東京城日誌 第二
明治元年戊辰十月
奥州岩城平
十月二十日東京着 隠居 安藤鶴翁
濃州切通ニ罷在候当主対馬守ヘ御預
同湯長谷
同日同断 当主 内藤長寿麿
本家延岡内藤備後守ヘ御預
同泉
十月二十日東京着 当主 本多能登
本家参州岡崎本多美濃守ヘ御預
同二本松
同二十六日同断 当主 丹羽左京
上州前橋松平大和守ヘ御預
十月二十七日
【氷川神社行幸ノ事】
兼テ被仰出候通、大宮駅氷川神社御参拝トシテ行幸被為遊、今朝卯上刻、東京城御発輦、本郷、巣鴨御小憩、板橋御昼休志村、蕨駅等ニテ御小休、申下刻浦和駅御着輦、同所御一泊、翌二十八日大宮駅御着輦、神社御参拝被為済、同駅御昼休、申下刻浦和駅ヘ御還輦、翌二十九日申ノ刻御都合能東京城ヘ還御被為遊候事〈御還輦ノ節、御昼、御小休等ノ場所、二十七日ニ同シ〉
議定、参与、弁事、其外ノ諸官供奉、徴兵六小隊御備、前後ヲ警衛ス、御行列附略シテ不載
御参拝ノ概略
当朝神主宅ニ於テ、暫ク鳳輦ヲ被為駐、此間神扉ヲ開キ、楽ヲ奏シ、神饌ヲ薦メ、饗具畢リ御出輦、社家二名御先行、神主唐門外石橋ノ側ニ奉迎拝伏ス天皇唐門外ニ於テ御輦ヲ被為下、拝殿ニ着御、神祇官判事、神主等、脇門ヨリ入リテ拝伏ス、既ニシテ、判事起テ御辛櫃ニ就キ、御幣ヲ出シ、前ンテ御前ニ奉ル天皇御奉幣、畢テ判事ニ授ケ玉ヒ、判事之レヲ神主ニ伝フ、神主受テ神殿ニ昇リ、謹テ神前案上ニ置キ、降リテ返祝詞ヲ唱ヘ、畢テ判事、神主等、皆拝シテ退ク天皇還御、神主拝送如初
浦和駅ニ於テ御旌表
一御褒印 武蔵国足立郡根岸村
百姓孫四郎忰 仙吉
右之者、父孫四郎七ケ年前ヨリ盲目ニ相成、殊ニ近年難病相煩ヒ、家内数多ニテ極メテ困窮之処、幼年ヨリ藁仕事等相励ミ、食薬ニ給シ、親之辛苦ヲ助ケ、孝養ヲ尽シ候段、奇特之事ニ候、依之金二千匹下賜事
明治元年戊辰十月
一御褒印 同国同郡大宮駅
百姓久右衛門忰 良助
右之者、父久右衛門多年病気ノ処、朝夕親之心ヲ慰メ、看病行届、且宿内困窮者ヲ憐ミ、乍聊救助筋取計候段、奇特之事ニ候、依之金二千匹下賜事
明治元年戊辰十月
御褒賞
同国豊島郡板橋宿
百姓 三五郎
其方儀、平日母ヘ孝養之聞有之、且一家和熟、農業格別相励候段、奇特之事ニ候依之為御褒美、金千匹下賜事
明治元年戊辰十月
弁官事印
同国足立郡針ケ谷村
百姓 喜四郎
其方儀、平日母ヘ孝養之聞有之、且家業格別相励候段、奇特之事ニ候、依之為御褒美、金千匹下賜事
明治元年戊辰十月
弁官事印
同国同郡同村百姓
寿作召仕女 しつ
其方儀、幼年ヨリ寿作方江奉公ニ罷越、十二ケ年来、身持貞実ニ相勤候段、奇特之事ニ候、依之為御褒美、金千匹下賜事
明治元年戊辰十月
弁官事印
同国同郡蕨宿
仁兵衛借地 清次郎
其方儀、永々相煩ヒ候上、忰勝五郎盲目ニ相成、難渋ノ処、農業格別出精致シ、漸々露命ヲ保チ候段、不愍之至リ、奇特之事ニ候、依之為御褒美、金千匹下賜事
明治元年戊辰十月
弁官事印
御賑恤
同国 山田一太夫支配所
滝ノ川村 板橋宿
前野村 小豆沢
下戸田村 上戸田村
蕨宿 辻村
根岸村 白幡村
岸村 浦和駅
針ケ谷村 大宮駅
桑山圭助支配所
下蓮沼村 上蓮沼村
村志村 根葉村
一ノ宮社領地内
増上寺領
巣鴨村
九十歳以上 二人
八十歳以上 五十一人
七十歳以上 三百三十四人
人数合三百八十七人
九十歳以上 五百疋
八十歳以上 三百疋
七十歳以上 二百疋
其方共、長寿致シ、愛度事ニ候、依之右之通下賜事
明治元年戊辰十月
弁官事印
同国足立郡下戸田村
二百十人
其方共、不慮之水害ニ罹リ、不愍之事ニ候、依之人別、金若干宛下賜事
明治元年戊辰十月
弁官事印
同国同郡蕨宿百姓金兵衛
家族十一人
其方共、不慮之火災ニ罹リ、不愍之事ニ候、依之人別ニ、金若干宛下賜事
明治元年戊辰十月
弁官事印
同国豊島郡志村百姓
五郎右衛門
其方儀、一家三夫婦和熟致シ、農業格別相励ミ候段、奇特之事ニ候、依之為御褒美、金千疋下賜事
明治元年戊辰十月
弁官事印
同二十九日御沙汰書写
中大夫以下之面々、東京定府ニ被仰付候間、当時帰邑之輩ハ、早々出府可致様御沙汰候事
但邸宅之儀ハ、如旧被下候間、早々可願出事
十月
同日諸藩公議人江御沙汰書写
奥羽北越諸降賊、御処置振見込、書取ヲ以来ル十一月八日午刻、東京城ヘ持参可致事
但美濃紙ニ認、封書ニテ可差出事
十月
有栖川帥宮
東北及平定候ニ付、大総督辞退、錦旗節刀返上之趣、被聞食候、依之来ル二日参内可有之旨、被仰出候事
十月
薩州兵隊
土州兵隊
阿州兵隊
久々之軍旅云々、去ル十九日薩州兵隊ヘ御沙汰書同文
十月
奥州棚倉
阿部美作
阿部養浩
十月二十八日東京着両人共同姓備後阿部主計頭ヘ御預