鎮将府日誌 第三
慶応四年戊辰 自八月五日 至同八日
○八月五日大村藩届書三通
本月廿九日未明、薩兵三小隊一同、泉ヨリ出兵、富岡村ニテ賊兵ニ会シ、川ヲ狭ミ相戦候処、賊兵橋上浜手ヘ、薩兵既ニ橋外海浜ヘ相廻リ、弊藩中央ヨリ暫時激戦之央、徒歩川ヲ渡リ、賊之不意ニ出候得者、薩兵首尾相応シ各追撃之処、賊兵足下ヨリ逃出、逡巡狼狽ニ付、水田一面ニテ、追掛々々打立候得者、敗兵眼前相斃、潰裂不支候折、正面山腹埋伏之賊兵、山下ヨリ之賊砲ニテ、弊藩大砲ヘ狙撃候得共、此方ヨリモ不撓、大砲ニテ応戦之内、薩一小隊、弊藩半隊、直ニ押寄候処、於湯長谷モ備前、佐土原、戦争相始、砲声如雷相聞、賊兵退散無迹、其折浜ニハ薩兵一同弊藩残賊駆逐之央、賊之蒸気船往復砲発候得共、陸ノ賊兵遁逃ニ付、小名沖ヘ出船致シ候、依而賊兵追撃、中之作ニテ賊ヨリ二三発打候得共、遁逃形迹無之候、折柄繋船ヘ発砲之処、賊徒相隠居、裸体海ニ投シ遁逃、船中ニテ一人打留候、其後土人申出ニ、大波ニテ打上候死体三人余、此日銃砲ニテ賊之死傷百人計有之候、此段奉申上候
六月
浅手 戦士 橋口勘七郎
深手 福田豊次郎
本月朔日未明、薩兵三小隊一同、小名浜ヨリ平ヘ攻撃中、賊兵城外水田中、撒兵ニテ待受候ニ付、小名道ヨリ薩兵一小隊一同進撃、駆逐之処、直ニ退散、城下杉木中町家ヨリハ小銃、城中ヨリハ大砲頻ニ打立候得共、此方ニハ水田散兵ニテ、正面ニ掛リ候処、大砲五六挺、城中砲台上ニテ轟発、其機ニ乗シ進撃、惣入川土手ヲ楯トシ、攻撃候処、薩兵二小隊長橋辺之賊徒追撃候折柄、賊勢挫折候ニ付、今一隊奮戦候得者、抜城覆巣不難ト存、乱発致シ、大砲モ遠地ニ付、城下ヘ取寄度存候得共、賊杉木中ヨリ打立候故、薩兵杉木中ヘ横撃応戦之内、銃弾雨注之間、大砲取寄、銃砲打立候処、賊兵益畏縮、然処此方銃砲共弾薬乏鋪相成候故、薩兵ヘ為相知候処、是又十分無之趣ニ而、不得止退軍決議ニテ、徐歩繰引等ニテ、一同小名浜ヘ引取申候、此段御届奉申上候以上
七月
浅手 大砲司令士 淵山規矩蔵
深手 兵士 宮原謙造
本月十三日暁七ツ時、薩兵引続小名浜ヨリ繰出、空地山之険地ニ至候得者、賊兵土俵ヲ築居、発砲ニ付、薩兵先鋒、本道、間道二手ヨリ追撃之処、一敗不支遁逃致シ、平城出丸ヘ相進候得者、賊徒猶又発砲ニ付、薩兵諸隊追立候処、直ニ退散致シ候、然処、城中砲台小名浜道正面ヨリ大砲打出候故、此方ヨリモ大砲一門ヲ以、暫応戦候得共、中之作、湯本両道之兵進入無之故、山上ヨリ賊之形勢相伺、岩道ヨリ突進之覚悟ニ候処、薩大砲隊モ到着発砲候得者、田畝秧緑中埋伏之賊兵、俄ニ大砲隊ヘ狙撃突込候ニ付、直ニ追撃取懸、水田横行進戦之処、賊兵城下杉木中ヘ逃込、其内小名、中ノ作両道之薩兵、既ニ城下ヘ押詰、湯本ノ諸藩ハ長橋ヲ隔、南北ヨリ賊勢ヲ殺ギ及激戦、大砲モ無難相進候付、北方城下ヘ相廻候処、薩兵城地ヲ隔、城壁楼櫓ヘ打込候付、一同相加リ打出候得共、賊徒要地ヲ擁シ、何分難進、殊ニ湯本勢ハ最早城背ニ相廻リ、賊之遁路ヲ断、四方ヨリ攻撃候得共賊徒却而窮鼠ニ相成、折々吶喊鐘皷ヲ鳴シ、寛