明治元年109号

太政官日誌 第百九
明治紀元戊辰冬十月

十月七日秋田藩届書写其四
【羽州亀田領羽根川附近ノ戦】
佐竹播磨守人数亀田領羽根川ヘ出張罷在候処、当月十八日黎明、賊兵同所ヘ押来、砲声盛ニ相聞候趣、牒知有之ニ付当手ハ長浜東方、山手ヘ相備、荒川久太郎一番小隊ト、佐藤日向手勢ハ、遥ノ高手ヘ散布、久太郎二番小隊、外ニ大砲隊、浜手小高キ処ニ布列、扣居候処、播磨守一手微力難支、羽根川表ヨリ引揚候、敵愈進撃、巳ノ半刻頃ヨリ、山手、浜手数ケ所ノ争戦、未ノ半刻過殊ニ烈敷相成、数刻ノ戦、味方疲労ノ処、為応援肥藩三小隊進撃致シ候ニ付、味方力ヲ得、大ニ奮戦、久太郎一番隊ハ浜手ト一聯隊ニ相成、踏止リ防戦候、当手ハ締リ備ト相成、羽根川後口山手ニ於テ喰留メ申候、是ニ困テ賊兵浜手ヘ廻リ合併打立候故、同所ノ諸軍奮闘致防禦候ニ付敵ノ砲声次第ニ相弛ミ、最早引揚ノ色相見ヘ候故、大小砲ヲ以テ、又一ト際厳シク打出シ致追蹤候処、賊兵遂ニ敗散、其節敵数多打留候儀ハ、的然相認候得共、一々首級ヲ揚ル間合無之、其節討死、手負並生捕、分捕、左之通御座候
討死
小人 佐藤兵太
砲術所小役人 江川幸蔵
手負
今宮大学手 高久治左衛門
青木理蔵
厚木多七郎
豊間宇助
渡辺伝吉
信太金太郎
川尻源吉
梅津喜久治
荒川久太郎手 猿田喜代治
佐藤日向手 須田喜七
富岡滝之助
渡辺小太郎
小人 船山寅治
笹村力三郎
伊藤万平
船越東八
砲術所小役人 阿部才治
蓮沼七左衛門足軽 八柳八十之助
酒出和泉従士 大谷長蔵
生捕
農兵 三人
庄内使役藤井八十五郎 下男 一人
分捕
塗弓 一挺 矢篭 一
フラン毛 一枚 塗笠 二
八十五郎替太刀 一本 脇指 一本
右之通、軍将今宮大学ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月

【羽州女米木綱木附近ノ戦】
本月十八日、左午子村在陣罷在候処、辰ノ刻以前、則川向ヒ女米木村ヲ放火シ、後山手ヨリ発砲致候ニ付、諸勢ヲ繰出シ、川端ヘ陣列三時許防戦仕候処、未ノ刻頃ニ至リ、賊山ヲ下リ、川向ヒノ人家ヘ聚合、大砲二発打懸ケ候処、賊狼狽山手ヘ逃去リ、直ニ女米木村上手ノ沢間ヘ引纏ヒ、其ヨリ本陣向川上ヘ散布候砌、綱木村ヨリ外ノ賊兵、白川村ニ備ヘ居候組頭、川井熊之助手ノ前面ニ進ミ来リ、烈発ニ付、味方ヨリモ打懸闘撃致シ候処ヘ、本陣向川上へ散布ノ賊兵、横合ヨリ打懸ケ甚タ苦戦ニ相成候処、物頭簗隼太、組頭岡崎謹治為応援左右ヨリ打懸候ニ付、賊敗走、綱木村ヘ引揚申候、争戦中賊数多打留候得共、川ヲ隔テ首級揚取様無之、其節味方手負左之通
手負 戦士 田中金之助
小泉吉太郎
与力 大塚重一郎
管波吉五郎
小貫山小市
江橋友治
梁隼太組足軽 高橋七之丞
黒川市太郎
宇佐美慶吾組足軽 池田定八
右之通、軍将渋江内膳ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月

【羽州秋田領上子坂ノ戦】
本月廿三日未ノ刻頃、当領上子坂ヘ、庄賊襲来候ニ付、対戦致候処、味方五十人計ヲ以、賊二百余人ト苦戦之折柄、玉生六郎一手五十人計リ、応援戮力、一時余モ防戦致シ候得共、賊勢次第ニ相加リ、衆寡難敵、不得已川口村マテ引揚候処、賊亦亀田領ヘ引退キ申候、其節討死、手負、左之通
討死 戦士 工藤政治
手負 山崎忠之丞
右之通、番頭信太内蔵助ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月

