明治元年135号

太政官日誌第百三十五
明治紀元戊辰冬十一月

【安芸藩難航ノ事】
十一月五日安芸藩届書写
弊藩兵隊、東北遊撃軍将殿ヘ附属、羽州ヘ出張ノ筈ニテ、去ル七月十日、大坂ヨリ乗船、御随従仕候所、洋中度々不慮乗艦破損等ノ儀有之、長州馬関ヨリ、帆前舟ニ乗替被仰付尤御本船ヘ引船御渡海ノ筈ニテ、同十四日同港出帆ノ処、逆風烈涛ニテ、彼是ヘ繋船、終ニ奉別御本船、御先渡ニ相成、其後兎角風便不宜、彼是季節モ相移リ、中途進退相窮、不得止去ル九月三日、雲州三保ケ関ヨリ揚陸、行軍ノ処、間道殊ニ難ノ道ニテ、漸ク同月十八日越前敦賀ヘ着仕候所、軍期殆ト相後レ候形状ニハ候得共、何分軍将殿、隔地御滞陣ノ儀ニ付、同廿日同所発足、陸地行軍仕候処、再三御使節ヲ以、御沙汰之趣モ被為在、弥以勉励、昼夜兼行ノ心得ニテ差急候得共、如何ニモ遠路、剰越後市振駅ニテハ、風涛ノ為ニ通行難仕、不得止滞留仕候仕合等、実ニ天災不幸トハ乍申、如何ニモ進軍遷延、且兵隊ノ情実等、軍将殿ヘ為申上、二上良太夫急行差立、兵隊之儀ハ、漸ク十月十日越後新潟着ノ所、別紙ノ通、御使節ヲ以、御達有之、尚又良太夫ヘ重テ厚御沙汰ノ趣モ御座候間、直ニ同所ヨリ引揚申候、尤兼テ為親衛、分隊三十人ハ、其侭随従被仰付、東京ヘ御供仕居候別紙御達写相添、此段申上候、以上
十月十五日
神尾尚太郎
右之通、従出先申越候ニ付、此段御届申上候、以上
十一月五日
安芸少将公用人 熊谷兵衛
別紙
芸州兵隊ヘ
東北遊撃軍将随従被仰付置候処、奥羽越平定ニ付、御解陣被仰出候、然処其隊是迄山河跋渉、勤労不容易候段、気ノ毒被思召、定テ遺憾存候儀ト察入候得共、右之仕合ニ付勝手ニ帰国可致事
十月
御朱印 印

【天下水利ヲ起ス事】
同月六日御布告写
天下一新ノ御政体被為立、第一民庶ヲ綏シ、各其処ヲ得テ倦サラシムル御趣意ノ処、倉卒兵馬ノ事起リ、不被為得已次第ニ候得共、今日ニ至候上ハ、愈国本ヲ強クシ皇基ヲ培植被為遊、今般新ニ治河使被設、天下ノ水利大ニ御所置被為在候ニ付テハ、差掛リ近畿ノ地ニ於テハ、澱川堤防等十分ニ修覆致シ、以後水害ヲ除キ、民利ヲ起シ候ハ勿論、且又浪華ヨリノ運送等モ、是迄ノ三十石通船ニテハ徒ニ人力ヲ費シ、実以不便利故、今日ノ御偉業ニハ不相副候間、是非共蒸気船ニテモ仕掛、利用可有之候処、何分春来騒擾ノ折柄、纔ニ右澱川ノ堤防サヘモ、御行届兼候得共、東北征討、略平蕩ノ功ヲ奏候上ハ、追々右等ノ義モ、御詮儀被為在、大ニ天下水利之道ヲ起シ、民庶福ヲ生シ候様、被仰出候間、府藩県ニ於テモ、此旨相心得、上下同揆、其地方最寄ニ就テ、夫々利害得失相考、勉励可致旨御沙汰候事
十一月

【後藤象二郎ヘ御沙汰ノ事】
同月七日御沙汰書写
後藤象二郎
在阪之会計官御用向、総テ其府ニテ取扱可致旨、被仰付候事
○後藤象二郎
今般治河掛被仰付候、就テハ其地天保山新港開鑿、別テ尽力可有之被 仰出候事

【出征諸藩兵ヘ御沙汰ノ事】
同上
〇福知山兵隊
征討出張、遠路跋渉、其労不少候、此節東京御駐輦中ノ儀ニ付、不取敢為被慰軍労、酒肴被下候事
○各通 薩州兵隊
長州兵隊
明石兵隊
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃、到処功ヲ奏其労不少<以下同文>
〇柳河藩 蜂谷一学 利光作之誰
坂本永記 寒田新肋
向坂太仲 丹重人
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃、遂ニ被創傷今般凱至之段、別テ艱労之事ニ候、此節東京御駐輦中之儀ニ付、不取敢為被慰病情、此品被下候、猶精々療養可相加候事
〇芸州藩 高橋源六 多賀外蔵
近藤権六 田川勇次郎
滝口辰吉 橋本春太郎
右同文

