鎮将府日誌・慶応4年2号

鎮将府日誌 第二
慶応四年戊辰八月五日
○八月五日越後表ヨリ文通写
官軍北越松ケ崎ヨリ致揚陸候処、新発田人数早速相応シ、官軍ヲ迎ヘ候ニ付、無人境ヲ行ク如ク、沼垂辺迄占メ候間、其御地滞陣之新発田兵隊三百人、早々帰国候様御沙汰可被下候以上
七月廿八日 吉井幸輔
大村益次郎殿
同日御沙汰書
新発田藩
其藩兵隊、帰国被仰付候事
八月
越後口ヘノ文通
水戸脱藩之奸徒共、其地ニ於テ王師ニ抗衡致シ候段相聞、同藩ニ於テモ深恐入、就而ハ今般追討之為メ、出兵致シ候、御地着ノ上ハ、万事無隔意御指揮可有之、為其如此御座候以上
八月五日 大総督府 下参謀
越後口出張
参謀御中
同日御沙汰書
米倉丹後守 人数五十人
金沢并中里警衛被仰付候条、総テ横浜出陣軍監指揮ヲ請、可相勤旨御沙汰候事
八月
伊州藩
其藩兵隊、奥州表ヘ出張可有之旨御沙汰候事
但国元ヨリ交代之兵出張之上、引渡次第帰府可有之事
八月
翔鶴丸
伊州藩、大洲藩人数乗込、奥州富岡ヘ廻船可有之旨御沙汰候事
八月
同日佐土原藩届書
戦死 兵隊 酒匂浅之進
深手 同 富田源右衛門
同 同 恒吉兵衛
浅手 同 松浦清助
右六月廿八日奥州新田坂ニテ死傷
深手 兵隊 上村惣太郎
同 同 桑原新吾兵衛
同 同 弓削与兵衛
右六月廿九日湯長谷ニテ手負
病死 小隊長 谷山藤之允
右七月三日常州平潟ニテ病死
戦死 兵隊 牧野田六左衛門
同 同 児玉源次郎
同 同 壱岐栄蔵
浅手 同 種子田市郎
同 同 小牟田武士郎
深手 同 図師常右衛門
同 同 細山田藤蔵
同 同 高橋軍右衛門
戦死 夫卒二人
右七月十三日、奥州岩城平ニテ死傷
一、乗馬一疋
但馬具不備
一、四斤半一挺
一、ボード一挺
一、臼砲二挺
右新田坂并湯長谷戦争之節、分捕品ニ御座候右之通ニ御座候以上
八月二日 佐土原藩
同日薩州藩届書二通
平領走熊村之内、七本松ヘ賊徒百五拾人計、台場ヲ築相守居候聞有之候ニ付、番兵一番隊半隊、私領一番隊為斥候、去ル十日五字頃ヨリ、小名浜繰出、番兵一番隊半隊者、御代村七本松街道正面ヘ相進ミ候処、台場近ク相成、賊徒ヨリ致砲発候ニ付、半隊ヲ分隊致シ、右分隊者右之方山手ニ相廻、左分隊者畔道ヨリ正面ニ掛、砲発致進撃、私領一番隊者、大原村間道ヲ経、下舟尾村山ヲ越、七本松ヘ、賊徒ヨリ相築居候台場之後ヘ廻、前後ヨリ致攻撃候処、賊徒七本松左右之山半腹三ケ処之台場ヨリモ、手繁致砲発候得共、前後ヨリ之攻撃ニ難守衛、引色ニ相成候ニ付、益致進撃候処、賊徒散散致敗走候ニ付、四ケ処之台場、都而取壊置申候、尤弊藩宮地源太郎薄手負申候、打取者賊徒七人、其余打捨有之候得共、山中之事故、死体取調出来兼申候、此段御届申上候以上
七月