【羽州秋田領川口附近ノ戦】
八月廿四日巳ノ時頃、庄賊亀田領ヨリ川ヲ渉リ、当領萱ケ沢、中小種辺ヨリ、川口村ヘ襲来候ニ付、川口村ヘ兼テ備置候人数繰出シ、物頭佐藤才記半小隊、同処車田山ト申所ヘ備ヘ、物頭月居権太郎半小隊、前ノ杉林ヘ散布本道ヘモ戦士進撃、砲戦致シ候処、賊多勢馳加且ツ小種村、川口村ヘ放火、左右ノ後口ヨリ烈シク発砲、味方八十人計ヲ以、賊ノ二百余人ニ対戦候故、死傷多分、無拠未ノ半刻過、土淵村山中ヘ引退候処、筑州勢並渋江内膳物頭一手、応援ニ繰出シ候得共賊徒モ既ニ引揚、黄昏ニモ相成候故、川口ヘ野陣ヲ張リ居申候、其節討死、手負、左之通御座候
討死戦士 渡辺吉郎
斯波兵蔵
関清治
境田左門
天神林正之丞
手負 物頭 月居権太郎
組頭 根田八太郎
旗奉行 大槻順治
戦士 岡鉄蔵
木川八十八
茂木七郎右衛門
佐藤信之助
熊谷泰蔵
加藤貞吉
高階靭負組足軽 御法川又蔵
同 御法川久右衛門
同 三浦竹治
同 御法川永之助
月居権太郎家来 千代治
右之通、番頭小野崎三郎ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月

【羽州亀田領勝手附近ノ戦】
八月廿九日、長浜村宿陣ノ荒川久大郎手、朝寅ノ中刻浜手ヨリ、進軍、岡谷兵馬、佐竹播磨守隊長大田原祖助ト同様、一番小隊、亀田領勝手村前屏風形ノ山手ヘ進撃、今宮大学物頭蓮沼七左衛門手足軽同様散布烈発、二番小隊ハ同処ヨリ五六町許左リ山手ヘ繰込、大学戦士同様打懸候処、賊ヨリモ応砲烈敷、暫ク闘撃候得共、賊ヨリ見下シノ場所ニテ、防戦難成ニ付、巳ノ刻頃一ト先引揚、夫ヨリ沢ヲ隔テ、後ノ山ヨリ打懸候得共、地利不便、又又引揚、一番隊ト合勢、厳敷打懸、三時許防戦数刻之戦争味方疲労ニ相成候処、肥藩一小隊、未ノ下刻頃応援ニ付、得力一ト際奮戦仕候得共、賊険阻ニ拠リ打懸候故、味方進撃難成黄昏ニ相成候ニ付、惣勢本陣ヘ引揚申候、其節死傷、左之通ニ御座候
討死 岡谷兵馬手銃士 磯部猪太郎
荒川久大郎手銃士 石川伝三郎
小貫善治
郷夫 伝左衛門
手負<岡谷久太郎手銃士 豊間五郎
木村金次
荒川久太郎手銃士 館鶴治
郷夫 夢兵衛
太郎助
金八
郷夫 久三郎
右之通、有志隊長岡谷兵馬ヨリ申越候間、此段御届申上候、以上
八月
今般弊藩川崎久左衛門、去月十二日国許舟川乗船同十九日能州七尾ヘ着岸上陸、同廿八日夜此表ヘ着、兼而御届申上候後戦争並討死手負等、別紙之通於秋田表、御総督府ヘ御届申上候付、於此表茂別紙三冊、不取敢御届申上候、以上
十月七日秋田中将家来 村瀬清

【奥州川平口筆甫口ノ戦並筑前藩陣歿者】
同月八日筑前藩届書写二通
九月十一日、奥州玉野出張相馬藩ト合兵致シ二手ニ分レ、一手ハ焼柱口ヨリ川平口ヘ進ミ一手ハ直ニ川平口ヘ進ミ真船口ヘ至ル、賊山上ノ番兵所ヨリ砲発、暫時応撃、夫ヨリ進テ川平ノ賊ヲ追払、同所ニテ相揃、筆甫口ヘ進ントスル処、右ノ山手ヨリ小砲撃出シ居候ニ付、直様追払、十二字頃筆甫口迄進ミ、一手ハ本道、一手ハ又二手ニ分レ、左右ノ山ニ登リ、双方頻リニ激戦、終ニ筆甫迄追詰候得共日モ西ニ傾候ニ付、相馬藩ト申合、玉野迄凱陣仕候
討死 砲術役 安川正蔵
深手 銃手 三島雄右衛門 生死不相分
右之通、出先ヨリ申越候ニ付、東京表ニテ御届申上候段申越候ニ付、此段申上候、以上
十月八日
筑前宰相内 三木省吾

奥州於所々戦争ノ節、弊藩手負左ノ者共、磐城平中村病院ニテ、追々死去仕候段、出先ヨリ申越候、右之趣、東京表ヘ御届申上候段申越候
<八月十一日駒ケ峰ニテ手負同廿八日中村ニテ死去> 銃手頭 木付三郎右衛門
<七月廿九日波江ニテ手負九月四日磐城平ニテ死去> 樋口忠五郎
<八月廿日駒ケ峰ニテ手負九月八日中村ニテ死去> 一ノ銃士 岡清兵衛
<八月十一日駒ケ峰ニテ手負九月三日中村ニテ死去> 一ノ銃士半太夫倅 船田範兵衛
<右同断八月廿九日死去> 銃手 久保代次郎
<右同断八月晦日死去> 松井伊蔵
<右同断八月廿七日死去> 蓑原増次郎
<八月廿日駒ケ峰ニテ手負九月九日中村ニテ死去> 八島次三郎
<右同断九月五日死去> 松田嘉一郎
<右同断九月十五日死去> 下沢政次郎
<右同断九月死去> 江藤卯三郎
<八月十一日駒ケ峰ニテ手負同廿六日中村ニテ死去> 一ノ銃士野方録三郎家来 吉次甚三
右之趣、御届申上候、以上
十月八日
筑前宰相内 三木省吾