太政官日誌・慶応4年4号

太政官日誌第四
慶応四年戊辰三月

【聖上列候ヲ召シテ天下一新ノ詔勅ヲ賜フ】
二月二十八日
皇帝陛下、親シク列侯ヲ玉座近ク被為召、詔曰、朕夙ニ天位ヲ紹キ、今日天下一新ノ運ニ膺リ文武一途公議ヲ親裁ス、国威之立不立、蒼生之安不安ハ、朕カ天職ヲ尽、不尽ニ有レハ、日夜不安寝食、甚心思ヲ労ス、朕不肖ト雖モ、列聖之余業先帝之遺意ヲ継述シ、内ハ列藩万姓ヲ撫安シ、外ハ国威ヲ海外ニ耀サン事ヲ欲ス、然ルニ徳川慶喜不軌ヲ謀リ、天下鮮体、遂及騒擾、万民塗炭之苦ニ陥トス、故朕不得已、断然親征之議ヲ決セリ、且已ニ布告セシ通リ、外国交際モ有之上ハ、将来之処置尤重大ニ付、天下万姓之為ニ於テハ、万里之波涛ヲ凌キ、身ヲ以艱苦ニ当リ、誓テ国威ヲ海外ニ振張シ祖宗先帝之神霊ニ対ント欲ス、汝列藩朕カ不逮ヲ佐ケ、同心協力、各其分ヲ尽シ、奮テ国家ノ為ニ努力セヨ
【各国公使参朝ノ事】
各国公使参朝之件々左ニ記ス
一、前日各国公使エ何刻<西洋第幾字>令参内之旨外国事務補ヨリ書翰ヲ以、三ヶ国公使エ通達ス
一、当日各国公使参内之節外国掛リ公卿、諸侯、建春門内迄出迎但外国掛リ判事一人ツヽ公使旅館迄、前導トシテ被遣、公使同道ニテ参内ス
一、公使虎ノ間迄誘引、外国事務補相勤但判事附添
一、虎ノ間座席進退、外国掛リ、公卿、諸侯相勤但判事準之
一、茶菓ヲ賜フ、程合ハ外国掛リ判事取計ヒ、配膳ハ使番ニテ取扱フ
一、各国公使相揃候段、外国掛公卿諸侯ヨリ以非蔵人注進
一、副総裁及外国事務督輔、内国事務督輔出会ス
一、皇帝出御干南殿
一、内国事務補出御之旨ヲ、外国掛リ公卿、諸侯エ通達ス
一、外国掛リ公卿、諸侯、公使ヲ誘引ス
但虎ノ間ヨリ日華門内ノ東階マテ誘引夫ヨリ直ニ昇殿
但判事<徴士>日華門外マテ、外国掛リ非蔵人ハ東階下マテ附添
一、日華門内、外国掛リ公卿、諸侯、誘引之先へ、内国事務輔前導ス
一、公使ノ日華門内ニ入ルヲ見テ楽ヲ奏ス
一、前導ノ内国事務輔、誘引シテ直ニ本座ニ着ス
一、公使東階ヨリ昇段、外国掛リ輔誘引ス
一、公使拝天顔
一、公使名披露、山階宮、三条大納言侍ス、通訳外国事務判事伊藤俊介亦侍ス
一、有勅語、大臣<山階三条>之レヲ伝フ
一、公使奉答ス
一、判事、公使ノ奉答ヲ言上ス
一、公使随従之士官、進テ拝天顔
一、随従士官名披露、判事言上ス
一、判事伝勅旨
一、礼式相済、公使西階ヲ下リ月華門ヨリ退ク
一、公使ノ月華門外ニ出ルヲ見テ、奏楽ヲ止ム
【仏国公使等参朝】
二月三十日午ノ半刻、仏国公使レヲンロシユベニユス、船将ロワシユピレツキス、船将ペティトワール参朝
但副総裁始メ、公卿、諸侯及掛リ役員列座
一、皇帝陛下親シク勅日、貴国帝王安全ナルヤ朕之ヲ喜悦ス、自今両国之交際、益親睦、永久不変ヲ希望ス
仏公使日
天皇陛下今日各国公使等ニ拝謁ヲ賜ヒシハ、余仏国ニ封シ玉ヒテ、御厚意ナル確証ト仰キ奉ル也、貴国ノ衆民ニ於テモ如斯高明ナル証ヲ知ル上ハ、即チ天皇陛下ノ尊キ御宸意ヲ、遵奉スルコト疑ヲ容レサル所ナリ、故ニ今日ハ即後来ニ長ク祈念スヘキ日ニシテ、貴国ト各国ト至誠ノ交誼ヲ親クスル始ナルヲ以テ、余我国帝陛下ニ代リ天皇陛下並ニ貴国ノ幸福盛美ヲ祈リ、深ク神明ノ守護アランコトヲ奉顧也

