太政官日誌 明治二年 第六十二号
明治己巳 六月二日
東京城第二十五〈賞典五〉
○六月二日〈壬寅〉
御沙汰書写
桂太郎
昨年賊徒掃攘之砌、軍務勉励、職掌ヲ尽候段叡感不浅、仍為其賞二百五十石下賜候事
○ 和田五左衛門
右同文
○ 中村半次郎
昨年賊徒掃攘之砌、軍務勉励、職掌ヲ尽候段叡感不浅、仍為其賞二百石下賜候事
○ 岩村精一郎
右同文
○ 牧野群馬
昨年賊徒掃攘之砌、軍務勉励、遂ニ於若松戦死之段、深不憫被思食、仍為祭粢二百石下賜候事
○ 片岡源馬
昨年賊徒掃攘之砌、軍務勉励、職掌ヲ遂候段叡感被為在、仍為其賞五十石下賜候事
○ 各通 三宮耕庵
芳野昇太郎
新井陸之助
山県小太郎
宮川助五郎
右同文
○ 上田雄一
昨年賊徒掃攘之砌、軍務勉励、職掌ヲ遂候段叡感被為在、仍為其慰労、目録之通下賜候事
○ 山本登雲助
右同文
○ 中井範五郎
昨年賊徒掃攘之砌、軍務勉励、遂ニ函嶺之役横死之段、深ク不憫ニ被思食、仍為祭粢料目録之通下賜候事
○ 上田楠次
昨年賊徒掃攘之砌、野州出張戦死候段、深ク不憫ニ被恩食、仍為祭粢料目録之通下賜候事
○ 田辺嘉三郎
昨年賊徒掃之攘砌、軍務勉励候段、神妙被思食、仍為其慰労目録之通下賜候事
○ 各通 吉岡伝衛
島村左伝次
四宮逸作
磯部寛一郎
松尾但馬
平川和太郎
栗屋市太郎
磯部鹿之助
河田精之亟
飯田種彦
中川秀之助
淵川忠之助
田村乾太左衛門
島津登
石田栄吉
野村要助
平井小左衛門
大村右衛門
村山源七
中尾栄吉郎
安村桜太郎
内田鎌三郎
樺山忠左衛門
西郷慎吾
白井良三郎
土倉修理介
荒尾駿河
二見一鴎斎
岩村左内
市川鐘次郎
沢四兵衛
唯九十九
佐藤嘉七郎
三雲為一郎
飯田竹次郎
浅野弁蔵
大田銈太郎
田中治人
根占才之進
徳岡衆祐
大野忠右衛門
藤村四郎
田中太郎左衛門
松平源太郎
右同文
○ 西尾遠江介
昨年賊徒掃攘之砌、軍事精勤之段、奇特被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
○ 各通 田崎敬助
岩崎誠之助
森左馬介
竹野虎太
山本次郎
長谷川邦之助
松島和助
河田弘蔵
大山壮太郎
上野他吉郎
牟田口徳太郎
筑波小次郎
米山半兵衛
樋口干城
秦泰之進
納富郁太郎
林馬太郎九
磯谷小右衛門
豊永貫一郎
木呂子善兵衛
杉山新五左衛門
花房勝之進
岩上角右衛門
藤川能登
安永又吉
大谷斧次郎
熊谷武五郎
和田藤之助
西直八郎
岸良彦七
添田清左衛門
中安泰治
井石忠兵衛
松田二郎兵衛
朝倉孫右衛門
永山巳一郎
管野覚兵衛
馬渡作二郎
鎌田英三郎
福島礼助
藤村録平
高津慎一
右同文
○ 井後最中
昨年賊徒掃攘之砌、軍事尽力之段、大儀被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
○ 各通 大音竜太郎
柴山文平
橋本正人
大口荘左衛門
渡辺祐次郎
福岡喜四郎
平方治三太
多々良勝吉郎
平阪信八郎
田辺健輔
横手文之進
津金甲太
三田早馬
酒井元右衛門
松浦多門
白井良吉
杉岡勇馬
近藤大右衛門
大河原作兵衛
中村謙太郎
関新平
石井大作
光増三郎
館山善左衛門
岡本路之輔
堀江提一郎
吉田俊男
徳久幸次郎
三宅寅之助
森鐘次郎
有馬意運
椋木順快
佐藤進
井口貫七
関寛斎
山科能登介
錦部内記
西池清彦
水田健吾
井上勝弥
坂場右馬介
松尾伯耆
中川対馬
松室伊予
祓川備中
池田荘三郎
加茂水穂
桑原虎次郎
小国覚之助
藤井源五郎
久野喜兵衛
鈴木孝平
右同文
附録
○ 軍務官
昨年賊徒掃攘中、断金隊官軍ニ属シ、各所遂戦争候段、神妙被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候間、夫々分配可致旨被仰出候事
○ 同官
昨年賊徒掃攘中、元徴兵七番隊、奥州ヘ出兵各所遂戦争候段、神妙被思食、仍其慰労、目録之通下賜候間、夫々分配可致候事
○ 同官
昨年賊徒掃攘中、元第二親兵、北越ヘ出兵各所遂戦争候段、神妙被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 溝口伯耆守
昨年賊徒掃攘之砌、各所戦争死傷之者ヘ、目録之通下賜候条、夫々分配可致候事
○ 各通 井上六郎右衛門
鈴木董太郎
榊原専蔵
昨年賊徒掃攘之砌、軍事尽力之段、大儀被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
カテゴリー: 6月
太政官日誌・明治2年59号
太政官日誌 明治二年 第五十九号
明治己巳 六月二日
東京城第二十二【賞典二】
○六月二日〈壬寅〉
御沙汰書写
池田中納言
丁卯之冬朝廷之危急ヲ察シ、兵ヲ京師ニ出シ、戊辰之春、伏水一戦、続テ東北諸軍ニ合シ、殊死奮励、毎戦奏功、藩屏之任ヲ尽候段叡感不斜、仍テ為其賞、三万石下賜候事
○ 戸田采女正
戊辰之春、盛ニ大兵ヲ東北ニ出シ、殊死奮励毎戦奏功、全ク軍事之節制行届、藩屏之任ヲ尽候段叡感不斜、仍テ為其賞、三万石下賜候事
○ 大村丹後守
累年勤王之志厚ク、丁卯以来、隠然兵ヲ京師ニ出シ、続テ東北諸軍ニ合シ、殊死奮励、毎戦奏功、藩屏之任ヲ尽シ候段叡感不斜、仍テ為其賞、三万石下賜候事
○ 島津淡路守
累年勤王之志厚ク、丁卯以来、宗藩ト協力兵ヲ京都ニ出シ、続テ東北諸軍ニ合シ、殊死奮励、毎戦奏功、藩屏之任ヲ尽シ候段叡感不斜、仍テ為其賞、三万石下賜候事
○ 真田信濃守
戊辰之春、盛ニ大兵ヲ出シ、北越ノ軍ニ合シ殊死奮励、毎戦奏功、藩屏之任ヲ尽シ候段叡感不斜、仍テ為其賞、三万石下賜候事
○ 佐竹中将
勤王之義ヲ守リ、賊中ニ屹立官軍ヲ迎ヘ金穀供給、各所数十戦、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、二万石下賜候事
○ 藤堂中将
戊辰正月、伏水之役、断然方向ヲ決シ、八幡ノ賊ヲ破リ、続テ東征之軍ニ合シ、各所奮戦藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、二万石下賜候事
○ 井伊中将
丁卯之冬、断然方向ヲ決シ、翌春大兵ヲ出シテ、山道ノ軍ニ合シ、毎戦奮励、且北越出兵不一形尽力、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、二万石下賜候事
○ 池田少将
丁卯之冬朝廷之危急ヲ察シ、兵ヲ京師ニ出シ、戊辰之春、伏水一戦、続テ海道之軍ニ合シ、毎戦奮励、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅仍テ為其賞、二万石下賜候事
○ 鍋島少将
王師東征以来、大兵ヲ東北諸道ニ出シ、各所奮戦、殊ニ自ラ兵ヲ督シ、東京ニ進ミ、不一形尽力、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、二万石下賜候事
○ 毛利左京亮
累年勤王之志厚ク、終始宗藩ト協力、戊辰之夏、兵ヲ北越ニ出シ、各所奮励、毎戦奏功藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、二万石下賜候事
○ 第一親兵
累年勤王之志不浅、戊辰之夏、北越ニ出兵各所奮戦、死傷無算、力ヲ王事ニ尽シ、武門之職掌ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、六千石下賜候事
○ 前田宰相中将
戊辰之夏、北越ノ賊勢猖獗ノ時ニ当リ、大兵ヲ出シ、各処戦争、勉励尽力、且盛ニ金穀ヲ運輸シ、北地ノ官軍其資ニ由ル不少、竟ニ平定ノ功ヲ奏候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万五千石下賜候事
○ 戸沢中務大輔
奥羽諸藩反覆賊ニ与シ、逆焔方ニ熾ノ折柄、断然方向ヲ決シ、不顧艱難、各所奮戦、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万五千石下賜候事
○ 徳川大納言
徳川三位中将
丁卯以来、大政復古之盛業ヲ賛ケ、続テ大兵ヲ東北ニ出シ、各所戦争、勉励尽力、且賊徒甲信之間侵人之節、自ラ出馬兵気ヲ鼓舞シ、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万五千石下賜候事
○ 浅野中納言
丁卯以来、大政復古ノ盛業ヲ賛ケ、戊辰之春伏水一戦、続テ大兵ヲ東北ニ出シ、各所戦争勉励尽力、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万五千石下賜候事
○ 大関美作守
小藩ヲ以テ、賊域ニ介在シ、断然方向ヲ決シ各所奮励、毎戦奏功、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万五千石下賜候事
○ 松平中納言
松平少将
丁卯以来、大政復古之盛業ヲ賛ケ、続テ大兵ヲ北越ニ出シ、各所戦争、勉励尽力、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万石下賜候事
○ 六郷兵庫頭
奥羽諸藩反覆賊ニ与シ、逆焔方ニ熾ナルノ折柄、小藩ヲ以テ、断然方向ヲ決シ、不顧艱難各所奮戦、藩屏之任ヲ遂ケ候段叡感不浅、仍而為其賞、一万石下賜候事
○ 榊原式部大輔
