太政官日誌 明治二年 第五十五号
明治己巳 五月廿三日
東京城第十八
○五月廿三日
【箱館戦争二】
軍艦参謀届書写第二
先月廿九日、矢不来〈地名〉勝戦後、諸軍艦不残、富川有川沖ニ碇泊、僅二三里ノ隔ニテ、賊艦ト相対シ、日夜攻撃ノ籌ヲ運スト雖モ、賊弁天崎ノ台場ヲ堅固ニシ、同崎砂洲ヨリ七重浜ニ掛ケ、数十条ノ綱索ヲ張切リ、官艦ノ障碍ヲ設ケ、此洲ト綱トヲ以テ、海中ヲ横断シ、厳ニ防禦ノ術ヲ尽シ候故、容易ニ奥港ニ進入シ難ク、遺憾ナカラモ、空ク数日ノ対軍ト相成候、勿論昿日弥久ハ、海軍ニ於テ最モ不策ニ候間、危嶮ヲ侵シ、水雷等ノ流説ニモ関セス、深入ノ策一決、諸船将モ憤起立論相成居候内、売船ノ水子共、函館ヨリ参リ、綱索切除方ノ建策致候ニ付、〈但シ、此水子等、賊ノ張綱等、委細承知ノ者ニ有候〉此者共ニ命ジ、専ラ春日艦ヨリ、此ノ策ヲ周旋シ、去ル四日ノ夜ヨリ取掛リ候得共、風雨ニ支ラレ、漸ク六日ノ晩、成功ヲ遂ケ候〈但前日綱切ノ策遂スト雖断然侵入ノ議決居候〉雖則、七日暁五字頃ヨリ、徐々内港ニ向ケ進行、六時ヨリ甲鉄、春日、朝陽、直ニ奥港ニ迫リ、回天、蟠竜ニ向ヒ、陽春、丁卯ハ、弁天崎台場ニ向ヒ、憤戦血闘飽マテ猛烈ニ発砲候得共、賊艦台場共、頗ル強抗、不屈候間、愈激戦ニ及候処、八字前ニ至リ、賊艦回天、我砲弾ニ中ラレ、運転能ハサル乎、直ニ岸砂上ニ乗上ケ、蒸気ヲ止メ、浮台場トシ、猶激抗ス、九字ニ至リ、我ヨリ所放ノ弾丸、回天ニ的中スル者数十ニ及ヒ、賊ノ砲声未タ全ク絶ヘスト雖モ、回天大破損ニ、相違無之段見受、春日ヨリ退籏ヲ揚ケ、諸艦追次、有川沖ニ凱陣致シ候、尤此戦争中諸艦死傷、左之通ニ御座候、追々各艦ヨリ届出モ、可有之候得共、不取敢、大略御届申上候
一、賊艦蟠竜ハ、頃日来蒸気ヲ損シ繁船シ、浮台場トシ防戦候事
一、回天ハ水平線三四尺モ、水上ニ現レ候様乗上ケ、全船大破、且当日死傷固ヨリ許多ユ有之由
春日艦乗込 薄手 軍監 今井亮介
甲鉄艦ニテ 薄手 士官 山県少太郎
薄手 士官 山田鋭次郎
即死 下等士官 小林五郎
浅手 下等士官 岩本市五郎
深手 同 松浦鉄兵衛
浅手 同 長井市之允
即死 整武隊 中川豊
即死 鍛冶 徳次郎
浅手 水夫 文吉
深手 水夫 長太郎
浅手 同 新蔵
深手 火焚 助次郎
浅手 同 権平
春日艦ニテ
上陸後死 測量一等士官 和田彦兵衛
深手 其夜死 火焚 村上貞助
深手 水夫 矢野平兵衛
深手 水夫 山口熊次郎
浅手 兵卒 山本善左衛門
即死 水夫 上野太郎
深手 水夫 遠矢半左衛門
深手 水夫 馬場喜次郎
深手 揖取 坂元吉左衛門
浅手 水夫 国生半袈裟
即死 水夫 三迫宗太郎
朝陽艦ニテ
深手 其夜死 水夫 繁蔵
深手 水主 千五郎
浅手 水主 政八
浅手 虎吉
以上総テ二十九人
右之通、総督府江御届申上候写、御廻シ申候以上
五月十二日 蝦夷地富川ニテ 海軍参謀
軍務官御中
