行在所日誌・慶応4年2号

〈御親征行幸中〉行在所日誌 第二号
慶応四戊辰年三月廿七日

【天保山ニテ海軍叡覧ノ事】
三月廿六日、天保山ニ於テ、海軍為叡覧、卯ノ半刻御発輦御行列ノ次第ハ左之通
先陣

加藤遠江守兵隊
池田侍従兵隊
柳沢甲斐守兵隊
細川右京大夫兵隊
先陣一番
不参 加藤遠江守
若王子
聖護院宮
庭田大納言
松本隠岐

先陣二番
不参 池田侍従
勘ケ由小路弁
勧修寺権佐
松尾因幡
先陣三番
柳沢甲斐守
四辻宰相中将
櫛笥中将
細川右京大夫
細川三河

中軍
薩州兵隊 百人
備前兵隊 百人
中軍 左
中山大納言馬
富小路中務大輔
壬生修理権大夫
坊城侍従

御板輿 輿丁十人 雨皮二人 脚立二人

中山前中将
大原左馬頭
裏松中務権少輔
三条大納言馬

御医三人
松室丹波
土山淡路守
御児両人御先廻リ 御茶弁当二人 御膳番一人
御水桶二人
雨皮二人 御台二人

御厨子所 上下四人
同御用長持 二棹 夫四人
肥後兵隊 百人
長州兵隊 百人

後陣一番
中務卿宮
正親町大納言
坊城頭弁
安芸少将
津和野侍従
松室石見
後陣二番
石山三位
千種前少将
長門少将
森対馬守
羽倉播磨

後陣三番
石野大夫
北小路極臈
不参 藤堂大学頭
松室下総
後陣兵隊
藤堂
安芸
津和野
長門

兵隊

御道筋ハ、御本門ヨリ心斎橋通リ四軒町、大豆葉町、七郎右衛門町西国橋、玉水町、常安橋通リ玉江橋ヨリ堂島、浜筋塩津橋ヨリ安治川筋、安治川橋通御ニ而、富島二丁目浜ヨリ御乗船被為遊、兵隊ノ前軍、中軍ハ左ノ川岸、後軍ハ右ノ川岸ヨリ、隊列ヲ整ヘ、正々堂々御座船ノ左右ニ随従行進シ、以テ護衛セリ、午ノ刻天保山エ御着船也○兼テ用意アリシ各藩ノ軍艦、仏国軍艦、天保山ヨリ距離一里ニシテ碇泊セリ叡覧所ヨリ青旗ヲ振リ
着御ヲ合図ス、是ニ応シテ海軍惣督聖護院宮、同輔翼若王子、同参謀庭田大納言乗込レシ肥前軍艦電流丸ヨリ、祝砲ヲ発ス、仏国軍艦ヨリモ亦発砲シ皇帝陛下ヲ祝シ奉ル、右相済ミ、電流丸ヨリ答礼ノ応砲ヲ発シ、諸艦ヲ誘導シ、兵庫ノ方ヘ向テ、航スル事三十分時ニシテ転回シ、天保山ヘ帰艦碇泊ス、八ツ時過御乗船御道筋、御行列、初ノ如シ、七ツ時
還御在セラル○此日供奉諸侯ノ供連ハ、侍二人、口附二人、下部一人ナリ、尢船中ハ従僕一人ナリ、残リ供ハ陸行御行列ノ後ニ従ヘリ○前中後ノ兵隊人数ハ、中藩以上百人、小藩ハ一小隊ナリ○御行列ヲ拝セントテ、市中近在ノ衆庶、群集スル事夥シ