太政官日誌・明治2年83号

太政官日誌 明治二年 第八十三号
明治己巳 自七月廿二日 至廿七日
東京城第四十六
○七月廿二日〈辛卯〉
【蝦夷開拓ニ付、庶民ノ志願採用ノ事】
御布告書写
蝦夷地開拓之儀、先般御下問モ有之候通ニ付、今後諸藩士族及庶民ニ至ル迄、志願次第申出候者ハ、相応之地割渡シ、開拓可被仰付候事
【贋鋳貨幣取調ノ事】
御達書写
贋金之儀ハ、屡御禁令モ有之候処、追々世間ニ満布シ、上下之難渋、今日ニ差迫リ候間、於府藩県モ、贋金取引不致様、厳重取締致シ且下方所持之贋金、夫々取糾シ、総員数来十月中可申出候事
○ 箱館府
此度各国公使ヨリ、申立之次第モ有之、以来贋金通用之儀、更ニ御厳禁被仰出、諸開港場外国人所持之二分金、至急取調、正贋区別致シ、贋金之分ハ追而引換ヘ可被遣候ニ付、右取調之儀、北代忠吉ヘ御委任、其県ヘ出張申付候間、同人申合、至急各国岡士ヘ掛合之上、期限無遅滞、夫々取糾可申、此旨相達候事
○ 新潟県
右同文〈但シ、北代忠吉ヲ、花房虎太郎ニ作ル〉
御沙汰書写
北代忠吉
贋金取調御用トシテ、箱館表出張申付候事
○ 花房虎太郎
右同文〈但シ、箱館表ヲ新潟表ニ作ル〉
【白石藩盛岡ヘ復帰ノ事】

白石藩知事南部利恭
今般格別之御詮議ヲ以テ、改而盛岡ヘ復帰、金七十万両献納被仰付候事
【磐城平藩庄内ヘ復帰ノ事】

磐城平藩知事酒井忠禄
右同文〈但シ、盛岡ヲ庄内ニ作ル〉
○二十三日〈壬辰〉
【対澳条約全権御委任ノ事】
御沙汰書写
各通 沢外務卿
寺島外務大輔
澳太利亜、和親貿易条約取結之儀、願出候処御許容相成、右条約之全権、御委任被為在候旨御沙汰候事
【石狩表出張仰付ラル】

鍋島開拓使長官
長次両官交代、石狩表出張、被仰付候事
○ 清水谷開拓使次官
右同文
【池田大隅御宥免ノ事】
岡山藩知事池田章政
末家池田大隅儀、昨年来賊徒ニ与シ居、今般悔悟自訴公裁ヲ仰キ候段願出、就而ハ屹度被仰付品モ可有之処、出格之寛典ヲ以テ、御宥免被仰付候間、其藩ニ於テ、扶助致シ候儀ハ、可為勝手旨御沙汰候事
○二十四日〈癸巳〉
【度会、甲斐、奈良三府県ト改称ノ事】
御達書写
度会府
其府、自今度会県ト可称事
○ 甲斐府
同断〈甲斐県ト可称事〉
○ 奈良府
同断〈奈良県ト可称事〉
【箱館府廃止ノ事】

箱館府
其府被廃候事
○二十五日〈甲午〉
【英国王子参内ノ事】
御達書写
延遼館英国王子滞在中、親王、諸官員、華族御用罷越候節、館前迄乗馬乗輿不苦候事
但、惣供ハ大手門ニテ引落シ、門内侍二人小者一人、雨天ニハ傘持一人之事
右之通候間、為心得相達候事