戊辰之夏、北越賊徒猖獗ノ時ニ当リ、信州諸藩ト合兵進軍、毎戦奮発、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万石下賜候事
○ 津軽少将
奥羽諸藩逆焔ニ靡キ候折柄、賊境ニ介在シ、勤王之義ヲ知リ秋田ニ声援、各所奮戦、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万石下賜候事
○ 戸田越前守
戸田土佐守
賊焔方ニ熾ナルノ折柄、断然方嚮ヲ決シ、毎戦奮励、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万石下賜候事
○ 黒田少将
戊辰之春以来、大兵ヲ東北ニ出シ、毎戦勉励殊ニ奥羽諸藩反覆之間ニ処シ、屡苦戦、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万石下賜候事
○ 有馬中将
戊辰之春以来、大兵ヲ東北ニ出シ、遂ニ奥州ニ至リ、毎戦勉励藩屏之任ヲ遂候段、叡感不浅、仍テ為其賞、一万石下賜候事
○ 秋元但馬守
山道之軍東下スルヤ、断然方向ヲ決シ出兵、毎戦奮励、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅、仍テ為其賞、一万石下賜候事
○ 毛利淡路守
其方嫡子大和守、丁卯之冬、自ラ兵ヲ率ヒ、京師ニ上リ、続テ戊辰伏水之役、天王山ニ出馬、励精竭力、大ニ賊鋒ヲ砕キ、速ニ掃撃之功ヲ奏シ候段叡感不浅、仍テ為其賞、八千石下賜候事
○ 秋月長門守
北越総督之軍ニ属シ、各所戦争、勇進奮撃、屡賊鋒ヲ挫キ、藩屏之任ヲ遂候段叡感不浅仍テ為其賞、八千石下賜候事
○ 堀長門守
戊辰之春、山道之軍ニ属シ、屡苦戦ヲ遂ケ、又北越ニ出兵、毎戦奮発、藩屏之任ヲ遂候段叡感被為在、仍テ為其賞、五千石下賜候事
○ 吉川駿河守
累年勤王之志不浅、宗藩ト協力、戊辰之夏兵ヲ東北ニ出シ、各所奮戦、藩屏之任ヲ遂候段叡感被為在、仍テ為其賞、五千石下賜候事
○ 小笠原豊千代丸
戊辰之春、兵ヲ奥州ニ出シ、逆焔方熾之時ニ当リ、各所苦戦、藩屏之任ヲ遂候段叡感被為在、仍テ為其賞、五千石下賜候事
○ 立花少将
戊辰之夏、兵ヲ奥州ニ出シ、各所奮戦、藩屏之任ヲ遂候段叡感被為在、仍テ為其賞、五千石下賜候事
○ 前田稠松
戊辰之春、兵ヲ北越ニ出シ、毎戦尽力、藩屏之任ヲ遂候段叡感被為在、仍テ為其賞、五千石下賜候事
○ 松平伊賀守
戊辰之夏、兵ヲ北越ニ出シ、毎戦尽力、藩屏之任ヲ不辱候段叡感被為在、仍テ為其賞、三千石下賜候事
○ 戸田丹波守
戊辰之春、兵ヲ東国ニ出シ、又転シテ北越ニ進ミ、毎戦尽力、藩屏之任ヲ不辱候段叡感被為在、仍テ為其賞、三千石下賜候事
○ 松浦肥前守
戊辰之夏、兵ヲ羽州ニ出シ、毎戦尽力、藩屏之任ヲ不辱候段叡感被為在、仍テ為其賞、三千石下賜候事
○ 生駒讃岐守
小身ヲ以テ賊地ニ介在シ、早ク方向ヲ決シ、大義ヲ唱ヘ、数度ノ転戦、死力ヲ極メ、加之官糧ヲ弁シ、武門ノ職掌ヲ尽シ候段叡感被為在、仍テ為其賞、千石下賜候事
○ 仁賀保孫九郎
右同文
○ 各通 生駒甸之助
仁賀保兵庫
右同文
其賞千石ヲ、其賞五百石ニ作ル
校正
第五十八号、六葉ニ、穂波三位トアルハ、穂波民部卿ノ誤ナリ
太政官日誌・明治2年71号
太政官日誌 明治二年 第七十一号
明治己巳 六月三十日
東京城第三十四
○六月三十日〈庚午〉
軍務官箱館征討合記第二〈追録〉
伏水御親兵隊届書写
函館在亀田村元津軽陣屋ヘ、賊徒屯集之趣ニ付、当月十六日御親兵一小隊、備藩一小隊、進撃先鋒被仰付、第二字当所ヨリ進軍、中途ニテ当隊ヨリ四人斥候、賊情ヲ探索セシメ候処、篝火少々有之趣ニ付迅速進軍、関門ヨリ三十歩斗ノ距離ニ至リ、彼ヨリ砲撃、互ニ砲戦ニ及ヒ、遂ニ表門際迄進撃致候処、隊長来島頼三砲丸ニ中リ候得共、指揮勉励引続キ総嚮導樽沢信之助、嚮導上山右市、大伍長松森正一郎右関門ヲ打破リ直ニ斬入、互ニ接戦ニ及ヒ、樽沢信之助賊長中島三郎助ノ首ヲ打取リ、大音ニテ一番乗ト相唱ヘ、続テ兵隊打入候、且又首藤勝之進、岩見縫殿、白子八十郎堀ヲ越シ門内ヘ討入烈戦、漸四字比賊徒敗走致候ニ付、当隊一小隊ヲ以テ五稜廓口守衛被仰付候ニ付、其侭出張途中ニテ残賊二人生捕会議所ヘ引渡申候、其節死傷分捕左之通
玉瘢股打抜 隊長 来島頼三
存亡未詳 補助長官 望月市太郎
討死刀瘢十七箇所 総嚮導 樽沢信之助
同刀瘢一箇所 兵士 宗田直次郎
同玉疵一ヶ所 朝幸之助
深手 藤村隼人
塩水謹弥
谷鉄次郎
谷口精一郎
浅手 桂国太郎
分捕
銃九挺
サハヘル四本
大砲廿四斤一門
半鐘一ツ
喇叭一ツ
弾薬箱一ツ
銅卵四ツ
刀一本
槍一条
右之通御座候間、不取敢御届申上候、以上
五月
伏水御親兵 隊長中
鹿児島藩届書写
四月十九日、弊藩一小隊、備前砲二門、一字過笹小屋発軍、左翼ヨリ間追ヲ経、深霧ニ乗シ、賊ノ砲墩上ノ高岳ニ登リ、直ニ賊塁ヘ衝突、土台ヲ襲奪致シ候、然ル処木古内村ノ賊徒、尽ク撒兵ヲ布テ頻ニ防戦候処、中央右翼ヨリノ長州、福山、大野一同合聯、木古内村ニ至テ班兵致シ、其節傷ヲ被ル者左之通
重傷 兵士 阪元嘉次郎
永田林左衛門
軽傷 薗田藤左衝門
窪田休左衛門
小頭 池田吉左衛門
軍夫 勇之進
木古内村ニテ分捕左ノ通リ
馬二匹
施条砲二挺
胴乱一箇
四月廿四日朝六字鶉村発軍、二股ニ着ス、直ニ左半隊ハ山路相固メ、右半隊ハ正面ニ当リ暁三字頃マテ相戦候処、引揚之命有之、二股迄引揚候、其節死傷左之通
重傷 三番隊兵士 阪元与八
神田仲右衛門
即死 津軽駒越組一町同村 弥之助
四月廿八日夜、伊州一中隊、筑後一中隊、弊藩一中隊、備前臼砲二門、一字三十分当別村発軍、間道ヨリ矢不来ノ賊塁背後ノ山上ヘ、相廻候処、山路険隘、巳ニ賊塁落去候ニ付、至急続テ有川村屯集ノ賊徒可致攻撃旨承リ、弊藩先鋒伊州筑後弘前等共ニ致進撃候処、三藩共奮戦、賊徒敗走、弊藩死傷無之分捕左之通
馬三匹
小銃六挺
ミニヘール弾薬二箱
五月三日夕四字頃ヨリ、大川村ヘ大斥候トシテ弊藩一小隊繰出居候処、暁二字頃、賊徒不意ニ三方ヨリ致襲撃候ニ付、則致応砲候得共地形不宜、依テ少シク引揚、広野ニテ致撒開相戦候処、黎明ニ至リ、賊徒引取候、其節死傷左之通
即死 津軽葛原村 定
傷 同吉村 幸吉
同八日大野村迄引揚居候処、大川村之方ヘ砲声相聞候ニ付、直ニ駆付、左半隊ハ山手、右半隊ハ本道幷箱館道ヘ相懸リ、六字比ヨリ攻撃、山手之赤川台場手前迄追撃、本道之石川台場下迄衝突、賊徒遂ニ潰走、十一字頃藤山村ヘ引揚
其節傷ヲ被ル者左之通
浅創 三番隊兵士 向江休左衛門
同十一日黎明、弊藩先鋒トシテ海上押渡リ、背後山上ヲ攀登リ、函館襲撃致シ、賊徒追払候、其節死傷左之通
戦死 二番隊兵士 田中泰蔵
重傷 斥候役 川路正七助
同日朝三字ヨリ、桔梗野台場ヘ左半隊攻撃致シ居候処、二ノ台場砲声烈敷、右半隊為応援繰込、遂ニ賊塁撃崩シ、五稜廓新道砲墩迄追撃致シ候、其節死傷左之通
死 三番隊兵士 鬼丸甚右衛門
重傷 三番隊小隊長 恒吉休右衛門
三番隊兵士 上村直之進
軽傷 小頭 手島平次郎
三番隊兵士 永井敬蔵
黒葛原逸作
同日七重浜ヨリ四字出張、砲戦相始メ、遂ニ賊ノ塁堡乗取候テ、其夜右台場相守候、右戦争之節手負左之通
傷 夫卒善太郎
同十六日、津軽陣屋ノ賊徒追撃ニ付、暁三字浜手ヨリ本道ニ相掛リ、右陣屋ノ賊ヲ打払候テ、亀田中ノ浜ヘ引揚候、其節死傷無御座候右ハ弊藩兵隊所々ニ於テ、戦争概略ニ御座候此段御届申上候、以上
五月
薩州藩 池田次郎兵衛
山口藩届書写
四月六日、青森港出帆、同月松前領乙部着、同所ヨリ江刺迄小戦追撃
同月十一日、茂艸野戦争不利、其節死傷
死 砲隊嚮導 栗屋市之進
岡本順次
傷 以下兵士 中村靖太
熊谷猛人
徳西春熊
田中辰之助
茅原仙太郎
吉松弥市
重枝吉之助
武田益之助
同月十三日、鶉越二股進撃勝利、其節傷
傷 兵士 川口富槌
高橋教三
藤野九郎
桧垣友之進
松原啓助
同月十六日、松前口江良町ニ於テ、斥候兵ト闘争勝利、其節傷
刀創 嚮導 沖原安太郎
兵士 村木清次郎
翌十七日、江良町、折戸両所戦争勝利、福城ニ入ル、其節死傷
死 中隊司令 渡辺与八郎
兵士 飯田孫七
嚮導 落合軍一
傷 嚮導 三部屋七郎次
小隊司令官 林隼之助
半隊司令官 三浦康太郎
以下兵士 高田健次郎
守津宗市
吉谷五郎
有田弁太郎
吉村吉太郎
坂根駒平
岡藤登人
椋木甲之允
神田弥三郎
同月廿日、木古内戦争勝利、其節死
死 奥島椎蔵
大橋四郎
同月廿三日黄昏ヨリ、翌廿四日夜半迄、鶉越中二股連戦勝敗不決、其節死傷
死 監軍 駒井政五郎
傷 以下兵士 岡村源太郎
森水小四郎
渇原庄作
長松登人
松原彦内
和田小太郎
鶴水勝太郎
樋口数馬
早田次郎
同月廿九日、矢不来戦争勝利、其節死傷
死 藤原五郎
秋月良人
河野市兵衛
藤田鬼熊
小倉重三郎
原田仁太郎
傷 山田俊蔵
徳水栄三
中原安之助
五月八日、大川村戦争勝利、其節傷
傷 西島勝馬
土手真平
岩竹節三
仲豊太郎
同月十一日、赤川村、桔梗野、箱館三箇所進撃大勝利、同日ヨリ十七日迄連戦連勝、其節死傷
死 石田源七
兵士 岸部繁二郎
器械方 国森誠之助
傷 桜井馬太郎
半隊司令 井関音次郎
井上三郎
木村良輔
出井八十八
兵士 吉田甲熊
加藤国彦
作古音次郎
同月十六日、津軽陣屋攻撃勝利、死傷無之、同月十八日、賊兵降伏
右之通御座候、以上
五月
長門藩
分捕覚
竿鉛二百三十本
竿鉄百八十五本
六連砲一丁
同弾薬千発
一封度施条砲一丁
同弾薬百発
紙管詰台一箇
同道具入一箇
弾薬箱三箇
大砲金具入二箱