去十三日、平城攻撃ニ付、大砲隊半隊、十一番隊、番兵一番隊、私領一番隊、都合三小隊半、十二日十二字頃ヨリ、小名浜繰出シ、薄磯沼之内境ヘ、賊徒台場ヲ築居候ニ付、二手ニ相分レ、一手者正面ヨリ相掛、一手者山手ヨリ賊之後ニ相廻リ、砲発攻撃致シ候処、賊徒散々ニ敗走、下高久村迄追討、打取一人、暮時分兵隊引揚、沼之内ヘ致宿陣申候、同十三日、下高久村宿陣之三小隊半、暁五字頃同所繰出シ、進軍之処、上高久村山又者中山村ヘ、賊徒台場ヲ築、致発砲候ニ付、手配ヲ以致攻撃、暫時之間ニ両処之台場乗取、賊徒悉ク追払、打取二人有之、直ニ進軍、八字頃平城ヘ押寄候、且又小名浜滞陣之大砲隊半隊、九番隊、十二番隊、遊軍隊、私領二番隊、都合四小隊半ハ、同日暁三字過ヨリ同所繰出、空地山口進軍之処、タジ山ヘ屯集之賊徒悉ク打払、打取二人、八字頃平城ヘ押寄各藩茂同様諸口大小砲ヲ以致攻撃、外郭者攻破候得共、賊城ヨリモ厳重砲発、防戦致シ候ニ付、容易ニ難攻抜、夕五字頃ヨリ、官軍一同弥猛烈砲発、攻撃致シ候得共、相弱ヒ不申候ニ付、各藩致軍議、夜攻之決策、兵隊不引揚、攻口等初之通ニ候処、砲声モ漸々絶々相成、当夜十二字頃自焼、及落城候翌十四日、平城涯ニテ相斃候賊死体、取調候処、四拾二人有之、各藩同様攻撃之事候間、誰ヨリ打留茂不相知候、其他諸藩之掛口、固場先キニテ打留候モ有之由候得共、右ハ其藩々ヨリ御届可申上儀ト奉存候
一、生捕六人
城内ヘ乗入候処、諸所ヘ死体仮埋ノ証跡有之候得共、首級細詳取調出来兼申候
弊藩戦死、手負并分捕左ニ申上候
戦死 半隊長 末弘武輔
浅手 戦兵 岩崎静一
同 瀬尾助五郎
同 財部与八
右七月十三日、磐城平攻撃途中、岩前郡中山ニ於テ戦死、手負
深手 小隊長 樺山十兵衛
同 戦兵 税所雄之助
同 永田彦兵衛
同 種子島吉兵衛
同 竹田笋七
同 松清善之助
同 末野角二
同 末野正之助
同 末野勇蔵
同 末野仲吾
浅手 監軍 池田次左衛門
同 半隊長 志々目弥平次
同 小頭 土持直五郎
同 東藤太左衛門
同 戦兵 本田休助
同 東郷勇助
同 有馬春斎
同 中村九之丞
同 志々目藤兵衛
同 小野伴兵衛
同 肥田藤吉
同 長井守介
同 今井四郎兵衛
同 肝付英助
同 床次勇四郎
同 江川覚兵衛
同 従卒 小助
即死 小名浜ニテ雇夫 宗七
右同城攻撃ノ節、処々ニテ戦死、手負
一、大砲一挺
一、銃丸箱六ツ
一、火薬箪笥拾五荷
一、土蔵五軒
但蔵米石数調方相済不申候
一、四斤半砲一挺
一、百目位車砲二挺
一、小銃拾五挺
一、水車二軒米入
一、携臼砲二挺
右之通、磐城平攻撃ノ節、途中并城内ニテ分捕相成申候以上
七月 薩摩少将内 島津左衛門
島津伊勢
因州藩届書
昨十三日暁三字之頃、湯長谷表進軍、湯本ニテ暫時纏メ、追々相進ミ、早天ヨリ戦争相始暮七字過引揚ケ、大橋向観音山辺ヘ、終夜兵ヲ伏置、翌日又又攻撃可仕覚悟ニテ御座候処、同夜中賊兵逃去リ申候、尤処々ニテ攻撃致候ニ付、戦之模様委ク難認候、当日討死、手負、別紙ニ御届申上候、戦争中分捕一切無御座候、此段御届申上候以上
別紙
深手 士官 杉原金吉
浅手 同 臼井央
即死 近藤類蔵隊中 佐々木庄之助
深手 吉田品蔵隊中 出井栄三郎
同 中村佐助
同 森川久之丞隊中 岩田伝左衛門
即死 永田秀蔵隊中 松岡弥吉
同 入江忠三郎
手負 田中源次郎
同 戸田市三郎
手負 山根留次郎隊中 山下与助
同 村仲甚助
深手 池田相模守人数石川豊太郎隊中 山本惣左衛門
同 梶川嘉兵衛
