太政官日誌 明治二年 第四十三号
明治己巳 四月十五日
東京城第六
○四月十五日〈丁巳〉
【宮古港ノ海戦】
陸奥青森出張参謀軍監ヨリ書面写節録
昨廿六日、軍艦四艘、運用船三艘、都合七艘〈八艘之内戊申丸ハ未着〉青森港入着、陸軍一統大ニ勢ヲ得海陸軍議決定之上、不日進撃之手都合ニ御座候、然ルニ一昨廿五日未明、右軍艦宮古港ヘ碇泊罷在候処ヘ、不意ニ回天、蟠竜、高尾之賊艦三艘襲来、其内回天ハ港ヘ乗リ入、剛鉄艦ヘ突キ懸ケ、及砲戦、愉快之一戦有之、高尾丸ハ、ダンノ浦ト申処ニテ、官軍艦ヨリ討取之件々ハ、委細別紙、海軍参謀ヨリ御届有之候ニ付略仕候、既ニ右賊艦箱館港出帆、南部地ヘ向キ航海、其形勢重畳怪敷相見ヘ候段同港在居之英人ブリキストンヨリ報知〈帆前船報知ニヨリノ付遅延〉且別紙八戸藩ヨリノ届書到来、旁当方所議ハ、必ス賊艦ヨリ先ンシテ、海路要所ヲ塞キ、官艦之不意ヲ襲フノ策ナルベシト推察不取敢斥候山県与三ヲ、アルヒヨン船ヘ乗セ組、右ノ次第ヲ以、宮古港軍艦ヘ為報知、差越候処、時刻ニ後レ、最早戦争後ニ相達、如何ニモ遺憾不少候、乍去海軍初度之戦ニ、彼カ一艦ヲ破リ候儀ハ、実ニ吉兆第一、惣軍之士気モ奮立、雀躍此儀ニ御座候、云々
三月廿七日 野田大蔵
大田黒亥和太
軍務官御中
○
前略、去廿五日朝五字頃、アメリカノ国旗ヲ揚候船、忽然我甲鉄艦ヲ目懸乗来候処、計ラスモ廻天丸ニテ、賊ナル事判然ニ付、各艦防戦之用意致候処、彼ノ賊艦、甲鉄之左リ舷檣ヘ、迅烈突掛、大小砲打懸、賊六七人抜刀、或ハ銃ヲ携ヘ、甲鉄艦ヘ乗入候ニ付、迎撃接戦、賊四人ヲ切斃シ、大小砲ヲ以、衆艦一同連撃、賊終ニ逃去候、此戦三字ノ間ナリ、直ニ追撃之手合セイタシ、各艦八字ゴロヨリ発港、追掛ケ候テ、黒崎近海ダンノ浦ニテ、賊艦ニ乗附、第一春日、第二甲鉄、第三陽春、第四丁卯、各艦迫撃、賊不能支、終ニ船ヲ乗捨、自火散乱致シ候〈此賊艦ハ元高雄丸ナリ、当時アジロットト云、船将古川何某ノヨシ、又外国人一人乗込ミ居候由召捕候賊白状也〉春日艦乗組陸軍薩兵河路正二郎生捕賊一人、同森喜之輔討取賊一人、此日躬方手負左之通
甲鉄鑑司令 品川四方一
同 脇左仲
同 土方堅吉
会計方 佐藤彦七
水兵 上田徳次郎
同 河内山福松
同 西村佐吉
同 梅田梅之允
同 小林五郎
同 西村丹二
水夫 竹蔵
同 才蔵
同 伊三郎
右ノ外、飛竜丸船将薄手岡敬三郎、外ニ薄手六人、姓名未タ相調兼候、戊辰丸ニテモ外ニ分捕等モ有之候得共、未タ相調兼候ニ付、追々取調可申上候
右ハ去廿五日戦争之概略ニ御座候、猶委ク取調候上、可申上候エ共、不取敢前条大略御届申上置候、以上
三月廿七日
青森港ニテ 増田虎之助
石井富之助
