鎮台日誌 第二
自六月七日至同月十三日
○六月七日御布告書
今春朝政御一新之御場合正月十五日御元服之御大礼被為行御仁恤之聖慮ヲ以朝敵ヲ除クノ外大赦被仰出候処於関東者如何ノ次第ニ有之候哉、于今施行不致候ニ付、今度改テ被仰出正月十五日以前之罪人朝敵其余大逆無道ヲ除クノ外一切被差赦候条、速ニ施行可致旨大総督宮御沙汰候事
六月
大垣藩届書
五月廿一日九ツ時過釆女正人数付候隊為巡邏仙台街道泉田宿迄罷越候処、左之山手ヨリ賊発砲ニ及ヒ候ニ付、当手ヨリモ発砲山手之方江追々進撃ノ処、賊敗走、小田川宿左ノ山手迄追討、七ツ時頃人数引揚申候
同廿五日薩、長藩并弊藩斥候隊仙台街道巡邏之処、小田川宿先キ化地蔵堂山上ヨリ賊及砲発候ニ付、右三藩ヨリ同様進撃、大田川宿迄追込賊散乱致シ、八ツ時以前人数引揚申候、最弊藩手負左之通御座候
銃隊伍長 三宅鍬太郎
同廿六日固場仙台口并湯本口江五ツ時過賊徒襲来、仙台口者仙台会津両道ヨリ山ヲ越平押ニ進来リ、大小砲頻ニ打出シ申候、当手ヨリモ同様烈鋪進撃賊兵ヲ囲ミ候処賊軍大崩ト相成敗走仕候、且又湯本口者固場正面并左右ノ山手ヨリ賊発砲頻ニ打懸候ニ付、薩藩ト合兵大小砲烈鋪打立相進候処、三方ノ賊兵追々米村ノ方江散乱仕候付、追討仕、七ツ時過人数引揚申候、尢弊藩手負左之通御座候
銃隊長 小出五平次
砲隊長 林十太夫
銃隊 渡辺定次郎
宮崎礒次郎
砲隊 井深松之助
同日分隊人数兼而白坂宿江出張之処五ツ時過賊襲来、宿之西之方ヨリ頻ニ撃掛候ニ付、黒羽藩ト合兵烈鋪相戦、賊山手之方江散乱仕候依而追討仕、九ツ時過人数引揚申候、尤弊藩死傷左之通御座候
死 銃隊長 酒井元之丞
同 銃隊 松岡惣兵衛
同 瀬古与作
傷 高橋弥忠太
同 加納治兵衛
同 河井図書
同 黒川杢之進
同 長谷川惣吉
傷 銃隊 久保田万之助
同廿七日八ツ半時過、尚又賊襲来、仙台口者会津街道右ノ山手ヨリ賊進撃候ニ付、薩藩ト合兵及戦争候処、賊敗走大谷地村向迄追討仕候、湯本口者固場右ノ山手ヨリ賊打出申候付薩土藩ト合兵戦争ニ及ヒ候処、是亦賊敗走大谷地村左ノ山手迄追討仕、両手共黄昏頃人数引揚申候、尤弊藩手負左之通御座候
銃隊 今尾保次
六月朔日九ツ時頃長藩斥候隊為巡邏仙台街道泉田宿辺ヨリ罷越候処、同所山中ヨリ賊及砲発戦争相成候由、援兵之儀彼藩ヨリ申越早速薩長并弊藩人数繰出シ烈戦之処、何分彼者胸壁ニ拠リ相防ギ、殊ニ黄昏ニモ相成候間双方人数引揚申候、尤弊藩死傷左之通御座候
死 渋谷重太郎
同 市川斎吉
傷 多代広太郎
同 鹿野徳次郎
右之通御届奉申上候以上
六月 戸田釆女正家来 戸田三弥
○六月十日御沙汰書
正親町中将
奥羽追討為総督出張被仰付候事
鷲尾侍従
大総督府参謀被仰付奥羽追討白川口出張可有之被仰付候事
佐土原兵隊
奥羽表江出張被仰付候事
本多能登守
今般奥州口追討ニ付、其藩在府之者、為嚮導可差出旨被仰出候事
長州兵隊
白川口為応援出張被仰付候事
○同十二日御沙汰書
阿州兵隊
白川口為応援出張可致旨被仰付候事
稲田隊
同上
但阿州兵隊ト可為合併候事
土州藩届書
本月十二日平明、白川表諸藩持口賊軍襲来、弊藩持場金正寺山飯沢山湯本道等ニテ戦闘、午時頃賊軍潰走諸手追撃、賊之宿営村落所々放火仕候、弊藩死傷之人員左之通
戦死 田中煌之進
同 黒岩兼之助
重創帰営後死 楠瀬六衛
手負 北川源五郎
森本醇助
岡本虎之助
浅田悦七
日比虎作家来 田中茂作