同日、和蘭国公使デーテクヲフアンポルスブロツク、書記クラインケース参朝
一、皇帝陛下自カラ勅スル前ノ如ク和蘭公使日、随近報承リ候処、和蘭国王陛下安全也
天皇陛下長ク御安全ヲ保セ玉ヒ、且御在位幾多ノ年ヲ重ネ玉ハンコトヲ希望シ奉ル也
三月三日、英国公使ハルリーパークス書記ミツトホールド参朝
一、皇帝陛下自カラ勅スル前ノ如シ
英公使日、我本国帝王陛下安全也、天皇陛下御尋問ノ件々、且御懇親ノ勅意、余欣然トシテ本国政府ニ可奉通達也、夫外国交際ノ儀ハ貴国御政体ノ立ニ随テ、益堅固ナルヘク事ニシテ、此節貴国ニ於テ全国一般ノ御政体ヲ被為立、万国ノ公法ヲ基根ト被為遊シ故、追々外国交際盛ナルへキ義、必然ト奉存也、
皇帝陛下又勅日去ル三十日、貴公使参朝途中、不慮之儀出来、礼式延引遺憾之至ニ候、今日改テ参朝、満足ニ存候
英公使曰、先日参内ノ途中、暴発ニ出会セシ所、今日天皇陛下ヨリ、難有御倫言ヲ蒙リ且其場ニ於テハ天皇陛下臣人ノ助力ヲ受ケ、難有奉感佩、尚今日ノ厚キ御待遇ヲ以、過日ノ不幸ハ奉忘除候也
右之通ニテ相済、退出セリ