激発管入二箱
ヤケール玉六認キ
同薬包三認キ
セールツ一丸
水銀入二箱
西洋合薬百十貫目
洋銃百七挺
六斤砲二挺
臼砲四挺
仏ミネール二十五挺
ミネール弾二千発
雷管二千発
海岸砲カルカ五本
大砲玉大小取交セ二十認キ
白蝋二十貫目
施条砲ハトロン二万発
七連銃ハトロン一万三千発
野陣幕十張
十三拇榴弾十発
十一拇半榴弾二十発
十二斤施条砲二挺
蒸気器械諸雑具
右江指村ニ於テ取調之分
弾薬七箱
火薬八箱
鉛二十認キ
鋳形二十挺
小銃十五認キ
サーフル剣五認キ
小銃玉二箱
二十拇臼砲一挺
長持〈書物入〉二棹
槍二筋
長持〈刀入〉一棹
柳行李二ツ
箱書〈物入〉一ツ
刀四本
短刀一本
馬具二掛
大砲玉百八十三認キ
硝石二箱
同樽一挺
右松前城下ニ於テ取調之分
蒸気ハツテイラ一艘造船古屋
右箱館ニテ取調之分
以上
太政官日誌・明治2年64号
太政官日誌 明治二年 第六十四号
明治己巳 自六月九日 至十五日
東京城第二十七
○六月九日〈己酉〉
【池田武蔵守東京ヘ召サル】
御沙汰書写
池田武蔵守
御用有之、至急東京ヘ罷出候様御沙汰候事
【松井、大給任叙ノ事】
宣下状写
松井錦之進
任周防守
叙従五位下
右宣下候事
○ 大給起之助
任信濃守
叙従五位下
右宣下候事
○十日〈庚戍〉
【桂宮御警衛交代ノ事】
御沙汰書写
池田武蔵守
御留守中、桂宮御警衛被仰付置候処、今度被免候事
○ 長岡左京亮
御留守中、桂宮御警衛被仰付候事
但、万一御近火等有之節ハ、早速参入勿論之儀ニ付、伺候之所等、前以右御所取次ヘ申合セ可置事
【神社取調ノ事】
御達書写
一、神職之者、家内ニ至迄神葬祭、社僧別当復飾等之儀、昨年御布告相成候上ハ、出願ニ不及筋ニ候処、今以願書差出候向モ有之候間、府藩県ニテ、兼テ御布令之御趣意、行届候様可致事
但、社僧別当復飾之上、其所部之府藩県ヨリ取纏メ、神祇官ヘ可届出事
一、神職継目並社僧別当復飾致シ、神主社人等之称号、其府藩県ニテ取糾之上、押印副書ヲ以、神祇官ヘ可願出事
但、差向出京難渋之向ハ、兼テ布告之通可相心得事
一、神職之者、諸願伺等府藩県ニテ篤ト取糾副書面其事柄具ニ可書載事
一、先達テ布告有之候延喜式神名帳ニ所載、諸国大小之神社並ニ式外ニテモ大社之分、或ハ即今府藩県側近ニテ崇敬之神社等、精シク可申出事
一、諸国神社勅願所之分、由緒社伝、御奉納之品等、巨細取調可差出事
右之通ニ候間、此旨相達候事
【招魂祭執行ニ付諸藩戦死者取調ノ事】
近々招魂祭被行候ニ付、昨春来為追討出兵之諸藩戦死届之儀、未相済向モ有之候ハヽ、急々取調、神祇官ヘ可届出事
○十二日〈壬子〉
御沙汰書写
【正親町三条公等上京仰付ラル】
各通 正親町三条前大納言 土方五位
御用有之候ニ付、早々上京被仰付候事
【○箱館降人処置御委任ノ事】
〇軍務官
箱館降伏人御処置之儀、其官ヘ御委任被仰付候事
【○大宮ヘ勅使御差遣ノ事】
〇大宮県
来十五日一宮ヘ勅使幷神祇官官員二名参向相成候間、為心得相達候事
【○天武天皇御旧跡御保存ノ事】
〇徳川三位中将
伊勢国桑名郡天武天皇御社ハ、御旧跡之儀ニ付、永世湮没無之様、被為成度思食ニ付同所取締中、於其藩可取計旨御沙汰候事
【○前田、井伊、加藤供奉被免ノ事】
前田宰相中将
御東幸供奉後衛被仰付置候処、被免候事
○ 井伊中将
右同文〈後衛ヲ前駆ニ作ル〉
○ 同人ヘ
其藩兵隊、輔相附被仰付置候処、被免候事
○ 加藤能登守
御東幸供奉被免候事
但、内侍所御警衛之儀ハ、可為是迄之通事
【○青森口総督被免ノ事】
〇清水谷侍従
箱館表賊徒平定ニ付、青森口総督被免、箱館府知事是迄之通被仰付候事
○十四日〈甲寅〉
【府県学校取調御取止ノ事】
御達書写
昌平学校
府県学校取調之儀、学校ヘ被仰付候処、此度民部官御設ニ相成、府県事務総而右官ニ於テ御規則相立候間、府県学校取調之儀、御取止ニ相成候事
【三陸巡察使仰付ラル】
御沙汰書写
坊城左少弁
当官ヲ以テ、三陸巡察使被仰付候事
○十五日〈乙卯〉
【酒井徳之助土地替ノ事】
御沙汰書写
各通 福島府
磐城県
白河県
其府県管轄所之内、別紙目録写之通、酒井徳之助ヘ土地替被仰付候間、当巳年ヨリ物成郷村帳等引渡可申旨御沙汰候事〈別紙目録写略之〉
○ 酒井徳之助
今般土地替被仰付候ニ付、管轄地目録之通引渡被仰付候事〈別紙目録写略之〉
○ 同人ヘ
磐城国磐城平城、御預被仰付候事
輔相ヨリ三陸巡察使ヘ達書写
民政ハ治国之大本、至重之事トス御一新以来、専ラ億兆其所ヲ得テ、生業勉励候様トノ御趣意ノ処、三陸之地ハ、去年兵馬事起リシヨリ今日ニ至リ、万民危疑、物情騒然、加之各藩ニ於テモ、頗ル紛紜、一定セサル所モ有之由、実ニ大政之隆替ニ関渉シ、不相済事ニ付、今般巡察使トシテ被遣候間、地方官及ビ出張諸有司ト戮力協心、専ラ御趣意ヲ奉体シ、風土民俗ヲ熟察シ、撫育之道厚ク其力ヲ尽シ、能ク民心ヲ収メ、上下ノ情ヲ貫通セシメ、且時宜ニ依リ其城邑ニ臨ミ、能ク其情状ヲ検査シ、懇切ニ教導、人心ヲ一定セシムヘキ事
一、判県事以下、即今民政役所在職ノ者云々
一、年貢諸上納ハ、先ツ旧貫ニ従フヘシ云々
一、鰥寡孤独廃疾等無告之窮民篤ト云々
但シ、一時賑恤勿論ト雖モ云々
一、戦地夫役ヲ勤メ或、ハ死傷シ云々
一、刑律ハ詳細検覈ノ上、施行スヘシ云々
一、諸有司ハ素ヨリ所役人ニ至ル迄云々
一、前条ノ外重大ノ事件ハ云々〈以上七ケ条ハ第五十三号岩代国巡察使ヘ御委任状ト同文〉
右之条々宜相守者也
輔相
校正
第六十一号、三葉後面、世良修蔵ヘ祭粢百五十石トアルハ、四百五十石ノ誤ナリ
第六十二号、十葉前面、堀江提一郎ノ次ヘ、国枝岩太郎一名ヲ脱ス
太政官日誌・明治2年61号
太政官日誌 明治二年 第六十一号
明治己巳 六月二日
東京城第二十四 賞典四
○六月二日〈壬寅〉
御沙汰書写
西郷吉之助
積年勤王之志、不浅、丁卯以来、大政復古之盛業ヲ賛ケ、続テ参謀之命ヲ奉シ、東京城ヲ収メ、其後北越ニ出張、軍務励精、指麾緩急、其図ニ中リ、竟ニ成功ヲ奏シ、奉安宸襟候段叡感不斜、仍為其賞二千石下賜候事
○ 大村益次郎
太政復古之際ニ当リ、奮然力ヲ朝廷ニ尽シ続テ東下、大総督ヲ輔翼シ、軍務励精、画策籌謨無遺算、竟ニ平定之功ヲ奏シ、奉安宸襟候段叡感不斜、仍為其賞千五百石下賜候事
○ 吉井幸輔
多年勤王之志不浅、大政復古之盛業ヲ賛ケ続テ北越出張、軍務励精、指揮其宜ヲ得、竟ニ成功ヲ奏候段叡感不斜、仍為其賞千石下賜候事
○ 伊地知正治
戊辰正月以来、参謀之命ヲ奉シ、軍務勉励、万変応機、画策得其宜、今日平定之功ヲ奏シ奉安宸襟候段叡感不斜、仍為其賞千石下賜候事
○ 板垣退助
(3行分摺り消し)
大山格之助
戊辰之春以来、参謀之命ヲ奉シ、奥羽出張、諸藩反覆ニ依テ賊中ニ陥リ、大節ヲ以テ兵気ヲ鼓舞シ、千辛万苦、益奮励、竟ニ奏功ニ及候段叡感不浅、仍為其賞八百石下賜候事
○ 山県狂介
戊辰正月以来参謀之命ヲ奉シ、軍務勉励、北越強悍之賊ニ当リ、苦戦益奮励、指揮其宜ヲ得、遂ニ成功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞六百石下賜候事
○ 前原彦太郎
右同文
○ 木梨精一郎
戊辰正月以来、参謀之命ヲ奉シ、海道ノ軍ヲ管シ、続テ奥州ニ進ミ、軍務勉励、指麾其宜ヲ得、竟ニ成功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞四百五十石下賜候事
○ 世良修蔵
戊辰之春以来、参謀之命ヲ奉シ、奥羽出張、軍務勉励、遂ニ賊中ニ陥リ、国難ニ斃候段、深不憫ニ被思食、仍為其祭粢百五十石下賜候事
○ 前山精一郎
戊辰之夏、督府ニ出仕、奥羽ニ進ミ、諸藩反覆ニ依テ賊中ニ陥リ、頗艱苦ヲ経、軍務勉励竟ニ奏功ニ及候段叡感不浅、仍為其賞四百五十石下賜候事
○ 寺島秀之助
戊辰之春、参謀之命ヲ奉シ、海道ヲ下リ、続テ奥州ニ進ミ、軍務勉励、指麾其宜ヲ得、竟ニ成功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞四百五十石下賜候事
○ 渡辺清左衛門
戊辰之夏、参謀之命ヲ奉シ、督府ニ出仕、続テ奥州ニ進ミ、軍務勉励、指麾其宜ヲ得、竟ニ成功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞四百五十石下賜候事
○ 河田五位
戊辰之夏、参謀之命ヲ奉シ、督府ニ出仕、続テ奥州ニ進ミ、軍務勉励、指揮其宜ヲ得、竟ニ成功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞四百五十石下賜候事
○ 香川敬三
戊辰正月、山道総督ニ従ヒ東下、軍ヲ監シテ野州ニ戦ヒ、続テ軍務官出仕、職務励精、力ヲ王事ニ尽シ候段叡感不浅、仍為其賞三百石下賜候事
○ 船越洋之助
戊辰之秋、参謀之命ヲ奉シ、海路ヲ経、羽州ニ進ミ、軍務勉励、指麾其宜ヲ得、竟ニ成功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞二百石下賜候事
○ 高橋熊太郎
戊辰之秋、参謀之命ヲ奉シ、奥州ニ進ミ、軍務勉励指麾其宜ヲ得、竟ニ成功ヲ奏候段叡感不浅、仍為其賞二百石下賜候事
○ 吉村長兵衛
戊辰之春、参謀之命ヲ奉シ、督府ニ出仕、軍務苦心、終始励精之段叡感被為在、仍為其慰労、目録之通下賜候事
○ 海江田武治
戊辰正月、参謀之命ヲ奉シ、海道ヲ下リ、軍事精勤之段、神妙被思食、仍為其慰労、目録之通下賜候事
○ 多久与兵衛