来二十八日、英国王子参内ニ付、差掛候御用之外ハ、参朝被止候事
但、御用参朝之輩ハ、坂下御門出入、中ノ口ヨリ昇降可致候、尤供待之所等、夫々下知之者差出有之候間、屹度相守可申事
○二十七日〈乙未〉
【鷹司、烏丸両卿東下ノ事】
御沙汰書写
各通 鷹司従二位
烏丸従四位
御用有之ニ付、東下可致旨御沙汰候事
【留守長官職権ノ事】
御達書写
留守長官
一、留守事務一切預知ル所トス、故ニ留守諸省其外東京ヘ伺等ノ事件、総テ弁官ヘ差出長官取束可差出、但事柄ニ依リ、其省ヨリ東京其卿ヘ直ニ掛合候儀モ可有之事
一、長官ハ太政ニ関係セズト雖モ、留守諸省ヲ管轄スルヲ以テ、諸務ヲ預リ聞キ、常例小事、其裁決スルヲ許ス、自余ハ総テ伺出可取計事
七月
右大臣
【刑部省京都留守廃止ノ事】
〇刑部省
其省京都留守被廃候事
但、横井平四郎殺害一条幷是迄取扱掛之事件、結局相付候迄ハ、人員従前之通ニテ、御用相済候上ハ、諸事京都府江被委任候事
【弾正台ヘ御達ノ事】
〇弾正台
京都留守官員差登セ可申事
但、京都府申合、非違ヲ可弾事
【治河使廃止ノ事】
〇民部省
今度治河使被止候ニ付、水利之儀、自今其省治水司管轄被仰付候間、此旨相達候事
【遠藤文七郎帰藩ノ事】
〇遠藤文七郎
待詔院出仕申付置候処、仙台藩之儀、乱後紛紜之事有之、此節三陸、磐城等、巡察使被差向置候程之事ニ付、一先帰藩知事ヲ輔助シ、藩政改正、精々尽力可致事
但、藩務相済候上ハ、御用筋モ可有之ニ付其節可申出候事
【目安箱設置ノ事】
目安箱之儀ハ、下情ヲ可被通タメ、御設ニ相成候処、近来私之怨ヲ以、人ヲ譏リ、又ハ自分重罪ヲ犯シナガラ、却テ無失ヲ申立、又ハ上ノ御益筋ヲ名トシテ、一己之利ヲ営ムノ類往々不少、実ニ不埒之事ニ候、就而ハ自今何事ニヨラス、実意ヲ以テ申出候儀ハ、居所、姓名相認メ、印形ヲ押シ可申、其儀無之モノハ、封之侭焼捨ベキモノ也
【越後府、水原県ト改称ノ事】
越後府
其府、自今水原県ト可称事
【新潟県廃止、佐渡県取建ノ事】
水原県
今般新潟県被廃、其県ヘ合併被仰付候事
○ 新潟県
今般其県被廃、水原県ヘ合併被仰付候事
○ 水原県
今度佐渡県被立置候ニ付、地所引渡可申事
【信濃川改修ノ事】
〇同県
信濃川之儀ハ、近年水害打続キ、殊ニ去夏之浩水、其害最甚敷、下方之難儀差迫リ候ニ付分水堀割歎願致シ、実地猶予難相成次第ヲ以於其県遂詮議、既ニ検分等之運ヒ方ニ取掛リ候趣之処、其費用百五六十万金ニモ可及、実ニ莫大之儀ニテ、大蔵省ニ於テハ、一昨冬以来兵馬之事、且非常多端之御入費、必至之窮迫ト相成リ、後来量入為出之御目当モ不相立次第、依之今度恐多モ宮中之御用度ヲ始メ奉リ、政府之御費用共一切御減少相成、国家大事之外ハ、臨時莫大之入費、当分被差止置候旨、被仰出候ニ付、水利之儀モ、信濃川之外モ同様、治河願出候向モ有之候得共、暫時御差止ニ相成候、決而被捨置候訳ニハ無之、少シモ国用之御目途相立候上ハ、緩急ニ応シ夫々御手ヲ可被着、別而信濃川ニ於テハ、下方之難儀ヲ被為救、従而御利益ニ相備リ、最モ急務ニ候得共、前文之通無御拠次第ニ付、此旨下方ヘモ篤ク可及説諭事
追録
【安藤対馬守版籍奉還上表ノ事】
安藤対馬守上表写
今般諸藩版籍奉還之儀、及出願候段、伝承仕大政御一新之折柄、確実之公論ト奉存候、弊藩之儀者、昨冬非常之御寛典ヲ以、徙封被仰付、更ニ下賜候封土ニ付、奉返上候者、却而奉恐入候得共、諸藩同軌ニ相傚申度奉存候尤右封土、未タ請取不申候得共、其侭土地人民共奉返上候間、諸藩同轍之御沙汰被成下置候様、伏而奉懇願候、右之段宜御執奏奉願候、誠恐誠惶、頓首謹言
七月
安藤対馬守 信勇花押
弁事御中