太政官日誌・慶応4年3号

太政官日誌第三
慶応四年戊辰二月

【朝典一定の建言】
臣等謹而按するニ、古之能々天下の大事を定むる者ハ必先ツ天下の大勢を観て、緩急機に従ひ、処置宜を得候故ニ唯功徳の一時に光被するのみならず、万世不抜の業、是に於て相立候、今や皇上始て大統を継せ給ひ、御政権復一に帰し凡百の宿幣も更始一新し、天下万姓目を拭ひ治を望むの秋なり、即在朝の百官自ら奮発し、内ハ皇上の御徳化を輔け奉り、外ハ皇威を万国に張り、臣子之分を尽さん事を欲す、就中今日の急務ハ皇国と外国の交際を講明せずして、不叶儀に奉存候、近頃朝廷始て外国事務の官職を設られ、其人を御撰挙遊され、専ら御力を尽され候は、天下の人をして、方向する処を知らしめ給ハんとの御趣意にて皇威を万国に赫輝せしめ候ハ、此時に可有之と、不堪感銘奉存候、乍併古語にも、人心不同ハ面の如しと中候而、在上在下の人、未だ各々隈々の議を執て、疑惑なき事能ハす、又或ハ漢土人の如く、自ら尊大にして、外国人を禽獣の如く蔑視、終には彼に打負、却て駆使せられ候様に成行き候覆轍を、践むに至るへき哉と甚憂慮仕候、依而熟考仕候処、今日之先務ハ上下協同一和し、宇内之形勢を弁し皇国一大革して、開業すへき所以方向確定すへき儀、第一と奉存候、是迄皇国ハ一方に孤立し、世界の事情に不達、只愉安を以て志とし、荏苒衰微を致し、彼カ為に制せらるへき次第ニ立至候と、各国に航行し衆善を包取、気運日々に開け、政治文明、兵食充備、天下に縦横致し候と比較いたし候得ハ盛衰之原由も判然相分り可申哉に奉存候元より膺懲の重典も無くて不叶儀にハ候得共控御之術其方を得候へハ、遠人も懐き服し候道理にて、尤無罪之人を膚懲致し候訳には無之候
中古朝廷にも、玄蕃の官を置せたまひ、鴻臚館を建させられ、遠人を御綏服被成候事も相見へ居、其後天正慶長の間には、蛮夷共屡西国に渡来交易致し候、若し其来港不致節ハ、大将軍より書簡を以て促され、猶遅綏に及候時にハ、此方より大軍を発し、攻撃に可及なそと申遣し候儀も有之候処、島原の一乱以来、始て幕府より鎖国の令有之候、乍併漢土和蘭に於てハ、猶交易差許候得ハ一切に外国人ハ攘ひ斥け候と申訳には更に無之処、近年攘夷之論盛に相起り、諸侯之内、偶攘斥致し候茂有之候得共、素より一藩の力を以て、不可為ハ諭するに足らず、且先年幕府より、十年を期して、成功を奏し可申抔と申上候ハ、陽に其名を仮り、陰に其私を行ひ候詐術にて、先帝日夜御苦慮被為遊候御儀とハ、同年之論にハ無之と奉存候、然れハ今日皇国之衰運を挽回し皇威を海外に耀し候儀、万々一刀両断之朝裁を以て、井蛙管見之僻論を去り、先ツ在廷枢要之御方々より御豁眼に被為成、上下同心して交際之道無二念開せられ、彼カ長を取リ我カ短を補ひ、万世之大基礎相据られ候様奉専祷候、仰願くハ皇上之御英断、能く天下之大勢を御観察被為遊、是迄犬羊戎狄と相唱候愚論を去り、漢土と斉しく視させられ候朝典を一定せられ、万国普通之公法ヲ以テ参朝をも被命候様、御賛成被為在、其旨海内へ布告して、永く億兆之人民をして、方向を知らしめたまひ度儀と、偏に奉懇願候、誠恐誠惶頓首頓首
二月七日 越前宰相
土佐前少将
長門少将
薩摩少将
安芸新少将
細川右京太夫
【長門少将言上の事】
臣広封謹而奉言上候、先般越前宰相一同建言之儀、癸丑已降天下之勢、屡変遷、遂ニ今日之御時体ト相成候而者、目下之御処置、右建言之処一着落仕候外、無御座ト奉存、連署奉言上候、抑既往ヲ推究仕候処、幕府一且其術ヲ失候而ヨリ、御国是屡変換、開鎖之論一定不仕、天下是カ為ニ肝脳塗地候者不可枚挙、悲歎之至ニ奉存候、然処臣広封父子、追々陳述仕候通、癸丑已来偏ニ皇威御更張、国是御一定ヲ奉企望、只管叡慮ニ奉基、名義条理相立候様ニト不願微力、藩屏之任一途心懸罷在候内、戌午下田条約被差許候ニ付而者、即チ開国ニ御一定ト奉存、一藩方向相立居候処、壬戌ニ至リ父子上京親ク奉伺候得者、和宮御東下一条ヲ奉始叡旨専ラ鎖国ニ被為在候御事、奉拝承、殊ニ癸亥ニ至、大樹家上洛奉勅攘斥之布告相成候ニ付、弥以艱難危急者臣子之分ニ付天恩之万一ヲ奉報度ト決心仕、人民ヲ鼓舞激励シ、身ヲ以テ自先シ候処、臣広封父子之微誠貫徹不仕、遂ニ孤立之姿ト相成、闕下ニ拝趨不得仕次第ニ立至候得共、元来臣広封父子進退趨合一已私見ニ出候儀毫厘モ無之、偏ニ叡慮遵奉之心得ニ御座候処、幕府布令前後齟齬ヨリシテ御国是従而変換シ、臣広封父子禍難ニ陥溺仕候様相成、此余者社稜ト共ニ灰滅仕候外無之ト覚悟罷在候処、乾綱新張、今日之御盛時ニ遭遇シ再生之鴻恩ヲ奉蒙、感泣之至ニ奉存候、然処、四境閉塞以来、国外之情態甚迂闊ニ打過候得共、外国交際之儀其他種々被為尽廷議候御様子略伝承仕リ、今般上京、親シク先年来之御行懸等、精細相窺候得者、既ニ開港勅許、海外各国江御布告被為有、既ニ御国是御確定、開国之御規模披為立候御儀、続而王政御一新、万機御親裁之秋ト相成候付而者、内外之形勢前日之比ニ無之、即チ国家之御安危、皇威之御隆替、辱クモ御聖徳ニ関係仕、今後之御挙措、最重大之儀ト奉存候ニ付、外国御交際者、宇内公義之係ル所、内国一家之紛擾ヲ以、宇内之公義ヲ害候様ニ而者、万国ニ対シ可愧儀ニ御座候間、乍恐神武之御聖業ヲ御体認被為遊、専ラ天下之耳目ヲ一新シ、人心之方嚮ヲ相定メ、確乎不抜之聖断ヲ以テ天下ニ臨御被為遊、外者宇内万国ニ並立シテ不被為愧、内者列聖之神霊ニ被為封御遺憾無之様、不堪懇願之至、誠恐誠惶頓首謹言
二月 長門少将

