太政官日誌 明治二年 第七十五号
明治己巳 六月三十日
東京城第三十八
○六月三十日〈庚午〉
軍務官箱館征討合記第六〈追録〉
柳川藩届書
去十七日朝十字頃、江良町宿ヘ賊屯集罷在候ニ付、弊藩一小隊、長州藩合併ニテ進軍仕候処、海軍ヨリモ砲発致シ、賊徒敗走、終ニ札前村迄追討仕、於同村暫時休兵、一字頃ヨリ諸藩一同、進軍仕候処、立石村ト申処ヘ、賊台場ヲ構ヘ、厳ニ防禦致シ候ニ付、長藩合併ニテ、弊藩一中隊二手ニ分ケ、一手ハ台場ノ正面ニ向ヒ、一手ハ左手ノ山上ニ攀登リ候処賊亦厳シク発砲致シ、頻ニ激戦ニ及ヒ、終ニ賊徒追下シ、直ニ松前城搦手ヨリ、伊州藩一同乗込申候、当日討死手負、左之通御座候
死 参謀 佐々金平
深手 斥候 曽我静軒
吉村百助隊 大藪良太郎
岡本重太郎隊 小西順蔵
右之段於松前、御届仕候趣申越候ニ付、尚亦御届申上候、以上
四月
筑後藩 堀江但馬
○
五月十一日、箱館表ヘ急襲、中央ヨリ進撃候様御達ニ付、十日夜十字頃、豊安丸ヘ乗込、翌十一日早天、観音山麓ヨリ揚陸、直ニ絶頂迄馳登リ、一小隊ハ浜手一本木ノ方ヘ相進候処、大森浜ニ当リ、砲声相聞ヘ候ニ付、其方ヘ進軍、中途ニテ各藩合併相進、正面ヨリ砲撃仕候処、賊不支敗走致シ候間、其侭同所ヘ屯集仕、尚亦各藩合併弁天崎台場ヘ攻撃、頻ニ発砲仕候エ共、頗ル要地、殊ニ賊必死ヲ極メ防戦、更ニ敗色相顕レ不申、然ル処薄暮相成候ニ付、薩州、伊州共ニ合併台場取囲ミ、其夜ヨリ十三日迄、昼夜折々戦争、其後砲声相止、終ニ賊徒降伏仕候、其節藩弊手負並分捕之品、左之通ニ御座候
深手 吉村百助隊 大藪良太郎
安達善太
太石勘次
浅手 北島茂太郎
林田瀬兵衛隊 余語次吉
川野市次
臼砲一門
ヱンヒル十八挺
刀一本
右之通御座候間、此段御届申上候、以上
五月
筑後藩 吉村百助
堀江但馬
福山藩届書写
四月九日、弊藩三中隊乙部村上陸、一番中隊ハ厚沢口ヘ、二番中隊ハ江差口ヘ進ミ、三番中隊ハ乙部村ニ残居候様、御達相成、厚沢口ヘ進軍仕候二中隊、同十二日稲倉石ヘ着、同十三日各藩ト共ニ進軍、三道ヨリ下ノ二股台場ヲ攻撃仕候処、勝利ニ付、直ニ追撃、山嶺ノ砲台ヲ終夜攻撃ニ及ヒ、一先稲倉石迄引揚申候、其後廿三日迄戦争無之、廿三日薄暮ヨリ、三番中隊各藩ト共ニ、前日ノ砲台ヘ進撃翌廿四日夜半過迄打合、勝敗不決、遂ニ上ノ二股迄引揚、本月二日迄各藩交代、番兵相勤候、賊廿九日矢不来ノ敗ヲ聞テ、朔日夜半二股砲台ヲ棄去候ニ付、同二日夕、諸兵進テ大野村ニ至リ、一番中隊ハ七重村ヘ出張、同三日峠下村ヘ繰込、夫ヨリ軍川辺ノ番兵相勤、三番中隊ハ同日千代田ヘ出張、同十一日亀田浜ヘ進軍、十五日迄戦争無之、翌十六日元津軽陣屋攻撃ノ御達有之、三字陣屋正面ヘ押寄本門ヨリ切込、暫時ニ攻落シ、賊数多打捨申候、同十八日賊徒降伏ニ付、五稜郭ノ賊ヲ函館ヘ護送仕、同所ニ屯営罷在候