同月八日御沙汰書写
長州藩 町田梅之助 山内富次郎
勝田四方蔵 井上百合祐
市川三右衛門 伊藤幾之介
繁沢敢士 中所敏之肋
国弘節三 小方兵馬
山本弥太郎 武安留三郎
平佐彦七 工藤源次郎
児玉幾之進 東条岩之允
豊田半三郎 三浦与三
繁沢行蔵 市川千蔵
陶山直次郎 安井熊之介
積山乙五郎 馬木木工
渋谷義介 山県鹿之介
世良五左衛門 赤木甲熊
山県与一郎 未国次郎左衛門
平岡甲太郎 波多野競介
糸永弥次郎 福原伊助
児玉与四郎 弘武三郎
梶山元輔 南方権五郎
吉原貫吾 渡辺太仲
糟谷兵馬 飯田宇一郎
横山新之允
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃、遂被創傷<以下同前>

【酒井若狭藩邸ノ一部上地ノ事】
〇酒井若狭守
其方藩邸ノ内、御池通側東北ノ方ニテ、空地二千六百三十二坪御用中、上地被仰付候間京都府ヘ引渡可申事

【相馬藩ヘ御沙汰ノ事】
〇相馬因幡守
其方儀、先般不容易聞ヘ有之候ニ付、事実御検査被為在候迄、先京詰家来、於邸内禁足、他藩出入被指止置候処、降伏謝罪ニ及ヒ、城外寺院ヘ立退、謹慎罷在、頃日御免被仰付候ニ付テハ、京詰家来共、平常ノ通可相心得御沙汰候事

【戦死者招魂祭ノ事】
同日諸藩ヘ御沙汰書写
春来征討ニ付、忠奮戦死之輩、招魂祭奠式被為在候間、藩々ニ於テ、死亡士ノ姓名、月日等詳ニ取調、来ル二十五日迄ニ、神祇官ヘ差出候様、被仰付候事

【芸州、小倉両藩兵ヘ御沙汰ノ事】
同月九日御沙汰書写
芸州兵隊
征討出張、遠路跋渉、日夜攻撃、到処功ヲ奏<以下同前>
○小笠原豊千代丸兵隊
右同文
○芸州兵隊
征討出張、遠路跋渉、其労不少候、此節東京御駐輦中之儀ニ付、不取敢為被慰軍労、酒肴被下候事

【福知山藩兵着京ノ事】
同日福知山藩届書写
一、柏崎ヨリ軍艦ニ乗組、太夫浜ヘ上陸、夫ヨリ小名部口、庄内鶴ケ岡城迄進撃仕候
一、七月廿九日ヨリ八月朔日迄、萩島ニテ戦争、同十日佐々木村ニテ戦争、同十一日村上城攻撃、九月廿六日小名部口戦争、十月十二日右同所ニテ戦争仕候
一、東京ヘ相廻不申、新発田ヨリ中山道ヘ帰途ヲ取リ申候
隊長 榊原甚五右衛門 笹尾源兵衛
監察 村田靭負 進撃隊長 白井武勇
佐原将曹 兵隊役付共 六十人
右兵隊、去月七日於新発田表、引払之御沙汰ヲ蒙リ、昨八日着京仕候、此段御届申上候、以上
十一月九日
栃木近江守公用人 北条束

【奥州山口、大芦附近ノ戦】
同日富山藩届書写
奥州会津郡山口村出張之弊藩六番一小隊、宗藩津田玄蕃警守之入小屋台場ヘ、半小隊分配厳備罷在候処、去月廿三日暁寅刻頃、賊兵襲来候得共、直ニ発砲及奮戦、賊兵遂致潰走候
残半小隊白沢台場固守罷在候処、右同日未刻頃、賊兵襲来、且高遠寺諸藩持場、白津川向フ大芦村ト申所ヘモ襲来、八面ヨリ戦ヲ挑ミ候処、少勢且地形不宜候付、野尻ヘ引揚候途上、滝原ニテ再ヒ本道ヨリ賊兵進来候ニ付、烈敷及接戦、賊遂ニ潰敗候、右之趣御届申上候、以上
十月
前田稠松家来 村井外守
奥羽征討越後口御総督府

【富山藩兵ヘ帰休ノ御沙汰】
御達書写
富山藩
今般、奥羽越諸賊降伏、略及鎮定候条、全以各藩之尽力、諸兵隊苦戦之儀ト、深太儀ニ被思食候、尚追テ被仰出候旨モ、可有之候得共、一ト先可致帰休候様 御沙汰候事
○富山四小隊
右越後為戍兵、可相残候事
別紙之通、北越出張先ヨリ申越候ニ付、此段御届申上候、以上
十一月九日 前田稠松公用人 久保伴之進