江城日誌 第六号
慶応四戊辰年五月十七日
五月十六日
○肥後より御届之写
当藩隊湯島より黒門江進撃候様被仰付候間、湯島より不忍池端黒門前へ進撃、夫より分隊仕、一隊ハ上野南手下谷より山内へ乗入、一隊は上野北より進入仕候、此段御届仕候
五月
深手 士分 高山秋蔵
同 歩之者 千田四郎右衛門
薄手 足軽 高野庄蔵
右昨日戦争之節、手疵迄、外小者ニ至迄、死傷無御座候以上
五月
○肥前より御届之写
昨十五日上野賊徒御誅伐ニ付、戦争之次第且戦死等左之通御座候、此段御届仕候
一、大炮二門
右者富山屋鋪へ相備、同所より上野黒門口台場并堂柵松藪之内等へ相備居候賊徒且弁天島へ相掛り参候賊徒之儀ハ、小銃を以打払候
一、小銃隊
右ハ最前御割付之通、本郷辺より攻入、だんご坂辺にて苦戦候得共、同所之儀長州其外兵士込合候ニ付、手を分二十人程、黒門口より山内へ薩州其外一同乗入候
討死 宮崎代助
中地藤太
手負 高岸文八
同 夫一人
以上
五月十六日 肥前侍従内 吉村謙助
○長州より御届之写
戦死之部 嚮導 佐藤左武郎
同 生瀬清見
久山寿太
池永小五郎
原房之助
藤井靖六
深手陣営ニ而死 内山久之進
深手之部 掠木直人
田中平九郎
永井房蔵
大庭佳蔵
佐藤辰三郎
右過ル十五日、戦争出人数、戦死、手負、前書之通ニ御座候、以上
五月 長州藩
○筑後より御届之写
一、昨十五日攻口之儀、千駄木坂下ニ而、長州勢苦戦之体ニ御座候間、横合より応援之心得ニ而、発炮仕候
一、根津権現之北ニ而、森際より賊小銃打出候ニ付、発炮仕候処、深樹之内へ入、何れ江歟退散仕候
一、右同日攻口之儀、被仰渡之通、富山屋敷より四ツ半頃迄放煙仕居候処、表面防戦堅固ニ付、敵之真横より打立候様、御使番より御差図御座候付、茅町池之端へ転陣仕形勢見計打込申候、尤小銃も兼而銘々手当仕罷在候ニ付、手隙より連発仕候
一、一昨十五日、金座警衛弊藩人数、千住迄巡邏仕候処、残賊煙鎗之隊伍相備、凡三十人計突出、弊藩之巡邏見掛、発炮仕候ニ付此方よりモ発炮仕候ニ付、賊退散仕候
一、一昨十六日、護国寺へ出兵仕候様、御沙汰御座候得共、金座へ繰出置候兵隊之内、直ニ出兵仕候付、少々及遅刻候処、最早残兵無之由ニ而、諸兵隊孰も引揚申候、右期ニ後れ候儀残念之余、同所へ踏込、吟味仕候内、前町人家へ罷在候賊、勤仕并寄合加藤下総守潜匿仕候付、主従討留申候
一、右両日戦争戦死手負左之通
手負 土田清摩隊 桑原文司
討死 上田兵次郎隊 肥部金三郎
右之通御達申上候以上
五月十七日 筑後 有馬蔵人
○大村より御届之写
上野屯集之賊、為討手大下馬江相揃、五字出陣、水道橋より本郷通、加州邸へ繰入半隊ハ根津惣門より突戦、半隊ハ水戸邸へ出、だんご坂手前、伏兵之賊と戦争、暫して地形悪敷ニ付、根津権現堂へ引揚小隊相会し、間もなく同所門前寺院へ、屯集之賊と相戦、夫より谷中、千駄木町、だんご坂辺ニおゐて始終戦争、追々相鎮、上野黒門山内等相敗、其手へ進候藩々、既ニ引揚候趣相聞候付、諸藩申合、六字頃巡邏相勤、引取候事
一、手負左之通
深手負 半隊長 宮原俊一郎
同 兵士 伊達守之助
同 同 池田小市
薄手負 同 根岸貞平
右之通御座候以上
五月 大村 渡辺清左衛門
○備前より御届之写
討死 半大隊司令官 大田万治廿一歳
同 銃隊 伊原儀左衛門廿五歳
同 同 内藤恵三郎廿五歳
同 同 尾関久五郎四十二歳
疵三ケ所 大砲隊司令官 三上留吉
内股二ケ所内一ケ所為搏貫疵
外〈陰嚢一ケ所為摶貫疵 羽織四ケ所〉
右小銃疵
同九ケ所 銃隊 妹尾卯太郎
内〈頭上一ケ所 右ノ手二ケ所〉
右〈左ノ手一ケ所 刀疵〉
〈陰嚢一ケ所 左右ノ股四ケ所〉
右鎗疵
同一ケ所 同 松田松三郎
左ノ手浅疵
同一ケ所 同 片山言一
右ノ手浅疵
同一ケ所 同 山本弥太郎
左鬢浅疵
右三名共小銃疵
右者上野おゐて戦争之節、討死并手負之者共御座候、此段御届申上候以上
五月 備前侍従内 薄田兵右衛門
○佐土原より御届之写
上野ニ而戦争之節
能勢惣之進
右之通御座候以上
五月 佐土原藩
紀藩兵士 亀井卯吉
右十五日戦争之節討死仕候
島本亀右衛門
右同断之節手負申候
山崎熊八
右同断之節、何れニ而討死仕候哉相知不申、色々探索仕候得共、未相分不申候
右之通御座候以上
五月 紀藩隊長 和佐類之助
以下橋本本になく原本に表記
(匡郭外)
五月十六日之記事未余りありて尽しかたきにより猶第七号に続出す