戊辰之秋、参謀之命ヲ奉シ、奥州ニ進ミ、軍務励精尽力之段、神妙被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 堀直太郎
戊辰之夏、参謀之命ヲ奉シ、奥州ニ進ミ、軍務励精盛力之段、神妙被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 林玖十郎
戊辰正月、参謀之命ヲ奉シ、海道ヲ下リ、軍事精勤之段、神妙被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 宇田栗園
戊辰正月、参謀之命ヲ奉シ、山道ヲ下リ、軍事精勤之段、神妙被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 小林柔吉
戊辰正月、参謀之命ヲ奉シ、北陸道ヲ下リ、軍事精勤之段、神妙被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 津田山三郎
右同文
○ 池田徳太郎
戊辰之秋、参謀之命ヲ奉シ、海路ヨリ羽州ニ進ミ、軍事精勤之段、神妙被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 林半七
(3行分摺り消し)
桜井慎平
戊辰之夏、北越ニ出張、軍事勉励之段、神妙被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 深尾三九郎
戊辰之秋、参謀之命ヲ奉シ、於北越督府出仕軍事精励之段、奇特被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 本多弥右衛門
右同文
○ 木村三郎
戊辰之夏、於東京参謀ノ命ヲ奉シ、軍事精勤之段、奇特被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 姉川栄蔵
戊辰之秋、参謀之命ヲ奉シ、奥州ニ進ミ、軍事精勤之段、奇特被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 伏谷又左衛門
戊辰之夏、督府ニ出仕、軍事精勤之段、奇特被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 小代清八
戊辰之秋、奥州出張、軍事精勤之段、奇特被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 安場一平
戊辰之春、督府ニ出仕、軍事精勤之段、奇特被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 中根善次郎
戊辰之夏、北越出張、軍事精勤之段、奇特被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 楠田十左衛門
戊辰之秋、於北越軍務ニ奔走候段、大儀ニ被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○ 井上石見
戊辰正月、参謀之命ヲ奉シ、伏水之役大坂出張、大儀ニ被思食、仍為其慰労〈以下同文〉
○各通
中沼六位
高崎左京
右同文
太政官日誌・明治2年67号
太政官日誌 明治二年 第六十七号
明治己巳 自六月二十日 至二十五日
東京城第三十
○六月二十日〈庚申〉
【長崎府、県ト改称ノ事】
御沙汰書写
長崎府
其府自今長崎県ト被改候事
○二十一日〈辛酉〉
【通商司設置ノ事】
御沙汰書写
大阪府
今般通商司被設、山口五位、井上聞多等当官ヲ以テ、其府出張被仰付候ニ付、判事同様取扱可致事
○ 東京府
今般通商司被設、伊藤俊介当官ヲ以テ其府在勤被仰付〈以下同文〉
○ 神奈川県
今般通商司被設、五代才助当官ヲ以テ其県出張被仰付〈以下同文、但判事ヲ知事ニ作ル〉
○二十二日〈壬戍〉
【西郷、山県ノ留学ニ中村宗見通弁官トシテ同行ノ事】
御沙汰書写
中村宗見
西郷真吾、山県狂介、英国竜動府ヘ留学被仰付候間、通弁官トシテ同行被仰付候事
【維新御告祭ノ事】
御達書写
今般国是大基礎御確定、追々御施行被為在候ニ付、祭政維一之思食ヲ以テ、群臣ヲ被為率、来二十八日辰刻、神祇官ヘ行幸天神地祇及列祖之神霊ニ御告祭、被為遊候旨被仰出候事
【商会所廃絶ノ事】
〇
三都府諸開港場其他処々ヘ、府藩県ヨリ産物売捌ト唱ヘ、商会所取立、役人出張、米穀其外買シメ致シ、諸品追々不融通ニ相成、商民一般之難渋不少候、是迄一定之商律不相立候ヨリ、威権ヲ以テ、銘々勝手之商業取開、甚以不都合之事ニ付、此度会計官通商司ヲ被建追々商律御取設相成候間、右様之儀一切廃絶被仰付候、此旨相達候事
○二十三日〈癸亥〉
【職制改革ニ付御下問ノ事】
御下問書写
大宝以降、官名沿襲ノ久キ、有名無実ノモノ不少、昨春更始ノ際、専ラ実用ニ被為基、職制ヲ被為設候得共、未タ其名ヲ被正候ニ暇無之、依テ今般旧官ノ名ニ拠テ、更始ノ実ヲ取リ、斟酌潤飾、別紙之通被相定、更ニ衆議ヲモ被聞食、職制一定、名実相適候様被為遊度思食ニ付、銘々熟考、意見無忌憚可申出事〈別紙官位相当表職員令略之〉
【招魂祭ヘ勅使御差遣並参拝ノ事】
御沙汰書写
五辻弾正大弼
来二十九日招魂祭ニ付勅使トシテ参向被仰付候事
御達書写
来二十九日八字、於招魂場、祭奠被仰付候ニ付、議参始メ六官諸官員、参詣可為勝手候事但、諸人参拝被差許候事
【御告祭参拝ノ事】
来二十八日辰刻、神祇官ヘ行幸御神祭被為在候ニ付、三等官以上幷知藩事卯刻参拝、四等、五等官、午刻参拝可有之候事
但、有位ハ衣冠、無位幷用意無之輩ハ狩衣幷直垂着用可致候、供連之儀、別紙図面朱引内、帯刀一人、小者一人ニ限リ候事、尤重軽服者可憚候事〈別紙図面略之〉
【越後囲米積出禁止ノ事】
越後国所領有之面々、囲米廻漕之為メ、外国船相雇ヒ、新潟入港致候処、追々農商之米穀買込輸出致シ候輩有之、甚以下方之難儀ヲ醸候趣、右国中ハ昨夏大ニ水害ヲ蒙リ、当秋迄ノ民食取続無覚束ニ付、国中限リ売買可致旨兼テ布告モ有之通、旁以向後囲米ニテモ、外国船ヲ以テ廻漕致シ候節ハ、同府ヘ届出免許之上可取扱、総而私ニ積出之儀、堅ク被差止候事
【真田信濃守版籍奉還上表ノ事】
真田信濃守上表写
臣幸民誠恐誠惶、謹而奉申上候、嚮者列藩版籍返上之建言仕候処、臣愚加ルニ若年未熟罷在、先祖以来拝領之封土ヲ辱シ、藩屏之任モ未タ尽シ兼候程ノ身分ニテ、前途見据モ無御座、返上奉願候而ハ、却而奉恐入候儀ト奉存謹而差扣罷在候処、即今列藩版籍返上之儀、被為聞食、改而知藩事被仰付、御政令帰一之御趣意奉拝承候、就而ハ臣等ニ於テモ必何分之御処置、可被成下御儀ト奉存候得共斯御改制之日ニ当リ、独晏然奉待御沙汰罷在候而ハ、更ニ奉恐入候儀ニ付、謹而版籍返上仕度奉願候、此段宜御執奏可被下候、臣幸民誠恐誠惶、頓首謹言
六月
真田信濃守 幸民花押
弁事御中
○二十四日〈甲子〉
【正親町三条卿上京被免ノ事】
御沙汰書写
正親町三条前大納言
依所労願上京被免候事
【徳川新三位領知村替ノ事】
〇徳川新三位中将
其方管轄地三河遠江国之内、高一万九千石余村替被仰付、為代地別紙目録之通相渡候間上地三河国之方者伊那県幷板倉教之助ヘ引渡代地之儀ハ三河県幷大河内刑部大輔ヨリ請取可申事〈別紙略之〉
○伊那県
徳川新三位中将ヨリ上地、別紙高帳之通、其県可為管轄旨被仰付候事
○ 板倉教之助
岩代国大沼郡高一万七千石余、上地被仰付為代地、別紙郷村高帳之通引渡候事〈別紙略之〉
○三河県
其県管轄地、別紙目録之通、徳川新三位中将板倉教之助ヘ引渡可申事〈別紙略之〉
○大河内刑部大輔
徳川新三位中将管轄之内、村替被仰付候代地之内、別紙目録写之通相渡候間、地所引渡可申事〈別紙略之〉
【三河県廃止ノ事】
〇三河県
其県被廃、御料自今伊那県可為管轄旨、被仰付候事
○ 伊那県
三河県被廃候ニ付、御料自今其県可為管轄旨被仰付候事
【通商司御委任ノ件々】
〇通商司
今般会計官中、通商司ヲ置キ、追々商律ヲ可被為立タメ、左之条件御委任候事
一、物価平均流通ヲ計ルノ権
一、両替屋ヲ建ルノ権
一、金銀貨幣ノ流通ヲ計リ、相場ヲ制スルノ権
一、開港地貿易輸出入ヲ計リ、諸物品売買ヲ指揮スルノ権
一、廻漕ヲ司ルノ権
一、諸商職株ヲ進退改正スルノ権
一、諸商社ヲ建ルノ権
一、商税ヲ監督スルノ権
一、諸請負ノ法ヲ建ルノ権
右之件々御委任候間、三都府始メ諸開港場ヘ出張、地方官ヘ談合之上、施行可致事
○二十五日〈乙丑〉
【上杉式部ノ上地御振替ノ事】
御沙汰書写
上杉式部
先般削地被仰付候羽前国置賜郡、高四万石之地所、御詮議之次第有之、更ニ上地御振替被仰出、高帳写之通、改而上地被仰付候間、佐竹右京大夫、溝口伯耆守、酒田民政局出張之者等ヘ申談、地所引渡可申事
○佐竹宰相
先般削地被仰付候上杉式部旧領羽前国置賜郡、高四万石之地、今般御振替被仰出、高帳之通、改而上地被仰付候間、溝口伯耆守酒田民政局出張之者申談、地所受取可申事
○溝口伯耆守
右同文〈溝口伯耆守ヲ、佐竹右京大夫ニ作ル〉
○酒田民政局
右同文〈酒田民政局ヲ、佐竹右京大夫、溝口伯耆守ニ作ル〉
【英国王子渡来ノ事】
御達書写
近日英国王子渡来ニ付、御交際上之条理ヲ以御取扱相成候間、右御趣意相弁ヘ、下々ニ至迄心得違無之様可致候事
【減禄諸藩ト租税ノ事】
大夫士其外減禄或ハ方向未定等ニテ、領地引渡半途之分、管轄之府県ニ於テ、租税取約メ御収納同様取計可申事
但、追而安堵被仰付候分ハ、其度々可相達候条、収納現米金ヲ以テ相渡可申事