太政官日誌・慶応4年2号

太政官日誌第二
慶応四年戊辰二月

【職制ノ事】
三職
総裁職<宮任之副総裁公卿諸侯任之>
万機ヲ総へ、一切之事務ヲ裁決ス
議定職<宮公卿諸侯任之>
事務各課ヲ分督シ、議事ヲ定決ス
参与職<公卿諸侯徴士任之>
事務ヲ参議シ、各課ヲ分務ス
八局
総裁局
神祇事務局
神祇祭祀、祀部神戸ノ事ヲ督ス
内国事務局
京畿庶務及諸国水陸運輸、駅路、開市都城、港口、鎮台、市尹ノ事ヲ督ス
外国事務局
外国交際、条約、貿易、拓也、育民ノ事ヲ督ス
軍防事務局
海軍、陸軍、練兵、守衛、緩急軍務ノ事ヲ督ス
会計事務局
戸口、賦税、金穀、用度、貢献、営繕、秩禄、倉庫及商法ノ事ヲ督ス
刑法事務局
監察弾糾、捕亡断獄、諸刑律ノ事ヲ督ス
制度事務局
官職、制度、名分、儀制、選叙、考課、諸規則ノ事ヲ督ス

徴士貢士
徴士 無定員
諸藩士及都鄙有才ノ者、公議ニ執リ抜擢セラル則徴士ト命ス、参与職各局ノ判事ニ任ス、又其一宮ヲ命シテ参与職ニ任セサル者アリ、在職四年ニシテ退ク、広ク賢才ニ譲ルヲ要トス、若其人当器尚退クへカラサル者ハ、又四年ヲ延テ八年トス、衆議ニ執ルヘシ
貢士<大藩四十万石以上三員、中藩十万石以上三十九万石ニ至ル二員、小藩一万石以上九万石ニ至ル一員>
諸藩士其主ノ撰ニ任セ、下ノ議事所ヘ差出ス者ヲ貢士トス、則議事官タリ与論公議ヲ執ルヲ旨トス、貢士定員アツテ年限ナシ、其主ノ進送スル処ニ任ス、又其人才能ニ因テ徴士ニ選挙スヘシ
総裁 有楢川帥宮
副総裁 議定 三条大納言
同 同 岩倉右兵衛督
輔弼 議定 中山前大納言
同 同 正親町三条前大納言
顧問 参与 <当分外国事務掛兼>小松帯刀
同 同 同 後藤象二郎
同 同 木戸準一郎
弁事 参与 東園中将
同 同 坊城侍従
同 同 松尾但馬
同 同 松尾伯耆
同 同 十時摂津
同 同 神山左多衛
同 同 毛受鹿之助
同 同 田中国之輔
史官 生形三郎
同 菱田文蔵
○神祇事務
督 議定 白川三位
輔 同 津和野侍従
同 参与 吉田侍従三位
判事 参与 平田大角
権 同 植松少将
同 谷森内舎人
同 樹下石見守
同 六人部雅楽
○内国事務
督 議定 徳大寺大納言
輔 同 越前宰相
権 参与 岩倉侍従
同 同、秋月左京亮
判事 参与 中川封馬
同 同 辻将曹
同 同 広沢兵助
同 同 大久保一歳
同 同 中根雪江
同 同 青山小三郎
同 同 土肥謙蔵
権 参与 五辻大夫
同 王松操
同 山中静逸
○外国事務
督 議定 山階宮
輔 同 宇和島少将
権 参与 東久世前少将
同 議定 肥前侍従
判事 参与 岩下左次右衛門
同 同 町田民部
同 同 伊藤俊助
同 同 五代才助
同 同 寺島陶蔵
同 同 井関斉右衛門
同 同 井上聞多
○軍防事務
督 議定 仁和寺宮