、江差口ヘ進軍仕候二番中隊ハ、十日木古内ヘ進軍候様御達ニ付、トカフ村迄進ミ、同十二日笹小屋迄繰込、翌十三日一字進軍、砲台並本道ヘ進撃ノ処、戦不利ニシテ各藩ト共ニ、湯ノ岱村迄引揚申候、同十九日再ヒ笹小屋迄進軍、砲台進撃ノ御達ニ付、翌廿日暁一字各藩ト共ニ三道ヨリ進軍、弊藩ハ中道ヨリ進ミ、砲台ヘ取掛候処、山ノ手ヨリ進ミ候薩藩、既ニ砲台ヲ撃破候ニ付、共ニ敗賊ヲ追撃、木古内ヘ衝入札刈マテ追詰候、此日地内村ノ賊再ヒ大挙シテ左右ヨリ相逼リ候ニ付、一先山上ヘ兵ヲ引揚、尚亦号砲ニテ諸勢峠マテ引取候処、木古内再入ノ賊、其夜当別村マテ引揚候趣ニ付、廿二日再ヒ木古内ヘ進軍、夫ヨリ泉沢迄繰込候、同廿八日矢不来ノ台場進撃之御達ニ付、翌廿九日三字当別村ヘ相揃、各藩三道ヨリ進軍、富川山上ノ砲台ヲ攻撃、勝利ニシテ有川マテ追撃、同所ヘ宿陣、所所斥候巡邏等相勤五月十八日迄峠下村ニ屯営、本地平定ニ付、翌十九日有川マテ引揚申候、四番中隊ハ四月十六日江差ヘ揚陸、十七日安野呂口ヘ進ミ、同廿四日新道切開キ、本月四日落部村ヘ進軍八日七重村ヘ進ミ、同十一日海陸三道ヨリ攻撃ニ付、赤川口ヘ進軍候様御達ニ付、暁三字ヨリ神山村ヘ相進ミ、山上ノ砲台ヲ攻撃、一小隊ハ権現堂口ノ胸壁ヲ攻撃候処、九字過賊引色ニ相成候ニ付、直ニ乗入進撃仕候、其夜ヨリ同所屯営仕罷在候処、本地平定ニ付、十九日有川村ヘ引揚申候
右ハ三口戦争ノ概略ニ御座候、尤各藩ト合併仕候儀モ御座候エ共、其藩々ヨリ御届可仕儀ト奉存候、此段御届申上候、其節死傷左之通ニ御座候
四月十三日、於二股口
死 一番中隊兵士 川崎克之助
傷 佐原宗太郎
吉田弼
同月同日、於木古内口
死 二番中隊兵士 西原未次郎
傷 井本徳次郎
中島鶴大
同吹手 馬屋原新太郎
同月廿日
死 三上三蔵
同月廿四日
死 三番中隊兵士 小田休之助
高橋茂
傷 後死 中村富之助
藤沼源吾
斎藤弥兵衛
箱田七右衛門
浅見亦平
佐藤嘉右衛門
橋本長次郎
小島武三郎
柏原精一
塩田幾衛
波多野誠之助
山上歓之助
同月廿九日
死 半隊長 岡村昌之助
傷 二番中隊兵士 森陽之助
阿部鍉吉
五月十一日、於赤川口
死 四番中隊兵士 大出忠太郎
傷 金沢周之助
五月十六日、於元津軽陣屋
死 半隊長 大瀬斉
傷 軍監 青木勘右衛門
中隊長 岩野猪太郎
三番中隊兵士 佐藤定次郎
岩田済
木村利吉
後藤市助
小林仲之助
原好之助
中木初右衛門
村田栄作
児島豊治
右之通御座候、以上
五月
阿部主計頭内 岡田伊右衛門
弘前藩届書写
去月十三日、木古内口ヘ弊藩一中隊先鋒、大野、松前、福山諸藩、暁第一字ヨリ攻撃、勝利ヲ不決、第八字各藩引揚申候、同日手負左之通
浅手 笹権六郎隊 当麻武右衛門
