵等昨夜より柏崎を捨逃走候様子相聞候ニ付、官軍進で柏崎ニ入り、要地を右拠す、賊二三里之間に盤路し、斥候三四十人を出す、官軍撃て之を退く
右三所戦争之概略ニ御座候
五月
死傷姓名
閏四月廿六日雷峠戦
官軍死傷十許人、姓名未詳
高田討死壱人
成瀬道弥
同手負二人
荒木岡作
新田岩二郎
同月廿七日小出島戦
長州討死六人
杉山篤太郎
伊藤俊三
山田藤五郎
大本昇
吉武五郎
清水甚蔵
同手負九人
元森熊次郎
松村新三
飯田伊之助
貞永卯之助
橋本九兵衛
田村次之助
田中与之助
梶山鼎助
前田和吉
薩州討死六人
松崎勘衛
佐藤林蔵
長静吾
臼井道斉
野崎半左衛門
児玉清兵衛
同手負八人
有馬誠之丞
松崎祐斉
高崎泰助
児玉源之助
東次郎太
上村緑揃
和田軍吉
夫卒 直左衛門
尾州手負壱人、姓名未詳
同月廿七日鯨波戦
長州討死二人
増野矢之助
早川文造
同手負五人
生雲平六郎
福良忠三郎
林市太郎
藤川虎之進
剣山三郎
高田討死三人
今井新左衛門
今井与作
京田啓次郎
同手負八人
水野滝之助
田中金之助
山本源蔵
小出豊吉
秋山新吉
幸三郎
幸山七十吉
夫壱人
加州即死五人
水上徳二郎
武井弥惣右衛門
供田小三郎
滝猪之助
壱人姓名未詳
同手負二十二人
高畠猪太夫
西村与三郎
竹村伝次郎
松本市之丞
辻金左衛門
山崎啓之助
千秋覚左衛門
清水権太郎
中山市之丞
安宅常三郎
高桑十左衛門
浦田直次郎
村尾六之丞
西村要助
松山喜十郎
橋本一之進
高橋熊次郎
高橋新三郎
大町弥八郎
鍋沢和吉
大西清作
石黒勘太夫
富山手負四人
上村善六
黒田文之丞
牧砲二郎
坂井弥右衛門
以上