行在所日誌・慶応4年3号

〈御親征行幸中〉行在所日誌 第三号
慶応四戊辰年四月七日

【大坂城ヘ行幸仰出サル】
四月三日、城内ニ於テ各藩ノ兵隊
叡覧可被為遊旨ニテ、左之通仰出サレタリ
明後五日卯ノ刻
御発輦、銃陣為天覧城内エ行幸被為在候旨、被仰出候事
御道筋之儀ハ、表御門ヨリ安土町通、堺筋右ヘ、本町通リ谷町迄右筋左ヘ大手筋ヨリ
御入城之事
但、雨天ノ節ハ御順延之事
四月
同五日、雨天ニ付
行幸御順延之旨、被仰出タリ

【大坂城内ニテ繰練叡覧ノ事】
同六日、卯ノ刻過
御発輦被為在、各藩ノ兵隊ハ、兼テ御沙汰ノ有シ事ナレハ、早旦ヨリ城中二ノ廓ニ揃ヒ、屯集セリ、辰ノ刻城中本丸繰練天覧所ヘ着御被為在、直ニ第一兵隊薩州、芸州、越前ノ人数、各隊列ヲ整ヘ、令ニ随ヒ、仮ノ繰練場ニ進ミ、運動発砲ヲナシ、終テ退ソク、次テ第二兵隊長州ノ人数、次テ第三兵隊細川、柳沢、北条ノ人数、イツレモ順序ヲ以テ繰練場ヘ、代ル々々相進ミ、運動発砲ヲ為ス、右繰練終リテ、各藩兵隊ヘ酒肴ヲ賜フ
御沙汰ノ次第左之通
今日調練大儀ニ被思食聊酒肴ヲ下賜候事
右銃陣叡覧悉ク相済ミシ後御歩行ニテ天主台等御巡覧被為在、夫ヨリ御馬見所ヘ臨御、俄カニ乗馬天覧可被為在旨、被仰出タリ、此ニ於テ公卿、諸侯、各馬ヲ御馬場ヘ引寄セ、乗馬ヲ始メタリシニ、大ニ叡慮ニ叶ハセラレ、一同何レモ駆ヲ逐ヒ見セヨトノ綸言在ラセラレ、頻リニ駆ヲ逐ヒナトシテ天覧ニ供シ奉レリ、未ノ半刻城内
御発輦、御都合能還幸被為在、此日御行列之次第ハ左之通リ


先陣 尾州兵隊百人 口付細川差次蔵人 侍二人 下部一人

同 毛利讃岐守〈従者同上〉
同 市橋下総守〈従者同上〉
同 北条相模守〈従者同上〉

同 松浦肥前守〈従者同上〉
同 中御門大夫〈従者同上〉
同 西洞院大夫〈従者同上〉

同 島津淡路守〈従者同上〉
同 三条西少将〈従者同上〉
同 今城宰相中将〈従者同上〉

同 三条西中納言〈従者同上〉
中軍 御旗持手

奉行口付 壬生前修理権大夫〈従者同上〉
口付 正親町三条前大納言〈従者同上〉
口付 中山前大納言〈従者同上〉

高辻少納言
堀川新三位
御板輿〈仕丁四人 八瀬六人〉
大原左馬頭
富小路前中務大輔

石野大夫
裏松中務権少輔
口付 三条大納言〈従者同上〉
雨皮持二人
脚立持二人

虫鹿豊後守
御衣櫃 二合 八瀬四人
御医
西尾土佐守
福井豊後守

御馬口付二人掛リ 松室丹波
非蔵人
吉田淡路
藤木但馬
佐々能登
鴨脚出羽
大賀上総
三催
十一
北面一人 岡本近江守
御茶弁当 御水桶 持人四人 御台持二人 雨皮持二人
十二
御膳番 藤木右衛門尉 御厨子所御用長持一棹
十三
御用桶〈持人八人〉大隅美作守 小谷早太 手代二人 下部一人
後陣 口付 広幡内大臣 侍二人 下部一人
十四
同 錦織刑部卿〈従者同上〉
同 千種侍従〈従者同上〉
同 勘解由小路弁〈従者同上〉
十五
同 東園大夫〈従者同上〉
同 五辻大夫〈従者同上〉
同 織田出雲守〈従者同上〉
十六
同 小出伊勢守〈従者同上〉
同 加藤能登守〈従者同上〉
同 松平図書頭〈従者同上〉
十七
同 池田摂津守〈従者同上〉
不参 同 徳川元千代〈従者同上〉
十八
島津淡路守兵隊 五十人
毛利讃岐守兵隊 五十人