同十七日、松前城攻撃ノ節、弊藩半小隊柳川徳山兵隊ト共ニ、御櫛山ヲ乗取申候、同十三日鶉越口、下二股ニ於テ、弊藩一中隊夜十一字長州福山二藩ト交代、賊ト終夜銃戦、翌廿四日賊徒各藩ノ合章ヲ偽リ、谷間ヨリ不意ニ突出、一旦披靡頗ル苦戦ニ及ヒ候エ共、抜刀接戦、追々守返シ追払申候、同日撃取幷手負左之通
首一級 米橋左太夫隊 武田虎彦
乳井直太郎
石嚮良蔵
深手 米橋左太夫隊 石山増三郎
手塚徳三郎
吉村悠弥
岩淵徳之進
白取直之進
三浦次郎右衛門
平沢与吉
浅手 広田平作
小友健三郎
浅利万之助隊 林栄作
同廿九日、茂辺地屯集ノ賊徒攻撃ノ節、海手弊藩一中隊、正面一中隊、預備一中隊、暁第三字当別村ニ相揃、第四字各藩順次進軍、海手弊藩平沢定之助、中山覚蔵一中隊、邱林ヲ攀登、直ニ天神林ニ向テ平原ヘ散布攻撃ス、第八字比天神林並胸壁二ケ所、矢不来台場一ケ所乗取申候、其節死傷左之通
深手 隊長 木村杢之助
小隊司令士 中山覚蔵
中山覚蔵隊 大森豊三郎
帰営ノ後死 島村亀吉
対島忠蔵
伊崎小作
木村初弥
平沢定之助隊 田中左馬吉
工藤勇馬
斎藤百次郎
野添七三郎
伊藤銀吾
浅手 八木沢文右衛門
葛西文次郎
斥候 大沢直四郎
成田省吾
正面ノ弊藩笹権六郎、石山真太郎一中隊、山之手ヘ相登候処、賊山上砲台ヨリ頻ニ連発、砲声甚激烈ニ候エ共、各藩共ニ憤戦、一斉ニ相進ミ、賊徒台場ヲ棄テ遁ル、其節山手之砲台一ケ所石山真太郎乗取申候、其節死傷左ニ
討死 斥候 藤田虎之助
深手 笹権六郎手半隊司令士 成田捨蔵
同隊帰営ノ後死 神勇蔵
太田忠兵衛
木村志馬之助
角田邦太郎
石山真太郎手嚮導 鳴海鉄九郎
相馬小十郎
羽賀貞助
参軍 棟方常次郎
浅手 木崎勇
建部初太郎
預備高杉左膳小山内織部一中隊ハ、新手ヲ以追討可致旨、参謀太田黒亥和太殿差図ニ因テ即刻相進、小山内織部一小隊ハ迅速富川村ニ至リ、暫時味方ヲ待合候処、賊徒逆寄ニ付、撒布防戦、賊勢引退候間、尾撃シテ薩州一分隊ト共ニ、直ニ有川村ニ進入ス、賊徒村端踏止リ候エ共奮進、遂ニ追払有川村ヲ乗取申候其節弊藩手負左ニ
深手 小山織部手半隊司令士 小友千賀之助
本月十一日、函館急襲之御達有之、弊藩平沢定之助、田井市之亟一中隊、前夜第九字飛竜艦ヘ乗船、暁第三字比箱館山背泊ヘ着、朝五字揚陸、海岸通ゟ山背泊稲荷堂前ヘ相進、各藩一斉弁天岬台場屯集之賊ヲ攻撃候エ共、砲台嶮塁賊厳シク防戦、速ニ乗取見込無之ニ付市中潜伏ノ賊徒先撃払、応援ヲ相絶ノ心得ニテ、一本木関門迄相進候処、第十二字比、弊藩旧陣屋屯集之賊、大砲発射、忽二中隊余大森浜ヘ襲来ニ付、一中隊ヲ以之ニ当リ、防戦ノ処、長州藩応援トシテ相共ニ攻撃、中ノ橋程近ク進候エ共、味方不得地勢候間、長州藩談合セ引揚申候、午後三字賊兵再襲来ニ付、長州、伊州、松前藩ト共ニ進テ攻撃致シ候処賊兵引去ニ付、味方モ一本樹柵際迄引揚申候其節死傷左ニ
深手 帰営後死 工藤末吉
田井市之亟隊 阿保左一郎