太政官日誌・明治2年72号
太政官日誌 明治二年 第七十二号
明治己巳 六月三十日
東京城第三十
○六月三十日〈庚午〉
軍務官箱館征討合記第三〈追録〉
熊本藩届書写
弊藩一中隊、弘前応援トシテ、青森表出張之処、総督府ヨリ、当地応援被命、去ル十五日箱館着港同十六日第三字、津軽旧陣屋進撃ニ付、本道先鋒被命、三字頃相進、暫時砲戦四字頃討入、死傷無之、此段御届申上候以上
五月
細川中将隊長 志水一学
尼寺九兵衛
水戸藩届書写
四月二十九日払暁、海岸人数、矢不来台場正面ヨリ進撃砲戦、遂ニ賊塁ヲ攻落シ候処、賊兵富川台場ヘ踏止リ候ニ付、各藩人数ヲ以テ、速ニ進撃可致旨、御達ニ付、直様同所正面ヨリ進撃、暫時ニ攻落シ、夫ヨリ富川宿迄尾撃致シ、猶有川迄相進候折柄、暁天ヨリノ苦戦殊ニ死傷モ多ク有之候事故、当宿ヘ相止リ、固守可仕旨、再三ノ御達ニ付、不得已同所ヘ固守仕候、同日死傷左之通
死 半隊司令官 村田弥一郎
小監軍 原隼之介
嚮導 鴨川辰三
築造手 千葉藤七
深手 半隊司令官 渡辺吉太郎
嚮導 川崎雄之介
兵士 秋山将之助
桜井嘉七
坂場亀次郎
浅手 小監軍 加治徳三
嚮導 安井平一郎
兵隊 高野金之介
同 川又利八
築造手 高橋巳之介
五月三日夜、山道ノ人数、峠下村ヨリ七重村ヘ出張可仕旨、御達ニ付、夜二字頃、同村ヘ着ノ折柄、賊軍夜襲イタシ候ニ付、御達ノ上直様進撃仕候処、朝四字頃、賊兵逃去候ニ付大川村迄追撃、同所固守仕候
同月十一日払暁、山道ノ人数先鋒ニテ、本道ヨリ進撃可仕旨、御達ヲ蒙リ、相進候処、朝五字頃、赤川、神山両所ノ台場ヨリ、大小砲打出候ニ付、右翼半隊ハ神山、左翼半隊ハ赤川ノ賊塁ヘ、相迫リ、頗ル及激戦、昼十二字頃、遂ニ賊兵ヲ攻落シ候ニ付、五稜郭近辺梶村迄、尾撃仕候処、賊兵郭内ヘ楯籠、且御達有之ニ付、左右相合シ、神山村ヘ引揚申候、然ル処、浜手ノ官軍、亀田村賊塁ヘ対シ、砲戦数刻ニ及ヒ候ニ付、応援旁同所広野相固候様御達ニテ、出張仕候処、賊兵襲来ニ付、不取敢進軍打退申候、同日死傷左之通
死 築造手 長島源太郎
兵隊 小池勇之介
深手 遠藤弥一郎
監軍附属 柴沼紋蔵
砲隊令官
浅手 岡見紋次郎
同十日夜、海岸人数七重浜ヘ相進、終夜広野ニ散布固守罷在候処、明十一日進撃ノ命ヲ蒙リ、暁第三字先鋒ニテ海辺本道ヨリ相進、新道砲台ノ賊兵ト砲戦中、味方ノ軍艦致沈没候ニ付、賊兵大ニ勢ニ乗シ、逆襲致シ候間諸藩人数引揚候砌、踏止リ、再ビ賊兵撃退ケ、新道台場迄進撃、頻ニ砲戦罷在候処、黄昏ニモ及候間、一ト先七重浜迄、引揚候様御達ニ付海辺迄引揚候折柄、同所ニ砲戦罷在候藩々之人数引揚、空虚ヲ示シ候得共、賊兵再ヒ力ヲ得、箱館ヘ進候味方、生路ヲ失候ハ必定ニ付又々進軍候様ニトノ御達ニテ、直ニ台場ヘ相進、終夜砲戦ニ及ヒ候、同日手負左之通
深手 石川佐介
山田幸右衛門
浅手 川村松太郎
嚮導 吉沢助四郎
海野助八
以下兵隊 所新五左衛門
三宅四郎蔵
山戸庄三郎
市毛佐吉
同日、分捕左之通
大砲一門
臼砲一門
弾薬五箱小銃五挺
刀一本
筑後藩ト共ニ分捕之品、左之通
大砲一門
臼砲一門
去ル二日、二股村台場ニ於テ分捕、左之通
ホート一門
ハトロン一箱
同日、峠下村ニ於テ分捕、左之通
臼砲一門
同日、森村ニ於テ筑後藩ト共ニ分捕、左之通
大砲二門
右之通御座候間、此段御届申上候、以上
五月
水戸藩 村田長三郎
津藩届書写
四月十二日、江刺ヘ上陸、同夜松前ヘ為応援弊藩一中隊繰出シ候様、御沙汰ニ相成、同十三日塩吹迄進軍、同十七日弊藩人数、原口村ヨリ十一町計リ先ノ持場ヘ、繰込罷在候処、無程各藩一小隊宛、進軍候様御達ニ付、散兵一小隊、逐次相進、江良町ノ先ヨリ山手ヘ相廻リ、清部、茂艸之間潜伏ノ賊三人討果申候夫ヨリ段々相進ミ、札前ニテ総軍会議ノ上、折戸台場ヘ相向候処、台場ヨリ手繁ク打立、其上賊兵山手ニ防備致居候故、賊ノ左手、御髪山ニ登リ、烈ク打立候処、賊徒忽狼狽、散乱致シ候、因テ直ニ山ヲ下リ、吶喊進撃、松前城搦手ヘ乗入申候事
同夜歩兵一小隊、荒屋口番兵之節、賊四人生捕申候
同十八日、地蔵堂山ニ潜伏ノ賊、有之趣ニ付撒兵一分隊差遣シ候処、討取生捕左之通
首級二
生捕九人
同夜及部村山手、賊潜伏之趣ニ付、歩兵一分隊差遣候処、賊ヨリ発砲取合ニ相成、暫時ニ逃去
〈其節手負帰営後ニ死ス〉 高市第三配下 松山平四郎
同二十八日、当別村ニ着陣、同夜一字三十分ヨリ進軍、茂辺地、矢不来台場攻撃、薩州筑後合併、間道相進候様、御達ニ付、賊ノ台場裏山手、茂艸深樹之間、枚ヲ喞ミ舌ヲ結ヒ、跋渉三里余、湯ノ沢村ニ出テ、諸藩集会ノ処浜手ニ砲声相聞候ニ付、至急相進候得共、山上ノ賊逃散候、山頂ヨリ見下シ候処、矢不来台場正面官軍ト、手繁相戦、海軍ヨリモ頻ニ打込、彼此烈戦ノ模様ニ付、三藩一時ニ鯨波ヲ揚ケ、台場横手攻撃候処、賊敗走致シ候ニ付、富川迄追撃、同所ニ暫時休息、薩藩、弊藩ヨリ斥候差出、三ツ谷村端迄参リ候処、潜伏ノ賊ヨリ俄ニ打出候ニ付、応砲ニ及候処賊兵忽散乱ニ付、有川迄追撃、同夜三ツ谷村迄引揚申候事
十一日、箱館急襲御達ニ付、十日夕八字、富川ニ相揃、津軽兵隊、徳山兵隊、長州砲隊、備前砲隊、同様飛竜艦ヘ乗組、十一日朝四字弊藩先鋒ニテ、弁天島ヘ上陸、一小隊宛両道ニ引分レ、台場口相進候処、賊兵聊防戦、台場ヘ引取候ニ付押寄、諸口攻撃、同十二字頃一本木関門ヘ、薩長徳山兵等相迫リ、戦争之趣ニ付、弊藩一小隊台場口ニ残置、一小隊ハ急速相進候処、賊已ニ引退、各藩休息、又ハ賊兵津軽陣屋ヨリ繰出候ニ付、発砲衝撃、互ニ詰合一同奮戦、賊繰引ニ致シ候、因テ柵際迄引揚申候、右両所ニテ手負左之通
深手 渡辺七左衛門配下 勝島喜左衛門
高島孫六
森島喜三郎
川上武兵衛
森田芳次郎
浅手 磯田政吉
北村熊次郎
森川藤左衛門
同十三日夕、弊藩番所ヘ
元仙台軍事参謀 佐藤雄之介
同会計頭取 仙石丹次郎
右両人降伏願出候ニ付、参謀衆ヘ御届仕、其後民政方ヘ差出申候事
同十六日夜、津軽台場攻撃御達ニ付、翌暁三字、薩州一小隊、肥後一中隊、長州砲隊、弊藩一小隊、本道ヨリ相進候処、何分暁霧ニテ咫尺難弁、肥後藩申合、斥候差出候折柄、賊ヨリ打掛候ニ付、不取敢撒開発砲、直ニ台場ヘ乗入申候、其節死傷左之通
死 渡辺七左衛門配下 森岡荘兵衛
傷 同 森島貞蔵
其節分捕左之通
六斤砲一門
実弾一箱
鉄葉弾一箱
葛論幊一門
弁天台場口ハ弊藩持場ニ付、各藩兵隊ハ進軍候得共、歩兵一小隊ハ相残リ居、薩州、筑後兵隊、備前砲隊ト厳重ニ相固メ罷在候処、賊ヨリ弥以烈敷打出申候ニ付、色々手ヲ替テ攻撃致シ候、十一日夜台場ヨリ斥候ノ賊三人生捕、其後一人討取申候、十二日台場口ニテ手負左之通
深手 高市第三配下 内保斎助
同十三日夕、賊兵降伏之色相見候ニ付、発砲見合候様、薩州ヨリ伝達ニ相成リ候ニ付、矢止致シ、厳重ニ相固罷在候事
同十七日、弊藩一中隊、津軽陣屋出張候様御達ニ付、右一小隊七日目ニ初テ台場ヘ引払申候、同日津軽陣屋ヘ出張之処、翌十八日ニ至リ、五稜郭ノ賊降伏ニ付、引揚候様御達有之箱館迄帰陣仕候事
右之通御座候間、此段御届申上候、以上
五月
伊州藩軍監 三田村上介
服部平蔵
太政官日誌・明治2年77号
太政官日誌 明治二年 第七十七号
明治己巳 六月三十日
東京城第四十
○六月三十日〈庚午〉
軍務官箱館征討合記第八〈追録〉
館藩届書写
四月九日昼四字頃、江差在乙部村ヘ揚陸ヤ否賊兵二小隊許リ、東南坂上マテ押来リ、弊藩半小隊ト戦闘、追々弊藩兵隊上陸、左右ノ山道ヨリ及攻撃、賊徒敗走致シ候、其節賊長ト覚シキ者、兵士橋本治五右衛門ニ狙撃セラレ落馬逃去候、夫ヨリ各藩幷弊藩兵隊、江差表ヘ進撃、柳崎村ヘ繰入候処、賊共大砲備置候間、前面幷川上中崎ノ方ヨリ進ミ戦争ニ及ヒ賊亦潰走致シ候ニ付、江差ヘ進軍候得共、別段賊ノ守備モ無之、同所ニ宿陣仕候、尤乙部村ヘ向候一番半隊ハ、厚沢部鶉村ニ宿陣ノ趣軍事方松崎多門ヨリ急報有之、其節生捕分取如左
分捕 洋鞍置 馬一匹
生捕 〈賊艦迅速丸〉 水手 秀吉
同 吉蔵
外ニ賊兵 二人
四月九日、御軍艦江差在乙部村ヘ着岸、十一字各藩揚陸、御達ニ依テ弊藩糾武隊、即刻江差口ヘ出兵、田沢村ヨリ山ノ手ヘ進ミ候処、賊兵遥ニ相見ヘ候ニ付、致尾撃候、即賊兵逃散之趣、隊長松崎辺ヨリ急報有之候、其節分取如左
施条砲一門
手槍一条
剣一振
刀一口
大小刀一通リ
シナイテル弾三百発許
同十一日御達ニ付、朝六時弊藩奇兵隊江良町村発シ、夫ヨリ遊撃隊ト共ニ、札前村迄進撃之処、賊根部田村ニ屯集ノ由ニ付、右半隊ニテ根部田村迄斥候イタシ、賊一人モ見ヘ不申候得共、撤兵ニテ予備ノ処、賊俄ニ山腰海辺ヨリ襲来シ、頗苦戦中、追々挟撃ノ勢相迫リ不得已兵隊一同、札前村野合ヘ引揚、然処八番遊撃両隊繰込候ニ付、諸隊相纏メ、再ヒ同所ニテ奮戦ニ及ヒ候上、小砂子村ヘ帰陣ノ趣軍事方蠣崎多浪ヨリ急報有之候、其節死傷如左
重傷 蠣崎衛士隊左嚮導 下国郁太郎
半隊左嚮導 高橋覚三
軽傷 銃卒 前田研吉
戦死 銃士 福井左五六
同十三日、大野越木間内関稲倉石ヨリ四里半程、天狗嶽ト申所ヨリ八九丁隔リ、三牧嶽ト申ス山ノ半腹ヘ、賊兵陣家ヲ搆ヘ候ニ付、長州福山兵隊幷弊藩一中隊相進候ヤ否、賊兵戦ヲ挑ミ屡発砲致シ候間、追々諸隊ヨリ応砲激戦ニ及ヒ候処、長州兵隊賊軍ノ後ロ山手ヨリ掩襲ニ依テ賊狼狽、一里半程下二股ノ方ヘ逃去直ニ尾撃ノ処、賊下二股山手ニ大砲備置、厳重防禦ニ付、長州、福山、弊藩ノ兵隊夫々分配攻撃、翌十四日暁マテ劇戦仕候処、一先稲倉石ヲ引揚ノ御達有之、同所ヘ帰陣ノ趣、軍事方今井晦輔ヨリ急報有之候、其節死傷如左