浅手 伊藤熊吉
深手 久山省次隊中 田中藤五郎
同 西岡長四郎
打死 谷口嘉六
深手 山田伊三郎
同 近藤類蔵隊中 西垣利兵衛
浅手 本小隊武官甚之進家来 宮田栄吉
同 夫卒二人
右之通御座候以上
七月 因州藩
備前藩届書二通
去月廿八日関田宿払暁整列、三字雷発、御手配之通、海手ヨリ進軍、薩州、弊藩、斥候隊ニテ泉表之賊兵追落シ、陣営乗取申候、尤弊藩一小隊者、御差図ニテ植田宿守衛ニ残置、一分隊者黒須根通リヨリ進撃仕、同夜者泉ヘ宿陣、翌廿九日、山手之方手薄之趣ニ付、出先各藩申談、弊藩山之手ヘ繰込候処、柳川藩平潟ヘ引揚候跡ニテ、幸然之次第、然ル処、海手官軍激戦之砲声、盛ニ相聞候ニ付、直ニ佐土原藩合併ニテ進軍、矢板坂之賊塞攻抜、湯長谷之賊巣〈此陣営賊兵共前軍局ト相称申候〉攻撃、十二字同所乗取、昼食相認、暫時休憩、極而海軍進軍ニ相成可申ト両藩申談、兵隊勇奮、同所打立、湯本辺ヨリ戦争相始リ、堀坂之要害撃破リ、平城長橋門ヘ追詰、及攻撃候得共、勝敗無之内日暝ニ及ヒ、不得止事物分レニテ湯長谷ヘ引揚申候、戦死、手負、左之通
戦死 銃隊 国末藤右衛門
〈重創帰営之上翌暁没〉 塩尻鶴右衛門
手負 銃隊司令官 河村駒之介
同 松本若松
右之外、薄手之者有之候得共、格別之儀無御座候ニ付、相省申候、右之趣早々御届可申筈之処、不日平城追撃、落城之上ト相考候ニ付、延引仕候以上
七月十四日
昨十三日払暁、湯長谷表雷発、各藩申談、人数分配、弊藩人数者両手ニ分チ、一手ハ往還筋ヨリ、柳佐両藩合隊ニテ進撃、新谷辺ヨリ戦争相始候処、下綴辺山手ニテ、賊兵厳ニ致防禦、其上同朝大霧ニテ、兵隊難進メ、弊藩分隊ヲ以、迂路横撃斬込、賊砦追崩、本道順ニ繰詰候途中ヨリ、間道廻リ、因藩共合併ニテ、長橋門ニ相及ヒ、激戦数頃、遂ニ攻入一手者山手ヨリ佐藩合隊進撃、高坂辺ヨリ戦争相始、砲台四五ケ所攻落シ、久保町ヨリ攻込申候、攻城之節者、一手大手六間門ヨリ攻撃、其余賊兵之進退ニ寄、所々分配接戦、同夜落城仕候、戦死、手負左ノ通
戦死 大砲隊 中村亀之進
同 銃隊 高木定之丞
同 同 岡崎秀松
同 同 田中兼治
〈重創帰営之上死去〉 同 赤井虎蔵
手負 半大隊司令官 浅野忠次郎
同 小隊司令官 水谷亥孝太
同 銃隊 岡本六蔵
同 野崎信右衛門
同 加藤槙之助
斫傷 銃隊夫卒 杉松
右之外、薄手負之者有之候得共、格別之義無御座候ニ付、相省キ申候
七月十四日 備前侍従内 薄田兵右衛門
柳川藩届書三通
昨廿八日朝七ツ時、諸藩一同雷発、植田ヘ相揃、佐土原藩、弊藩、新田ヘ向ヒ、一同相進候処、賊新田坂ヘ台場ヲ構ヘ、発砲候ニ付、佐土原藩大砲ヲ正面ニ進メ、弊藩立花参太夫一小隊相進、攻撃相始、暫時対戦致シ候得共賊嶮ニ拠リ相支候ニ付、右山手ニ進横撃仕、続而曽我司隊相進、佐土原銃隊、弊藩石川重郎右衛門隊、左山手ニ相進ミ、蜂谷一学隊中央ヨリ相進、攻撃仕候得共、急ニ不敗候ニ付諸手一同正面ヘ合撃仕候、其節泉攻撃、薩藩之応援モ有之、賊怱チ嶮ヲ捨テ敗走、討取多分ニ有之候、一同新田迄相詰、兵隊兵糧ヲ遣ヒ、暫時休兵仕、佐土原藩、弊藩、泉之方ヘ引合申候処、最早夕景ニ相成候ニ付、明日未明ヨリ進撃之約ニ相決シ、新田ヘ宿陣仕候、此節弊藩生捕、且手負、左之通ニ御座候此段御届申上候以上