権 参与 鳥丸侍従
判事 同 吉田遠江
同 同 吉井幸輔
同 同 津田山三郎
同 同 土肥典膳
○会計事務
督 議定 中御門大納言
輔 同 安芸新少将
権 参与 長谷美濃権介
判事 同 戸田大和守
同 同 鴨脚加賀
同 同 三岡八郎
同 同 小原二兵衛
権 参与 石山右兵衛権佐
○刑法事務
督 議定 近衛新前左大臣
輔 同 細川右京大夫
権 参与 五条少納言
判事 同 溝口孤雲
同 同 木村得太郎
同 土倉修理助
○制度事務
督 議定 鷹司前右大臣

権 参与 堤右京大夫
判事 参与 松室豊後
同 同 福岡藤次
権 井上石見

太政官日誌・慶応4年1号

太政官日誌 第一
慶応四年戊辰二月

【醍醐大納言、東久世前少将、宇和島少将、大阪ニ於テ各国公使ト応接ノ始末】
二月十四日午ノ半刻ヨリ、申ノ刻マテニ、大坂西本願寺ニ於テ醍醐大納言殿、東久世前少将殿、宇和島少将殿、各国公使ト応接ノ始末、左ノ如シ
但外国事務掛及ビ諸藩家老列座
一、東久世殿発話、我日本政体王政復古帝自ラ政権ヲ握シ、外国ノ交際モ、一切朝廷ニテ曳請、裁判可致旨意ハ、過日兵庫ニ於テ布告セシ如ク、相違アルコトナシ、此節外国事務局ヲ建立シ、交易通商一切ノ諸事件、悉ク外国事務官ノ裁決ニアルヲ以テ、今日改メテ朝廷守護ノ列藩ト共ニ各国公使ニ会同シ、此盟約ヲ定ム、自後普ク日本人民ト、外国人民トノ交際厚ク、誠実ヲ尽シ、互ニ疑惑ナキヲ以テ主意トナサン、故ニ大小ノ事件、外国ニ関係スルノ務ハ、外国事務局ノ専任ナルヲ以テ、我等ニ就テ帝ニ建言スルヲ要セヨ
各国公使曰、先般兵庫ニテ布告アリシ其証明白ニシテ、今日改メテ列藩会議帝普ク政令ヲ下シ、両国人民ノ為メ、広ク信睦ヲ求メ、互ニ誠実ヲ旨トナスハ、我各国ニ於テモ、兼々渇望セシ処ニシテ感悦之至ニ堪ス、自今 朝廷帝ヲ以テ日本ノ主府ト仰キ、万事其政令ヲ奉セントス
一、亦日、此度万国ト我カ帝ト条約ヲ改メシ上ハ、各国公使ニ帝自ラ封面シ、盟約ヲ立ン、故ニ不日上京アルヘキ旨、各国公使ニ可申入帝ノ命ヲ奉シ候
公使曰、恐入候、談合ノ上、明後日否可申上
一、亦曰、当今戦争ノ後ハ、京摂及ヒ諸所ニ、鎮撫ノ師ヲ出シ、過半其政令行ハレ、既ニ各国ノ諸侯ヲシテ、徳川慶喜征討ノ師、京ヲ発セシ上ハ、不日ニ其成功アルヘキハ勿論ナリ、自ラ横浜、箱館、外国人在住ノ場所ハ朝廷ノ官吏ヨリ、人民安堵ノ令ヲ下スヘシ則慶喜ヲ征討スル事実明白ノ罪状、書面ヲ布告スヘキナリ
公使曰、慶喜ヲ討伐ノ師既ニ京師ヲ発セシ上ハ、関東ノ形勢安心ナリカタシ、若早ク帝ニ拝謁スル能ハズンハ、速ニ浪華ヲ去り、横浜ニアル人民ノ為メニ、彼地ヲ鎮静センコトヲ欲ス
一、亦日、明日中ニハ上京ノ日限申来ルヘク、夫マテ滞坂、其上進退セラルヘシ