戦死 銃士 河合廉太郎
重創 二番隊軍事方 松崎多門
銃卒 小林重蔵
軽創 銃士 平沼寅太郎
同 笹村貫一
同十四日御達ニ付、朝六字頃弊藩一小隊稲倉石ヲ発シ、上二股ニ出兵中、二股昨日ノ戦場ニ繰入、山ノ中段ニ撤兵ヲ排シ、薩州、福山津軽ノ兵隊ト合併、昼二字ヨリ戦争、夜半ニ及ヒ追々兵士相労レ、一旦揚取候様、御指揮ニ依テ、暁二字天狗岳ヘ帰陣之趣、軍事方尾山徹三ヨリ急報有之候、其節死傷如左
戦死 銃卒 八木橋駒右衛門
重傷 同 高橋直五郎
軽傷 銃士 蠣崎甚五郎
銃卒 佐藤直太郎
同十七日御達ニ付、弊藩奇兵隊原口村山道ヲ発シ、立石野ヘ相進候処、同所ノ砲台ニ於テ各藩幷弊藩兵隊酣戦、賊兵砲台ヲ棄テ逃去候ニ付、奇兵隊ハ山手ヨリ賊ノ後ヲ襲撃シ、遂ニ長駆シテ福山城ノ後門ヨリ乗入申候、其節傷者如左
軽創 奇兵隊 西沢駒吉
同廿三日御達ニ付、暁三字頃弊藩一小隊、大野、津軽、福山兵隊、笹小屋ト申処ヨリ木古内口ヘ進ミ、津軽、大野先鋒、福山及弊藩ト右ノ方、沢口ニ撤兵ヲ布キ、無程先鋒ノ銃声相聞ヘ、御指揮ニ依テ福山、弊藩ハ津軽兵ノ右ニ出テ、賊ノ塁下ニ迫リ候処、暁霧漠々ノ中ヨリ、賊大砲小銃ヲ激発致候間、苦戦数刻ニ及候得共、応援ノ兵モ無之、且深霧ニテ地形ヲ難弁折柄、再ヒ御指揮ニ依テ、笹小屋ヘ帰陣ノ趣、隊長松崎辺ヨリ急報有之候、其節死傷如左
戦死 松崎辺隊銃士 今井由膳
同銃卒 桜井長三郎
伊藤荒蔵
熊谷菊三郎
久保田二太郎
軽創 斥候 氏家厳
銃卒 大石金五郎
出島伝太郎
同廿九日暁三字、当別村ヘ弊藩一中隊出兵ノ処、追々各藩兵隊繰込、整列ノ上矢不来野正面ヘ、五番六番隊撤兵ニテ馳登リ候、賊砲台ヲ厳重ニ相構ヘ、頻ニ発砲候得共、各藩何レモ奮戦ノ折柄、六番隊ノ兵士中山長次郎砲台ヘ先登、続テ五番兵隊左ノ方ヨリ進撃ニ及ヒ候処、賊狼狽イタシ、処々ノ胸壁ヲ棄テ敗走シ、富川野ニ於テ再ヒ砲台ヨリ発砲ニ付、一中隊応援可致旨、御指揮ニ依テ、総長尾見雄三、本陣軍事方新田主税、予備ノ八番隊ヲ指揮シテ尾撃ノ処、賊遂ニ致大敗候間、有川村迄進ンテ屯集仕候、其節死傷分捕如左
戦死 五番竹内学隊銃卒 中川小八
重傷 同銃卒 品川粂太郎
同銃卒 森谷弥助
三戸峰治
六番松崎数矢隊銃卒 石塚宇太郎
軽傷 五番竹内学隊銃卒 大越国吉
同銃卒 森田源治
越谷佐太治
原田音次郎
六番松崎数矢隊銃卒 村本勉弥
同銃卒 山本祐平
長谷川弥平
小林甚兵衛
分捕
大砲一門
弾薬六箱
胴乱十二箇
刀二口
脇差二口
馬上砲四挺
短施条銃五挺
槍一條
スナイドルパトロン二百発
合薬小二箱
大砲空丸六発
ミニユー丸五百発
ミニユー銃七挺
サハヘール四十六振
弾薬三千発
ゲベール剣十八振
六寸短銃四挺
馬一匹
鞍一脊
短銃一挺
サハフル十二振
同廿九日朝三字御達ニ付、弊藩糾武隊、奇兵隊当別村ヲ発シ、浜手先鋒ニテ矢不来野ヘ相進候処、賊数ケ所ノ胸壁ヨリ、烈敷銃発候得共、諸方ノ官軍一時鏖戦ノ勢、奮激猛戦致シ候間、昼十一字頃迄ニ、賊悉ク敗走致シ候ニ付、同所野合ヘ暫時休息、然処又々御指揮ニ依テ、富川村野砲台ヘ正面ヨリ進撃ニ及ヒ賊ノ敗潰ニ乗シ、有川村迄追討ス、其節死傷及討取分捕如左
戦死 奇兵隊銃士 新井田貞治
隊長蠣崎衛士従者 弥太郎
糾武隊小隊司令士 藤田荘七
重傷 奇兵隊銃卒 畑中権兵衛
糾武隊副長 田崎東
軽傷 奇兵隊副長 松前伊予
同銃卒 伊藤忠次
糾武隊銃士 水島栄蔵
同上 大崎進三
同銃卒 中村鉄治
同上 加藤吉蔵
分捕
鉄砲三挺七連砲
刀二口
馬五匹
施条砲弾丸十箇
剣三振
弾薬二箱
短筒三挺
胴乱一ツ
鞍二脊
二十四斤長砲一門
日ノ丸旗一流
赤標人旗一流
黄標人旗一流
討取
賊一人〈富川村ニ於テ、大野岩美斬殪シ、懐中ノ密書ハ、会議所ヘ差出ス〉
五月朔日御達ニ付、夕五字弊藩一小隊、備州藩、箱館府在住隊、大砲隊、同七重浜ヲ警備仕居候処、暁二字頃賊襲来、三面ヨリ烈敷発砲致シ候ニ付、暫時接戦候得共、暗夜殊ニ地形不便ニ依テ、追分マテ引揚候趣、軍事方福井淳蔵ヨリ急報有之、其節傷者如左
軽傷 軍事方 福井淳蔵
同三日御達ニ付、弊藩六番隊有川村ヲ発シ、兼テ追分ヘ出張ノ五番隊ト合兵、夜十一字七重浜ヘ着、五番隊ハ巡邏致シ候処、御指揮ニ依テ、一中隊不残撤兵ニ配リ候、無程賊三面ヨリ襲来、一隊ハ忽チ左ノ山手数ケ所ニ大篝火ヲ焼キ、七重浜民家ヲ放火致シ候処、又々賊兵後ロヨリ頻ニ発砲シ迫ル、殊ニ暗夜且地形不便ニ依テ、追分マテ帰陣之趣、軍事方青山荒尾ヨリ急報有之候、其節死傷如左
軽傷 五番竹内学隊銃卒 津田新太郎
戦死 六番松崎数矢大隊銃卒 上田三平
同十日夜御達ニ付、弊藩六番八番両隊、御軍艦豊安丸ヘ乗組、富川村ヨリ発シ、翌十一日暁四字頃、箱館後ロサフ川ヨリ薩筑先鋒ニテ上陸、賊ノ哨兵ヲ追払ヒ、続テ長州、弊藩上陸、険阻ヲ攀登リ候処、賊兵最早敗走、鶴岡町辺ニテ銃声相聞ヘ候間、直ニ八番隊進撃、各藩ト合兵、一本木柵外迄凡三丁程追撃、六番隊ハ七面山腹ニ予備仕リ、御指揮ニ依テ、一本木関門ヘ、八番隊ト合併厳備仕候内、昼十一字頃賊再ヒ守返シ、暫時奮戦、賊兵又々敗走シ、元津軽陣屋ヘ引退候、其節傷者及分捕如左
軽傷 米田幸治 八番松崎数矢隊小隊司令士
銃卒 小杉粂吉
六番松崎数矢隊軍監 枚田大衛
銃卒 長谷川弥平
分捕
大身槍一条
手槍一条
鋳形七挺
馬二匹
大砲一門
小銃二挺
大小砲丸筵包十八箇
陣笠五蓋
フレキドーシ廿九
ミニヘール一挺
槍二条
馬具一通リ
馬上砲一挺
胴乱一
六寸ツマリミニーユ一挺
弾薬七十発
同十一日暁五字、糾武、奇兵両隊、七重浜ヨリ山手桔梗野石川郷ヘ進撃之処、賊胸壁数箇所築立、烈敷拒戦イタシ候ニ付、短兵斫入可申旨、御達ニ依テ、正面ヨリ右之両隊一同奮戦之処、賊敗走、夫ヨリ五稜郭新道ニテ、各藩兵隊ト倶ニ致戦争候処、賊何レモ五稜郭ヘ逃去候趣、軍事方青山荒雄ヨリ急報有之候、其節死傷如左
戦死 奇兵隊銃士 富山刑部
同銃卒 松江宇八
浅野吉之亟
糾武隊銃卒 平尾民五郎
重創 奇兵隊々長 蠣崎衛士
糾武隊銃卒 谷梯卓平
軽創 同銃士 村山為三郎
青山兵馬
同銃卒 荻野伴五郎
分捕
十八斤大砲一門
施条砲二門
小銃十三挟
同日御達ニ付、暁二字弊藩一中隊藤山村ヨリ大川村ニ至リ、福山津軽ノ兵隊、長州大砲隊ト合シテ、同村ヨリ進軍、凡一里半許ニテ柳岱深林中ニ埋伏ノ賊銃ヲ犯シテ益進ミ、其間二町許ニテ、賊ノ砲台ト相対候処、有川口ヨリ出兵ノ長州兵隊幷弊藩ノ糾武、奇兵ノ両隊合進シ、朝五字頃ヨリ六字頃迄激戦中、長州ノ兵隊奮撃、続テ弊藩三四番隊抜刀ニテ、砲台ヘ衝入候処、賊辟易敗走致シ候得共、左ノ方胸壁ヨリ頻ニ砲撃候ニ付、再度及激戦、終ニ賊兵ヲ追崩シ、暫時休憩、其節軍事方明石廉平銃卒十余人ヲ率テ、亀田村ヘ及進撃候、其節又々賊兵繰出候ニ付、長州兵隊幷弊藩ノ三四番隊、交進大戦シ、水戸ノ兵隊、弊藩糾武奇兵隊ハ浜手、津軽兵隊ハ山手ヘ廻リ、弊藩三四番隊、長州兵隊ト諜シ合セ、急ニ五稜郭近辺ヘ相迫リ候処、御指揮ニ依テ、一旦休戦帰陣ノ趣、軍事方明石廉平、下国美都喜ヨリ急報有之候、其節死傷分取如左
戦死 四番佐藤男破魔隊銃士 下国禄之進
重傷 三番隊々長 阪本篤太郎
軽傷 南条小弁治
同銃士 吉井梅太郎
岡江権作
四番佐藤男破魔隊銃士 工藤采女
同銃卒 倉橋真弥
池田茂吉
同銃卒 菊池未五郎
吉田六郎
須藤郁右衛門
浅井保三郎
三番隊役夫 長作
四番隊役夫 倉吉
分捕
施条砲一門
同弾薬二十
小銃八挺
刀一口
尖弾八
散弾十二
大砲弾一箱
小銃弾一箱
同十三日夜御達ニ付、弊藩一中隊各藩ノ兵隊ト、桔梗野警衛仕候処、十二字頃賊兵一小隊許、深霧ニ乗シ襲来ノ由、兼テ差出置候斥候報知ニ付、戒厳相待候ヤ否、賊半町程迄逼リ候間、暫ク致邀撃候処、賊悉ク引去候趣、軍事方石毛達右衛門ヨリ急報有之候
同十六日御達ニ付、暁三字頃弊藩六番八番両隊、大森浜ヨリ進軍之処、元津軽陣屋ノ賊巣最早平定ス、猶御指揮ニ依テ、五稜郭口警衛仕候、右十一日、十六日両度出兵ノ儀、軍事方杉村矢地、池田弦衛ヨリ、一本木出張新田主税ニ急報有之候
右四月九日乙部揚陸ヨリ当月十六日迄、戦争ノ大概ニ御座候間、此段御届申上候、以上
五月
松前藩 尾見雄三
太政官日誌・明治2年79号
太政官日誌 明治二年 第七十九号
明治己巳 六月三十日
東京城第四十二
○六月三十日〈庚午〉
軍務官箱館征討合記第十〈追録〉
朝陽艦届書写
四月三日品海出船、同十五日津軽領青森着、同十六日同所出帆、同領三厩ニ着艦、隊ニ加ル、同十七日早暁、甲鉄、春日、陽春、丁卯飛竜及当艦一同、三厩出帆、松前城下進撃、賊立石ト申所ノ台場及ヒ城下四ケ所ノ台場ヨリ発砲、午後海陸共ニ進撃、賊兵竟ニ敗走、松前城官軍ノ有トナル、此日当艦放弾百七十余
軽創 〈越前藩副長〉 福島弥太六
同夜松前城下沖ニ碇泊、同十八日福島ヘ転艦賊兵遁走、各艦ヨリ兵隊揚陸致シ、小銃弾薬等分捕ス、同夜斥候トシテ矢越沖ヘ出ル、同十九日未明、知内沖様子伺居候処、蒸気船二艘木古内沖ヘ見ユ、賊艦又ハ他艦ナルヤ可見究ト近寄候処、賊艦回天、蟠竜、進来候ニ付兼テ申合ノ号砲致シ、奮戦激闘ノ覚悟罷在候処、俄ニ煙霧深ク四方冥々、賊艦ノ所在ヲ弁セス、依之船向ヲ定メ、福島ヘ帰リ、各艦ヘ報告、一同出船、矢越岬ニ至ル、賊艦回天箱館ヘ向ケ逃去、逐テ港口ニ至候得共、追付申サス、然処天気悪ク候ニ付、此ヨリ引返シ三厩ニ泊ス、同廿日午前深霧、午後各艦出帆、矢越岬ニ至ル、賊艦回天、蟠竜、木口内沖ヘ漂船、官艦ヲ見テ逃去候ヲ、追テ港口ニ至リ春日艦早進、賊艦回天ト戦フ、日没ニ付暫時ニテ戦ヲ止メ、各艦福島ヘ帰泊、同廿一日天気悪ク、因テ三厩ヘ転泊、同廿二日木古内ヘ進泊、同廿三日午後各艦一同出帆、箱館港見廻リ、日没ニ及ヒ帰艦、同夜半ヨリ港口辺斥候、同廿四日午前各艦一同出帆、七時半茂辺地村ヘ、四五発砲丸打放候処、賊兵二三百人八方ヘ遁走、此ヨリ賊ノ胸壁台場ヘ発砲、則右台場ノ中央ニ着発ス、転シテ甲鉄艦ノ近傍ヘ進ミ、賊艦回天、蟠竜ヲ狙撃ス、是ヨリ大戦トナリ、賊モ回天、蟠竜、千代田三艘及ヒ台場ヨリ、手繁ク発砲、飛弾雨霰ノ如ク、十字半頃砲戦最烈、其轟声恰モ百万ノ雷霆、一時ニ激発スル如シ、此際賊ノ飛弾二箇当艦ニ中リ、甲板ノ梁ヲ摧キ、砲台ノ車ヲ破リ、舷ヲ貫透ス、十一字頃暫時休戦、午後又烈敷砲戦、三字半ニ及トモ勝敗不決シテ止戦、泉沢村沖ニ転泊、此日当艦放弾凡二百五十余