去ル七日、海軍奥港ヘ攻入、回天砂上ニ乗セ上ケ候迄之始末ハ、過日御届申候通ニ御座候然ル処、海陸戮力ニ無之而者、函府恢復之儀甚タ六ツ箇敷、衆議ニテ、昨十一日海陸一同進撃致候、尤陸軍ノ内六百人ヲ以テ奇兵トシ箱館山横手馬水三本河〈箱館ノ西方凡一里ニ近シ〉等ノ海岸ヨリ、忍ヒ上ケ、一道ハ七重浜手口、一道ハ大野口ヨリ、此両道ハ五稜郭ヲ攻撃ス、当日海軍ニハ、豊安、飛竜ノ両艘、箱館横手渡海ノ奇兵ヲ乗込セ、甲鉄、春日ハ弁天崎台場ニ向ヒ、及ヒ奇兵ノ上陸ヲ助ケ、陽春ハ裏手外ト浜ニ廻リ、声援ヲナス、朝陽、丁卯ハ七重浜ノ陸軍ヲ助ケ進撃ス、暁三字ヨリ開戦、六字過キ、奇兵筥館山ヲ取ルト雖、弁天崎台場固シテ抜ケス、〈此台場砲数七八門、人数三四十ニ過キスト雖、奇兵ノ陸軍、先ツ箱館市中ヲ取ニヨリ、走路絶ツ故、必死ヲ以テ固守ス、砲台モ固ヨリ堅要ナリ〉朝陽、丁卯ハ、七重浜ノ陸軍ト、並ヒ進ミ候内、賊艦蟠竜〈当日ハ蟠竜モ修覆ヲ加ヘ運転ス〉賊ノ陸軍ヲ助ケ、朝陽、丁卯ト攻撃ス、七字頃ニ至尤苦戦、七字三十五分、偶賊艦ノ弾丸朝陽ノ火薬庫ニ入リ、朝陽艦忽チ破裂、空中ニ飛フ、甲鉄、春日、則チ蟠竜ヲ追撃ス、戦闘数時、偶々九時、肥前軍艦延年丸、青森ヨリ来リ助ク、丁卯モ又奥港ニ進入ス、蟠竜ノ賊徒、艦ヲ捨テ台場ニ逃レ入ル、午後二字、甲鉄ヨリ端船ヲ以テ、火ヲ蟠竜ニ放ツ、延年ノ端船ヲ以テ、之ヲ助ケシム、同時丁卯ヨリ又端船ヲ以テ回天ヲ焚ク、〈但、回天過日ノ戦ニテ浮台場トナル、此日賊徒皆遁去、五稜ニ赴ク〉、両艘次第ニ焔煙、盛ニ上リ、残火今暁ニ至ル、爰ニ於テ、賊ノ軍艦皆尽〈但、千代田形ハ、過日分捕ニ相成居候事〉四字過甲鉄、春日、七重浜ニ碇ス、此夕賊軍頗ル猖獗ナルヲ以テ、陸軍ヨリ応援ヲ請フ、丁卯、延年、又奥港ニ入ル、陽春継テ入港ス、夜半甲鉄モ又継進ム
一、陸軍ハ昨朝ヨリ頗苦戦、七重、大野両口共、次第ニ進入、箱館モ我有トナル、只今ニ至リ、砲声未タ止マス、陸軍之儀者、委細陸軍参謀ヨリ御届ニ可相成候得共、海軍ニ関係候分如此
一、各艦ヨリ届書モ追々可差出候得共、不取敢捷報御達申候也
海軍ニテ
当日死傷左之通
甲鉄艦ニテ 死 一人
春日艦ニテ 死傷 両三人
以上、姓名未タ調付不申候
飛竜丸ニテ 死 水夫 虎吉
朝陽艦破裂沈没
死傷左之通
副長 〈即日夕七重浜ニテ死骸見出シ〉 夏秋又之助
士官 野村全吉
本庄豊馬
牛島鹿之助
山田為八
出納方 乾監物
山脇大三郎
楽生 馬場豊次郎
山口亀三郎
稽古人 富永孫次郎
牧野英太郎
山下清左衛門
衣川鉄蔵
水夫小頭 光次
一等水夫 岩吉
二等水夫 由太郎
卯之助
順作
文次郎
三等水夫 庄三郎
惣三郎
豊吉
喜助
〈即日夕七重浜辺ニ而死骸見出ス〉 虎吉
勝平
善之助
久次郎
梅次郎
百次郎
政吉
伊助
政八
火焚小頭助 徳蔵
一等火焚 平次郎
栄太郎
伊兵衛
重吉
秀吉
二等火焚 勘次郎
末吉
三等火焚 茂七
吉蔵
茂十郎
幸次郎
吉太郎
〆四拾五人
箱館在住隊伍長 林六三郎
兵士 川島由太郎
菅原忠作
続源次郎
宮本長吉
浜田作蔵
藤井文吉
小沢清太郎
菊地重太郎
死総計五十四人
重傷 船将 中牟田倉之助
薄手 士官 中村一郎太夫
薄手 士官 山本洪輔
外ニ
助命四十三人内〈重創十人、其余ハ皆浅手〉
上陸之後死三人
右之通、総督府江御届申上候写、御廻シ申候以上
五月十二日
蝦夷地富川ニ而 海軍参謀
軍務官御中