生捕 純義隊之内 中村芳五郎
小銃 拾七挺
同玉薬 凡千
幕 壱張
但シ相馬紋付
大砲玉薬 八箱
佐土原藩相分捕
大砲 一門
玉薬 三荷
手負
薄手 半隊司令士 檀亨右衛門
同 蜂谷一学隊 大石善太夫
深手 小野七郎
同 浅田繁治
同 小銃玉薬持夫卒 伊三郎
別紙御届申上候通、今日湯長谷ヘ進撃可仕手筈ニテ、已ニ進軍仕候処、御使番ヲ以、平潟ヨリ賊船相見、同所小勢ニ付、弊藩人数早々応援可仕様、御達ニ付、直ニ引揚、平潟ヘ繰込申候、此段御届申上候以上
六月廿九日
一昨廿八日九ツ時過、平潟沖ヘ賊船三艘相見平潟ヘ向テ発砲仕候ニ付、直ニ人数海岸ヘ繰出候処、薩州藩両三人、大村藩一人、佐土原藩一人出合、一同申談、参謀御出張先ヘ注進仕、尚所々ヘ手配仕居候処、賊船ヨリ頻ニ砲発ニ及ヒ候得共、何モ小銃而己ニ付、兵隊者成丈仕置、上陸ヲ相待候処、八ツ半時頃其侭岩城之方ヘ退船仕候、然処、昨廿九日朝五ツ半時頃、賊船一艘浜近乗込、空砲二三発打懸直ニ小船ヨリハト内見懸乗来候間、両岸ヨリモ小銃打懸申候処、小船者忽逃去、本船ヨリハ大砲頻リニ打懸申候得共、暫時ニテ退船仕候、此段御届申上候以上
七月
昨十三日朝三字三十分、因州、備前、佐土原弊藩一同雷発、湯本ヘ相揃、五字前同所ヨリ因州、備前、佐土原、弊藩之斥候隊ヲ差出シ引続右之三藩、且弊藩之大砲隊ヲ進メ、四藩一同小銃隊、続テ相進候処、賊之番兵一二ケ所有之、則斥候隊ニテ打払、因藩ハ右山手間道ヨリ進ミ、備前、佐土原藩者左之裏手ヨリ進ミ、備前一小隊、弊藩兵隊、本道ヨリ相進候処、賊右山手ヨリ発砲致シ候ニ付、少時攻撃致候処、忽チ逃去候、尚本道ヲ進ミ候処賊兵左之山手ヨリ大砲ヲ打懸、足軽屋敷森林中并長橋詰之所ヨリ、小銃頻ニ打立候ニ付、大砲隊相進、諸手之兵隊一同烈敷ク攻撃致シ暫時ハ頗ル苦戦ニ候得トモ、尚大砲隊ヲ進メ賊之屯集中ヘ打掛ケ、賊兵混乱致シ候処ニ、小銃隊ヲ進メ、致進撃候処、賊兵散乱致シ候ニ付、長橋ヲ追崩シ、弊藩大手門ヲ先登仕材槌門内、不明門内迄相進候処、賊兵城門脇山上ヨリ大小砲ヲ打立、官軍一同猛戦之中、日既ニ暮ニ及、一先各藩人数引揚可申順序ヲ立、弊藩人数先引揚候様御達シニ付、繰引ニ致シ、人数相揃、関村迄引揚申候、然ル処各藩之兵未タ引揚不申内、賊自ラ城ヲ焼落去申候、此節弊藩死傷別紙之通ニ御座候、分捕品之儀者、追而取調之上可申上此段御届申上候以上
薄手 隊長 石川市郎右衛門
深手 大砲隊長 蜂谷一学
同 立花参太夫隊 利光作之進
同 同 加藤時之助
同 同 坂本永記
同 同 新中熊蔵
同 同 今村松之助
薄手 阿部権之助
深手 石川重郎右衛門隊 中山六弥
同 同 小山田靖之進
同 大砲隊 寒田新助
薄手 新中重登
戦死 立花参太夫隊 今村関之丞
同 石川重郎右衛門隊 十時仙之進
薄手 曽我司隊 江口利吉
同 木下新一
同 立花出雲守家来 向坂多仲
同 小山直之丞
深手 小畑小次郎
右之通御座候以上
七月 柳川少将内 立花備中