軽傷 副長肥前藩 夏秋又之助
山本洪輔
火焚 栄太郎
同日夜半迄当艦斥候、同廿五日午後ヨリ天気悪ク三厩ヘ転泊、同廿六日天気悪ク同所滞泊同廿七日泉沢村沖ニ進ム、同廿八日軍議、海陸大進撃ノ策ヲ決ス、同廿九日暁出船、陸軍応援ノ為メ、茂辺地、矢不来辺ヘ転進、発砲ノ央ニ陸軍進撃ノ処、賊数ケ所ノ台場胸壁ヨリ烈敷打立、大戦ト相成リ、因テ益急発狙撃致シ候処、浜手台場ノ賊終ニ敗走、夫ヨリ胸壁ノ賊次第ニ遁走、此日当艦手負如左
重創 〈五月五日於病院死〉大村藩 村上源助
一等水夫長崎府附 三吉
二等水夫東京芝 重五郎
同長崎府附 兵五郎
三等水夫長崎馬込郷 佐吉
同長崎平戸町 平太郎
〈五月十五日青森病院ニテ死〉同稲佐郷 力三郎
同夜ヨリ各艦有川沖漂船、甲鉄艦ト共ニ斥候五月朔日暁霧ニ乗シテ、賊艦進来ヲ見受ケ、直ニ進迎致シ候処、一艘ハ港内ヘ退キ、千代田形ハ漂ヒ居候故、甲鉄ト共ニ発砲、春日モ進来発砲ノ処、応砲モナク、乗組既ニ遁走ト相見エ候ニ付、甲鉄ヨリ哨船ニテ乗取リ、富川沖ヘ繋留ス、同二日丁卯艦一同、陸軍為応援、七重浜辺迄進入之処、賊艦ヨリ発砲、則之ニ向フテ烈敷発砲、十字過止戦、同三日港内ヨリ出帆之諸船取締トシテ、箱館山ニ傍ヒ漂ヒ居候処、賊弁天崎台場ヨリ発砲候得共、之レニ応セス、沖手ニ漂ヒ候、同四日午前、諸艦一同港内ヘ乗入リ、砲射ニ及候処、風向悪ク、賊弾ハ能ク達シ、我弾ハ不達、抑港内浅瀬アリ、数艦駢進スヘカラス、殊ニ賊ノ水雷及ヒ水下ノ張綱ニ掛ルノ恐アリテ、十分近寄ル能ハス、因テ十字頃止戦、同五日春日艦ヨリ、暗夜ニ乗シ、水下ノ張綱ヲ切ル策ヲ施シ、不成シテ止ム、同六日夜竟ニ張綱ヲ切リ除ク同七日各艦一同進撃、陽春、丁卯ハ台場ニ向ヒ、甲鉄、春日及当艦ハ賊艦ニ向ヒ、烈敷発砲、賊モ回天、蟠竜並弁天台場ヨリ発砲飛弾雨ノ如シ、春日艦ト共ニ進入、賊艦ヲ隔ル七八丁許、益攻撃ノ処、回天コラエ兼テ浅洲ニ乗リ揚、小銃接戦ノ場ニ至リ、賊海中ヘ飛入リ、或小舟ニテ遁走スル過半、十字過止戦、当艦ヘ中弾十四五、手負如左
重傷 〈此夜死〉一等水夫讃州塩飽江ノ浦 繁蔵
軽傷 二等水夫長崎府附 千五郎
二等水夫長崎炉粕町 虎吉
水夫長崎椛島町 政八
同八日ヨリ十日迄、海陸大挙全勝ヲ得ルノ手配中ニテ止戦、同十一日暁三字、軍議ノ如ク五稜郭ヨリ箱館ヘ応援ノ賊路ヲ絶ンカ為ニ、丁卯艦ト共ニ港内ヘ乗入リ、海岸屯集ノ賊幷浜手台場等ヲ両艦ニテ繰打ス、賊台場ヨリ応砲、因テ烈敷狙撃致シ候処、賊敗走ス、陸軍進テ其台場ヲ取ル、益進入放射ノ処、賊艦蟠竜進来発砲、回天台場ノ体ニテ連発、弁天崎台場及ヒ亀田ノ浜一本木台場ヨリモ発砲、頗苦戦候エ共、此場猶予致シ候テハ、箱館山ノ奇兵ヲ始メ、総軍ノ敗ヲ取ン事ヲ恐レ、特進彼是ヘ応シ奮戦、蟠竜ヲ狙撃致シ候処、四五弾ハ的中致シ候様見受候、当艦ヘモ二三弾中ル、蟠竜且放射シ、且退クヲ、逐テ十丁余ノ距離ニ至リ、益猛撃ノ央、蟠竜ヨリノ飛弾我艦ノ右舷ヲ貫キ、火薬庫ニテ破裂シ、艦ノ後部瞬間ニ破壊、前部次第ニ沈没、乗組助命ノ者波間ニ漂ヒ、或檣ニ取附居候ヲ見テ、蟠竜進来致シ候ニ付、水夫壮健ノ者、小舟ヲ求メンカ為ニ、浜辺ヲ指シ泳キ出シ、中途ニテ殆ト沈溺ノ処、備州輜重方三宅某、漁舟二艘ヲ出シテ之ヲ助ケ、且艦側ニ来ル、又英国軍艦ペール船ヨリ端舟二艘ニ士官乗添ヒ、沈没ノ処ニ来リ救フ、此内春日艦直ニ蟠竜ニ向ヒ、丁卯艦沈没ノ所ニ来リ、端舟ヲ出シ助ク、此日死傷左之通〈日誌第五十五号ニ出ル分ハ、今削之〉
死 士官長崎府 鬼塚麟之助
三等水夫筑後馬込郷 総市
同羽後秋田 久五郎
同東京久保町 直吉
同長崎小瀬浦 重吉
重傷 三等水夫肥前五島富江横峰村 音吉
同肥前佐嘉郡早津瀬 源助
一等火焚東京木挽町五丁目 金太郎
二等火焚 利助
同摂津兵庫湊町 政吉
同東京京橋鞘町 三次郎
同東京築地 長吉
同長崎内中町 伊十郎
同筑前博多浜口浜 長右衛門
軽傷 肥前藩 江馬敬太
三等水夫紀州茂路郡田並 庄蔵
同筑後柳河 清十郎
同武蔵品川宿一丁目 儀助
水夫長崎磨屋町 治三郎
中牟田倉之助其外都合二十四人、英艦端舟二艘ヨリ救助ヲ受ケ、有川ヘ上陸、鬼塚麟之助其外都合三十八人ハ、備州輜重方ヨリ差送ノ漁舟二艘ヨリ救助ヲ受ケ、七重浜ヘ上陸、有川ヘ罷越ス、英艦ヨリ医師両人ニ日本語ニ通スル者ヲ添ヘ、有川ヘ遣シ、傷者ヲ治療ス、平定ノ末、五月廿九日凱陣ノ命ヲ蒙リ、飛竜丸ニテ六月四日東京着仕候
右御届申上候、以上
六月
朝陽艦船将 中牟田倉之助
飛竜艦届書写
三月二十五日天気不定候ニ付、各艦南部旧領宮古湊ト申所ヘ碇泊致居候処、午前四字頃沖合ヨリ、外国ノ籏章ヲ揚、異軍艦一艘颿来、忽日ノ丸旗章ト揚替、依之本艦甲鉄ヨリ、賊艦ト闇号旗ヲ以テ諸艦ヘ示シ候内、本艦ヘ乗掛ケ、頻ニ大小砲連発致シ候、当艦ニハ直様応砲有之候得共、運輸船ニ候エハ、速ニ可応大砲無之、去迚甚切迫ニ依テ、不得巳小銃ヲ以テ船中ヨリ連発、頗苦戦仕候、賊艦回天遂ニ逃去、諸軍艦ハ直ニ賊船追撃、当船モ続テ出帆仕候、此日戦争大略如此、但シ当艦ハ敵ノ弾丸五ツ中ル、皆左舷ナリ、其節手負如左
深手 一等水夫 源蔵
二等水夫 寅吉
浅手 船長 岡啓三郎
二等水夫 虎次郎
金次郎
三等水夫 伊三郎
四月六日午後二字青森出船、長州兵隊乗組、乙部ト申所ヘ諸艦一同着岸、同日諸艦ハ江差砲台ヘ向ヒ攻撃相始申候、其中兵隊揚陸ニ相成、即江差ヘ運転仕、一二日碇泊、同十一日夜十二字出船、十二日午前七字頃、松前城下海岸辺通航致シ候処、松前沖之台場幷城下台場両所ヨリ不斗発砲致シ候ニ付、不得巳二十余発応砲仕、一発ハ台場ニ的中スト相見エ候其余ハ不相達候、賊十五六発余発砲仕候エ共我船ニ一弾モ不達候、運輸船ヲ以テ長船ハ無策ニ属シ候間、一先引揚候事
同月十七日、津軽領三厩ト申処ヘ、午前三字甲鉄艦、春日、朝陽、陽春、丁卯幷飛竜、松前城下ヘ向ケ出帆致シ、着岸乃チ本艦ヨリ発砲可致号令有之、諸艦一同発砲ス、賊モ処々ノ砲台ヨリ烈ク発砲致シ候内、我陸軍進来リ海陸合撃仕リ、当船モ十五六発砲発仕候エ共的中スルカ否ヲ不知、午後四字頃ニ至リ落城乃チ海陸一同発砲相止メ候エ共、陸軍少人数ニ付、為迎午後七字江差ヘ転進仕候事
同月廿九日午前十字半、諸軍艦泉沢出帆、続テ当艦モ箱館港内ヘ突入シ、諸艦攻口ヲ分チ進撃ス、我陸軍為応援、海岸近ク相進ミ、間々応砲仕候、午後四字頃ニ至リ、発砲相止候ニ付、諸艦一同富川村傍ニ漂泊罷在候事
五月十二日暁富川出帆、長州、備前、伊州、津軽、徳山五藩兵隊乗組、函館裏手山脊泊ト申処ヘ着、同刻諸艦ハ砲台且賊艦ヘ対シ、攻撃相始申候、右上陸ノ兵ヲ応援セン為メ、同所迄春日艦颿来リ、発砲致シ候故カ、賊悉ク上陸候ニ付、則弁天崎台場ヘ向ヒ発砲致居候折柄、遥々港中ニ於テ朝陽艦沈没ノ様子見請候ニ付、為救援直ニ方位ヲ転シ相進候処、怪我人ヲ陸地又ハ英国軍艦ヨリ橋舟ヲ以テ援取居候ニ付、不取敢尋問旁罷越、船長ヘ面会致シ、夫ヨリ重テ賊艦ヘ向ヒ、諸艦一同奮戦仕候処、賊遂ニ艦ヲ乗捨逃去申候、其刻本艦甲鉄ヨリ、当船ヲ以テ賊艦可焼捨様達有之ニ付砲台ノ正面間近ク相進、専ラ手配致シ居候内残賊ヨリ不意ニ連発致シ、頗困苦罷在候、但当船ハ敵ノ弾丸二発相中リ、其節討死左之通
死 二等水夫 虎蔵
右之通御座候、以上
六月
飛竜丸船長 岡啓三郎
太政官日誌・明治2年80号
太政官日誌 明治二年 第八十号
明治己巳 六月三十日
東京城第四十三
○六月三十日〈庚午〉
軍務官箱館征討合記第十一〈追録〉
陽春艦届書写
三月十六日、各艦浦賀港出帆、同十八日奥州関伊郡鍬ケ崎着碇罷在候処、同廿五日暁賊艦回天襲来、依テ諸艦合撃、回天ハ数里遁去、外一艘ノ賊艦、羅賀辺海岸ヘ乗附罷在候ニ付諸艦一同打向候処、春日、甲鉄ノ両艦攻撃中ニ付、扣居候処、合撃候様甲鉄艦ヨリ申来リ直様相進、数砲打放候得共、一発ノ応砲モ無之ニ付、賊艦乗込之者遁去候ヲ察シ、二艘ノ端舟ヲ卸シ、艦中ヲ点検候様命ス、無程一艘引返シ、乗込一人モ無之、艦中火起リ居候ニ付、取消シノ手配致シ来ル段、報告ナス間モ無之、又々一艘乗リ返シ、相達候ニハ、火ヲ消シ、機関其外見分候処、水下ニハ損所モ無之様候得共、猶又隅々迄見調候処、機械下、鑵之下共二ケ所、漏穴有之、何分用立兼候ニ付、機械諸カラーンヲ明ケ、海水漸次ニ浸入候様致シ、船体ニ火ヲ放チ、焼捨ノ手配致置候段、帰報致候、必用ノ諸品分捕左之通
手槍二本ライフル
シナイドル用製玉五百箇
地図数十枚
コロノメートル一箇
ハロメートル一箇
米仏魯英葡ノ旗章五流
日ノ丸大旗一流
アシミツトコンパス一箇
ホリソント一箇
和蘭英書籍数部
半胴太鼓一箇
同二十六日、青森着船