容不迫之気ヲ示シ、益可憎候得共不得止遁路ヲ開候決議ニテ、追手ヘ廻リ候処、弊藩大砲隊而已城門ヨリ一丁余深入、別ニ小銃之応援無之候ニ付、暫時休戦候得共、賊勢益猖獗、処々ヨリ狙撃候故、銃卒進撃中大砲引上候覚悟致シ候得共、多士手負有之候而已ニ付、険路難進、不得止銃卒引上、因州、佐土原等一同、八幡社中ヘ出、城門ヘ打込候内、諸藩並弊藩大砲モ引上、同処ヘ繰込、銃砲無間断激戦候得共、城門城壁崩潰不致諸藩烈士暴進候得共、二十歩間ニテ手負多ク有之、各心配候得共、日既ニ黄昏ニ及ビ、参謀衆ヨリ引上候様沙汰有之、依之市街ニ転陣、此夜薩兵一同、北門城壁之下ヘ繰出、折々発砲候処、四ツ時過ヨリ賊徒放火遁逃仕候、此段御届奉申上候以上
七月
手負
深手 小銃隊嚮導 松添会輔
同 戦士 渋江一郎
同 同 稲田元次郎
浅手 川勝鉄之助
同 塩見助四郎
同 松野利三郎
同 大砲隊前車長 村部欽一郎
同 照準司 松野周吉
同 砲手 寺井八代八
同 同小者 梅吉
右七月十三日、平城攻撃之節、手負ニ御座候此段御届申上候以上
七月 大村丹後守家来 土屋善右衛門
同日三春ヨリ来状二通
当月廿四日三字、棚倉進軍、十字石川ヘ着、翌廿五日三字二点石川ヲ発シ、蓬田ヘ十字前着ス、当所在家少ク、総勢宿陣難相成、彦根、館林、我兵ト三藩直ニ蓬田ヲ発シ、田母神ヘ一字頃着、是ニ宿ス、今日平城ヨリノ進軍モ、新田ヘ宿陣之筈ノ由、土藩ヨリ途中ニテ聞及、空ク蓬田ヘ引返シ候跡、彼方ヨリ書面ヲ以、蓬田ヘ申来候趣、平城ヨリノ人数上三箱并上一萱迄進軍致候得共、遠路ユヘ、明日三春ヘ進撃ノ所、如何可有之哉、何分都合次第会軍致度トノ事ニ付、此方ヨリ申答候ニハ、此方ニ於テハ、最早御約束ノ通蓬田迄進軍致居候ニ付、其御方ニ不相構、明日三春ヘ帰城可致旨返答、土州ヨリ申越ス、同廿六日ヨリ、蓬田ヘ宿陣ノ土州、長州、大垣黒羽、忍ハ同所二字ニ発足、田母神ヘ五字前ニ着、我藩并彦根、館林ニハ田母神ヲ五字ニ発シ、三春ヘ進撃、右之土州、長州、其外モ同断、途中追々三春ヨリ迎トシテ出掛居、一人モ敵対致候者モ無之、殊之外恭順、歎願書差出申候故、城主秋田万之助御所置之処ハ参謀ヨリ申越タル筈、別ニ不申越候以上
辰七月廿八日 三春滞陣 本営
白川滞陣本営
従三春一筆呈上仕候、先以益御壮勇候由、奉雀躍候、陳者去ル廿四日棚倉ヲ発シ、石川ニ着、廿五日蓬田泊、廿六日当地着、秋田万之助後見秋田主税、途中ニ官軍ヲ迎ヘ、降伏謝罪、即日居城請取、万之助ニハ寺院ヘ立退、謹慎罷在、棚倉進発ヨリ爰ニ至迄一丸ヲ不発、誠ニ幸之事ニ御座候、海軍之方者、聊之違ニテ、廿七日当地着ニ相成申候、途中仁井町ニ於テ、小戦争有之候得共、暫時ニシテ追打候趣ニ御座候、是ヨリ速ニ守山ヲ取リ候、兼々軍議御座候処、庄内ニモ佐竹ト言違相初リ、米沢ニモ兼テ廻リ居候官軍ト、戦争相初リ、只今二本松空虚之趣ニ付、良好之機会ニ御座候得者、明廿九日攻城是ヲ抜、夫ヨリ守山、須賀川之辺ノ賊ヲ討シ候軍議ニ御座候、兼而之軍議ト相違ニ相成候、付テハ御不審モ可被為在候ト奉存候ニ付、此段申上候、委細之義ハ、二本松落城ニ相成候テ、速ニ退助白川ヘ罷出、縷々可申上候、右之段御総督様ヘ言上之儀、取計被下度奉願候、右件々可得貴意如是御座候、恐々頓首