一、討取二十四級
一、生取二人
但、樫街道、会津街道等、他藩相混シ候場所并叢林中ニ斃レ有之分等ハ調不申候
一、旗二本
一、小銃二十八挺
一、大小刀二十九口
一、鎗四本
右之通御座候以上
六月 土州 板垣退助
薩州藩届書
今朝五字頃大垣藩兵之持場、仙台街道之方ニ砲声相聞候処、六字頃応援之兵差出呉候様、右藩ヨリ申来候ニ付、弊藩三番隊繰出候中追々賊徒引退候様子ニ付、八字頃ヨリ進撃、会津街道之内白川ヨリ一里裡ニテ大ヤチ村ト云処ニ賊徒屯集ニ付、左右ヨリ挟討ニ攻寄セ終ニ撃破リ、陣屋用具焼払候処、本街道方之賊営未墜、味方半隊位ニ而合戦最中之由聞シ故又々右場所ニ攻寄セ砲台打破、賊徒不残追ヒ散シ、陣営放火右両所ニテ討取候者凡三四十位、石川街道口者弊藩持場所仙台会津二本松等之賊徒多人数間近ク寄来リ、此方ヨリ半隊宛二陣左右ヨリ廻リテ追払ヒ夫ヨリ進撃、二ケ所ノ屯賊ヲ討破リ会津隊長井口源吾以下討取候者四十余人、生捕一人、弾薬等分捕一字頃不残凱陣、原街道口モ弊藩持場之処十二字頃ヨリ遥之向ニ敵三百斗追々相見ヘ、且湯本街道口堅メ之土州勢モ余程進撃ノ様子ニ付、此方ヨリモ撃テ出、賊徒不残追散シ、討取少々御座候、尤弊藩戦死手負左之通
戦死 永野仲之丞
長東一郎
池田次郎左衛門
浜川彦兵衛
三原周助
黒田運次
手負 小出謙斎
川崎一介
町田郷左衛門
種子田左衛門
岸良弥左衛門
佐土原新介
谷山彦兵衛
林太郎兵衛
樺山覚之進
永井喜一郎
財部伝五左衛門
川久保十二
人足巳之吉
右御届申上候以上
六月十二日 薩州 島津式部
相良治部
大垣藩届書
昨十二日朝五字白川城四方口々江賊徒襲来致シ、采女正人数持場仙台口并会津口右両道且山山ヨリ頻リニ撃懸リ候ニ付、烈鋪防戦進撃致シ候処、追々賊徒山々江散乱、仙台街道者薩藩弊藩、会津街道者薩土藩ト合隊進撃仕、二字頃人数引揚申候、尤手負左之通
銃隊 香村造酒允
川崎志津右衛門
安藤杢太郎
三輪隆太郎
岡崎末太郎
広瀬乙四郎
銃卒 桑原重吉
夫卒一人
兼而白坂宿江分隊之人数江同日八字頃黒川口ヨリ賊徒進来、大小砲烈敷打懸候ニ付、黒羽藩ト合兵、同様防戦進撃仕候処、賊山手ノ方江散乱、即追撃仕、十二字頃人数引揚申候、尤手負左之通御座候
銃隊 大野代次
右者諸藩ヨリ御届可申候得共、先ツ弊藩ヨリモ不取敢御届奉申上候以上
六月十三日 戸田釆女正家来 戸田三弥
黒田藩届書
今朝卯中刻頃、西原黒川口ヨリ賊兵五十人程白坂駅固場江向襲来、及砲発、尚追々賊兵相加リ凡二百人余ニ相成、頻ニ双方砲戦、依之味方三方ヨリ進撃、午刻ニ至遂ニ撃破リ、八町余追討仕、大垣并当家ニテ賊一人討取、且味方手負死人等一切無御座候、此段不取敢御届奉申上候以上
先達而御届申上候、去五月廿六日奥州白坂駅戦争之節、討取、分捕、討死、手負等取調候処左之通
一、討取十一人
但右者見届候所ニ御座候、且手負廿人余有之、死者右之外ニモ有之由追々生捕之者申立候事
分捕
一、臼砲一門
一、小銃六挺
但此外略之
味方討死手負
討死 二番隊 小室新吉
重創病院ニ死 三番隊 後藤勇助
手負 藪知次郎
堀口玉之助
沢部善蔵
二番隊 渡辺幸助
久米勇蔵
右之通御座候、此段申上候以上
六月十二日 大関泰次郎家来 五月女三左衛門
○同十三日御沙汰書
徳川亀之助
今般於其方扶持難行届者共姓名夫々取調来ル廿日限差出候様可致旨御沙汰候事
六月
大沢采女助
本禄如旧下賜候事