奥州閉伊郡鍬ケ崎港ヘ、碇泊罷在候処、三月二十五日暁、賊艦廻天襲来、依テ諸艦合撃、廻天ハ数里遁去、外一艘之賊艦、羅賀辺海岸ヘ乗付、罷在候ニ付、諸艦一同打向候処、春日、甲鉄ノ両艦攻撃中ニ付、控居候処、合撃候様、甲鉄艦ヨリ申来リ、直様相進ミ、数砲打放候得共、一発ノ応砲モ無之ニ付、賊艦乗込之者、遁去候ヲ察シ、二艘ノ端舟ヲ卸シ、艦中ヲ点検候様命遣ス、同断端舟差向候処、無程一艘引返シ、乗込一人モ無之、艦中火起リ居候ニ付、取消シノ手配致候段、報シ帰リ候間、又々一艘乗返リ、相達候ニハ、火ヲ消シ、機関其外見調候処、水下ニハ損所モ無之様候得共、機械下鑵之下共二箇所、漏所有之何分用立兼候ニ付、機械諸カラーシラ明ケ、海水漸次ニ浸入候様致シ、船体ニ火ヲ放チ焼捨之手配致置候段、帰報致シ候、必用之諸品分捕、左之通
一、手鎗一本
一、シイフル銃
一、シナイドル用製作玉五百箇
一、日本其外諸図数枚
一、コロノメートル一箇
一、パセメートル損所有之一箇
一、米仏魯英葡各国章籏五流
一、日ノ丸大籏一流
一、アシミツトコンパス一箇
一、ホリソント一箇
一、和英蘭書籍数部
一、半胴大鞁一箇
合十二種
右之通御届申上候、以上
三月廿五日
御軍艦陽春
船将 石井貞之進
南部遠江守届書
三月廿二日卯下刻、蒸気船三艘、当所鮫浦沖漂流、巳刻頃三四十町計ニ滞帆、バツテイラヲ下シ、人数十二三人乗合、四五町程ニ而乗廻、点検之様子ニ付、為応接、同浦小役之者三人、外水主五人、小舟ニ而差遣申候所、薩長勢並外藩々ヨリ、固人数有無之儀、且肥前藩昨年乗捨置候船、何レニ有之哉、尋候由、夫々相答、随而何レノ御船ニテ何レヘ御通船有之哉ノ旨、此方之者相尋候処、右答無之、味方之事故、聊心配無之候、事ニ寄、当所厄介相成可申ト申、直ニ本船ヘ乗戻、何レ之船ニ而何レ之藩ト申儀、相知不申候ニ付、猶亦最前之三人之者、本船迄差遣候処、船中ヘ呼入、午刻迄帰舟不致、然処漁師共之中、乗寄様子承知候処、水手共空腹相成候ニ付、漁師舟ヘ乗移罷帰候之間、次第柄相尋候処、本船ヘ三人之者乗入候後、趣意一円相分不申、殊ニ面談モ不仕、罷帰候旨申出候、船中外国人モ乗合候趣、フランス人ニモ可有御座哉、扨碇泊ニモ無之、悉奔走罷在候、測量等ニモ可有御座候哉、船印日之丸、艫之方ニ、白地ニ黒ニテ、十之字之形ト見得候エ共、遠沖ニテ確定相分不申候
右之次第柄、索考仕候処、弥怪疑ニ被存、兼テ固人数二小隊差出置候エ共、猶四小隊至急繰出、夫々手配仕置候エ共、何分小人数之事故、存慮行届兼候間、自然脱艦ニテ発砲ニモ相成候節ハ、野辺地ヘ御手配被置候御人数之内ニテモ、御援兵被下候様、一昨廿二日以急使奉願上置候処、同日申刻相成、前々遣候小舟帰帆ニ付、其次第相尋候処、前顕之三人外水手之中一人被捕押、船中容子弥相分兼、心痛仕居候内、追々蒸気烈敷、南方ヘ走去候ニ付、右四人之者連戻申度、追駆候エ共及ヒ兼、不得止、事空罷帰候旨申出候、夫ヨリ三四里南方、領分之内、大蛇ト申浦之沖ニテ、漁師一人被捕押、都合五人捕押、其辺ニテ大砲三四発打出、三艘共弥南ヘ走、其後一円行衛相分不申候旨、鮫浦出先之者ヨリ申出候、此段御届申上候、随而被捕押候者共、名面左之通御座候、以上
被捕押候人数名面覚
鮫浦名主 漣平 四十二歳
同所問屋 山四郎 三十八歳
同甚太郎名代 安太郎 五十歳
同所水手 与三吉 五十歳
大蛇村漁師 卯之助 三十九歳
右之通御座候、以上
三月廿四日
南部遠江守家来 湊九郎太
川勝内記