公使曰、帝ニ謁スル期限ノ日数ヲ確定シ、以テ此事ヲ約セン
一、亦曰、今日必相分ルヘシト雖、弥確定スルハ明十五日ト定ムヘシ
然ラハ明後十六日十字ノ朝、米国公使館ニ於テ再会シ、各般ノ諸事件ヲ約定セン
右之通ニテ相済、申ノ刻、各聞公使退出セリ
【各国公使参朝被仰付】
先般外国御交際之儀
叡慮之旨被仰出候ニ付而者、万国普通之次第ヲ以、各国公使等御取扱被為在候、然ル処此度御親征被仰出、不日御出輦被為遊候ニ付而者、御余日モ無之御事ニ付、各国公使急ニ参朝被仰付候ニ付、此段可相達被仰出候事
【太政官の責任】
外国御応接之儀者、上代崇神仲衷、御両朝之頃より年を逐而盛に成来り遠迩之各国、帰化貢献有之、其後唐国とは常ニ使節相往来、或ハ居留し、其交際も亦自ら親敷候、此時に当り、船艦之利未ダ開けす故ニ三韓四近と唐国而巳、西洋各国之事者暫差置、印度地方尚明確ならす候、然るニ近代ニ至り而者、万民所知之如く船艦之利、航海之術、其妙を窮め、万里之波涛比隣之如く相往来し、一時幕府之失措トハ乍申皇国之政府に於て誓約有之候事ハ時之得失に因テ其条目者可被改候得共、其大体に至り候而者、妄に不可動事、万国普通之公法ニして、今更於朝廷是を変革せられ候時者、却而信義を海外各国ニ失ハセられ、実以不容易大事ニ付、不被為得止、於幕府相定置候条約を以、御和親御取結に相成候、既ニ先般御布令被為在候上者皇国固有之御国体と万国之公法とを御斟酌御採用ニ相成候者、是亦不被為得止御事ニ候仍而越前宰相以下建白之旨趣ニ基き、広く百官諸藩之公議に依り、古今之得失と万国交際之宜を折衷せられ、今般外国公使入京参朝被仰付候、元来膺懲之拳ハ万古不朽之公道にして、縦令和親を講するとも、其曲直ニ依而、各国不得止之師相起り候其例シ不少、付而者、攻守之覚悟、勿論之事に候得共、和親之事ハ於先朝既ニ開港被差許候ニ付皇国と各国との和親、爰に相始り居候処、其節者幕府江御委任之儀ニ付、諸事交際之儀、於幕府取扱来り候、然る処此度王政一新万機従朝廷被仰出候ニ付而者、各国交際之儀、直ニ於朝廷御取扱ニ可相成者元より之御事ニ候、今や御初政之御時、総而之事件者、全く総裁始当職之責ニ有之候、何分某等不肖之身を以て、大任を負荷し、非常多難之時に逢候上は、深く恐惧思慮を加ヘ、天下之公論を以て、及奏聞、今般之事件御決定被為在候、且国内未タ定らす、海外万国交際之大事有之候得共、普天率浜、協心戮力、共ニ王事ニ勤労し、万国交際を始、万機悉く既往将来を不論、無忌憚詳論極諌有之度、只急務とする処者、時勢ニ応し、活眼を開き、従前之弊習を脱し聖徳を万国に光耀し、天下を富岳之安に置き列聖在天之神霊を可奉慰、上下挙而此趣意を可奉謹承候事
太政宮代三職
二月十七日