七月廿八日 板垣退助
伊地知正治殿
芸州藩届書二通
本月廿二日久浜ヘ着陣仕、直ニ斥候之心得ヲ以、一小隊末続村迄繰出候処、夜中賊徒襲来及取合候節并ニ翌廿三日広野駅迄繰込候心得ニテ、因州藩申値間道兎崎通リ罷越候処、同所ハ少々賊徒罷在候得共、直ニ遁逃仕候、夕刻浅見川迄罷越候処、因州ヨリ斥候一小隊差出申候処、取合ニ相成候ニ付、弊藩ヨリモ直ニ山手ヘ出勢仕候、賊徒頗ル抗戦仕、終夜烈敷発砲、苦戦仕、遂ニ追払、翌廿四日朝広野駅ヘ繰込ミ申候、此節死傷左之通ニ御座候此段不取敢御届仕候
討死 三番小隊 林熊太郎
手負 同小目付 長沼主税之介
同 同 森本梅次郎
同 一番小隊 吉川逸平
同 同 南政介
同 大砲隊 藤平幾太郎
兼而広野駅ヘ宿陣罷在申候処、一昨廿五日朝六字頃、賊徒発砲進ミ来リ候得共、兼而為番兵一小隊出置候ニ付、直ニ取合候処、賊無間退散致候、并昨廿六日朝六字過、如前日同様進ミ来リ、即及取合、賊頗ル抗撃、海手間道、山手間道ヘ相廻リ候ニ付、長州、因州申合、弊藩ハ専ラ本道ヘ繰込ミ申候、尤山手間道ヘモ、一小隊繰込ミ申候、賊負嶮砲銃劇発候得共、必死勇戦仕、遂ニ夕五字頃追払、ニツ沼砲台乗取申候、其節死傷左之通ニ御座候、此段不取敢御届申上候
一番小隊銃手 管勝之助
二番同 佐々木藤三郎
二番同 出本健之助
三番同 造賀善太郎
以上即死
〈帰営後死〉 一番同 財満兵蔵
一番隊長補 森斐司
同大伍長 鳥越久吉
同 織田清之助
同 山路関之助
同銃手 浜松乙次郎
同銃手 赤坂清十郎
同 木山為之助
同 有田熊平
同 田中佐太郎
同 木本儀平
同 金岡徳次郎
同 山岡吉平
二番小隊々長補 南完助
同伍長 山田亀之進
同銃手 大谷亀之助
二番隊銃手 田口林之助
同 宮原千代蔵
二番小隊伍長 村上清之進
同 加藤善三郎
同 高崎熊蔵
同 田中佐仲
大砲隊長補 築山進之助
同 籏浦善助
以上深手
一番隊長補 金谷宮内
一番隊長 加藤種之助
同伍長 和田忠兵衛
二番隊銃手 岡田善兵衛
同銃手 三浦重吉
同 広川喜代三郎
同 島末平助
同隊長 藤田太久蔵
同銃手 土屋良助
同 笹村順次
大砲隊銃手 荒田才三郎
弾薬持 夫卒与助
以上浅手
七月廿七日 芸藩 川合三十郎
藤田次郎
因州藩届書二通
本月廿三日夕ヨリ、広野表ニテ戦争相始、翌朝五ツ時過攻撃致シ、賊兵追払申候、其節手負共、左之通ニ御座候間、此段御届申上候
深手 士官 足立無事助
浅手 同 岩城平八
深手 同 渋谷甚左衛門
同 佐分利鉄次郎隊 磯山増助
同 藤田東隊 杉浦助三郎
同 山田槌之助隊 下田源助
浅手 渋谷甚左衛門隊 米橋源次郎
深手 中村新之丞隊 西尾亀三郎
同 同 福地梅右衛門
同 大橋関弥隊 三谷弥平次
同 森川久之丞隊 若林喜左衛門
浅手 池田摂津守人数士官 茅原久之助
深手 今島源次郎
同 夫卒一人
以上