四月六日各艦発港、風雨、依テ平館港ニ投錨ス、同八日発港、乙部ニ赴ク、松前湊前ヲ過ルニ、西手ノ台場ヨリ頻ニ発砲、我艦応セス其夜ハ各艦共洋中ニ漂ヒ、翌九日暁乙部村着途中江差沖島台場ヨリ発砲候、同断応セズ、昼頃ヨリ陸兵応援ノ為メ、江差陣屋沖島台場ニ発砲ス、賊一発モ応セズ、故ニ発砲ヲ止メ候処、土民我艦ヘ来テ、賊兵昨夜迄三百人屯集ス、今朝乙部ヘ出兵、小荷駄方ノミ相残居候段、申達候内、又々来テ、今敗走ノ賊二百人程帰来リ、諸台場ヨリ発砲ノ手配中ト報知ス、直ニ一艘ノ端舟ヲ卸シ、小舟等ヲ添ヘ、沖島台場ヲ襲ヒ、十二封度野戦砲一挺、メリケンホード二挺、精米十一俵分捕、其他ノ大砲ハ、難用様計セ来候段申達候、精米ハ陸兵糧米用ニ参謀ヘ送ル、同十日朝、松前沖ヲ通船ス、又々台場ヨリ発砲、依テ我艦ニモ少シク応砲ス、昼三厩ヘ帰碇ス、同十六日午後一時発港、箱館港内ノ様子ヲ伺ハント、各艦彼地ヘ赴ク、途中異船ヲ見ル、賊艦ナラント近附見レバ、外船ナリ、直ニ港口ニ至ル、賊所ニ火ヲ焼テ合図ヲ為ス、港内ニ回天、蟠竜、千代田三艦、火ヲ点ジテ沖見望見ノ体、各艦ハ共ニ港前ヲ過テ、モロランヘ赴クノ体ヲ成シ、夜ニ入テ三厩ヘ帰碇ス、同十七日午前四時半ヨリ、陸兵応援ノ為メ発港、アマダレ〈地名〉ニ赴ク、松前港前ヲ過ルニ、処々ノ台場ヨリ頻ニ発砲ス、各艦応セズ、春日斥候ノ為メ一時先キニ発シ、アマダレニ赴ク陸兵ニ応援、依テ直ニ松前西手台場ニ向ヒ、替ル々々発砲シ、続テ我艦朝陽、直ニ港内ヘ乗入レ、処々ノ台場ヘ発砲ス、賊頻ニ防戦、午前九時ヨリ十二字ニ及フ、依テ各艦戦ヲ止ム、午食ヲ為シ、終テ直ニ進撃ス、陸兵モ海軍ノ応援ニ依テ、台場ニ迫ル、故ニ各艦共ニ廻転繰打シ、海陸合撃ス、賊固守シ、暫時ニ難破、午後四字半頃遂ニ台場ヲ落シ、続テ松前ヲ突ク、処々ヨリ之ヲ支ヘ、五時頃ニ落城シ、賊兵東浜手ヲ敗走ス、依テ我艦ヲ陸地ヘ近附ケ、大小砲ヲ以テ追打ス、賊散々ノ体ニテ、山道ヨリ季古内ヘ敗走ス、松前吾有トナル、港内ニ漂ヒ、其夜ヲ明ス、同十八日、吉岡ヲ突ント、松前ヲ十字半過ニ発シ、直ニ吉岡ニ着スル処村役来テ、賊兵暁食事終テ当所引揚、山内一ノ渡ニ屯集ト報知ス、其後朝陽ヘ来テ、報知ノ事件ニ依テ、艦々ヨリ士員一名、水兵十員宛ヲ指向ケ、諸荷物艦々ヘ取込ミ、将又当所二ケ所ノ台場アリ、賊兵来テ、此台場ヨリ砲発セバ、海軍大難儀ニ可及、然ルニ未タ陸兵進入セス、不得已我艦ヨリ士員ヲ遣シ、台場筒ノ火門ニ釘ヲ打シム、其夜ハ各艦交代、陸上ヘ斥候兵ヲ出置申候、同十九日午前七字過福島ヲ発シ、季古内、知リ内ヲ突ント、彼地ヘ航ス、遥ニ賊艦ヲ見テ、各艦共ニ追之、速ニシテ不達三厩ヘ帰着、同廿日午後四字三厩ヲ発シ知リ内ヘ航ス、亦々賊艦ヲ見掛ケ、追之不達、黄昏ニ及フ、故兵ヲ止メ、福島ヘ航ス、不時水蒸気深ク、其夜ハ港前ニ漂ヒ、鶏鳴ヲ待テ三厩ニ帰ス、同廿二日午前八字同所ヲ発シ、午十二字福島ヘ赴キ、陸兵ノ様子ヲ伺ヒ、直ニ季古内ヘ赴ク、陸兵既ニ進入、札苅、泉沢辺ヘ斥候ヲ出シタル趣、依テ当所ニ各艦滞泊ス、同廿三日午後二字発シ、六字当別ニ至リ、続テ箱館港内ヘ向ヒ候得共、黄昏ニ及フ、依テ季古内帰碇ス、同廿四日午前五字半、季古内ヲ発シテ箱館ヘ赴キ、直ニ港内ヘ向ヒ、賊艦ヘ発砲ニ及フ、彼之三艦並諸台場ヨリ、応砲烈敷、各艦不厭、益々進入候、水上怪敷物ヲ見ル、水雷ト察シ糾之、後チ次第ニ進ミ、戦争及数刻、十一字半ニ至リ、戦ヲ止メ、午食ヲ為ス、終テ又々戦争ヲ始メ、順次港内ニ迫リ、午後四字ニ過ルト雖モ、勝敗ヲ不分、黄昏ニ及フ、故ニ戦ヲ止メ、同廿五日三厩ヘ帰碇ス
同廿八日夜斥候ノ末、翌廿九日午前七字半ニ茂辺地ニ赴キ、陸軍ニ応援シ、発砲ヲナス、賊早引退ノ体、就テハ発砲ヲ止ム、陸兵次第ニ進軍、依テ富川、有川両所ヨリ、賊ノ進軍ヲ遮キラント、彼地ヘ欲行、時ニ茂辺地村外レ山手ヨリ、賊之ヲ支フノ体、依テ我艦ヨリ山手ニ、陸ノ為メニ設シ、処々ノ台場砲ヲ打摧キ、春日ハ其土手ヲ打崩シ賊敗走、陸軍益進撃矢不来落去ス、竟ニ有川迄追撃ス、海陸共ニ戦ヲ止ム、午十二字過ニ至ル、就テ賊船脱走ノ体ヲ見ル、依テ各艦ヲ以テ船路ヲ断ツ五月朔日午前三字、賊船千代田、箱館観音山ノ脇ニ在リ、甲鉄、朝陽発砲ヲ始、我艦春日丁卯共直ニ発シ至ル、最早甲鉄ヨリ端舟ヲ卸シ、彼ノ艦ヲ乗取リ申候
同二日午前二字過、端舟一艘暗ニ紛レ、当艦ノ近傍ヲ通行スル体、直ニ差咎候処、不得止我艦ヘ相附ケ、糾之ニ、賊艦蟠竜ヨリ脱走ノ水夫七人ナリ、就テ一人宛ヲ船内ヘ引揚ケ改之、所持ノ品等取揚、守衛ヲ附ケ、留置申候其後又々箱館土民両人来リ、救助ヲ請フ、是又取調、前文同断計置、鶏明ヲ待テ脱走ノ者ニ守衛ヲ附、参謀ヘ引渡シ申候、右取揚候品如左
端舟〈但、揖其外共〉一艘
日ノ丸旗〈但、竿共〉一流
ウインブル〈但、同断〉一流
短銃七挺
刀七本
短刀一本
胴乱一箇
同日、陸軍進撃ニ付、海軍ヨリ応援ノ儀申越候ニ付、諸艦応援ス、我艦春日ト共ニ、弁天崎台場ヲ打ツ、然ルニ陸兵不進撃ノ体ニ付、発砲ヲ止メ、水兵ヲ休メ申候、其後港内船ノ出入ヲ禁シ、大小商船ヲ改ム
同七日午前四時、有川沖ヲ発シ、直ニ箱館港内ニ向ヒ、我艦丁卯台場ニ掛リ、其他ノ艦々賊艦ニ掛リ、発砲ス、台場ヨリモ、我艦ヘ向ケ烈敷雖発砲不厭、益々近傍ニ進ミ、劇発奮戦シ、攻撃隊ヲ出シ、小銃ヲ以テ賊ノ砲兵ヲ打シメ、機ニ応シ、賊艦回天ヘ発砲ス、彼モ諸方ヨリ頻ニ防戦、砲弾舟ノ前後左右ニ来ル事甚シ、幸ニシテ賊弾一発モ不受、各艦共奮戦、依テ回天遂ニ浅瀬ヘ乗揚、賊等海中ヘ飛入、水ヲ渡テ陸ヘ敗走ス、依テ其日ノ戦ヲ止メ、次第ニ港外ヘ出テ、水兵ヲ休メ申候
同十一日午前一字発シテ、三字ニ箱館裏浜ニ着、直ニ進撃発砲、数ケ所ノ台場ヨリ、頻ニ応砲、不時シテ賊敗走ス、依テ屡小銃ヲ以テ烈敷之ヲ狙撃ス、彼ヨリモ小銃ヲ発シテ応之港内ノ艦々同時進撃ノ体ニテ、九字頃朝陽艦破裂沈没ス、十字頃浜手進軍ノ陸兵ヨリ、止砲ヲ請フ、雖然敵味方ヲ難分、故ニ端舟ヲ卸シテ、士員、水兵等ヲ上陸セシメ、是ヲ正シ弾薬等ヲ分捕シ来ル、依テ我艦ヨリ発砲ヲ止ム、十字半味方ノ軍艦一艘ヲ増ス、則肥藩ノ延年艦ナリ、同時我艦ヲ進テ、津軽陣屋ヲ発射ス、十一字ニ至リ、既ニ陸兵賊ノ背後ニ出テ、我艦ヨリ砲射スル不能、港内ノ諸艦、蟠竜ヲ打摧テ、台場ニ迫ルノ体ナリ、午後二字我艦港内ニ帰ル、同九字陸ヨリ打方ヲ請ケ、依テ弁天台場ヘ発砲ス
同十二日午前一字、七重浜ヘ赴キ、陸兵ニ応援スル事四字ニ至ル、午後一字弁天台場ヲ放射、同四字陸兵ニ応援、五稜郭ヲ砲撃ス、同五字弁天台場ヨリ発砲ス、依テ亦々頻ニ劇発シ、賊兵頭ヲ出セバ、小銃ヲ以テ是ヲ射ラシム、賊懼レテ砲台下ニ潜伏シ、敢テ放射スル能ハズ、其夜中我陸兵打方ヲ請フ、故ニ発砲スル事再三、同十三日端舟二艘ヲ卸シ、過日除キシ残綱幷水雷火等探索シ、又水雷二樽ヲ得ル、之ヲ穿開シテ見ルニ、海水既ニ桶内ニ満テ、用ヲ為シ難シ、午後亦台場ニ発砲ス、陸軍ヨリ止砲ヲ請フ、依テ其通取計申候
其後津軽陣営、其外応援発砲、十八日至リ全ク平定相成、同廿八日箱館出港、六月四日東京着仕候
三月廿五日以来、大小砲弾費
大砲千二百五十七発〈四十斤、三十斤、二十斤、十二斤、空実霰弾共〉
小銃六千発〈スナイドル、幷エーンヒールド銃、六放短筒共〉
右之通御届申上候、以上
六月
御軍艦 陽春船将 石井貞之丞
丁卯艦届書写
四月九日朝八字三十分、甲鉄、春日、陽春一同、蝦夷地乙部村沖着、陸兵繰揚、十二字ヨリ陸軍進撃応援ノタメ、江差諸台場ヘ砲撃仕候処、賊ヨリモ当艦ヘ向ケ銃丸数発、二時三十分砲発ヲ止メ、六字頃江差落去仕候、同月十七日朝十字三十分ヨリ甲鉄、春日、陽春、朝陽ト一同、福山台場ヘ砲撃、賊ヨリモ発砲仕、追々陸軍城下ヘ相進ミ、午後四字四十五分砲撃ヲ止メ、其夜同沖漂泊仕候
同月廿四日朝七字、甲鉄、春日、朝陽ト一同茂辺地ヘ至リ候処、箱館港内回天、蟠竜、千代田形ノ三艦、蒸気ヲ揚ケ漂泊罷在ニ付、先港内ノ台場ヘ砲撃、激戦仕候得共、何分海底ノ障有之、不能進、午後四字三十分砲撃ヲ止メ、同字五十五分出港、泉沢村ヘ罷帰候
同月廿八日夜二字過、各艦泉沢沖ヲ発シ、廿九日早天、四字三十分茂辺地ヨリ矢不来迄ノ台場ヘ、陸軍応援ノタメ発砲仕、陸軍有川迄進入ニ付、発ヲ止メ、午前同沖投錨仕候
五月二日朝七字五十分、本艦ヨリ陸兵進入、合図ヲ揚、応援ノタメ直ニ揚碇、七重村沖ヘ至リ候得共、賊兵屯所不分明ナル故、砲撃ニ至ラス、十字過蟠竜丸ヨリ砲撃ス、依之朝陽艦ト共ニ、賊艦ヘ砲撃仕候得共、海底ノ憂有之不能進、十一字前不得止砲撃ヲ止メ、引返同月四日朝八字四十分、本艦ヨリ進撃ノ合図ヲ揚、同字五十分賊艦ヘ砲撃、此時亦海底ノ憂ニ依テ、勝敗不相決、十字廿五分砲撃ヲ止メ、有川沖ヘ罷帰候
同月六日、各艦進撃会議有之、甲鉄、春日、朝陽三艦ハ賊艦ヘ向ケ、陽春、丁卯両艦ハ台場ヘ向フノ順序ニ相決シ候処、過日賊ヨリ軍艦進入ヲ防ン為、港内海底ヘ張縄等致置ニ付春日艦ヨリ魚舟ヲ以テ、同夜中相探リ、七日暁切リ揚候段、合図ヲ揚候ニ依テ、本艦ヨリ進入ノ号籏ヲ揚、出船、六字十分弁天崎台場前ニ至リ、陽春艦ト共ニ、砲撃仕候得共、台場近辺ニハ張縄相残リ不能進、且同字四十五分、三十斤破損、四十斤本込ノ捻相損候ニ付暫時引退相調候処、二挺共不能用、不得止其侭再進、同台場ヘ廿斤二挺ニテ砲撃仕候中、回天丸洲上ヘ乗揚、運転不相成様見請候処、春日艦ヨリ退艦ノ号籏ヲ揚ク、依之富川沖ヘ罷帰候
同月十日夜三字十分、朝陽艦ト一同、七重浜台場ヘ砲撃、夫ヨリ引続十一日蟠竜丸ヘ砲撃仕候中、朝陽艦薬室ヘ火相転シ、破裂ニ及ヒ其後甲鉄、春日、延年ト一同、賊艦ヘ砲撃、午後一字二十分砲発ヲ止メ、回天丸ヘ放火仕候
右概略御届申上候、以上
六月
丁卯艦 山県久太郎
校正
第七十一号、一葉後面、伏水御親兵隊届書之内、続テ兵隊打入候且又ノ下エ、裏門ヨリ補助長官賀茂右平太其外上村六郎ノ十九字ヲ脱ス