浅手 斥候 小林朝五郎
平沢定之助隊 神春弥
工藤良之助
岡民之助
同日、亀田口弊藩笹権六郎石山真太郎一中隊先鋒ニテ、暁第三字七重浜ヨリ進軍御差図ニ因テ、中隊ノ内ヨリ斥候隊差出シ、引続進撃早晨七重浜先胸壁幷亀田新道台場トモ乗取、猶各藩一斉撃戦候エ共、桔梗野口幷山手賊徒モ台場手厚防禦致居候ニ付、猶本道深ク相進不申様御差図ニ付、此所数刻撃合、第十一字比山手中央ノ味方相進候ニ付、俄ニ本道奮進攻撃致シ候処、賊徒敗走、亀田村迄尾撃致シ候、其節手負左ニ
深手 笹権六郎隊 小山又之助
今寿三郎
三上恒之助
浅手 七戸亀吉
弾薬方 早川定蔵
石山真太郎隊 相馬貞太郎
同日、桔梗野口弊藩高杉左膳、小山内織部一中隊先鋒ニテ、暁二字三十分七重浜ヲ進発、天明桔梗野ヘ着、賊ノ胸壁正面ヘ向テ撒布、松前、長州、薩州等諸隊、左右ヘ布陣ス、第五字廿分ヨリ九字三十分迄、攻撃之処、味方弾薬乏シク、砲声次第ニ打絶又、加之足場甚悪シク、賊ハ胸壁ニ因リ、弾丸雨注追々死傷モ打重リ候間、弊藩一中隊決死ノ覚悟ニテ、抜刀奮戦、直チニ胸壁ニ斬入候処、賊勢畏懼逃走、追詰三人ヲ斬、台場胸壁悉ク乗取申候第十字廿五分直ニ亀田村ヘ相進、本道ノ兵ト相合シ申候、其節死傷左ニ
戦死 小隊司令士 高杉左膳
高杉左膳隊 若林栄八
小山内織部嚮導 諏訪久吉
中田勝之亟
佐藤純吉
斎藤東八
須藤万之助
深手 高杉左膳隊嚮導 羽賀市之亟
石郷岡運吉
川村幸吉
佐藤要馬
小山内織部斥候 小笠原重次郎
同隊 青木惣次郎
藤田善助
太田巳之吉
浅手 兼平礼蔵
中村直太郎
原子多作
午後第三字右一中隊ノ内、半隊宛ヲ以、箱館口ヘ大斥候ニ出候処、弊藩旧陣屋ヨリ賊勢二百人余押寄候ニ付、同口之長州藩ヨリ応援之儀示談ニ預リ、直ニ撒布攻撃之処、賊勢引去候エ共、味方地勢不宜、第三字引揚申候、其節死傷左ニ
戦死 軍監岩田平吉手人 三浦銀弥
深手 小山内織部隊 高杉良作
同日藤山村出張弊藩兵隊、朝六字大川村進発大砲隊司令士神豊三郎臼砲一門ヲ以、赤川村本道、左ノ山上ヘ登リ、福山藩ヘ応援攻撃ス第十字比賊徒台場ヲ棄テ逃走致シ候、対馬官左衛門、喜多村弥平次一中隊ハ、亀田野ト上山村トヘ分進攻撃、長州砲隊応援ス、賊之弾丸雨注ノ間ヲ進テ、戦闘線ヲ詰申候、第一字比監軍ノ差図ニテ各藩ニ休息、三字比各藩一斉攻撃、夕六字マテ相戦ヒ、上山村マテ揚取申候、其節死傷左ニ
戦死 坂本友弥
対馬官左衛門隊 高杉権六郎
浅手 一戸竜太郎
喜多村弥平治隊 石戸谷沢太郎
石郷岡仙之進
小者 大助
同十六日弊藩旧陣屋攻撃之節、亀田口幷箱館口ヨリ相進候弊藩三中隊、暁第三字進撃候得共、賊兵忽チ逃走、平沢定之助一小隊ハ先鋒諸隊ニ引続、陣屋ヲ乗取申候、其節戦死左ニ
戦死 喇叭手 竹中範平
右之通ニ御座候、此段御届申上候、以上
五月
津軽藩惣隊長 杉山上総