昨廿六日朝ヨリ、薄暮迄戦争之節、討死手負、左之通ニ御座候、此段申上候
打死 士官隊長 近藤類蔵
手負 同 山根留次郎
手負 士官 河毛勘助
同 同 六浦友弥
同 同 岩田勇之進
同 軍事下役 浅井信輔
同 近藤類蔵隊 横田豊之進
同 同 桐谷清次郎
同 天野祐次隊 井上藤右衛門
同 同 梶川直三郎
同 同 中島秀次郎
打死 森川久之丞隊 長本甚助
手負 吉田品蔵隊 高野安之丞
同 山根留次郎隊 邑田鉄蔵
同 同 山崎重次郎
同 永田秀蔵隊 箕原庄之助
同 森川久之丞隊 竹中勇次郎
同 堀元次郎家来 松本菊蔵
同 森川久之丞家来 川崎勝蔵
同 山根留次郎家来 小山惣兵衛
同 池田摂津守人数士官 石井直衛
同 池田相模守人数隊長 久山省二
討死 石川豊太郎隊 梶山運八
同 同 村沢伊八郎
手負 同 井上左馬之助
同 同 山本治助
同 久山省二隊 川上儀三郎
同 同 丹田久蔵
同 同 谷口芳三郎
同 同 和住伊右衛門
同 中島銀平家来 中島新次郎
同 石川豊太郎家来 伊藤義蔵
討死 夫卒一人
手負 夫卒三人
以上
七月廿七日 因州 和田壱岐
黒羽藩届書
去ル廿五日、三斗小屋口ヨリ賊徒押来、朝五ツ時前頃ヨリ、所々放火、金子、品物等乱取ニ及、焼失致シ候領分村々、左ノ通ニ御座候
高久村
小幡村
瀬縫村之内
丸山村
桜久保村
岡室村
茅沼村
蒲室村
弓落村
菱喰内村
山梨子村
田代村
茗荷河村
松子村
村数拾三ケ村家数百二十一軒
右者弊藩無二心村々ニ御座候、此外敵地近接先方ヘ随従ノ村方ハ、放火無之候、賊徒所々手分ケ、致放火候ニ付、聢ト人数不相分候、右ニ付越堀駅ニ、兼テ在陣仕居候、烏山藩人数繰出、弊藩ヨリモ不取敢人数差出候得共、隔居候場ニテ、最早賊徒逃去候後ニ御座候、依之夫々要路相固メ罷在候、此段不取敢御届申上候、以上
八月五日 大関泰次郎内 野口右衛門
○八月六日御沙汰書
川越藩 五十人
鍋掛駅ヘ出張被仰付候事
八月
横川源蔵
民政巡察被仰付候事
○同七日
前橋藩
其藩分領、富津表出張之兵隊、佐貫表ヘ分配致シ、警衛可有之旨御沙汰候事
八月
同日三春進軍之藩々ヘ御達
薩州
備州
柳川
佐土原
大村
兵隊
右鷲尾侍従一手ヘ合併被仰付候事
八月
同日三春藩ヘ御沙汰書
秋田万之助
右不得止情実ヨリシテ、一旦賊徒一味ノ形迹ヲ成シ候得共、速ニ反正帰順、賊ヲ掃攘シ官軍ヲ迎、及降伏候段被聞食届出格之以思召、謹慎被免、城地是迄之通被下置候条、爾後闔藩之方向確定シ王事ニ勤労可相励旨御沙汰候事
八月
右同人
右急速出府被仰付候事
○八月八日
佐々布貞之丞
御雇ヲ以テ、下総知県事被仰付候事
鹿子木弥左衛門
御雇ヲ以テ、下総判県事被仰付候事
板坂半之丞
岩男助之丞
御雇ヲ以テ、岩城平民政局ヘ出張被仰付候事
古賀一平
御雇ヲ以テ、知県事被仰付候事
牟田口幸太郎
御雇ヲ以テ、判県事被仰付候事
山本一郎
武蔵国内郷村巡察被仰付候事
八月
同日布告書
今般改江戸称東京、是迄之江戸城ヘ鎮将府ヲ被置、民政裁判所ヲ会計局ト被改候間此段相達候事
八月